♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■変わらない礼儀

2006年06月30日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 先日初めて中国の上海を三日間ほど訪問しました。テレビで見たり噂で聞いていましたがその発展ぶり、まあ想像以上でした。日本人も何と公称8万人、実際には10万人を超えているだろうって言われているんですねえ。でも一つ気になったのは、人込みや乗り物、買い物などで味わう無礼講ぶりです。我先にというエネルギーに圧倒されました。ま、礼節の国ということは中国のイメージとしてふさわしくないなと感じました。
 
 ある中国人の知識人がこんなことを言っていました。あの紅衛兵による革命で古い良きものがみんな壊されてしまった。これを取り戻すのに何十年もかかるだろうって言うんです。ま、宣教師の方にも会ったんですが、中国の政府はいわゆる共産主義独裁政権で反キリスト教政策をとってきたのですが、2年ほど前からそれをやめて共存政策に変わったと言うんです。どうしてかと言いますと、ま、経済の格差ですね、こういう所から来る不満・暴動、また家庭がどんどん崩壊して青少年の非行が増えていく。ま、そういう中にキリスト教、クリスチャンたちの増大していることが良い影響を与えているからだって言うんです。ですから学校や大学などでも聖書が教えられたりクリスチャンの先生が採用されるっていうことも起こってきているって言うんですねえ。

 ま今、経済大発展、何よりもお金と、ばく進している隣の大国中国で、改めて家族の絆、親子の信頼、しつけ、礼節の必要が自覚され、ま、政策まで変えて、しかも聖書に期待して。そんなことに心惹かれました。

 一足先に経済発展し、ま、経済至上主義でばく進してそしてパブルを追い、はじけてしまった私たちの日本も、精神的・文化的には大先輩のお隣の大国中国の現状、そんな政策の変更から考えさせられました。聖書には、国も人もそれを高めていくものは、神を怖れ、両親を敬い、隣人を自分のように愛することだ。これが人の心の土台、国の土台になっていく時、初めて人もそして国も高められていくって言うんです。考えさせられました。

  (PBA制作「世の光」2006.06.30放送でのお話しより )


***** 

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会もPBAで紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


******

この文字版「世の光」ブログは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■変わらない礼儀

2006年06月30日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 先日初めて中国の上海を三日間ほど訪問しました。テレビで見たり噂で聞いていましたがその発展ぶり、まあ想像以上でした。日本人も何と公称8万人、実際には10万人を超えているだろうって言われているんですねえ。でも一つ気になったのは、人込みや乗り物、買い物などで味わう無礼講ぶりです。我先にというエネルギーに圧倒されました。ま、礼節の国ということは中国のイメージとしてふさわしくないなと感じました。
 
 ある中国人の知識人がこんなことを言っていました。あの紅衛兵による革命で古い良きものがみんな壊されてしまった。これを取り戻すのに何十年もかかるだろうって言うんです。ま、宣教師の方にも会ったんですが、中国の政府はいわゆる共産主義独裁政権で反キリスト教政策をとってきたのですが、2年ほど前からそれをやめて共存政策に変わったと言うんです。どうしてかと言いますと、ま、経済の格差ですね、こういう所から来る不満・暴動、また家庭がどんどん崩壊して青少年の非行が増えていく。ま、そういう中にキリスト教、クリスチャンたちの増大していることが良い影響を与えているからだって言うんです。ですから学校や大学などでも聖書が教えられたりクリスチャンの先生が採用されるっていうことも起こってきているって言うんですねえ。

 ま今、経済大発展、何よりもお金と、ばく進している隣の大国中国で、改めて家族の絆、親子の信頼、しつけ、礼節の必要が自覚され、ま、政策まで変えて、しかも聖書に期待して。そんなことに心惹かれました。

 一足先に経済発展し、ま、経済至上主義でばく進してそしてパブルを追い、はじけてしまった私たちの日本も、精神的・文化的には大先輩のお隣の大国中国の現状、そんな政策の変更から考えさせられました。聖書には、国も人もそれを高めていくものは、神を怖れ、両親を敬い、隣人を自分のように愛することだ。これが人の心の土台、国の土台になっていく時、初めて人もそして国も高められていくって言うんです。考えさせられました。

