♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■救いは家族にも

2008年06月30日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 あのう、『出家とその弟子』(倉田 百三著)という本がありますよねえ。で、とかくどうでしょうかねえ宗教というものを信仰の世界というのは、そういう「出家」ということばに象徴されるようにですねえ、家族から切り離されて、まあ家を出て、自分一人が信仰する ・・・ 神と要するに自分との関係、これが一番大切なのだ、という。もちろんそのことは大切なんですけれども。あのう聖書を見ますとですね、個人こじんがイエス様を信じてその人が新しく生まれ変わる、新しい人生を歩み出す、というそういうようなことが当然基本になってはいるんですけれども、それだけで必ずしも終わる訳ではなくって、その人の上に与えられた祝福とか恵みとか救いとか言うのが家族にも及ぶという、そういう考え方、そういう教えが聖書の中にはあるんですね。

 で、たまたま五月は子どもの日があって、そして母の日があって、そして六月は父の日があって、そういう家族のことについての特別なイベントが続いた訳で、みんな家族を大切にしていこう、家族は大切だ、ということを表していると思うんですけれども。最近はどうでしょうねえ、本当に家族または家庭という中にいろんな思いもかけないような悲しい出来事が次々起こっていくというふうなことがあって、まさに家庭や家族の崩壊が日本の社会の中に始まっているのではないかという、まあそういうことが言われて久しい訳ですけれどもねえ。

 で、聖書を見ますならば「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き16章31節)ということばがあってですね、その人がイエス様を信ずることによって救われたということは、その祝福が家族にも及ぶようになる、ということ。ザアカイという札付きの罪人と言われていた人が救われる時に、イエス様は「救がこの家に来た」(ルカの福音書 19章9節 口語訳聖書)というふうにおっしゃいました。ただ本人だけではなくって、その人がイエス様を信ずることによって救いはその家庭に及ぶのだ、ということですねえ。そういう意味で本当に家族の祝福をいただくことができる。それが聖書が教える救いということの内容だということを知っていただきたいと思うんですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2008.6.30放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
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■人生の時(13) <伐(き)れない斧>

2008年06月28日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 旧約聖書伝道者の書10章10節という所に、こんなことばがあります。

 「もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる。

 この斧を使う人は、目の前の結果にとらわれ、とにかく早くたくさん木を切ることだけを考えます。ところが刃が傷み、切れ味が鈍くなっていることにはまったく気がつかない。そのためにますます力を使う。そして遂にくたびれ果ててしまう。これと似た経験をお持ちの方は多いんじゃないでしょうか。つまり自分自身を省みることを忘れて、気がついた時には身も心もぼろぼろになっている。実は忙しい毎日を送る人ほど本当は自分自身を労わり、研ぐ時間が必要なんです。この傷んだ斧の手入れはどこでしたらいいんでしょう。

 今どき宗教なんて、といった声を耳にします。その声とは裏腹に、多くの人がカルトや占いに群がる現実があります。また音楽や絵画あるいは植物や小さな動物がその傷んだ斧を労わってくれることもあります。確かに人々はみな傷んだ斧の手入れを必要としているんです。

 先ほどの伝道者の書にはこういうことばが続きます。

もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる。
 しかし知恵は人を成功させるのに益になる。


 この知恵とは万物の創造主である神の知恵のことです。 これは神のことばである聖書、と言えるでしょう。 この神のことばは傷んだ斧を研ぐことができます。 傷ついた私をよく調べ、よく整えてくださるのです。

 旧約聖書詩篇66篇10節のことばです。

 「神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。

 現代の忙しさの中で、自分自身を省みることもなく働き、疲れ切って身も心もぼろぼろになっている私たちだからこそ神のことばを聞くことが必要ではないでしょうか。 あなたもこの機会に聖書を手にとって神のことばを聞いてみてください。

 ( PBA制作「世の光」2008.6.28放送でのお話しより )

