♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■命の情報

2006年02月28日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興(せきねひろおき)です。今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。

 私たちは情報社会の中に生きています。でも、あまりにもたくさんの情報に混乱することもありますね。ま、さまざまな情報を私たちは取捨選択しながら生きている訳です。でも見逃すと大変な情報もありますよねえ。例えば、津波が来るから非難してくださいと速報で流れたらあなたはどうしますか? その情報通りに避難するでしょう。台風のシーズンになれば台風情報を見てその日の行動を考えるでしょう。ま、私たちは情報を選択しながら行動している訳ですねえ。ましてそれが生活に関わり、命に関わるとなれば、その情報に真剣に耳を傾けるはずです。

 さて聖書は、私たちがどのように人生を歩んでいくべきか、そうしたことを記した情報が満載されている書物なんです。それは救いに関する情報もあれば、人生の警告を与えるそんな情報もあります。また、人としてどう生きていくべきなのかという指針もある訳です。

 聖書はまず、この世界を創造された唯一の神様がおられることを私たちに伝えています。聖書の始めを開くと、「初めに、神が天と地を創造した。」と書かれているんです。それはまるで新聞の大見出しのようですよね。聖書は神様がいるとかいないとか、そんな議論はしないんです。もう始から、天地を創造された神様がおられることを伝えているんです。天地を創造された神様がいるとうその情報は、私たちの人生にどういうことをもたらすんでしょう。それはあなたという存在は決して偶然に存在しているんではないということを意味しているんです。そしてそれは、人生には意味や目的がちゃんとあるのだよということに繋がる大切な情報なんですね。

 そして何と、あなたはこの神様に愛されていると聖書は伝えているんです。聖書の中に「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と記されているんです。これは何と驚くべき情報でしょう。あなたという大切な存在が滅びに向かう空しい人生ではなく、永遠のいのちを持ち生きる人生を熱烈に願う神様がいてくださる。そう聖書は教えているんです。

 この聖書の救いの情報をあなたは受け入れ歩んでいきますか? それとも見過ごされますか?

 (PBA制作「世の光」2006.02.28放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
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■春は必ずやってくる

2006年02月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー私はこの間久しぶりで山形県に行ったんですが、すごい雪で、私は青森県と山形県で育ちましたので、いわゆる雪国で育ちましたので、雪には驚かないつもりなんですけれども、しばらくぶりに見るとワーすごいなあって、この中で生活するの大変だなあって。そしてひどい所なんかは背丈を超えるほどまあ雪をこう積み上げている所があったりしてですね、一体この雪ほんとに溶けるんだろうかと思うようなことがあるんですよね。

 えー、そんな雪を見ながら、内村鑑三のこんな詩を思い起こしておりました。

 「 春は来たりつつある
   雪は降りつつある しかし春は来たりつつある
   寒さは強くある しかし春は来たりつつある
   春は来たりつつある 春は来たりつつある
   雪の降るにもかかわらず
   寒さの強きにもかかわらず
   春は来たりつつある
   慰めよ
   苦しめる友よ
   汝の悩み 多きにもかかわらず
   汝の痛み 強きにもかかわらず
   春は汝にもまた来たりつつある      」

 というこういうことばですねえ。

 えー、毎日の生活の中で本当に心も凍るような寒さを感ずる様々な困難や苦しみに出会っておられる方、そういう中で今呻吟して呻(うめ)くようにして生活していらっしゃる方々もおられるかもしれません。一体この問題はいつ解決するんだろうか、いつ無くなるんだろうかというようなそういう思いを持ってしまうような状況の中に生きてらっしゃる方もおられるかもしれませんけれども、この内村鑑三という人がですね、「慰めよ 苦しめる友よ」と言って、どんなに苦しくっても辛くてもやがてきっと春は来るというその期待をもって頑張ってというふうなその歌ですねえ。

