♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■永遠の希望 / 関根弘興

2012年04月30日 | Weblog
2012/4/30放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストは「あなたがたは心を騒がしてはなりません。」(ヨハネ 14章1節)とおっしゃいました。なぜならこの地上でいろんなことがあり苦しい時もあるけれども、わたしはあなたがたのためにちゃんと天の場所を備えているから、と約束しているからなんですね。

 わたしの母は、もう16年も前ですけれど末期の肝臓がんで天国に帰りました。母が末期の状態であるときに私たちは家族みんな集まって母に病状を説明しました。母は涙と笑みを浮かべてこう言ったんです。「死は怖くないよ。天に帰るんだから。でも痛みだけは辛いので痛みをできるだけ抑えるように薬を使ってね。」と笑顔で私たちに言ってくれたんです。

 その日の母の日記にはこんなふうに書かれていました。「子供たちが皆集まってきた。これは私の思っていたことが起こったことを悟った。一夫が口を開き『お母さん辛いけど知って欲しい』と言い、癌の末期であることを知らされた。しかし私は自分でもそれをすでにそうではないかと思っていたので心に動揺はなかった。でも子供たちは私のことを親身になっている事を知り、私は本当に幸せだとその時感じた。そうして一夫が詩篇23篇を開き、祈ってくれた。「たとい、死の陰の谷を歩んでも、わざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」(詩篇 23篇4節参照)

 母はこのひと月後に天に召されていきました。私たちはこの地上で会うことのできない悲しみの涙を沢山流しました。でもその涙は決して失望の涙ではなかったんですねえ。なぜなら母は天に住まいを移したということだからです。

 私が小さい頃、栃木県の足尾町にある教会に住んでいました。教会のすぐ隣にはお寺の墓地があり、その墓には町の名士のお墓があったんです。そしてその墓にはこのような辞世の句が彫られていました。

 「行き先の知れぬ旅路や衣替え」

 自分が死を間近にして死んだ後どこに行くのか分からないという、ま、そういう句だったんですねえ。

 しかしその名士のお墓の斜め後ろにクリスチャンのお墓もありました。そしてそのお墓にはこう刻まれていたのです。

 「我らの國籍は天に在り」(ピリピ人への手紙 3章20節 文語訳)

 聖書の約束を信頼し生きるということは天に国籍を持つ人生なんですねえ。

 死で終わることのない永遠の希望をあなたにも知ってもらいたいと心から願っているんです。その希望はイエス・キリストによってあなたに与えられる約束なんです。

  (PBA制作「世の光」2012.4.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■栄枯盛衰 / 羽鳥頼和

2012年04月28日 | Weblog
2012/4/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 神の預言者ダニエルがペルシャの時代に、これからの歴史について預言しました。これらの預言はみなその通りに実現しました。

 ペルシャがギリシャと戦うと預言しました。これはペルシャ戦争のことです。

 それから一人の勇敢な王が現れて大きな権力を持つ、と預言しました。その通りに世界帝国を築いたアレクサンドロス王が現れました。

 それからこの大国が分裂すると預言しました。その通りにアレクサンドロス王の帝国はマケドニヤ、トラキヤ、そしてエジプト、シリアの四つに分裂しました。

 それからイスラエルを滅ぼそうとする北の国に一人の卑劣な者が現れてエルサレムの神殿に偶像を据えることを預言しました。その通りにシリアの王アンティオコス・エピファネスが紀元前168年にエルサレムを攻撃しそこにゼウスの神の像を置き、それを拝むことを強要しました。

 さらに北の王に対して思慮深い人達が立ち上がる、と預言しました。その通りに紀元前167年にマカベアの反乱が起こりました。

 このようにダニエルは300年以上先までの歴史を詳しく予言しそれらはことごとく実現しました。

 この時のダニエルの預言はそれで終わるのではなく、この世の終わりの時、週末のことについてまでも預言しました。それはシリヤの王のように神に逆らう悪が終末の時代にも起るけれどそのような悪は必ず滅ぼされるということでした。