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■満足する心の幸い

2008年06月27日 | Weblog

  世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 もう少しお金があったらなあ、って思うことはありませんか? 懐の寂しさが身に沁みる時ってありますよねえ。金銭の銭という字は「ぜに」とも読みますね。その字は、古くは金(かね)へんに戈(ほこ)という字を二つ書いた字です。この戈(ほこ)は両刃の剣に長い柄をつけた武器。使いようによっては自分も他の人も傷つけてしまうものです。一つの戈(ほこ)でも危険なのに、銭という字には二つもついているんですねえ。

 さて聖書には、「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。」(テモテへの手紙第一 6章10節)とあります。金銭のことが心の中心になり、それに囚われることを、「金銭を愛する」と表現していますね。もちろんお金は必要なものです。でも金銭ばかり自分の利益ばかりを追い求めてしまうことこそあらゆる悪の根だと聖書は言うのです。あなたはいかがでしょうか。

 またこうあります。「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル人への手紙 13章5節)と。今持っているもので満足する心、感謝する心を私たちは決して忘れてはならないのです。その秘訣は、すべてを創造された全知全能の神様があなたを決して見放さない・見捨てない、という事実に気がつくことだと聖書は語っています。

 私は貧しい牧師家庭で育ちましたが、貧しさを意識することはあまり多くはありませんでした。それよりも笑いの絶えない明るい、そして仲の良い家庭でした。今でもそうです。聖書にもこんなことばがあります。「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」(箴言 17章1節)と。確かにそんな家庭だったなあと感謝しています。

 神様の愛に満たされ、神様が与えてくださっている一つ一つを感謝して受け取り、満足して生きる生き方があるのですねえ。

 あなたも金銭だけを追い求めるのではなく、本物の愛を求めてみませんか? あなたの心が変わる時、あなたの人生が変わるのです。

 また聴いてください。

 (PBA制作「世の光」2008.6.27放送でのお話しより)

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■行き詰まりのない人生

2008年06月26日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。

 今日は聖書の中のヨハネの福音書16章7節から読んでみましょう。

 「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

 イエスが十字架にかかり、世を去ろうとする時のことです。イエスは弟子たちを集め、最後の晩餐の時を持たれました。弟子たちは、自分たちの先生がいなくなるという気配を感じ、これからの活動をどうしたら良いものだろうかと、途方に暮れる思いであったようです。

 そんな弟子たちの気持ちを配慮して、イエスは大切なメッセージを残されます。それは、自分がこの世を去っていくことがあっても、弟子たちは寂しく取り残される訳ではない、ということ。これまでイエスが彼らと共にいてくださったように、今度は目に見えない助け主が弟子たちと共にいて助けてくれる、というのです。

 この世の人生には、ただ一人自分だけで何とか物事をやり遂げなくてはいけない。そんなふうに思わされる時があるものでしょう。だれも自分の人生を替わって生きてくれる人などいません。ですから自分が直面する大きな問題について、何とか自分だけの力で解決する努力をさせられる。そんなことがあるものでしょう。しかし問題が自分の力を超えるようなものであると思える時には、途方に暮れてしまうものですねえ。

 しかし聖書は、目に見えないけれど私たちを助けてくれる助け主という方を神様が遣わしてくださるということを教えています。独りぼっちだと思う時も、人間は決して独りではないのです。そして私たちに必要な力が備えられるのです。イエスが言われたように、助け主が私たちに与えられています。あなたもこの助け主を信じて、行き詰まりのない人生を歩んでみませんか?
 
