♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■傍らに恵みの歌が / 関根弘興

2017年07月21日 | Weblog
2017/6/16放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 旧約聖書の詩篇42篇のことばを紹介しましょう。
 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。
    私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
    私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。
   いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。
     私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。
    人が一日中「おまえの神はどこにいるのか。」と私に言う間。
(1~3節)

この詩篇の作者は「私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。」と記しているんですから、人生で最も辛い困難な状況に置かれていたのでしょう。

 でもこの詩篇の後半を読むと、こんなことばが出てきます。
 「昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。」(8節)
 
  このようにも記されているんです。

  でもまた次の節では、「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか。」(9節)と、今度このように叫んでいるんですねえ。まるでジェットコースターみたいですね。

  しかし考えてみると、私たちも同じようなことがありませんか? この作者はほんとに素直です。決して自分を隠そうとしません。そのままを告白するんです。昼も夜も涙があるけれど、でもその傍らに恵みの歌もあるのだということを味わっていたようでした。
 いつもニコニコして生活できたらそれはいいですけど、人生には涙もあるんですね。でも知ってください。涙の横には恵みの歌も備えられているんです。

 恵みとは一体何でしょう。それは愛される価値のない者に対して注がれる一方的な神の愛のわざです。聖書の神様は恵み深い方です。とてつもなく真実な方です。

 第二テモテへの手紙には、「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。」(13節)と書かれています。神様は常に真実です。この真実に支えられていることをほんとに感謝をもって受け取ることが「信仰」なんですね。私たちを支えてくださる方がおられます。だから私たちは涙の傍らにも恵みの歌を持つことができるんです。

 心の状態がジェットコースターみたいであっても良いじゃないですか。しかし忘れてならない事は、涙の中にあっても主の恵みが施され恵みの歌があなたの傍らにある、という事をぜひ心に留めておいてください。

 (PBA制作「世の光」2017.6.16放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 -自由への励まし- 15 / 大嶋重徳

2017年07月20日 | Weblog
2017/6/15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。

 十戒第二戒には、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」(出エジプト記 20章4節)とあります。

 第二戒で教会と国家の関係について述べるのには理由があります。なぜならば、日本のキリスト教会は唯一の神を信じる信仰がありながら妥協して大きな敗北を喫した歴史を持っているからです。明治以降、国家は神道による宗教政策を取り、国家の安寧秩序を妨げない限り新教の自由を保証する立場を取って、神社非宗教論を主張展開して行きます。

 日本のキリスト教会はこの神社参拝は国民的儀礼であるという政府の判断に従っていくのです。そして教会の礼拝は皇居のある方向に向かって深々と礼拝する宮城遥拝をしました。教会では戦勝祈願の祈祷会を行い、更に皇紀2600年の祝賀会をキリスト教会が開き、戦闘機二機を献上します。ここには日本神話を元にした元号によって歴史を数えることを教会が行なったのです。また、日本基督教団統理の伊勢神社参拝もあり、大東亜共栄圏はアジアの植民地支配からの解放であってキリスト者における神の国の建設である、と教会が語り、アジア侵略を肯定し、この戦争の正当性と神社参拝強制に教会自らが加担したのです。更に敗戦の折には、多くの日本のキリスト教会は自覚的に戦中の教会の罪責を悔い改めるということよりも、自分たちは被害者だったという立場を取ってきます。

 ここに十戒第二戒に無自覚あるいは自覚的意欲的に偶像礼拝に加担した日本のキリスト教会の罪責があります。余り知られていない事実かもしれませんが、日本の教会はこうして歴史的背景をもっていることのゆえに、十戒第二戒に反することにより敏感になってきました。日本の教会はこの経験のゆえに、第二戒に敗北する時どのような事態に陥ってしまうのかを世界のキリスト教会に伝えていく責任があるのです。あの敗北の歴史は悔いめによって聖書の語る自由へと向かっていくのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.6.15放送でのお話しより )

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■あなたがたを連れ戻す / 福井 誠

2017年07月19日 | Weblog
2017/6/14放送

 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたがたを連れ戻す」です。 それではエゼキエル書11章17節を読んでみましょう。
 『神である主はこう仰せられる。わたしはあなたがたを、国々の民のうちから集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを連れ戻し、イスラエルの地をあなたがたに与える。』

