♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■ささげること / 関根弘興

2017年06月30日 | Weblog
2017/5/26放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今月はキリスト教会で毎週日曜日に行われている礼拝ということについて御一緒に考えています。礼拝は神様に賛美を捧げる時、神様への祈りの時、聖書のことばを聴く時。そして今日は、礼拝とはささげる時ということについてお話しをしたいと思います。

 聖書の中にこんな話が出てきます。ある時、イエス様の話を聞こうとたくさんの群衆が押しかけてきました。イエス様は弟子の一人にこう言われました。
 「どこからかパンを買ってきて、この人々に食べさせようか。」

 するとこの弟子は、「冗談じゃないですよー、こんな大勢の人たちに少しだけ食べさせたとしても大金が必要ですよー。」 こう言うんですねえ。

 すると別の弟子の一人が、「イエス様、イエス様。ここに少年が持ってきた五つのパンと二匹の魚があります。」と差し出したんです。少年が自分の持参していた弁当を弟子たちに差し出したんですねえ。

 イエス様はその少年の差し出したパンを手にとって、何とそれをちぎり、群衆に分け始められました。どう見ても群衆に配れるだけの量ではないのに、何と人々は満腹になり、余ったパン切れが12籠いっぱいになったというんです。一人の少年の小さな捧げるという行為が多くの人を養うことになった、という訳ですねえ。

 この話は何と勇気づけられる出来事でしょう。私たちは時々、こんな小さなものが何になるのだろうか。自分自身を見ても、私なんか何の役に立つだろうか、何の役にも立たないんじゃないか。そんなふうに思ってしまうことがあります。でもイエス様の手に握られていくとき、あなたが何かできるとかできないに関係なく、私たちの思いを超えて、神様は不思議なことをなさることができるんですねえ。

 教会の礼拝は賛美をささげ、祈り、聖書のことを聞き、捧げる時なんです。それはあなた自身の人生を神様の手に委ね、「神様。今週、私の人生はあなたの御手の中にあることを感謝し、精一杯生かして用いてください。」と応答して行く時なんですね。

 そして教会の礼拝では献金の時があります。献金は決して強制ではありません。強いられることは決してありません。感謝を込めてなされるものだからです。捧げて生きることは更に豊かな神様の恵みを味わうことに繋がっていきます。

 どうぞこれを機会に、あなたの近くのキリスト教会に足を運び、礼拝に出席してみてはいかがでしょうか。

 (PBA制作「世の光」2017.5.26放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 -自由への励まし- 12 / 大嶋重徳

2017年06月29日 | Weblog
2017/5/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。

 十戒第二戒には、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」(出エジプト記 20章4節)とあります。

 偶像とは人間が刻む神の像のことです。現代は、あれが無いとまずいですよ、と価値感を強要される偶像化した社会の中を生きているように思います。これらの偶像化した社会の中で語られる語り口は、何のためにそれを用いるのか、ということを考えさせません。それを手に入れることが目的となり、その目的達成をすると次の目的が目の前に現れるのです。そのプロセスには、何のために生きるのかという人生の問いは、こちら偶像提供者が考えるのであなたは考える必要が無い、と言います。そしてあなたは、何のためにそれを用いるのかを考えることなく、それを手に入れることをまず考えなさい、と迫って来るのです。

 言うまでもなく受験勉強はそうだったでしょう。何のために勉強するのかではなく、○○大学の合格を手に入れるならあなたの人生は良くなるでしょう、そして生きる意味・人生の意味を考えている暇があったら勉強しなさい、と言われた訳です。そして大学に入ったら考えようと思っていた大きな人生の問いも、就職できるか?という不安に煽られ、何のために働くのか、という問いなどは問う暇が与えられません。

 そして私たちは、神を神として生きることで与えられる自由や愛や使命や責任の中を生きることよりも、神の国の価値感に生きることよりも、社会が与えて来る価値、人間に万能感を与えてくれる偶像を手に入れることを選び取るようになり、いつの間にか、そのような偶像を自分の心に刻み始めるのです。

 このような生き方は、知らず知らずの内に私たちの中で自由を奪い取っていきます。この偶像的価値感の中で、自分だけがおかしいのではないか?という不安が生まれていきます。

 十戒を与える神様が私たちに求めておられるのは、この偶像的価値感からの解放です。私たちが祈るとき、この偶像ではなく、この世界を造られた神様を思い浮かべます。そしてこの神様の求められているものを静かに求めていくときに、私たちは偶像の束縛から解放されていくことができるのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.5.25放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■主はこう仰せられる / 福井 誠