 (PBA制作「世の光」2008.6.26放送でのお話しより)

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■誰が私の内臓を造ったのか

2008年06月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 羽鳥 明です。 今日の私のバイブル・メッセージは「誰が私の内臓を造ったのか」という題です。聖書は旧約聖書 詩篇139篇。全部読むと良いのですが、一部を読んでみましょう。

私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。・・・それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」(7節、8節、13節)

 聖書は、神がすべてを創造した、と言います。私の内臓も神様が造られました。私たち一人一人を母の胎に組み立て産み出させたのは神だと言い、だから私のすべてを知り尽くしておられるのです。

 私の弟は東大で化学を学んだ人間ですが、共産主義の唯物論者でした。自分では高尚なイデオロギーを持ち、これこそ自分自身をどんなにでも立派に活かせると思っていました。しかし気がついてみると高尚な理想を掲げていても、自分の心の中の腐れ果てた罪に打ち勝つことができないことに絶望したと言いました。そんなときに私の誘いを受けて教会に来てくれました。そこで語られたイエス・キリストの十字架と復活の話によって、自分の罪の身代わりとなってさばかれて死なれたイエス・キリストは、死を打ち破ってよみがえられ、信じるすべての人をまったく新しく生まれ変わらせてくださると聞いて、死からよみがえる神こそ、この自分の救い主と信じ、救われました。彼は伝道者となって『体の不思議』という本を書きました。人間の体のどこをとって調べても、どんな精密機械よりもはるかに優れ、創造者の愛と叡智の結晶である自分を見出したのです。

 聖書のことば

 「あなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」 旧約聖書 詩篇139篇13節のことばです。

ではまた聴いてください。

 ( PBA制作「世の光」2008.6.25放送でのお話しより)

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■生ける神を求めて渇く

2008年06月24日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興(せきね・ひろおき)です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。

 今日は旧約聖書の詩篇42篇のことばを紹介します。

 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を生ける神を求めて渇いています。

 まあこの詩篇はですねえイスラエルの国がバビロニアの国に滅ぼされ、捕虜としてヘルモン(山)のふもとに移された祭司が書いたのではないかと言われています。ですから背景的には大変困難の中で書かれた詩な訳ですね。

 でもこの作者は、生ける神を求めて渇いている、と書いています。叫び求める相手が生きている神様でなければその叫びは空しいものです。でも作者は知っていました。木片同然の、いのちのない神々に求めたのではなく、生ける神様がいてくださる。だから私はこの生ける神様に求めるのだ、と書いているのですね。

 時々、神様がいるならどうしてこんなに大きな苦悩が起こるの?と言って、神様なんて信じないって言われる方がいます。でもこの作者にとっては大きな苦悩は、生ける神を遠ざけるのではなく、逆に生ける神に叫び求めるきっかけとなっていきました。

 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」と書き出していますよね。 中東の地方では日本と違って川であっても、いつま水が流れている訳ではありません。乾季になると多くの川は涸れてしまいます。そこで鹿は谷底に降り、本当にわずかに流れる水を求めていくんですねえ。いのちがけです。そして孤独な姿です。この詩篇の作者は自分の姿をその孤独な鹿の姿にダブらせて語っているんです。

 人生には必ず苦悩があります。困難があります。私はでもそのような中で、あなたに生きる神様を求めて生きていって欲しいんです。神様あなたが生きているのなら解決の道を示してくださいと必死に求める渇きを持っていただきたいんですね。なぜなら、あなたの叫びを聞いてくださる神様がいてくださると聖書は約束しているからです。

 そしてイエス・キリストはこう言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネの福音書7章37−38節)

 イエス・キリストはあなたの心の渇きを潤す方であり、あなたの心にいのちの水を湧きあがらせてくださる方なのです。

 (PBA制作「世の光」2008.6.24放送でのお話しより)

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■父と呼べる

2008年06月23日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、先週はですね、イエス様が私たちに、お祈りする時には「天にまします我らの父よ---私たちのお父様---」と言って神様を呼び掛けなさい、というふうに教えられたことについてお話しをいたしました。