 4章からの流れで言いますと、これまでの大きな流れとして、エルサレムの滅亡のことが語られてきました。そしてこの11章では特に後半、そのエルサレムについての未来を語っている箇所、つまり彼らの国の再興について語っている箇所ですね。

 神の裁きの警告は脅しでもはったりでもありません。神が語られた通りにエルサレムはバビロン帝国に包囲され陥落し、そして多くの人々は捕虜として連れ去られました。しかし、エルサレムに残された人々もいたのです。

 エルサレムに残された者たちは、自分たちこそが神の地を最後まで所有することができた神に愛された者たちである、と考えたようですね。そして、エゼキエルたち捕囚によって外国に連れ去られた者たちは神の約束の地を受け損なった者つまり神に見捨てられた者たちである、と軽蔑したのです。

 まあ彼らが傷ついたのは言うまでもありませんね。しかし神はエゼキエルに語りかけ、連れ去られた者こそ神の民である、と言います。そして、彼らは散らされていた国々から再び集められて神の約束の地に連れ戻されるのだ、と言うのです。

 しかも面白いことに、もし彼らに神に見捨てられるような忌むべきものがあるのならば、それを取り除き、新しい心、新しい霊を与える、と言います。つまり、神に見捨てられたと思う者が実はそうではない。そしてもし神に見捨てられた、汚れている、と言うのであれば気にしなくても良い、その汚れも清めよう、と言うのです。聖霊が語る大切な原則ですね。神はいつも砕かれた者の神です。神は悲しむ者たち、落胆する者の助け手です。たとえ自分は負け犬であると思うようなことがあっても、簡単に人生は諦めてはいけません。神は人の痛みを感じ、悔い改め、呼び求める者を無視されず、必要なものを備えられるお方ですね。この神にこそ希望を抱いて歩みたいものです。

(PBA制作「世の光」2017.6.14放送でのお話より )

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■みだらな事件 / 板倉邦雄

2017年07月18日 | Weblog
2017/6/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「みだらな事件」という題でお話ししましょう。

 みだらな事件は古今東西、世界中の歴史の中で繰り広げられて参りました。モアブの平原で宿営していたイスラエルの人々の間にも起こったのです。

 さて占い師バラム事件はバラム教となってイスラエルの人々に影響を及ぼすことになりました。イスラエルの人々の中にはバラムの教えを信奉する人々が登場してきたのです。人々はモアブの娘たちと淫らなことをし始めました。モアブの国では占い師バラムがやってきてから、ペオルの山頂にバラムの祭壇が築かれ残っていました。そこにバアルという五穀豊穣の男の神々が祀られるようになったのです。ペオル山での祭りになりますと、モアブの娘たちはイスラエルの男性たちをバアル祭りに招待しました。男性たちは娘たちと一緒に飲み食いし、戯れ、バアルの神々を礼拝しました。

 新約聖書にはこのように解説して書かれてあります。
 「あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。
          ヨハネの黙示録 2章14節

 イスラエルの人々がこうしてペオル山のバアルの神々を礼拝し、貪欲に走り、淫らな事件を引き起こしました。
 主なる神様はイスラエルの人々に対して激しい怒りを発せられたのです。そしてモーセに言われました。
 「人々の指導者を主なる神様の前で処刑しなさい。そうすれば主の怒りはイスラエルを離れるであろう。」(民数記25章4節参照)

 この淫らな事件によってイスラエルの人々の間に感染病が流行していたからです。

 聖書のことばです。
 「これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、・・・偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。・・・わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
        新約聖書のコリント人への第一の手紙 10章の6節から8節

 私たちも不品行を避けなければなりません。

  (PBA制作「世の光」2017.6.13放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■様々な誘惑を受けるときに / 岩井基雄

2017年07月17日 | Weblog
2017/6/12放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
第2週の月曜日は、旧約聖書に登場するヨセフの人生について学んでいます。先月はエジプトに売られたヨセフが奴隷とされても真実に歩み、神様の祝福を受けたことから学びました。

