2018/3/26放送
世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
東京にあるミッションスクールで聖書を教えているのですが、毎年生徒たちと一緒に『塩狩峠』という事実に基づく映画の最後の47分を見ます。それは雪の中、東京から北海道に来た宣教師が神の愛とキリストの十字架を語る場面からです。
主人公の長野さん(※映画の原作の小説『塩狩峠』では永野信夫、この人物の実話モデルは長野政雄)は、そのメッセージに聴き入り、あとでその宣教師から誰のためにキリストは十字架にかかったと思いますか?と問われます。答えに窮する長野さんに宣教師は、「あなたのためですよ。」と語ります。1900年以上も前の出来事がなぜ自分に関係があるのかと驚く長野さんに、宣教師は続けて、「キリストはあなたの罪のために十字架にかかったのですよ。」と力強く語りかけるのです。心に残る場面です。そのうち長野さんは神の愛とキリストの十字架の意味を深くそして正しく知り、自分の罪を認め、キリストを自分の救い主として信じ、受け入れます。そして彼はキリストの愛を人々に伝え、その愛に応え、キリストのために生きるようにと励ます働きをするようになるのです。
そんな歩みが続く中、明治42年2月28日、極寒の塩狩峠で連結が外れ、その峠を猛スピードで降る客車を止めるために長野さんは自分の身を投げたです。それは命がけで自分を愛し自分の罪の赦しのために十字架にかかられたキリストの愛に応える愛と勇気の行動でした。実際その時に、30名近い人々のいのちが助けられたのです。
聖書に次のようなことばがあります。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」
新約聖書 ヨハネの福音書12章24節 (新改訳2017)
キリストは今から約2000年前に、事実十字架にかけられました。それは一粒の麦のように、全ての人の罪の裁きを身代わりに受けて死に、そして実を結ぶためでした。それゆえ、どんな人であっても、自分の罪を認め、自分のためにキリストが十字架にかかられたことを信じ受け入れる者にキリストの愛といのちは注がれ、豊かな実を結ぶのです。
あなたも本物の神の愛とキリストのいのちによって生かされ、実を結ぶ人生を歩み始めて行きませんか?
PBA制作「世の光」2018.3.26放送でのお話しより)
******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
東京にあるミッションスクールで聖書を教えているのですが、毎年生徒たちと一緒に『塩狩峠』という事実に基づく映画の最後の47分を見ます。それは雪の中、東京から北海道に来た宣教師が神の愛とキリストの十字架を語る場面からです。
主人公の長野さん(※映画の原作の小説『塩狩峠』では永野信夫、この人物の実話モデルは長野政雄)は、そのメッセージに聴き入り、あとでその宣教師から誰のためにキリストは十字架にかかったと思いますか?と問われます。答えに窮する長野さんに宣教師は、「あなたのためですよ。」と語ります。1900年以上も前の出来事がなぜ自分に関係があるのかと驚く長野さんに、宣教師は続けて、「キリストはあなたの罪のために十字架にかかったのですよ。」と力強く語りかけるのです。心に残る場面です。そのうち長野さんは神の愛とキリストの十字架の意味を深くそして正しく知り、自分の罪を認め、キリストを自分の救い主として信じ、受け入れます。そして彼はキリストの愛を人々に伝え、その愛に応え、キリストのために生きるようにと励ます働きをするようになるのです。
そんな歩みが続く中、明治42年2月28日、極寒の塩狩峠で連結が外れ、その峠を猛スピードで降る客車を止めるために長野さんは自分の身を投げたです。それは命がけで自分を愛し自分の罪の赦しのために十字架にかかられたキリストの愛に応える愛と勇気の行動でした。実際その時に、30名近い人々のいのちが助けられたのです。
聖書に次のようなことばがあります。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」
新約聖書 ヨハネの福音書12章24節 (新改訳2017)
キリストは今から約2000年前に、事実十字架にかけられました。それは一粒の麦のように、全ての人の罪の裁きを身代わりに受けて死に、そして実を結ぶためでした。それゆえ、どんな人であっても、自分の罪を認め、自分のためにキリストが十字架にかかられたことを信じ受け入れる者にキリストの愛といのちは注がれ、豊かな実を結ぶのです。
あなたも本物の神の愛とキリストのいのちによって生かされ、実を結ぶ人生を歩み始めて行きませんか?
PBA制作「世の光」2018.3.26放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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