♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■古田織部が愛した器 / 岩井基雄

2014年02月28日 | Weblog
2014/2/28放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 今日2月28日は茶人・織部(おりべ)の日だそうです。岐阜県の土岐市が定めたということでした。1599年慶長4年のこの日、千利休(せんのりきゅう)亡き後の豊臣秀吉の茶道・茶事を司どる頭である古田織部が自分で焼いた茶器を用いて茶会を開き、その器が織部焼きと呼ばれるようになったそうです。

 織部焼きは緑色の釉薬(ゆうやく)をかけた焼き物を総称しているようです。古田織部は古典的で厳格な利休の茶の湯に比べて自由気ままに「破格」を楽しむ茶人でもあり、「織部十作」とも言われる陶芸家たちにも自由奔放に焼き物全般を創造させていたそうです。その自由さの背景にはキリシタンだと言われ彼の創造主なる神への信仰があるかもしれませんねえ。

 東京都の港区にある畠山記念館には割り高台(こうだい)茶碗と言う高台茶碗の中でも特異な茶碗が展示されています。それは古田織部がこよなく愛しまた所有したのではないかと言われる茶碗で、割れた高台がとても印象的です。高台の足は4ヶ所が大きく切り込まれ、そこから見ると十字架が刻まれているようにも見え、キリシタンの洗礼あるいは聖餐式の器であったとも考えられているようです。

 新約聖書の中に次のようなことばがあります。
 
 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
      新約聖書 コリント人への第二の手紙 4章6節、7節

 欠けてひびの入りやすい土の器の中にキリストを知る知識の輝きがある時、それは闇を照らす輝きとなり、計り知れない力がそこにある、というのですね。

 古田織部はこの器を通してキリストの輝きとキリストに従う者の力強さを見ていたのかもしれませんね。どのような状況の中にあっても弱い私たちの内にキリストの力と光が輝くとき、私たちもまた計りしれない力をもって力強く歩み抜くことができるのです。

  (PBA制作「世の光」2014.2.28放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主が決めておられた / 福井 誠

2014年02月27日 | Weblog
2014/2/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主が決めておられた」です。

 では第二サムエル記の17章の14節から読んでみましょう。
 アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。

 父のダビデ王に謀反を起こしたアブシャロムは、父ダビデを完全に葬り去ろうとしていました。もはやアブシャロムの心に家族愛はありませんでした。

 そこでアブシャロムは優れた家臣のアヒトフェルに助言を求めるのです。どうやって父ダビデを追い詰めるのか、アヒトフェルの助言は簡単でしたが最も的を射たものでした。ダビデがまだ弱く体制が整っていない状況を捕えて即座にダビデを打て、という訳です。当時アヒトフェルの右に出る者は居ないというほどにアヒトフェルの助言は的確で恐れられていました。

 しかしアブシャロムはどういう訳かそこでもう一人の家臣フシャイの助言に関心を持ちます。フシャイは別の意味で巧みな家臣でした。つまりアヒトフェルの的確な助言をことば巧みに否定し、人心を捕えたからです。アブシャロムはまんまと乗せられて優れたアヒトフェルの助言を退けてしまったのです。

 聖書の著者はこの出来事を解説して言います。アヒトフェルの謀り事は確かにフシャイの謀り事よりも優れていた、と。彼の右に出る者は居なかった、と。しかし神がアヒトフェルの謀り事を打ち壊そうと決めておられたので、その優れた助言が採用されないようになってしまった、と言うのです。

 すべてを支配し、ご自身の御心を成し遂げられる神の存在を思わされるところですねえ。私たちは物事は能力ある人間の手によって動いていくのだと考えがちです。しかし神はそんな力ある人間の能力を封じ込めることもお出来になります。人間の謀り事を越えて、正しいことを貫かれる神の大いなる力に望みを置いて生きるなら、どんな人生も諦める必要はないと言えますね。助けてくださる神を信じましょう。

(PBA制作「世の光」2014.2.27放送でのお話より )

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■それから二年後 / 板倉邦雄

2014年02月26日 | Weblog
2014/2/26放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「それから二年後」という題でお話ししましょう。

 聖書には、「すべてのわざには時がある。 」(伝道の書 3章 1節)ということばがあります。泣くに時があり、笑うに時があるのです。「それから二年後」とは、青年ヨセフがエジプト王様の毒味役とコック長の夢を解き明かしてから二年後です。毒味役に復帰できた人がヨセフからの願いをすっかり忘れてから二年後と言うことですね。

