♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■「いま」を生かして /村上宣道

2011年02月28日 | Weblog
2011/2/28放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 今日は2月28日、2月最後の日となりましたねえ。お正月がついこの間終わったと思ったら、もう明日から3月ですからねえ。昔から「一月去(い)ぬる、二月逃げる、三月去(さ)る」って言いますけども、本当に早いなあと思いますねえ。

 えー、皆さんはあのー、エメットの法則というのをお聞きになったことがあるでしょうか。えー私は知らなかったんですけども聞きますとですねえ、先延ばしすると余計に面倒になるということなんだそうでして、先延ばしはかえって労力がかかってしまいますよということを言っているんだそうですねえ。考えてみると本当に私などもまだ間に合うとかですね、明日にしようとか、このーもうちょっと時間経ってからとか、つい先延ばし先延ばしして結局はあせってみたりできなくなってしまったりとかですねえ。今年も新しく計画を立てたですけどもどうでしょうかねえ、どこまでそれを一つ一つこう実行しているかなあと思わされて、先延ばししてしまっていることがあるんじゃないかなあと思ったりするんですけどねえ。

 あのー聖書の中にも「今の時を生かして用いなさい。」ということばがあるんですね。エペソ人への手紙の5章に出てくることばですけれども、「今の時を生かして用いなさい。」(5章16節 口語訳聖書)

 えー、私たちは「今」というこの時をですねえ、やっぱり最大限に生かしてそして有効にそれを実りあるものとしていくということ、これが大切だということですよねえ。

 こういうことばがありますねえ。 

 「今今と 今という間に 今ぞ無く
      今という間に 今ぞ過ぎ行く」

 ということばですねえ。今と言っている内にも今はもう過ぎていっちゃう訳でして、ほんとに今というのはまさに今与えられているこの時間、この時、この置かれている状況、この環境ということですよねえ。それをあの時は良かったなあとか言っててもしようがありませんし、そのうちになんとかというふうなことを言ってても結局はやらずに終わってしまうということがある。今自分に与えられている今という時をどういうふうに生かすか、有効に用いていくか、とても大切なことなんだなあというふうに思わされる訳なんですけれどもね、いかがでしょうねえ。

 新しい月をまた迎えようとする年度末とも言われるようなそういう締めくくりの時でもありますけれども、もう一度こう省みて、そしてきちんとこうあまり先延ばししないでやっていくという決意を新たにする。大事なことかなと思います。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.28放送でのお話しより)


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■整えられた客間 /山中直義

2011年02月26日 | Weblog
2011/2/26放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。
 大切な人とゆっくりとした時間を持つことは私たちを豊かにしてくれますよね。神様とゆっくりとした交わりを持つ、その大切さを聖書は教えています。

 新約聖書マルコの福音書14章には「整えられた客間」というモチーフが描かれています。イエス様の弟子たちがイエス様と食事をとる場所を探していました。その彼らにイエス様はこう言われました。13節から15節のことばです。

 「都にはいりなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、その人について行きなさい。そして、その人がはいって行く家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする、わたしの客間はどこか、と先生が言っておられる。』と言いなさい。するとその主人が自分で、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれます。・・・」

 イエス様のこのことばに弟子たちが従ってみると、不思議なことに整えられた客間が確かに彼らのために用意されていたと聖書は言います。この客間と訳されていることばには「ゆるめる」という意味があります。荷物を降ろしてゆったりとした交わりを持つ。私たちも神様との交わりのためにそんな心を用意したいよですね。

 ですが私たちの内側には罪の重荷、思い煩いの重荷があります。ですから神様とのゆったりとした交わりを持つことを難しいと感じるかもしれません。

 ですが、イエス様は私たちのために十字架にかかってくださいました。私たちの罪の重荷を取り除き、私たちがもはや何も思い煩わなくてよい、ということを示してくださったのだと聖書は言います。

 神様の側ではあなたのための客間はすでに整えられています。あなたも神様とのゆったりとした交わりを持ってみてはいかがでしょうか。ぜひゆっくりと聖書を読み、心を楽にして教会にお越しください。神様があなたを大切に迎え入れてくださいます。

