♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■星に導かれて -8 / 大嶋重徳

2017年02月28日 | Weblog
2017/1/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストの誕生の際に東の方からやってきた博士たちの物語が記されています。

 博士たちはメシヤ・キリストに出会った時に人生が変わりました。自分たちの生活を支えていた黄金と乳香と没薬をメシヤのために捧げたのです。この捧げ物がこの後のこの若い夫婦とイエス・キリストのエジプトへの逃避行を支えたと言われています。そしてそれから夢で、ヘロデの所に戻るなという戒めを受けたので、博士たちは別の道から自分の国に帰っていった、と聖書にあります。

 本来、博士たちはこの幼子の様子をヘロデ王に報告するように求められていました。そしてヘロデの残虐な噂を考えると、ベツレヘムで生まれたこの小さな命の情報をヘロデに伝えた方が自分たちの身の安全を確保できるでしょうし、非常に豊かな財宝を持っているヘロデからの報酬を手にすることもできたかもしれません。しかし彼らは、自分の人生で従うべきなのはヘロデではないと考えたのです。彼らは誰かの思惑に支配される生き方から別の道を歩き始めました。

 現在私たちの生きる世界には、自分の意に添わない人間を排除し自分の気に入った人だけを周りに置き、それを何とも思わないような出来事が幾らでもあります。またヘロデ王を取り囲んでいた祭司長や学者たちのように、強い権力のリーダーシップの空気を読み取ることこそ優先されているように思います。気がつくと私たちもまた、結局そうしかこの世界で生きていく方法はないのではないか、と諦めてしまっているのかもしれません。

 しかし私たちがイエス・キリストに出会うとき、私たちには別の道が見えて来るのです。誰か人の思惑に従うのではなく、神の御心に従う別の道が見えて来るのです。博士たちはヘロデを王とするのではなく、イエス様を礼拝する道へと歩き出しました。

 そして今朝、私たちも私たちを取り囲む価値観・世界観とは違う別の道を歩き始めたいのです。それはイエス様に従う道です。イエス様の後をたどる道へと踏み出したいのです。それは自由への道です。喜び生きる道です。礼拝の道であり祈りの道です。この道を歩いて行こうとする時、私たちは誰かの思惑から解放されて自由になるのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.1.24放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■主を待ち望む者 / 関根弘興

2017年02月27日 | Weblog
2017/1/23放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。まず聖書のことばをお届けいたしましょう。今日は旧約聖書 哀歌3章25節
 「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。

 私たちは時には希望を失い失望の中を通ることがあります。今日紹介した旧約聖書の哀歌も大変な困難の中で書かれたものです。しかしこの作者は大きな困難の中にあっても主を待ち望みつつ生きていったようでした。

 この「待つ」というのは一見消極的に見えるかもしれませんね。実は私たちはなかなか待つことができないんです。結論を急ぎすぎて闇雲に焦ってしまうなんていう事もよくありますね。しかしそうした焦りが何も良いものを生み出さないことも経験しているのではないでしょうか。

 「待ち望む」というのは決して諦めることではありません。現状を仕方なく受け入れることでもありません。神様が最善を成し遂げてくださることを信頼し、期待して待つんです。そしてその「待つ」という経験の中で、神様がどれほど慈しみ深いお方で私たちを愛してくださっているかということを知ることができるんです。ただし、待つことは忍耐が必要ですよね。忍耐を学ぶことは私たちの一生のテーマであると思います。

 新約聖書のローマ人への手紙5章3節から(4節に)こんなことばがあります。
 「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す
 と書かれています。
 神様は私たちを成長させるために時々待たせることがあるんです。でも忍耐は私たちに豊かな人生の実を実らせるものになるんだっていうことも知っておいてください。

 旧約聖書イザヤ章30章15節には、
 「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。
 と書かれています。
 私たちにとっての大きな問題は、余りにも待てない、立ち帰って静かにすることができない、ということがあるかもしれません。だからこそ落ち着いて神様に信頼する毎日を送っていきたいですねえ。

 詩篇のことばを最後にお読みします。
 「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。
                     (詩篇 27篇14節)

