♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■イエスを埋葬した人々 / 羽鳥頼和

2013年03月30日 | Weblog
2013/3/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今週はイースター・スペシャルをお届けしています。今日は十字架に架かられて死なれたイエス・キリストを埋葬した人々のことをお話しします。

 まず最初の人はヨセフです。彼はユダヤ人議会の議員でした。この議会はイエスを死刑にすることを決定した所です。議員の殆どがイエスを殺そうと考えていたのです。その議会の議員であるヨセフは他の議員たちの考えに同意していませんでした。その上そのイエスの埋葬を申し出るということは非常に勇気が必要だったでしょう。聖書で彼のことを議員の一人で立派な正しい人であったと語っています。そして聖書は彼が神の国を待ち望んでいたとも語っています。イエス様は人々に「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ 1章15節参照)と語っていました。きっとヨセフはこのイエス様のことばを聞き、このイエスの教えに興味関心を強く持っていたのでしょう。他の議員の反発を顧みずにイエス様の埋葬を決断した彼の心は興味関心以上にイエス・キリストへの大きな期待があったのかもしれません。

 イエスの埋葬に関わったもうひと組の人々がいました。それは過越しの祭りのためにガリラヤ地方からイエス様と一緒にエルサレムにやってきた女の人たちでした。彼女達はヨセフについて行って、墓とイエスの身体の収められる様子を見届けると遺体に塗る香料と香油を用意しました。

 三日後にイエス様はよみがえられました。イエス様のよみがえりは今日登場した人々が持っていたであろう大きな悲しみそして失望に対して大きな驚きと大きな喜びを与えます。そして神様の約束してくださった救いが本当に与えられるという確信を与えるものでした。

 イエス様は言われていました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」 (ヨハネ 11章25節)

 イエス様がよみがえられたことを知った人はこのイエスのことばを信じることができました。そしてイエス様を信じるなら自分にまことのいのちが与えられることを確信することができたのです。

 あなたも十字架に死んでしかし三日後によみがえられたイエス・キリストのことを心に留めてください。

 明日はおよそ二千年前にイエス・キリストがよみがえられた日です。教会ではイエス・キリストのよみがえりを覚えて礼拝が行われます。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.3.30放送でのお話より )

 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■真理であり、いのちである方 / 岩井基雄

2013年03月29日 | Weblog
2013/3/29放送

世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。イエス・キリストは死刑に相当する罪などまったくなかったにもかかわらず、不当な裁判を受けました。当時ローマの支配下にあったイスラエルは、死刑の執行にローマの許可が必要でした。ユダヤ側の裁判では有効であった神への冒涜という罪はローマ側では死刑の理由にならなかったのでユダヤの当局者たちはイエスを自分を王だと主張する政治的犯罪者としてローマ総督のポンテオ・ピラトに訴えたです。

 「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」(ヨハネ 18章33節)と尋ねたピラトに対しイエスは、「わたしの国はこの世のものではない。」(ヨハネ 18章36節参照)と答え、更に「わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来た」(ヨハネ 18章37節)と言いました。

 地上のことだけに心を向けるピラトはイエスの意味する真理ということばが理解できません。しかしローマの権威にも動じることなく冷静で威厳に満ちたこのイエス・キリストの姿はピラトに脅威を与えるものだったのかもしれませんね。裁く側のピラトが真理を証しするキリストに裁かれているようにさえ思えたことでしょう。

 ピラトはキリストに「真理とは何ですか。」(ヨハネ 18章38節)と尋ね、「イエスには罪を認められない!」(ヨハネ 18章38節参照)と宣言します。そして何とかしてキリストを釈放しようと努めますが、その思惑はことごとく失敗し、イエスを無罪とすることはローマ皇帝への反逆だとまで迫られたピラトは、遂にキリストを(十字架につけるために)ユダヤの当局者たちに引き渡し(ヨハネ 19章16節参照)、自分は無関係であると逃げるのです。

 このように神の前の真理に立つことができなかったピラトですが、私たちも彼を笑うことはできません。私たちも人を恐れ、自分の立場を守ろうとし、真理を求めながらもそれを行うことができない罪ある存在だだからです。しかしイエス・キリストは真理を行うことができない私たちの罪を赦し、命を与えるために十字架へとまっすぐに向かわれました。そして私たちに代わってすべての罪のさばきを受け、私たちに救いの道、真理と命の道を開かれたのです。イエスはあなたにも語られます。
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ 14章6節)
 
 あなたも信じてあり命であるイエス・キリストを通して神のもとに帰る者とされませんか?