 聖書のことば
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」 新約聖書マタイの福音書 11章28節 

     (PBA制作「世の光」2011.2.26放送でのお話しより )

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■まことのぶどうの木、キリスト /岩井基雄

2011年02月25日 | Weblog
2011/2/25放送

世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。 今日の聖書の箇所をさっそくお読みします。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」 新約聖書ヨハネの福音書 15章5節

 皆さんは木に実ったぶどうを見たことがありますか? ぶどうの木はこれが一本の木かと思うほど豊かな枝ぶりです。 そこに、ふさふさとたくさんのぶどうが実ります。いっぱい実がなっているのですが、木をたどっていくと枝ぶりとは反対に細くて弱々しく少し曲がった木が懸命に地面に立っているような感じがします。細い木がたくさんの実を支えています。

 旧約聖書は神の民とされたイスラエルの人々をぶどうに喩えています。そして神様に従わなかったイスラエルの民は良いぶどうの実を結ぶことができなかったと責めているのです。それは彼らの高慢と傲慢さが原因でした。イスラエルの民は良い実を結ぶことに心を向けず、自分が選ばれたぶどうだということばかりを誇っていたのです。

 しかしイエス・キリストは、ぶどうはその実の良さや豊かさによって判断するのだと繰り返し語られました。

 私たちが良い実を結ぶ道はただ一つ。 神が私たちに贈ってくださったまことのぶどうの木であるイエス・キリストにとどまることなのです。枝は自分の努力やがんばりで実を結べるのではありません。まことの木であるイエス・キリストから愛と恵みと命をいっぱいに受け取っていかなければ、自分だけでは決して良い実を結ぶことができないのです。

 そのためには自分の高慢さや傲慢さを認めることです。そして私たちのためにへりくだり、十字架の死にまでも従ってくださったイエス・キリストを心から信じ、彼に本当につながることなのです。
 
 あなたも心からへりくだり、罪を認め、救い主イエス・キリストにしっかりとつながりませんか? あなたの人生にも豊かな豊かな実が結ばれていくのです。

 それではまた聴いてください。

 (PBA制作「世の光」2011.2.25放送でのお話しより)

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予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
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■幸いな人 - 柔和な人 /福井 誠

2011年02月24日 | Weblog
2011/2/24放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「幸いな人 - 柔和な人」です。それではマタイの福音書の5章5節から読んでみましょう。

 「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」(新改訳聖書第2版)

 柔和な者は幸いです。・・・「柔和」と訳されたことばは謙遜という意味を持っているそうです。つまり、誰でも正直に自分自身を見つめていくなら、自分が取るに取りない者であること、無力な者であるということが分かってきて、謙遜になって、自分に関しても人に対しても柔らかな態度を持つことができる、というところから来ている訳ですねえ。柔和な者というのは、そのように自分自身をわきまえ知ったへりくだった心を持った人のことを言っています。聖書はそういう人は幸いだ、その人は地を相続するようになる、と言うのです。

 しかしどうでしょうか。普通、地を相続する人というのは自分の権利をはっきり主張する人、ある程度強引さのある人ではないでしょうか。心へりくだって柔和に物事に応じていたら、何もかも失くしてしまいそうな気がしますねえ。

 実は旧約聖書にアブラハムという人の例があります。アブラハムは親戚のロトと一緒に同じ土地に住んでいました。だんだん家族が多くなって土地が狭くなると争いが起こるようになりました。そこでアブラハムはロトと別れて住むことを提案。ロトに好きな土地を選ぶようにと勧めるのです。強欲で分をわきまえないロトは当然、最も良く見える土地を選びました。アブラハムに残されたのは何も無い荒涼とした土地でした。

 やはり柔和じゃ駄目じゃないか・・・そう思いますか? しかし、このエピソードには続きがあります。その後ロトは神様の災いによって土地を失ってしまいます。一方アブラハムは無から有を産み出す神様の祝福に満ち足りるようになるのです。柔和な人というのは自分の力をわきまえて、やたらめったら権利を主張したりはしませんから、損をするように思われることもあることでしょう。しかしすべての祝福の源は神様にあります。神様が一人ひとりの心にふさわしい報いをしてくださるのです。神様を神じましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.24放送でのお話より )