 今日はそのヨセフを彼の主人の妻が気に入り、彼を誘惑した場面です。早速聖書を読んでみます。
  ヨセフは体格も良く、美男子であった。
  これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ。」と言った。
  しかし、彼は拒んで主人の妻に言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」

         旧約聖書 創世記39章6節から9節
 
  ヨセフに対する彼女の誘惑は執拗でした。しかしヨセフはその誘惑をことごとく退け、神と主人に罪を犯すことを避けます。それは、彼がいつも神様を見上げ、神様に喜ばれることを選んでいたからです。いつでも神に信頼し、神と共に歩むとき、あらゆる誘惑の中でも私たちは守られていくのです。

  誘惑に勝利し、罪を犯さず、つかまれた上着を残してまで逃げたヨセフでしたが、主人の妻はその上着を利用し、まるでヨセフが彼女を誘惑したかのように嘘ぶいたのです。ヨセフは主人に疑われ、投獄され、理不尽な扱いを受けました。しかし、投獄されても真実に歩んだ彼の人生に次の扉が開いていくから不思議です。神様のご計画は人の思いをはるかに超えるのです。どんな試練や誘惑の中でも、どのような理不尽な扱いを受けようとも、神様に信頼し正しく歩むとき、どんな時にも共にいてくださる神様があなたに力と希望を与えてくださるのです。

  聖書のことば
  「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
        旧約聖書 イザヤ章41章10節

  神はあなたを愛しておられ、どんな時にも共にいてくださいます。

  PBA制作「世の光」2017.6.12放送でのお話しより)

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■神の民の決意 / 羽鳥頼和

2017年07月15日 | Weblog
2017/6/10放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は先週に引き続き旧約聖書のネヘミヤ記からお話しします。

 エルサレムの城壁が完成しました。人々はみな集まって、神の教えである律法の朗読を聞きました。そして神が定められた仮庵(かりいお)の祭りを久しぶりに行いました。そして数日後、更に人々が集まって、自分たちの罪を告白し、悔い改める時を持ちました。そしてその時、これからはもっと熱心に神の教えを守り行うことを約束しました。

 ネヘミヤ記の10章の初めには、その時約束した代表者84名の名前が記されています。彼らは指導者の立場にある祭司、レビ人、民の頭(かしら)たちでした。人々は神の教えである律法を聞き、互いに神の教えを守り行うことを決心しました。10章の後半には、人々が約束した内容が記されています。その約束は、神の律法に従って歩み、神のすべての命令、その定めと掟を守り行うということでした。更に具体的に重要なことが七つ記されています。
  私たちの娘を異教の神々を信じる外国人たちに嫁がせず、また彼らの娘を私たちの息子に娶らない。
  神を礼拝する日には商売をしない。
  私たちは七年目には土地を休ませ、すべての負債を取り立てない。
  私たちは礼拝を捧げる神殿のために毎年決められた額を捧げる。
  私たちは決められた神への捧げ物を定められた時に必ず神殿に持って来る。
  私たちは収穫の初物そして最初に生まれた子ども、そして最初に生まれた家畜を祭司の所に連れて来る。
  私たちは自分たちの土地の十分の一を、土地を持たない礼拝奉仕をするレビ人に分け与える。

 これらのことは人々からの自発的な決意表明であり、神の律法に基づくもので、礼拝についてのことでした。

 明日は日曜日です。キリスト教会でも神の教えである聖書を聞き、神に礼拝をささげます。お近くのキリスト教会にぜひいらしてください。
 
 (PBA制作「世の光」 2017.6.10放送でのお話より )
 
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■本当の渇き / 関根弘興

2017年07月14日 | Weblog
2017/6/9放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 旧約聖書の詩篇42篇にはこう書かれています。
 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。」(1節、2節)
 
 パレスチナ地方の川は日本と違っていつも水が流れている訳ではありません。乾季になると多くの川は枯れてしまいます。そこで鹿はわずかに流れる水を求めて谷を降っていくんですね。それは谷底に必死になって水を求める孤独な姿を現しているかのようです。 この詩篇42篇を書いた人は自分の姿をその鹿の姿にダブらせたのですね。

