♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■持っているもので満足しなさい / 羽鳥頼和

2013年06月29日 | Weblog
2013/6/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今日は旧約聖書のヨシュア記の17章からお話しします。

 ヨシュア記にはイスラエルの民が神様の約束の地を獲得して行った様子が語られています。その時のイスラエルの指導者はヨシュアでした。ヨシュアはイスラエルの各部族に相続地を割り当てました。17章にはマナセ族とヨセフ族の相続地のことが記されています。

 マナセ族のツェロフハデの娘達が自分達にも神様が約束された通りに相続地を与えるように願いました。彼女たちは女性であり、跡取りが無いので相続地を割り当てられなかったようです。ツェロフハデの娘たちの願いを聞いたヨシュアは神様の約束の通り、彼女たちに相続地を与えました。

 さてヨセフ族も相続地を求めました。彼らは既に大きな相続地を与えられていましたが、もっと割り当てを要求したのです。彼らの主張したのはこのようなことでした。自分たちの相続地は山が多くて住みにくい。それに前から住んでいるカナン人たちはとても強くて私たちには追い出せない、と言うのです。指導者であったヨシュアは彼らに、山地を切り開きカナン人を追い出さなければならない、と命じて彼らの要求を聞き入れませんでした

 ツェロフハデの娘達とヨセフ族は共に相続地を求めました。しかしその動機は全く違いました。ツェロフハデの娘達は神様の約束に従って相続地を求めました。しかしヨセフ族は神が与えると約束してくださった土地で満足できなかったのです。苦労しないで簡単に相続地を手に入れようと求めました。

 新約聖書ヘブル人への手紙13章5節に
 「金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。」(口語訳聖書)
とあります。ツェロフハデの娘達は跡継ぎもいませんでしたが、神様の約束をしっかりと持っていました。その約束に満足し期待したのです。ヨセフ族は満足しなかったのです。

 旧約聖書の伝道者の書5章10節には
金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富を得て満足しない。」(口語訳聖書)
とあります。人はこの世のものでは満足できないのです。神様こそが人に満足を与えることができるのです。私たちの心を満ち足らせてくださるのも神様しかありません。

 明日は日曜日です。あなたに本当の満足を与えてくださる神様を礼拝するためにぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.6.29放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

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■赦され、赦す恵み / 岩井基雄

2013年06月28日 | Weblog
2013/6/28放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日も先週に続いて「ゆるし」について考えていきましょう。

 自分に罪を犯した相手を赦すことは私たちにとって本当に難しいですね。しかし、ある本の中でルイス・スミスという方がこう語っています。 「赦しによって癒される最初の人そしてしばしば唯一の人とは、赦しを行うその人である。本心から赦すとき囚人を解放するが、その解放した囚人とは自分だったことを発見するのである。」

 赦しを通して本当の意味で解放されるのは赦された人ではなくてその赦しを行う人だと言うのですねえ。もし私たちのこの世界に赦しというものが存在しなかったとしたら憎しみは永遠に続き、社会は殺伐とし、殺戮が絶え間なく繰り返されることでしょう。赦しこそが私たちの社会を変え、人を赦すことを通して私たちが癒されていくのです。

 聖書の中に次のようなことばがあります。
 「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
 新約聖書コロサイ人への手紙3章13節

 聖書には赦しあう恵みについて書かれています。どんな人にも自己中心な罪があり、それは時には親しい友や家族をも傷つけますが、「主があなたがたを赦してくださったように」赦しあいなさいと聖書にはあります。神様は罪人である私たちを豊かに愛し、独り子であるイエス・キリストを私たちの罪の身代わりにさばき、罪の赦しを完成してくださったです。キリストの十字架のゆえに私たちの罪は赦され、罪赦された私たちは他の人を赦すものとされるのです。

 自分を傷つけた誰かを赦すことをまずあなたから始めませんか? そこから赦しあう一歩が始まり、互いに赦しあう愛は様々な硬直した人間関係をほぐし、修復して行きます。他の人を赦すとき、あなた自身が憎しみや憤りから真に解放され、癒されていくというのです。あなたも赦しの恵みの中を生かされてきませんか? イエス・キリストの十字架と愛と命はあなたの心を変え、赦しの恵みと癒しであなたを包むです。

(PBA制作「世の光」2013.6.28放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■だれの手にも見当たらない / 福井 誠

