♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■イエスがキリストであることのしるし / 羽鳥頼和

2017年07月22日 | Weblog
2017/7/22放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日も先週に引き続いて新約聖書のヨハネの福音書からお話しします。今日はヨハネの6章から、イエスの行なった素晴らしい奇跡とそれを見た群衆が本当のイエスを理解することができなかったことをお話ししたいと思います。

 その頃、イエスは人々の間で病を癒すことで評判になっていました。福音書の著者ヨハネはその時のことをこのように語っています。
 「大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。」(ヨハネ 6章2節)
 奇跡のことを「しるし」と言っているのは、イエスの行う奇跡が、イエスが旧約聖書で預言されている救い主キリストであることを示しているからです。ところが人々は、イエスをキリストとあがめるのではなく、病気を治してもらいたい、奇跡を一目見たい、という気持ちでイエスの所にやってきていました。しかしそのあとで見た奇跡によって、もしかするとイエスはあのキリストかも知れないと思うようになったのです。

 その奇跡とはお腹を空かせた大勢の人を満腹にするという奇跡でした。そこには凡そ一万人近い人がいましたが、そこにあったのは五個のパンと小魚が二匹だけでした。ところがイエスが祈ってそのパンと魚を分けると、すべての人に渡り、みんながお腹一杯食べることができたのです。

 人々はこの奇跡を見ると、「本当にこの方は世に来られるはずの預言者だ」(ヨハネ 6章14節参照)と言いました。世に来られる預言者とは旧約聖書で神が世に遣わされる救い主を「モーセのような預言者」(申命記 18章18節参照)と言っていることから言われたことばでした。人々はイエスを救い主と思ったのですが、イエスをローマと戦う王に担ぎあげようと考えました。イエスはその事を知っておられ、その場から一人出て行き、山に退かれたのでした。イエスはその後十字架にかかって死なれました。

 救い主が死ぬとは誰も考えなかったことですが、イエスは誰も傷付けることなく、ただご自分が傷つき死なれることによって救いを成し遂げられました。

 明日は日曜です。キリスト教会では私たちの救い主キリストがよみがえられたことを記念して礼拝をささげます。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」 2017.7.22放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■明日のことを心配するな / 関根弘興

2017年07月21日 | Weblog
2017/7/21放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 私たちが不安になってしまう原因の一つは、明日のことが分からないということがあるかもしれませんねえ。

 ある裕福な家庭の奥さんが悩みがあるというので一人の牧師さんがその家を訪問しました。
 「奥さん、どういう悩みがあるんですか?」
   「はい、私にはたくさんの財産があるんです。」
 「いいじゃないですかあ。それで?」
   「実はうちの主人が・・・」
 「ああ旦那さんに何が悪いことでもあったんですか?」
   「いいえ違うんです。本当にうちの主人は良い主人なんです。」
 「それじゃあ別に悩むことは無いじゃないですかー。」
   「いや、ですから聞いてくださいよ。うちの息子・・・」
 「ああ息子さんに問題があるんですか?」
   「いいえ息子は一流大学を出て一流企業に就職しているんです。
    もう言うことなしの息子なんです。」
 「奥さん、それじゃあ一体何が不安なんですか?」
   「だから聞いてください。私は今幸せなんです。
    でも、いつこの幸せが終わるかと思うと不安で不安で夜も眠れないんです。」

 こう言われたというんですねえ。とても贅沢な不安ですね。でもこの方の気持ちも分るように思います。いつこの幸せが終わるかと思うと不安で不安でしょうがない。人は先がどうなるか分からない。そういう不安をみんな抱えているんだと思います。

 イエス・キリストはこの世の動きやまた将来の世界の流れを明確に御存知でした。ある時、弟子たちがイエス様の元にやってきました。「イエス様、この世の終わりにはどんなことが起こるんですか?」と聞いたのです。それに対してイエス様は、世の終わりにはこういう前兆があるのだと細かな事例を出してはっきりとお答えになったんです。

 イエス様はこの世には初めがあって終わりがあるということをちゃんと御存知でした。そしてイエスをはご自分がゆくべき将来について明確に知っていたのです。それは人々の罪のために十字架につかれること。そして三日目に復活されることもイエス様は御存知でした。イエス様は明日のことをちゃんと知っているんですね。

 イエス様はマタイの福音書の中でこう言われました。
 「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ 6章34節)
 明日のことは心配するな、わたしがちゃんと知っているのだから、とイエス様は言われます。明日を御存知なイエス様に人生を任せて歩んでいきましょう。

