♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■叫びを聞かれる神

2005年05月31日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 旧約聖書にナホム書という短い書物があります。そのナホム書の1章7節のことばを今日は最初に紹介しましょう。「主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。

 このナホムという人が生きた時代はどんな時代だったかと言いますと、アッシリヤという国が猛烈な勢いで国力を増してきました。ナホムが住む国さえもですね飲み干してしまいそうな勢いだったんですね。そのアッシリヤは順調に勢力を伸ばし、ついにあのエジプトにまでその領土を広げて行きました。ですからアッシリヤと言えば、当時泣く子も黙る大変恐れられていた国であったんですねえ。まあある意味では、自分のやりたい放題を行っていた少し傲慢な国でもあったんです。

 そんな状況の中でこのナホムという人は、アッシリヤの首都であるニネベに対して、こんな事をしていたらニネベは滅ぼされるぞー、こう宣言しました。まあ巨大なアッシリヤに対して殆ど無名の力のないナホムが大それた宣言をした訳ですよね。勇気がありますよね。

 あなたがナホムの友人ならきっとこんな注意をしたと思いますよ。お前そんな事を言ったらアッシリヤの兵隊に逮捕され、お前殺されちまうぞ、馬鹿だなあお前よせよ、そんな事を言うのは。もっと違う事を言わないと大変になるぞ。また別の人は、お前のことばはほんとにはっきりしていてすっきりした。俺が言えない分、もっとあの悪しきニネベに対して語れ、と心で応援した人もいたかもしれません。

 ナホムという人は、神様は御自分の愛する者が虐げられている時いつまでも黙って放っておかれる方ではないという確信を持っていました。でもどうでしょうねえ。多くの人は現状だけを見て、神様は本当にいるのかなあ、神様は私たちを支えてくださるくださるのかなあ、そんな疑問を持つ人もたくさんいます。そんな中でナホムは、神を神としない高慢な人生が何を刈り取るのかということを痛烈に語ったんですねえ。そして歴史を見ると、確かにそのことばのとおりになっていきました。

 旧約聖書の詩篇の91篇の4節という所には、「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。」と記されています。聖書ははっきりと伝えているんですね。それはこの天地を造られ、歴史さえも支配しておられる神様がその御翼であなたを覆ってくださるんだということ。だから私たちはへりくだってこの方に信頼して歩んでいくこと。これが人生の基本になるんですね。

 ( PBA制作「世の光」2005.5.31放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。











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■目からウロコが

2005年05月30日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、だいぶ前の時代劇・・・どんな題だったか忘れてしまったんですけれども、テレビでですね、こんなことがありまして、盲人の方で偉い位の人だったんですけれども、その人に殺人の疑いがまあかかるんですね。で、この犯罪は、この人がやったに違いないというふうなことなんですけれども、でもこの犯罪はどうしても目が見える人でないとできない犯罪だということで、まあ刑事ならぬ町奉行はもう行き詰まってしまっているんですが、ところでこの盲人の方は鯉をたくさん飼っているんですね。で、その鯉がドラマの節目節目で意味ありげにバシャンバシャンと跳ねるんですけれども、町奉行はハッと気がつくんですね。この盲人は実は本当は目が見えるんだったんだ。その目に鯉のウロコをはめこんで盲人を装っていたんだということに気がついた。で結局この人は御用になる訳なんですけど、目からウロコが取れて一件落着という話しなんですね。

 まあこれは洒落にすぎませんけども、私たちの人生においても目からウロコならぬ心の目が開けられるという体験は貴重だと思うんですね。

 新約聖書の多くの部分を書いたパウロという偉大な伝道者は、イエス・キリストの福音を伝える器となる前は、それとは正反対にキリスト教徒を迫害していたんです。それは、ただキリストの十字架を信じれば救われるというそんな馬鹿なことはない、人間は神の法律を守っていかなければ救われないんだというふうに思い込んでいましたからクリスチャンたちを迫害していたんですね。でもある時に、そのイエス・キリストに彼は出会ってですね、三日間、その非常の衝撃で目が見えなくなったんですけれども、その間ですね、そうなんだ人間はどんなに自分で頑張っても努力してもそれによって罪が赦される救われるということはあり得ないのだ、あのイエス・キリストの十字架はどうしようもない私たちの罪のための、あれが救いだったんだということが分かってですね、聖書の中にこう書いてあるんですが、目からウロコのようなものが落ちて、目が見えるようになったって、これは肉体的な目が開(あ)いたというだけではなくって、彼の心の目が開(あ)いてですね、それからもう人生観、生き方がまるっきり変わっていった訳なんですね。そして、このイエス・キリストを信じる以外に救いはないということを語った訳なんですけども、私たちの心の目が開かれて、私たちの救いのためにこそイエス・キリストの十字架と復活があるということを信じられたらすばらしいなあと、そう思うんです。