  (PBA制作「世の光」2006.06.30放送でのお話しより )


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■バプテスマを受けよう

2006年06月29日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。

 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。(ローマ人への手紙 6章4節、5節)

 キリスト教会にはパプテスマという宗教的な儀式があります。キリストを信じた人がパプテスマ槽と呼ばれる水槽の中に一度身を沈めて行う儀式ですが、今日お読みした個所では、その三つの意味を教えられます。
 
 第一に、「キリストの(十字架の)死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られた」とあります。つまり、お葬式としての意味があります。実際、水の中に体を沈める行為は埋葬の象徴です。これまでの古い自分にサヨナラを言ってお別れする時なのです。

 第二にこうあります。「キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」いのちにある新しい歩み、つまり、入学式としての意味があります。バプテスマを受けてクリスチャンとしての新しい人生が始まります。もう俗世間から脱出した聖人になったというのではありません。これから聖書に教えられて一歩一歩新しい歩みを進め、神様に喜ばれる人生を作りあげていくのです。

 最後にこうあります。「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて」と。つまり、最後に結婚式としての意味があることでしょう。バプテスマは私たちがどこまでもキリストと共に人生を歩んでいこうと決意する時です。そして同時に、キリストが私たちにどんな苦労も一緒に乗り越えて行こうねと約束してくださる素晴らしい時です。

 キリストを信じ、バプテスマを受け、古い自分に別れを告げ、聖書から新しい歩みを学び、キリストに支えられる人生があります。あなたも教会へ行って聖書から学び信仰生活に踏み出してみませんか?
 
 (PBA制作「世の光」2006.06.29放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■麗しさはいつわり 

2006年06月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。さあ今日の世の光はまず皆さまからのお便りの紹介です。和歌山県和歌山市で御入院中のY・Hさんからいただきました。

 毎朝欠かさず楽しみに聞かせて戴いています。私はノイローゼで精神病院に入院しています。生まれながら頭と足に大きなハンディを持って生まれました。でも毎朝良いお話しを聞き、いつも心が平安です。キリスト様のおかげです。

 ・・・Hさん、いつもお便りありがとうございます。いつまでも世の光聞いていてくださいね。私も85歳になりましたが、でも続けます。

 さ、今日の神の知恵のことばです。毎週のこの日、「神の知恵の書」と言われている箴言の1章から1節ずつ選んでお送りしてきました。今日は、そのシリーズの終わりの日です。箴言31章30節のことばです。お読みします。

 「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。

 箴言の31章の10節から31節までは理想的な女性について記した所です。この世で素晴らしい妻、素晴らしい母、社会に仕え人々に仕える素晴らしい女性の姿が描かれています。

 私はいつも、誇っているのではありませんけれど、自分の妻のことを考えてしまいます。第一に、私がプロポーズした時に、どんな条件よりも、これは神の御心だろうかと熱心に時間をかけて考え、祈り、神の御心だと確信した上、私の所に来てくれました。生涯、結婚生活50年を経た今も、その確信はびくともしません。どんなに私が駄目人間と分かった時も、その確信は揺るぎませんでした。第二に、私の所に来る時に、「彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない。」(箴言 31章12節) の箴言のことば通りに覚悟しました。どんなに失望の時も夫に良いことをし、悪いことをしないと心に決めたのですね。

 神の知恵のことば。
しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている。」と。麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。
 箴言 31章29節、30節のことばです。

それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2006.06.28放送でのお話しより)

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■雨もまた結構

2006年06月27日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 ちょうど今は雨の季節です。「何だか雨ばかりでじめじめして気分が滅入ってしまう」っていう方もおられるかもしれません。「洗濯物がなかなか乾かなくて」と嘆かれる奥様もいるでしよう。でも、雨に濡れたアジサイなどを見ていると、日本の四季の美しさを感じさせてくれるものです。なかなか雨もまた結構いいもんですよ。

