♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■私は山に向かって目を上げる

2005年12月31日 | Weblog

 世の光の時間です。2005年最後の日ですね。この一年、いかがお過ごしでしたでしょうか。羽鳥 明です。

 さて今日の世の光は皆様からお寄せいただく心に残る聖書のことばの御紹介です。今年最後のこの日のためにお寄せくださいましたのは東京都世田ヶ谷区にお住まいの小山さんで、聖書のことばは旧約聖書詩篇121篇1節、2節。文語訳でお送りくださいました。

 「我、山に向かいて目をあぐ。わが助けはいずこより来るや。わが助けは天地(あめつち)を造りたまえるエホバより来る。

 感謝します。このみことばはいつも私の口にあり心にあります。いつも困った時の神頼みで身勝手な私の願いでも祈りでも、このみことばを口にして祈る時に神は私の必要に対してお答えくださいます。神様からの答えは、どんなものでも私にとってはすばらしいことで、うまく表現できませんが、いつも問題があると神はお答えくださいますので感謝しています。

 小山さんありがとうございました。ラスキンは、「山は神を見上げるために造られた」と言いました。私たちは人ばかり見て上を見上げないことがありますねえ。私の先輩で今は亡き、すばらしい牧師になった方はこう語ってくださいました。「私はねえ大学生の頃、放蕩三昧、本も布団も質に入れ、金に困って上野から文京区の大塚までお金が落ちていないかと地面を見つめて歩いたことがあったよ。羽鳥君、地面にはろくな物が落ちていないねえ。ゴミや汚いものばかりだ。それから僕はクリスチャンになって上を見上げる者にされたんだよ。本当の助けは天地を創造されたまことの神、愛の神から来るんですね。神様はどん底の私たちを助けてくださるお方、私たちの命、魂を強くしてくださり、どんな時にもくじけず、よろめかないようにしてくださるのですねえ。山に向かって目をあげる者になりたいものです。

 小山さんの心に残る聖書のことば。
我、山に向かいて目をあぐ。わが助けはいずこより来るや。わが助けは天地(あめつち)を造りたまえるエホバ(神)より来る。」(「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」) 旧約聖書詩篇121篇1節、2節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」05.12.31放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■過去を感謝と希望へ

2005年12月30日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 年末年始は一年の中で一番、時とか時間そしてその区切りを意識する時ではないでしょうか。ま、時間というのは川のように、ずうっと流れていくもののようにも感じますし、何か時計とカレンダーがクルクル回っている、ま、そんなふうにも感じます。でも「時」ってのは、その時に何が起こったかということで意識され記憶されていくものではないでしょうか。今年もいろんなことが起こりました。

 聖書では「時」というのはそのような時間の流れというだけではなくて、その時に起こったことを指す訳ですけれども、クロノスということば、クロノロジーということばのもとになっていますが、ま、歴史とか時間ということばですが、それ以外にもう一つ、カイロスということば(があります)。これは時なのですが、特別な意味を持ったことば、神が定めた時ということを表わす意味なんです。例えば自然界には時がありますね。時が来ると花が咲き、時が来ると実がなる、花が散るというようなとき使います。まあそんな時に起こる一つ一つのことを、意味あるもの、麗しく美しくしてくださるのが神様だっていう意味です。人生を深く考えた知者ソロモン王は旧約聖書の伝道者の書3章11節に、こんなふうに言っています。

 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。

 神様が定めた時がある。いえ、私たちの人生、毎日毎日これからも起こってくる(こと)、それは神様がその中に起こることを麗しいものとしてくださる、そんな神様が創造主なるお方なんだ。そんな神様を思う時に永遠を思う、神様を身近に感ずることができる。ま、そうすると私たち、---新しい年もどんなことが起こってくるか、どんな状態になっていくか、いろいろ不安もあったり計画も立てたりしますけれども---、すべてのことに意味があるように、麗しくしてくださることのできる神様がおられるんだ(と)、そう思う時に私たち、これからの起こること、この一年の歩み(について)、永遠に向かって神様が共にいてくださる、麗しくしてくださる、そんな希望と心の安らぎを持って生きていけるのではないでしょうか。

