♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■わたしの父は農夫です / 羽鳥頼和

2012年09月29日 | Weblog
2012/9/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。新約聖書のヨハネの福音書15章1節に、イエスが弟子たちに「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。」と言われたことばが記されてます。今日はこのみことばの一つのポイントである「わたしの父は農夫です。」ということばについてお話したいと思います。

 ここでイエス様は父なる神様をぶどうを栽培する農夫に喩えているのです。そして続く15章の2節で「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」と言われたのです。神様が人のために農夫のように働かれるというのです。

 作物を栽培することは並大抵の努力ではすみません。農夫は自分の経験と知識を生かし精魂込めてそして愛情を込めて作物を育てます。同じように神様も人のために働かれるのです。

 刈り込みとは有る面、厳しいことですが、しかし良い実を結ぶためには大切なことです。人を救うために働かれる神様は厳しいこともなさるのです。時に神様は農夫がくわを使って土地を耕して畑を作るように私たちの硬い心を柔らかくしてくださいます。その時、心は痛み苦しみます。けれど、よく耕された地に撒かれた種が芽を出し、すくすくと成長し沢山の実を結ぶことができるように、柔らかになった心は神様のみことばを聞き、信じることができるようになるのです。そしてその人は救われるのです。神様は今も人を救うために働いておられます。今このお話を聞いておられるあなたの心を柔らかにし、神のみことばを聞き、理解し、信じることができるように働いておられるのです。新約聖書のエペソ人への手紙2章10節では神様のことを芸術家に喩えて、人の救いのために神様が何をしてくださるかを次のように教えています。お読みします。

 「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

 ヨハネの福音書で言われた「実を結ぶ」ということをエペソ人への手紙では具体的に「良い行いに歩む」と教えているのです。

 明日は日曜日です。キリスト教会では神様を礼拝する時を持ちます。この礼拝こそ良い行いです。ぜひ教会へいらしてください。

( PBA制作「世の光」2012.9.29放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■どうしても必要なこと / 岩井基雄

2012年09月28日 | Weblog
2012/9/28放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 今日9月28日は、1978年に日本テレビが最初のテレビ音声多重放送を行った日だそうです。同時に複数の音声を放送する音声多重放送は本当に便利ですね。ステレオ放送やサラウンド放送、ニュースや海外ドラマなどの二ヶ国語放送、ドラマの情景描写のように補完的な解説を副音声で放送する解説放送などどんどんと広がっていきました。このラジオもそうですが電波に乗せて様々な情報が発信されています。電波は目には見えませんがアンテナでその情報をキャッチし受信のチャンネルを合わせると、ことばや映像を受け取ることができますねえ。様々な情報が溢れる中、私たちは自分に必要なものや望むものをチャンネルを合わせて受け取っているのですね。

 では私たちの心にどうしても必要でなくてはならぬものは一体何でしょうか。聖書の中にイエス・キリストのこんなことばが記されています。

 「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。
   新約聖書 ルカの福音書10章42節 

 これはマルタとい女性がイエス様を家に招いた時、もてなしに心を奪われたその彼女がイエス様のもとでイエス様のことばに聴き入っていた妹マリヤを叱ってくれるように頼んだ時のイエス様の返答のことばです。自分の理想通りにもてなしたいと願う余りに心を苛立たせ、妹を裁き、妹をそのままにしているイエス様に対しても怒りをあらわしたこのマルタの姿はどこか私たちと重なりますね。

 様々な事柄に心も時間も奪われるとき、私たちは本当に必要なもの、どうしてもなくてはならないものを見失いがちになります。私たち人間の心にどうしても必要なもの、それは神様のことばイエス・キリストのことばを聴くことです。心を静め神のことばにチャンネルを合わせ、それをしっかりと心に受けとめることはどうしても必要なことなのです。番組をお聴きの皆さんも更に心を留めてこの神様のことばを心の深みに受けとめ続けて行きませんか? 本当のいのちは神のことば・聖書にあるからです。そのことばを受け取るところから本当の幸せは始まっていくのです。

  (PBA制作「世の光」2012.9.28放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■何の権威によって / 福井 誠

