♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の子の声を聞く / 板倉邦雄

2023年09月30日 | Weblog

2023/7/15放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板え倉邦雄です。
 今日は、「神の子の声を聞く」という題でお話ししましょう。

 初めにヨハネの福音書5章25節を朗読します。
 「まことに、まことに、あなたがたに言います。
  死人が神の子の声を聞く時が来ます。
  今がその時です。それを聞く者は生きます。」

 さてここでイエス様が言われる「死人」とか「死んだ人たち」というのは、肉体的に死んだ人のことではありません。生きているけれども死んでいるような人、生きた屍のような人のことです。このような人たちが神の子イエス・キリストの声を聞く時が来るのです。

 生きているけれども死んでいるような人とはどのような人でしょうか? 自分の存在価値が分からない人、生きる目的と意味がわからない人、目的地のわからない旅人ほどさすらい虚しく寂しい孤独の人はいませんねぇ。
 
 しかし、そのような生きた屍のような人が神の子の声を聞く時が来るのです。「今がその時です。」とイエス様はおっしゃいました。今とは「今」イエス様の声を聞いている人です。今、このラジオを通して、神様であるイエス様のことばを聞いている「今」です。神の子イエス様の声を聞きますと死んだような人が正気を取り戻すのです。

 死んだような人とは、聖書は次のように語っています。罪と悪の中に生活している人、知性も暗く、心は頑固で道徳的な放縦な生活をして、神のいのちから遠く離れた人です。

 しかし、このような死んだような人生を歩いている人も、神の子イエス様の声を聞くとき、生き返ることができます。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって生きるものである」と語ったのはイエス様ご自身でしたね。

 私たちは罪深い人間です。いわゆる死んだような人間です。しかし神の子イエス様のことばに接してイエス様の声を聞くとき、信仰が与えられます。そして聞く人は生きるのです。生きる元気、生きる勇気、生きるやる気が与えられていきます。

 聖書のことばです。
  「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」
                ローマ人への手紙10章17節


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.15放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■子を遣わされた父 / 板倉邦雄

2023年09月29日 | Weblog

2023/7/14放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「子を遣わされた父」という題でお話ししましょう。

 では初めにヨハネの福音書5章23節を口語訳で読みます。
  「それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。
   子を敬わない者は、子を遣わされた父をも敬わない。」

 まず、すべての人が父なる神様を敬うことをイエス様は願っておられます。しかし、神の子を敬うことができなければ、神の子イエスを遣わした父なる神様を敬うことはできない、とイエス様はユダヤ人の指導者たちに言っているのです。父なる神様を敬い信じている彼らユダヤ人たちが目の前にいる神の子イエス様を敬うどころか殺害しようとしているのは、まことに矛盾していました。彼らは父なる神様を信じていると言いながら、神の子イエス様を敬うことも信じることもしなかったのでした。

 そして、子を遣わされた父の約束をイエス様はこのように語られます。
 「よくよくあなたがたに言っておく。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方(すなわち父なる神様)を信じる者は、永遠のいのちを受け、またさばかれることがなく、死からいのちに移っているのである。」 (ヨハネ5章24節)

 イエス様のことばを聞いて、イエス様を遣わされた父なる神様を信じ、敬う者たちに対する三つの約束があります。

 まず第一の約束は永遠のいのちを受けることができます。私たち肉体のいのちは自分で獲得するものではありません。父と母から受けたものです。私たちの永遠のいのちも永遠の父なる神様と神の御子イエス・キリストから受けることができます。

 第二の約束は、さばかれることがないという約束です。なぜなら、私に対する神の裁きは十字架の上で終わっているからです。「主(イエス)はわたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるためによみがえらされたのである。」(ローマ人への手紙4章25節口語訳聖書)、と約束されました。

 そして第三の約束は、死からいのちに移っているのです。聖書のことばです。
  「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
                    ローマ人の手紙6章23節


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.14放送でのお話しより )


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■父と子の関係 / 板倉邦雄

2023年09月28日 | Weblog

2023/7/13放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「父と子の関係」という題でお話ししましょう。

 イエス様が神様を自分の父と呼んで自分を神様と等しいものとされたことにユダヤ人の指導者たちは激しく怒り、ますますイエス様を殺そうと計りました。そこで、父なる神と子である自分の関係を説明するイエス様のことばが続きます。今日はヨハネの福音書5章20節からです。