 (PBA制作「世の光」2017.1.23放送でのお話しより)

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■申命記のモーセの十戒 / 羽鳥頼和

2017年02月25日 | Weblog
2017/1/21放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書の申命記5章からお話しします。

5章で語られているのは有名なモーセの十戒です。十戒が最初に語られたのはシナイ山での麓でした。彼らはそこで神と契約を結んだのです。シナイ山の麓で十戒を聞いた大人たちはみなその後の荒野の旅の途上で死んでいました。申命記で十戒を聞いているのはその次の世代の人々です。

 神はまずこう言われます。
 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」(5章6節)
 まず神がイスラエルの民を救い出されたのです。そして自由とされた民に神は自分のことばに従うように語りかけます。民には自分の意思で神に従うことが求られているのです。

神は民に言われます。
 まず、神と人との関係について。
 「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。 ・・・
  あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。・・・
  安息日を守って、これを聖なる日とせよ。・・・
」(7~15節参照)

 そして次に、人と人との関係について。
 「あなたの父と母を敬え。・・・
  殺してはならない。
  姦淫してはならない。
  盗んではならない。
  あなたの隣人に対し、偽証してはならない。
  あなたの隣人の
ものを欲しがってはならない。・・・」(16~21節参照)

 イスラエルの民は神によって奴隷から解放されました。救いの神は民に自由を与えられました。それは民が自分の意思で喜んで神に従うためだったのです。

 新約聖書のガラテヤ人への手紙5章1節はこう言っています。
 「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
 
 キリストはご自分が十字架で死んで、罪の奴隷であった私たちを解放してくださいました。ですから、自由を与えられた私たちは感謝をもって神に従うのです。神に従うことを最もよく表すのが神への礼拝です。

 明日は日曜日です。キリスト教会では神の救いに感謝して神に礼拝を捧げます。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.1.14放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■新しいいのちに生かされて / 岩井基雄

2017年02月24日 | Weblog
2017/1/20放送

世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第三週の金曜日はマルコの福音書から学んでいます。先月は、キリストの弟子たちが断食を行わないのを見て彼らを裁いたパリサイ人たちにキリストが、花婿の友人は花婿が一緒にいる時には断食を行わない、と語られた箇所から学びました。キリストと共に歩む人生は豊かな喜びに溢れ、悲しみを表現する必要が無いこと、そしてキリストは愚かな私たちを友人として祝宴に招いてくださるという祝福について考えました。そのようにキリストと共に歩むということは、今までとは違う視点で自分を理解し、新しい価値感で輝きの人生を歩むことなのです。

 キリストはこう語られました。
 「だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」 新約聖書 マルコの福音書2章22節

 キリストを信じて従う新しい人生にはいのちが溢れ、新しいぶどう酒のように勢いがあり、古い考え方や固まった枠組みを打ち壊してしまう力があるのです。

 当時、人々から学者と呼ばれたパリサイ人・律法学者たちはキリストの愛の歩み、いのち溢れる言動を理解できませんでした。だからこそ彼らは前回学んだように断食をしないキリストの弟子たちを自分たちの基準や枠組みで裁いたのです。しかしキリストの愛と恵みに生かされる人生は本当の力といのちに満ちるのです。そしてキリストのいのちは私たちにどうしても止められなかった悪習慣を止める力などを与え、人の目や評価を恐れず、どんな中にあっても神の前に正しいこと、愛のわざを行う喜びなどを豊かに与えてくださるのです。神様はあなたをも心から愛しておられます。

 この神の愛とキリストによる救いを自分のものとして受け入れ、生かされ、どんな状況の中をも力強く歩み、人々に愛と恵みを届ける人生へとあなたも進んでいきませんか? 
 新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れるようないのち溢れる人生へとキリストはあなたの人生を内側から造り変えてくださるのです。

   (PBA制作「世の光」2017.1.20放送でのお話しより)

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■神のみわざであることが分かる / 福井 誠

2017年02月23日 | Weblog
2017/1/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神のみわざであることが分かる」です。それでは伝道者の書8章16節、17節から読んでみましょう。

 「私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らずに、地上で行なわれる人の仕事を見ようとしたとき、すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行なわれるみわざを見きわめることはできない。

