♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■負いめをお赦しください / 福井 誠

2011年06月30日 | Weblog
2011/6/30放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「負いめをお赦しください」です。それではマタイの福音書6章12節から読んでみましょう。

 「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

 「負いめをお赦しください」とあります。同じ祈りを収録したルカの福音書では「罪をお赦しください」となっています。つまりイエスは、毎日毎日自分の罪の赦しのために祈ることを勧めているのです。

 ところで信仰を持つというのは罪を犯さなくなること、ま、いい人になることだ、と思っていることはないでしょうか。しかし、そんな考えでいると段々そうなれない、なりきれない自分にがっかりしてしまう。まあ苦しくなってしまう、ということがあるものですねえ。思った通りにいい人にはなれない。信仰を持つことは苦しいことだなと思いながら信仰生活をする。それは確かに苦しいことですねえ。はた目で見てそんな堅苦しい修行のような信仰生活に入るのはまっぴらだと思う人もいるのではないでしょうか。

 けれども、聖書はそんなことは教えていません。むしろ聖書は私たちが罪を犯すのは当たり前のことである。人間というのは罪を犯す者なのだから。私たちの負いめ・罪をお赦しくださいと祈る必要があると言うわけです。人が罪を犯すことは情けないこと、駄目なことと思うよりはむしろあることなのだから罪も犯すたびに主の赦しを得よと言うわけですね。

 そう思ってこの祈りを味わうと、もう少し自分にも他人にも寛容になれるのではないでしょうか。人間というのは弱い罪人です。そういう人間の現実をまず認めていく。そして私たちの負い目をお赦しくださいという。そういう祈りを日々重ねて変えられた歩みへと自分を向かわせていくことが大切ですね。

 あなたも自分のあるがままを素直に認め、日々罪を告白し、神様が自分を変えてくださることを信じて歩みませんか?

  ( PBA制作「世の光」2011.6.30放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■ ふさわしい助け手 / 板倉邦雄

2011年06月29日 | Weblog
2011/6/29放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「ふさわしい助け手」という題でお話ししましょう。

 釣り合いが取れてぴったりしている夫婦を昔から「割れ鍋に綴じ蓋」(※)と言います。お互いがなくてはならない存在であり、お互いが助け合って生活するのです。これを聖書では「ふさわしい助け手」というのです。創世記の続きです。

 始めに聖書を引用しましょう。
 主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。創世記の2章の18節 (口語訳聖書)

 エデンの楽園に置かれた最初の人アダムはひとりでしたね。ひとりで働く労働者だったのです。周囲には動物や鳥そして家畜もいました。仕事から帰ってくると、ワンワン、ニャーオ、コケコッコーと迎えてくれました。鳥や動物だって私たちに慰めとなります。しかしアダムにとって「ふさわしい助け手」とはなりませんでした。「人がひとりでいるのは良くない」とは、ひとりでいることが善であるとか悪であるとかという意味ではありません。あくまでもふさわしくないという意味です。何か欠けている、何か物足りない、何か釣り合いが取れない、という意味でしょう。鍋があるのに閉じてくれる蓋がないのと同じです。蓋があるのに鍋がないのです。煮物をしている時も煮物をしていないときも鍋には蓋が必要なんですね。エデンの楽園で労働し休息するアダム・男性にはふさわしい助け手が必要でした。

 男女の結婚の目的について前にもお話しました。今日の箇所には結婚の大切な目的が書かれていました。それは結婚とはお互いが助けあうということです。仕事の助け手となる家事や育児の助け手となると言うことです。自分の幸せのための結婚ではないようですね。

 私は結婚する若い男女に三つの愛を勧めます。赦し愛、譲り愛、そして助け愛です。この三つの愛を心がける結婚生活の中心に主なる神様の愛が共にあるでしょう。

 聖書のことばです。
 
 「あなたがたは神に愛されている者であるから互いに忍び合い、もし互いに責むべきことがあれば赦し合いなさい。主もあなたがたを赦してくださったからである。」
  コロサイ人の手紙 3章12節と13節 (私訳?)

