♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■哀歌(悲しみの歌)/ 羽鳥頼和

2012年06月30日 | Weblog
2012/6/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 旧約聖書に「哀歌」という書物があります。哀歌の哀は哀愁の哀と書きます。つまり「悲しみの歌」ということです。何を悲しんでいるかというとエルサレムの都がバビロンの軍隊によって破壊され、仲間たちがバビロンに連れて行かれてしまったことを悲しんでいるのです。

 しかし哀歌の悲しみはそれだけではありません。エルサレムの滅亡とユダヤ人のバビロン捕囚という悲劇を引き起こした原因は、彼らの心が神様から離れてしまったことにありました。それは彼らの罪でした。その罪に対して神様は怒り、災いをくだしたのです。つまり彼らの罪が大きな災いを招き大きな苦しみをもたらしたのです。ですから哀歌の悲しみは自分たちの罪に対する深い悲しみなのです。

 そんな深い悲しみの中で哀歌3章22節には「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。」と語られています。苦しみと悲しみの中で神様の憐れみを知ったのです。ユダヤ人たちは完全な滅びを免れました。災いに遭いながら生き残った人たちがいたのです。そして自分たちが生き残ったのは神様の恵みだ、神様が私たちをかわいそうに思い、立ち直るチャンスを与えてくださった、と分かったのです。

 ですから神様に「主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。私たちの日を昔のように新しくしてください。」(哀歌 5章21節)と願います。罪を犯し神様から離れてしまったユダヤ人に神様は災いを与えました。そして神様は災いによって彼らに悲しみを与えたのです。

 新約聖書コリント人への手紙第二7章10節に、神様の与える悲しみについてこのように語られています。「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます

 本当の悲しみは罪を悔い改めさせ、神様の与えてくださる救いをその人にもたらします。悲しみの中で心から神様に救いを求める人を神様は救ってくださいます。神様はイエス・キリストによって私たちに救いを与えてくださいます。

 神様の救いを得るためにぜひキリスト教会にいらしてください。

( PBA制作「世の光」2012.6.30放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■「荒城の月」がベルギーの聖歌(讃美歌)に  / 岩井基雄

2012年06月29日 | Weblog
2012/6/29放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 今日は作曲家の瀧 廉太郎が1903年に23歳の若さで亡くなった日だそうです。東京音楽学校の同級生の高木チカさんに(聖公会)博愛教会へと導かれた彼は1900年10月7日、21歳の時に 元田作之進牧師から洗礼を受け、博愛教会の青年会の副部長やオルガン奏者を務めました。この同じ教会であの津田塾大学を創設した津田梅子も信仰生活を守ります。土井晩翠作詞の有名な「荒城の月」は滝が東京音楽学校主催の中学唱歌に応募して入賞した曲だそうです。その翌年に廉太郎はドイツ・ライプツィッヒ音楽院に留学をしますが、わずか2ヶ月で肺結核にかかり、1902年に帰国。父母の元での療養も甲斐なく翌年にあと二ヶ月で24歳という若さで天に帰りました。亡くなる半年前、痛みの中でプレビ司祭と深い心の交わりを結んだと言われる彼は、誠に信仰の人と言える、そういう生涯だったそうです。「荒城の月」を作曲した頃の瀧 廉太郎はイエス・キリストとの深い関わりがあったと考えられています。荒れすさんだ城にかかる美しい月を滝はどのような思いで見上げ曲を作っていったのでしょうか。不思議な導きによりこの曲は1986年にベルギーのシュヴトーニュ修道院で神の恵みを歌う聖歌として用いられるようになりました(※)。この曲の旋律が持つ悲しみの中にある静けさ、祈りと愛や不思議な平安が廉太郎のキリストにある平安と喜びを伝える聖歌を作りたいという祈りを実現させたのかもしれませんね。

 どんなに悲しみが深くともイエス・キリストにある平安は私たちの心を包み、力と励ましを与えるのです。イエス・キリストはあなたにもこう語っています。
 「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」 新約聖書 ヨハネの福音書14章27節 

 あなたもイエス・キリストにある本当の平安に生かされませんか。悲しみや失望や涙を越えて、本当の喜びと平安がイエス・キリストにあってあなたにも用意されているのです。


(※ http://www.geocities.jp/saitohmoto/hobby/music/kojonotsuki/kojonotsuki.html)