 さて今度は王様自ら夢を見たのです。ナイル河に立っていると突然、川から丸々と太った雌牛が七頭出てきて、あたりの草を食べ始めたのです。次にまた別の雌牛が七頭出てきました。骨と皮ばかりであばら骨が浮いて見える牛ばかりです。それが歩いて行って太った牛の隣に立ったかと思うとその太った牛を食べてしまったのです。そこで王様は目が覚めました。

 やがてまた、うとうとと寝入ると別の夢を見ました。今度は一本の茎に穀物の穂が七つ出て来るのです。一つ一つはみな形もよく実が一杯詰まっていました。ところが突然、同じ茎にまた別の穂が七つ現れました。どれもこれも東風にやられてちりちりに焼け、実が入っていません。何とそのしなびた穂が実の詰まった穂を飲み込んでしまったのです。そこでまた目が覚めました。全部夢でした。

 王様はあれこれと考えましたが、考えれば考えるほど夢のことが気になって仕方ありません。国中の占い師や学者を呼び集め、夢の意味を説明させようとしました。しかし、誰にも何のことか分りませんでした。

 その時です王様の毒見役が口を挟みました。「王様。実はうっかりしておりましたが、とうに申し上げておかなければならないことがあったのです。二年前ですが、王様がお怒りになって私とコック長とが親衛隊長ボテファルさんの屋敷内の牢に入れられたことがございました。あの夜私どもは夢を見たのです。その夢を隊長の奴隷だったあるヘブル人の青年に話しました所、夢の意味をちゃんと説明してくれました。そして何もかもその通りになったのです。」 

 いよいよ人の時ではなく神の時が動き始めようとしていました。

 聖書のことばです。
 「神のなされることは皆その時にかなって美しい。
                  伝道者の書 3章11節

(PBA制作「世の光」2014.2.26放送でのお話より )

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■信じるものになりなさい 4 / 大嶋重徳

2014年02月25日 | Weblog
2014/2/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。ヨハネの福音書20章に復活後、「私は決して信じない。」と言ったトマスが出てきます。

 8日後にイエス様がトマスに現れました。その日弟子たちは8日前と同じく室内にいました。室内は同じく戸が固く閉じられていました。しかし一つだけ違うことがありました。この日トマスも彼らと一緒にいた、と記されていることです。

 8日前には、彼らと一緒にいなかった、とありました。トマスはイエス様が十字架にかかられた時その場所から逃げ出してしまった弟子の一人です。もしかすると彼は自分の信仰に挫折してクリスチャンの交わりから身を引いてしまったのかもしれません。彼は復活の朝、クリスチャンたちと一緒にいなかったんです。

 しかし、ここに彼の誤りがありました。ヨハネの福音書はトマスが信じることができなかった理由として、疑いやすいトマスの性格があったとは一切記していません。淡々と記しているのは、イエス様が来られた時にトマスは彼らと一緒にいなかった、という事実です。

 実はこの箇所が私たちに光を当てているのは、私たちはどこで信じるのか、という信仰を持つ場所についてです。聖書が問題にしているのは実は疑うということ自体ではなく、どこで疑うのかということです。結論から言うならば、人は教会という交わりを離れて信仰への疑いを克服することはできない、ということです。

 復活の朝一緒にいなかったトマスに弟子たちはイエス様の復活をトマスに伝えに行きます。更にトマスも、復活が信じられない、と自分の疑問をクリスチャンの交わりにぶつけるのです。その疑いに悩むトマスを弟子たちは受けとめ、トマスと8日間一緒にいるのです。これがこの後のトマスの回心の大前提となっているんです。

 不信と疑いの思いを抱えつつも、トマスはこの日信仰者の群れの中にとどまっていたのです。教会という場所こそ安心して疑うことのできる場所なのです。

 私たちは教会で神様の存在を疑うことが必要です。一人で山に登って神存在を問いただしても、その答えは見つけられないでしょう。ですから、信じられないと思えば思うほど教会に来ていただきたい。クリスチャンのいる所に身を置いていただきたいと思うのです。どうぞお近くの教会をお訪ねいただきたいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2014.2.25放送でのお話しより )