  ( PBA制作「世の光」2011.6.29放送でのお話より )


※ http://kotowaza-allguide.com/wa/warenabenitojibuta.html
「割れ鍋に綴じ蓋」
【注釈】 「綴じ蓋」とは、壊れた部分を修理した蓋のことで、夫婦を鍋と蓋に例えて、壊れた鍋には修理した蓋くらいが釣り合いが取れるという意味。
『江戸いろはがるた』の一つ。「割れ鍋」は「破れ鍋(破鍋)」とも書く。


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■ 新しい歩み / 山中直義

2011年06月28日 | Weblog
 2011/6/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 人は新しく歩み出すことができる。--- 希望に満ちた新しい歩みを聖書は私たちに約束しています。

 イエス・キリストの十字架から三日目の朝、三人の女たちが墓にやってくると、何と墓の入口を塞いでいた重く大きな石が取りのけられていたと言います。 そして彼女たちはその墓で自分たちの想像をはるかに超えた素晴らしい出来事を知ることになりました。

 墓にいた御使いが彼女たちにこう言いました。新約聖書マルコの福音書16章6節、7節のことば。

 「驚いてはいけません。・・・あの方はよみがえられました。ここにはおられません。・・・ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。

 使徒を絶望から打ち破ってよみがえられたイエス・キリストからのメッセージ・・・・それは、新しい歩みを始めるように、との弟子たちへの励ましでした。ペテロをはじめとする弟子たち。彼らは墓に向かったあの女性たちとは正反対の者、本当に愛のない者たちでした。彼らはイエス様が十字架につけられるときに逃げ出してしまった者たちです。あの大きな石よりも重く大きな罪の壁がイエス様とあの弟子たちの間にはあったはずです。しかし、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」 イエス様がそう言われた通り、イエス様は彼らを見捨てることなく、もう一度わたしと共に生きるように、もう一度新しく歩み出すように、と彼らを招いてくださったのです。

 聖書が約束する新しい歩み、それは単なる再出発ではありません。そうでは無く苦しみと失敗のただ中、罪と愛のなさという現実のただ中で、神と共に新しく歩み出し、神によってすべてが新しくされていく、そんな新しい歩みなのです。

 よみがえられたイエス・キリストのことば・聖書のことばに耳を傾け、このお方を信じて生きるなら、あなたも新しく歩みだすことができるのです。

     (PBA制作「世の光」2011.6.28放送でのお話しより )

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■ 福音を信じよう / 関根弘興

2011年06月27日 | Weblog
2011/6/27放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 聖書が語る「福音」とは一体何でしょうか。それはすべての人が必要としているもの、それを聞き、受け入れることによって勇気づけられ希望が与えられるもの。ま、普遍的にですねえ人が求めているものなんですね。それは突き詰めねば、「赦しと命」ということなんです。

 そしてこの福音は誰によってもたらされたかというと、イエス・キリストによってもたらされました。イエス・キリストは公の生涯に出られた時、開口一番こう語られたんです。
 「時が満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ 1章15節参照)と。

 三つのポイントから話されたんですね。

「時が満ちた」とはイエス様ご自身が旧約聖書で約束された救い主で、この救い主が世に現れるその時が来たという意味です。

 そして「神の国が近づいた」と語りました。これは真実な神様の支配があなたの人生に到来するという意味にとっても良いと思うんですねえ。ま、人はいろんなものに支配され生きています。物に支配されていれば、物さえあればいいということになるでしょう。何かの欲望に支配されていれば、欲望を満たすために人を傷付けても何とも思わなくなるでしょう。自分自身に支配されていれば、それはちょっと頼りないかもしれませんね。逆に見栄を張って高慢な生き方になるかもしれません。誰もが何かに支配され生きているのです。ですから何に支配されているかは人生の大問題なんです。もし真実でそして愛に満ちた神様があなたの人生を支配しているとするならばそれは最善な人生だと思いませんか?

 でも神様は正しい正義なる神様です。一方私たちは正しいことはしていますけども心を見つめると自分勝手で神様に背を向けて生きているようないわゆる罪あるものだということが分ると思うんです。ですからイエス・キリストは三番目のポイントとして、「悔い改めて福音を信じなさい」と語られたんです。「悔い改める」とは方向を変える、向きを変えるということなんです。「神様なんかいるものか」という態度から「神様ごめんなさい、神様を見上げて生きていきます」という人生の方向転換なんですねえ。人生の方向転換が「悔い改め」。その方向を変えると何が見えてくるかというと福音が見えてくるんです。