(PBA制作「世の光」2013.3.29放送でのお話しより)
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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■ゲッセマネの祈り    / 福井 誠

2013年03月28日 | Weblog
2013/3/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「ゲッセマネの祈り」です。それではマタイの福音書26章39節から読んでみましょう。

 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」

 弟子たちとの最後の晩餐を終えてイエスはエルサレムの町を出てオリーブ山へ出かけられました。そのふもとにはゲッセマネと呼ばれる園があり、イエスはこの園を好んで祈りの場所としていたようです。ゲッセマネはヘブル語で「絞る」という意味の「ガス」と「油」を意味する「シェマーネ(シェメン)」の合成語で、「油絞り」を意味したと言います。実際そこにはオリーブの木があり、オリーブ油を絞る作業場があり、自然にそのように呼ばれるようになったのでしょう。ともあれ、この日イエスは特別な祈りをなさいました。

 「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。

 イエスは度々ご自分が十字架にかかることを予告されて来ました。つまりここでいう杯は十字架のことです。イエスは「十字架を過ぎさらせてください」と祈ったのです。それは十字架がイエスにとって大変大きな試練であったということですね。既にイエスはご自分が十字架にかかられる意味について、それは全人類の身代わりとなって神のさばきを受け、全人類の罪が赦されるためなのだと説明されて来ています。しかし実際に自ら語った通り、十字架の道を突き進み、自らのいのちを神に捧げることは苦渋の試練に他なりませんでした。

 イエスは祈っています。
 「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。

 イエスは神の御心がなされるように祈り、そして従いました。そのようなイエスの従順があったからこそ今私たちは罪を赦され、神を「父よ」と呼び祈ることも許されているのです。イエスの十字架の故に、神の呪いではなく祝福を受ける者とされた、信じる者に対する祝福があなたにもあるのです。

(PBA制作「世の光」2013.3.28放送でのお話より )

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■契約の血 / 板倉邦雄

2013年03月27日 | Weblog
2013/3/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「契約の血」という題でお話ししましょう。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが描きました『最後の晩餐』の絵は有名です。イエス・キリストが十字架の死を目前にしまして愛する弟子たちと最後の晩餐をした時の様子が描かれています。その時イエス様が弟子たちに残したことばをまず紹介しましょう。

 「また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」マタイによる福音書 26章 27節、28節

 「わたしの契約の血である」・・・ 一つの杯を回し飲みながら弟子たちは何のことを言われているのかさっぱり分からなかったでしょう。彼らは契約の血については子どもの頃から経験的にわかっていました。「初めの契約」と言われ一般的には「古い契約」と言われている旧約聖書には動物が屠られてその血が流されることによって私たちの罪が赦されたからです。そして神と和解することができました。血を流すことなしに罪の赦しはなかったのです(ヘブル人への手紙 9章 18節、22節参照)。

 なぜ私たちの罪が動物の身代わりの死によって流される血を要求したのでしょうか。それは「命は血の中にあるからである。・・・いのちとして贖いをするのは血である。」と旧約聖書のレビ記の17章(11節)にあります。私たちの罪は誇りや欠点、弱さというものではなく、罪は私たちのいのちを要求するものなのです。ですから、初めの契約において私たちの罪の赦しのために、すなわち私たちのいのちを贖いうために動物のいのちが身代わりになって血を流したのです。

 ですから「わたしの契約の血」とは動物の身代わりの死による血の注ぎではないのです。神の独り子イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなって罪の赦しのために十字架にかかり血を流してくださったのです。私たちの血液が栄養分を運ぶ細胞を新しくしていきます。また老廃物や毒素を排出することによって、私たちのいのちを支えます。同様にキリストの契約の血は私たちの良心を清め、死んだ行いを取り除き、生ける神様に繋がって永遠のいのちを私たちに与えてくださるのです。

 聖書のことば

 「あなたがたは、(血の)代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」 第一コリント人の手紙6章20節 (口語訳聖書)

( PBA制作「世の光」2013.3.27放送でのお話より )

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■神のものは神に / 山中直義

2013年03月26日 | Weblog
2013/3/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。今週はイースター・スペシャルとしてイエス・キリストの十字架と復活に焦点を当ててメッセージをお届けしています。