 栄枯盛衰ということばがあります。この世には繁栄することもあれば衰えてしまうこともあるという意味です。ダニエルの300年先にまで及ぶ預言はまさにこの栄枯盛衰の通りの歴史を語っています。しかしこの事が預言として語られることによって、神様はこのようなことが起こることをあらかじめ御存知であったことを教えてくれます。そして最後には悪が滅ぼされるという預言は神様が必ず悪を滅ぼすことを期待することができるということを教えています。

 栄枯盛衰の歴史を見るなら私たちは諦め失望を感じます。しかし神の預言は私たちに希望を与えます。神様はこの歴史を支配し必ず悪を滅ぼされます。あなたも希望を与える神のことばを聞き学ぶためにキリスト教会にいらしてください。

 ( PBA制作「世の光」2012.4.28放送でのお話より )

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■愛を学び続ける  / 岩井基雄

2012年04月27日 | Weblog
2012/4/27放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 個人的なことで恐縮ですけども実は今日は私たちの27回目の結婚記念日なんですね。結婚してから愛することを学び続けていますが、その中で自分の自己中心さや愛のなさで妻をほんとにずいぶん傷つけてきてしまいました。人を愛することや赦すことは簡単なことではありませんね。

 キリスト教式での結婚式は神の前に愛を誓います。あなたは健康の時も病気の時もこの人を愛することを誓いますか?、という誓約は愛するということが感情を基盤とせずに意志を中心とすることを示しています。気持ちや感情、また利害に左右されないで相手を受け入れ愛し赦すことを私たちはあらゆる人間関係の中で学び続けていくのですねえ。

 聖書はこう語っています。「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。」 新約聖書 ペテロ第一の手紙 4章8節、9節

 家庭でも会社でもご近所の人間関係でも私たちは人を愛することが問われます。愛するということは私たちがつぶやくことをやめ、親切やもてなしを具体的に表し、相手の過ちや失敗を赦すことを表している、と聖書は言いますね。しかしそれは簡単なことではありません。私たちの内側からは愛することよりも憎んだり妬んだり意地悪をしたりする事の方が多く出て来るからです。


 ではどうしたらよいのでしょうか。聖書の別の箇所にはこう書いてあります。

 「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。」 新約聖書ヨハネ第一の手紙4章7節

 本物の愛は神から来ます。まず私たちがこの聖書が語るまことの神様から本当に愛されていることを知るのです。神の愛を知る時、人は本物の愛を知り、学ぶことができるからです。私たちは神の愛の深さを知り、その愛から人を愛することを教えられ、学び続けていくのです。

 あなたもこの神の愛を知り、愛の人へと変えれてきませんか? あなたが愛の人へと変えられる時、あなたの周りの人間関係は本当に豊かに変えられていくからです。

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2012.4.27放送でのお話しより)

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■人を汚すもの / 福井 誠

2012年04月26日 | Weblog
2012/4/26放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「人を汚すもの」です。それではマタイ15章の11節から読んでみましょう。

 「口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。

 宗教を信じたために人生が狂ってしまう、そんな嘆きを聞いた事があります。宗教的に熱心であるというのは素晴らしいように思われることもありますが、一歩間違えれば狂信の世界に入ってしまうこともあるものでしょう。信仰を持つということは常識的であってはできませんが非常識になることでもありません。しかし信仰のゆえにしばしば常識感覚が失われてしまうことがあったりするものです。そういう意味ではイエスの時代にもおかしな信仰の持ち方をしていた人々がいました。イエスはその具体例を挙げます。

 たとえば当時のユダヤ人の中には、お金が手元にあっても困っている両親の面倒を見るのではなく神様に捧げてしまうという人がいました。信仰に熱心であるのは良いとしても、実際に困っている両親を助けることもしない信仰というのはどういうものなのでしょうか。それは神様に対する熱心さを隠れ蓑とする都合の良い自己中心な信仰ではないでしょうか。

 イエスはそのような信仰の矛盾をついて信仰というのはそういうものではないと明言するのです。そもそも何が問題なのか。イエスは核心的な部分に触れていきます。口に入る物というのはお腹に入っても結局は排泄されて人を汚すことはない。けれども口から出て来るものすでに心にあって心から出て来るものは人を汚すのであると。悪い考え、殺意、いまいましさ。すでに心にそういうものがあるのなら、どんなに宗教的に熱心で良い人を装ってもいずれそのメッキは剥がれ、いずれその内側のいまいましさが表れて隠し通せなくなってしまうということです。

