♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■天の御国の弟子 / 羽鳥頼和

2014年05月31日 | Weblog
2014/5/31放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。イエス様は12人の弟子たちを選び、神の福音を宣べ伝えるように多くのことを教えられました。そんなある時、イエス様は弟子たちに言われました。

 「天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」(マタイ13章52節)

 イエス様は弟子たちを「天国の弟子」と言って、それは学者のような者だ、と言っているのです。学者とは知恵のある人です。イエスの弟子はイエス様から教えられた神様の知恵を持っており、それを自分のものとしているのです。そして地上の様々な事柄にその知恵を用いてより良い対処をすることができるのです。

 こんなことがありました。弟子のペテロとヨハネがエルサレムの神殿に入る美しの門で足の不自由な人から施しを求められました。すると彼らはその人に言いました。、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」(使徒3章6節) そして彼の右手を取って立たせました。すると彼は立ち上がって歩き出したのです。そして彼は飛び上がりながら神様を賛美したのです。

 ペテロたちはお金は持っていませんでしたが、イエス・キリストによる救いを持っていたのです。罪を赦され、永遠のいのちを与えられ、いつもイエス様が共にてくださり、守ってくださり、導いてくださっていたのです。そしてそのイエス・キリストによる救いを他の人々にも与える事ができたのです。

 イエス様の弟子たちはみな同じようにイエス・キリストによる救いをもっていました。そして他の人々にイエス・キリストの福音を宣べ伝えたのです。このようにしてイエスの弟子たちは天国の弟子となって様々な人々にイエス・キリストを宣べ伝えました。

 弟子たちと同じようにイエス様を信じる人は永遠のいのちを持つことができ、天国に国籍のある天国人となるのです。そして弟子たちと同じようにイエス様に従うことを決心した人は真理を知り、知恵をいただいて幸せに生きることができるようになるのです。自分が幸せになるだけではありません。キリストによって他の人をも幸せにすることができるのです。

 あなたもこのような幸せな人生を歩みませんか?

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。


 (PBA制作「世の光」 2014.5.31放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■どんな試練をも越えて / 岩井基雄

2014年05月30日 | Weblog
2014/5/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。先週に引き続いてキリシタン大名高山右近の信仰を学んでみましょう。

 21歳のとき父の後を継いで高槻城主となった右近は、高槻に20ヶ所ほどの教会を造り、キリスト教を広めていきました。彼は貧しい人々に教会の管理などの仕事を与え、戦争孤児を世話をし、貧困者の病気を無料で治療したり、領地の中に生活保護制度や年金制度を作っていったと言うのですね。その結果、領民の7割がキリシタンになり、彼は神の愛に生かされその愛を人々に豊かに届けていきました。領地にはセミナリオと言う神学校や宣教師たちの家も造り、積極的に宣教活動を続け、時には右近自身も聖書からお話をしていたのだそうです。

 やがて信長の死後に天下人となったという豊臣秀吉の側近に抱えられた右近は秀吉から深い信頼を受けます。右近の信仰に影響されこの頃、黒田官兵衛、蒲生氏郷(がもう うじさと)、小西行長(ゆきなが)など秀吉の側近や大名たちも次々と信仰に入ってきました。

 ところが様々な事情から1585年突然秀吉によってキリシタン禁止令、伴天連(バテレン:神父「パードレ」・宣教師)の追放令が出されます。信仰を捨てるキリシタン大名も出る中、右近は信仰を守ることと引き換えに所領と財産のすべてを捨てることを決意します。彼にとっては大名の地位や財産よりも神の前に信仰の歩みを貫く方が尊かったのですね。

 その後右近は1614年徳川家康によるキリシタンの国外追放令を受けて家族と共にマニラに送られます。マニラでは大歓迎を受けましたが、船旅の疲れや慣れない気候のためか病にかかり、翌年右近は64才の壮絶な、しかし豊かな生涯を終えます。葬儀は総督の指示によりマニラ全市をあげて盛大に行われたと言われています。信長、秀吉、家康、どんな為政者たちも右近の神様への忠実な信仰と愛には打ち勝つことができなかったのです。

 聖書のことば
 「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
    新約聖書 ローマ人への手紙8章38節39節

  (PBA制作「世の光」2014.5.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■すべてがいとしい / 福井 誠

2014年05月29日 | Weblog
2014/5/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「すべてが愛しい」です。それでは雅歌5章16節から読んでみましょう。