 ですけど本来はですね、放蕩息子のお話し(ルカの福音書15章11節以下)の中に出てくるんですけれども、お父さんのもとから離れて勝手な生活をしてしまってですね、そしてもうすっかり落ちぶれてもう生きることもできないようなそういう状態の中から彼(息子)は、しかし帰る所はここしかないなあというので、お父さんのもとへとぼとぼと帰ってくる訳なんですね。で、その時にそのお父さんに対してですね、この息子は「お父さん、私は天に対して罪を犯しました。またあなたの前に罪を犯しました。もう私はあなたの子と呼ばれる資格はありません。」(ルカの福音書15章18節参照)ってこう言ったんですね。

 「子と呼ばれる資格はない」というのは「お父さん」と呼ぶ資格は私にはないということと同じことですね。あんな大きなことを言って出ていって、結局は落ちぶれてどうにもならなくて帰ってきて、「よくもどの面(つら)下げて帰ってきたもんだ」というふうに言われても仕方がないようなそういう状態であった訳ですけれども。

 しかしながらこのお父さんは、遠くからボロボロのすがたで帰ってくるその息子を見てですね、自分の方から走り寄ってきて首を抱いて、よく帰ってきた!って言ってですね、そしてもう他の人たちに、こんな汚(きたな)い服を脱がせて一番良(い)い服を着せてやれ、指輪をはめさせてやれ、靴を吐かせてやれ、子牛を屠(ほふ)ってこれからパーティーをしようって言ってですね、まるで大はしゃぎをした、というふうなことが書いてある訳なんですね(ルカの福音書15章22〜24節参照)。

 で、このお父さんは、息子のこれからの様子を見てそれ次第で赦してやるか、子どもと呼ぶかお父さんと呼ばせるかを考えようというのではなくって、本当に心から悔いてごめんなさいと言って帰ってきたその息子を諸手(もろ)を広げて迎えてですね、そして、遠慮しないで私をお父さんと呼んでいいんだよ、お前は私の子どもじゃないか、というふうに言ってくださったという。

 これは正に父なる神様が今も私たちを迎えてくださるその姿を表している訳ですね。御子イエスによって私たちの罪があの十字架において解決されて、そして父のもとに帰ることができる、お父さんと呼ぶことができる。あなたもこの方を「お父さん」と呼ぶことができるんだということを知っていただきたいんです。

 ( PBA制作「世の光」2008.6.23放送でのお話しより)

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■人生の時(12) <右向きか左向きか>

2008年06月21日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 今から三十数年前に読んだ『たとえ僕に明日はなくとも』という本があるんですが、今だに心に残っていることばがあります。筋ジストロフィー症という筋力低下・筋萎縮を起こす難病のために二十歳で死ぬことを宣告された一人息子の正一君にお父さんが語ったことばです。

 「でもね、正ちゃん。人間はいつまで生きられるかではなくて、どんなふうに生きたかが問題なんだよ。」

 私はその当時、二十歳で人生の終止符が打たれるということをどう受けとめて良いのか分かりませんでした。いえ今でも、今を生きている自分がどんなふうに生きているのか、それを思うと恥ずかしくもあります。

 ところで旧約聖書 伝道者の書10章2節にはこういうことばがあります。
 「知恵ある者の心は右に向き、愚かな者の心は左に向く。

 この伝道者の書というのは、私たちの人生を深く洞察する書です。ここでこの右というのはしばしば聖書では神の力・強さ・救いと結びつけられていました。ですから、心が右を向いている人というのは神に心を向けた人であり、心が左に向いている人というのは神に心を向けていない人と言えるでしょう。すなわち、神と共に歩む道か、それとも神から離れていく道か、この二つの分かれ道が私たちの前に示されているのです。そして私たちに、神と共に歩む道を選べ、と聖書は促しているのです。この道はどんな状況の中でも私たちのいのちの源であり、この世界を導いている神を神として認め、神と共に歩む道です。そして人生で出会うすべての人を認め、愛し、共に生きる道です。

 旧約聖書詩篇16篇11節にはこういうことばがあります。
 「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。

 あなたもぜひ、この神に心を向け、神と共に歩む道・人と共に生きる道・いのちの道を選んでください。

 ( PBA制作「世の光」2008.6.21放送でのお話しより )

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■静まることの大切さ

2008年06月20日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 静かな時間、---静けさの中に自分の身を置くこと---、あなたは大切にしていらっしゃいますか?
 
