♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■私たちの物語 /山本陽一郎

2023年06月30日 | Weblog

2023/4/14放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 いつもイエス様のそばにいた12人の弟子の中にトマスという人がいました。この人はよく、「疑い深いトマス」と言われたりします。実際はどうだったのでしょうか。

 復活したイエス様が弟子たちに会いに来てくださった、あの喜びに満ちた日曜日の夕方。実はトマスだけがちょうどそこにいませんでした。後でみんなが「私たちは主を見た!」と言っても、トマスはこう言い張りました。
 「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません。」 ヨハネの福音書20章25節

 彼はこの時、結果的にちょっと仲間はずれのような立場になってしまったんですね。自分だけが出遅れてしまった。こういう寂しさ、誰でもどこかで経験したことがあるのではないでしょうか。

 けれども一週間後、再びイエス様は弟子たちの中に来てくださいました。今度はトマスもいました。というよりも、イエス様はトマスのために来てくださったのではないか。そう思えてなりません。「わたしはあなたのことを忘れてなんかいないよ」と。

 トマスはイエス様に会えて、心の底から感動しました。もう傷痕を確かめる必要なんて、ありませんでした。ただこう言ったのです。
   「私の主、私の神よ。」  ヨハネの福音書20章28節

 私たちにとって、忘れられるということは辛いものです。自分の存在があってもなくても関係なく、みんなが楽しんでいるように思えるとき、愛されていない必要とされていないと感じるとき、それは本当に苦しいものです。

 でも、イエス様はあなたのことを忘れることはありません。絶対に。イエス様の腕に受けとめられる時、人は疑いを越えていくことができます。自分でも開け方が分からなくなっている私たちの心のドアは、イエス様が開けてくださるのです。このお方に出会い、信じる者へとならせていただくとき、喜びと希望が流れこんできます。その意味でトマスの体験は、私たちの物語でもあります。トマスは「疑い深い人」ではなく、それ以上に、「イエス・キリストの愛を深く知った人」なのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.4.14放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■平安があなたがたにあるように /山本陽一郎

2023年06月29日 | Weblog

2023/4/13放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 「このごろ何だか気分が沈みがちで・・・」という方はいませんか? 春は環境や気候の変化で心身の不調が起きやすい時期でもあります。まして、ショックを受けたり悲しい出来事があったりすれば、元気を失うのは無理もありません。

 イエス様が十字架で殺された。それは弟子たちすべてにとって、これ以上ない衝撃と悲しみの体験でした。打ちのめされた彼らは、エルサレムの家に鍵を固く掛けて閉じこもっていました。次は自分たちが捕らえられ殺されるかもしれない。そんな恐れと不安を抱えていたのです。

 ところが、そんな弟子たちの中に、復活されたイエス・キリストが入ってこられました。ヨハネの福音書20章19節、20節にはこう書かれています。
  「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。『平安があなたがたにあるように。』こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。」

 イエス様は「平安があなたがたにあるように」と声をかけてくださいました。ずっと聞いてきたあの声でした。そして、十字架の傷痕が残る身体を示してくださいました。「弟子たちは主を見て喜んだ」とあります。希望を失っていた彼らの心に、いのちの力が溢れていく様子が伝わってきます。イエス様が与えてくださる本物の平安が、彼らの心を満たしたのです。

 以前、家族が不意に病気になり、夜中に救急車で運ばれて入院したことがありました。思いがけない状況に、不安と緊張をおぼえました。そのとき、このことばが私の心に響いてきました。「平安があなたがたにあるように」。病院の救急センターの椅子でイエス様のことばに触れ、まぶたの裏から染み出してくるものがありました。私の心の真ん中に入ってきて平安をくださる、今ここに生きておられるイエス様が見えました。

 どんな苦しみや困難にも奪われない、イエス様がくださる平安。あなたにもこの平安を受け取っていただきたいと願っています。

 「すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。『平安があなたがたにあるように。』」


 ( PBA制作「世の光」 2023.4.13放送でのお話しより )


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■あなたの隣を歩くお方 /山本陽一郎

2023年06月28日 | Weblog

2023/4/12放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。
  
 私は若い時にイエス・キリストを信じましたが、当時を振り返ると、正直分かっていなかったなあと感じることばかりです。でも、イエス様の十字架と復活がどれほど自分にとって大切なのかを知っていくたびに、「ああ、このお方と出会えて本当によかった」という思いが深められました。