2012年09月27日 | Weblog
2012/9/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「何の権威によって」です。それではマタイの福音書21章23節から読んでみましょう。

 それから、イエスが宮にはいって、教えておられると、祭司長、民の長老たちが、みもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。」

 イエスは群集の大歓迎を受けてエルサレムに入城しました。そしてすぐに宮に出かけ、宮が商売人の巣窟になっているというので宮から商売人を追い出す、いわば宮清めの事件が起きるわけです。

 これら一連の出来事を見ていたイスラエルの指導者たちはイエスが一体何の権威によってこんな事をしているのかと問題にし始めました。 実際イエスのやったことは神殿で商売をする許可を与え競売人から見返りを受けていた祭司長たちの足元を脅かすものだったのです。祭司長や長老たちは社会の秩序を崩すこの者が一体何の権威をもってそうするのかと問いかけざるを得ませんでした。

 これに対してイエスはバプテスマのヨハネのことを取り上げています。当時イスラエルには公の権威として国の町である王様、宗教と行政の長であった祭司長、そして預言者が認められていました。預言者は神の権威によって立ち、神のことばを語る人たちで、バプテスマののヨハネも預言者として公に人々に認められていた存在でした。それでイエスは、彼は神の預言者なのか、それとも自称預言者なのか、どちらか?と尋ねるわけです。

 祭司長たちは困りました。彼が神の預言者だと答えれば、なぜ信じなかったのかと責められます。一方、自称預言者だと答えれば彼を本当の預言者だと受けとめていた群衆に責められます。それで彼らは「分りません」と答えました。

 面白い答えですねえ。しかしイエスの権威が何によってかという答えはもう明らかです。イエスも神によって立てられた最後の預言者だということですね。イエスは神の権威によってなすべきことを堂々となしたお方です。神の権威によって生きる歩み、神の力に支えられる歩みを私たちも教えられたいものです。

 (PBA制作「世の光」2012.9.27放送でのお話より )

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■神を恐れる人 / 板倉邦雄

2012年09月26日 | Weblog
2012/9/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神を恐れる人」という題でお話ししましょう。

 「主(すなわち神)を恐れることは知識のはじめである」 箴言の1章7節 (口語訳聖書)

 と聖書は神を恐れることを勧めています。ところで、「神の預言者」と言われたアブラハムは神を恐れる人だったでしょうか。創世記20章の続きです。


 外国人でしたアビメレク王様は神を恐れる人でした。神を恐れる人とはきよい心を持っている人です。アブラハムの妻サラを妹だと信じて王様は召し抱えてしまいました。しかし神様が心のきよい王様のために夜の夢の中に現れてくださいました。そして召し抱えたサラは夫のある身であることを教えてくださったのです。今日はその続きです。

 早朝王様はアブラハムを召して言いました。「あなたは我々に何をするのですか。あなたに対して私がどんな罪を犯しましたか? あなたはしてはならないことを私にしたのです。」 アブラハムは穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかったでしょうねえ。アブラハムは神を恐れる人ではなく、人を恐れていたのです。

 アブラハムは言い訳をしました。「この所には神を恐れるということが全くないので、私の妻のゆえに人々が私を殺すと思ったからです。また彼女は本当に私の妹なのです。私の父の娘ですが母の娘ではありません。そして私の妻になったのです。」 言い訳は見苦しいものです。一言、「ごめんなさい」と謝罪すべきでしょうねえ。

 「人を恐れるとわなにかかる。しかし神を信頼する者は守られる。」(箴言 29章25節 新改訳聖書参照)という聖書のことばが響いてきます。

 さて神を恐れる人は潔(いさぎよ)い人でしょう。アビメレク王様は妻サラを夫アブラハムに返しただけではありません。羊、牛、男女の召使いを贈りものとして与えました。そして償いとして銀130kgを与えたのです。王様がきよい心と潔い心を持った人物で本当に良かったですね。アブラハムと妻サラは危機から助けられたのです。

 聖書のことばです。
 「心のきよい人(潔い人)は幸いである。その人は神を見るであろう。」
 マタイの福音書5章8節 (口語訳聖書参照)