 (PBA制作「世の光」2017.7.21放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 - 自由への励まし 20 / 大嶋重徳

2017年07月20日 | Weblog
2017/7/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。

 十戒第三戒は「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」(出エジプト記20章7節、申命記 5章11節)と命じています。

 では私たちは神様の名前の正しい発音を忘れるぐらいに神の名を口にしないことを選ぶ事がふさわしいのでしょうか。そうでありません。既に見てきましたように、名前を知らせてくださった神様はふさわしく神の名が呼ばれることを求めております。「みだりに」ということばは「やたらに」「空しいことのために」あるいは「偽って呪って」という意味があります。つまり間違った用い方をするなという意味なのであり、このことは私たちに正しい神の名の唱え方があると指し示しているです。

 今年は宗教改革500年ですが、カルバンという人は「では誓いの中で神の御名を用いても差し支えありませんか?」という質問に、「必要な誓いがある」と答えました。つまりそれは結婚の誓約の時など自分たちの思いをはるかに超えて神が引き合わせてくださったと結婚を受け取るようなふさわしい神の名の呼び方があるのです。むしろふさわしい神の名の呼び方は私たちはいつも神の前の厳粛さに連れ出してくれるものです。

 つまり第三戒は神の名にはふさわしい使い方がある。それは真心から神を呼び求め、また祈りと賛美と感謝をもって心から神を礼拝することです。讃美歌を心を込めて歌うとき、私たちは神様の名をふさわしく呼ぶことができます。賛美は自分が神になるのではなく、「神様、あなたがわたしの神様で本当に良かった」と歌うのです。ここには自分の思い通りに神様を利用しようとする思いは出てきません。賛美はカラオケとは違って自分が気持ちよくなったり、そのメロディーに酔っていくようなものではありません。賛美の歌詞の中で私たちは、「主よ、あなたに従います」と歌います。しかしそのように従わえるものでないことを誰よりも神様が御存知です。しかしこの賛美の歌を歌い続けて行くとき、神様に従い神様の喜ばれる生き方を神様が私たちの生活の中でつくり出してくださるのです。ですから私たちは神様の名前を誉めたたえことができるのです。

 あなたには大好きな讃美歌があるでしょうか。今日もその讃美歌を口ずさみながら一日を始めて欲しいと思います。そのとき、歌ったように生きていけるよう神様が私たちを祝福してくださるのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.7.20放送でのお話しより )

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■ささげなければならない / 福井 誠

2017年07月19日 | Weblog
2017/7/19放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「ささげなければならない」です。それではエゼキエル書46章13節を読んでみましょう。
 「あなたは毎日、傷のない一歳の子羊一頭を全焼のいけにえとして、主にささげなければならない。これを毎朝ささげなければならない。

 エゼキエル書40章からは実はイスラエルの未来についてのお話となっていますねえ。滅ぼされたイスラエルが再建されるその時に神殿も新しくなり、礼拝も刷新されることが語られています。実はこの幻は第三神殿の幻と言われて、今でもユダヤ人はこの第三神殿の建設を期待しています。イスラエルに行きました時に神殿研究所を訪れ、そのイメージ映像を見たことがあります。非常に現代的な建物で、ここに描かれているエゼキエルの第三神殿のイメージとはいささか違う感じもしましたが、保守的なユダヤ人は本当に聖書の世界に心から生きているのだなと思わされた所があります。ともあれこの箇所は新しく期待されている礼拝のことが中心に描かれていますねえ。注目したいのは、ここで毎日傷のない一歳の子羊一頭を全焼のいけにえとして主に捧げるように命じられている点です。

 全焼のいけにえは古代イスラエルの最も初期から捧げられているもので、それは罪の赦しのみならず、神に対する献身の思いを象徴するものでした。これをイスラエルの民に毎日捧げるようにと教えているのです。大切なことですねえ。

 私は毎朝4時50分に起きて5時頃教会へ参りますが、そこで聖書を読み、神と良き時を過ごすことを心がけてきました。海外出張がある時も現地時間の朝5時に必ず守るという形で、もう20年一日も欠かさずにこの習慣を続けてきました。それによって学んだことはこうした継続によって神と良き時を過ごす事がどういうことなのか、少しずつ理解が深められ、その楽しさを味わうようになってきたことです。