 ( PBA制作「世の光」2005.5.30放送でのお話しより )

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■ふたりが心を一つにして祈るなら

2005年05月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく、「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 神奈川県横浜市にお住まいの竹沢勝三郎さんは、新約聖書マタイの福音書18章19節のことばをお寄せくださいました。お読みしましょう。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

 イエス・キリスト様の尊いお約束のことばですねえ。

 ・・・その頃、私の母は弟の世話で青梅近くの病院で療養生活を送っており、私は妻と共に毎日曜、礼拝の帰途、見舞いに伺っていました。会う度に衰弱していく姿は痛ましいほどでした。1991年の11月初め、その日もいつものように教会の礼拝の後、病院を訪れました。母は人工呼吸器によって、やっとこ生きているという状態でした。顔色は泥色。見るからに死に直面しているようでした。この時、この聖書のみことばが私に語りかけてくれました。私も妻も、その時まだバプテスマを受けておりませんでしたが、二人して母のみぞおちのあたりに手を重ね、目をつむって心を一つにして、「母をこの苦しみから解き、平安のうちに天に迎えてください。」そういうふうに祈りました。真剣に祈り続けているその時、曇りがちの窓から一条の光が差し込み、私共ははっとして目を開け、母を見ました。そこに奇跡が起きたのです。母は自分の力で大きく三回息を吸い、吐いたのです。母の顔は、晴れやかに赤みを帯び、明るく輝いているのです。目を疑いましたが、 私も妻もはっきりそれを見たのです。神様は二人が心を合わせて祈った時、答えてくださったのです。それからその年のクリスマスには、私と妻は多くの兄弟姉妹の祝福のうちに、パプテスマを受けました。

 竹沢勝三郎さんの 心に残る聖書のことば。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
マタイの福音書18章19節のことば です。

 また聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2005.5.28放送でのお話しより )

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■自力本願から神へ

2005年05月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 今日は、一人の方のユニークな人生経験を御紹介致します。

 60歳を少し越えた方で、 今インドネシアのジャカルタにお住まいの目黒まさおさんという方です。この方は大変多才な方なんです。書道の先生で、中学生の時、日展に入選した腕前です。また絵も教えておられます。でもその絵は、洋画・・・油絵なんです。さらにもう一つユニークなのは、何と剣道の先生でもあるんです。剣道7段の腕前です。まあ、こんな目黒さんが、この3月に洗礼を、パプテスマをお受けになったんです。私もちょうどインドネシアに行く機会がありまして、その洗礼式を司式するという良い機会に恵まれた訳です。この目黒さんは、どうして自分が神様を信ずるというようになったかという経験を、多くの方々の前でお話しいたしました。ま、自分は武道家で、自力本願を人生のモットーとしてきた。宮本武蔵にならって、「我、神仏は敬えど、これに頼らず。己を頼みとして生きる。」という生き方を60歳までしてきたというのです。

 ま、それが3年程前、駐在員生活のストレスや問題で、奥さんとうまくいかなくなってしまった。ま、そこで目黒さんは、初めて自分の限界を感じ、今まで何でも思うようにやってきた、これだ、そういう自尊心が崩れました。ま、そんな時、インドネシア人の書道のお弟子さんの一人に夕食に招かれました。インドネシア料理をいただいた後、その家で行われている聖書の学び会に出席しました。まあ最初は、全然ちんぷんかんぶんだったそうですけれども、二つのことが心に残ったそうです。