(PBA制作「世の光」2005.12.30放送でのお話しより )

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■最終章の顔

2005年12月29日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。

 今日は、読売文芸欄に寄せられました埼玉県さいたま市にお住まいの高橋きょじんさんの川柳、ご紹介します。

   終章へ 笑顔一つ 残したい

 この終章ってのは終わりの章っていう訳ですけれども、これは小説や論文の終わりの章のことを指す訳ですが、それは同時に私たちの人生の終わりの部分を意味しているのではないかと思うんですね。その終わりの部分というのは病の床での苦しみかもしれませんし、悲しみの涙かもしれません。でも高橋さんは自分の死をどのように迎えるか分らないが笑顔を一つ残して去りたい、そうおっしゃるんですね。これはもう互いの願いでもあると思います。この川柳にこんなコメントがつけられていました。

 最終章の顔、それが生きてきた証し、それが人生の集大成なのだ。すべての仮面を取り外し、素顔の笑顔を残したい。それでこそ人生。

 こんなふうにありましたねえ。すべての仮面を取り外し、素顔の笑顔を残したい。本当につくづくそう思いました。耐えて我慢した時もありました。気を遣い疲れ切った時もありました。おかしくもないのに笑顔を作らなければならない時もありました。眉間にしわを寄せてがんばった時もありました。でも素顔の笑顔、いい顔で神様のもとに召されていきたいなあと本当に思うんです。

 もと国立がんセンターの名誉総長でいらっしゃった石川七郎先生、ご自分が肝臓がんで倒れた時、家族の方々や医師たちにこう言ったそうです。「本当にありがとう。皆さんがやってくれたことは本当の末期医療だよ。必要なのは愛なんだよなあ。」クリスチャンだった先生の墓碑には「愛は寛容にして慈悲あり」という新約聖書のコリント第一の手紙の13章のことばが刻まれているんだそうです。がん細胞は名医とも言われるお医者さんの体も容赦なく蝕んできますよね。ここに本当に厳しい現実があると思います。しかし心まで蝕むことはない。

 神様がキリストによって私たちに与えてくれているもう一つの現実があります。それは神の国で永遠のいのちに与って生きるということです。最後の最後に残せる平安・笑顔、ここにあるんだなと確信しています。この永遠のいのちはあなたにも私にも与えられているものです。それは新しく迎える年への素晴らしいエネルギーにもなるのではないでしょうか。この一年、本当にありがとうございました。元気で祝福の中で新しい年をお迎えください。

  (PBA制作「世の光」2005.12.29放送でのお話しより )

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■ほふり場にひかれる牛のように

2005年12月28日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。今日の世の光はまず皆様からのお便りの紹介です。島根県沖の島にお住まいの松岡さんからいただきました。

 この所、風がゴーゴー吹いています。
 歌手の歌を聞いています。
 心は元気です。
 夜明けです。

 長い年月の間、病に付きまとわれているお方からの詩のお便りですね。松岡さん、心明るく元気にお過ごしで嬉しいです。

 さ、今日の神の知恵のことば。旧約聖書箴言7章22節、23節、お読みしましょう。
彼はほふり場に引かれる牛のように、愚か者を懲らしめるための足かせのように、ただちに女につき従い、ついには、矢が肝を射通し、鳥がわなに飛び込むように、自分のいのちがかかっているのを知らない。

 これは戯れ女の誘惑に男たちが、ほふり場に引かれる牛のようにずるずると引かれて行く、鳥が罠に飛び込んでひっかかって命を落とすようになる姿を描いて警告をしていることばです。

 この警告のたとえを聞くと、命を取られに行くのにトコトコ自分から進んで屠殺場に行く牛、滑稽ですねえ。罠があるのに気がつかず勢いよく飛び込んで羽も足も罠にひっかかりびっくりしている愚かな鳥の姿に、自分はそんな馬鹿なことはしないぞと。でも女にひっかけられてゾロゾロ男たちは、このことば通りに悪い女の手練手管の誘惑に負けてたやすく人生の罪の罠に落ち込んで行くのが現実です。