 父なる神様は子なるイエス様を愛していますから、当然、自分がなさろうとしている計画をすべて子であるイエス様に打ち明けました。それは、神の子が十字架の木の上にあげられることです。そして、木にあげられた神の子イエスを見上げて信じる者はすべて生きる、という計画でした。

 「モーセが荒野で蛇を上げたように人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠のいのちを得るためである。」とヨハネ福音書の3章にあります。 そしてさらに不思議な出来事は、木の上に上げられて死んだ、そして、葬られた人の子イエス様が三日目によみがえる、という不思議で信じられないような父なる神様の計画と働きでした。イエス様はこう言います。
 「父が死人を起こしていのちをお与えになるように、子である私もまた、その心にかなう人々にいのちを与えるであろう。」(ヨハネ5:21)

 天の父なる神様が十字架で死んだイエスを眠りから起こすように、子であるイエス様もみこころにかなう眠る死人を起こしていのちを与えることができるのです。

 そして、さらにイエス様は父と子の関係をこう弁明しました。
 「父は誰もさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。」(ヨハネ5:22)

 父なる神様はこの世界の審判者また最後の審判者でもあります。その審判を子であるイエス様に委ねられ明け渡しました。ですから、父なる神と子なるイエス様は神と等しいのです。イエス様は100%人の子です。私たちと同じ人間でした。しかも同時に100%神の子、すなわち神でした。しかし、200%になるのではなく100%でした。私の小さな頭では理解することもできませんが、私はこのイエス様が神であり人であることを信じています。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.13放送でのお話しより )


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■イエスを殺そうと計る / 板倉邦雄

2023年09月27日 | Weblog

2023/7/12放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「イエスを殺そうと計る」という題でお話ししましょう。ヨハネの福音書5章18節と19節です。

 人殺しは憎しみと怒りを持った心から生じてきます。ユダヤ人の指導者たちは、イエス様の言動を聞いたり目撃する中で、ますますイエス様を殺そうと計るようになりました。

 第一の理由は、イエスが安息日を破ったからでした。「安息日に荷物を運んではならない」と旧約聖書に書かれてあるのに、イエス様は平気で安息日に病人を癒しただけではなく「床を取り上げて歩きなさい」と命じられました。自分の寝床とは言いましても安息日に荷物を運んではならなかったのです。そうした禁止事項を破るイエス様の言動に指導者たちは激しく怒り狂いました。

 もう一つ、指導者たちが腹を立ててイエス様を殺そうと計画した理由は、イエスが「神を自分の父である」と発言したことです。「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである。」とイエス様は自分と神を等しくしました。私は父なる神の息子であると言い切っているからです。これは、まさに神に対する冒涜でした。人の子である大工の息子イエスが自分を神だと言っているのですから、不敬罪にあたります。神は唯一なのに、もう一人イエスという人物が神なのでしょうか。
 そこで、イエス様はユダヤ人指導者たちに答えられました。その答えが19節です。
 「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることはできない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。」

 息子は父親のやることを見て真似をしてやるものですねえ。今イエス様は天の父が安息日に癒しの働きをしているのを見て、病人を癒したのです。ですから、天の父が喜ばれることであれば、息子の私が同じことをするのは当然です、とイエスは言われました。

 ところで今日、私たちの心は人に対する怒りと憎しみでいっぱいでしょうか? それとも、天の父なる神様に喜ばれたい心を持っているのでしょうか。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.12放送でのお話しより )


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■父は今に至るまで働く / 板倉邦雄

2023年09月26日 | Weblog

2023/7/11放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「父は今にいたるまで働く」という題でお話しいたしましょう。
 ヨハネの福音書の5章16節から18節までのお話です。

 さて、安息日に病人を癒やし、寝床を運ばせて規則違反を犯したイエス様に対して、ユダヤ人の指導者たちは責め立てました。そこでイエス様は彼らに次のように答えられました。
  「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである。」

 「わたしの父」とは天の父なる神様のことです。天の父なる神様は、今に至るまで働いておられます。創造と摂理の神様です。この宇宙の天と地、その中にある万物をお造りになりました。「はじめに神は天と地とを創造された。」と創世記の1章1節に書かれてあります。