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■永遠の主イエス  / 関根弘興

2014年02月24日 | Weblog
2014/2/24放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 新約聖書の一番最後にある書物はヨハネの黙示録です。この黙示録が書かれたのは紀元1世紀の末頃だと言われています。当時のローマ皇帝は、ローマ皇帝こそローマ精神の具現者だと宣言して皇帝を礼拝することを強要していきました。でも当時のクリスチャンたちはイエス・キリストは主であると告白していた訳ですね。ですからクリスチャンたちは迫害の対象となっていきました。

 教会では毎週礼拝でイエス様が教えてくださった主の祈りを祈ります。この祈りの最後は「国と力と栄えとは限りなく汝--神様--のものなればなり」という、こういうことばで締めくくられている訳ですね。ですから、当時のローマ社会では主の祈りを唱えるだけでもいのちがけだった訳です。

 武器も持たず全く無力な当時のクリスチャンたちはカイザル(※ローマ皇帝の称号)かキリストかこの二者択一を迫られていった訳です。

 そんな中でイエス・キリストの弟子の一人であったヨハネ、このヨハネも捕えられ、パトモスという島に島流しに遭ってしまいました。そんな厳しい環境の中でヨハネは幻を見たんです。その幻を書き記したのがヨハネの黙示録なんですね。

 この黙示録の内容は当時のローマ帝国へのさばきの予告であると共に、世の終わりにおける光景をいろんな象徴的な表現を用いて示しているんです。その内容は現実の絶望的な恐怖と向かい合いながら先がどうなるか分からない中で歩んでいたクリスチャンたちに大きな励ましと慰めを与えるものでした。

 この黙示録の1章17節から18節にはこのように書かれています。
 「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。

 これはイエス・キリストのことなんですね。イエス・キリストは最初であり最後であると、この世界の歴史の支配者はローマ皇帝ではなくわたし--イエス様--ご自身だと宣言している訳です。

 そしてイエス様は「わたしは死んだが、・・・、いつまでも生きている。」と語られていますね。すべてのものは死を迎えます。しかしイエス様は十字架で死なれましたが復活された今も生きている。いつまでも生ける存在なのだ、という宣言なんです。そしてぜひ知っていただきたいのは、このイエス様のこの宣言は、今も一人ひとりに語られているということです。わたしはすべてを支配し、わたしは決して滅びることがない、いつまでも生きているのだ、と言われるのです。

 だからこの方を信頼し歩むことによって、私たちは絶望を乗り越え、永遠の慰めが与えられながら歩んでゆくことができるんですね。

 (PBA制作「世の光」2014.2.24放送でのお話しより)

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■律法について / 羽鳥頼和

2014年02月22日 | Weblog
2014/2/22放送

 世の光の時間です。お聞きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は律法についてお話しします。

 律法とは掟・法律のことですが、聖書では神様の教えのことです。有名な律法はモーセの十戒と言われる十の教えです。今日はその十戒のもとにあるもう少し細かな神様の教えを旧約聖書の出エジプト記23章から紹介したいと思います。

 裁判の時の証言について神様のこのような教えがあります。
 「偽りのうわさを言いふらしてはならない。悪者と組んで、悪意ある証人となってはならない。悪を行なう権力者の側に立ってはならない。訴訟にあたっては、権力者にかたよって、不当な証言をしてはならない。また、その訴訟において、貧しい人を特に重んじてもいけない。」 出エジプト記 23章1~3節 

 裁判が正義と公正であるために偽りや偏った証言をしてはいけないと教えているのです。神様が求られる公平さがここにあります。

 また仲の悪い人、敵対関係にある人に対して、神様のこのような教えがあります。

 「あなたの敵の牛とか、ろばで、迷っているのに出会った場合、必ずそれを彼のところに返さなければならない。あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない。」 出エジプト記 23章4節、5節

 たとえ自分に対して敵対心や憎しみを抱いている人に対しても正しいことを行わなければならない、と教えています。これは神様の教える隣人愛です。

 在留異国人についてこのような教えがあります。

 「あなたは在留異国人をしいたげてはならない。」 出エジプト記 23章9節

 在留異国人は差別されたりないがしろにされたりすることが多い弱い存在です。そんな社会的弱者への配慮を教えています。これも神様の教える隣人愛です。

 イエス様は律法についてこのように教えておられます。

 「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。 律法全体と預言者(※旧約聖書全体を指す言い方)とが、この二つの戒めにかかっているのです。」 マタイ 22章37~40節