 新約聖書の知恵のことばもまたしっかりとはっきりとしています。
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」新約聖書ヘブル人への手紙 12章1節、2節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2005.12.28放送でのお話しより )

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■恵みとまことに満ちたお方

2005年12月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。

 今年も残す所あとわずかになりましたね。えー、早速聖書のことばを紹介いたしましょう。ヨハネの福音書1章14節。
 「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 まあ世の中にはいろんな人がいます。ある人は怒りや憎しみに満ちている人もいれば不平不満がいつも溢れている人もいますね。もちろん優しさに溢れている人もいれば喜び溢れている人もいるでしょう。あなたは何に満ちあふれていますか? 聖書には、イエス・キリストは恵みとまことに満ちておられたって記されているんです。いいですねえ。恵みとまことに満ちている方、それがイエス・キリストだっていうんですよ。

 「恵み」とはいったい何でしょう。それは本来受け取る価値なんてまったくない者に与えられる一方的な愛のわざなんです。アメージング・グレースという讃美歌があります。「驚くばかりの恵み」と訳されている讃美歌です。とても有名な讃美歌ですね。この讃美歌の作者はもとは奴隷商人でした。しかしキリストに出会い、人生が変えられていったんです。彼は自分の人生を振り返って、イエス・キリストの恵みは私にとって驚くばかりのものだったと、ことばを綴っていきました。冷酷な奴隷商人であった男がキリストの恵みによって変えられ、人々を励まし、神様の素晴らしさを誉めたたえていく生涯に変えられたって言うんですよ。キリストの恵みというのはあなたの人生を新しく造り変えてくださる驚くばかりの恵みなんですねえ。

 そして、「まこと」とは真実という意味です。イエス・キリストはとことん真実な方なんです。この方にはまだ偽りがありません。誰も偽りばかり言っている人と付き合いたいとは思わないでしょう? そんな人は信用されませんし、信用しようとも思いませんよね。でもキリストはその口に何の偽りもない真実な方だと書かれているんです。だからこそ信頼できる方なんですよ。

 私たちは時々、不誠実で真実でないことが時々あります。でもイエス・キリストはいつも真実な方なんです。恵みとまことに満ちておられるということは、その根底に流れているのは無条件の愛だということなんですねえ。イエス・キリストの性質、ことば、行動の中に、愛と恵みはそして真実はいつも溢れているんです。そしてこのキリストがあなたと共に歩んでくださると招いてくださっているんですね。だからこそ私たちは安心して人生をこの方に委ねて生きていくことができるのです。

 ( PBA制作「世の光」2005.12.27放送でのお話しより )

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■毎日がクリスマス

2005年12月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 昨日は12月25日、クリスマス。日曜日と重なりましたが、どんなふうに過ごされましたでしょうか。えー、日本の場合ですね、昨日までもう至る所でクリスマス・キャロルが聞こえてきて、そしてあちらこちらにクリスマスのデコレーションが飾られて、まさに日本はキリスト教国だったかなあと思うぐらいですねえクリスマス一色に包まれているような感じがあったんですけれども、極端なばかりに次の日、今日26日になったらすっかりその飾りは取り払われてしまっていますよね。デパートなんか大変だろうなあと思うんですけれどその夜のうちに全部取り払って、そしてすっかり飾りを替えてそしてお正月を迎えるというふうな、それまで鳴っていたクリスマス・キャロルから替わってトンテンシャンじゃないですけれども何か琴の音のようなそういう音楽に替っていくというふうなことでですねえ、もうクリスマスはこれで終わり、イエス様もご苦労様でしたといったようなそんな感じになっていくことが感じられる訳なんですけれどもねえ。で、アメリカなんかではもう少し余韻を楽しむようにしばらく年を越してでもツリーも飾ってぁったり、飾りつけがあちらこちらにまだあったりというふうなことがあったりするんですけれども、本当はキリストを私たちは心の内に迎えるということはクリスマスの時だけではなくって毎日のことでなければならないというふうにまあ思うんですねえ。