2013年06月27日 | Weblog
2013/6/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「誰の手にも見あたらない」です。それでは第一サムエル記13章22節から読んでみましょう。

 「戦いの日に、サウルやヨナタンといっしょにいた民のうちだれの手にも、剣や槍が見あたらなかった。ただサウルとその子ヨナタンだけが持っていた。

 先週はイスラエルが他国並みに王様を立てる君主国家となった、それにまつわるエピソードからお話をしました。続く13章を読んでちょっと驚かされることは、そのように他国並なったはずのイスラエルの国の誰の手にも剣や槍が見当たらなかったと著者が書いていることです。まさに国家樹立宣言をしながら軍隊も官僚もまだ整っていない見せかけの国家であったということですね。ですから、いざ他国が攻めてきたら太刀打ちができない。イスラエルの国の始まりは本当に未熟なスタートであったということです。

 しかし彼らはそのあとの歴史において連勝を重ね、本当に強い国となっていきます。そうしたイスラエルを戦いを見ていきながら理解されることは、彼らの勝利はいつも神に助けられた奇跡的な勝利であったということです。

 イスラエルの兵士は民兵組織で常に少数、劣勢、兵器も劣悪でした。一方、先住民のカナン人は多数、多勢、優れた武器を持ち、太刀打ちできる相手ではなかったのです。実際この後にペリシテとの戦争が起こり、イスラエルと戦うために集まったペリシテ人は戦車3万、騎兵6千、それに海辺の砂のように多い歩兵でした。対するイスラエルの戦力はわずか3千。しかも剣や槍をもっていたのは王とその子、サウルとヨナタンだけであったというのです。明らかに勝ち目のない防衛戦ですね。そこに神が介入し、神の奇跡的な力が現わされて勝利したという出来事なのです。

 イスラエルの歴史に学ぶことは、神による勝利があるということです。何もない中で物事を起こしてくださる神がおられるのですね。信仰はまさに私たちの力を越えた神を信じるものです。今日も神を信じて歩ませていただきましょう。

(PBA制作「世の光」2013.6.27放送でのお話より )

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■骨肉の争い / 板倉邦雄

2013年06月26日 | Weblog
2013/6/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「骨肉の争い」という題でお話ししましょう。

 「嫉妬は男においては弱さであるが女にあっては一つの強さである。」 これはフランスの文学者のことばです。今日は嫉妬に狂った姉妹の骨肉の争いをお話ししましょう。創世記の30章に入ります。

 さて妹ラケルは自分が夫ヤコブに子を産まないの知った時、姉のレアを妬みました。姉レアと夫ヤコブの間には既に4人の男の子がいました。妹ラケルは夫ヤコブに食ってかかりました。「あなた。私に子どもをください。さもないと私は死にます。」 夫ヤコブはむっと来て、ラケルに向かって怒って答えました。「お前をどんなに愛しているか、分かってるじゃないか。あなたの胎に子どもを宿らせるのは神様じゃないか。私が神に変わることはできないだろう。」 「あなたの愛の証し、しるしが欲しいの。じゃあこうしましょう。私の仕え女ビルハがいます。彼女の所に入ってください。あなたの子をわたしの膝に置きたいの。姉に負けたくないのです。」 妹ラケルは仕え女のビルハを夫ヤコブに与えて妻とさせたので夫ヤコブは彼女の所に入りました。ビルハは身ごもってヤコブに男の子を生みます。名をダンと名づけます。またビルハは身ごもって第二の男の子をヤコブに産みました。そこで妹嫁のラケルはまた「私は激しい争いで姉と争って勝った。」と言って名をナフタリと名づけます。勝った負けたの問題ではないでしょうにねえ。これも女性の嫉妬のなせる一つの強さなのかもしれません。

 さて一方、姉レアもまた自分が子を産むのがやんだのを見ると、妹に負けてなるものかという気持ちに駆られたのでしょう。自分の仕え女ジルパを取り、妻として夫ヤコブに与えました。そして2人の男の子を膝の上に抱くことになります。名前はガドとアシェルでした。

 ところで姉妹の嫉妬による争いの中で4人の男の子が生まれてきました。ある意味で生まれてきた4人にとっては迷惑なことでしたねえ。しかしたとえ私たちの身勝手から生じたことでありましても主なる神様が与えてくださった命ですから神様が導いてくださるように神様を信じて祈っていく使命がヤコブ家に与えられているのです。