 私たちのまわりには音や情報が溢れています。そんな喧噪(けんそう)の中から時々身を避けて静まる時、---自分の心を見つめる時---、を私たちは持つ必要があるかもしれませんねえ。

 聖書にはこうあります。「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4章23節)と。

 私たちは自分の心を見つめ、それを見張る必要があるのです。いつのまにか私たちは疲れを引きずっています。身体(からだ)の疲れもそうですが、何よりも心が疲れ果ててしまうのです。そしてイライラした心が攻撃的なことばを生み出し、誰かを傷つけ、また自分自身をも傷つけてしまうのです。あなたはいかがでしょうか。

 最近ことばで失敗してしまったことはないでしょうか。もちろん、ことばだけを取り繕えば良いのではありません。ことばの失敗の背後には心の問題があるからです。ですから私たちは自分の心を見張る必要があるのです。

 では私たちはどのようにすれば自分の心を点検し、見張ることが出来るのでしょうか。

 私たちの心の状態を映す鏡は、神のことばである聖書です。静かな湖面に様々な風景が美しく映るように、私たちが心を静め、聖書を通して自分の心の湖面に映るものに正しく向かい続けるのです。その時、私たちは神の前を真直ぐに歩む者とされます。「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46篇10節 口語訳聖書)と聖書は語ります。

 静けさの中で私たちは、正しく神様の姿を知り、自分の姿を知り、取り扱われ、変えられていきます。心に響く神のことばは、あなたの姿を映し出し、悔い改めへ導き、慰めを与え、泉となって、あなた自身を、そして周りの人々を潤していくのです。 いのちの泉はその心から湧くのだと聖書は語っています(箴言4章23節参照)。

 神様の前に心を静め、神のことばである聖書によって心を照らされ続けていきませんか? 神様のことばにこそあなたを癒し変える力があるのです。本当の静けさがあなたを待っています。

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■実を結ぶ人生

2008年06月19日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。

 今日は聖書の中のヨハネの福音書15章5節から読んでみましょう。

 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。

 キリストを信じる人生というのは、実を結ぶ人生です。どんな実を結ぶのか。例えば聖書にはこんなことばがあります。

 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ人への手紙 5章22、23節)

 キリストを信じる人生というのは、こういう御霊の実、つまり神様が与えてくださる素晴らしい性質をたくさん身につけていく人生なのだと聖書は言います。

 けれども現実はどうでしょうか。いつでも喜んでいるか、というとそうではない。いつでも親切か、いつでも寛容か、というとそうでもないということがあるでしょう。そしてある時には、自分の不寛容さや御勝手さを思い知らされて本当にへこんでしまうこともあります。信仰の歩みを始めてみても、自分の罪深さばかりが意識されることがあるでしょう。良い実を結んでいくようには思えず、聖書には程遠い自分の現実を感じさせられるばかりということもあるでしょう。

 しかし、イエスは何と言っていますか? 「わたしにとどまりなさい。・・・わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。」(ヨハネの福音書15章4、5節)

 つまり、イエスの十字架の愛にとどまり続けることが大切なのです。自分の未熟さを思わされることがあっても、イエスにとどまり続けることです。なぜなら神様はすでにそのようなあなたを分かった上で受け入れてくださっているからです。そして枝である私たちに新しいいのちを注ぎ続けてくださっているからです。

 イエスにとどまり続け、絶えずイエスの新しいいのちを受けましょう。聖書を読み、キリストの愛と教えのうちにとどまり信仰の歩みを続けるならば、必ず実を結びます。「愛、喜び、平安、寛容、親切、・・・」と大変豊かな実を結ぶのです。
 
 (PBA制作「世の光」2008.6.19放送でのお話しより)

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