♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■紅海を渡る/板倉邦雄

2015年09月30日 | Weblog
2015/9/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「紅海を渡る」という題でお話ししましょう。

 チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』(※1956年)をご覧になったでしょうか。ちなみに私は10回以上見ました。映画の主役はモーセですが、本当の主役は主なる神様だと聖書は描いています。

 さてイスラエルの部隊の先頭にいました神様の使い、---主なる神様を信じて従う人々保護する天使たちのことですが---、移動してイスラエルの人々の後方へ行きました。イスラエルの民族という部隊を導いてきた雲の柱も彼らの前から移って後方に立ったのです。ちょうどエジプト人の部隊とイスラエル人の部隊との間に神の使いと雲の柱が立ったことになります。黒い雲の柱のために暗闇が両者の間を隔てて近づけず夜が過ぎていきました。

 ところで指導者モーセは杖を持って手を紅海の上に差し伸ばして一晩中祈りを捧げていました。主なる神も一晩中強い東風をもって紅海の水を退かせ、海の底が見えるまでにされたのでした。( ※出エジプト記 14:21 「そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。」)

 ある人は引き潮の時と重なったのではないかと説明する人もいます。確かに満潮の時は海水で見えない海底も引き潮で陸地になる場合もありますね。まあとにかく明け方になってイスラエルの人々は紅海の中の乾いた陸地を一目散で渡りました。老いも若きも、男も女も、子どもたちと動物が、必死で海の中にできた陸地を渡るのです。

 エジプトの軍隊も追いかけてきました。馬と戦車と騎兵隊は海の中へと突入してきました。主なる神様は火と雲の柱の内からエジプトの軍勢を見下ろしていました。馬は沼地の海に足を取られました。戦車は葦の草に車輪を取られて前進することはできません。兵隊たちは恐怖に駆られて叫びました。「主なる神様がイスラエルの人々のために戦っておられる。このままだと海の水が増して来る。この場を離れ引き換えそう。」 

 モーセのことばを思い出しますね。
 「---神様---があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。」 出エジプト記の14章14節(口語訳聖書)です。

 (PBA制作「世の光」2015.9.30放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主の祈り-35 日ごとの糧を/大嶋重徳

2015年09月29日 | Weblog
2015/9/29放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りがあります。主の祈りには「我らの日ごとの糧を今日も与えたまえ」という祈りがあります。

 私たちの祈る主の祈りがこの「神様、食べ物をください」という祈りに入るとき、私たちの信仰が急激に日常のありふれた毎日の中に突入してきます。信仰とは霊的な事柄だけのことではなく、毎日に関わる日常のものにも関係していることなのであって、それらのことのために祈りなさい、と教えてくれているのです。私たちの日常の必要なものを神様に求めていいのだ、と主の祈りは教えてくれるのです。

 イエス様は十字架にかかられる前の弟子たちとの最後の晩餐で、パンを割き、ぶどう酒を配られました。そして「わたしを覚えるためにこのようにしなさい」と、教会で食べること、飲むことを通してイエス・キリストをいつも思い起こしなさい、とおっしゃったのです。

 教会では聖餐式をします。パンとぶどうの液を分かち合うのです。私たちはその舌でキリストを味わい、その鼻でキリストの香りをかぐこととなります。神様は私たちの生活の日常的な食物でさえ神様ご自身の存在を指し示す記しとされました。そのように考えるとき、私たちとイエス様との出会いは日常のいたるところにあることが分ります。イエス様の弟子たちにとってパンとぶどう酒がいつもの食事であったことを考えると、私たちの日常の毎朝のお味噌汁の香りと炊き立てのご飯の湯気を感じながら、私たちはイエス様を思い起こし食事をすることとなるのです。そして日ごとの糧を与えてくださったイエス様がここにおられる、と祈りを聞いてくださったイエス様と食事をするたびにお会いすることができるのです。

 パンを求めることがイエス様を求める祈りの入口となっていき、食べることがイエス様を思い起こすことになる。飲むことがイエス様の十字架を思うこととなるのです。

 「日毎の糧を与えたまえ」という祈りは、私たちに神様をいたるところで感じさせてください、という祈りになります。

 更においしいものを食べるとき、神様こんなおいしいものを創造してくださって本当にありがとうございます、と食べることが感謝をもたらし、神様への讃美を産み出すことへと繋がっているのです。

 さあ今朝もしっかりと朝食をいただいて、神様と共に新しい一日を歩み出したいと思います。



  ( PBA制作「世の光」2015.9.29放送でのお話しより )