 福音とは良き知らせです。それを突き詰めると赦しと命です。あなたの心の罪が赦され、死を打ち破る命が与えられるというニュースです。この福音はイエス・キリストによってもたらされました。キリストの十字架の死と復活によってこの赦しと命は信じる一人一人に今もたらされているんです。

 (PBA制作「世の光」2011.6.27放送でのお話しより)

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■ソロモンの建てた神殿 / 羽鳥頼和

2011年06月25日 | Weblog
2011/6/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。 

 今からおよそ2950年程前にイスラエルの王ソロモンがエルサレムに神殿を建てました。完成までに7年をかけた大事業でした。材料は最良最高のものが集められ、当時の最高の技術を持った職人たちが海外からも集められ、神殿は造られました。旧約聖書の歴代誌第二の3章にはその神殿建設の様子が記されています。特に神殿の最も重要な所である至聖所について詳しく記されています。

 至聖所とは聖なる神様を礼拝する所です。至聖所は非常に多くの良質の金で覆われていました。そして至聖所の中には鋳物のケルビムが二つあり、これも金で覆われていました。このケルビムとは手足と共に翼を持ったものとして描かれる神様に近い存在です。ケルビムは神に仕えるもので神様の存在をあらわすものと考えられています。そのケルビムが神殿とその中心の至聖所に沢山飾られていたのです。このことはソロモンの建てた神殿が神様のおられる所であることを示しています。

 そしてこの歴代誌にはこの神殿が建てられた所についてこう記されています。

 「ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現わされた所、すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に取りかかった。」 (歴代誌第二 3章1節) 

 この記述は神殿が建てられた所が神様が人の罪を赦し人を救ってくださった場所であったことを教えています。ダビデは神様に定められたこの場所でいけにえを捧げ自分の犯した罪を赦していただきました。

 モリヤ、それは昔イスラエルの先祖であるアブラハムが自分の息子イサクを捧げるように命じられた所です。そこはずっと後になってイエス・キリストが十字架にかかった所、つまり神の御子が人の罪の身代わりとなって十字架にかかって死んでくださった所となるのです。

 このように神殿は神様がおられる所であり、神様が人を救われる所であり、そして神殿は神様を礼拝する所なのです。

 このような神殿の姿はキリスト教会へと受け継がれています。教会は神様のおられる所、神様を礼拝する所であり、神様の救いがある所なのです。

 あなたもぜひお近くの教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.6.25送でのお話より )

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■ 闇の中での交わりへの招き / 岩井基雄

2011年06月24日 | Weblog
2011/6/24放送

 世の光の時間です。お元気ですか?、岩井基雄です。

 私たちは通常、朝日と共に一日の始まりを感じます。明るい日差しの中で一日の始まりと今日の歩みの決意を新たにすることがありますねえ。 しかし聖書の時代のイスラエルの一日は、朝から始まるのではなく日没と共に始まりました。それは不思議な時の流れだと思わされますねえ。

 私たちは、「さあ一日が始まった。行動を開始しよう。」となるのですが、聖書の時代のイスラエルの時の流れでは、「さあ一日が始まった。夕食をいただき、寝る用意をしよう。」というような動きとなるのです。家族が集い、心を分かち合い、食事を楽しむ交わりが一日の始まりです。そしてそのあとに神様からの休みを与えられて眠るのです。その眠りはまるで神様との静かな交わりの中に自分の身を置くかのようです。イスラエルはでは一日は闇に向かうように始まっていくのですが、それは慌ただしい行動からではなくて豊かなそして静かな交わりから始まるのですねえ。

 人との交わり、そして神様と交わりの中で一日を始め、そして自らの働きを行って一日の歩みを終える、その順序はとても重要なことを示しているのではないでしょうか。

 新約聖書に次のようなことばがあります。
 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
           マタイの福音書6章33節 

 これは人生がすべて順調に行く中で語られていることばではなく、多くのものが不足し、人生の闇が深まるような経験する人々に語られたイエス・キリストのことばです。人生の渇きや不足の中でこそ何よりも神様との交わり、神様とのことを第一に求めるようにと聖書は語っています。

 あなたは今どのような闇を経験しているでしょうか。どのような失望や不足を経験しているでしょうか。それは神様との交わりへの招きかもしれません。

 深い暗闇の中であってさえ、あなたの必要のすべてを満たすことのできる神様があなたを愛しあなたを招き、あなたに本当の満たしとあなたに必要なものすべてを与えようとしてあなたを待っておられます。この聖書が語る神様こそあなたに愛と希望と本当の幸いを与えることができるお方です。