  どうでしょうか、自分自身の人生を振り返って、今の自分だったらあんな風にはしなかったし、ならなかっただろう、そんなふうに思うことはありませんか? どうも知恵がなかったというか人間として未熟だったというか、そういうことがあるものですね。そういう意味で、伝道者の書は知恵を求めること、知恵あることを良しとしています。

 でも単純に知恵礼賛というわけではないのですね。もっと複雑に人生を捉えていますねえ。というのも、今日取り上げた伝道者の書8章の後半は、人生には知恵も思慮深さも役に立たない不条理性があることを認めています。人間の知恵と思慮深さを欺くような実に虚しい現実が社会にはあります。著者は言います。悪者の行いに対する報いを正しい人がその身に受け、正しい人の行いに対する報いを悪者がその身に受けることがある(、と)。何と真面目に生きることがバカバカしいと思うことがあるものです。

 しかし伝道者は既に、あれもこれも神のなさること、と語っていますし(参照 伝道者の書 7章14節)、ここでも「すべては神のみわざである」と繰り返します。どんなに物事が不条理に動いているように見えようともそれで終わることはない。時があるのだ。神が正しくすべてのことを導いてくださる時が来る、というのが著者の確信です。

 人には限界があり、物事を見通せないからこそ物事を不条理に感じている部分もあります。「人は日の下で行なわれるみわざを見きわめることはできない。」 物事にはそんなところがありますねえ。だから不条理と思われる事柄があっても、そこで腐ってしまうのではなくて、むしろ謙虚に神の働きを信頼しつつ、なすべきことをなす歩みをさせていただきたいものです。

 神は信頼に値するお方です。ぜひ教会へ行って、聖書の話に耳を傾けていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2017.1.19放送でのお話より )

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■悪人の天幕から離れよ / 板倉邦雄

2017年02月22日 | Weblog
207/1/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「悪人の天幕から離れよ」という題でお話ししましょう。

 目の不自由だった私の母は私たち兄弟三人が遊びに行く時、必ずこう言いました。「悪い人が近づいて来たら、黙って逃げるんですよ。」 

 さて、民数記16章の続きです。ところで指導者モーセと祭司アロンに逆らったコラというレビ族出身の人がいましたねえ。その首謀者コラと手を組んだのがルベン族のダタンとアブラムの二人でした。モーセは立ってダタンとアビラムのもとにイスラエルの長老たちと一緒に出かけました。二人の天幕の周りには会衆が集まっていました。モーセは全会衆に向かって言いました。「どうぞあなたがたはこれら悪い人々の天幕を離れてください。彼らの物には何も触れてはなりません。彼らの様々な罪悪によってあなたがたも滅ぼされてはいけないからです。」

 新約聖書にも次のように勧められています。
  「だから、『彼ら(悪人)の間から出て行き、彼らと分離せよ、・・・』」(2コリント6章17節 口語訳聖書)
  「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。」(ヨハネの黙示録18章4節 口語訳聖書)
 コリント人への第二の手紙の6章の17節と黙示録の18章の4節です。

 そこで人々はコラとダタンとアビラム3人の住まいである天幕の周囲から離れ去って行きました。一方、反逆者ダタンとアビラムとは妻や子どもたち幼児と一緒に出てきて自分の天幕の入口に立ったのです。モーセはこれから起こることを反逆者や人々に語りかけました。「これから起こることは主なる神様がなさる事で、自分の心に従って行う者ではないことを次のことによって証明しよう。これらの反逆者たちが普通の死に方で死ぬなら主なる神様が私を遣わしたのではありません。しかし、主なる神様が、地面が口を開いて反逆者たちとそれに所属する人たちをことごとく飲み尽くし生きたまま陰府(よみ)に下らせたならば、あなたがたはこれら反逆者たちが主なる神様を侮辱したのであることを知らなければなりません。」
 
 さて、この続きは来週です。

  (PBA制作「世の光」2017.1.18放送でのお話より )