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■恵みと平安があるように / 関根弘興

2015年09月28日 | Weblog
2015/9/28放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 新約聖書の中のパウロが書いたエペソ人への手紙を少しずつ読んでいますが、今日はパウロが手紙の最初で祈った短い祈りを紹介しましょう。
 「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(エペソ1章2節)
 「恵みと平安があるように」とパウロはまず祈っているんですね。私たちが他の人のために恵みと平安を祈れる、それは何と麗しいことでしょう。

 「恵み」とは、本来受けるにふさわしくない者に与えられるものなんですね。私たちは自分のありのままを見たら、いろんな弱さが見えてきますし、恐れやすく疲れやすいものです。しかし私たちが立派だとか立派でないということに関係なく、いつも一方的に注がれている神様の恵みがあるのですよ、と聖書は教えています。

 旧約聖書のイザヤ章43章4節には、
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と語られる神様の眼差しが注がれています。

 もし私たちが恵みでなく、戒律だけで生きて行こうとしたら大変ですよね。「皆さん今日も頑張りましょう。一日に3時間以上祈ることを義務づけましょう。立派な宗教的なお勤めに励みましょう。さあ頑張ってみんな立派になりましょう。」 毎回毎回こんな話を聞いたら、だんだん疲れてしまって、もう聞きたくない、ということになるでしょうね。

 イエス・キリストはどのようなお方だったのでしょう。ヨハネの福音書1章14節には、「この方は恵みとまことに満ちておられた。」と書かれています。私たちはこの一方的なイエス・キリストの恵みと真実の中で歩んでいくことができる、と約束されているんですねえ。

 それからパウロは平安を祈りました。イエス・キリストはヨハネの福音書14章27節で、「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違 います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」と言われました。

 イエス様が与える平安とは、争いや悲しみや困難が何もないということではないんです。困難があり、辛い苦しい状態は誰でも襲ってきます。でもそれでも奪われることのない平安がある、と約束されてるんですね。パウロは、この恵みと平安が一人ひとりにあるように、と祈ってるんです。私たちは父なる神と主イエス・キリストの恵みと平安の中で安息しながら生きていくことができるのです。「恵みと平安があるように」こんな祈りをお互い祈る仲間になっていきましょう。

 (PBA制作「世の光」2015.9.28放送でのお話しより)

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■平和の王としてエルサレムへ/羽鳥頼和

2015年09月26日 | Weblog
2015/9/26放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 イエスが十字架につけられる数日前、イエスは弟子たちとエルサレムの近くにやってきました。この時イエスはこれから自分の身に起こることをすべて知っておられました。自分がユダヤ人指導者に捕えられ十字架で死ななければならないことを知っておられたのです。それでもイエスは隠れるどころか堂々とエルサレムに入られました。イエスは弟子たちにロバの子を用意させてそのロバの子に乗ってエルサレムに入ったのです。

 ロバとは王が乗るものでした。王は戦争の時には馬に乗り、国が平和なときはロバに乗っていました。イエスは平和の王としてエルサレムに入られたのです。その時、イエスの弟子たちは自分たちが今まで見たイエスのすべての力あるわざのことを思い出して喜んで大声で神を賛美し、こう言いました。「祝福あれ。主の御名によってこられる方に。天には平和、栄光はいと高き所に。」 弟子たちもイエスを王としてあがめ、喜んだのです。イエスは平和の王であり、本当の平和を人々に実現したのです。

 しかしそれは弟子たちが期待していた方法によってではありませんでした。弟子たちは敵と戦って勝利し自分たちの平和をもたらしてくれるのを期待していました。しかしイエスは全く違う方法で人々に平和をもたらしたのです。

 エルサレムに平和の王として入られたイエスはその数日後、自分自身が十字架に架けられ死ぬことによって、本当の平和を実現したのです。

 新約聖書コロサイ人への手紙1章20節でこのように言われています。
 「そ の十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

  新約聖書のローマ人への手紙5章1節では、更にこう言われています。
 「私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。

 イエス・キリストを自分の王として信頼するなら、私たちは本当の平和を手に入れることができるのです。

 明日は日曜日です。神との平和をいただくために、お近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.9.26放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■初期のプロテスタント宣教師--ヘボンの情熱と愛/岩井基雄