 聖書の中にも「希望は失望に終わることがない」(ローマ人への手紙5章5節)っていうことばがありますけれども、そして「神に望みを置きなさい」っていうことばが詩篇(146:5参照、口語訳78:7参照)の中にありますが、私の周りの状況を見る時に全然希望が無いようであっても、活けるまことの神に希望を置いて必ず春がやって来ると信じて頑張って欲しいなと、そう思うんですねえ。

 
 ( PBA制作「世の光」2006.02.27放送でのお話しより )


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■みことばのとおりに私を生かしてください

2006年02月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は皆さまからの「心に残る聖書のことば」の御紹介です。東京都三鷹市のなかじまさんから、旧約聖書詩篇119篇107節のことばを頂きました。
 「私はひどく悩んでいます。主よ。みことばのとおりに私を生かしてください。

「 聖書は神が私たちに書き記してくださった至高・至上のメッセージです。それは時には私たちを包む愛のことばであり、時には私たちを励ます、諭すことばでもあります。言い換えれば生き悩む私たちの足下を照らす光であり、弱い私たちに力を与える活ける泉であります。私たちは皆、それぞれに生きる喜びと共に、生きる悲しみや悩みまた試練を抱えながら現世の生活を送っております。その悲しみ・悩みを神様の方に持ち出して祈る時に、神様はどのように答えてくださるのか、神様の下さる愛と慰めと励ましのことばは、その時その時場合によって違うでしょう。受け取る神様のことばは一人一人に受け取り方も 違うかもしれません。どのように、どのような場合に、どのような聖句・聖書のことばが私たちを救ったのでしょうか。こんど私たちの教会で出した文集は皆さんに与えられた心に残る聖書のことばを集めたものだと聞いています。私はそれを読んで、神様は私たち一人一人にどんなおことばをくださるのか、また一人一人がどのようにそれぞれの聖書のことばを受け留めていくのか、読ませていただくのが楽しみです。日々新しく与えられる一巻の聖書の中にぎっしりと神の力と愛と慰めと励ましのことばが詰まっているのは本当に否定できない現実です。私も歳をとりましたが、私の実感しているみことばです。 」

 なかじまさんの心に残る聖書のことば。
私はひどく悩んでいます。主よ。みことばのとおりに私を生かしてください。」旧約聖書詩篇119篇107節のことばです。

 ではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.02.25放送でのお話しより )

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■心の持ち方

2006年02月24日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は心豊かに生きるというのは具体的にどういうことかということについてお話しします。物が豊かになりましてから、豊かな心をということがずうっと言われてきました。それは具体的にどういう心、どういう心の持ち方なんでしょうか。

 旧約聖書の箴言、箴言は知恵の書とも言われますが、その中で、豊かな心というのはそれは陽気な心だと言っています。「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。」(箴言17章22節)って言うんですね。ま、陽気な心、明るい心は心だけでなく体の健康にも良いって言うのです。確かに笑いっていうのはまあ病気を癒す力がある。笑いの治療なんても最近言われますね。ま、そんな医学的な説明が何にもない今から三千年前にも旧約聖書では、陽気な心それは心豊かにするだけではなく体のためにもいいのだ、逆に陰気な心は大変生活やその心も枯れさせてしまうって言うんですね。

 また同じこの箴言の中に、豊かな心はおおらかな心だとも言っています。「おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。」(箴言11章25節)って言うんですね。ま、心のおおらかさ、それは自分を豊かにし、人をも豊かにし、潤すと言うんですね。確かに小さなことでイライラしたり腹を立てたりすると、本当にこう心が狭くなってしまいますね。ま、大きくこういうものを包み込んでいく心、それが大切だって言うんです。

 最後にもう一つ。優しい心、思いやりの心、それは自分を幸いにし、豊かにするって言うんですね。何か不思議な気もします。困っている人とか悲しんでいる人を思いやる、優しくする。それは相手のためのようですけれども、それもあるでしょう、でも自分の心を豊かにするって言うんです。

 どうしたらそんな陽気な心、おおらかな心、優しい心を持っていけるんでしょうか。新約聖書には、「キリストの心を心としなさい」(ピリピ人への手紙2章5節文語訳参照)、また、「キリストのことばを心の中に貯えなさい」(コロサイ 3章16節参照)って言っています。イエス・キリストにある愛と優しさと寛容と明るさ・喜びが神によって与えられている。だからそのキリストを心の中にしっかりと信じ、共に生きていくっていうことなんです。
 