(PBA制作「世の光」2013.6.26放送でのお話より )
 
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■神は必ずあなたがたを顧みて下さるから / 山中直義

2013年06月25日 | Weblog
2013/6/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。愛する者との別離など目に見える形での希望や大切なものが失われる。人生にはそんな時が訪れるでしょう。今日は「神は必ず顧みてくださるから」と題してのバイブル・メッセージです。

 旧約聖書創世記50章で、あの神のしもべヨセフがこの地上の生涯を終える時がやってきました。このヨセフの死というものは彼の兄弟たちにとって特別に大きな悲しみでだったと言えます。ヨセフの兄弟たちはこのヨセフを通して神様の愛、赦し、そして神を信じて生きる喜びということを教えられてきました。そのヨセフが世を去ろうとしていました。これからどう歩みばよいか分からない。そんな不安を抱える兄弟たちに対し、ヨセフはこう言います。
  「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。
  「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください。」 
                             (創世記 50章24節、25節)

 私は世を去るが、神は変わることなくあなたがたを愛し続け、教え戒め守り導いてください。だから神の約束を信じ、神が目指しなさいと言われた所を目指す歩みを諦めないで欲しい。私は世を去るが、私もまた神の約束を信じ、あなたがたと共に歩みたい。ヨセフはそう励まし、また願いました。

 このヨセフの死というものは彼らにとって大きな不安の時でだったと思いますが、目に見えない神を本当に信じて歩む大切な再出発の時ともなりました。

 私たちも目に見える形での希望や大切なものを失う時があると思います。しかし「神が必ず顧みてくださるから」と聖書は私たちを励ましています。あのイエス・キリストも「わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしない」(ヨハネ 14章18節参照)と約束してくださいました。私たちの罪のすべてを背負って十字架にかかり、神の愛、赦し、教え、また神を信じて生きる喜びを教えてくださったイエス・キリストが私たちと共に歩んでくださる。聖書はそう教えているのです。

 あなたもどうぞこのイエス・キリストと共に歩む喜びを知ってくださいますように。

(PBA制作「世の光」2013.6.25放送でのお話しより )

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■つぶやき / 関根弘興

2013年06月24日 | Weblog
2013/6/24放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。イエス・キリストは人々にこのように言われました。これはヨハネの福音書の6章35節のことばです。

 「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

 何とも大胆な宣言ですね。この命のパンを食すること、つまりイエス・キリストを救い主として信じることによって、人生の渇きや飢えが満たされるだけではなくて、永遠のいのちを得ることができる、とイエス様はおっしゃったからです。

 するとこれを聞いた人々は口々につぶやき始めました。彼らはこう言ったんですねえ。「あのイエスはガリラヤの田舎で育った大工のせがれではないか。あのヨセフとマリヤの子どもではないか。我々と同じ人間のくせに私は天から降ってきたいのちのパンなどと、まあぬけぬけとよくも言えるものだ。」
 ま、彼らはそのように憤慨し、つぶやき始めたんですね。

 ま、彼らは自分たちの知識、理解、そういうものでしか物事を見ようとしませんでした。またお互いの評価、世間がこう言っている、ああ言っている、というようなそういうことだけで物事の判断をしてしまうような人たちでした。

 でもそれは私たちにも同じような傾向があるかもしれませんねえ。「ああ、イエス様ですかあ? 私には分りませーん。信じませーん。聖書ですかあ? 聖書も厚くて読む気にもなりませーん。読んでも良く分りませーん。」 ま、すぐにですね何かこう拒否反応を起こしてしまうわけですね。

 でももし自分には分ることしか信じないと言って生活するならどうでしょう。私たちの実際の生活には実は分からないことがたくさんありますね。例えばテレビを見るのにもその構造やなんで画面に映像が映るかなど、ま、説明を求められても、まあ私などまったく答えられません。でも電気の構造が分からなくてもテレビを見ることはできますよね。

 同じようにイエス様について私たちはその全てを分かることなどできません。イエス様は大いなる方ですからね。しかしだから信じないのではなくて、だからこそ信頼して生きていくことが大切なんです。私たちは自分では理解できないことがあっても、神様の独り子なるイエス様を信頼し生きる者でありたいですね。その時イエス様の語られた約束を味わいながら生きてことができるんです。