( PBA制作「世の光」2012.9.26放送でのお話より )

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■主がともにおられたので / 山中直義

2012年09月25日 | Weblog
2012/9/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。人に誤解されたり裏切られたり、人生には心が折れそうになってしまう時が時にあるかもしれません。ですが、それでも人生を諦めず前向きに歩み続けるための秘訣がある。聖書はそう教えています。

 旧約聖書創世記39章に登場するヨセフという人物は心が折れて自暴自棄になってもおかしくない状況にありました。兄弟たちから不当な憎しみを受け、奴隷として売り飛ばされるという悲しみ、言いようもない苦しみを体験していたのです。ですが遠い異国の地エジプトでの奴隷生活を始めたヨセフは度重なる苦境にも決して腐ることなく前向きに懸命に生き続けたと聖書は言います。その秘訣を聖書は主がヨセフと共におられたからだと教えています。主が共におられたから。神様が共にてくださったからヨセフは腐ることなく希望を持ち続け前向きに生き続けることができた、そして思いもよらない素晴らしい道が開けていった、と聖書は言うのです。

 私たちの人生にも、もうだめだ、どれだけ頑張っても意味が無い、と言わざるを得ない状況、自暴自棄になってすべてを投げ出したくなることがあるかもしれません。ですが全知全能の神様が共にいて助け導いてくださるなら私たちはどんな状況の中でも何度でも希望を持って立ち上がることができる。前向きに生き続けることができる。いやそればかりではなく、神様がその歩みを祝福してくださって悲しみや苦しみに余りあるほどに報いを与え必ず道を開いてくださる。聖書はそう教えているのです。

 人生を諦めず前向きに歩み続けるための秘訣、それは神様と共にいること、神様と共に歩み続けることだ、と聖書は教えています。神様を信じ神様と共に歩むもう願う人と神様は必ず共にいてくださいます。

 どうぞあなたの目を神様に向け、聖書を読み、神様に祈ってみてください。またお近くのキリスト教会にお越しください。神様が共にいてくださる、そんな素晴らしい歩みがあなたにも約束されているのです。

(PBA制作「世の光」2012.9.25放送でのお話しより )

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■新しくされ生きる / 関根弘興

2012年09月24日 | Weblog
2012/9/24放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日は最初に聖書のことばを紹介しましょう。

新約聖書第二コリント人への手紙5章17節 
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 聖書が私たちに教えている約束は、あなたの過去がどうあっても人生は新しくされる、ということなんです。何とそれは嬉しいニュースでしょう。

 新約聖書のヨハネの福音書3章というところにニコデモという老齢を迎えた一人の指導者が登場します。ニコデモという名前は「征服者」という意味があるそうです。勇ましい名前ですね。彼はその名の通り決して名に恥じることのないユダヤの指導者になりました。最高議会のメンバーになり、宗教的にも教育の世界においても政治の世界においても尊敬されていた人でした。彼はいろんなものをある意味では征服して歳を取っていったんですねえ。でもそんなニコデモが夜こっそりイエス・キリストのもとに訪ねてきたんです。ニコデモは沢山のものを得てきましたけども、どうしても歳をとっても征服できないものがあったようでした。それは自分の心を覗いてみた時に、私は本当にこのまま神の国に入ることができるだろうかという永遠への不安を持っていたんですね。彼はその心にある不安を征服することができませんでした。

 そんなニコデモにイエス・キリストはこう言われたんです。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3章3節)と。

 でも人はどうしたら新しく生まれることができるのでしょう。聖書は、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れる時に神によってそれは新しく生まれた生涯となるのだ、と書かれているんです。つまりイエス・キリストを救い主として信じ生きることが新しい人生の出発となるんだと言われるんですね。そしてこの「新しく」と訳されることばは「上から」とも訳されることばなんですねえ。自分で自分を幾ら引っ張り上げようとしても持ち上げることはできませんね。人が新しくされるということは自分の力ではなく、神様が一人ひとりに差し伸ばされた救いの手によって上から差し伸ばさた手によってすなわち神が人として来てくださったイエス・キリストご自身によって本当の救いがもたらされるということなんですね。誰でもキリストの内にあるならば新しく造られていきます。このイエス・キリストの救いの約束をあなたもぜひ信じてください。