 神様の律法は、私たちが神様を愛し人を愛するために与えられた神様の教えです。どのようにしたら互いに愛し会えるのか神様は私たちに教えておられるのです。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2014.2.22放送でのお話より )
 
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■改心? 回心? / 岩井基雄

2014年02月21日 | Weblog
2014/2/21放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。

 今日は愛知県豊橋市の小池やすとしさんよりリクエストがあった質問です。こんなお便りでした。
 「日本語には改心--改める心--ということばがあります。しかしキリスト教では回心--回る心--と書くそうですね。例えばサウルの回心など。キリスト教用語ではなぜ改心ではなく回心なのでしょうか。」という、小池さん良い質問を本当にありがとうございました。

 ご指摘の通り日本語で通常使われる改心--改める心--は英語では reforming リフォーミングと訳され、改めるという意味を強調しています。一方、キリスト教が使う回心--回る心--は英語では方向転換と意味を持つ conversion コンバージョンと訳され、方向を変えて神に向かう、神との関わりが整えられるという意味があるようです。

 また仏教用語にも回る心と書いて回心(えしん)ということばがありますが、同じように自分の罪や弱さに気づき、真理へと心を向けるというそのような内容を含んでいるようです。

 神様との関わりが整えられるという回る心、回心が与えられて神様によって私たちの心が変えられていくという、改められるその改心が与えられていくのですね。

 聖書の中には次のようなことばがあります。
 「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。」 新約聖書 コリント第二の手紙7章10節、11節

 単なる悲しみや後悔にとどまらず神との関わりを正す方向に向かう、救いに至る悔い改めは、更にすべての面で神に方向を向け神と共に歩むことを意味し、それはいのちに向かう回心・悔い改めを示しているのでしょうね。

 聖書のことば
 「(神)は、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」 新約聖書 ペテロ第二の手紙 3章9節

 あなたも自分の愚かさ、罪を認め、方向転換をして神に向かう者、神に立ち帰る者とされて行きませんか? 

  (PBA制作「世の光」2014.2.21放送でのお話しより)

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■私にしあわせを報いてくださる / 福井 誠

2014年02月20日 | Weblog
2014/2/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「私に幸せを報いてくださる」です。では第二サムエル記の16章12節から読んでみましょう。

 「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。


 ダビデ王は謀反を起こした息子のブシャロムに追われ、宮殿をいのちからがら脱出しました。すると逃げ道の途上、かつての宿敵サウルの家の者シムイに出会うのです。シムイはよほどダビデを憎く思っていたのでしょう。ダビデに罵詈雑言(ばり・ぞうごん)を浴びせ、災いあれと呪いをかけます。それを聞いたダビデの家来がシムイをその場で打ち殺そうか?とダビデに問いかけました。ダビデはそれを制します。なぜダビデは制したのか。私はこの箇所を読み、長いことダビデは過去の過ちに引きずられて自分の不幸に甘んじることを良しとしたのだと考えていました。自分は姦淫や人殺しの罪を犯したのだからそんなふうに言われても仕方が無い、という心境にあったのだと。しかしそうではありませんね。

 ダビデは言います。「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。

 ダビデは確かに悪を行いましたが、その事に捉われていた訳ではありません。実際、神様もいつまでも過去の失敗を取り上げてだらだらとねちっこく人を責め続けるようなお方ではありません。アブシャロムの謀反は確かにダビデにとっては辛い試練でしたが、それはダビデの過去の責任を蒸し返すものではなかったのです。神は悔い改めた者の罪を忘れてくださるお方です。神の赦しとはそういうものです。

 ですからダビデは人から呪いを受けても、やがてこれは幸せに変えられる、人は自分を呪っても神が自分を呪うことはないと希望を持つことができた訳です。

 何か不幸が起こったらいちいち過去の過ちと結びつける発想は捨て去りたいものですね。罪を悔い改め神に従う者には、いつでも主の幸せの希望があることを信じていきたいものです。

(PBA制作「世の光」2014.2.20放送でのお話より )

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■王の毒味役とコック長 / 板倉邦雄

2014年02月19日 | Weblog
2014/2/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「王の毒見役とコック長」という題でお話ししましょう。創世記の40章に入ります。