(PBA制作「世の光」2006.02.24放送でのお話しより )




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■心で生きる

2006年02月23日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。

 ノンフィクション作家の柳田邦男さんの著書にですね、『言葉の力、生きる力』っていう本があるんですが、その中に頚椎損傷の大怪我をして首から下を麻痺してしまった星野富弘さんのことが書かれていました。星野さんは絶望の淵でキリストに出会い、かつて死にたいと自分の舌を噛んだ口で今は絵筆を加えて詩と絵を描いているんですね。柳田邦男さんはその本の中で星野さんのことについてこんなふうに言ってらっしゃいます。

「心が体の分まで生きる時、心は言葉に魂を投影させる。だからそのことばは命の響きを持つのだ。人は体が不自由になった時、心で生きる。人は体が動かなくなった時、心で世界を見る。」

 柳田さんは星野富弘さんの詩画集を折々に開いては絵筆が辿った後をゆっくりと追い、ことばを一行づつ区切って静かに音読するという読み方をしていらっしゃったそうです。「星野さんの詩と絵が多くの人を捕らえるのは星野さんの魂が解き放たれ自由に飛翔し、重力の重圧感を感じさせないからだろう。がんばらなくていいのを知った魂。」 このように締めくくっていらっしゃいました。

 星野さんは9年という長い年月、病院に入院していましたが、一向に良くならないまま家に帰らせられました。入院中、大学時代の先輩から聖書を贈られましたが、その聖書は長い間ほおっておかれたようです。しかし星野さんの心に響いたイエス・キリストのことばがあったのです。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」新約聖書のマタイによる福音書の11章28節に書かれているキリストのことばです。

 星野さんはこの時、「イエス・キリストという人が私を抱き上げてくれるような気がしたのです」と言っています。絶望の淵からキリストに任せて生きる人生が始まったんですねえ。ここに柳田さんの言う魂の自由、生きる重圧感からの解放をつかんだのではないかと思われます。がんばらなくてもいいんだ。そんな生き方が始まったのではないでしょうか。

 イエス・キリストの招きは星野富弘さんだけのためではなく、あなたのためでもあることを知っていただきたいのです。がんばらなくてもいいんだ。このキリストが私を背負って生きてくださるんだ。このキリストと共に私が生きていくんだ。そこにですね重力の重圧感を感じさせないあなたの今日一日が始まるのではないでしょうか。


  (PBA制作「世の光」2006.02.23放送でのお話しより )

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コメント (1)
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■主は正しい者の祈りをきかれる

2006年02月22日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。さあ今日の世の光はまず皆様からのお便りの紹介です。お名前も御住所もない方からのメールです。

 主の御名を讃美します。愚かなことを繰り返してしまう自分が惨めです。また主に対して罪を犯しました。不品行です。私は本当に罪人です。惨めな人間です。お祈りしていただければ幸いです。

 名無しのこのゴンベイさんの為に私はお祈りしました。ただ一言だけ加えて聖書のことばをお読みしましょう。

 「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」新約聖書のヨハネの手紙第一 1章9節のことばです。

 さあ、今日の神の知恵のことばです。旧約聖書箴言は知恵の書と言われていますが、今日は15章29節のことばです。
 「主は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。

 私たちの神への祈りは聞かれるのでしょうか。ダビデは言います。「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」詩篇66篇18節。 またヤコブは申します。「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」ヤコブの手紙5章16節です。

 心の中に背いた心、砕かれない固い頑固な、神様を寄せつけないような心のままで祈ってもこの祈りは力弱く神に届かず、神は答えられません。神様に砕け切って、悔い改めて祈る、いわゆる義人の祈りは力強く、神に聞かれるのです。悔い改めて神を信じ、キリストの十字架を信じた人の祈りはどんなにかすかでも神は聞いて、分かって、答えてくださいます。今日の紹介したメールの方の祈りは、十字架の血潮の前に聞かれる、また赦されるのです。