 そして創造された天地万物を今に至るまで保ち、治め、処理されてこられた摂理の神様です。イエス様は、この摂理の父なる神様の働きをこのように言いました。
 「二羽の雀は1アサリオン。 ーーーま、日本円ですと10円ぐらいでしょうかーーー 1アサリオンで売られているではないか。しかも、あなた方の父なる神の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。あなた方の頭の毛までも皆数えられている。だから恐れることはない。」

 父なる神様は、一羽の雀にも目をとめてくださっていて、その一羽が地に落ちることも許しの計画の中にあるのだ、とイエス様はおっしゃいました。今に至るまで父なる神様は、この世界と私たちの歴史の中で働いておられたのです。

 だからイエス様も安息日の規則を破ってでも人々のいのちと生活を守るために働きました。安息日は本来、「祝福の日」として父なる神様が私たち人類にお与えになった日でした。
  「神はその第七日(安息日)を祝福して、これを聖別された。」と創世記の2章の3節にあります。

 ですから私たちは創造と摂理の神、そして私たちを助け癒してくださる救いの神様の支配の中で生きて行きたいのです。

 聖書のことばです。
 「私たちは神の中に生き、動き、存在しているのです。」
               使徒の働き17章28節

 

 ( PBA制作「世の光」 2023.7.11放送でのお話しより )


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■もう罪を犯してはならない / 板倉邦雄

2023年09月25日 | Weblog

2023/7/10放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「もう罪を犯してはならない」という題でお話ししましょう。

 初めにヨハネ福音書5章14節と15節を口語訳聖書で朗読します。
 「そののち、イエスは宮でその人に出会ったので、彼に言われた、
  『ごらん、あなたは良くなった。もう罪を犯してはいけない。
  何かもっと悪いことが、あなたの身に起るかもしれないから。』
 彼は出て行って、自分を癒やしたのはイエスであったと、ユダヤ人たちに告げた。」
 
 さて、イエス様は神殿の境内でばったりと自分が癒した人と出会いました。38年も病気で苦しみ悩んでいた人でしたね。その時イエス様は彼を見つめて言われたのです。「体が良くなってよかったね。もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことがあなたの身に起こるといけないから。」

 この人が38年間、病気で苦しんでいた原因が罪や悪い行いだったということが分かりますね。すべての病が罪や悪い行いの結果であるというのではありません。しかし今日お話しているヨハネの福音書に出てくる病人のように、罪が根本的原因になって病になる場合があります。

 罪とは、一つは法律的罪。二つ目は倫理、道徳的罪。そして三つ目が宗教的な罪。すなわち偶像崇拝の罪です。
有名なモーセの十戒の中で貪欲という罪が戒められています。これは人のものを欲しがる罪です。人の持っている財産を欲しがるのです。人の持っている妻や夫、恋人を欲しがるのです。人の持っている家畜や従業員や使用人を欲しがるのです。そしてこの貪欲は、やがて偶像崇拝という宗教的な罪となり、やがて法律的な罪を犯すことに発展してゆくのです。

 ですから、少なくとも私たちの病気の背景に自分の内のわがままや貪欲の罪があることは否定できませんね。暴飲暴食や不摂生な生活のために病気になっている人は現代多くいるでしょう。ギャンブル依存症のために体を壊し、心を壊し、家庭を壊している人もいるでしょう。不品行によって病気になる人もいるでしょうね。ですから、イエス様によって心の罪を癒され、そして体の病も癒していただきたいのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.10放送でのお話しより )


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■待ち続ける父の姿 / 関根弘興

2023年09月23日 | Weblog

2023/7/8放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今週はルカの福音書15章にでてくる3つの例え話からお話をしていますが、今日は放蕩息子の例え話です。

 父の財産を譲り受けた放蕩三昧したこの息子は、人生どん底の状態に置かれたとき、我に返り、父の元に返る決心をしました。雇い人の一人として雇ってもらおうと彼は考えていましたが、父は帰ってくる息子を見つけると、走り寄って、指輪をはめさせ、大祝宴を催したのです。この父親の姿こそ、神様の姿を現しているのですねえ。

 あなたは神様のこのような姿を想像したことがありますか? 神様の方で私たちの帰りを待ち続けておられ、私たちが神様の元に帰ろうとするとき、神様の方から走り寄ってきて、「我が息子よ、我が娘よ」と迎え入れてくださるのです。
しかも、父は息子を叱責することも非難することも軽蔑することもしませんでした。ただただ、帰ってきた息子を喜び迎え入れたのです。