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■祝福を与える神 /羽鳥頼和

2011年02月23日 | Weblog
2011/2/23放送

 いかがお過ごしですか。羽鳥頼和です。

 人から悪口を言われて嫌な思いをしたことは誰にでもあると思います。その時の何とも言えない不安や怒りは自分で簡単に解決することはできません。しばらく暗い気持ちになってしまいます。

 旧約聖書の民数記22章から24章にこんなことが記されています。荒野を旅していたイスラエルの民がモアブという所の草原に宿営していた時のことです。そのことを知ったモアブの王はイスラエルを恐れました。そして彼は有名な占い師であるバラムを遥か遠くから呼び寄せました。たくさんの褒美をやってイスラエルを呪わせようとしたのです。バラムはロバに乗ってモアブの王に会いにいきました。その途中、バラムは神の使いに会います。そして神様によってロバが人のことばを話し出します。驚き恐れたバラムは、神の使いの言うことを受け入れ、モアブの王のところに行きます。そしてバラムはイスラエルを呪うどころか、三度に渡ってイスラエルを祝福してしまいます。モアブの王は非常に怒りました。それでバラムは何も受け取らずに自分の天幕に帰ります。そして彼はそこで殺されてしまいます。イスラエルの人々のまったく知らないところで神様がイスラエルのために働いてくださったのです。神様は呪いのことばを祝福に変えてくださったのです。

 この出来事は神様の守りがあるならば呪いのことばや悪口もそして魔術も恐れる必要はないということを教えてくれます。

 詩篇109篇28節には、このようにあります。
彼らはのろいましょう。しかし、あなたは祝福してくださいます。

 神様は神様に信頼する者に祝福を与えてくださるのです。ぜひキリスト教会にいらしてください。そして神様の祝福を受けてください。

 最後に、民数記6章24節から27節をお読みします。
 「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
  主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
  主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。



  ( PBA制作「世の光」2011.2.23放送でのお話より )

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■試みにあわせないでください /関根弘興

2011年02月22日 | Weblog
2011/2/22放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 イエス・キリストが弟子たちに教えてくださったお祈り、「主の祈り」と言われるものですけれども、今日はその中の「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」(マタイの福音書 6章13節)という祈りをご一緒に考えていきましょう。

 イエス・キリストは、「試み」とか「試練」、またこのことばは「誘惑」とも訳されるのですが、そうした試みにあわせないでくださいと祈れと教えられました。ということは私たちの人生にはいろんな試練と思われることことや、私たちの生き方が問われる試み、また悪へと誘(いざな)う誘惑が襲ってくるということなんですね。

 襲ってくるのにどうしてイエス様は試練にあわせないでくださいと祈れと言われたのでしょう。それは私たちはいろんな試練にあうと、落ち込み、時々人生を否定的に考え、「もう生きていても意味がない。聖書を読んでも解決がない。人生は空しい。神様が愛だなんて信じられない。」 まあそういうふうにして人生に襲う様々な試練によって前向きに生きることができなくなってしまうことがあるんですね。 

 先ほども言いましたように、人生は良いことばかりではありません。辛いことも苦しいこともいろんな試練がやってきます。でもその試練が試練で終わらないとするなら、それどころかその試練を通して人生の大切なことを学ぶことになるとするなら、それはその人の生涯にどれほどの宝となっていくことでしょう。イエス様は人生の試みや試練によって自分の人生が台無しにならないように祈ることを教えているんですね。

 またこの試みとは、「誘惑」とも訳されることばです。新約聖書のヤコブの手紙1章14節にはこう書かれています。
 「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(14節、15節)
 聖書は私たちの欲がエスカレートしていくと死を生むのだと警告しているんです。ですから、そういう誘惑から守ってくださいと祈り続けなさいねとイエス様は語るんですね。

 イエス・キリストは、試みにあわせないでください、そして悪からお救いくださいと祈れと教えています。イエス様は私たちに襲う試みが私たちを悪しき方向に向かわせる誘惑とならないように、神様への信頼が薄れることがないように祈れと言われているんです。

 どうぞ自分に危険だと思える誘惑からは勇気をもって身を引いてください。そして人生に襲う様々な試練が神様からあなたを放してしまうのではなく、その試練の中でしっかりとあなたを支えてくださる神様の愛の中で歩んでいくことを選びとっていきましょう。