 さて、イエス様が復活された日曜日のこと。二人の弟子が復活について論じ合いながら、エルサレムからエマオという村に向かっていました。すると見知らぬ人が近づいて来て、一緒に歩き始めたのです。実は、それはイエス様でした。でも、不思議なことに弟子たちには分かりませんでした。自分たちの先生に気づかずに、暗い顔つきで一連の出来事を説明する。

 そんな二人を前にイエス様はこう言ったんですね。
  「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。」 ルカの福音書24章25節

 神様の約束、聖書のことばすべてを信じないことをイエス様は、愚かだと言われたのです。

 しかし、考えてみると、それは私たちの姿でもあると思いませんか? クリスチャンであってもイエス様のことを忘れていたり、みことばを聞き流していたりすることがあります。自分の願望のために神を利用し、自分のイメージの中でしかイエス様を知ろうとしない。

 それでもイエス様は弟子たちのために、歩きながらの聖書研究会を開催しました。聖書全体から救い主すなわちご自身について授業をなさったのです。イエス・キリストを理解するためには論じることも考えることも大切ですが、やはり聖書そのものから学ぶことが必要なんですね。

 食事の時間になりました。イエス様が祝福の祈りをし、パンを裂いて渡した時、突然、二人は気がつきました。「イエス様だ!」 その瞬間、イエス様の姿は見えなくなったと聖書に記されています。

 今、私たちにもイエス様の姿は見えません。でも、心の目を開かせてくださるなら、こんな私たちにもイエス様が分かります。分かるようにしてくださいます。希望が見つからず暗くなるようなときでも、私たちの絶望を打ち破って復活されたイエス様があなたの隣を歩いておられるからです。私たちの希望はいつもこのお方から来るのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.4.12放送でのお話しより )


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■あなたにも聞こえますか /山本陽一郎

2023年06月27日 | Weblog

2023/4/11放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 約二千年前のエルサレム。墓の前で女性が泣き続けていました。彼女はマグダラのマリヤ。愛し従ってきたイエス様は金曜日に十字架で殺されたばかりです。

 ところが今朝、イエス様が葬られた墓へ来てみると、入口を塞いでいた石がどかされていて、遺体がありません。いったいどこの誰が持ち去ったのか。マリヤの心はショックと悲しみでいっぱいでした。でもその時、イエス・キリストの復活はすでに起こっていたのです。

 まだ十字架にかかる前、イエス様はご自分がよみがえることを弟子たちに話していました。マルコの福音書8章31節、32節には、「それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、・・・捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。イエスはこのことをはっきりと話された。」と書かれています。

 それでも、人は現実に押し潰されそうなとき、しばしば大切なことを見失ってしまうのです。この時のマリヤも、肝心なときに復活を信じることができませんでした。

 けれども、イエス・キリストというお方は、そういう弱い私たちに声をかけてくださるのです。悲しみで心がさえぎられている者に、イエス様のほうから近づいてくださるのです。

 マリヤにイエス様は言われました。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」 ヨハネの福音書20章15節

 ところがマリヤはまだ気づきません。イエス様は生きていて、自分の前におられるのに。

 イエス様は言いました。「マリヤ!」 個人的に名前を呼んでくれる声を聞いた時、初めてマリヤはわかったのです。そこに立っているのが、イエス様だと。生きているイエス様だと。

 「先生!」 悲しみで曇って希望が見えなくなったマリヤの目を、溢れ出る涙が洗い流しました。イエス様が死を打ち破って復活してくださった。その喜びが、希望が、そして愛が、マリアを生き返らせました。

 私たちが気づく前からイエス様はそこに立っておられます。絶望で終わらない希望を与える復活のイエス様が、今日も私たちと生きてくださるのです。このお方の呼びかけが、あなたにも聞こえますか?