2015年09月25日 | Weblog
2015/9/25放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の最後の金曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯を学んでいますが、今日は医者でもあり教育者であった宣教師ヘボンについて学んでみましょう。1836年に米国ペンシルベニア大学医学部を卒業し医学博士となったヘボンは神様の愛を伝えたいと、同じ使命を持つクララと結婚しました。1841年、シンガポールに旅をした時、そこで彼は先月学んだギュッツラフ訳の日本語聖書を入手します。その後一度は米国で病院を開業したのですが、神様からのチャレンジを受け、1859年4月、医療伝道宣教師としてヘボン夫妻は日本に上陸します。

 次の年には妻クララは5人の少年を集めて家で塾を開き、その塾が後にヘボン塾と呼ばれる私塾となり(※1863年)、日本を導く高橋是清たちが学びます。そしてこのヘボン塾がミッションスクールとして有名な明治学院やフェリス女学院の源流となっていくのです。更にヘボンは1867年、日本で最初の和英辞典を編纂し、そこでヘボン式ローマ字と呼ばれる文字を用います。そして1872年には新約聖書の一部を日本語に翻訳、また1880年からは旧約聖書の日本語訳に取り組んでいきます。また1892年には聖書を正しく伝えたいと聖書辞典を編纂し、何よりも神様のことばを分りやすく人々に伝えることを心がけたのです。

 同じ年の10月20日には妻クララの病気を理由に彼らは33年間いた日本を離れざるを得なくなりました。しかしヘボンは生涯をかけて神様の愛を伝え、医学や教育を通して人々を育て、神様のことばである聖書を日本人の心に伝えたいと願い、豊かな情熱を注いだのです。

 神様の豊かな愛に生かさた人々が多くの犠牲を払い、人生を懸けて私たちに愛を届け出くださいました。私たちもまた神様の愛を受け取り、その愛に応えていきたいですね。

 聖書のことば。
 「愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」 新約聖書 ヨハネ第一の手紙 4章11節

 あなたも神の愛に生かされ、愛を届ける人生を歩みませんか?

 (PBA制作「世の光」2015.9.25放送でのお話しより)

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■主のことばはありがたい/福井 誠

2015年09月24日 | Weblog
2015/9/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主のことばはありがたい」です。それではイザヤ書39章8節からお読みしましょう。

 ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全だろう、と思ったからである。

 先週はヒゼキヤ王が重い病に侵されたものの神に助けられたお話をしました。ヒゼキヤが病から回復すると、バベロンから使者がやってきました。ヒゼキヤはその来訪をことの他喜んで自分の財宝のすべてを見せたと言います。当時のバビロンはまだ小さな国でしたのでヒゼキヤは心を許して自分に優位な立場て友好関係を築こうと考えたのでしょう。そんなヒゼキヤに神のことばが伝えられます。
 「あなたがたくわえてきた物はすべて、バビロンへ運び去られる」と(参照 イザヤ書 39章6節)。

 大変な失敗ですねえ。一瞬の心の許しによって、すべてを失ってしまう、と告げられるのです。しかしヒゼキヤはイザヤに言いました。
 「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」 それは自分が生きている間は安全だろう、と思ったからでした(参照 イザヤ書 39章8節)。
 
 何とも複雑なことばです。先週のヒゼキヤは神の前に誠実に生きてきた自分を訴えて病からの解放を願いました。ところが今回のヒゼキユは自分が死んだ後であればイスラエルの国の滅びようがどうなっても良いと言わんばかりです。何とも自己中心な姿にがっかりさせられますねえ。けれどもこれが人間の現実なのかもしれません。信仰深く見える一面もあれば、まるで自分のことだけしか考えないと俗人の部分もある。100%良いところだけという人もいなければ、100%悪い所だけと言う人もいない。人間というのは良くも悪くも混ぜこぜの存在ではないでしょうか。

 大切なのはそのような自分の矛盾にしっかりと気付いて歩むことですね。自分が正しいと思うようになったらそれは危険信号であるし、逆に自分はだめの一点張りに思うようになったらそれもまた逆の意味で危険信号です。常に自分の現実をよく見ながら神の前に練られて、人間として成長し完成されていくものでありたいものですね。そしていつもそのような弱さを持った存在として神の前に謙虚に歩ませていただきたいものです。

 (PBA制作「世の光」2015.9.24放送でのお話より )

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■神が私の為に戦われる/板倉邦雄

2015年09月23日 | Weblog
2015/9/23放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神が私のために戦われる」という題でお話ししましょう。天の父なる神様が私たちのために戦ってくれたらどんなに頼もしく安心することでしょう。