   (PBA制作「世の光」2012.6.29放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■子供たちのようにならない限り / 福井 誠

2012年06月28日 | Weblog
2012/6/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「子供たちのようにならない限り」です。

 それではマタイの福音書の18章3節から読んでみましょう。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。

 イエス様のもとに弟子たちが来て言いました。「天の御国では誰が一番偉いのでしょうか。」 皆さんはどう思われますか? 私などは思いますねえ、こんな質問て無いよなあ、天国に行っても階級や序列があるなんてまっぴらだなあと。正直天国がそんなところだったら、余り入りたいとは思わない、遠慮しておこうかなあとも思いますね。

 そこでイエス様の答えに注目してみたいのです。イエス様は小さい子供を呼び寄せて彼らの真ん中に立たせてこう答えたと言います。「あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。」と。目の前に立たせられた幼子の姿がすべてを物語っていました。無力で価値のないものと子供たちは当時みなされていたのです。小さく見下されていた子供たち、そのようにならない限り、天国には入れませんよと。自分は一角の人物だ、あるいは自分には力が  そんなふうに思い上がった心の人は神の国には入れませんよという訳ですね。なるほどちょっと安心ですね。天国には人を見下すような人、自分を怒って威張るような人はいません。そこはこの世的な階級も序列も関係のない世界だと言うわけです。

 でも逆の意味でちょっと心配もありますね。果たして自分はどうなんだろうか、自分にも傲慢な心があります。人を見下す心があります。自分は天国に入れそうもない、そんな気になってきますねえ。大丈夫です。イエス様は悔い改めを勧めています。イエス様のおことばを受け入れて神様の前に悔い改めるなら神様は私たちを受け入れてくださいます。心の一新と神の力によって神の国に入るのにふさわしく変えて頂きましょう。


(PBA制作「世の光」2012.6.28放送でのお話より )

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■アブラム家の騒動 / 板倉邦雄

2012年06月27日 | Weblog
2012/6/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。「王国を統治するよりも家庭内を治めることの方が難しい」とは思想家モンテニューのことばです。今日からアブラム家に起った騒動をお話ししましょう。

 「アブラムの妻サライは子を産まなかった。」ということばで始まります、旧約聖書の創世記16章です。子供を産み育てることも母親にとっては大変なことです。しかし結婚しても子を産まないことも女性にとって辛く苦しいことでしょうね。しかも天の神様から「あなたの子孫は空の星のようになるよ」と約束されているのに、ちっともその兆候・前触れさえないのですから。神様の約束から十年経っていました。妻サライ75歳、夫アブラム85歳になっていました。

 とうとうしびれを切らした妻のサライは夫のアブラムに頼みこみます。「神様はいつまで経っても子供を授けてくださいません。こうなったらあなたが私の召使いハガルと一緒になるしかないと思います。それで、もし子供が生まれたら私の子供ということにしてくださいますか? どうしても早く私はあなたの子供をこの膝の上に抱きたいのです。」 こう言われてアブラムも同意しました。

 そこで、そのサライはハガルというエジプト人の召使いの女性をアブラムに妻として与えたのです。アブラムはハガルと一緒になり、やがて彼女は妊娠しました。ところが、召使いだったハガルは途端に傲慢になり、女主人サライを見下すようになりました。そして横柄な態度を取るようになったのです。

 すると妻サライは夫アブラムに食ってかかりました。「みんなあなたのせい。あなたが悪いの。召使い風情にまるで馬鹿にされたら私の立場はどうなるの。あの女はね、自分が子供を授かったのをいいことに私を見下すのよ。一体誰のおかげであなたと一緒になれたと思ってるのか。もとはと言えばあんたのせい。」 ・・・サライさんあなたが言い出したことです。

 夫も渋々「召使いなんだ、お前の好きなようにしたらいいだろう。」と怒ったような口調で言い放ちます。それならと妻サライは召使いハガルを苦しめ、いじめ抜いたと聖書にあります。ハガルは我慢できず、身重のまま逃げ出してしまいます。