 ですからその内側において本当のきよさ、正しさ、優しさを保っている人はいよいよその宗教的な熱心さによって誠に魅力のある生き方を示すようになるのです。真に内側からきよめられた信仰の熱心さを保ちたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2012.4.26放送でのお話より )

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■アブラムの召命  / 板倉邦雄

2012年04月25日 | Weblog
2012/4/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「アブラムの召命」という題でお話ししましょう。

 召命は「命に召す」と書きます。神様が私たちをある目的に召し出すことを召命と言います。旧約聖書の12章からはアブラムの生涯が始まります。

 さてときに主なる神様はアブラムを呼び出します。いつどこでなされたのでしょう。新約聖書の使徒の働きを見ますと、

わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。

と(使徒の働き)7章の3節にあります。

 天の神様の呼び出しとは言え、住み慣れた故郷を捨て親族や友人と離れるのは大変だったでしょう。しかもまだ見ていない土地へ行くことは不安だったのではないでしょうか。

 さて次に神様の召命には約束が伴っていました。「わたしはあなたを大いなる国民とする。」(創世記12章2節参照) まだ一人の子供もいないのに大いなる国民・民族にするとはどういうことでしょうか。あなたを祝福しあなたは祝福の基いとなるであろう。このアブラムの神様の呼び出しに対する信仰の応答から約2000年後、アブラムの子孫から救い主イエス・キリストが誕生してきます。確かに地上のすべての人々の祝福の基礎・源泉となりました。
 「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての人々はあなたによって祝福される。」(創世記12章3節参照)とも神様は祝福されました。

 さて私たちもこの主なる神様の呼び出しに応えようではありませんか。メソポタミアのウルの地は偶像と肉欲の満ちた文明の国でした。父なる神様は私たちを貪欲という偶像崇拝と目の欲や持ち物の誇り、暮らし向きの自慢だけに満ちたこの世から私たちを呼び出したいのです。そしてあなただけではなく、あなたの家族や孫たち、周りの人々を祝福された神と共にある人生へと招いているのです。

( PBA制作「世の光」2012.4.25放送でのお話より )

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■死中に活を求める 山中直義

2012年04月24日 | Weblog
2012/4/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 絶対絶命の窮地に立たされるその時、打開の道はどこにあるのでしょうか。創世記35章に登場するヤコブは絶対絶命の窮地にありました。家庭崩壊の危機と民族存亡の危機に立たされていたのです。家庭が崩壊しつつある中で民族としても周囲の民族に根絶やしにされてしまうかもしれない。絶対絶命の窮地に立ったヤコブでした。

 ところが、そんなヤコブに神からのことばがあったと言います。旧約聖書創世記35章1節

 神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、・・・神のために祭壇を築きなさい。」

 このベテルに向かうということはその時のヤコブにとっては常識とは正反対の行動を意味していました。ベテルという地はヤコブら一族を根絶やしにしようとしていた民族の真ん中を突き抜けていかなければたどり着けない所であったからです。

 またそこに祭壇を築き、真の神だけを礼拝して生きるということもその時のヤコブにとっては考えがたいことであったと言えます。ヤコブの家の者たちは異国の神々を信頼して偶像を持っていました。崩壊しそうになっている家族に向けて、偶像により頼むことをやめ真の神だけを信じて生きよ!と呼びかけることは却って溝を深めることにもなりかねない行為でした。しかしそれでもヤコブは神のことばに従ったと聖書は言います。絶対絶命の窮地の中、死中に活を求めるようにして彼は神のことばに従ったのでした。

 するとその時不思議なことが起こったと言います。まことの神だけを信頼しようと呼びかけたヤコブに一族の皆が素直に応答し、手にしていたすべての偶像を捨て去ったというのです。さらにベテルに向かって彼らが歩み始めると神からの恐怖が周囲の民族に降り、彼らはヤコブらの後を追わなかった、と言います。

 絶対絶命の窮地の中、打開の道はどこにあるのか。それは神のことばに従うところにあると聖書は言います。神のことばに聞き従うことこそ絶望を希望に変える道だと聖書は教えているのです。