 一つは、この世でこんなに多くの人がまじめに正しくきよく生きようとしているのに感動した事。もう一つは、「すべてのものは神が与え、神が取られる」という聖書のことばに妙に心惹かれたこと。ま、それから毎週金曜日のこの学び会、また日曜日の礼拝に出席して聖書を学び始めました。そして自分は自分で生きてきたと思っていたが、実は生かされてるのだ、神によって生かされてると悟ったそうです。そうしたら、キリストの処女降誕とか、十字架の受難の意味も、すっと分かった。生き方が180度変わったというのです。それは、自力本願から、神を信頼していく生き方へです。

(PBA制作「世の光」2005.5.27放送でのお話しより )

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■医科大の一角で待つ柩

2005年05月26日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
 
 最近は五行歌を作る人が多くなったようです。五行歌というのは、口語で自由に書く詩歌で、約束事は五行で書くということと、一行を一息で読める長さにするという、まあごく簡単なものだそうですね。今日は、新聞に掲載されました、埼玉県川越市にお住まいの西浦えいこさんの五行歌、紹介しましょう。

 医科大の一角で 林立する 棺とともに 客を待つ 葬儀社

 この五行歌の評価に、西浦さんの「林立する棺」のすごみに圧倒された。私たちは明らかに待たれている、とありました。

 ま、病院の医療によって病気が直り、元気を取り戻す人々が多くいらっしゃいます。ありがたいことです。病気で入院されているすべての人がそうであって欲しいというのが私たちの願いです。しかし、必ずしもそうではありません。この五行歌に見る光景は、亡くなった方々を納める棺が林立するように用意されている様子です。一見、情け容赦なく棺が運ばれ、遺体が納められていく。葬儀社は丁重な態度を取りつつも仕事として処理していく。遺族の方々にとっては、いたたまれない光景ですよね。しかしこれはまた厳しい現実の一つでもあります。林立する棺のすごみに圧倒されたという評価は、あまりにもそれが現実であるという事だと感じました。そして私たちは明らかに待たれているんだ、そんなようなことも現実なんだなあと感じたのです。

 確実に、誰にでも、絶対にその日が来る訳ですよね。しかし、私たちを待っているのは、棺を用意している葬儀社だけではないはずです。イエス・キリストは弟子たちに囲まれながら、最後の晩餐の時に、言われました。新約聖書ヨハネによる福音書の14章2節3節です。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 私たちを待っているものは、あなたを待っているものは、キリストによって備えられている永遠のいのちです。神の国です。イエス・キリストはあなたのために住まいを備えて待っていらっしゃいます。そのゴールを目指して今日も一日、生きてまいりましょう。
 
(PBA制作「世の光」2005.5.26放送でのお話しより )

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■人のすべての考えにまさる神の平安が

2005年05月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。宮城県にお住まいのA・Aさんからいただきました。
「今朝、北海道放送で世の光を聞きました。神の遍在ということのお話しでしたが、よく分りました。」

 A・Aさん、ありがとうございました。

 さあ今日の約束のことばです。今日は新約聖書ピリピ人への手紙4章6節、7節のことばです。
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

 まず第一に神様のお約束は何でしょう。素晴らしい神様の平安があなたの心を守ってくださるということです。人は、衣・食・住、職業や健康などいろいろの事を求めます。しかしそれらよりももっと大切なのは心ですね。 人の人生はその人の心の持ち方で決まります。心に神の平安が満ちている、罪赦されている平安、平和と愛といのちに満ちた心、この神の平安こそ他のすべてのものに勝るもの。すべての良いものの力の源です。

 さて第二に、この素晴らしい神の平安を与えられるのにはどうしたらいいのでしょうか。条件は簡単です。第一、「何事も思い煩わないで」。難しいと言われるかもしれません。しかし、自分の我を砕いて、無にして、神様に降参してということですね。そして第二に、「感謝をもってささげる祈りと願いによって」自分の必要を神様にはっきり申し上げること。この二つです。たくさんのお金をささげること、多くの善行を積むことではありません。ただこれだけです。どうしてこの二つの条件を満たすことができますか。「キリスト・イエスにあって」ですねえ。

 今日の約束のことば。

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ人への手紙4章6節、7節のことばです。


 また聞いてください。お便りをお待ちします。

 (PBA制作「世の光」2005.5.25放送でのお話しより )