 アブラム家の騒動は私たちの家にもありますねえ。この騒動は続きますが、神様の約束はやがて実現していくことになります。

( PBA制作「世の光」2012.6.27放送でのお話より )

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■今の時の苦しみは / 山中直義

2012年06月26日 | Weblog
2012/6/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 新約聖書 ローマ人への手紙8章18節にこんなことばがあります。
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
 この聖書のことばではまず人生にはいろいろの苦しみがあるということが教えられています。確かに私たちは生きていく中でさまざまな苦しみを味わいます。生まれた国や生まれた時代あるいは家庭環境や人間関係によって苦しめられることがあります。また自分の内側にある悪い思いや愛のなさということに本当に苦しい思いをすることもあります。自然災害や事故や病というものによっても苦しむことがあるでしょう。そんな中で私たちはうめきながら、なぜこんな苦しみがあるのかと問うのではないでしょうか。

 そんな私たちに聖書は、すべての苦しみには意味があると教えます。そのうめきや嘆きを補って余りある意味があるのだと聖書は言うのです。その意味とは苦しみを通して栄光が表されることだとこの聖書のことばは教えています。栄光ということばには「重んじる」「重んじられる」という意味があります。私たちは苦しみを通してこそ、神様に重んじられていることを神様に深く深く愛されていることを知るようになっていくと聖書は言うんですね。

 私たちの目はどうしても今の時そしてこの世の事柄だけに囚われがちではないでしょうか。そんな私たちが苦しみの中で永遠の事柄そして神様へと目を向けるようになっていくと聖書は言います。そしてうめきが祈りに変わり、その祈りが本当の喜びと感謝へと変えられていく。聖書はそう教えています。

 人生には苦しみがあります。しかしその苦しみを通してこそ私たちは神の愛を知り神と共に生きるようになっていきます。あらゆる苦しみを「
取るに足りない」
と言わしめる神の愛があります。どうぞあなたも神様の愛に目を向けて歩み続けてくださいますように。


 (PBA制作「世の光」2012.6.26放送でのお話しより )

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■学ぶべき3つのこと / 関根弘興

2012年06月25日 | Weblog
2012/6/25放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストは「わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ福音書11章29節)と約束されたんです。私たちはイエス・キリストから一体何を学ぶことができるでしょう。

 第一は、しもべの心を学ぶんです。マルコの福音書10章45節には「人の子(すなわちイエス・キリスト)が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」と書かれています。イエス・キリストは私たちを仕えさせるためではなくてご自分が私たちに仕えるために来てくださったと聖書は教えるんです。ですからイエス・キリストから学ぶということは互いに仕える心を持ってそれぞれの役割を果たしていくということなんですねえ。そうすれば安らぎが来ると約束されているんです。

 第二は、赦しの心を学ぶということです。これは人生の大きなテーマです。そして難しい問題です。私はこのことを簡単にお話ししようとは決して思いません。しかし憎しみをそのまま心に持ち続けていると決して平安を得ることができないのも人は分かっています。赦すことは感情的に難しいと考えることがあります。でも赦すことは意志を用いるんです。感情やしこりが残ることもあるでしょう。しかし赦すという表明は確かに心を解放し平安を注ぐ出発となるんですね。もし私たちがなかなか赦せないと感じるなら、イエス様の姿をどうぞもう一度見つめてください。イエス・キリストの十字架を思い出して欲しいんです。私たちの罪のために身代わりとなって死んでくださった、命をかけてくださったイエス様の姿を思い出して欲しいんですね。

 そして第三は、生きる確信を学ぶということです。イエス・キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ福音書14章6節)とおっしゃいました。イエス・キリストはご自分が誰であるかということ、そのことを明確に知っていました。

「わたしは道である。」 ですから私たちは生きるべき道をイエス・キリストから知ることができるんですねえ。

「真理である」とイエス・キリストをおっしゃったのでイエス・キリストの約束は誠である、本当にその通りであるということを知るんです。

 「いのちである」とイエス・キリストはおっしゃいました。十字架につけられて三日目によみがえられたお方、いのちを与えるお方としてイエス・キリストは御自身を明らかにしてくださったんです。

 イエス・キリストから学ぶというのはこの人生の道を、真理を、いのちを学ぶことでもあるんですね。そうすれば魂に安らぎが来るんです。

  (PBA制作「世の光」2012.6.25放送でのお話しより)