 「全焼のいけにえを主にささげなさい。毎朝ささげなさい。」 実は長く続ける習慣によってこそ形作られるものがあるのですね。ぜひ続けて聖書を読み、信仰の深さ、神の恵みの素晴らしさを知る歩みに導かれたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.7.19放送でのお話より )

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■心をくじく人 / 板倉邦雄

2017年07月18日 | Weblog
2017/7/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「心をくじく人」という題でお話ししましょう。これからみんなで力を合わせてやっていこうとする時、必ず人々の心くじてしまう人たちがいますね。

 さて、ルベン族とガド族は非常に多くの家畜の群れを持っていました。彼らが今滞在しているギレアデの土地は家畜を買うのに適していたのです。そこで両部族は祭司エリアザルと会衆の長老たちに願い出ました。「このギレアデの土地は家畜を買うのに適した地です。私たちはたくさんの家畜を持っています。それでもし皆さんのお許しを得られますなら、どうかこの土地を僕たち二部族の領地にしてください。ヨルダン川を渡らせないでください。」(民数記32章1~5節参照)

 それを聞いた指導者モーセは二部族の人々に言いました。「あなた方は兄弟たちがヨルダン川を渡って戦いに行くのにここに座っていようと言うのか。どうしてあなたがたは同胞イスラエルの人々の心をくじいて、主なる神様が私たちに与えられる約束の地に渡ることができないようにするのか。あなたがたの先祖も私がカデシュバルネアから約束の地を見るために遣わした時に同じようなことをしたのだ。彼らがこの約束の地を見た時、イスラエルの人々の心をくじいて、主なる神様が与えられる地に行くことができないようにしたのだ。その時、主なる神様は怒ってイスラエルの人々を40年の間、荒野をさまようようにされたのだ。その世代の人々はみな荒野で死んで滅びていった。あなたがたはその父親に代わって立つ罪人の仲間になるのか。再び主なる神様の怒りを増加させようとしている。あなたがたの欲望によって同胞イスラエルの民をことごとく滅ぼそうとするのか。」(民数記32章6~15節参照)

 指導者モーセが二部族の人々を叱責したのはなぜでしょうか。家畜が多くて家畜を飼うのに適しているからこのギレアデの地を領地にしたいと申し出たことではありませんね。そうではありません。他の部族だけヨルダン川を渡って戦わせてください、私たちはここに残りますから、という申し出だったのです。ここにこそ人々の心をくじてしまう原因がありました。一緒に困難を共にして欲しい。一緒に人生の戦いに参加して欲しいのです。

  (PBA制作「世の光」2017.7.18放送でのお話より )

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■聞く耳を持つ大切さと祝福 / 岩井基雄

2017年07月17日 | Weblog
2017/7/17放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。第三週の月曜日はマルコの福音書から学んでいます。今日は聞く耳を持つ大切さと祝福について共に考えましょう。

 目と耳は二つずつありますね。両側に一つずつあってバランスよく物を見たり聞いたりすることができます。口は一つで目や耳の半分ですねえ。しかし私はまるで口が二つで目や耳が一つであるかのように自分の意見や考えばかり主張してしまい、他の人の意見やアドバイスを心から聞き周りの方々の状況や表情に正しく目を注ぐということをおろそかにしがちですねえ。

 神の御子イエス・キリストはあなたにこう語ります。
 「聞く耳のある者は聞きなさい。」
  また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。
  持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。

           新約聖書 マルコの福音書4章23節から25節

 イエス・キリストは聞くことの重要さを語るだけではなく、人のために豊かに与える人は人から豊かに受け、豊かな愛を持たない人は持っているものまでも取上げられてしまう、と言うのです。聞く耳を持ち他の人の状況をよく見る人は、更に豊かな恵みや愛を与えられ、大いなる祝福を受け取っていくことができるのですね。

 またキリストは「受けるよりも与える方が幸いです」(使徒 20章35節参照)と語られました。ともすれば人に与えることよりも自分が受けることばかりを考え、願ってしまう私たちです。しかし神様によって心砕かれ、聞く耳を持つ者へと変えられ続けて行くとき、神様は弱い私たちも他の人の益になること、恵みに繋がることを考える愛の人へと変えてくださいます。そして神様の祝福を豊かに受け続けていく者へとしてくださるのです。

 あなたも聞く耳と愛の眼差しを持ち、神の御心を求め、人々へ愛を届けるものとされて行きませんか? 神様はあなたを愛の器として豊かに用いてくださるのです。まず神のみことばを心で聞くことから始めませんか? 神のことばはあなたを内側から変えていくのです。
 