 で、キリストが誕生する時に、このキリストはインマエルと唱えられるでしょうと言われました。「神が私たちと共にいてくださる」という意味ですね。で、それは何もクリスマスの時だけイエス様が私たちと一緒にいてくださるという意味ではなくって、これからの毎日の生活の中で辛い時もあるし、苦しい時もあるし、助けを必要とする時もある。そんな時でも神はいつも私たちと一緒にいてくださるという(のです)。イエス・キリストがこの地上を去って天にお上りになる直前に、わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと一緒にいますよという(ことばを残された)、それこそ、エブリイ・シングル・デイと英語ではありますけれども、毎日毎日わたしはあなたと共にいますよという(こと)。私たちは毎日の生活を神様と一緒に、イエス様と一緒に過ごすということはまさに毎日がクリスマスのような、ただ一時のお祭りではなくってですね私たちの心の中にイエス・キリストをお迎えしながらイエス様と一緒に今日も一日歩むそういう日々を過ごすこと。これが大切なことだなと思うんですね。

 ( PBA制作「世の光」2005.12.26放送でのお話しより )


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##生気にあふれること

2005年12月25日 | Weblog

あなたを愛するとは生気にあふれ続けるということ
生気を取り戻し 生き生きとしていること
そしてあなたへの愛の行動としてもっと生き生きとなるということ

私たちは互いに尋ねてはならない
二人の愛を生気にあふれさせようとして自分のいのちを削っているのではないかと
なぜならそう言うことは愛の死だから

あなたを愛することは
二人の関係に創造力を持ち込むこと
そして二人の破れ目のただ中で二人の健全さに焦点を合わせていくこと

愛することは最高に生き生きとすること
そして最高に生き生きとすることは愛すること

 ウルリッヒ・シェーファー 『成長する愛』より

***

日曜日には、 ラジオ放送からではなく
こういうのを、英文から訳して掲載してきました。
『成長する愛』はこれで終了です。
過去の分は カレンダーの日曜日をクリックしてみてください。
公開するのは原書の一部分となるよう過去ニケ月分程度といたします。
  

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■東方の博士、救い主を礼拝

2005年12月24日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
 
 さ、今日はクリスマスメッセージ・シリーズの第12回、最後のメッセージです。今日はクリスマス・イブの日ですが、東方の博士たちの救い主の礼拝の話しをいたします。

 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちは一生懸命星を観察していた人々です。彼らがユダヤ人の王、救い主の誕生を知らせる星を発見したのです。彼らは遥かエルサレムまで旅をし、ヘロデ王に面会を求め、救い主の誕生の場所はどこかと尋ねました。ヘロデ王は自分にとって代わる王がと大変に心配をし、祭司、学者たちに調べさせました。彼らが旧約聖書のミカ書の中から、それがユダヤのヘツレヘムだと分り、報告をします。王はそのことを博士たちに話し、「その赤ん坊を探し出したら必ず私に報告するよぅに」と念を押します。彼らはマリヤと共にいる赤ちゃんイエス・キリストを見い出し、持ってきた黄金・乳香・没薬の宝物をささげて礼拝しました。彼らは救い主にお目にかかれたのです。ヘロデ王に報告しようとしましたが、夢でそのことをとどめられ、直接故郷に帰りました。ヘロデ王はこれを知り、大いに怒って周辺すべての二歳以下の男の子を虐殺しました。イエスの命は危なかったのですが、博士たちがヘロデ王の命令にわなかったので助かりました。無事に三十歳までイエスは成長して救い主として神のことばを語り、数々の神でなくてはできないわざを成し遂げて、その上で最後に救い主の目的であった罪人である私たちの罪のさばきの身代わりとして十字架に死に、贖(あがな)いを完成、よみがえって私たちのための救い主となられたのです。第一、福音は信じるすべての人のもの。第二、一心に求める人には救い主に会えるということ。第三、すべての歴史は神が御支配のもとにあるということなどでしょう。

 聖書のことば。
東方の博士たちは・・・その家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」新約聖書マタイの福音書2章11節のことばです。