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■星に導かれて-7 / 大嶋重徳

2017年02月21日 | Weblog
2017/1/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書にはイエス・キリストの誕生の際に東の方からやってきて博士たちの物語が記されています。しかしやっとたどり着いたエルサレムには誰もメシヤを待ち望む信仰者がいませんでした。

 しかし博士たちを導いてきた星の輝きはメシヤの所にまで彼らを導き、「そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。」(マタイ 2章11節)とあります。ベツレヘムの家畜小屋で、汚く動物たちのよだれのついた飼葉おけで寝かせられたキリストでした。何の力もない赤ちゃんの姿でおられたキリストは、人間の持つ根源的な弱さと人間の悪意と罪に取り囲まれながら生まれたのです。そこはエルサレムにあるヘロデ王の建てたとてつもなく美しい神殿とは対極にある場所でした。

 そこで博士たちが出会ったのは、素朴な貧しい信仰者の姿でした。「あなたはメシヤを産むよ」と天使に語りかけられた時、「おことばどおりこの身になりますように。」(ルカ 1章38節)と信仰を持って受け止めた貧しい夫婦の姿がありました。「おことばどおり」と聖書のことばに従い続ける小さな女性の信仰が目の前にあったのです。ここにはヘロデの時代の価値感に生きてはいない自由があったのです。

 そしてこの時、博士たちは知ったのです。ヘロデ王のような強大な権力を手にする所に神の救いがあるのでなく、貧しく痛みと悲しみのただ中で生まれ、神は弱さのただ中にともににいてくださる。この救い主にこそ世界の救いがあるのだと気が付いたのです。

 博士たちはその幼子を見た時に彼らはひれ伏して拝んだとあります。礼拝したのです。そして彼らは宝の箱をあけて黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げました。この黄金、乳香、没薬とはペルシャ地方の占いで用いるものであったと言われています。星占いを生業(なりわい)としていた博士たちの生活に必要な手段でした。しかしここで彼らは今まで自分を支配してきたものからも決別したのです。人生にとって本当に大切なもののために生きることを選びとったのです。

 今日、私たちが大切にしているものはいったい何でしょうか。本当に大切なものは美しく強いところにはないのかもしれませ。そうでなく、あなたのそばにいてくださる神様こそ、あなたの大切なものなのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.1.17放送でのお話しより )

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■主こそ、私の受ける分 / 関根弘興

2017年02月20日 | Weblog
2017/1/16放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 まず聖書のことばをお伝えいたしましょう。
 旧約聖書の哀歌3章22節から24節のことばです。
 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は力強い。 主こそ、私の受ける分です。』

 この哀歌は自分の国が滅ぼされてしまうという絶望的な状況の中で書かれたものです。恵みも憐れみもあったものではない、と言い出してもおかしくないような状況ですよね。しかしこの作者は、人からみたら絶望と思える状況であっても、主の恵みと憐れみは尽きることがないと告白しているんです。

 そして何と「主こそ、私の受ける分です。」とも告白しているんです。このことばはとても不思議なことばですよね。昔イスラエルの民がエジプトで奴隷生活を強いられていた時でした。モーセによってエジプトから脱出することができたんです。でも荒野で40年間さまよっていました。その後、約束の地に入ることができたんです。そしてそれぞれの部族がどこにするかという割当地が定められていきました。しかし主の宮で奉仕する祭司たちやレビ人たちには割当地が与えられませんでした。神様は彼らに、「わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。」(民数記 18章20節)と言われたんですね。神様が割当地であり相続地であるというんです。この哀歌の記者は、このことを思い出したのでしょう、「主こそ、私の受ける分です。」と告白したんです。

 考えてください。今自分の国がバビロニア帝国によって滅ぼされ、すべてを失ってしまいました。しかし、この哀歌の記者は、決して失われることのない誰にも奪われることのない割当地があるではないか、ということを知ったんです。それは主ご自身が神様ご自身が私の受ける分だ、ということなんですねえ。天地を造られた偉大な神様ご自身が私の受けるべき相続財産だ、というとてつもない大胆な告白です。

 この地上の所有地は失われることがあるかもしれません。でも私には決して失われることない神様ご自身の中に生きていけるのだ、という訳です。私たちはいろんなものを失います。でも知ってください。「主こそ、私の受ける分です。」と告白し生きる、そんな幸いな人生があるんです。ですから神様を信頼し歩んで行きましょう。