(PBA制作「世の光」2012.9.24放送でのお話しより)

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■クイズ 一番高いものは? / 羽鳥頼和

2012年09月22日 | Weblog
2012/9/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今日はクイズを出したいと思います。いいですか? 一番高いのは何でしょう? ヒマラヤではありません。「空」、なかなかいい線です。でも違います。ヒントは旧約聖書の詩篇138篇6節にあります。お読みします。

 「まことに、主は高くあられるが、低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます。

 答えは、そうです、「一番高いのは神様」です。あらゆることにおいて最高だからです。神様の知恵も最高です。何でも知っています。高ぶる人の心も遠くから見抜かれるのです。

 それでは第二問です。いいですか? 本当は低いのに高いのは何でしょう? これもヒントは詩篇138篇6節にあります。もう一度お読みします。

 「まことに、主は高くあられるが、低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます。

 この答えは、そうです、「本当は低いのに高いのは人」です。人は本当は低いのに自分を高くして高ぶるのです。人は自分を高くして神になろうとするのです。それが高ぶりであり高慢です。高慢とは自己中心にしか物事を考えられない私たちの心のありようです。人は高くあられる神様を退けて自分が高くあろうとするのです。

 神様はどうでしょうか。詩篇138篇6節では「まことに、主は高くあられるが、低い者を顧みてくださいます。」と語っています。「顧みる」ということばは単に見るというのではなく、心を掛けて見るということです。自分が低いと自覚している人つまりへりくだった人を神様は心を掛けて優しく見守られるのです。8節ではその人に関わるすべてのことを神様が成し遂げてくださると語られています。神様はへりくだった人を守り、その行いを成功させてくださるのです。

 一方、高ぶる者を神様はどのように見るのでしょう。6節で「高ぶる者を・・・見抜かれる」と語られています。高ぶる人の悪い心を見抜いておられるのです。神様は人を救い、高くすることのできるお方です。私たちは神様の前にへりくだる者となりましょう。

( PBA制作「世の光」2012.9.22放送でのお話より )

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■「祈り」とは / 岩井基雄

2012年09月21日 | Weblog
2012/9/21放送

 世の光の時間です。変わりありませんか? 岩井基雄です。キリスト教会で使われている用語には分るようで分りにくいことばがありますよね。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。

 今日は「祈り」についてです。祈りということばはとても身近なものですね。辛い時や苦しい時また自分の願いを叶えて欲しい時、私たちは誰に向かって祈るのか分からなくても自然に祈ります。他の動物たちと違って祈り心を持つ私たちはどこかで神様への求めや渇きを持っているのでしょうね。

 ではキリスト教の祈りは他の祈りとどう違うのでしょうか。一般的に祈りは神や神聖視する対象との意思疎通であり、自分の考えや願いをその対象に届けることと言われます。聖書が語るキリスト教の祈りは時間も空間もすべてのものを創造された全地全能の神様との交わりです。神様に捧げる祈りとは自分の思いや願いをすべて御存知の神様にお任せし本当の平安と生きる力を受け取る不思議なそして静かな交わりなのです。

 新約聖書に次のようなことばがあります。
 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」 新約聖書ピリピ人への手紙4章6節、7節。

 聖書が語る神様への祈りは心配や思い煩いを捨て、願いや思いのすべてを感謝と共に神様にさらけ出し人知をはるかに超えた神様の平安を豊かに受け取る時なのですね。神様はあなたの心を静めて神に向かい祈るということを待っておられます。どんな短い祈りも、ことばにならないうめきのような祈りや叫びも神様は全部受け取って聴いていてくださり、そしてあなたの心に不思議な平安と生きる力を与えてくださるのです。

 あなたも聖書が語る神様に「神様」と祈ってみませんか? どんなことばでも願いでも良いのです。神様はあなたとの静かな交わりを待っていてくださり、喜んでくださる方です。そこにあなたの本当の平安と力があるのです。

