♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■「である」から「になる」へ

2006年07月31日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、ある人が「人間であることと人間になるこということは違う」って言いました。そういえば、私は人間であると胸を張ってみたところでお互い何も自分の意志で人間となることを決断・選択して生まれてきた訳ではありませんよね。生まれてみたら、たまたま人間であったにすぎない訳です。えー、そういう点から言えば犬や猫だって同じことになる訳で、私たちが動物学的な分類上、犬ではない猿ではない人間であるっていうだけだったら一体どれほどの意味を持つのだろうかという事になりますねえ。

 えー、ある大学の教育学の教授、家族の方はみんなクリスチャンでしたが、本人は「私は決してクリスチャンなんかにならない。」と言っておられた方があるんですが、ある日かかりつけのお医者さんに診察してもらった時、「昨日お宅のお嬢さんがお見えになりましてねえ、その時おっしゃってましたよ。何でもお宅は皆さんクリスチャンなんですってねえ。」(って)、そのお医者さんが言われたんですねえ。「いや家の者たちはみんなそうだけど私は違う!」ってその教授が強く否定しますと、「ああそう言えばねえ、『家はみんなクリスチャンだからお食事の時はお祈りして戴くんです。お祈りしないで戴くのは家のポチとパパだけなのよ。』っておっしゃっていましたよ。」 それからこの教授、「何だそれじゃ、わしはポチなみかあ。」と、すっかり考え込んでしまって、じゃあポチとパパ、つまり動物と人間の違いは何ぞやと真剣に考えるようになって聖書を読み始め、教会にも行き、ついにポチとパパの違いを発見したというお話を伺ったことがあります。あなたはポチとパパの違い、いや動物と人間の違いをどのように理解されるでしょうか。

 主イエスはかつて夜訪ねてきたユダヤ人の指導者のニコデモっていう人に、「 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」(ヨハネの福音書3章6節、7節)というふうに言われました。どんなに優れた人であったとしても生まれたままの延長でしかないとするならば、動物学的な分類上の人間であるという域を出ていないことになりますね。人間がもし動物と異なる次元で生きようとするなら、いつかどこかで本来的な人間らしい人間に「なる」という実存的な決断をもって出発しなければならないのではないでしょうかねえ。だらだら、生まれてきたまま人間をやっているのでは意味がありません。ですから主イエスは、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネの福音書3章3節)と言われたのですね。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく」(コリント人への手紙第二 5章17節)生まれ変ることができるとありますから、キリストにあって新しく人間に「なる」ということ、大切なことだと思いますね。

 
 
 ( PBA制作「世の光」2006.07.31放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■私はそれであなたのおきてを学びました

2006年07月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。徳島県徳島市にお住まいの日下さんからは、旧約聖書詩篇119篇71節をお寄せくださいました。お読みしましょう。
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(新改訳聖書)

 定年退職から早や5年が過ぎようとしています。退職して少し落ち着いてくると神様の深い御愛が次第に感じられるようになり喜んでいます。そして神様はきっと私を最後まで導いてくださるのに違いないと確信しています。そう思うと、残りの人生というよりもこれからまた新しい人生の出発という何か新鮮な期待が心に湧いてきます。振り返ってみるといろいろな事を思い出します。あわただしく過ぎていった会社勤務の時代、体が弱かった子どもに特に二番目の子どもを病のために亡くし、天国に見送りました。悲しい出来事でしたが、私たち夫婦はそれによって力強い信仰をいただきました。また私自身も体を弱め、手術をする経験をしました。でもそんな辛いことがみんな神様にあって益となっことを感謝しています。みことばはいつも心の中を探ってくれます。神様がみことばを通して私の心の中に潜んでいる自己中心の心や人を傷つける心があることを示してくださいます。毎日でも心の中を洗ってもらわなければと感じることもあります。数年前から毎朝聖書のことばを聞く習慣を与えてくださいました。朝眠くても辛い時も、みことばを読むと心の中に平安が与えられてホッとすることもあります。こんな私をも愛してくださる神様どうぞあなたによって毎日少しずつでも私を変えてください、と祈る私です。