2017年06月28日 | Weblog


2017/5/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主はこう仰せられる」です。 それではエレミヤ書47章2節をお読みしましょう。
 主はこう仰せられる。「見よ。北から水が上って来て、あふれる流れとなり、地と、それに満ちるもの、町とその住民とにあふれかかる。・・・」

 今日はエレミヤがペリシテに対して預言している箇所です。バビロンが攻め込んだ町は広くパレスチナ全域に渡り、イスラエル人の本拠地エルサレムだけではありませんでした。エジプト国境に近い今のガザ地区からテルアビブ空港の近くヤッホの間の地中海沿岸の平野にはペリシテ人が住み着いていました。パレスチナという名前は実はこのペリシテということばから来ているのですねえ。

 ともあれエレミヤはこのペリシテ人にバビロンの攻撃があることを語り伝えています。おそらくバビロン軍がガザを攻撃したのは紀元前604年の春と考えられています。その時ペリシテはエジプトに援軍を求めましたが、エジプトはこれに応じる力がありませんでした。結局エレミヤがイメージ的に語ったように、バビロンは北から起こる水のように溢れる流れとなってペリシテの地を襲いました。実に溢れ流れる洪水が押し寄せるように、北からバビロン軍が攻めてきて、ペリシテの町々はバビロンによってことごとく壊滅状態に追いやられたのです。それは実に絶望的な預言であり出来事でした。

 ただエレミヤは悲惨な歴史的な出来事を、単なる帝国主義の覇権争いではなく神の裁きの実現として語っているのです。神は正しいお方、悪を許さないお方ですね。けれども大切なのはいつも厳しい神の裁きに必ず神の憐れみも語られていることです。神は私たちに対する深い愛情を持ち、悔い改める者を見捨てることがありません。つまり自業自得のように神の裁きを受け悲惨な結果を身に受けることがあろうとも、命ある限りその人には希望があります。神がなおも生きるようにしてくださった、神がなおも残りの人生を残してくださった、ということには神の大いなる回復と恵みと祝福があるということなのです。命ある限りこの神に期待し、いつでも前向きに物事を考えて歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.5.24放送でのお話より )

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■神の呪わない者を / 板倉邦雄

2017年06月27日 | Weblog
2017/5/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神の呪わない者を」という題でお話ししましょう。

 聖書によりますと、すべての人は神様に似せて作られた価値ある尊い存在である、と言われています。そのような人を呪うということは呪う人が災いに遭うことになります。民数記の23章に入ります。

 さて、山頂に立ってイスラエルの人々が宿営するテントを見た占い師バラムはモアブの王様に言いました。
 「私のために七つの祭壇を築き、7頭の雄牛と7頭の雄羊とを用意してください。」
王様は占い師バラムの言う通りにしました。そして二人は祭壇ごとに雄牛1頭と雄羊1頭を捧げました。それから占い師バラムは王様に言いました。
 「王様。あなた様はこの捧げ物のそばに立っていてください。その間、私は主なる神様のことばを伺いに言って参ります。そして主なる神様が私に示されることは何でもあなたに告げましょう。」

 こうして占い師バラムは一つの岩山へ登っていきました。神様はバラムに会ってくださいました。そして主なる神様はバラムの口にことばを授けてくださったのです。
 「王様の元へ帰って、わたしがあなたの口に授けたことばのみを語りなさい。」

 占い師バラムが王様の元に帰って来るとみると、王様と大臣たちが共に全焼のいけにえの祭壇の傍らに待ちわびて立っていました。そこで占い師バラムは神様から託されたことばを語り始めます。
 「モアブの王様バラクは私を招き寄せて言う。『来て私のためにヤコブ--イスラエル--を呪え』と。神の呪わないものを私がどうして呪えよう。岩の頂きから眺めてみたが、イスラエルは一人離れて住む民だ。諸国の内に並ぶものはない。私は義人のように死に、私の終わりも彼らの終わりのようでありたい。」

 それを聞いた王様はバラムに言いました。
 「あなたは私に何をするのだ。私は敵を呪うためにあなたを招いたのだ。あなたはかえって敵を祝福するばかりじゃないか。」

 占い師バラムは答えました。
 「私は主なる神様が私の口に授られたことばだけを語るように注意しています。」

 私たちも、すべての人を神様が祝福しているのですから、全ての人を祝福すべきであって呪ってはならないのです。

  (PBA制作「世の光」2017.5.23放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■救世軍の創始者ウィリアム・ブース / 岩井基雄