  (PBA制作「世の光」2012.9.21放送でのお話しより)

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■枯れたいちじく /  福井 誠

2012年09月20日 | Weblog
2012/9/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「枯れたいちじく」です。それではマタイの21章21節から読んでみましょう。

 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ』と言っても、そのとおりになります。


 イエスが都に帰る途中の出来事、イエスはお腹が空いたので道端にあった無花果(いちじく)の木から実を食べようとしました。しかしその日には実がなかったのです。するとイエスは「お前の実は、もういつまでも、ならないように」と言われて、たちまち無花果の木が枯れてしまったと言います。ちょっと驚きですねえ。イエス様、勝手過ぎませんか?と思う方もいるんじゃないでしょうか。そんなお腹が空いて実を探した所なかったから腹立ちまぎれに木を枯らしてしまうなんて、これはわがままじゃないですか?と。 

 しかしこの無花果、単に実をつけていなかったというのではなく、病気で枯れる運命にあったようですね。イスラエルでの無花果の収穫は8月。春にも早なりのいちじくというのがあって二度収穫されます。イエスがエルサレムを訪れたこの時期は春のこと。すでに早なりのいちじくが実をつけているはずでした。しかしそれがなかったということは今後も実をつけることはない、病気の木だったのだと考えても良かったのでしょう。つまりイエスは決して身勝手なことをした訳ではなさそうですね。

 ともあれ弟子たちは一夜にして枯れた無花果に驚きました。確かに枯れるべきものが枯れたとしても、それがこうも早く枯れてしまうとは。イエスの力に驚かされたことでしょうねえ。

 そこでイエスは素晴らしい約束を与えられました。
 「信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになる。信じて祈り求めるものなら、何でも与えられる」(21節、22節参照)と。
 神を信頼するなら人間の常識では不可能と思えるようなことが起こるという約束です。

 イエスは力を注がれるお方です。神を信頼し神に期待する歩みをしてみませんか?

 (PBA制作「世の光」2012.9.20放送でのお話より )

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■アブラハムの失敗 / 板倉邦雄

2012年09月19日 | Weblog
2012/9/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「アブラハムの失敗」という題でお話します。 アブラハムは二度目の失敗、しかも同じような失敗を繰り返してしまうのです。 旧約聖書創世記の20章です。

 アブラハム家とその一族は移動してゲラルという地にとどまっていました。ゲラルは地中海の沿岸、ペリシテ人の地で外国でした。外国に住むということは危険を犯して住むことになりました。夫アブラハムは再び怖くなったのでしょう、妻サラのことを「これは私の妹です。」と王様に言ったもんですから、ゲラルの王様はサラを王宮に召し抱えることにしたのです。

 皆様は覚えていますか? 食料不足で外国の地エジプトへ移住した時も夫アブラハムは妻サラを「妹だ」と言ってサラを召し入れた王様の家族が災いに遭いました。その災難と難しい状況を救ったのが主なる神様の憐れみでした。

 今回もそうです。主なる神様が夜の夢にアビメレク王様に現われて言いました。「あなたの召し入れたあの女のゆえに死なねばならない。彼女は夫のある身である。」 アビメレク王様はまだサラに近づいていなかったので言いました。「主よ、あなたは正しい民でも殺されるのですか? 彼は私に『これは私の妹です。』と言ったではありませんか。また彼女も自分で『彼は私の兄です。』と言いました。」 主である神様は彼に言われました。「そうです。あなたがきよい心をもってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを守ってわたしに対して罪を犯させず、彼女に触れることを許さなかったのです。今彼の妻を返しなさい。アブラハムは預言者ですからあなたのために祈って命を保させるでしょう。」

 主なる神様はすべてきよい心を持っている潔(いさぎよ)い人々を守ってくださる神様なんですね。また弱さを抱え失敗を重ねたアブラハムにも神様は憐れみと恵みを与えてくださいました。そして預言者として執りなしの祈りを捧げる特別な働きをもお与えになっていたのです。

 聖書のことばです。「信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。 」 ヤコブの手紙5章15節 (口語訳聖書)

 
( PBA制作「世の光」2012.9.19放送でのお話より )

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