 (PBA制作「世の光」2017.1.16放送でのお話しより)

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■神の民の組織作り / 羽鳥頼和

2017年02月18日 | Weblog
2017/1/14放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書の申命記の1章からお話しします。

 申命記はモーセを通してイスラエルの人々に語られた神からのメッセージが記されています。まずイスラエルの歴史を振り返っています。1章はホレブの山すなわちシナイ山の麓での出来事が語られています。その時、イスラエルの民は多くなり、もめ事が多くなっていました。モーセはそれを自分一人で負うことはできないので、部族ごとに知恵があり、悟りあり、経験のある人を選んで、頭に任命し、人々がまずその頭に相談するようにさせました。人が共同で行動する時に必ずもめ事、問題が起こります。それに対する正しい対応ができるように組織作りが行われました。

 モーセは頭として立つ人々にこのようにアドバイスしています。
 「さばきをする時、人を偏って見てはならない。身分の低い人にも高い人にも皆同じように聞かなければならない。人を恐れてはならない。さばきは神のものである。あなたがたにとって難しすぎることは私の所に持ってきなさい。私がそれを聞こう。」

 相談事を受けたら、偏見を持たずにきちんとその人たちの話を聞きなさい、というのです。そして人を恐れてはいけない、というのです。これは人によって判断を変えてはいけない、正しい判断をしなさい、ということです。大切なことは、さばきは神のものであるということです。人を見て、あるいは自分勝手な思惑で判断をしてはいけないのです。正しい判断を神に代わって行うのです。ですから、難しい事は神の御心を知ることのできるモーセの所に持ってきなさい、というのです。モーセは頭・リーダーを立てて組織作りをしました。それは一般の組織作りとは違っていました。そこで一番大切だったのは、主権者である神の存在でした。主権者である神のもとにすべての人がいて、神の意思がすべての人に及ぶために組織が作られたのです。

 今のキリスト教会も同じです。神のもとに集められた人々が共に神の意思を知り、神の意思が実現することを期待しているのです。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.1.14放送でのお話より )
 
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■ヨセフの見た夢 / 岩井基雄

2017年02月17日 | Weblog
2017/1/13放送

世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。昨年の第二週の金曜日は旧約聖書に登場するヤコブについて学んできましたが、今年はヤコブの子ども、特にヨセフの生涯から学びたいと願っています。

 ヤコブには12人の息子がいましたが、その中でも愛する妻ラケルの子どもヨセフとベニヤミンを特に大切にしていました。その偏った愛は他の兄弟たちの心を傷つけたのです。ヨセフを妬む兄たちにも問題がなかった訳ではありません。しかし、その兄たちの悪い噂を父に告げ口することもあったヨセフへの憎しみは兄たちの中で更に増し加わっていったのです。そんな中、ヨセフは兄たちや両親までもが自分を崇めるという夢を見ます。それを心の内にしまっておことできなかったヨセフは、あさはかにもその夢の事を彼らに告げてしまいます。その時のことを聖書はこう語っています。

 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。
 「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」
 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。

    旧約聖書 創世記37章10節、11節

 なぜ神はこのように未成熟で思慮に欠けていたヨセフに夢を通して、彼が兄弟や親から崇められるようなこと、そのような夢を見させられたのでしょうか。神様の選びは本当に不思議です。しかし神様は欠けの多い者を敢えて選び、様々な試練の中で訓練し、整え、神様の憐れみの器としてお用いになることができるのです。

 父ヤコブは、その神様の恵みをよく分かっていたからでしょうか、ヨセフが見た夢のことを心に留めるのです。そしてこの後、ヨセフだけではなく兄たちも神の御手の中で整えられていきます。彼は人の思いを越えた神の恵みの御手を先に教えられていたからではないでしょうか。

 聖書のことば
 「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
     新約聖書 コリント第一の手紙1章27節

 自分の弱さを認め、神様の恵みにより、へりくだった心で歩ませていただきましょう。
   (PBA制作「世の光」2017.1.13放送でのお話しより)

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