    (PBA制作「世の光」2012.4.24放送でのお話しより )

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■永遠の命を得るために / 関根弘興

2012年04月23日 | Weblog
2012/4/23放送

 世の光の時間です。元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 私たちがどうしても自分で解決できない問題があります。それはですね「死」という問題です。

 ヨハネの福音書の中にこんな出来事が記されています。ベタニヤという小さな村にマルタとマリヤの兄弟であるラザロという人がいました。この人が病気になり、ついに死んでしまったんです。イエス様は悲しみに沈むこの姉妹の所に行きましてこのように言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ 11章25節) イエス様はこのことばを通して何を示そうとされているのでしょう。

 第一にイエス様は死というものは終わりではないということを語られたんです。死は容赦なく例外なしにすべての人を襲います。しかしイエス様はその死は終わりでないと言われたんですね。

 二番目は、死を乗り越える命があると言われたんです。イエス様は死んでも生きる世界があるのだと言われた訳です。死を乗り越える命があるのだと教えられたんですね。

 そして第三にイエス様ご自身がその生命そのものでイエスを信じる者は死ぬことがないと言われたんです。

 でも考えてみればイエス・キリストを信じたって私たちはいつかは誰も死を迎えますよね。イエス様は偽りをそれじゃ言われたのでしょうか。違うんです。イエス・キリストがご自分の生涯をかけて取り組まれたこと、それは私たちが避けることのできない二つの問題に対して解決の道を提供したということなんです。

 一つは先ほど言ったように死という問題、そしてもう一つは私たちの心の罪の問題なんです。聖書は「罪から来る報酬は死」(ローマ 6章23節)であると書かれています。ということは罪の解決のあるところに死の解決があり、死の解決はまた罪の解決に繋がっているということなんです。イエス様が来られた目的はこの二つの解決のために来てくださったんです。

 それでは一体どのような方法で解決の道を与えたのでしょう。それはイエス様があのむごたらしい十字架についてくださったということから始まるんですね。教会には十字架がシンボルマークとして飾られています。また十字架のネックレスをしている人も大勢いますよね。本来十字架は処刑の道具です。でもどうして飾られているんでしょう。なぜならばイエス・キリストの十字架こそ私たちの罪の身代わりの十字架であり、そこに命をかけた愛が表されているからです。そればかりか、イエス・キリストは三日目によみがえって、死を乗り越える命があるということを示されました。このイエス・キリストを信じる時、死を乗り越えた命が一人一人に与えられるのです。

  (PBA制作「世の光」2012.4.23放送でのお話しより)

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■おごれる人もひさしからず / 羽鳥頼和

2012年04月21日 | Weblog
2012/4/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 バビロンの王ベルシャツァルがある日千人の貴族たちを宮殿に招き大宴会を開きました。彼は国の繁栄におごり高ぶっていました。彼はエルサレムの神殿から奪ってきた金銀の器に酒を盛って異教の神々を賛美する歌を歌っていました。するとその時突然人の手の指が現れ、不思議な文字を書いたのです。王はそれを見て顔色が変わり、それに怯えて腰の関節が緩み、膝はガタガタ増えました。そして大声で占い師たちを呼び、彼らにこの文字の意味を解き明かすように命じました。しかし誰もこの文字の意味を解き明かすことができません。そこに神の人ダニエルが王の前に連れて来られ、文字の意味を解き明かします。

 その文字はまことの神様からのメッセージでした。この文字の意味は王がおごり高ぶり異教の神々を賛美したので神様はこの国を滅ぼし、ペルシャに与えるという意味だとダニエルは語りました。その夜、ペルシャの軍隊が宮殿を攻め、王は殺されてしまいました。預言がその通りになったのです。

 詩篇1篇の5節、6節にこのように言われています。
  「それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。

 バビロンの王はまさにこの通りに滅びてしまいました。

 詩篇1篇の2節から3節には正しい人についてこのように言われています。
 「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

 神のメッセージを語ったダニエルはおよそ70年間、異国のバビロンそして後のペルシャで神様のために働きました。彼は毎日神に祈っていました。まさに詩篇のみことばの「その人」の通りです。
 私たちも毎日神様のことばである聖書を心に留めて生きていきたいものです。神様のみことばを聞き、教えられるために、ぜひキリスト教会にいらしてください。