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■なぜ黙っておられるのですか

2005年05月24日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 まあ私たちは時々こんな疑問を持つことがありませんか。それは、(神様は正しい方なのにどうして悪をそのままにしておくんだろう。また、どうして神様を信頼しているのにこんなに辛いことが起こるんだろう。) そんな疑問ですよね。聖書の詩篇73篇を読むと、この作者はこう訴えているんです。どうして悪者が栄え、神様をないがしろにしている者がやすらかそうに生活しているんだろう。どうして神様を信頼する私たちがこんなにみじめな目に会わなければならないんだろう。おかしいじゃないか。こんな具合です。

 私たちは時々、自分に起こること また起こったことの意味を探ろうとするあまり、それこそ、どうしてえ?、どうして?、どうしてだろう?、ということばだけがくるくる回ってしまうということがありますよね。ひとりで思い悩み、ああでもない、こうでもない、そう考えている内に、かってに、神様なんか私のことなんか分かってくれない。 神様なんか、愛? 冗談じゃないよ。 そんなふうに考えてしまうことがあります。どこかで切り替えが必要だと思いませんか?

 聖書のことばに耳を傾けてください。こう語っているんです。イザヤ書30章の15節に、「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」実は神様の前に心を静め、自らの姿を顧みること。天地の創造者がいてくださることを信頼し、ゆだね、落ち着くことの中に、前向きな力が湧いてくると聖書は教えます。

 さて、あの詩篇の73篇の作者はどうしたでしょう。こう記されています。「私は、神の聖所にはいり、ついに、彼らの最後を悟った。」この神の聖所に入りということは、これは要するに、神様の前に心静め、礼拝を捧げていった時という事ですね。心からの祈りや讃美を捧げていった時に、彼らの最後を悟ったと言うんです。その最後とはいったいどういうことか。それは、一見、安定しているように見え、決して崩れることなどないかのような存在に今は見えるけれど、実はとてももろく、崩れやすい土台の上にいるのだということを彼は知ったというんですよ。

 旧約聖書のナホム書1章7節という所には、「主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。」 と書いてあります。私たちはまるで、神様が沈黙されているかような辛い現実に直面することがあるかもしれません。でも聖書はなお、主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである、と語り続けているんですねえ。神様の前に心静まるひと時、そのことはあなたの人生にも必要な大切なことではありませんか?

 ( PBA制作「世の光」2005.5.24放送でのお話しより )

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■アキレス腱

2005年05月23日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 「弁慶の泣き所」と言ったら向こうずねで、ギリシャ神話に出てくるアキレスの弱味は腱つまりアキレス腱であったと言われますね。共通して足に弱点があったというのも面白いんですけれども、いずれにしても世の東西を問わず、英雄豪傑と言えどもどこかに弱点を持っているものだという例だと思いますね。

 普通私たちは何でも弱いよりは強い方が良くって、弱点などはない方がいいと考えがちですけども、しかし聖書には、「喜んで私の弱さを誇る」と言っている所があるんですねえ。これは、史上最大の伝道者と言われるパウロのことばなんですけども、彼によれば、弱さは恥ずかしいことじゃなくってむしろ誇りであるとさえ言っている訳なんです。で、これはもしもの事ですけれども、何の弱点も欠点もない人間が本当にいたとしたらどうでしょうかね。その人は、きっとその弱さや痛みや思いやることのできない冷血漢のような人間になってしまうかもしれませんねえ。弱さや痛みを知っていればこそ、人間は同じ弱点や欠点を持つお互いを理解し、思いやることができる人になれるんだと思うんです。ですから、弱点を持っていることは、悪いことなんじゃなくって、むしろ時に美徳とさえなりうると考えたいですね。

 ただし大切なことは、自分の弱さを弱さとして率直に認める勇気ではないでしょうか。謙虚さや向上心は、本当は自分の弱さを率直に認める所からだけ生まれるものだろうなと思います。ですからパウロが喜んで私の弱さを誇るというのはキリストの力が私を覆うためだというふうに言っているんですね。なぜなら、自分の弱さを知れば知るほど人は神に近づき、神の助けを真剣に求めるようになってですね、そして神様から十分な赦しと癒しとそして力とを受けることができるということを彼は知っていたからだと思います。