 「そのことばは甘いぶどう酒。あの方のすべてがいとしい。エルサレムの娘たち。これが私の愛する方、これが私の連れ合いです。

 5章からいよいよ雅歌は結婚した二人の愛を語る場面に入っていきます。ここでもどうやら花嫁は一連の夢を見ているようですねえ。そこでは夫婦間によくある心のすれ違いが描かれています。

 どうやら夫の仕事帰りが遅かったのかもしれません。妻は家で一人待たされています。婚約時代は遠くから通ってきた夫が今や放っておかれているような気分、そんな思いで待っていると、戸を叩く音がします。

 しかし妻はふてくされてしまったのか、戸を開けようとせず冷たい態度をとります。しかしそんな自分の意固地が二人の関係を冷やしてしまうことに気付いて妻は夫を入れようと戸を開けます。

 けれども悪いことに夫は自分が呼んだ時に開けてくれなかった、と立ち去ってしまうのです。

 妻は慌てて夫を探そうと夜の町へ飛び出していきます。そして女は夜の町をさまよい、夜廻りに見つけられてあやしいものと打ち叩かれているのですねえ。そして後悔する女の心が明かされていきますねえ。

 そんな女にエルサレムの娘達が呼びかけます。あなたの夫は他の男性よりも何が優れているのか、と。

 女は夫を慕う心を告白して行きながら、自分の思いをまとめていきます。そしてこう結論づけるのです。あの方のすべてが愛しい、と。

 神を愛し神と共に生きることも同じような部分がありますねえ。信仰の現実には、しばしば神と心がすれ違うような思いになること、神が遠く感じられてしまうことも多々あるものです。神は私が思う以上には私のことを思ってはくださらない、と思うようなこともあります。

 しかしそんな時にはこの女のように神様の素晴らしさを想い巡らし数えあげてみることが大切ですね。神様の私たちに対する深い愛をよくよく考えてみれば改めてあの方のすべてが愛しいと思わされていくものでしょう。

 私たちの信仰の深まりはまさにそうした現実社会の厳しさの中で積み重ねられていくのです。変わらず愛してくださる神の愛に信頼し安らぐことを覚えていきたいものですね。
 
(PBA制作「世の光」2014.5.29放送でのお話より )

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■弟の身代わり / 板倉邦雄

2014年05月28日 | Weblog
2014/5/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「弟の身代わり」という題でお話ししましょう。

 さて末弟ベニヤミンの穀物の袋の中に総理大臣ヨセフの大切な銀の杯が入っていました。そのため兄弟全員、総理大臣の屋敷へ戻りました。ヨセフの時とは大違いです。総理大臣ヨセフの前に一同は平伏しました。

 「一体どういう了見だ。盗みをすればすぐ分るのだぞ。」 

 兄のユダが恐る恐る答えました。「どう申し上げたらよろしいでしょう。申し開きもできません。私どもは無実でございます。ですが、どうすればわかっていただけるでしょう。きっと神様が私どもを罰しておられるのです。幾ら何でも末の弟だけを置いていく訳には参りません。兄弟みんなで戻って参りました。私どもを奴隷にしてください。」

 「それは許さんぞ。杯を盗んだ者だけが奴隷になれば良い。ほかの者は国の父の元へ帰れ。」

 その時再びユダは一歩前に進み出ました。「恐れながら一言だけ申し上げます。閣下は王様と同じように今すぐにでも私どもを処罰できるお方です。この前の時、『父親や弟がいるか』とお尋ねでしたので、私どもは正直に申し上げました。そして閣下の言われる通り末弟を連れて私どもはやって参りました。末弟を連れて来るのも年老いた父親を説得するのは大変でした。父親が『またエジプトへ買出しに言ってくれ』と言われた時も『弟ベニヤミンも一緒でなければだめです』と説得しました。すると父はこう申しました。『お前たちも知っている通り母親のラケルの息子は二人いた。だが兄ヨセフはあの日出かけたまま帰って来ない。それなのに今度はたった一人の残った弟まで取り上げるのか。万が一にもあれの身に何か起こったら、わしは悲しみの余り死んでしまう。』 もし弟を連れて帰らなければどうなるでしょう。老い先短い父様を悲しませたくはありません。そこでお願いがございます。弟の身代わりに私が奴隷となります。弟は他の者と一緒に返してください。」

 さて、ユダの子孫から私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかられたイエス・キリストがお生まれになったのです。

(PBA制作「世の光」2014.5.28放送でのお話より )