  PBA制作「世の光」2017.7.17放送でのお話しより)

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■生ける水を与える方 / 羽鳥頼和

2017年07月15日 | Weblog
2017/7/15放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日も先週に引き続いて新約聖書のヨハネの福音書からお話しします。今日はヨハネの福音書4章に記されているイエスとサマリヤの女の人の会話からイエスについて教えられたいと思います。

 イエスがサマリヤのスカルという町に入った時のことです。イエスは疲れて井戸の傍らに一人で腰を下ろしていました。そこに人目を忍んで一人の女の人が水を汲みにやってきました。彼女が人目を忍んでいたのは彼女が今まで結婚と離婚を繰り返し、今は内縁の男の人と生活をしていたからでした。

 イエスはその女の人に「わたしに水を飲ませてください。」(ヨハネ 4章7節)と言われました。彼女はびっくりしました。サマリヤの人はユダヤ人から軽蔑され、一緒にいることさえ嫌がられていたのです。そのユダヤ人であるイエスが親しげに語りかけてきたのです。

 更に彼女はイエスのことばに驚きました。イエスは言われました。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ 4章13節、14節)

 生ける水とは普通の飲料水ではありません。人の霊的な渇きを癒す命の水です。生ける水とは永遠のいのちなのです。イエスは永遠のいのちを与えることができるのです。イエスの与える永遠のいのちとは単に永遠に生きるということではありません。この永遠のいのちを持つことによって人は幸せで豊かな素晴らしい人生を生きることができるのです。

 特にこの時、イエスは素晴らしい生き方として神を礼拝することを女の人に教えられました。イエスは言われました。「礼拝者たちが霊とまことによって父(神)を礼拝する時が来ます。今がその時です。」(ヨハネ 4章23節)

 礼拝とは神との豊かな交わりです。イエスによって永遠のいのちを与えられた人は神の前に出ることができ、神からの語りかけを聞くことができるのです。そして神は礼拝する人の人生を守り導いてくださるのです。

 明日は日曜日です。キリスト教会では神に礼拝をささげます。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」 2017.7.15放送でのお話より )
 
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■命を与えるため / 関根弘興

2017年07月14日 | Weblog
2017/7/14放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 私たちの人生にはいつも付きまとうものの中に、心配とか思い煩いというものがあると思います。特に、過去に対する思い煩いは後悔という形で出てきます。あなたはいかがでしょうか。私たちはとかく自分のしたことを後悔しますねえ。ああー、あんなことをするんじゃなかったー。あの時こうしていればこうならなかったのに。・・・いろいろと後悔することがあります。でも後悔しても始まらない、そんな事は忘れて新しく生きよう!、とどこかで思うんですが、でもそれでも再びまた後悔がまるで影のように追いかけて来るということもありますね。

 イエス・キリストがエリコという町に行った時のことでした。その町には町一番の嫌われ者のザアカイという人が住んでいました。当時のユダヤの国はローマ政府の属国でしたので、ザアカイはローマ政府のために税金を取り立てていたんです。しかし不正な取り立てもしており、自分の懐も肥やしていたんですねえ。ですから周りの人達はザアカイのことを大変軽蔑していました。

 そんなザアカイの家に何とイエス様が客として行かれたのです。もう周りの者たちはびっくりです。「何ということだ。イエスはあんな罪人の所に行った!」と陰口を叩く者がたくさんいたんです。しかしイエス様を喜んで家に迎えたザアカイにとって、それは嬉しい嬉しい出会いとなりました。

 イエス・キリストはザアカイにこう言われたのです。
きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ 19章9節、10節)
 こう言われたのです。この嫌われ者のザアカイも神様に愛されている大切な一人で、決して失われてはいけない一人なのだとイエス様はおっしゃったんですね。

 ザアカイはこのイエス様のことばで彼の頑なな心は溶かされて行きました。

 イエス・キリストが来られた使命と目的は一体何でしょう。それは「失われた人を探して救う」(ルカ 19章10節)ことです。あなたを生かし、あなたが神様に愛されているということを知らせるためにイエス・キリストは来てくださいました。

 ザアカイは過去に対する後悔をたくさん抱えていたでしょう。でもイエス様を迎えた時、愛されてることを知り、新しい歩みが始まっていきました。それはザアカイだけではなく、イエス様を受け入れるあなた自身の人生にも始まっていくのです。

 (PBA制作「世の光」2017.7.14放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし 19 / 大嶋重徳

2017年07月13日 | Weblog
2017/7/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。