 ある学者は、この詩篇の作者は戦いに敗れ、敵国に捕虜として連れて行かれた祭司が書いたのだろうという人もいます。また別の学者は、この作者は女性で、もしかすると奴隷刈りで捕えられた女性ではなかったかと言う人もいます。いずれにせよ、考えられないような人生の困難の中で書かれた詩なんですね。

 そして詩の続きを読むと、そこには絶望があり、うなだれ思い乱れている様子が書かれているんです。何とも言えない敗北感に襲われているんです。しかしそういう絶望の中で書かれた詩なのですけれど、この詩が聖書に載せられ、そして私たちに大きな慰めを与えてくれる詩の一つに今なっているんですねえ。

 どうしてでしょうか。この詩篇の作者は神への渇きを持っていたからです。人生には苦労があります。困難があります。この作者はきっと思ったことでしょう。「どうしてまことの神様を礼拝している私がこんな惨めになるんだろう。神様が生きているなら、どうしてこんな事態が起こったんだろう」と。しかしこの作者はそこにずっととどまっていませんでした。「だからこそ私は必死で生ける神様に求めます。そして神様、あなたの答えを渇きを持って待っています。こうした状況ですが、私はなおも神様を誉めたたえます。」と、この詩で告白していったんです。

 あなたは今も生きている生ける神様がおられることを信じますか? もし信頼するなら、あなたの今の状況がどんな状況であったとしても、この生ける神様に渇きをもって叫び続けてもらいたいのです。主はあなたの近くにいてくださいますから。

 (PBA制作「世の光」2017.6.9放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし- 14 / 大嶋重徳

2017年07月13日 | Weblog
2017/6/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。

 十戒第二戒には、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」(出エジプト記 20章4節)とあります。

 自由に生きることを阻もうとする存在とは具体的にいったいどのような存在なのでしょうか。歴史的に偶像礼拝との戦いとは異教との戦いと言うことと共に、宗教を統治のために利用しようとする国家との戦いという側面がありました。

 旧約聖書においてイスラエルにおける偶像礼拝の戦いは、絶えず周辺諸国の拝む神をイスラエルの民に拝ませようとする政治的な支配と絡んでいました。なぜなら国家権力にとって宗教による統治は国家に従う国民を作りやすく、考えることをさせない国民を作ることができるからです。国家権力において都合の良い偶像の提示は、価値基準を権力が定めることができ、何が本当に大切なことなのかは国家が提供し、その問いを考えさせることを阻めるからです。また神存在を認めない共産主義国家においても、指導者の神格化が統治のために利用され、独裁政治を行うことにもなりました。現代も中東、ヨーロッパにおいて、若者たちのいのちが神の名のゆえに戦争やテロに駆り立てられています。

 しかし私たちが十戒の第二戒の自覚をはっきりとする時、私たちは国家権力が偶像によって支配することを監視し、管理監督する使命に立たされます。ここで私は、教会が政治運動をやるべきだとは言っていません。イエスを主と告白することを妨げようとする事態が起こった時に、キリスト者はそこにある偶像礼拝の問題を鋭く見抜き、十戒の語る自由への戦いをすることが起こり得るのだと言うことなのです。日本でも大切にされている政教分離の原則とは、宗教が政治にかかわらないのではなく、政治が宗教に介入し宗教を統制し利用することをさせない、教会の自律性を守ることを指しているのです。この教会の自律性を守る戦いのことを教会は、信教の自由を守る戦い、として表現してきました。この国の今の状況はいかがでしょうか。私たちには、神様に自由に生きるために、目を開いておかないといけない戦いがあるのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.6.8放送でのお話しより )

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■ああ、神、主よ / 福井 誠

2017年07月12日 | Weblog
2017/6/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「ああ、神、主よ」です。 それではエゼキエル書4章14節を読んでみましょう。
 「ああ、神、主よ。私はかつて、自分を汚したことはありません。幼い時から今まで、死んだ獣や、野獣に裂き殺されたものを食べたことはありません。また、いけにえとして汚れている肉を口にしたこともありません。

