2023/4/14放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。
いつもイエス様のそばにいた12人の弟子の中にトマスという人がいました。この人はよく、「疑い深いトマス」と言われたりします。実際はどうだったのでしょうか。
復活したイエス様が弟子たちに会いに来てくださった、あの喜びに満ちた日曜日の夕方。実はトマスだけがちょうどそこにいませんでした。後でみんなが「私たちは主を見た!」と言っても、トマスはこう言い張りました。
「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません。」 ヨハネの福音書20章25節
彼はこの時、結果的にちょっと仲間はずれのような立場になってしまったんですね。自分だけが出遅れてしまった。こういう寂しさ、誰でもどこかで経験したことがあるのではないでしょうか。
けれども一週間後、再びイエス様は弟子たちの中に来てくださいました。今度はトマスもいました。というよりも、イエス様はトマスのために来てくださったのではないか。そう思えてなりません。「わたしはあなたのことを忘れてなんかいないよ」と。
トマスはイエス様に会えて、心の底から感動しました。もう傷痕を確かめる必要なんて、ありませんでした。ただこう言ったのです。
「私の主、私の神よ。」 ヨハネの福音書20章28節
私たちにとって、忘れられるということは辛いものです。自分の存在があってもなくても関係なく、みんなが楽しんでいるように思えるとき、愛されていない必要とされていないと感じるとき、それは本当に苦しいものです。
でも、イエス様はあなたのことを忘れることはありません。絶対に。イエス様の腕に受けとめられる時、人は疑いを越えていくことができます。自分でも開け方が分からなくなっている私たちの心のドアは、イエス様が開けてくださるのです。このお方に出会い、信じる者へとならせていただくとき、喜びと希望が流れこんできます。その意味でトマスの体験は、私たちの物語でもあります。トマスは「疑い深い人」ではなく、それ以上に、「イエス・キリストの愛を深く知った人」なのです。
( PBA制作「世の光」 2023.4.14放送でのお話しより )
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