 神様は、「あなたが100%心を入れ替えたら受け入れてあげよう」「あなたがきちんとした生活ができるようになったなら迎えよう」という方ではありません。この放蕩息子のようにちょっといい加減なところがあっても、神様の元に帰ろうとするとき、神様は無条件で受け入れてくださり、「わたしは、あなたと共に生きることがわたしの大きな喜びなのだ」と言ってくださる方です。

 ところが残念ながら多くの人は聖書の神様をそのような方だとは考えません。「神様がそう簡単に受け入れてくれるはずがない」とか、「神様は、私がもっと立派になったら受け入れてくださるかもしれない」 「ああ私がもっと品行方正な素晴らしい人物になったら神様は喜んで迎えてくださるかも知れない」 ま、そんなふうに考えてしまうのです。しかしそのように考えている限り、結局、神様の元に帰ることもできませんし、いや、帰れないですよね。

 私たちの神様は、羊や銀貨を捜し求めるあの持ち主のように、私たちを熱心に捜し求めてくださる方です。また、この放蕩息子の父親のように、息子が帰ってくるのを待ち続ける忍耐深いお方です。そして私たちが神様の元に帰ろうとするなら、見つけて、走り寄って、抱きしめて、無条件で迎え入れてくださる方なのです。

 人は無条件に受け入れられるとき、つまり、ありのままを受け入れられるとき、以前とは違う新しい生き方が始まっていくんですね。そんな人生を神様はあなたに願っているのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.8放送でのお話しより )


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■放蕩息子 / 関根弘興

2023年09月22日 | Weblog

2023/7/7放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今週はイエス・キリストがお語りになった例え話からご一緒に人生を考えています。
 
 ルカの福音書15章には3つのたとえ話が書かれています。迷子になった羊の話、失くしてしまった銀貨の話、そして放蕩息子の話です。

 ある時、弟息子が父に、「私に財産の分け前を下さい」と頼みました。父はこの息子に財産を分けてやりました。しかし現ナマを手にした弟息子は、すぐに遠い国へ旅立ってしまったのです。そして放蕩三昧のあげく、財産を使い果たしてしまいました。

 するとタイミング悪く大飢饉が起こり、彼は食べるにも困るようになっていきました。彼は豚の世話をし、その餌で腹を満たしたいと思ったほどのどん底状態に陥ってしまったのです。するとその時彼は「我に返った」と聖書には書かれています。皮肉なものですね。お財布が豊かな時は何も気づかなかったのに、自分の惨めな姿を見つめたとき「我に返った」というのです。人生、何が幸いするか分かりませんねえ。

 我に返った弟息子は勇気を出して家に帰る決心をしました。彼は道々、「天に対しても、またあなたの前にも罪を犯しました」と何度も口ずさみながら家に向かって行きました。そして彼は、「もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません」ということを自覚していました。それも当然ですよね。ですから彼は心の中で、「雇い人の一人にしてください」と懇願しようと考え、家に向かって行ったのです。

 さあこの息子が遠い道のりを帰って行ったときでした。何と驚くことが起こりました。まだ家まで遠かったのにまず父親が彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけしたのです。そして息子のことばを遮るように、急いで一番良い着物を着せ、指輪をはめさせ、くつを履かせるようにしました。父親は、「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかった!」と言って大喜びして、祝宴をするための準備をしたのです。

 まあこれはあきれるほど大甘な父親ではありませんか。しかしこの父親の姿こそ、聖書の神様がどのような方なのかを深く教えているのです。私たちは放蕩息子に例えられています。神様からたくさんのものを授かっているのに浪費し、感謝もしない、そんな姿がありませんか? でもそんな私たちがあるべき場所に帰っていくのを、待って待って待っていてくださる神様がいることを、この例えは教えているのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.7放送でのお話しより )


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■存在の価値 / 関根弘興

2023年09月21日 | Weblog

2023/7/6放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今週はイエス・キリストがお語りになった例え話からご一緒に人生を考えています。

 ルカの福音書15章に書かれているお話を今しています。迷子になった羊を、そしてまた失くしてしまった銀貨を、懸命に捜し出す羊飼いの姿、また女性の姿が出てきましたね。それはあなたを捜し出して救いに導こうと働かれるイエス・キリストの姿を例えているということを昨日はお話しました。