 ( PBA制作「世の光」2012.4.21放送でのお話より )

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■賛美とは / 岩井基雄

2012年04月20日 | Weblog
2012/4/20放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「賛美」です。「賛美」ということは自体はあまり耳にしないかもしれませんが、「自然を賛美する」あるいは「大地を賛美する」なんてありますよね。讃美歌を歌うことや、また神を賛美するゴスペル・ソングを御存知の方は多いでしょう。讃美歌やゴスペルを歌うと何だか不思議にうれしくなりますという方もいらっしゃいます。

 この賛美とは天地万物すべてのものを造られた神様の素晴らしさを誉めたたえ神様の愛や恵みを心から感謝しそれをことばや歌にして表現することを表します。ですから、嬉しいことがあったから神を賛美するというだけではなくて、困難や苦しみの中でも神様が賛美されるに相応しい方だからこそ心から神を賛美し感謝をするということができるのですね。

 聖書の中にこんなことばがあります。「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
 新約聖書 使徒の働き16章25節

 クリスチャンであったパウロとシラスという人がイエス・キリストの愛を伝えていた時に、ある誤解や妬みから捕えられ鞭打たれ、一番奥の牢屋に入れられました。普通ならば悲しみ、神に怒りを表すような場面でしょう。しかし彼らは牢獄の中で神の素晴らしさを誉めたたえ、神に祈り、賛美の歌を歌ったのです。すると周りの囚人たちがその賛美に聴き入っていたというのです。その夜、大きな地震があり、牢屋の扉はみんな開いてしまいました。牢屋の管理人は囚人がみんな逃げてしまったと思い自害しようとするのですが、それをパウロが止めます。何と囚人たちは誰も逃げなかったのです。パウロたちは一番奥の牢屋だったのにです。

 賛美には不思議な力があります。神様を知らない方でも大きな過ちを犯した方でも神様への賛美は歌う人や聞く人の心の奥底にまで神の平安と力を与え人生を変えるのです。

 あなたもどんな時にも神様の素晴らしさに目を留め、神様を誉めたたえ、感謝し賛美することができます。あなたも神を賛美するために教会にいらっしゃいませんか? 神への賛美はあなたの人生を奥底から変えていくからです。どうぞあなたも賛美に溢れる人生へと歩み始めてください。

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■恐れることはない / 福井 誠

2012年04月19日 | Weblog
2012/4/19放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「恐れることはない」です。それではマタイ14章27節から読んでみましょう。

 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。

 イエスの弟子たちがイエスと離れ、湖の向こう岸に渡ろうとしていました。すると風が向かい風で波に悩まされていたと言います。日本のような小さな湖ではありません。大きな湖ですから、まるで海の真ん中に放り出されたかのように小舟は波にもまれ、弟子たちは途方に暮れていました。

 興味深いことにマタイはこれがイエスが強いたものであることを伝えています。つまりイエスはわざわざ弟子たちだけで向かい風の強い湖に出て行かせ、困った事態になるようにされたというわけです。何か意図があったことははっきりしていますね。

 マタイの福音書ではそのことをはっきりと語ってはいませんが、マルコの福音書の同じ記録を読むと、「彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていた」(マルコの福音書 6章52節)と付け加えられています。つまりこの出来事は五千人の胃袋を満たした五つのパンと二匹の魚の奇跡の後に来るものであって、イエスはそこで学んだことをもう一度復習し生かすことを求めていたことがはっきりしているのです。 五つのパンと二匹の魚が弟子たちの信仰を試す試験となっていた訳ですから、この湖の向かい風の出来事は弟子たちの信仰を試す追試験と言えるものになっています。しかし弟子たちは最初の試験で悟りを得ることもなく追試験も失敗してしまったということでしょう。

 しかし弟子を笑うことはできません。私たちは信仰を試される出来事に遭遇しながら何度も信仰を働かせる試験に失敗してしまうのです。悟りに鈍いと言うべきでしょうか、神を信じると言った瞬間に、もう神を信じていないような私たちの現実がありますね。「しっかりしなさい。・・・恐れることはない。」と語られる神様をしっかり信じていきましょう。

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