 ( PBA制作「世の光」 2023.4.11放送でのお話しより )


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■イエス・キリストは生きている! /山本陽一郎

2023年06月26日 | Weblog

2023/4/10放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。
 イースターおめでとうございます! 十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを覚える日。今年のイースターは昨日4月9日でした。

 ただ現代の多くの人々にとって、死者の復活なんて常識では考えられないと思うことかもしれません。きっと昔だからそんな話が受け入れられたんだろう、と。

 ところが実際は、イエス様の弟子たちでさえ復活が本当に起こるなんて初めは信じていませんでした。

 十字架の死から三日目の朝早く、イエス様が葬られた墓に最初にやって来たマグダラのマリヤも同じでした。空っぽの墓に戸惑いながら、マリヤはこう繰り返します。
  「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちにはわかりません。」
                          ヨハネの福音書20章2節

 「取って行った」 「置いた」 こういうことばで分かるように、彼女は、イエス様はもう生きていない、もう会えない、と考えていたのです。悲しみです。絶望です。

 しかし、マリヤはそこで神様からこういうメッセージを聞くのです。
  「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」
                     (ルカの福音書24章5節、6節 )

 キリストはよみがえられた! すさまじい衝撃のニュースです。死んで終わりではなく、イエス様は復活された。今、生きておられる。イースターの真ん中で、そして私たちの真ん中で響くのは、「イエス・キリストは今日も生きている!」ということなんです。悩みもある。希望を失うこともある。けれども、その中で私たちはこの復活のキリストに出会っていくのです。

 新約聖書の四つの福音書はどれも復活の事実について述べていますが、そこに出てくる人々はみんな私たちにこう語りかけているようです。「そうだよ、わかってる。復活って、とんでもないことだよ。私たちも初めは信じられなかった。だけど、本当にそれが実際に起こったんだよ。死も絶望も超える希望がここにあるんだ。だから、イエス様の十字架と復活について、私たちは人生をささげて宣べ伝えずにはいられなかったんだよ!」

 そうです、イエス・キリストは今日も生きていて、私たちに復活の力を注いでくださるのです。このお方があなたとともに今日も歩んでくださるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.4.10放送でのお話しより )


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■闇の中の希望 6 / 大嶋重徳

2023年06月24日 | Weblog

2023/4/8放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。

 今週は受難週と呼ばれるキリスト教会の大切な一週間を過ごしています。十字架の上で語られたイエス様の七つのことばを学んできました。

 今日は最後の第七のことばです。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」(ルカの福音書23章46節 )

 ここで再び「父よ」ということばを取り戻されたイエス様は、「わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」と祈られました。

 この後イエス様は三日の間、深い死の陰府(よみ)にくだられていきます。

 しかし、「わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」と祈られたイエス様は、ご自分のいのちが再び復活の力に生かされることを信じておられました。父なる神様のその御手を信頼されたのです。父にお委ねになったのです。神にすべてを委ねることこそ一番良いことであることを知っておられました。

 聖書は復活についてこう記します。「神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちも、よみがえらせてくださいます。」(コリント人への手紙第一6章14節) その信頼通り、神はキリストをよみがえらせました。そして、父なる神はイエス様の信頼を何一つ裏切ることなく、神の力によってよみがえらせてくださるのです。


 私たちもこのよみがえりの神の力に生かされることができます。たとえ人生の進んで行く場所が深い陰府(よみ)のように見えたとしても、そこに神の力が働くのです。神が力を失われる場所など、この世界のどこにもありません。私たちは「わが霊をあなたの御手にゆだねます」と神の手に委ねて信頼して祈る祈りを、この受難週に祈っていきたいと思います。

 翌週、私たちは復活を祝うイースターを迎えます。父なる神はキリストをよみがえらせた力とともに、私たちもまた復活のいのちに生かされていきます。

 弟子たちの信仰は、まさに復活されたキリストと出会うことによって生き返りました。私たちは必ず生き返ります。やり直せます。

 今週、このキリストの十字架を覚えて、私たちがなすべきこととは自分の罪を認め、神の前に赦しを受け取りに十字架の前に出て行くことです。

 救われた後も私たちは罪を犯し続けるでしょう。しかし何度でもやり直すのです。何度でも赦され続けに十字架の前に行きましょう。なぜなら、そのためにキリストの十字架はあるのです。この救いにあなたの人生を委ねてみませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2023.4.8放送でのお話しより )


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■闇の中の希望 5 / 大嶋重徳

2023年06月23日 | Weblog

2023/4/7放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。

 今週は受難週と呼ばれるキリスト教会の大切な一週間です。イエス様の十字架で語られた七つのことばを学びながら、イエス様の十字架の意味を思いめぐらす一週間を過ごしていきたいと願っています。