 ・・・えー、日下さんの心に残る聖書のことば。
苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(口語訳聖書)詩篇119篇71節のことばです。

 それではまたお聞きください。

 ( PBA制作「世の光」06.07.29放送のお話しより)

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■心の傷のいやし

2006年07月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 養老孟司さんの著書『バカの壁』という本がバカ売れしたそうです。ベストセラーになりました。ま、その続編に『死の壁』というのがありまして、これも多くの人に読まれているようです。その中で御自分の貴重な経験を書いておられることが心に留まりました。

 養老さんは若い時、挨拶ベタで随分悩んだそうです。そしてその原因を三十歳を超えてから理解し、ま、克服したって言うんです。

 四歳の時、お父さんが亡くなったそうです。亡くなる直前に促されて「お父さんにさよならを言いなさい。最後の挨拶をしなさい。」と言われました。でもできなかった。そうしたらその見てる前でお父さんが喀血して息を引き取ったって言うんです。そしてこの出来事が心の中に深く残り、人に挨拶をするとその人が死んでしまうのではないかという恐れが心に焼き付いていたのだろうって言うんです。

 そしてこの養老さんは三十歳を過ぎてから、他の身内の方の死・お葬式を通して死の現実をより身近なものとして感じ、自分のお父さんの死をも現実として受け取れ、ま、涙が止まらなかったという経験をしたそうです。そしてその経験を通して初めてお父さんの死を受け入れ、それが原因となっていた人への挨拶の恐れ・ぎこちなさがなくなったって言うんです。

 人の心の中に出来た傷、ぎこちない性格や人間関係を生み出してしまう歪みってなかなか自分で気がつかないもんなんですよね。それが分かって理解できて受け入れると、ま、それを克服していくっていう経験です。いろんな経験を通してそのことを知っていく、自覚していくって場合もあるでしょうし、あるいはカウンセリングを通してまあそういうものを克服していくってこともあるでしょうね。人間ってなかなか自分の欠点とか歪んだ性格・ぎこちなさ(に)、きちんと向き合えないというそういう性質があるんではないでしょうか。そしてしょうがないとかですね、もうこう、人と比較して人よりはましだとごまかしたり諦めたりしてしまうかもしれません。

 旧約聖書の詩篇の139篇という所にはこんな祈りの歌があります。
神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139篇23節、24節)

 こんな祈りをもっていく時に心癒されていくのではないでしょうか。

  (PBA制作「世の光」2006.07.28放送でのお話しより )


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■神の変わらぬ愛に安らぐ

2006年07月27日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。

 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5章8節)

 箴言には、「人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」(箴言19章22節)ということばがあります。こちらがどんなふうにあっても変らずに側にいてくれる、心の繋がりを保ってくれる、そんな人の存在はありがたいものです。しかし私たちの現実には何かのきっかけで人間関係が破たんしてしまう、人の愛が変ってしまうということの方が多いものです。神様と私たちの関係もそうなのでしょうか。

 パウロは言います。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった」(ローマ人への手紙5章8節)と。神様からすれば私たちは神様の戒めを犯す愚かな罪人です。神様が嫌だと思うことをする人たちです。にもかかわらずキリストは私たちのために愛を示してくださったと言います。また、このことばの前を読むとこうあります。「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬けんな者のために死んでくださいました。」(ローマ人への手紙5章6節) 私たちが人間的な弱さを丸出しにしていても、神様を恐ぬ思い上がった者であっても、神様は変らぬ愛を示してくださったと言うのです。

 このことばの意味を私はよく考えたいと思うのです。神様の祝福を受けるために私たちが自分の弱さを隠す必要などありません。あるがままでいいのです。神様の好意を受けるため思い上がりの強い自分をことさら痛めつける必要もありません。また自分はこんな罪を犯したから神様に見捨てられて当然だと諦める必要もありません。どんな問題があったとしても神様に見放される理由にはなりません。神様は私たちをあるがままにすでに受け入れてくださっています。まずそのことをよく知っていく必要があります。私たちの信じる神様がそのようなお方であるからこそ私たちの心も安らぐのです。