 十字架の死を目前にしながらもイエス・キリストは心を込めて人々と向き合い、救いのメッセージを語り続けておられました。ところが人々はこのイエス・キリストと誠実に向き合おうとはせず、口先のことばで罠にかけ退けようとしたと言います。宗教指導者、政治的な指導者たちが共謀し、イエスのもとに訪れてこう言いました。

カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」(マルコの福音書12章14節、参照マタイ 22:17、参照ルカ 20:22)

 危険な質問でした。もしローマ皇帝カイザルに「税金を納めるべきだ」と答えればローマの重税に苦しんでいたユダヤ人たちの激しい怒りを買うことになります。しかし「納めるべきではない」と答えれば、ローマの役人たちに捕えられてしまいます。この危険な問いに対してイエスは彼らが驚嘆して黙らざるを得ないお答えをなさった、と言います。

カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(マルコの福音書12章17節、参照マタイ 22:21 、参照ルカ 20:25) 

 人は神に造られ、神と共に歩み神を喜び楽しむためにこそ造られた、と聖書は教えています。目先の金銭やちっぽけな面子(メンツ)や口先のことばよりももっと大切なことがあるはずだ。あなたの魂が本当に神に立ち返っているかどうか、本当に神のものとされて神と共に歩んでいるかどうか、その事にこそ誠実に向き合うべきではないか。主イエスはそう言われたのでした。

 「神のものは神に」 私たちが本当に神のものとされ神と共に歩むために、実にそのためにこそイエス・キリストはこの世に来られた、と聖書は言います。目先の事柄に目を奪われ、口先のことばだけで神を退けてしまう私たちを救うために、神のもの・神の最愛の独り子であるイエス・キリストは、ご自分のいのちを救いの代価としてお与えくださったのです。

 心を込めてあなたと向き合いあなたを救うために十字架におかかりくださったイエス・キリストにどうぞあなたも誠実に向き合ってくださいますように。

 次の日曜日、ぜひお近くのキリスト教会にお越しください。

(PBA制作「世の光」2013.3.26放送でのお話しより )

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■エルサレム入城 / 関根弘興

2013年03月25日 | Weblog
2013/3/25放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日からイエス・キリストの生涯の最後の一週間の出来事をお話しいたします。その一週間のスタートはイエス・キリストがエルサレムに入られるその出来事から始まっています。

 それはユダヤ最大の祭り・過ぎ越しの祭りの時期でした。このお祭りが近づくと大勢の人たちが神殿のあるエルサレムに押し寄せてきました。イエス様はそのエルサレムに入って行かれたんです。でもその姿はちょっと奇妙な姿でした。なぜなら、イエス様は子ろばに乗ってエルサレムに入られたからです。白い馬にまたがってさっそうと入られるのなら王様にふさわしい姿です。ま、勝利者の姿でもあるわけですねえ。でも子ろばによって入られるとは何か貧弱な感じがいたします。

 当時、馬は軍事目的のために使われていました。兵隊は馬に乗り戦いに出かけ、戦いに勝ったときには馬に乗って凱旋の行列をする訳です。でもろばはどうだったでしょう。実はろばというのは平和を表す家畜また柔和さを表す家畜として象徴的に用いられていたんです。イエス様は馬ではなくろばに乗ってエルサレムに入って来られた。それはイエス・キリストが軍事的な目的ではなく、平和の君としてエルサレムに入ることを示された訳ですねえ。

 旧約聖書の預言者の一人にゼカリヤという人がいます。彼は救い主が来られることをこのように預言しているんです。
 「見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」(ゼカリヤ書 9章9節) 

 イエス・キリストが子ろばに乗ってエルサレムに入って来られたというのは旧約聖書が預言されていた救い主であるということを示すためでありました。

 そして預言者ゼカリアは子ろばに乗って来られる救い主には三つの特徴があるんだと語っているんです。

 その第一はこの方は正しい方だということ。イエス・キリストには嘘偽りが何一つありません。

 そして第二はこの方は救いを賜る方だということ。イエス・キリストは人がどうしても解決できない罪の問題と死の問題の解決のために来られたということです。

 そして第三にこの方は柔和な方だということです。イエス・キリストは人々に仕え、病気の人や仲間はずれにされている人の所に出向き、友となってくださいました(参照 ルカ5章20節、マタイ11章19節)。くすぶる燈芯を消すこともなく傷んだ葦を折ることのない柔和なお方として来てくださったんです(イザヤ42章3節参照)。そしてこのお方はあなたの心にも柔和な方として、救いを賜る方として来てくださるお方なのです。