 十字架上の第五のことば。それは「わたしは渇く」(ヨハネの福音書19章28節)ということばです。

 すでに大量出血で脱水症状の極みにまで至ったイエス様の体はカラカラに渇いていました。私たちの人生もまた渇いています。愛に渇き、優しさに渇き、人から羨ましがられる人生に渇いているかもしれません。しかし、それらを手に入れたように思ったとしても、やがてそれもまた渇きます。何より救いを求める魂の渇きがあります。イエス様はこの人間の渇きを身代わりに渇いてくださった、そのことばを語られました。

 続く六つ目のことば「完了した」(ヨハネの福音書19章30節)です。

 このことばが言われた時、エルサレム神殿の幕が上から下に真っ二つに裂けました。エルサレム神殿の幕とは、神のおられる場所と人を隔てる垂れ幕のことです。この幕の中は選ばれた大祭司だけが民の罪の赦しを求めるために傷のない子羊をささげるために入る事が許された場所です。

 この「完了した」というイエス様のことばが言われた午後3時、まさに神殿で動物の生贄がささげられる時間でした。この時間に神殿の幕が裂けたことが意味するのは、もう神と人とを隔てる幕が取り去られたことを意味しています。しかも、上から下へ真っ二つに裂けたのは、神様ご自身がこの幕を裂かれたことを意味しています。

 イエス様が傷のない子羊となってくださって、ささげものとなってくださいました。そして、神様ご自身がご自分へと近づいてくることのできる道をすべての人に開かれたことを意味しています。

 もう私たちは神殿に行かなくとも、毎年犠牲をささげなくとも、完全な十字架の犠牲により父なる神の御前に出ることができるようになりました。救いは完了したのです。もういつでも、どこの国からでも、どの時間であっても、神様のもとへと出て行くことができるようになりました。私たちは今、イエス・キリストの御名によって祈ることができます。神殿に行かなくとも、イエス様のお名前を通って父なる神のもとへと届けられていきます。

 「だから、いつでも祈って来なさい。わたしを求めて来なさい。」 イエス様は私たちに神の前に行くことのできる道を開かれたのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.4.7放送でのお話しより )


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■闇の中の希望 4 / 大嶋重徳

2023年06月22日 | Weblog

2023/4/6放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 今週、受難週と呼ばれるキリスト教会の大切な一週間を過ごしています。イエス様が十字架の上で語られた七つのことばを学び、イエス様の十字架を思いめぐらす一週間を一緒に過ごしてまいりましょう。

 (十字架上の)第四のことばは、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。 --- わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか --- 」(マタイ福音書27章46節)です。

 イエス様はこれまでずっと神様のことを「わが父よ」、そのように呼びかけて来られました。しかし、ここで「わが神、わが神」と言われたのです。

 このことばの意味は、イエス様が「父よ」と呼ぶ神の子の立場を捨て、私たち罪人そのものの位置で叫んでおられることを意味しています。本来このことばこそ私たちが叫ぶべき叫びでした。自分の人生を終える日、私たちは自分の罪の報いを刈り取るべき時が来ます。その時、私たちはどれだけ人生で成功を収めたとしても、どれほどの善行を重ねたとしても、すべての人は神のまったき聖さの前で、私たちは自分の犯してきた罪が明らかにされます。その時、私たちは「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばずにはおれない人生の終わりの日を迎えるのです。

 この時、十字架の周りは闇に包まれていました。人間の罪を引き受けていかれる暗闇のただ中でイエス様は救いを受けることのできる希望の光を与えようとしてくださったのです。

 十字架の苦しみは、肉体の苦しみよりも父なる神との親密な交わりを失っていくことでした。「父よ」と呼ぶことのできない、神に見捨てられることこそ、この悲しみこそ何より十字架の苦しみであったのです。

 私たちは今や、「父よ」と呼べなくなることの苦しみをイエス様のようには知りません。なぜならば、このイエス様の祈りによって、キリストの十字架と復活を信じる者たちには「わが父よ」と父なる神と親密に生きることが与えられているからです。だからこそこの受難週、私たちはもっとイエス様の与えてくださった父なる神との親密さに生かされていきたいと思います。「わが父よ」と呼ぶことのできる豊かな親しい交わりが神様から与えられているのです。

 ここにこそ十字架の価値があるのです。闇の中に輝いている希望のことば。そのことばを私たちは神様から、イエスキリストから受け取っていきたいと願います。


 ( PBA制作「世の光」 2023.4.6放送でのお話しより )


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■闇の中の希望 3 / 大嶋重徳

2023年06月21日 | Weblog

2023/4/5放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 今週、受難週と呼ばれる、キリスト教会の大切な一週間を過ごしています。イエス様が十字架の上で語られた七つのことばを学びながら、キリストの十字架の意味を思いめぐらす一週間を過ごしたいと願っています。

