♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■主の祈り 22 / 大嶋重徳

2015年06月30日 | Weblog
2015/6/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りという祈りがあります。

 主の祈りの祈りには、「御名をあがめさせたまえ」(マタイ 6章9節 文語訳聖書)という祈りがあります。この「あがめる」と言うことばは、「ほめたたえる」という意味で、「賛美する」などの喜びの感情を伴うことばです。クリスチャンたちが自分たちの信仰をまとめた文章に、「人ができる目的は何ですか?」という質問があります(※ウェストミンスター小教理問答書 問い1)。その答えは「神の栄光を現し、永遠に神を喜ぶこと。」と記されています。人間の生きる目的は、永遠に神を喜ぶなのだことだ、とあるのです。つまり、永遠に神様ご自身を喜んで神様を楽しんで生きることこそ人が生きる目的なのだ、と表現しているのです。

 この「喜ぶ」とは「エンジョイする」という意味もあります。つまり、私たちの生きる目的は神様を喜んで楽しむことだ。すなわち、「御名があがめられるように」という祈りは、この神様が私の神様であるということを私が心から喜んで生きていけますように、ということを祈っているのです。

 この時代は生きる意味が分からずに見失った状態にあります。生きる意味が分からず生きることをやめてしまうというようなこともあるわけです。自分の価値がどこにあるのか分からずに仕事で価値を見出したり、稼いでくるお金で自分の価値を見いだそうとする。人と比べて人からうらやましがられるような人生を送ることで自分の人生の喜びを得たいと思う。しかしこの祈りは、自分が造られたのが神様の御名があがめられるために造られたのだ、と教えてくれるのです。

 もし私たちの思いが暗くなり、何もできなくなったように自分の人生を考えてしまったとしても、御名があがめられますように、と祈りをなすときに、神様は、あなたが生きている意味と目的をあなたは達成しているよ、と言ってくださるのです。どれだけ病床の中にあったとしても、自分は神様のお役にも人のお役にも立てていないなあと思うことがあったとしても、神の御名があがめられるようにと祈る時、わたしはあなたをその祈りをなすために作ったのだ、とあなたの祈りの奉仕を喜んでくださる神様なのです。そして神が神とされることを願い、礼拝し、神様を喜んで生きる事ができますようにと口ずさむとき、あなたが造られたことの意味がある、と神様はおっしゃってくださいます。

 「御名があがめられますように」という祈りは、私たちの生きている意味を取り戻す祈りなのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.6.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■生きがいを見つけるには何が必要か? / 関根弘興

2015年06月29日 | Weblog
2015/6/29放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 私たちが生きていくためにとても大切なことは、人間とはどのような存在なのか、ということを聖書から知ることです。

 聖書の最初を開きますと、創世記という書物が出てきます。「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記 1章1節)という文から創世記はスタートするんです。そして、神様はすべてのものの一番最後に人を造られた、と記しています(参照 創世記 1章26節)。

 創世記の2章7節という所には、「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」 このように記されています。何と人間の材料は土地のちりだ、と言うのです。もろく壊れやすい弱い存在として人は造られているということですよね。

 でもそんな弱い壊れやすいちりに過ぎないような存在をご覧になった時に、神様は「甚だ良かった、とても良かった」(参照 創世記 1章31節)と言われるのです。

 私たちにとって「非常に良い」という状態は健康で物事もすべてうまくいってる時に「非常に良かった」って考えますよねえ。でも神様はそう見ていないのです。

 先程紹介した聖書のことばをもう一度読んでみましょう。 創世記2章7節。
 「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。
 人は土地のちりで形造られましたけれど、人が本当に生きるということは、神様が命の息を吹き込まれて初めて生きた者となった、と言うんですねえ。これは人は神様とコミュニケートすることのできる存在として造られている、と聖書は教えているんです。それは神様に愛され守られて生きてことができるということですし、祈り、そして叫び求めながら親しく神様を信頼しながら生きていくことのできるものとして造られている、ということなんです。

 でも残念ながら人は創造者なる神様を認めようとしないで、自分の弱さを認めようとしないで、神様に背を向けて、自分は自分の力だけで生きていける!、強がっている、そんな姿があるんですねえ。聖書はその姿は罪の中にある姿なのだと教えているんです。

 ですから人が本来の生き方を回復し、生きがいを求めて行こうとするなら、まず自分自身が土くれであり、神様と親しい関係を回復することからスタートしていくことが大切なんです。