   (PBA制作「世の光」2011.6.24放送でのお話しより)

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■ 私たちの日ごとの糧 / 福井 誠

2011年06月23日 | Weblog
2011/6/23放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「私たちの日ごとの糧」です。それではマタイの福音書6章11節から読んでみましょう。

 「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
 
 前回は「日ごとの」と訳されたことばの意味を巡ってこの祈りが神様が私たちを養ってくださるという信仰を持って祈られる祈りであることをお話しました。

 今日は「私たちの」ということばに注目したいのです。というのはどうでしょうか、豊かな時代にあるとどうも「日ごとの糧を神様が与えてください」と祈ることがどうもそらぞらしいと思えることはないでしょうか。別に祈ったって祈らなくたって、食べるものに困ることはない、神様が養ってくださるなんていう信仰を表明するなんていうのは、どうも時代錯誤だと思えることがあります。

 しかし以前、フィリピンの貧しい人々が住む地域を訪れ、そこで集会を開いている貧しいクリスチャン達と一緒に祈ったときに、この祈りというのは、本当は切実に祈られる祈りなのだ、と教えられたことがあります。

 この豊かな日本にいて自分のことだけを考えて生きていたら、きっと「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」という祈りは、あまり自分とは関係がなく、誠実な思いで祈る気持ちにもなれないことでしょう。

 しかし、フィリッピンの貧しい人たちが家族6人でたった一つの小さな目刺しのような魚を突っついておかずにし、足りなければ塩をかけてご飯を食べるような生活を見ていると、「私たちの日ごとの糧」とイエス様が祈るようにと教えたことの意味も理解されます。「私の日ごの糧」ではないのです。「私たちの日ごとの糧」なんですね。いつも私、私、と自分のことばかり考えていたら主の祈りを信仰的な深さを持って祈ることはできません。これが本当に信仰を持って祈られるのは、「私たちの」と一人称を複数形の主語で祈り、多くの人の必要を覚えながら祈るときです。必要が満たされないでいるあの人この人を思い浮かべながら、本当に神のわざを願う祈りをしたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.6.23放送でのお話より )

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■ エデンの楽園 / 板倉邦雄

2011年06月22日 | Weblog
2011/6/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「エデンの楽園」という題でお話ししましょう。

 楽園とはパラダイスのことです。王様がお姫様と散歩する美しい庭園をパラダイスと呼ぶようですね。創世記二章にはエデンの東にある楽園を主なる神様と共に歩くアダム・人間が描かれています。主なる神様は人を連れて行ってエデンの楽園に置きました。

 エデンの楽園には見て美しい、食べるのに良いすべての果実がありました。楽園の中央には命の木と善悪を知る木が生えていました。

 さらに一つの川がエデンの楽園から流れ出て楽園を潤し、そこから分かれて四つ川となっていました。その中の一つの川の名はユーフラテス川でした。ここからエデンの楽園は中東に存在したと言われています。

 そして第三に、主なる神様は人間・アダムにエデンの楽園を耕させ守るようにされたとあります。人間・アダムはエデンの楽園で遊び暮らしてはいませんでした。人は初めから土地を耕す農夫すなわち労働者でした。家畜もいましたから牧畜業もしていたでしょう。四つの川がありましたから漁業も営む漁師だったのではないでしょうか。

 私たち人間の本質は働く者でした。ですから働く事ができるのに働く事ができないということは人間としてとても辛いことなのです。働くだけではなく神様に委ねられ任せられたこの世界を、守り管理できるとしたら、これ程人間としての生きがいはありません。

 そして最後に主なる神は人間・アダムに命じました。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べて良い。しかし善悪を知る木からとって食べてはならない。それを取って食べるときっと死ぬであろう。創世記の二章の16節です。人間・アダムはエデンの楽園では99%自由でした。しかし1%の禁止が命じられたのです。心のままに、と私たちは神様から自由意志を与えられているのです。知性と感性とそして自由意志です。罪を犯す自由も、そしてそれを犯さない自由を私たちは与えられている存在なのです。何と素晴らしいことでしょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.6.22放送でのお話より )