 さて、エジプト王様の給仕役の長、主にぶどう酒の毒味役と料理役の長すなわちコック長とが王様の機嫌を損ねてしまいました。そして牢に入れられたのです。青年ヨセフが入っている王様の牢でした。この牢はかつて青年ヨセフが仕えていましたご主人、親衛隊の隊長ポテパルの家にありましたねえ。毒味役とコック長はしばらくの間その牢に閉じ込められていました。ご主人のポテパルはヨセフに彼らの世話をするように命じたのです。

 さて、ある夜のことです。二人は夢を見ました。翌朝ヨセフが行くと二人とも元気がなくうなだれています。「どうなさったのです? 何か心配事でも?」 「いやあ実は夕べ二人とも夢を見てねえ。その意味がさっぱり分からず困っていたんだ。」 「夢を解き明かすのは神様ですよ。で、どんな夢ですか? よろしければ私にお聞かせください。」

 ぶどう酒の毒見役が初めに口を切りました。「私の夢はこうです。ぶどうの木があって、見ると三本の枝があり、それにつぼみができ、花が咲き、実が生ったのです。私は片方に王様のワイングラスを持っていたので、その中にぶどう汁を絞り出し王様に捧げると、それを飲んでくださった、という夢です。」

 ヨセフは答えました。「その夢の意味はこうです。ぶどうの三本の枝は三日間ということです。三日したら王様はあなたを牢から出し、前と同じぶどう酒の毒味役に取り立ててくださいます。その時は私の憐れな身の上を王様にお話しください。私はもともとヘブル人ですが、売り飛ばされてここに来たのです。そして無実の罪で牢に入れられてしまったのです。」 ちなみにコック長に対しては王様殺害未遂容疑で死刑になると言う解き明かしでした。

 三日後、王様の誕生日、毒味役は前と同じ仕事に戻り、コック長は死刑になりました。ヨセフの言った通りです。ところが、毒味役は余りにうれしくてお世話になったヨセフにお願いされたことなどすっかり忘れ、王様に口添えするどころではありませんでした。

(PBA制作「世の光」2014.2.19放送でのお話より )

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■信じるものになりなさい 3 / 大嶋重徳

2014年02月18日 | Weblog
2014/2/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 ヨハネの福音書20章に復活を信じることができなかったトマスという人が出てきます。イエス様は信じられないトマスに8日後に現れました。「信じる」ということは一瞬に起こることではなく時間が必要なことだと思います。

 時折、イエス様は愛ですよ、と語るとすぐに「素晴らしい! 信じます。」という人にお出会いすることがあります。しかし私は「もう少しお待ちになったらいかがですか?」と言います。分かったことを信じるということは純粋にも見ますが、やがて少し気に入らないことがあるとすぐに信仰を持つことをやめてしまうということがありがちです。これは「信じた」のではなく「気に入った」ということです。
しかし「信じる」とは信じるに足る時間を過ごす必要があるのです。

 もし私が駅で知らない人にいきなり「200円貸して」と言われても素性の知らないその人に貸さないと思うのです。「うわっ、変な人が来た。」と逃げるかもしれません。しかし今日私が知り合いの人に「200円貸していただけますか?」って言うと、きっと貸してくださるんではないかと思うんですね。それが2千円になるとどうでしょうか。いざとなったら私の教会のある場所に取り立てに行けばいい。私の背景が分かってくると、もしかすると2万円を貸してくださるかもしれません。今私は給料すべて妻に渡しています。これは妻を信頼しているのです。でももしかすると隠れて高いバッグを妻は買っている可能性だってあるのです。これは分からないです。時々、妻が新しい服を着ているのを見て、「いいねえ。いつ買ったの?」って聞くと、「うん。安かったよ。」と言います。でも本当に安かったかどうかも分からないんです。しかし信じているんですね。信じるということには200円の時もあります。それがやがて2000円になり、2万円になる。

 信じることには時間が必要なのです。トマスにはイエス・キリストと出会えない8日間がありました。本当かどうか分からないと葛藤する、信じられない、信じたくない、イエス様は(トマスが)この8日間を過ごすことを大切にされているのです。

 このラジオを聞いておられるクリスチャンの方にもこの8日間があったのではないでしょうか。しかし迷いの先に不信仰の先に、復活されたキリストは8日後に必ず現れてくださるです。今信じたいと願いながら信じることができない方もこのイエス様と過ごす8日間をラジオの前でお過ごしいただけたらと願います。

 ( PBA制作「世の光」2014.2.18放送でのお話しより )

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