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■エマオの途上で 8 / 大嶋重徳

2014年05月27日 | Weblog
2014/5/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。ルカ福音書24章にはエマオという村に行く道中でイエス・キリストの復活を信じられない二人の弟子にイエス様が現れた記事が記されています。イエス様は信じられない弟子に、
 27節 「それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。
 とあります。

 ここで大切なことはイエス様が聖書全体の中で説き明かされた、ということです。

 私たちは聖書を部分読みをしてはなりません。聖書は全体を通して読む必要があるのです。ある部分だけを切り抜いて聖書を読むと、聖書の語る神様が冷たく裁きの神のように思ってしまうことがあります。あるいは聖書がつまらない歴史の本のように思えるかもしれません。私たちは自分の読みやすい聖書の箇所だけを読んで自分の理解できやすい神様像を勝手に作り上げ、そんな神様に、神様あなたにつまずいた、と言ってしまうことだってあるのです。

 私たちもまた自分のある部分だけを知って、結局あなたってこういう人なのね、と誰かから決めつけられたり誤解されたりすると、とても辛い思いがいたします。神様もまたある聖書の箇所だけで私たちが勝手に思い込み、神様から離れていってしまうことがあるならば、それは悲しい思いをされるのではないかと思います。

 聖書を通読することが大切です。聖書全体を通して読むとき、聖書に記されている神様のいろんな側面に気が付いていきます。旧約聖書の厳しいように思える神様の姿も新約聖書のイエス様の優しさを通して知る時に、今まで自分の描いていたイメージとは全く違う神様にお出会いすることとなります。

 イエス様が彼らに語られた大切なこととは、イエス様のことを聖書全体を通して理解することでした。是非とも聖書全体の学びをしていただきたいと思います。その事はあなたの神様への理解をもっと正確なものにしてくれる経験となるはずです。

 ぜひ教会を訪ねて聖書の学びを始めていただけたらと思います。

 ( PBA制作「世の光」2014.5.27放送でのお話しより )

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■いのちのパン / 関根弘興

2014年05月26日 | Weblog
2014/5/26放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか?関根弘興です。

 イエス・キリストが公の活動を開始される時のことでした。イエス・キリストは40日の間、断食をされたんです。すると誘惑する者がやってきて、「おいイエスよ、お前が神の子ならこの石がパンになるように命じてみろ!」 このように言ったんですね。するとイエス様は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによるのだ!」(参照マタイ 4章4 節、ルカ 4章4節)と言われ、誘惑する者を退けられたのです。

 私たちの生活には毎日の食べ物・パンが必要です。でも人はパンが得られればそれで満足するかというと、そんなことはありません。どんなことばを受け取って人生を生きているか、それによって人生は全く違うものになってしまうんです。本当に人が人として心の健康を保って生きるためには、神の口から出ることばを受け取って生きることが必要なのだ、とイエス様は言われている訳です。

 もし毎日のように「お前など必要のない人間だ!」と声を懸けられたら、そのことばが心を占領してしまったら、生きていくのは大変なことです。でも逆に「あなたが失敗してもあなたの価値は変わらない! わたしはあなたを愛している。」と語りかけられたら、そのことばを受け入れたらどうでしょう。生きていく勇気が湧いてきますね。

 イエス・キリスは、「天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることが無い。」(参照マルコ 13章31節、ルカ 21章33節)と言われました。イエス様の約束のことばは決して失われることのないことばなのだというのです。ですからそのことばを受け取って生きる一人ひとりも決して失われることが無いということなんですねえ。

 そして新約聖書のヨハネの福音書の1章1節には、
 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

 このように記されています。そして「ことばは人として住まんわれた。」(参照ヨハネ1章14節) この地に住まわれた、と書いてあるんです。

 このことばとは一体誰のことでしょう。それはイエス・キリストのことなんです。

 そしてイエス様はご自分のことを「わたしはいのちのパンである。」(参照ヨハネ 6章35節、48節)とも言われました。「人はパンだけで生きるのではなく神のことばによって生きる」ということは、あなたの中に神のことばであるイエス・キリストご自身を心に迎え入れ、イエス様の約束のことばを日ごとの糧として受け入れて生きてことなんです。イエス様は聖書を通してあなたに語りかけてくださっています。私たちは体の健康のために食事を取りますね。それと同じようにイエス様といういのちのパンである方を食すること、つまり信頼し生きていくことが人生を健やかにしていくのです。


 (PBA制作「世の光」2014.5.19放送でのお話しより)

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  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 