2017年06月26日 | Weblog
2017/5/22放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 第四週の月曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいきたいと思いますが、今日は、貧しい人々に神の愛を届けたウィリアム・ブースについて学んでみましょう。

 1829年、イギリスのノッティンガムに生まれたブースは、極貧の中、13歳の時、父の死を経験します。気丈な母は懸命に働き、一人で三人の子どもを養育します。また母は慈善の心も深く、貧しい人々の施しをいつも忘れませんでした。

 ブースは14才の時、冷やかし半分で入った教会で牧師から聖書のメッセージを聞き、キリストを信じる土台を得ます。翌年、アメリカ人伝道者カーウェィ牧師のメッセージを通し、キリストの愛の大きさに深い感動を覚え、罪を悔い改めてキリストを救い主として信じ受け入れたのです。人生の大転換を迎えたブースは人生を神に委ね、23歳の時に、ある伝道者の娘と結婚します。36歳の時、ブースはロンドン東部のスラム街で神の愛を語る活動に参加しました。そこには失業や孤独、不道徳や貧困、数多くの悲しみが満ちていました。当初、数週間のつもりでしたが、ブースは、罪と貧困に苦しみ救いを最も必要としているこの人々ために自分の人生を捧げたい、と決意したのです。彼は帰ってその事を妻に語り、そのスラム街にとどまって彼らの魂のために自分の生涯を捧げたのです。

 母の姿勢に教えられ、また神の愛とキリストにある救いの喜びに生かされたブースは、生涯を懸けてこの貧しい人々に愛を持って仕え続けたのです。それが救世軍と呼ばれる働きの始まりでした。貧しさの中で苦しむ人々に深く神の愛を届けるこの働きは、世界中に広まり、多くの国の祝福となっていきました。日本にもイギリスからライト大佐一行が派遣され、山室軍平たちが加わり、各地に小隊と言われる教会が開設されていったのです。
 聖書のことば
 (わたしの好む断食は、これではないか。・・・)
飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。
             旧約聖書イザヤ章58章7節、8節

 PBA制作「世の光」2017.5.22放送でのお話しより)

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■神の考えを行ったエステル / 羽鳥頼和

2017年06月24日 | Weblog
2017/5/20放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日はエステル記からお話しします。

 外国に連れて来られたユダヤ人は70年後に祖国に戻ることを許されました。しかし、ユダヤ人の中にはそのまま外国にとどまった人々もいました。その外国の地でユダヤ人のエステルという女性が王の妃となりました。エステルにとっては晴天の霹靂でした。王妃選びは国中にお触れが出て、殆ど強制的に綺麗な娘たちが集められたのでした。

 それから4年後にハマンという人が登場します。彼は王に気に入られ、大出世をしました。王はハマンに全権を委任します。ハマンは自分の命令を王からの勅令として出すことができるようになったのです。そのハマンはユダヤ人を憎んでいました。そして何とハマンはユダヤ人を虐殺する勅令を出してしまったのです。

 エステルは恐れました。しかし、自分が王妃となったことが、この時のためであったのではないかと考えました。確かに王妃なら王に懇願をすることができるでしょう。しかし当時は王への陳情は非常に難しいものでした。勝手に王の前に出て行くだけで殺されてしまうのです。エステルは祈りました。そして王妃となったのは神の計画であり、王に陳情することは神の考えである、と確信したのです。エステルは言いました。「王の所に行きます。それで死ななければならないのなら私は死にます。」( 参照 エステル記 4章16節) 

 エステルが決心すると不思議に道が開けていきました。エステルがハマンと一緒に宴会をすることを王が許したのです。そしてエステルがハマンの悪だくみを王に報告する機会が与えられます。エステルは勇気を出してユダヤ人を助けてくれるように王に懇願します。エステルの懇願を聞いた王はハマンに対して怒りを燃やし、彼の処刑を命じたのでした。こうしてユダヤ人は救われました。

 エステルは神を神として信頼しました。そして神の考えが正しいこと、良いことだと信じたのです。エステルの信仰は行動する勇気となりました。神がエステルに勇気を与えてくださったのです。

 明日は日曜日です。教会に行ってみたいけれど行けない方に神が勇気を与えてくださいますように。

 (PBA制作「世の光」 2017.5.20放送でのお話より )
 