 さて、イスラエルの人々は戦車や馬の音を聞きました。目をあげるとエジプトの軍隊が迫って来るではありませんか。イスラエルの人々は非常に恐れました。そして主なる神様と指導者モーセに叫びました。
 「エジプトに墓がないのか、こんな荒野で私たちを死なせるために私たちを携え脱出させたのですか? だからエジプトにいるときに言ったじゃないですか。『私たちのことはほっといてくれ。エジプトで奴隷として仕えても良いんだから。』 荒野で死ぬよりもエジプト人に仕える方がよっぽど良かったよ。」(参照 出エジプト記 14章11、12節)

 指導者モーセは人々に言いました。
 「あなたがたは恐れてはならない。堅く立って主なる神が今日あなたがたのためになされる救いを見なさい。今日、あなたがたはエジプト人を見るのが最後となるだろう。主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙っていなさい。」(参照 出エジプト記 14章13、14節)

 主なる神様はモーセに言われました。
 「あなたはなぜわたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に語って前進させなさい。あなたの杖を取って両手を紅海の上に差し述べて紅海を分けるのです。そしてイスラエルの人々に紅海の乾いた地を渡らせるのです。わたしがエジプト人の心を頑固にするから彼らもあなたがたも後を追って海の中に入るだろう。こうしてわたしはパロ王様とそのすべての軍隊、戦車と騎兵とを海の藻屑として滅ぼす。エジプト人にわたしが全能の神であることを知らせたいのだ。もう一度主なる神様があなたがたのために戦われる。だからあなたがたは黙っていなさい。」(参照 出エジプト記 14章15-18節)

 私たちは人生で様々な困難に出会うとき、叫んだりわめきちらしたり、人や周りのせいにしたりするでしょう。しかしそれは問題の解決にはならないようです。むしろ静まって黙祷し、天の主なる神様に信頼し働いてもらうことではないでしょうか?

 聖書のことばです。
 「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。
 ローマ人への手紙8章31節 (口語訳聖書)

 (PBA制作「世の光」2015.9.23放送でのお話より )

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■主の祈り-34 みこころの天になるごとく / 大嶋重徳

2015年09月22日 | Weblog
2015/9/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。

 聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りがあります。主の祈りには「御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」ということばがあります。

 では幾つか皆さんに質問をしたいと思います。お昼に何を食べるのかには御心があると思いますか? どの学校に行くか、どの会社に就職をするのかには神様の御心があるでしょうか? また誰と結婚するかには神様の御心があるとお思いでしょうか。

 聖書に出て来るパウロという人はこう言いました。「すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。」(1コリント 10章23節) 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」(1コリント 10章31節) 

 ここでパウロは、「すべてのことは、してもよい」と言いました。ただ「何をするにも神の栄光を現わすためにしなさい」と。では「神の栄光を現わす」とは何でしょうか。続いてこの箇所でパウロは言います。ユダヤ人にもギリシャ人にも神の教会にも、つまづきを与えないようにしなさい。私も人々が救われるために自分の利益を求めずどんな事もやっている、と言いました。つまり、人々につまづきを与えず人々が救われるためになっているか、ということが問われているのです。

 私には妹がいて、ある時妹にマー君という彼氏ができました。彼女はある時泣きながら帰ってきました。「私な、今日な、マー君に『クリスチャンの人と結婚したいし、結婚するまでは聖書の言うてる通りに体の関係は持たへん』てマー君に言ってきたんやん」と話してくれました。するとマー君は良い男で、彼女は危ない宗教に捕まってる、俺が助け出したらなあかん、と教会に来てくれたんですね。そして今二人には三人の男の子が与えられ幸せな家庭を築いています。

 私たちが何をするにしても、私たちの生きる生き方が神の栄光を現わし、人々が救われることに繋がっているのであれば、何をしても良いのです。お昼ご飯をうどんにしようがチャーハンを食べようが神様の栄光が現わされるお昼ご飯をきちんと食べれば良いのです。大切なことは、どこの職場で働こうともどんな人間関係の中にいようとも、聖書のことばに従って生きることこそ御心にかなった生き方なのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.9.22放送でのお話しより )