 今日はもう一つ、この二つの例えの中で驚くべきことを見ていきたいのです。それは一匹の羊、そしてまた一枚の銀貨が見つかった時、捜し出した持ち主が異常なまでに大喜びする姿があるからです。

 もし皆さんが百万円を失くして見つかったらこれは大喜びするでしょう。見つけた喜びというものは失くしてしまったものの価値に比例するからです。でもこの例えでは羊一匹ですし、銀貨一枚です。友人や近所の人を集めて大喜びするほどの価値があるとは思えませんね。しかしこの羊一匹、銀貨一枚が、持ち主にとっては大喜びするほどの価値のあるものだというわけです。

 前回お話をしたように、迷子の羊や失くした銀貨は、私たち一人ひとりのことを例えて表しています。そして持ち主は神様ご自身。つまり私たち一人一人は、神様にとって大きなそして大切な価値あるものなんだ。失われてしまうなら懸命に捜して、見つかったら大喜びをする存在なのだ、と教えているわけです。
  
 羊の一匹や銀貨の一枚を失くしたからといってどうってことはない、と聖書の神様は決しておっしゃらないんですねえ。神様は、あなたという存在、一人ひとりを、かけがえのない失われてはいけない大切な存在として見ていてくださるのです。誰一人として、決して迷子のままであったり、本来の場所から埋もれたままであってはならない、と神様は見ていてくださいます。

 旧約聖書イザヤ43章4節には
  「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
 と書かれています。

 あなたはこんなふうに自分自身を考えたことがありますか? いやあ、自分なんかいてもいなくても変わらない、自分には大した価値がない、と思っていませんか?

 しかし神様は、「あなたは高価で尊い」と語り続けているのです。ですからあなたは迷子のままで失われてしまう存在であってはいけないのです。「失われた人を捜して救うために来た」と言われるイエス様がいてくださることを、決して忘れないでくださいね。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.6放送でのお話しより )


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■探し求める主 / 関根弘興

2023年09月20日 | Weblog

2023/7/5放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今週は、イエス・キリストがお語りになった例え話からご一緒に人生を考えていきましょう。

 新約聖書ルカの福音書15章に書かれているお話を今しています。迷子になった羊、そして昨日は失くした銀貨の話でしたね。羊も銀貨も懸命に持ち主が探し出す姿が出てきました。それは、聖書の神様がどのようなお方であるかを示す例え話でもあった訳です。

 この二つの例えには聖書が示す神様が、迷子の羊を、失われた銀貨を、まあそれは私たちを指しているんですけれど、懸命に探し出すお方であると教えているのです。

 多くの人は、神様の方で失われたものを探してくださるなどとは考えません。普通は逆です。もっと自分が努力して修行して、やっとの思いで神様のもとに辿り着き、憐れみを請い求めることができるのだ、と考えるからです。
 それは当時の宗教指導者たちも同じでした。彼らは一所懸命、戒めを守って、穢らわしいとされた人たちとの交際を断って、身をきよくして神様に近づこうと考えていた訳です。

 ところがイエス様が話された例えの中では全くそうではありませんでした。迷子になり弱った羊を、また失くなってしまった銀貨を、懸命に探し求める人の姿が出てきます。その姿こそ聖書の神様の姿を表しているのですね。

 このルカの福音書15章の例えは「福音の中の福音」と言われることがあります。なぜなら、私たちを懸命に探し求める神様の愛の姿がそこには豊かに示されているからです。そして実際に私たちを探し出して救いを与えるために神なる方が人となって来てくださった。それがイエス・キリストです。
 ルカの福音書19章10節には、「人の子(イエス・キリスト)は、失われた者を捜して救うために来たのです。」とはっきりと記されています。
 懸命に羊を探す人、銀貨を探す女性の姿は私たち一人ひとりに対するイエス・キリストの姿でもあるのですねえ。

 あなたは今、さまよっていませんか? 失われた状態の中にいませんか? イエス・キリストはあなたを探して救いに導かれるお方です。

 私たちはこのイエス様が差し伸ばす手に、あなたの手をぎゅっと握ってもらい引き上げてもらうことだけです。
 「救い主イエス様。あなたを信じ、私の手を伸ばします。」と単純に応答することを求めてみませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.5放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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