 そして知っていただきたいことは、あの一見弱く見える弱さの極みとも見える十字架ですね。実は私たちの弱さゆえのすべての不始末、すなわち罪をまったく解決するためにこそイエス・キリストはそこに身を置かれたんだということ、そして復活によってその大能の強さをいかんなく発揮されたということなんですね。まさに、弱さから強さへのどんでん返しをそこに見ることができる訳です。ですから私たちも、キリストを信じる時、私たちの人生にも弱さから強さへのどんでん返しを経験することができるんだということですねえ。弱さを率直に認めながら、そこでこそ本当の強さを経験できるということですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2005.5.23放送でのお話しより )

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■患難さえも喜んで

2005年05月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく、「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 徳島県徳島市にお住まいの勝浦よしあきさんは、新約聖書ローマ人への手紙5章3節、4節のことばをお寄せくださいました。

 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

 私は医療ミスのため首から下が動かず、呼吸も人工呼吸機に頼っています。徳島大学病院には14年も入院しておりました。1998年の3月にバプテスマを受け、今これからの人生をイエス様の栄光を現わすために費やしたいと切に願っています。重度の障害を抱えていても、何かできることはきっとあるはずだと思い、考えていた所、讃美歌の楽譜をコンピューターに入力することを思いつきました。今の所1500曲余溜まりました。コンピューターは神様から私へのギフトです。私の体に使える所が限られているので、あごや肩の残された部分を使っていますが、神様は私からすべての機能を取り上げずに、使える所を残しておいてくださいました。このデータを病室で讃美の伴奏に使ったり、あちらこちらで利用していただいております。私のような力のない者でも、用いられているという実感を持っています。今後の私の人生で困難が待ち受けている事は十分予想しています。たとえば障害が今より重くなり、今までできていたことができなくなることなどです。しかし、そうなっても、信仰がありさえすれば大丈夫でしょう。この聖書にある通りです。私も障害を持つことがなければイエス様に出会う事がなかったと、よく考えます。

勝浦よしあき さんの心に残る聖書のことば。

 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

新約聖書ローマ人への手紙5章3節、4節のことば です。
それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2005.5.21放送でのお話しより )

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■苦悩の中にも希望

2005年05月20日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 一人の御婦人のリスナーの方から、こんな内容の手紙をいただきました。
「神様がおられるのなら、どうして最近こう悪いことが続き、世の中が混沌(こんとん)としているのでしょうか。」

 ま、そういう思いを持っておられる方、少なくないのではないでしょうか。災害は忘れた頃にやってくると言われていたのが、まあ最近では立て続けに、忘れない内にやってくるようです。社会のニュースも心を暗くするもの多いですねえ。青少年の様々な問題、ま、集団自殺とか、子どもいじめの実態、その悲しい影響、心の傷、身近に見聞きする時、本当にやりきれない、怒り、そんな思いで心痛みます。 これは現代の特徴なんでしょうか。ま、そういう面もあるでしょうけれども、実はいつの時代にも人間の営む社会、生活というのは、歪んで渾沌としているのではないでしょうか。

 今から二千年前のローマ時代の人々の実態について、新約聖書にはこんなふうに書いてあります。「彼らはあらゆる不義と悪と欲望と悪意に満ちた者だ。妬みや殺意や争い、欺きでいっぱいになっている。陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人とも思わぬ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者で満ちている。」って言うんですえ。どうしてなんでしょうか。それは、 この聖書では、人間が神に背を向け、自分が神のようになってしまった、自己中心になってしまっている、そこから来るのだ。その闇だと言っています。

 イエス・キリストは言いました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は暗い内を歩むことがなく、 光の中を歩みます。」

 三月にある卒業式に出席しました。卒業講演をした方に心惹かれました。田島さんていう方ですが、中学時代に悪い仲間に入り、高校にも行かず、悪い道、暗い道に48歳までトンネルのような人生を歩んだそうです。お父さんのお葬式の時、「わたしのもとに帰りなさい。」という声を聞いたように思ったそうです。小さい時行っていた教会学校を思い出し、そしてキリストに帰り、人生は変わりました。最後にこう言いました。「今は、若者も子どもも大人も、心の中で求めているんです本当のことを。私もそうでした。ですから今は牧師になってこのキリストを一人でも多くの人に伝えたいのです。 」背中に入れ墨いっぱいの体を震わせ、涙を浮かべ声を詰まらせてお語りになる姿に感動しました。

 あなたもこのキリストを知った時に、光の希望を見い出すことができるのです。


( PBA制作「世の光」2005/5.20放送でのお話しより )

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