 (PBA制作「世の光」2011.2.22放送でのお話しより)

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■人は神のことばで生きる /村上宣道

2011年02月21日 | Weblog
2011/2/21放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、電車の中でお母さんたちが話してました。「まだ一歳半なのに、突然のようにことばを言い出して、それが幼児語じゃなくって、ちゃあんと分かることばで話し出すのよねえ。びっくりしちゃったあ。」って言ってましたけど、本当にそう思いますよねえ。大人の話してることばをこう聞いててそしてまた絵本なんかを読んであげたりするのを聞いていて、そしてことばを覚えるのかなあと思うとほんとにすごいなあと不思議な感じがしますけれども。

 あのー、13世紀にですね、シリヤにフレデリックという王様がいたそうなんですけれども、人間は生まれたときからことばを内に蓄えてるんじゃないか、それをやがて話すようになるんじゃないかというふうに思ったらしくて、まあ実験といいましょうかねえ、生まれたばかりの赤ちゃんを何人か集めて、そして養育する。で、絶対に赤ちゃんにことばをかけてはいけないというようにしてですねえ育てたんだそうなんですよ。で、何一つ不自由なく必要なものをちゃんとあげる訳なんですけれども、しかしことばだけはかけてはいけないという。当然ことばを覚えない。ことばを発することはしない。そうしている内にその赤ちゃんたちはみんな生きていくことができなくなってしまった。つまり死んでしまったということを読んで、ああそうなんだなあと思いましたねえ。 

 えー、大人でもずうっと話すことを禁じられていたならば生きていけないということがあるんじゃないでしょうかねえ。聖書の中に「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ福音書 4章4節)とこう書いてあるんですね。私たちはパンが無くては、つまり食べるその食物がなければ生きていくことができないってこれは確かですけれども、肉体的には。しかし人間はそれだけで生きられるものではないということですね。ことばによって私たちは生きるということで、当然ことばを覚えて一つの会話・交わりを通して私たちは自分自身が生きていくってことができる訳ですけれども、同時に私たちは神によって造られて、神によって存在させられているのですから、神のことばを聞く、神のことばによって生きるっていうこのことが実は大切な、そういうふうに人間は造られているんだということですね。

 聖書というのは神のことばであるという。聖書を通して神様が私たちに何を語ってらっしゃるのかということを聞くということですねえ。そのことによってああ私たちはどう生きたらいいのかということがはっきり分かってくる。そういう意味で神の口から出る一つ一つのことばによって人間は生きるということ。このことを体験して欲しいと思いますねえ。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.21放送でのお話しより)


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■手放さないように /山中直義

2011年02月19日 | Weblog
2011/2/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 私たちは本当に大切なものを手放してしまうということがあるのではないでしょうか。神様があなたに差し出していてくださる深い愛、それこそが手放してはならない本当に大切なものだ、と聖書は教えています。

 新約聖書マルコの福音書14章には、イエス・キリストを手放してしまったイスカリオテのユダの姿が描かれています。10節、11節をお読みします。
 「ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。

 ユダはある時、わずかな金と引き換えにイエス様を手放そうとしてしまいます。聖書の他の箇所(ヨハネ福音書 12章6節)からすれば、彼はイエス様から預かっていた金入れからいつも金を盗んでいたと言います。金銭への執着、罪を悔い改めようとしないプライド、あるいは自分の思い通りにすべてをコントロールしたいと思う思いがユダに本当に大切なものを手放させてしまったことを思わされます。

 私たちはどうでしょうか。せっかく差し出されている神様の愛や恵み、聖書からの語りかけを、時間やお金、自分の思い通りに生きたいという思いと引き換えに手放してしまってはいないでしょうか。

 そんな私たち、神様の愛を簡単に手放そうとしてしまう私たちを神様は何とかしてつなぎとめようと願っていてくださる。そしてそのためにこそ神様は愛するひとり子を十字架にまでお与えくださったのだ、と聖書は言います。 

 あなたは本当に大切なものを手放そうとはしておられないでしょうか。あなたを愛する神様の愛をしっかりと握りしめ、あなたへの神様の語りかけにいつもしっかりととどまっていただきたいと思うのです。