 皆さんが教会へ行ってこの神様を更に深く知り、信仰の授与と平安を得ていただければと思います。


 (PBA制作「世の光」2006.07.27放送でのお話しより)

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■野の木々もみな手をうち鳴らす

2006年07月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしでしょうか。羽鳥 明です。さあ今日の世の光はまず皆様からのお便りの紹介です。
長野県小布施町にお住まいの原さんからいただきました。いつも短い詩のお便りですねえ。

     「御憐れみ」

    御憐れみと書いている
    御憐れみと書けること 喜びです

    御憐れみと言う
    御憐れみと言えること 喜びです

    御憐れみと書けること言えることを喜ぶ
          小さな小さな小さな私です

    ありがとうございます
    ありがとうございます 喜びです 

 ・・・原さん、いよいよお体を大切に。ありがとうございました。

 さあ今日も心の四季のシリーズです。福島県の山の宿、岳温泉に泊めていただいた7月の頃、まず第一に早朝「お暗き」程の時に、あたりの静寂をつんざくようなホトトギスの声で目が覚まされました。またひと時すると、今度はカッコウのカッコウ カッコウという、ホトトギスとは違う鳴き声にうっとりとし、山の自然の空気を大きな息をして吸い込みました。夏も深まり、山々森々の木々も青々として、聖書のことばを思い出します。「 まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。」旧約聖書イザヤ書55章の12節のことばです。「山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。」何という素晴らしい自然描写でしょうか。私たちが神の御恵み、神の御愛の中に目覚める時に目覚めの朝のトーンは喜びです。使徒パウロは申しました。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4章4節) 主イエス・キリストにあって救われた私たちは喜ぶのです。

 聖書のことば。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。」旧約聖書イザヤ書55章12節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2006.7.26放送でのお話しより )

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■人生を富ませるもの

2006年07月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
 
 今日は初めに聖書のことばをまず紹介致しましょう。箴言10章22節。「主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。

 聖書の中にあるたくさんの箴言は、イスラエルの王様だったソロモンという人が作りました。「栄華を窮めたソロモン」(マタイの福音書6章29節)と言われた人物です。

 彼はこの世に於いては最も成功を収めた人の一人です。その知恵は世界中に轟きました。彼は事業を拡大しました。そして貿易は盛んになりました。国の経済力も増していきました。そんな右肩上がりの人生を送っていたソロモンでしたが、彼が書いた書物を読むと、その心の中の一端を覗くことができるんです。

 聖書の中に伝道者の書という短い書物があります。これもソロモンが書いたんですね。そこにはこう記されているんです。「すべてが空しい。」(伝道者の書1章2節)って。

 確かに人生においてがむしゃらに何かをしている時はいいでしょう。事業が伸びている時はいいでしょう。自分が現役で張り切れる時はいいでしょう。でも彼は栄誉・栄華をすべて手に入れましたが、彼の心には空しさが残ったって言うんですね。

 そうして彼は、結論としてこう記しました。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12章13節) ソロモンは自分の人生を振り返って、結局、まことの天地を創造された神様を敬い、心から神様を礼拝する者として生きるそのことこそ空しさから解放されるのだと言っているんですね。そして最初に紹介したようにソロモンは、「主の祝福そのものが人を富ませ」るのだと書いたのです。人を豊かにするものって一体何でしょう。それは、ソロモンは、主の祝福こそが人を富ませるのだと語ったんです。

 主の祝福って一体何でしょうね。祝福とは、ひざまずくという意味から出発したことばだと言われます。人はまことの神様の前にひざまずく謙遜さ、礼拝することの中で本当の豊かさが与えられると約束しているんです。それはあのソロモンの経験でもあったんですね。もちろんこの豊かさは経済的な意味での豊かさをそのまま意味している訳ではありません。あなたの生き方が豊かになるんです。失望を希望に、苦しみや悲しみさえも益に変えてくだるイエス・キリストと共に生かされていく豊かさを生み出していくんですね。