 ま、御承知の通り、雨は私たちの日常生活にはとても大切なものです。地を潤し、緑に潤いを与えます。「緑は雨を呼ぶ。しかし砂漠は雨を呼ばない。」ということばがありますが、私たちの人生はどうでしょうねえ。心は乾き切って、まるで砂漠のように荒れてしまっているなんてことがありませんか? 心の渇きをいやし、潤いを与える恵みの雨はやはり私たち一人一人に必要ですね。

 聖書のことばを紹介しましょう。「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」 ホセア書 6章3節。これは旧約聖書の中にあることばですが、聖書では雨は穀物の豊かな豊かな実りをもたらす祝福そのものとされているんですねえ。乾季と雨期がはっきりと分かれているパレスチナの地方では、雨はまさに恵みの雨な訳です。聖書は、主を知ること、すなわち天地を創造された神様を信じ受け入れ歩んでいく人生には雨の潤いが与えられると約束されているんです。雨が荒れ果てた地を緑に変えていくように、神様があなたの心に希望や平安の緑を芽生えさせてくれると約束しているんです。
 
 さらに新約聖書を読むと、イエス・キリストは素晴らしい約束をされました。ヨハネの福音書7章37節(、38節)。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」何と素晴らしいことでしょう。イエス様は心渇いてている人にいつ降ってくるか分らない雨を待つのではなく、あなたの心の奥底から生ける水の川が湧き出るようにしようと約束されているんです。たった一つのことによってその約束はあなたのものになるんです。それは、「わたしを信じる者は」とあるように、イエス様を救い主として心に迎え入れ生きるということなんです。


 (PBA制作「世の光」2006.06.27放送でのお話しより )

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■人の心が変わる

2006年06月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 ある所に奥さんとお子さんはクリスチャンなんですけれども御主人はなかなかのお酒飲みで、そのためにトラブルの絶えないという御家庭がありました。えー、ある日、奥さんとお子さんが教会に出掛けていく時に、御主人に奥さんが言ったんですね。「今日はお父さんのお酒がやめられるように牧師先生から特別に祈ってもらってきますからね。」 (御主人は)「ああ、どうぞ御自由に。いくら祈っても無駄だよ。」と答えて、いつものように一人でチビリチビリと始めたんですね。

 ところがどうした訳か、いつものお酒の味じゃない。何か水でも飲んでいるようでおいしくない。こんなはずはないとばかりに、ガブガブ飲んでみるんですけれども、どうにも不味(まず)いんですねえ。で、あれえ、もしかしたらと、奥さんの出掛けのことばを思い出して教会に電話をしてみたんですね。「先生、今晩は。私のために特別な祈りでもしたんですか?」 「ハイ、しましたよ。」 「いったい何と言ってお祈りしたんですか?」って聞いてみました。

 すると牧師さんは、「『水をぶどう酒に変えられた主よ。あの人の好きな酒を水に変えて下さい。』って祈ったんですよ。」って答えたんです。「道理で。」と納得した御主人は、神様にはかなわないとばかりと降参して、やがてこの御主人もクリスチャンになったって(いいます)。それからこの御家庭は素晴らしいクリスチャンホームになったということなんですねえ。

 聖書に、ガリラヤのカナという所で行われた婚礼の席でイエス様が水をぶどう酒に変えられたという奇跡が記されています。ある人々にとっては、どうしてこんなことが信じられるのだろうと、バカバカしく思われるかもしれません。しかし、万物を創造し、支配される神様にとってはこんなことはたやすいことなんですねえ。
 
 考えてみますと、一つ一つのぶどうの種の中に、どうしてあんなにおいしいジュースをつくることのできる実を結べるのかというほうが、じつはもっと不思議というべきではないでしょうかねえ。オレンジはオレンジ用の水で、パイナッパルにはバイナップル用の水、そしてぶどうにはぶどう用の水などと区別してやってる訳ではないのに、それぞれの木は地下の泥水を吸い上げている訳ですよね。その泥水をいつ誰があんなに素晴らしいジュースに変えたんでしょうか。水がぶどう酒に変わったことを奇跡と言うならば、泥水がジュースに変わるのも奇跡というべきでありましょうねえ。