(PBA制作「世の光」2013.3.25放送でのお話しより)

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■ヤコブとエサウの和解 / 羽鳥頼和

2013年03月23日 | Weblog
2013/3/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今日は旧約聖書の創世記に出てくる、ヤコブが兄のエサウと仲直りすることができたことについてお話ししたいと思います。

 ヤコブは兄のエサウを欺いて長男の権利を手に入れます。長男の権利とは父親から長男が他の兄弟の二倍の財産を相続できるという特権です。自分が欺かれたことを知ったエサウは怒ってヤコブを殺そうと考えました。

 その事を知ったヤコブは母親の故郷に逃げて行きます。20年ほどの年月が過ぎ、ヤコブは自分の故郷に戻ろうと考えます。しかしヤコブはエサウのことを怖れていました。エサウは自分に仕返しをするに違いないと思ったのです。それ彼は贈り物をたくさん用意して何とかエサウの機嫌を取ろうとします。彼はエサウの気持ちを変えるため、あの手この手を考えます。しかしエサウに会う直前、ヤコブは神様に祈りました。

 その祈りの中でヤコブは変わります。いろいろな方策を考えるのではなく、自分が悪かったことを認め、素直に謝る決心をしたのです。

 ヤコブはエサウを見ると地にひれ伏しました。エサウは走って来てヤコブを抱きしめました。彼らは共に泣きました。

 ヤコブとエサウは仲直りすることができたのです。ヤコブが自分が悪かったことを認め、謝罪の気持ちを表わしたのでエサウはヤコブを赦すことができたのです。

 聖書は、私たちは神様と仲直りしなければならないと教えています。ヤコブが兄エサウを欺いたように、人は神を欺いているのです。神様に逆らい、神様を忘れて神様の言う事を聞かないのです。このように神様を欺くことを罪というのです。

 神様は人がご自分と仲直りするためにイエス・キリストを遣わされました。そしてイエス・キリストは人の身代わりとなって十字架にかかってくださいました。キリストの十字架の死によって人は神様と和解できるのです。神様と和解し仲良くなることは神様が願っておられることです。人が自分が悪いことを認めて神様にすがるなら、神様は必ず救ってくださいます。神様と仲良しになることができるのです。

 神様と仲よしになれることは人にとって光栄です。あなたもぜひ神様と和解するために自分の罪を認め、イエス・キリストの十字架が救いを与えてくださることを信じてください。

(PBA制作「世の光」2013.3.23放送でのお話より )

 
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■ファン・ダイク 十字架を担うキリスト / 岩井基雄

2013年03月22日 | Weblog
2013/3/22放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日3月22日は17世紀に活躍したフランドルの代表的な画家ファン・ダイクが1599年に生まれた日なのだそうです。

 彼は裕福な商人の息子として生まれ、11歳でヘンドリック・ファン・バーレンに弟子入りした後、とアントウェルペン(アントワープ)の画家組合に加入しました。その頃の彼はルーベンスの最も重要な助手の一人を務めるなど画家として稀に見る早熟を示していたそうです。そんな稀有な才能を示したファン・ダイクの初期の最も代表的な宗教画作品の一つに『十字架を担うキリスト』という絵があります()。

 これはルーベンスら当時の有名な画家たちが製作に携わったベルギーのシント・パウルス聖堂のための連作15点の一つなのですが、十字架を背負い、処刑場のゴルゴダの丘へ向かうキリストの表情が心に迫る作品です。この絵は多くの人々が十字架を担うキリストを取り囲み、特に興奮したローマ兵士やユダヤ人たちがイエスを嘲笑し暴行を加えている場面です。その中にファン・ダイクは静かなキリストの表情を描きました。しかもその顔は意図的に最も下に描かれているです。人々の喧騒や激しい罵声、攻撃を最も低いところで静かに受けとめるキリストの姿、若いファン・ダイクは見事に描き切ったのです。

 聖書の中に次のようなことばがあります。
 「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
   聖書 ピリピ人への手紙 2章6節から8節

 イエス・キリストはあなたを愛しあなたの罪のさばきをすべて受け取り、代りに裁かれるために最も低いところにへりくだられたのです。この方の愛のへりくだりによって私たちはいのちを受け、生きることができる者とされました。あなたも十字架の死にまでもへり下ってあなたを愛してくださったキリストの命がけの愛を受け取りませんか? あなたも愛されているのです。