 十戒第三戒は「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」(出エジプト記20章7節、申命記 5章11節)と命じています。この十戒の第三の戒めを重視したイスラエルの民は神の名であるヤハウェを口にしないようにしました。その名の文字が記された聖書箇所では代りにアドナイ「主」と呼び、遂には発音の仕方が分からなくなったということは有名なことです。

 では、みだりに唱えるとは具体的にどのようなことなのでしょうか。十戒が与えられた当時、魔術や呪いの中で神の名を用いることがありました。旧約聖書の時代において神の名を唱えるとは、人間を超える力を獲得する手段ともなったのです。その名を所有する者はその名を持つ者の人格を所有することができました。呪文において神の名は使用され、人間の願いをかなえるための魔術の儀式あるいは占いにおいて神の名は用いられていたのです。

 このように自分の願いの実現のために神様の名前を私物化することを第三戒は禁じているのです。神の名を思いのまま使用するということは神の権威を思いのまま利用するということとなります。そうして神の権威を人間の手で所有することとなります。神は確かにご自分の名を教えてくださった神で、私たちと交わりを持ちたいと願われる神様です。しかし、神様の名前を好き勝手に用いて神の権威を利用しようとする人間の動機は強く拒否されます。

 別の聖書の箇所では神様は名前を尋ねても、「どうしてわたしの名を尋ねるのか」( 参照 創世記 32章29節)とその名を教えられませんでした。神を自分の手の平の中に置こうとする人間の行為の中に潜んでいる思惑を見抜いておられたのです。

 もしこの第三戒に忠実であるならば、聖書に書いていないことを「主はこうおっしゃっておられる」と語るカルト化した宗教団体や教会にも強い戒めが語られています。また私たちの日常のことで言うならば、夫婦げんかに聖書のことばを持ち込むこともまた禁止されるべきかもしれません。自分の主張を聖書の権威によって正当化し相手を断罪することも神の名の私物化と言い得るでしょう。完全に正しいことなどありえない自らを認め、神の御前に出て悔い改めを共にしようとすることこそふさわしい神様の呼び方なのでしょう。

  ( PBA制作「世の光」2017.7.13放送でのお話しより )

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■神の熱心による / 福井 誠

2017年07月12日 | Weblog
2017/7/12放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神の熱心による」です。それではエゼキエル書39章25節を読んでみましょう。

 「それゆえ、神である主はこう仰せられる。今わたしはヤコブの繁栄を元どおりにし、イスラエルの全家をあわれむ。これは、わたしの聖なる名のための熱心による。

 諸国に対する一連の裁きのメッセージが続く中で、今日の箇所は神が滅ぼされたイスラエルの民に実に恵み深い約束をしている所ですね。「今わたしはヤコブの繁栄を元どおりにし、イスラエルの全家をあわれむ。これは、わたしの聖なる名のための熱心による。

 先週エルサレムが炎上し、イスラエル南ユダ王国が滅亡したことをお話しましたが、その時に実はエゼキエルはイスラエルの回復を預言しているのです。ユダもイスラエルも捕囚を解かれ、再びエルサレムに帰還し、一つの国になると預言されていますね。しかも悪に傾き、腐敗と不道徳の中にあった彼らは、造り変ええられて新しい民となり、新しい王のもとに一つの王国となる、と預言されるのです。

 確かにその後70年ほど経ってバビロンに連れ去られたイスラエルの捕虜たちは祖国のエルサレムに戻って町を再建することが許されます。エズラ記、ネヘミヤ記はそのバビロン捕囚からの解放が実現し、エルサレムで町を建て直し神殿を再建した事の記録ですねえ。
 けれどもこの箇所は、その時代よりももっと後のこと。具体的なイスラエル民族の再建ではなく、象徴的な意味でのイスラエルの再建について語っていると考えられている所です。もっと具体的に言えば、熱心な王様というのは後に生まれるイエス・キリストのこと。そして世界は一つとされ世界は平和で満たされる時がやって来るというのは、そのイエスを救い主として受け入れた人々によって実現する平和な神の国のことですねえ。

 確かに世界平和は平和運動や同盟や条約を結ぶ人間的な努力で達成されるものではないでしょう。そのような運動を起こす一人ひとりの争いと悪に傾きやすい心が変えられる必要があります。そして人の心を変えてくださる神の働きを認めて救いを受けようとする人々が必要です。神に変えられた人生を歩み平和を作る人となって参りたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.7.12放送でのお話より )

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