 奇跡と言えば、人の心が変えられることほどに大きな奇跡はないはずです。水をぶどう酒に変えられた主こそは私たちの生涯を変えることのできる唯一のお方なのです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」(新約聖書 コリント人への手紙第二5章17節)

 ( PBA制作「世の光」2006.06.26放送でのお話しより)


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■私を洗ってください

2006年06月24日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。東京都立川市にお住まいの豊山さんは旧約聖書詩篇51篇7節のことばをお寄せくださいました。お読みしましょう。

ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。

 自分自身が嫌になっている時にクリスマスの前でした。私の家に入っていたチラシにあったみことば、これを切っ掛けに教会に行くようになって聖書に引き込まれていったのです。

 ・・・と、戴きました。忘れ得ない豊山さんの思い出ですねえ。

 これはダビデ王の書いた詩篇です。ダビデ王が家臣ウリヤの妻と不倫・姦淫をして妊娠させてしまった時に、ダビデはウリヤを最前線に遣わして戦死させました。神の人ナタンによってこの二重の罪を示されたダビデは罪の意識に苦しみ、悲しみ、恐れ、のたうち回った後にすべての人の前にこの罪を告白して、見事に神の赦し、神のきよめを経験しました。その時読んだ詩篇がこの詩篇51篇ですね。

 ヒソプは道端に生える雑草です。そのままでは臭いませんが、葉をむしると高貴な香りがします。モーセが(※壮年の男子について数えて)60万人のイスラエルを引き連れて奴隷の地から脱出する時、屠(ほふ)られた小羊の血の中にこのヒソプを浸し、すべての家の柱・かもいに振り掛けて、それですべての家族を無事に助けて救い出したと言われています。

 ダビデは心から悔い改めて罪を告白し、十字架の上で流された小羊イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださるとの聖書のことばの通りに、このように詩篇51篇の中で歌ったのでしょう。

 豊山さんの心に残る聖書のことば。
ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」旧約聖書詩篇51篇7節のことばです。
 
 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.06.24放送のお話しより)

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■在宅医療の力

2006年06月23日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は、在宅医療の必要と普及ということについて考えてみたいと思います。

 最近はどんどん医療機関で最後の時を迎える人々が増えて、何と8割を超えているそうです。でも、厚生労働省の調査によりますと、末期患者の6割の方が自宅で最後を迎えたいと思っているそうです。ま、大きなギャップがありますねえ。まあそれには何と言っても在宅医療・在宅ケア、なかなか大変だっていうイメージがある訳ですね。

 ま実際には、今は別に社会と隔離しなければならないような感染症の病気で亡くなるっていう方は少なくなっている。だから何も長い間入院していなければならないということもなくなっている。また、この在宅ケアのためにそれを支える医療体制も進んできている。また、その診療報酬の面でも優遇措置が取られてる。ま、そんなような配慮がなされてきているそうです。ま、それでもなかなか在宅医療・在宅ケアが広まらない。

 ま、それには幾つか理由がありますけれども、最も大きな理由は、看護する側の家族の不安だそうです。ま、家庭の生活が制限されるってこともあるでしょうし、また家族として受け入れても果たして最後まで自分の体が持つだろうかという不安を抱くのは、ま、自然なことですよね。まあ、これは誰もが実際に経験してみないと分らないものでもあると思います。ですから、ケアする家族の心構え、心の準備が大切だと思います。

 聖書には、人間にとって一番大切な幸せの元、それは父と母を敬うことだと言っています。それは父母に喜ばれることだけではなく、神様に喜ばれ神の祝福を受けることだとも言うのです。また、イエス・キリストの有名な黄金律と言われることばがあります。「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」(マタイの福音書7章12節)ということばです。

 ま、こうした良い行いは自分にも戻ってくるのだということもあるでしょう。何よりも、そのように言われた神は、イエス・キリストはただ言っただけではない。教えただけではなく、その模範を示し、そして私たちの心にその良いわざを、良いことを為していく力を、愛を与えてくださるお方だと言うのです。こんな聖書のことばに励まされてまた在宅ケアも考えていけたらいいのではないでしょうか。
 