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■聴くこと / 関根弘興

2017年06月23日 | Weblog
2017/5/19放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今月はキリスト教会で毎週日曜日に行われている礼拝ということについて御一緒に考えています。礼拝は賛美を捧げる時、そして神様への祈りの時、というお話をしましたね。今日は礼拝は聖書を通して神様のことばを聴くということなんだということをお話ししたいと思います。

 新約聖書のローマ人への手紙10章17節にこう書かれています。
 「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
 信仰は聞くことから始まるんですねえ。決して何か善行や修行を一所懸命積み重ねることではないんです。そして聖書からキリストについて聞くわけですが、一体キリストの何について聞くのでしょう。

 第一は、キリストが来られた目的を聞くのです。
 イエス・キリストが来られた目的は一体何でしょうか。イエス・キリストは、「失われた人を捜して救うために来た」(ルカ 19章10節)と言われました。イエス・キリストが来られた目的は救いを与えるためなんですね。自分の人生を見失い、どのように歩んで行ったらよいか分からない。まるで羊飼いのいない迷った羊のような一人ひとりを救うために来てくださいました。

 第二に、キリストの語られたことばそのものを聞くのです。イエス様は、「人は、たとい全世界を得ても、魂を損じたら、何の得になるのか。」(参照 マタイ16章26節、マルコ8章36節)と言われました。人の価値の高さを教えられたんですねえ。お互いに愛し合うことの大切さを教えられました。人が生きていく上で最も大切な愛をもって生きることを実践し教えられたんです。ですからこのイエス・キリストの語られたことばそのものを聖書から聞いていくのです。

 そして第三は、キリストのなされたみわざを聞くのです。イエス様は人々を癒し慰められました。しかしイエス様の最後は十字架に磔(はりつけ)にされたのです。でもそこには深い意味がありました。それは私たち一人ひとりの罪をイエス・キリストが身代わりに背負い、私たちの罰を受けてくださったという驚くばかりの愛のみわざだったんです。そしてイエス様は十字架につけられ、三日目に復活し、今も生きておられる、と聖書は教えます。このイエス様があなたのためになされたみわざを聞いていくのですね。

 そしてそれを聞いたら、生きることです。それが信仰の歩みなんです。

 (PBA制作「世の光」2017.5.19放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし- 11 / 大嶋重徳

2017年06月22日 | Weblog
2017/5/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。

 十戒第二戒には、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」(出エジプト記 20章4節)とあります。

 偶像とは人間が刻む神の像のことです。

 ホイエルバッハという人は「宗教は自己の願望の投影だ」と語りました。このことばを受けて、共産主義という思想を生み出したマルクスは「宗教の人民のアヘンだ」と言い、宗教を批判したのです。つまり宗教とは自分の深いところの願望を「神」ということばに言い換えて、自分の置かれている状況を諦め、何か変革する力を喪失させてしまっている状況だ、と批判したのです。更に、何が本当に価値あるものなのか、という問いを宗教は人間から奪い、考える力・生きる力・価値判断を奪うのだ、と考えたのです。

 確かに偶像にはその力があります。偶像を造ることによって偶像の提供する価値感を無批判に受け入れ、考える事をやめてしまうことも人間には起こり得るからです。それは今日にあっても、偶像というような時代の価値観、時代の空気感は私たちから考える事を奪いに来ようとしています。偶像を造り出す側の意図に沿って、私たちはその意図に巻き込まれていくのです。

 この時代は何が本当に価値のあることのかを考えることを奪って来ます。そして人間の生きる価値については私たちが考えてあげるから、あなたはその価値を追い求めることに一所懸命になりなさい、と価値を押し付けて来る社会です。テレビをつければコマーシャルが、この車に乗っていないと本当の幸せには少し足りませんよ、と言ってきます。就職難が続く中では資格を手に入れることが大切です。資格はあなたな人生に安心を与えます。あるいは、もし資格がなかったとしてもこの保険があれば大丈夫です、と人生の漠然とした不安感を煽ってきます。そして偶像は、これさえ手に入れば大丈夫だ、入手した一瞬だけ訪れる安心感を満たしてくれる存在です。しかし満たされた瞬間から即座に、でもあれが足りないのでは、とまたもや不安感を煽って来るのです。そして今一度安心感を満たすために偶像に絡め取られていくということが起こります。

 皆さんの周りにはどんな偶像があるでしょうか。第二戒はこのことを戒め、私たちがそれと対峙しないといけないことを教えてくれるのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.5.18放送でのお話しより )