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■平和の人キリスト / 羽鳥頼和

2014年05月24日 | Weblog
2014/5/24放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 イエス・キリストの生まれるおよそ700年前、預言者イザヤが救い主キリストについての神様のことばを語りました。

 「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、・・・」(マタイ12章18-20節、 参照イザヤ書 42章1-3節)

 キリストの活動の特徴は、争うこともなく叫ぶこともせず、傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともないのです。イエス・キリストの生涯を記録しているマタイの福音書の12章16節はイエス様のなさったことがこの預言者イザヤを通して言われたことが成就するためであった、と語っています。イエス様がなさったことはこのようなことでした。

 礼拝の日である安息日のことです。イエス様は会堂に入られました。そこに片手が麻痺して動かない人がいました。イエス様はその人を癒されました。それを見たパリサイ派の人々は、以前から自分たちの教える律法を守ろうとしないキリストをうとましく思い、この時いよいよイエス様を殺そうと考えました。その事を知ったイエス様はその場を去りました。

 すると多くの人々が病気を癒して欲しいとイエス様のもとにやってきました。イエス様は彼らを癒されましたが、このことを誰にも話さないように彼らに命じられました。イエス様は困っている人・弱い人のことを大切にしていました。病気の人を癒すことを大切にされたのです。
イエス様は人と争ったとしても決して負けたりすることはありませんでした。けれどイエス様は争いを避けました。イエス様は本当の平和を作ろうとしていたのです。その平和とは、神様と人との平和でした。それも平和の方法でその平和を作ろうとしたのです。誰も傷つけないように、特に弱い人々を苦しめることが無いように配慮されたのです。平和を作るためにイエス様は自分が苦しむ道を選ばれました。それがイエス様の十字架です。イエス様は自分自身がすべての人々の罪を負って身代わりとなって十字架にかかって死なれたのです。イエス様の十字架は傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともなく、神様の愛と正義を表しているのです。キリストはあなたを救うために十字架にかかってくださいました。

 (PBA制作「世の光」 2014.5.24放送でのお話より )
 
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■自らの罪を認めて / 岩井基雄

2014年05月23日 | Weblog
2014/5/23放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。NHKの大河ドラマ『軍師官兵衛』をご覧になっている方も多いでしょうねえ。今日は、この官兵衛に大きな影響を与えた高山右近の信仰について学んでみましょう。

 高山右近は天文21年・1552年に高山友照・別名高山飛騨守の嫡男と生まれました。右近の父の友照は仏教に造詣が深く、イエズス会の宣教師ヴィレラが堺を訪問した時に彼らとの討論の論客の一人として選ばれましたが宣教師たちの人格と博識に感銘を受けてキリシタンとなり、このヴィレラより洗礼を受けました。そして友照は居城に日本の伝道者ロレンソを迎えて一週間福音を語らせたというのです。その結果、彼の家族全員、家臣とその家族合わせて約150名がこのロレンソから洗礼を受けたというのですね。その中に友照の嫡男・彦五郎、後の高山右近がいました。この時右近は12才でした。ですから半ば強制的な洗礼だったかもしれませんが、この後、彼の信仰は豊かに成長して行きます。やがて右近は父親と共に高槻城主の和田惟長(これなが)の相談役となります。しかし高山親子の台頭をよく思わない和田家の家臣が惟長をそそのかし、高山親子は暗殺されそうになります。事前にこの暗殺計画を察知した右近は激しい戦闘の末に惟長を返り討ちにしますが、自らも瀕死の重傷を負います。彼は奇跡的に一命をとりとめます。この経験が彼の神様への信仰を更に篤くしていくのですが、一方で、兄弟同然に育った親友・惟長を殺ししまった自責の念に深く苦しんだと言います。その時、若い頃から聞いていた「汝の敵を愛せよ」という聖書のことばを思い出し、もう一度自分はキリストを信じなければならない、と考え、個人的に宣教師を呼んで教えを受けるようになったというのです。自分のいのちを守り罪を赦してくださるイエス・キリストへの右近の信仰は、この後揺るぎないものとなっていきます。

 様々な試練や苦難の中で自分の罪を認め、その赦しとそしてまた生きる喜びを与えられていくという人生はあなたにも用意されているのです。

 聖書のことば
 「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
    新約聖書 ヨハネ第一の手紙 1章9節
 

  (PBA制作「世の光」2014.5.23放送でのお話しより)

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■北風よ、起きよ。南風よ、吹け  / 福井 誠

2014年05月22日 | Weblog
2014/5/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「北風よ、起きよ。南風よ、吹け」です。それでは雅歌4章16節から読んでみましょう。