 ( PBA制作「世の光」2006.7.25放送でのお話しより )

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■「しかない」から「もある」へ

2006年07月24日 | Weblog
 
世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、聖書に出て来ますパウロという人は、「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」(ピリピ 3章13節 )っていうふうに言っていますけれども、同じ生きるにしても、後ろ向きに生きるか前向きに生きるかで随分違ってくるんだと思いますね。あるいはそれを、マイナス思考で生きるかプラス思考で生きるかという言い方にすることができるかもしれません。

 えー、前にも御紹介したことがありますが、九州で長寿学の研究をしている方が日本の千人以上の長生きした人を調査してですね、その結論をこう出したそうです。元気で長生きした人は、人生を前向きに生きているって言うんですね。例えばこう自分の年齢を聞かれるとします。「おじいちゃん、お年いくつ?」「まだ七十だよ。」「おばあちゃんはいくつ?」「私?、まだ八十だよ。」っていったぐあいにですね、「まだ」「まだ」と答え、人生を前向きに捉えているのが分るって言うんですね。それに比べてあまり長生きしない人は、「あなたはいくつ?」「私はもう六十を過ぎました。」「あなたは?」「もう七十だもの。先はもうないよ。」とかいうようにですね、どうも言い方が暗いっていう訳ですね。「まだ」と「もう」が人生の分かれ道ということになりそうですねえ。

 パウロという人はつくづくプラス思考だったんだなあと思わされるんですけれども、ある手紙の中で、「何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」(コリント人への手紙 第二6章10節)っていうふうに言っているんですねえ。無いものねだりという言い方があるように、客観的に見たら十分いろいろ持っているのに、あれもない、これもないと、わざわざ無いものだけを捜してつぶやいたり自分を卑下していたりというふうなこともあったりしますけれども、パウロは、「何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」って言うんですから、こういう人こそ前向きに生きている最もリッチな人というふうに言えるんではないでしょうかね。

 あのう、昨年亡くなりましたけれども、田原米子さんという方は十代の少女の頃、世をはかなんで自殺しようとして走っている電車に飛び込んだんですね。幸い命はとりとめたものの、両足は切断、左腕も無くなって、残るは右手しかも三本の指だけ。「私の三本の指しか無い。これでは生きられない。」と、その後も何度か自殺を試みたというのも無理はありませんねえ。でもこの方は見舞いに来てくださったクリスチャンによってついにイエス・キリストを救い主として信じるに至ったんでいねえ。そして、こう変ったんですねえ。それまで「三本の指しか無い」と思っていたのに、今度は「指が三本もある」と思えるようになった。実際にこの方はその三本の指も人一倍上手に、裁縫も料理もそれはみごとにやってのけるのを私も見たことがありますけれども、私たちもともかく前向きに生きたいと思いますね。

 
 ( PBA制作「世の光」2006.07.24放送でのお話しより)


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■良い牧者は羊のためにいのちを捨てます

2006年07月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。神奈川県川崎市にお住まいの、よぎさんからは新約聖書ヨハネの福音書10章11節をお寄せくださいました。お読みしましよう。

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

 よぎさんは、何のコメントもつけずにただこの聖書のイエス・キリスト様のことばだけをお寄せくださいました。しかしこのことばの深ーい意味がジーンと心に届きますよね。

 旧約聖書詩篇23篇はやはりイエス・キリスト様を良い羊飼いとして歌いあげた素晴らしい詩篇です。ちょっと読んでみましょう。

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 詩篇23篇は私の心の詩篇、慰めと励ましに満ちた詩篇です。しかし私たちの主御自身は自らを羊飼い・良い羊飼いに例えて、ずばり「良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てる。私はその良い羊飼いなのです。」とおっしゃいました。詩篇23篇には書いてありませんが、主イエス・キリスト御自身は自らの十字架の死のことを言っていてくださるのですね。身代わりの死を遂げてくださったのです。