 イエスの十字架の上で語られた三つ目のことば。
  「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。」(ヨハネ福音書19章26節)
    「ご覧なさい。あなたの母です。」(ヨハネ福音書19章27節)

 イエス様の目の前には自分を産んで育ててくれた母マリヤがいました。自分よりも先に人生を終える息子を見つめる母の思いを受けとめたイエス様が、母マリアに寄り添う弟子たちに目を向けながら、「お母さん、あなたの新しい息子がそこに居るよ」と言われました。そして、弟子たちに「あなたの母親がいる」と。

 悲しみと不安のただ中にいる母マリヤを弟子たちに託されました。「あなたの母は教会にいるから」「あなたの息子が教会にいるから」 心残りなくキリストの愛のことばが十字架の上から語られたのです。

 イエス様は人間関係を徹底的に壊してしまう殺人の瞬間にも、キリストのいのちに生かされる愛の交わりを生み出そうとなさいました。イエス様の十字架はまさに愛し合う、そんな家族を生み出すためのものであったのです。キリストの十字架は罪を赦され、天国の約束をいただいた者たちに新しく生きる意味を与えてくれています。それは、この世界で互いに愛し合う神の家族と生きることです。

 十字架による救い、それは個人的な魂の救いに終わるものではありません。十字架が掲げられているキリスト教会は誰一人そこで孤独の中に生きるということはありません。あなたの悲しみと苦しみに寄り添ってくれる人がそこにいます。あなたのために祈ってくれる自分の母親のごとくに大切にしてくれる交わりがあります。

 今週ぜひキリスト教会をお尋ねください。そこに、あなたのことを家族のように迎えてくれる人がいます。あなたを母親のように迎えてくれて、あなたを兄弟のように姉妹のように迎えてくれる教会があります。イエス・キリストの十字架は罪のゆえに壊れてしまった人間関係を修復させてくれるのです。この教会に生かされていくとき、私たちは誰かと生きることに希望を持つことができるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.4.5放送でのお話しより )


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■闇の中の希望 2 / 大嶋重徳

2023年06月20日 | Weblog

2023/4/4放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
今週は受難週と呼ばれる、キリスト教会の大切な一週間です。今週はイエス様が十字架の上で語られた七つのことばを学び、キリストの十字架を思いめぐらす一週間をみなさんと過ごしていきたいと願っています。

 十字架上の第二のことば
  「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ福音書23章43節)
 
 イエス様の両隣には同じく十字架につけられていた犯罪人が二人いました。一人は、十字架上で「あなたはキリストなら自分を救い、我々も救ってみろ」と言いました。周りの人々も、「彼は他人を救った。もし、彼が神のキリスト、選ばれた者なら自分自身を救うが良い。」と言いました。

 イエス様は十字架から降りてくることなど簡単に出来ました。もしここで十字架から降りたならば、そこに居る人たちは「あぁ、この人は神の子だ、と崇め奉られたでしょう。」 しかしイエス様はそうなさいませんでした。それでは私たち人間の罪のさばきの身代わりにはならないからです。イエス様の十字架は、私たちが受けるべき罪のさばきの身代わりであったのです。

 その時、隣りにいたもう一人の犯罪者がこう言いました。「我々は、当然の報いを受けているだけだが、この人は何の罪もないのだ。」

 彼は自分の犯してきた自らの罪を認めていました。イエス様が神の子であることも認めました。そして言うのです。「あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」 自分の人生の終わる直前の小さな信仰告白でした。「私を思い出してくださるだけで結構です。」 彼は、自分には自分の負うべき罪の報いを受けている、そのことを知っていました。

 しかしこの小さな信仰のことばをイエス様を受け取ってくださったのです。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」 イエス・キリストから救いの約束の宣言でした。

 今日、私たちにもこの天国の約束の宣言が語られています。もし私たちが自分の罪を認め、謙遜に、「私を思い出してください」と言うならば、イエス様は、(私たちが)どんな罪の中にあったとしても、確かに「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と宣言してくださるのです。神にのみ言うことのできることばです。

 (十字架上の)第二のことば。救いの約束のことばでした。このことばによって私たちは死ぬことはもう恐れではなくなります。

 この受難週、この天国の約束をあなたも受け取りませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2023.4.4放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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