 ( PBA制作「世の光」05.12.24放送でのお話しより )

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■キリストの誕生が羊飼いたちに告げられた

2005年12月23日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 明日、もうクリスマス・イブです。クリスマスの起源について聖書に詳しく書いてあります。新約聖書のルカによる福音書の第2章には、いつ、どこで、どのようにキリストは生まれたのか、そして最初にクリスマスを祝った人はどんな人たちだったかということが書かれています。

 今から約二千年前、ユダヤ、今のイスラエルですね、そこのベツレヘムという町の家畜小屋で(イエス・キリストは)生まれたのでした。それは人口調査で帰郷した人たちで町中がごった返し、ヨセフとマリヤは宿に部屋を取れなかったからです。ま、このことを聞いて駆けつけたのは、野原で羊の夜番をしていた羊飼いの人たちでした。夜中に輝く光が射して、神の御使いの声を聞いたのでした。それはこんな声だったと書かれています。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカの福音書2章11、12節)

 彼らは恐れたって書いてあります。でもこのニュースを聞いて駆けつけました。その通りでした。家畜小屋の中でこの嬰児(みどりご)を見つけ、神をあがめ、賛美しました。

何か不思議な気がします。普通の人、人に雇われて羊の番をして働いていた人たち。こんな人たちが最初にキリストの誕生を、その知らせを聞いて駆けつけ、それを祝ったというのです。

 でも今でも同じような原則、(同じような)ことではないかなと思うんです。普通の仕事の中に励んでいる。孤独を感じたり、疲れたり、何となく不安を、寂しさを感じたりする。ま夜中に夜勤をしたり、受験勉強に追われている。そんな中に2000年前ならず今も、今あなたがたのために救い主がお生まれになりました、私たちの孤独からの無意味さからの罪からの救い主、永遠のいのちを与える救い主がお生まれになった(ということです)。

 明日の晩あるいは日曜日、教会ではこのキリストの誕生を祝う礼拝が行われています。ぜひあなたも参加してこのクリスマスに生まれたキリストの誕生を心から喜び祝ってみてください。

(PBA制作「世の光」2005.12.23放送でのお話しより )

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■飼葉桶のイエス

2005年12月22日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。

 今日はイエス様がどのような様子でお生まれになったかを聖書から御紹介しましょう。ルカによる福音書の2章の1節からです。

 「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(ルカによる福音書2章1~7節)

 日本では十月に国勢調査がありました。二千年前、ローマの支配下にあったイスラエルの人々は自分の生まれ故郷で住民登録をしたんですね。ヨセフは身重なマリヤを連れて旅立ったのですが、ベツレヘムでマリヤニ陣痛が始まりました。旅館はごった返していました。あてがわれたのは家畜小屋の一室だったのです。

 キリストがお生まれになる七百年も前、イザヤという預言者は、救い主がどのような姿でお生まれになるかを預言しました。
 「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。」(イザヤ53章2節)

 聖書はイエス様が私たちのために貧しくなられたと記しています。それは私たちがイエス様によって富む者になるためだと言うのです。つまりイエス様は私たちの一切の身代わりとなるために来られたのです。私たちが神の子となるために罪人になられました(※罪は犯されませんでしたが罪人の扱いを受けられました)。私たちの犯した罪にくだる神の裁きと滅びを引き受け、私たちに神の祝福と永遠のいのちをお与えくださいました。私たちが豊かな者となるためにイエス様が貧しくなられたのです。

 クリスマスは神の御子であるイエス様がもっておられた神様の祝福を私たちに豊かに与えるためにイエス様御自身が貧しい姿でおいでになったのです。これが実はクリスマス、あの家畜小屋の飼葉桶の中に生まれたイエス様の目的だったのですねえ。ですからイエス様の持っていらっしゃる豊かさがあなたに注がれている、これが実はクリスマスなんだ、そんなようなこともですねえ受けとめていただきたいなあ、そんなふうに思っています。
 

  (PBA制作「世の光」2005.12.22放送でのお話しより )

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