 
  (PBA制作「世の光」2006.06.23放送でのお話しより )


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■神の愛に触れよう

2006年06月22日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。今日は聖書の中のエペソ人への手紙から読んでみましょう。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ人への手紙 4章31 節、32節)

 (あんな人とはもう二度と口を聞きたくない、絶交だ。) そんなふうに憤ったことは無いでしょうか? 憤りの感情をうまく処理することは大変難しいものです。聖書が、捨て去るようにと勧めていても、ハイ分りましたとはなかなかいかないものですね。どうしたら良いものでしょう。

 そういう場合、誰か信頼できる人に自分の憤りの感情を良く聞いてもらうことが一つの方法でふるように思います。しかしそれは気持ちの吐き出しにはなりますが、完全な解決にはなりません。いつまでも火種がくすぶり残ります。どうしたら良いものでしょう。

 聖書は言います。「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と。大切な点は、キリストの赦しに倣う事を考えるよりも、キリストがどのように赦してくださったかを良く考えることです。

 私たちと、キリストと共にいた人たちの聖書の読み方は少し違います。私たちはこのことばをただのお勧めに捉えてしまいがちです。しかし彼らはまずこのことばに、イエスがどのように自分たちを赦してくれたか、十字架上で肉を裂き、血を流し、激しく苦しまれたその姿をまぶたに浮かべたことでしょう。イエスの赦しの愛を深く思い起こし、その愛にかたくなな心を溶かされて、互いに赦し合いなさいということばを素直に受けとめていく気持ちにさせられていったはずです。

 彼らと同じように私たちも人を赦そうと心掛ける前に、まず自分がどのようにしてイエスに赦され愛されたかを思い巡らしてみてはどうでしょうか。イエスの大きな愛を考えていると、一人の人間に対して激しく憤り、憎んでいる自分が何ともちっぽけな存在に思えてくるでしょう。神様の大きな愛に触れると、憤りは自然に捨て去れる気持ちになってくるものです。

 あなたも教会に通ってこの神様の大きな愛に触れて新しい人生を歩んでみませんか?
 
 (PBA制作「世の光」2006.06.22放送でのお話しより)

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■神の愛に触れよう

2006年06月22日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。今日は聖書の中のエペソ人への手紙から読んでみましょう。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ人への手紙 4章31 節、32節)

 (あんな人とはもう二度と口を聞きたくない、絶交だ。) そんなふうに憤ったことは無いでしょうか? 憤りの感情をうまく処理することは大変難しいものです。聖書が、捨て去るようにと勧めていても、ハイ分りましたとはなかなかいかないものですね。どうしたら良いものでしょう。

 そういう場合、誰か信頼できる人に自分の憤りの感情を良く聞いてもらうことが一つの方法でふるように思います。しかしそれは気持ちの吐き出しにはなりますが、完全な解決にはなりません。いつまでも火種がくすぶり残ります。どうしたら良いものでしょう。

 聖書は言います。「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と。大切な点は、キリストの赦しに倣う事を考えるよりも、キリストがどのように赦してくださったかを良く考えることです。

 私たちと、キリストと共にいた人たちの聖書の読み方は少し違います。私たちはこのことばをただのお勧めに捉えてしまいがちです。しかし彼らはまずこのことばに、イエスがどのように自分たちを赦してくれたか、十字架上で肉を裂き、血を流し、激しく苦しまれたその姿をまぶたに浮かべたことでしょう。イエスの赦しの愛を深く思い起こし、その愛にかたくなな心を溶かされて、互いに赦し合いなさいということばを素直に受けとめていく気持ちにさせられていったはずです。

 彼らと同じように私たちも人を赦そうと心掛ける前に、まず自分がどのようにしてイエスに赦され愛されたかを思い巡らしてみてはどうでしょうか。イエスの大きな愛を考えていると、一人の人間に対して激しく憤り、憎んでいる自分が何ともちっぽけな存在に思えてくるでしょう。神様の大きな愛に触れると、憤りは自然に捨て去れる気持ちになってくるものです。

 あなたも教会に通ってこの神様の大きな愛に触れて新しい人生を歩んでみませんか?
 
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