 聖書のことば
 「主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。きょう、もし御声を聞くなら、 ・・・ あなたがたの心をかたくなにしてはならない。
 旧約聖書 詩篇95篇7節、8節


     (PBA制作「世の光」2011.2.19放送でのお話しより )

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■世界への影響力 /岩井基雄

2011年02月18日 | Weblog
2011/2/18放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。先月と今月の第三金曜日は聖書の影響力について考えています。

 西暦2000年に月刊誌『ライフ』がミレニアム特集として世界各国の知識人に、過去1000年の間に起きた最大の出来事は何か?と聞いたとき、第一位は、活版印刷術の発明でした。1445年にその時最初に印刷されたのが聖書でした。これによって多くの人が聖書を自分で読めるようになっていきました。

 聖書は世界中に様々な影響を及ぼしました。文化や芸術の分野ではそれは顕著でしょう。多くの文学者たちが聖書から得た多くの知恵をその文学に活かし、聖書のテーマを題材とする名著を残しています。建築でも教会建築は世界中に多くの世界遺産があり、音楽でも作曲家や作詞家が聖書の影響を強く受け、神を讃美する名曲を数多く生み出しました。絵画や彫刻も聖書をモチーフにしているものが溢れています。科学の分野でも、世界の創造の秩序を探り、研究を重ね、様々な宇宙や自然の法則を発見していきました。更に、法律の原点は聖書であるとも言われています。男女平等の思想、人権の思想、平和の思想なども聖書の影響力が強くあるのです。病院や学校、社会的弱者への福祉の働きも、聖書の語る愛が土台であると言われています。愛を届けようとする働きの多くがこの聖書が語る神の愛、イエス・キリストの愛から出ているのですねえ。

 聖書を多くの人が調べ、その歴史的な正しさ、人を正しく導く倫理的な確かさに生かされてきました。聖書は次のような表現で聖書すなわち神のことばの力を表しています。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」新約聖書第二テモテ3章16節、17節

 あなたの心が生かされ、人生が変えられる道が聖書の中にあるのです。

 (PBA制作「世の光」2011.2.18放送でのお話しより)

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■幸いな人-悲しんでいる人 /福井 誠

2011年02月17日 | Weblog
2011/2/17放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「幸いな人 - 悲しんでいる人」です。

それではマタイの福音書5章4節から読んでみましょう。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」(新改訳聖書第3版)

 悲しんでいる人が幸いだなんてどうしたものでしょうか。悲しんでいる人は不幸そのものではないでしょうか。事実、誰もかれも悲しくなるようなことは避けて人生を生きているではありませんか。

 しかしどんなに気をつけていても、悲しみに迷い込んでしまうことがあるものですねえ。そしてもはやこの世のものでは何をしても自分の悲しみを埋めるものはない。どん底に落ちた悲しみを味わうこともあるでしょう。

 ある深い悲しみの中にあるお金持ちの婦人が言いました。「お金を持っているというのは、ごまかしが効くということである」と。「悲しいときには飲んで食べて買って、自分をごまかせる」と。「しかし、ごまかしはごまかしに過ぎない」と言いました。

 人はこの世の慰めでは慰めきれない深い悲しみを味わうことがあるのですねえ。実際ここで「悲しみ」と訳されたことばは断腸の思いを意味することばです。自分の惨めさを思い知らされ、もはやあらゆる人の慰めも尽きてしまった。望みがない、という悲しみですねえ。

 しかし聖書はそのような悲しみを味わう人は幸いなのだと言います。というのも、そこに単なる人間的な慰め以上の神の慰めがあるからだという訳です。

 聖書にはこんなことばがあります。
 「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」(詩篇 34篇18節 新改訳聖書第3版)

 心が打ち砕かれ、魂が打ち砕かれた絶望的な状況にある人と共に神がおられるのです。この天地万物をお造りになったまことの神、全能の神が共にいてくださいます。

 私たちは望みを捨ててはいけないのですねえ。人の慰めが尽きた所に神の慰めを期待しなさい、と語ってくださる神様を素直に信じて行きたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.2.17放送でのお話より )

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