 よぎさんの心の残る聖書のことば、イエス・キリストのことばは、
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」新約聖書ヨハネの福音書10章11節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.07.22放送のお話しより)

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■夜よく眠れるために--最後に自分を守るもの--

2006年07月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。今日は夜よく眠れるためのお話しをします。

 ある健康雑誌のアンケートによりますと、眠りが妨げられる、寝付きが悪いという人は23%もあったそうです。ま、四人に一人くらいの割ですねえ。ま、現代は超ストレス社会なんて言われる訳です。つまり殆どの人がストレスを感じているっていう訳ですから、ま、夜の眠りもままならないって言うのもやむを得ないのかもしれませんね。

 ま、このアンケートによりますと、その原因となるもの、ま、いろいろある訳ですけど、多いのは仕事上の悩みとか人間関係の悩み、将来の不安、病気などが挙げられてます。いずれも身近なことに心乱される訳ですね。

 でも何もこれは超ストレス時代と言われる今だからというのではなくって、旧約聖書の今から三千年も前に出てくるイスラエルの王・ダビデ王、この方も夜も眠れないような状況にあったようです。ま、時代を超えた問題ですね。

 今から三千年も前ですから王様って言っても弱肉強食の時代です。一度敵に負ければ自分も家族も終わり、そんな時代です。しかもダビデ王は自分の息子の反乱というとんでもない状況に陥りました。そんな中で苦しい状況、もう夜も眠れなかったでしょう。そんな中に安眠の秘訣を歌っているんです。こんな風に歌っています。

主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。多くの者が私のたましいのことを言っています。『彼に神の救いはない。』と。しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。」(詩篇3篇1節~4節) 

 どんな状況、苦しみや孤独の中に、不安の中でも、自分を取り囲むように守ってくださる主なる神がおられる。その神に祈り、求める時に応えてくださる。ま、それが心の支えだ。だからよく眠れ、また起きて元気をもって生きていける。そんな歌です。こんな神への祈りをもっていく時に、心に安らぎ、また安眠を得られるのではないでしょうか。

  (PBA制作「世の光」2006.07.21放送でのお話しより )


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■雀すら覚えられている

2006年07月20日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のルカの福音書から読んでみましょう。

 「五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」(ルカの福音書12章6節、7節)

 先日、子どもたちと一緒にペットショップを覗きました。店内をブラブラ歩き回りながら、鳥一つとっても実に驚くほど様々な種類があるのだなあと思わされました。十姉妹(じゅうしまつ)、鶯(うぐいす)、昔から知られた日本の飼い鳥のみならずオカメインコ、カナリヤなど外来の飼い鳥もあります。その色とりどりの様子を見ながら、これらが神様の手によって創造されたのだと考えると、神様のパレットの色どり豊かなことを思わずにはいられません。ぜひともこんな素敵な鳥を家で飼ってみたいものだ、そんな気にさせられたものです。

 ところで、考えてみると、雀をペットショップで見かけることなどまずありません。見栄えが悪いからでしょうか。あるいはそこらじゅうにいるので家で飼うほどではないということかもしれません。私が住む(地域の)多摩川の河川敷ではバードウォッチングが時々なされています。カワセミや様々な種類のシラサギを観察することができ、結構楽しめる場所です。しかし、そこで雀に関心を向け観察を楽しむ人などまずいないようです。人の目にはどうも価値のない鳥ではないでしょうか。

 けれども神の目にはそうではありません。神様は、人が目もくれず(忘れてしまうような)、雀を決してお忘れにならず、毎日その必要を心掛けてくださっていると言います。そして私たちをそのような沢山の雀よりも優れたものであると見てくださっています。

 このような神様であればこそ、私たちは自分たちの必要も神様に確かに覚えられていると確信することができます。今週も神様の守りと配慮を覚えて歩ませていただきましょう。また教会に集い、更にこの神様の祝福を知らせていただくことにしましょう。

 (PBA制作「世の光」2006.07.20放送でのお話しより)

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