(PBA制作「世の光」2013.6.24放送でのお話しより)

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  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 

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■神様がしてくださる / 羽鳥頼和

2013年06月22日 | Weblog
2013/6/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 今日は旧約聖書のヨシュア記の13章からお話しします。

 ヨシュア記にはイスラエルの民が神様の約束の地を獲得していった様子が語られています。その時のイスラエルの指導者はヨシュアでした。約束の地を征服することは困難でした。ヨシュアが老人になってもまだすべてを征服することができずにいました。そんな時、神様はヨシュアに言われました。

 「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。その残っている地は次のとおりである。・・・」(ヨシュア記 13章1節、2節)と。

 神様は占領できていない町、土地などを一つ一つ挙げました。まだまだたくさんの占領すべき所が残っていました。そして占領すべき所の名前を全部挙げた後、神様は言われました。

 「わたしは彼らをイスラエル人の前から追い払おう。わたしが命じたとおりに、ただあなたはその地をイスラエルに相続地として割り当てなさい。」(ヨシュア記 13章6節参照)

 「わたしが彼らを追い払おう」と神様は約束されました。そしてヨシュアには自分たちの相続地の割り当てをするように命じたのです。なかなか事が進まず、うまくいかないことを神様が進めてくださると約束してくださったのです。ヨシュアは次のステップに進むことができました。

 救いも同じです。私たちは自分でどんなに頑張っても自分を救うことはできません。そんな私たちに神様は「わたしがあなたを救う」と約束してくださるのです。

 自分は思いや行いにおいて信仰者らしくないのでクリスチャンにはなれないと思っている人が多いと思います。クリスチャンはしっかりした素晴らしい人格者ではありません。自分に罪があることを認め、救いが必要であることを知り、神様のこの約束を信じて信仰者として歩む決断をした人がクリスチャンとなるのです。

 クリスチャンは神様の助けによって信仰者として歩むことができ、成長していくことができるのです。

 神様は救いの道としてイエス・キリストを与えてくださいました。「わたしがあなたを救う」と言われる神様を信じてイエス・キリストの十字架によって与えられる神様の救いを受け取りましょう。信じて生きていく中で神様の与えてくださる救いの素晴らしさを経験することができるのです。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.6.22放送でのお話より )
 
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■赦しについて / 岩井基雄

2013年06月21日 | Weblog
2013/6/21放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「ゆるし」についてです。

 この「ゆるし」を表す漢字は主に二つありますねえ。一つは許可を表す許し。そしてもう一つが今回学ぶ「赦し」、それは怒りに関する意味を表す赤へんに棒を握った手を表す「のぶん」で表わされる赦しで、罪をゆるすときに用います。恩赦の「赦」ですね。人を赦すことの難しさがこの文字の作りの中にも現されているかのようですねえ。確かに人を心から赦すということは簡単なことではありません。それどころか私たちの人生で最も困難なひとつかもしれません。

 ではどうしたらよいのでしょうか。聖書の中にこの赦しに関するキリストのたとえ話があります。王様から1万タラントもの借金を赦してもらった王のしもべが友達のわずか100デナリの借金を赦すことができないというお話です。1デナリは当時の一日分の給料であり、1タラントは6000デナリですから、1万タラントというのは約16万年分の給料に相当します。とてつもない借金を神様に赦してもらいながら自分の友を赦すことができない私たちの罪の現実がそこに描かれています。

 聖書はこう語っています。
 「私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。」 新約聖書 マタイの福音書18章33節 

 神様は私たちを憐れみ、私たちの罪を赦してくださるお方です。そしてこの神様の赦しを受け取ることによって私たちは友を心から赦すことができるのではないでしょうか。自分が赦される必要があるということを知って、そして赦される経験をしなければ私たちは真に人を赦す愛を持つことができないのです。

 聖書はあなたにこう語ります。
 「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」 新約聖書 ヨハネ第一の手紙 1章9節

 あなたも神様から罪の赦しを受けることができます。そしてその神様からの赦しによってあなたも人を心から赦す者へと変えられてゆくことができるのです。

(PBA制作「世の光」2013.6.21放送でのお話しより)
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■主は捨て去らない / 福井 誠

2013年06月20日 | Weblog
2013/6/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主は捨て去らない」です。それでは第一サムエル記12章22節から読んでみましょう。