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■聖徒たちへ/関根弘興

2015年09月21日 | Weblog
2015/9/21放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 さて、新約聖書の中でパウロが書いたエペソ人への手紙の中のことばを少しずつ紹介したいと思いますが、パウロはこの手紙の宛先をこのように記しています。
 「キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。」(エペソ 1章1節)と書いているんです。エペソの教会の人たちに対して「聖徒たちへ」と書いているんですねえ。英語だと Saint セイントです。聖徒などと聞くと、いやあ私はそんなに聖徒と呼ばれるほどきよくないし立派でもありません、と答えたくなりますよね。しかしパウロは、イエス・キリストを信じ生きる一人ひとりに対して、あなたがたは忠実な聖徒たちなんですよ、と呼んでいるんです。
 聖徒というのは罪も汚れもない人という意味ではありません。聖書では、神様のために区別された者、実は人でも物でも区別されたものは聖なるものとされるんだ、と表現するんです。それは清潔だとか衛生的であるということとは関係ないんですねえ。つまり、「聖なるもの」というのは聖なる神様との関係がまっすぐなものとされているということから来るんです。

 ユダヤの人たちは自分たちは神様から選ばれたのだから自分たちこそ聖なる民だと考え、選民意識を持ちました。しかしパウロは、ユダヤ人だとか異邦人だとかは問題ではないのです、国籍は問題ではない、イエス・キリストを信じて罪赦され神様との関係が回復し神様の子どもとされた一人ひとりこそ聖徒とされた聖なる民なのだ、と語っているんですね。

 私たちの人生にとって大切なことの一つは、誰があなたの人生を握っているか、ということです。

 私はギターを弾きますけれども、全く弾けない人が高価なギターを持っていてもそのギターの価値を引き出すことできませんよね。実は私たちの人生も同じなんです。あなたがあなたとして最もあなたらしく生きていくためには、誰があなたの人生を握っているか、ということが大切なんです。この天地を創造され、あなたにいのちを与え、恵みと愛に富むお方があなたの人生を握ってくださるとするなら、あなたは最も安心して生きていけると思いませんか? 

 新約聖書 第一コリント6章20節には、「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」と書かれています。イエス・キリストを救い主として信じ生きる人生は神様の者とされた聖になる者とされたんだ、と聖書は教えるんです。だから聖徒とされているということなんですね。そして神様の栄光を現す大切な一人ひとりとしてあなたは生きていくことができるんだ、と聖書は教えているんです。

 (PBA制作「世の光」2015.9.21放送でのお話しより)

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■人に自分を知らせる神/羽鳥頼和

2015年09月19日 | Weblog
2015/9/19放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日も旧約聖書のエレミヤ記からお話しします。神はエレミヤに、「妻を娶るな。結婚をしてはならない。」(参照 エレミヤ書 16章2節)と言われました。それは、これから人々は病気や戦いや飢饉によって死んでしまうので結婚しても悲惨なだけだから結婚するな、というのです。

 神の裁きとして病気や戦いや飢饉が起こるのです。神は、もう人を慈しむことも憐れむことも止める、と言われました(参照 エレミヤ書 16章5節)。しかし神の裁きを引き起こす原因は人々の罪にありました。人は不信仰になり真の神を信じないで神の教えを守らず、悪事を行なっていたのです。神は強情な人々を責めて、このままでは国が滅ぼされ人々は外国に連れて行かれてしまう、と警告しました(参照 エレミヤ書 16章10~13節)。そして神は裁きの宣告をされます。「わたしはいかなる罪も見逃さず、必ず罰する」と。

 ところがそのあとに神は何と将来の希望についても語りました。「外国に囚われた人々は神によって戻って来ることができ、国は再建される。」 (参照 エレミヤ書 16章15節 )囚われた人々は悔い改めて神に救いを求めます。それで神は彼らを救われるのです。

 厳しい裁きと回復についての神のことばを聞いて、エレミヤは神に言います。「神は私の力、私のとりで、苦難の日の私の逃げ場です。あなたのもとに、諸外国の民が来て言うでしょう。『私たちの先祖の神は偽物で何の役にも立たない虚しいものばかりだった。人間は自分のために神々を作れようか。そんなものは神ではない。』」(参照エレミヤ書 16章19 、20節)
 外国の人々が神の正義の裁きを見て、この神こそ本物だ、と気づくというのです。

 神も言われます。
 「だから、見よ、わたしは彼らに知らせる。今度こそ彼らに、わたしの手と、わたしの力を知らせる。彼らは、わたしがまことの神であることを知る。」(参照エレミヤ書 16章21節)
  神の裁きは人に正義の神を知らせ、それによって悔い改める心を起こさせ、神を信じさせるためなのです。

 神はあなたにもご自分を知らせ、あなたを救い、幸せな人生を与えようとしておられます。明日は日曜日です。あなたを愛しておられる神を知るために、お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.9.19放送でのお話より )
 
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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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