 「北風よ、起きよ。南風よ、吹け。私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。私の愛する方が庭にはいり、その最上の実を食べることができるように。」

 4章は互いに愛し合う女と男がいよいよゴールイン。婚礼を迎えて花婿が花嫁に歌を捧げる場面となっていますね。このラジオを聴きながら聖書も開いておられる方もおられると思いますので少し解説しておきますが、この4章の前半で花婿は花嫁の美しさを様々なたとえを使って賞賛しています。しかし文化の違いか民族性の違いか現代の私たちにはどうもよく分からない、むしろ滑稽に感じる部分もありますねえ。例えば花婿は女性の美しい眼差しを鳩の目になぞらえていますし、頬の美しさをザクロの片割れにたとえたり、更に首筋の美しさを兵器庫や櫓にたとえています。まあここは古代イスラエル人と日本人の感覚の違いと理解して読み流してもよいのでしょう。

 ともあれこの4章で、花婿は花嫁を称賛して絶賛しているのです。婚礼の席で私の妻は世界一という言い方ですね。

 実は神の人に対する愛も同じなのです。神は人を愛していると言うのですが、その神も私たちを絶賛してくださる。しかも理性を失うほどに私たちを愛してやまないお方なのです。

 確かにイエスの十字架はそうでしょう。イエスの十字架はどういう意味があったかと言えば、それは人の罪の赦しのために捧げられた犠牲です。身代わりになって命を捨てるほどの愛、これは大変な愛です。まさに愛する者のために理性を失うほどの愛ですねえ。神の愛は理屈ではないのです。

 そんな花婿の熱い愛を受けて花嫁が言います。「北風よ、起きよ。南風よ、吹け。」 二人の愛の関係がいよいよ深められるようにという訳ですね。それまでは愛が感情的に煽られることを拒んだ花嫁も、いよいよ煽ってくれと言わんばかりです。皆さんも聖書を読む中で、神の確かで深い愛に気づかされていただきたいと思います。そしていよいよ心打たれて欲しいと思いますね。
 
(PBA制作「世の光」2014.5.22放送でのお話より )

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■無理難題 / 板倉邦雄

2014年05月21日 | Weblog
2014/5/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「無理難題」という題でお話ししましょう。

 無理難題を押し付けられて途方に暮れてしまうことがありますね。しかし、そこには必ず神の隠された目的があるようです。

 さて、総理大臣ヨセフの屋敷で兄弟たち全員が楽しい食事を少していました。しかし、いつまでもそうしては居られません。そろそろ出発の準備にかかる時です。ヨセフは執事に、それぞれの袋に穀物を詰められるだけ詰めるよう命じました。その上、袋の口にはまた代金を戻しておいたのです。ベニヤミンの袋には、代金のほかにヨセフの銀の杯も忍ばせました。

 兄弟たちは朝早く起き、荷物を積んでロバを連れて出発しました。一向が町を出る頃を見計らってヨセフは執事に命じました。「あの者たちの後を追って捕まろ。そして問い詰めるのだ。主人の銀の杯を盗むとは一体何事か。あれは大切なものだ。恩知らずも甚だしい。」とな。執事は一向に追いつき、その通りにしました。一同も黙ってはおりません。「バカバカしい。とんでもない言いがかりですよ。我々を何と思ってるのですか。この前の代金も返しました。ご主人の家から銀や金を盗むはずがないじゃありませんか。もしその杯が見つかったら遠慮はいりません。その人を死刑にしてください。ほかの者もご主人の奴隷になります。」 「まあまあ、そこまでしなくても盗みの張本人が奴隷になればいいでしょう。」 すぐさま袋をロバの背から降ろし、一つ一つ開けさせて調べ始めました。

 一番上のアレの袋から始めてだんだん末の弟まで調べて行きます。とうとうベニヤミンの番になりました。袋の口を開けるとどうでしょう。信じられないことですが、銀の杯が入っているのです。一瞬目の前が真っ暗になりました。もうだめです。みんなは絶望の余り、服を引き裂きました。ロバにまた荷物を載せ、トボトボと引き返したのです。

 なぜヨセフはこのような無理難題を兄たちに強いたのでしょうか。それは末の弟ベニヤミンに対して腹違いの兄たちがどのような心でいるかを確認したかったからです。20年前、自分が兄たちからどのようなしうちを受けたかヨセフは経験していたからですね。

(PBA制作「世の光」2014.5.21放送でのお話より )

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