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■愛が目覚めるとき / 羽鳥頼和

2012年06月23日 | Weblog
2012/6/23放送

エルサレムの娘たち。私はあなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。」と言うことばがあります。このことばは結婚した人が友人たちに願っていることばです。自分たちが自分たちの愛をゆっくりと育みたいと言っています。

 愛とは人の噂やさまざまな異なるアドバイスによって急き立てられたりかき乱されたりします。また愛は感情的なものです。愛こそすべてと他のことが目に入らなくなってしまいます。ゆり起こしたりかきたてたりしないでくださいとの願いは二人が誠実に向き合い互いに相手のペースと合わせながらゆっくりと真面目に愛を育んで行こうという気持ちからのことばです。

 結婚はまず出会いから始まります。聖書には箴言の18章22節に「良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく。」とあります。そして同じ箴言19章14節には「思慮深い妻は主からのもの。」とあります。この箴言のことばは良い妻は神様が与えてくださると教えています。良い出会いは神様によって与えられるのです。雅歌に出て来る二人も神様の導きによって出会いました。素晴らしい出会いを経験した二人はそれで意気投合し盛り上がってしまうのではなく、ゆっくりと愛を育んで行こうとしているのです。

 結婚とは二人の人生の始まりです。二人の愛を育むことが大切です。聖書はこのような愛を育む結婚をイエス・キリストとキリスト教会との関係に喩えています。ですから教会はイエス・キリストと愛を育むところということができます。まことの愛を持っているイエス・キリストは私たちを愛してくださり、私たちの深い交わりを持って愛を育むことを期待してあなたが教会に来るの待っておられます。あなたもぜひ教会にいらしてください。

 ( PBA制作「世の光」2012.6.23放送でのお話より )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
            
 

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■心を潤す恵みの雨 / 岩井基雄

2012年06月22日 | Weblog
2012/6/22放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。 日本の季節の中でこの時期すなわち梅雨(つゆ)はあまり好きではないと言う方もいらっしゃるかもしれませんね。この梅雨(ばいう)ということばは中国語を語源としており、梅の実が熟する頃に降る雨ということからきているという説や、カビの生えやすい季節だったので、黴(カビ)の雨と書いて黴雨(ばいう)と呼ばれ、それが転じて梅雨(つゆ)になったという説などその理由はさまざまのようです。カラッと晴れた空が大好きな方にとっては試練の季節ですけども、作物にとっては秋の収穫に向けて無くてはならない雨であり、他にもどうしてもこの雨が必要な方もいらっしゃるでしょうね。

 雨が多いと鬱々と家の中にこもりがちになりますが、私たちの心が育つのもこの季節かもしれません。それは静かに自分の人生を振り返り、心を見つめるためには最適な季節でもあるからです。聖書の中にこんなことばがあります。

 「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。
 「あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。
           旧約聖書 箴言 4章23節、26節。 

 私たちの心が整えられ耕されていくとき、そこから生命の泉が湧き出て、私たちの人生そのものも整えられていくと聖書は言います。

そのためには自分の心を見張り見守れとありますが、どうしたら私たちは自分の心を振り返り整えることができるのでしょうか。それは心を静めて自分の心の不安や恐れ、また痛みの原因を見つめ、他の人を傷つけている自己中心的な思いや罪を神の前に認めて、悔い改めることではないでしょうか。すべての人を創造しあなたの心に本当の潤いと平安を与えてくださる神様のもとに帰るときにこそ本当の意味で心が整えられていくのですね。

 あなたの心の奥の悩みも悲しみも痛みも、すべて御存知の神様は、私たちがそしてあなたがそれを神の前に注ぎ出して祈るのを待っておられます。そしてその祈りに答えてくださいます。祈りの中で私たちの心は神の平安と喜びと力を与えられ、本物の潤いと愛を受け取ることができるのです。

 この恵みの雨が降る時にこそあなたも神のもとに来て、ご自分の心を見つめ、整え、生命への泉が心から溢れる豊かな人生へと歩み出しませんか?