 今日の神の知恵のことば。
主は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。」旧約聖書箴言15章29節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2006.02.22放送でのお話しより)

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■漂流しないために

2006年02月21日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興(せきねひろおき)です。今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日は最初に聖書のことばを紹介いたしましょう。新約聖書ヘブル人への手紙2章の1節。「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。

 しばらく前ですが、近くの湖でボートを借りて釣りに出かけました。ま、とても穏やかな良い天気でした。でもあまり魚が釣れないので、ま、ボートの中で昼寝をしてしまったんですね。ま、心地良く揺られるものですからしばらく寝てしまいました。すると目をあけてびっくり。あたりの景色が変わっているんですよ。ま、知らないうちにだいぶ沖に流されていってしまったんですね。私は錨・アンカーを湖の底までちゃんと降ろしたつもりだったんですけれどもボートのフックの所にロープがかかっていてちゃんと底までついていなかったんですね。強風が吹いていた訳ではないのに静かに風に流されてしまったんですね。ま、知らず知らずの うちに押し流されてしまった訳です。でも私たちの人生にも似たような事ってありますよね。しっかり錨を降ろしていなければ知らず知らずのうちに流されてしまうということです。

 今日紹介した聖書の箇所には「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。」とあります。ここで言われている「心に留めて」とは、あの舟の錨を降ろすという意味があるそうです。そして押し流されるということば、これはですね、もともとの言語では漂流してしまうという時に使われることばだそうです。ですからここで大切なことは、どこに人生の錨を降ろすかということなんですね。今日紹介した聖書の箇所には、私たちは聞いたことにしっかり錨を降ろしましょうって書かれているんです。

 さて私たちが聞いたことっていったい何でしょうねえ。「それは関根さん、たくさんのことを今までいろんな所で聞きましたよお」って言われそうですが、でもここで言っている「私たちが聞いたこと」とは、イエス・キリストが救い主として来てくださり、私たちの罪のために十字架に死んでくださったこと、そして三日目に復活されたこと、そして信じる者に赦しと永遠のいのちを与えてくださること、イエス・キリストを信じる一人一人に、イエス・キリストはいつも一緒にいてくださるという約束、そのことを聞いたということなんです。ですからそれは聖書から聞いたことと言っても同じなんですね。私たちの人生が漂流しないために錨を しっかり降ろさなければなりません。その降ろす場所は、決して変わることのない聖書の約束のことばなんです。

 (PBA制作「世の光」2006.02.21放送でのお話しより )

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■雪割草

2006年02月20日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、私は少年時代を雪国で過ごしましたが、今のように暖房の施設が良く整っているという時代でもありませんでしたし、本当に冬は寒いなあ、早く春がやって来ないかなあ、というふうな思いをよく持っていたものですけども・・・えー、その雪がですね少しづつ溶けていって、そしてまだ雪は残っているんですけれどもその雪を破るようにして芽を出す花があるんですねえ。花とは言わないんですけども、それは雪割草(ゆきわりそう)って、まさに雪を割って芽を出してくる。それを見た時のこう感動と言いましょうかね、いやあすごいなあ!っていう、そのいのちのたくましさと言いましょうかね。そしてやがて本当に春が来るぞということを私たちに先駆けて伝えてくれる、まさに希望の花ですねえ。で、その花ことば。実は希望というその花ことばを持つ花は、桜でもなければバラでもなければ、この雪割草だってことを知ってですね、なるほどなあって納得しましたねえ。

 で、聖書の中にこういうことばがありますけども、「患難が忍耐を生み出し 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。」(ローマ人への手紙5章3節-5節)というこのことばですねえ。そして、「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ人への手紙5章5節)というふうに書いてあってですね、患難が嬉しい訳はない。パウロは、私は患難をも喜んでいる、とこう言いましたけども、「患難をも」ってこう言っててですね、別に患難が大好きっていう訳ではなくって、本当は嬉しくないはずの患難でさえも喜ぶことができるんだって、それは患難でなければ生み出せない忍耐があるんだ。やがてそれは希望に繋がっていくんだ。そしてその希望は失望に終わることがないんだというふうにこう繋がっていく訳なんですけれども。