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■あなたの神、主は、語ったが / 福井 誠

2017年06月21日 | Weblog
2017/5/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたの神、主は、語ったが」です。 それではエレミヤ書40章の1節から3節をお読みしましょう。
 「エレミヤは、バビロンへ引いて行かれるエルサレムとユダの捕囚の民の中で、鎖につながれていた。---- 侍従長はエレミヤを連れ出して、彼に言った。「あなたの神、主は、この所にこのわざわいを下すと語られたが、主はこれを下し、語られたとおりに行なわれた。あなたがたが主に罪を犯して、その御声に聞き従わなかったので、このことがあなたがたに下ったのだ。

 今日は、紀元前586年、神がエレミヤを通して告げられた通りにエルサレムがとうとう陥落してエルサレムの住民がバビロンへと強制移住させられていく場面ですねえ。鎖につながれてバビロンへ曳いていかれるたくさんの捕虜の中にエレミヤもいました。しかし、エレミヤはその途上で釈放され自由の身になります。神のことばに従ってバビロンに降伏するように勧めたエレミヤはバビロンの侍従長の好意を得て特別に扱われるのです。

 しかしエレミヤはユダの地に残ることを決めていく、そんな場面ですね。バビロンへ連れて行かれた捕虜たちは実は優秀な人たちでした。官僚のような頭の良い人達、また鍛冶屋など技術のあった人たちで、バビロンの国に役立つ人ばかりであったのです。そして箸にも棒にもかからぬと思われた、いわゆる価値が無いとみなされた人たちはさんざん破壊された廃墟のエルサレムに残され、捨て去られました。エレミヤはそうした見捨てられた人たちと共に生きることを望んだのですね。

 私には居残りを決めたエレミヤに対するバビロンの侍従長メブザル・アダンのことばも非常に興味深いです。というのもこの侍従長、エレミヤの神の存在を認め、神が語られた通りのことが起こっている、と証言していますねえ。更に、同胞の敵視の中、主のことばに忠実に生き、神のことばを証しし続けたエレミヤに敬意を表しています。エレミヤは敵に味方した訳でも何の報酬を期待した訳でもありません。ただ不器用に主のことばに従っただけでした。しかしそれによって敵も神のことばの正しさを認めたのです。神のことばを伝えるには、ことばの巧みさではなく、主のことばへの誠実さが大切なのだと覚えたいものです。

(PBA制作「世の光」2017.5.17放送でのお話より )

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■ただ神の言(ことば)を語る / 板倉邦雄

2017年06月20日 | Weblog
2017/5/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「ただ神の言(ことば)を語る」という題でお話ししましょう。

 ことばというものは実に不思議です。赤ちゃんの時からことばの中で生き、成長して行きますね。そしてことばは私たちの人格を形成していくのです。私たちは「パンだけで生きる者ではなく、神のことばによって生きる者」なのです。

 さてモアブの王様バラクは占い師バラムが来たと聞いて町まで出て行ってバラムを迎えました。そして占い師バラムに言いました。「私が人を遣わしてあなたを招いた時、どうしてすぐにきてくださらなかったのじゃ。」

 占い師バラムは答えました。「見ての通り、私ははるばる遠くからあなたの所へやってきました。しかし今、何事かを自分から言うことはできません。私はただ神が私の口に授けられることばを語らなくてはなりません。」

 モアブの王様の占い師バラムへのリクエストは何だったでしょうか。それは、イスラエルの人々を呪ってくれ、というものでしたねえ。しかし神様は、イスラエルの人々は祝福されている民族だから呪ってはならない、呪うためにモアブに行くな、という命令を占い師バラムに与えました。しかしバラムがしきりに行きたがるので、神は一つの条件をつけて許しました。それは「わたしが告げることばのみを語らなければならない。」 
 こうして占い師バラムはモアブの王様と一緒に行き、王様はバラムを連れて近くの山頂まで登りました。そこからイスラエルの人々が宿営するテントの数々を眺めさせるためだったのです。

 占い師バラムの呪いのことばがどれほど人々に深く影響するか、モアブの王様は良く知っていました。占いと呪いのことばが相手の人の人格形成に傷を与えることも、相手の人を病気にさせ遂には死にまでも至らせるか、ということばの力も分っていました。

 祝福の神様のことばから離れて独り歩きすることばの魔力を私たちも知っています。私たちは神様と結びついた祝福のことばを語りたいですね。
 
 聖書のことばです。
 ヨハネの福音書
  「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
   ヨハネの福音書1章1章

  (PBA制作「世の光」2017.5.16放送でのお話より )

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