 エゼキエル書は象徴的なイメージで語られていて、なかなか難しい書ですね。簡単にイスラエルの歴史を振り返ると、アバウトな言い方ですが、イスラエルは紀元前1000年頃に最盛期ちょうどダビデ、ソロモンの時代に最も栄えています。その後は北側と南側に分裂し、北側は紀元前722年にアッシリヤ帝国に滅ぼされています。そして南側は紀元前586年に、新たに興ったバビロン帝国に滅ぼされていますね。ちょうどエゼキエル書が書かれたのは南側の国が滅びる頃です。

 この時代に先月読んだエレミヤ書も書かれています。そしてこの二つの書のメッセージは実は非常によく似ていますね。エレミヤ書はストレートに神の裁きの警告を伝えるとしたら、エゼキエル書は変化球、ある意味で象徴的に絵画的にこれを伝えようとしていますね。

 今日の4章も、南側のユダ王国がバビロンに包囲され、やがて陥落し、戦後の食糧不足など飢饉の時代が来ることの預言が中心となっています。しかも行動預言ということばがありますが、神様に、ある動作を命じられて、ことばではなくパフォーマンスを通して神様のメッセージを伝える内容になっています。面白いことは、神様は大麦でパン菓子を焼く際に人の糞を用いる行動を命じています。燃料として家畜の糞はよく用いられてきましたが、人の糞を用いるのは不浄な行為として忌み嫌われていました。さすがにエゼキエルもそれはできないと神様に訴えていますね。

 すると神様はエゼキエルの気持ちに配慮し、牛の糞で良い、とすべき行動を変えてくださっているのです。主の働き人を機械のように用いることをなさらず、配慮をもって用いてくださる神様の温かさを覚えさせられるところですね。神は私たちの気持ちをないがしろにすることはありません。そのような神にこそ自らの気持ちを素直に訴え、祈っていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.6.7放送でのお話より )

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■祝福は神の心にかなう / 板倉邦雄

2017年07月11日 | Weblog
2017/6/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「祝福は神の心にかなう」という題でお話しします。

 人を祝福することは自分の心が祝福されることです。それは神様の心にかなうことであり、神様が喜ばれることなのです。占い師バラムはその事に気付いたのです。そしてついに祝福の祈りを捧げてしまいました。

 さてモアブの王様はバラムが2回もイスラエルの人々を祝福してしまったので、頭に血が昇りかけましたが、ぐっと我慢して占い師バラムにお願いしました。「別の所にお連れしましょう。神はあなたがそこの場所からだったらイスラエルの人々を呪うことを許されるかもしれません。」 そこで王様はバラムを連れて荒野を見下ろすペオル山の頂に行ったのです。

 そこで占い師バラムはリクエストを王様にしました。「王様。私のためにここに七つの祭壇を築き、雄牛7頭と雄羊7頭を用意してくださいね。」

 さて占い師バラムはイスラエルを祝福することが主なる神様の心にかなっているのを見たのです。その時です。神様の霊がバラムに臨みました。バラムは次のような祝福のことばを語り出したのです。
 「ヤコブよ、あなたの天幕は麗しい。それは遠く広がる谷間のようだ。川べの園のようだ。流れのほとりの紅白の木のようだ。水は彼らの瓶から溢れ、彼らの蒔く種は水の潤いで育つであろう。彼らは敵を打ち滅ぼし、その骨を砕く。彼らは雄ライオンのように身をかがめ、雌ライオンのように伏している。イスラエルを祝福する者は祝福され、イスラエルを呪う者は呪われるであろう。」

 遂にモアブの王様は占い師バラムに向かって怒りを発しました。「敵を呪うために雇ったのに、あなたは却って三度までもイスラエルの人々を祝福しました。今直ちに自分の家へ帰れ!」

 さて、人を呪うために雇われた占い師が三度も神様の民を祝福してしまうという不思議な事件を見て参りました。ラジオの前の皆さんはどのようにお感じになりましたか? 

 聖書のことばです。
 「悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。」 
              ペテロの第一の手紙 3章の9節 (口語訳聖書)

  (PBA制作「世の光」2017.6.6放送でのお話より )

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