 私たちもどうしてこんな患難、どうしてこんな冷たい日が続くんだろう、寒い日が続くんだろうというふうに思えるようなことがあったりする訳なんですけれども、しかしながらこの患難も、この寒さも、この冷たさも、無駄ではない。ここから必ず希望は生まれてくるのだというようにようにですね、その雪を割って芽を出すように、私たちにその患難の中から神様の愛によって希望という芽を出させて下さる。そのことを信じながら日々歩みたい。そう思います。
 ( PBA制作「世の光」2006.02.20放送でのお話しより )


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■自分の罪を言い表わすなら

2006年02月18日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。徳島県徳島市にお住まいの伊勢さんは新約聖書ヨハネの手紙第一1章9節のことばをお寄せくださいました。
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 私は1996年7月12日にこの聖書のことばによってイエス様と共に歩む生涯をスタートしました。心より感謝しております。それ以来私は生きていると実感できるようになりました。草木や花の美しさを新鮮に感じました。イエス様は、迷える羊である私を救ってくださったのです。十字架の代価を払って私を救ってくださったのです。幼い頃は母に連れられて日曜学校に行きましたが、社会人となったある時から自分が神様から遠く離れていると感じるようになりました。しかしやがて聖書を読みたいと思うようになり、教会の先生を知り、聖書を一から学ぶ機会が与えられました。そこで知り体験したことは、自分の罪、イエス様の十字架、神の愛だったのです。涙ながらに自分の罪を告白し、イエス様の十字架を信じて赦されたのです。そして今まで自分一人で生きてきたのではなく、多くの人々の祈りに支えられてきたということを改めて自覚しました。私にいのちと希望を与えてくださったイエス様に感謝します。罪悪が満ちている時代に、また多くの人々が不安の内に夜を送るこの時代に神の子となった喜びは何にも代えることができません。宝です。毎日、心の一新によって自分を新しくしていただきながら歩いています。

伊勢さんの心に残る聖書のことば。
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」ヨハネの手紙第一1章9節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.02.18放送でのお話しより )

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■人生を喜び、楽しむコツ

2006年02月17日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は、くよくよしないで喜び楽しんで生活するコツということについてお話しします。現実はそうはいかない訳ですね。悲しい事や辛い事、苦しい事の方がむしろ多いのではないでしょうか。

 旧約聖書の伝道者の書の中にこんなふうに言っています。「空の空。すべては空だ。・・・一生の労苦と思い煩いは人に何になろう。その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがある。その心は夜も休まらない。これもまた空しい。」(伝道者の書1章2節、2章12節参照)って、何か日本の方丈記のような言い方といいましょうか、考え方、実感ですね。そんな意味もあってか多くの日本人が好んで読む旧約聖書の伝道者の書です。

 でも同じこの伝道者の書に、実はそういう空しい辛い人生の中で私たちは喜びや楽しみを持つこと、それはこの世だけを見ていたのでは無理だ。人の心には永遠を思う思いか与えられたんだ。だから永遠を、永遠なる神を思う・知る、そこでこの世への見方・考え方も変わってくるって言うんですね。

 同じこの伝道者の書の5章の19節、20節という所にはこんなふうに言っています。「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」と言うのです。

 実はこの世の中には悲しみや苦しみもいっぱいある。でもそういうことをも実は喜ぶことができるように神様が、それを喜ぶ力・心を与えてくださっているんだ。富や財を与えてそれを楽しむように苦しみや悲しみをもそれを乗り越える力、いいえそれを乗り越えさせことのできる神様がおられる、してくださるんだ。それは賜物として神様から与えられるんだ。そう思う、そういう人生観、いえ経験をしていくと、一生涯くよくよしない。心が喜びと楽しみで満たされていくって言うんですね。そんな生き方、歩んでいきたいですね。
 
(PBA制作「世の光」2006.02.17放送でのお話しより )




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