 「まことに主は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。

 紀元前一千年頃、イスラエルの国に新しい王様が選ばれました。いよいよ他国並みに王様が国を統治する君主国家となったのです。国民には新しい時代が訪れたことへの大きな期待感があったことでしょう。そんな民にこれまでイスラエルのリーダーシップを取っていた預言者サムエルが言います。
 「たとえどんなに素晴らしい王様が起こされたとしても王様を立ててくださり王様の働きを導く神様の存在を忘れてはいけない。」と。

 しかしそれはどうやら老いぼれて表舞台から退いていくサムエルのひがみのように思われるものでした。王様を立てて王様を導く真の支配者である神様を認める者は誰もいなかったのです。

 そこでサムエルが神を呼び求めました。イスラエルは既に小麦の刈り入れ時、春の雨の季節が過ぎ去り、全く雨の降らない季節になっていました。しかしサムエルはそこで神に雷雨を呼び求めて呼べば確かに答える神がおられることをはっきりと示したのです。サムエルはもはや老いぼれ、神を信じる時代遅れの者と見られていましたが、神ははっきりとサムエルを通してご自身がおられることを示されました。

 恐れ戸惑う民にサムエルが語ります。
 「神は決して見捨てることはない。むしろそういう民をあえて自分の民とされる。」と。

 人は神の存在を軽んじ、「神などいない。」と背を向けることが多いものです。しかし神はそうではありません。神は人がご自分を必要としていることがよく分かっています。それは思春期で荒れた子どもが親を必要としないと言い放っても親には子どもは自分を必要としていることが分かっているのと同じです。

 大事なのはイスラエルの民が他国並みに王を必要とすると考えた時に王を備えてくださった神様を覚えることです。私たちを真実に愛してくださる神がおられることを覚えましょう。

(PBA制作「世の光」2013.6.20放送でのお話より )

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■私は今、主をほめたたえる / 板倉邦雄

2013年06月19日 | Weblog
2013/6/19放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか?板倉邦雄です。今日は「私は今、主をほめたえる」という題でお話ししましょう。「主をほめたたえる」という意味の名前はユダです。ヤコブと妻レアとの間の四番目の息子の名前でした。創世記29章の続きです。

 さてヤコブは、おじさんのラバンさんに騙されてイヤイヤながら姉娘レアと結婚しました。妹娘ラケルと結婚するためです。そして妹ラケルとも結婚しました。ですから夫ヤコブは姉レアは好きではなかったのです。

 創世記の作者はこう書いています。「主、神はレアが嫌われているのを見て、その胎を開かれた。しかしラケルは身ごもらなかった。」(創世記29章31節参照)とあります。夫ヤコブはレアに注目することはありませんでした。しかし神様は夫に嫌われるレアに目をかけてくださり胎を開いてくださいました。

 さて、やがてレアは身ごもり、長男を産みました。名前はルベンと名付けます。「主が私の悩みを顧みられた」という意味です。そしてひそかにレアは自分に語りかけます。「今度は夫も私を愛するだろう。」(創世記29章32節参照)

 レアは再び身ごもり、子を産み、「主は私が嫌われるのをお聞きになって私にこの子どもを賜った」と言って名前をシメオンと名づけます。(創世記29章33節参照)

 更にレアは身ごもって子を産み、「私は夫に三人の子を産んだから今度こそ夫も私に親しむだろう」と言って名をレビと名づけました。(創世記29章34節参照)

 しかし子どもは夫の愛や親しみを取り戻す存在とはならなかったようですねえ。姉レアの寂しさが伝わって来るようです。

 ところがレアはまた身ごもって子を産み、「私は今、主、神をほめたたえる」と言って名をユダと名づけたのです。(創世記29章35節参照)

 姉レアは夫に愛してもらえない寂しさ、夫の子どもを産んであげるのに親しんでもらえない孤独というぽっかりと空いた心の窓に主なる神様を見ることができたのです。夫の愛で埋めるのではなく、主なる神様に心を埋めてもらえたのですです。ですから四番目に生まれた子どもの名をユダ、「私は今、主をほめたたえる」と名づけたのです。

 このユダの子孫から私たちの救い主イエス・キリストが生まれてきたのです。レアさん、おめでとう。

(PBA制作「世の光」2013.6.19放送でのお話より )
 
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