   (PBA制作「世の光」2012.6.22放送でのお話しより)

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■つまずきを与えないために / 福井 誠

2012年06月21日 | Weblog
2012/6/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「つまずきを与えないため」です。それではマタイの福音書17章27節から読んでみましょう。

 「しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。

 その昔エルサレムにあった神殿には大変な維持費がかかったと言われます。ですからイスラエルには20歳以上の男性はみな毎年神殿にお金を納めることが義務づけられていました。1年ごとに半シェケル ---スタテル1枚とも言いますが--- そのお金を納めるのですが、今の2日分の日当に相当する額を過ぎ越しの祭りが始まる前、3月の初めには納入しなくてはなりませんでした。もし納められなかった場合は過ぎ越しの祭りの時に直接エルサレムで納めることになっていたのです。どうやらイエス様はこのお金を納めていなかったと見られたようですね。そこでの納入金を集める係りの者がイエスのもとに来て納めるようにと催促しています。

 それに対してイエス様はどうやら自分には納める必要が無いのだと言っているようです。なぜか。それは王様が自分の家族から税金を取り立てるようなことはしないように神様も自分の家である神殿のために自分の子であるイエス様から税金を取り立てはしないというわけなんです。なるほど、確かにそうですね。

 しかし注意しなくてはなりません。イエス様はこのように答えながらご自分が神の子であると明言しています。ご自分を神に等しいとするこの人はあなたはどのように受け止めるでしょうか。

 C.S.ルイスという作家が、イエスを前に私たちは頭の狂った人と見るか本当に神の子と受け入れるかどちらかである、と語りました。イエス様はつまづきを与えないために納入金を納めるようにペテロに指示しました。社会通念を無視されない良識のある態度をとりながら、しかし御自分を神の子とはっきり語られるイエス様。聖書を読む中でイエス様がまことに神の子であることを知って頂きたいと思います。

(PBA制作「世の光」2012.6.21放送でのお話より )

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■裂かれた体 /  板倉邦雄

2012年06月20日 | Weblog
2012/6/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「裂かれた体」と言う題でお話ししましょう。

 アブラムは主なる神様を信じました。神様はこのアブラムの信仰を彼の義と認められましたね。神様がアブラムのご自身への信仰をどんなに喜ばれたか、その神様の喜びが今日の約束の更新となっているのです。創世記15章の続きです。

 主なる神様はアブラムに言われました。「わたしはこの地をあなたに与えて、これを継がせようと、あなたをカルデヤのウルから導き出した主です」。 (参照 創世記 15章 7節)

 「この地」とは今アブラム達が寄留している地です。今のパレスチナの土地のことですね。この土地を相続地としてアブラムの子孫に与えるためにメソポタミアの地ウルから主なる神様はアブラム一家を導き出しました。

 その約束のことばを聞いたアブラムは「主なる神よ、わたしがこれを継ぐのをどうして知ることができますか」と尋ねます。(参照 創世記 15章 8節)

 すると主なる神様は不思議な方法と手段をアブラムに命じたのです。三歳の動物、牛・山羊・羊・山鳩を二つに裂き生け贄として持って来ること、裂いた動物の体を向い合わせに置く事でした。そして一日中夜まで見張りをすることです。アブラムはカラスや鷲などの鳥が死体の上に降りて来ると棒で追い払いました。

 やがて夜になり真っ暗になった時です。煙の立つかまどから突然炎が出ると、裂かれた動物の間を通り過ぎて行きました。主なる神様の一方的な契約の手段だったのです。この日主はアブラムと契約を結んで言われました。「わたしはこの土地をあなたの子孫に与える。」(参照 創世記 15章 18節)
この土地の相続の約束はアブラムの信仰による義の結果であったということです。

 主イエス・キリストが弟子たちとの最後の晩餐の席でおもむろにパンを取り祝福してパンを裂き、弟子たちに与えて言われました。「取って食べなさい。これは私の体である。」 また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われました。「皆この杯から飲め。これは罪の赦しを得させるようにと多くの人のために流す契約の血である。」(参照 マタイによる福音書 26章 26-28節)

 神の子イエス様がご自分の身体を裂き、尊い血潮を流して私たちと契約を結んでくださいました。罪の赦しと神の祝福を私たちがただ信仰によって得るためだったのです。
( PBA制作「世の光」2012.6.20放送でのお話より )

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