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■ 神、事を尽くしてあなたを待つ / 山中直義

2011年06月21日 | Weblog
 2011/6/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 人事を尽くして天命を待つ・・・大切なことだと思います。ですが、人事を尽くすことができないときもある。それが私たちの偽らざる姿ではないでしょうか。

 新約聖書マルコの福音書15章には人事を尽くした立派な人物とそれができなかった人たちが登場します。イエス・キリストが十字架上で息を引き取られた直後、アリマタヤのヨセフという人物がその体の下げ渡しを願い出ました。イエス様はユダヤ当局に憎まれて十字架につけられましたから、そのイエス様を手厚く葬ろうとすることは非常に勇気が要ることでした。ですがそれでもヨセフはイエス・キリストは尊敬に値する人物、手厚く葬られるべきお方だ、と考え、やるべきことをやり尽くしたのでした。

 一方、イエス・キリストの弟子たちはどうであったかと言うとヨセフとは正反対でした。彼らは十字架につけられようとするイエス様を置き去りにして逃げ出しました。十字架上のイエス様を見つめることもなく葬られようとするイエス様を弔うこともなかった。弟子たちは余りにも弱く、余りにも愚かで惨めな者たちであったといえます。

 しかし、そんな弟子たちにも神様の恵みは豊かに与えられました。イエス・キリストは霊的に死んでしまったような彼らを再び生かすために死を打ち破り、再び彼らに現れ、共に生きるようにと彼らを招いてくださったのです。「どうしようもない程に弱く愚かであっても構わない。人事を尽くすことができなかったとしても構わない。それでもあなたはわたしと共に生きるようにわたしがあなたと共に歩み、あなたを助け、あなたを生かそう。」 彼らを再び生かすためにすべてを成し遂げてくださったイエス・キリストはそう語りかけてくださったのです。神様はあなたを愛しあなたは神様と共に歩むことができます。

 神、事を尽くしてあなたを待つ。あなたのためにすべてを尽くしてくださった神様を信じ、この神様にあなたのすべてを委ねてみませんか?

     (PBA制作「世の光」2011.6.21放送でのお話しより )

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■福音とはキリスト / 関根弘興

2011年06月20日 | Weblog
2011/6/20放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 あなたは「福音」ということばをご存知ですか? 「福音」それは幸いな知らせ、良い知らせ、グッドニュースという意味ですよね。

 けれども何が幸いな知らせかは人によって大分違います。で、受験生にとって幸いな知らせは「合格」の二文字でしょう。健康を害し長い間臥している人にはその病気が治る薬が発見されること、これが福音でしょう。

 では聖書が語る福音とは一体何でしょうか。それはすべての人が必要としているもの、誰もが求めているもの、そしてそれによって助けられ希望が与えられ人が普遍的に求めているもの、それが聖書が示す福音なんですね。

 それでは人の最も奥底にある必要とは一体何でしょう。それは突き詰めると、赦しと命なんです。

 人はどんなに成功しても地位を得ても力を得ても、その心に平安がなければ人生に充足を得ることができません。人は本能的に、最終的に神様の前に立つ時が来る、正しい神様の前に立つ時本当に今のままでいいのかという思いを持ってようです。私は本当に赦されているのだろうか、確信がなかなか持てませんし、自分の心を見たら目を背けてしまいたい汚い思いも沢山見つけることができるわけです。ですから正しい神様の御前で赦されてるという確信を持つことは人生の大きな平安を持つことに繋がっていくんですね。

 そしてもう一つは命です。この命は肉体が朽ちてもなお続く命、死を乗り越える命と言ってもいいのです。日本語の命ということばは「息の内」が詰まって「いのち」になったと言われれます。つまり息が止まれば命を失うという、ま、大変合理的なことばなんですね。でも聖書が伝える福音は息の内だけが命ではない、それを乗り越える命がある、そしてその命を与えようと語っているんです。

 それはどのようにしてもたらされたのでしょう。その福音はどのように成就したのでしょう。聖書ははっきりと教えているんです。それは今から2000年前にイエス・キリストというお方が来られ、そしてイエス・キリストご自身が福音そのものだ、と伝えてるんです。

 赦しと命はこのイエス・キリストをただ救い主として心に受け入れるだけで与えられると聖書は約束しています。

 新約聖書ヨハネの福音書3章16節

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

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