(PBA制作「世の光」2013.3.22放送でのお話しより)

 ※ 『十字架を担うキリスト』の画像リンク

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■あなたがたとともにいます / 福井 誠

2013年03月21日 | Weblog
2013/3/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたがたと共にいますけです。それではマタイの福音書28章20節から読んでみましょう。

 「わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

 昨年6月私はアメリカ・ベテル神学校大学院を卒業しました。専門はグローバル&コンテクスチュアル・リーダーシップで、簡単に言えばリーダーシップ論です。いろいろな国からの学友と共に学び、夏はアメリカ・ミネソタ州セントポールのキャンパスで、冬はヨルダン・インド・マレーシアの移動教室で、キリスト教会のみならず企業やNGOのトップリーダーの方々の集中講義を受け、世界に共通すること、日本に固有であること、全組織に言えること、教会組織に特有であること、いろいろと学びました。

 余り英語は得意ではありませんから毎回10冊以上の洋書の指定図書を読まされて一冊ごとにレポートを提出したりアメリカ式のディスカッション中心の授業に出たりするのは本当に大変なことでした。またいろいろな責任を持ち、父親の介護も重なりましたから実際の勉強は毎日電車で出かけるわずかな隙間時間に文献を読み余白にメモを書き込み帰宅してからパソコンに向かってレポートを作成し提出するという感じでした。

 ともあれ足かけ5年、長い学びでしたが教育熱心な教授たちにも巡り会え、いろいろな人々に励まされ支えられて学びを終了できたと思っています。

 卒業式前夜のこと、大学でパンとぶどう酒を分かち合う聖餐式がありました。卒業生とその家族が招かれ、私は壇上で卒論指導のウィルバー教授から記念品をもらいました。その時ウィルバー教授からしっかりと抱きしめられて、耳元で「あなたと共に神がいる。未知の旅に踏み出す勇気を持て。」とささやかれたのです。何かとても感動しました。これまでの学びの時が思い出されました。

 イエスも「あなたがたと共にいる」と言われましたが、それはイエスのもとで3年間学んだ弟子たちに語られたものです。つまり神に従う3年間があったからこそ「神が共にいる」という語りかけに勇気を得るのです。まずは神に従ってみませんか? そしていつも共におられる神と共に更なる未知の旅に踏み出す歩みをしてませんか。

(PBA制作「世の光」2013.3.21放送でのお話より )

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■敵の前で宴を設け / 板倉邦雄

2013年03月20日 | Weblog
2013/3/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「敵の前で宴を設け」という題でお話ししましょう。

 かつて自分や家族に対して意地悪をしたり不利益をもたらした人のために宴会を開くことができますか? とても難しいことですねえ。井戸掘り名人イサクはそのような局面に出会います。創世記26章の続きです。

 時にペリシテの国ゲラル地方の王様とその友人、そして軍隊長の三人がベエル・シェバにいるイサクのもとを訪れました。イサクは彼ら三人に言いました。「あなたがたは私を憎んであなたがたの中から私を追い出されたのに、どうして私の所に来れたのですか?」 すると指導者三人は言いました。「私たちは主なる神様があなたと共におられるのをはっきりと見ました。そこで私たちはあなたと契約を結ぼうと思い、やってきました。私たちは原則的にはあなたに害を加えたことはなく、ただ良いと思うことだけをし、安らかに去らせたのです。ですからあなたも私たちに悪いことをしないで頂きたい。」 要するに彼らは飢饉のために寄留してきたイサク一族をよそものとして扱っていました。しかし今や自分達よりもはるかに勢力を持つようになったイサク一族からの仕返しを恐れたのではないでしょうか。人は目に見えるものに弱いということです。

 そこでイサクはどうしたのでしょうか。イサクは彼ら三人のために宴会を設けて一緒に飲み食いをします。そして明くる朝、早く起きて互いに誓いあい、同盟を結びました。彼らはイサクのもとから穏やかに去って行ったのです。なかなかこうはいきませんねえ。宴会を設けて彼らを酔わせ眠った所をだまし討ちにするというのが世の歴史の常ではないでしょうか。ダビデの詩篇が旧約聖書にありますが、23篇にはこのようなことばがあります。

 (主よ、)「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。」(口語訳聖書)

 主なる神様を信頼する者のために主は私たちの敵の前に宴会を設けてくださるのです。善をもって悪に勝たせてくださるのです。

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通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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