 イエス・キリストはこうおっしゃいました。
 「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコ 2章17節)
 こうおっしゃいました。イエス・キリストこそその関係を回復してくださるお方なのです。
  「


 (PBA制作「世の光」2015.6.29放送でのお話しより)

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■私は決して離れません / 羽鳥頼和

2015年06月27日 | Weblog
yono2015_0627私は決して離れません/羽鳥頼和
2015/6/27放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は神の預言者エリヤと彼の一番弟子であったエリシャのことをお話しします。

 エリヤの生涯は終わろうとしていました。神がエリヤを(天に)召されることを二人はそれぞれ知っていました。しかし二人は面と向かってその事を話しませんでした。エリシャは「私は決してあなたから離れません。」(列王記第二 2章2節、4節、6節)と言って、エリヤが行く所に付いていきました。二人が川のほとりに立った時、エリヤは自分の着物を取り、水を打ちました。すると水は両側に分かれたので、二人は乾いた土の上を渡りました。

 渡り終わるとエリアはエリシャに言いました。
 「私が神に取り去られる前に欲しい物を求めなさい。」 エリシャは「あなたの霊の二倍の分け前をください。」(列王記第二 2章9節参照)と言いました。二倍の分け前とは長男がもらう相続財産のこと。長男は二倍の財産をもらうことができたのです。エリシャは神の預言者としての働きを受け継ぐことを覚悟したのです。そしてそのために必要な神からの霊的な賜物を求めたのでした。

 こうして彼らがなお進んで行くと、何と1台の火の戦車と火の馬とが現れ、エリヤは竜巻に乗って天に引き上げられてしまいました。

 その後エリシャは川に戻ると、エリヤの残した着物を取り、水を打ちました。すると水が分かれて、エリシャはまた乾いた所を歩いて向こう岸に渡ることができました。ペルシャは神の預言者となったのです。

 私はこの出来事から、イエスと弟子たちのことを思い出しました。イエスは弟子たちに言われています。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ 4章19節) またイエスが十字架にかかる直前、弟子のペテロがイエスに言いました。「主よ。どこにおいでになるのですか。」 するとイエスは答えました。「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」(ヨハネ 13章36節) イエスが十字架で死ぬ直前、ペテロはイエスを「知らない」(マタイ 26章72節、74節)と言って裏切ってしまいます。しかし復活されたイエスはペテロに現れ(参照 ルカ 24章34節、1コリント 15章5 節、ヨハネ 21:15 ~22節)、彼を励ましたのです。そしてペテロはそのあと、イエスの弟子としての生涯を全うしたのでした(2ペテロ 1章14節)。

 イエスは私たちに、「わたしについて来なさい。」と言われているのです。「私はイエスから離れません」と決心するなら、イエスは私たちを弟子としてくださり、いつもともにいて守り導いてくださいます。これこそ素晴らしい人生です。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2015.6.27放送でのお話より )

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■試練の中、耐え忍んで… 隠れキリシタン / 岩井基雄

2015年06月26日 | Weblog
2015/6/26放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日は、迫害の中、神への信仰を守り続けてきた隠れキリシタンについて学んでみましょう。

 徳川時代に行われた鎖国政策のため1858年にアメリカとの通商条約が結ばれるまで200年以上もの間、神の愛を伝える宣教師は日本に足を踏み入れることはできませんでした。1858年に鎖国が解かれ、外国人の寄留地には礼拝堂を建てることができるようになり、1865年長崎の地に大浦天主堂が建てられれました。建設中、多くの人々が見物に来ました。神父たちは、もしかするとその中には隠れキリシタンがいるのでは、と期待していましたが、工事が終わると誰一人来なくなってしまったのです。まだキリシタンの禁制が続いており、役人たちも見張っていてからです。

 それから約1ヶ月後、14、5人の人々が天主堂の門の前で中を窺っていました。役人たちがいないのを確かめると、一人の婦人が神父の元に駆け寄り、胸に手を当て、「私たちはキリシタンです。私たちも同じ心を持っています。」と、イエス・キリストへの信仰を明らかにしたのです。

 神父が、「どこのお方ですか?」と尋ねると、「私たちはみな浦上の者です。浦上の者はみな同じ心です。」と答えたのです。神父は激しく感動しました。200年もの間、宣教師一人もいない中で、孫から孫へと堅く神様への信仰を守り続けていた人々がいたのです。その後も、多くの信者たちがやってくるようになり、役人の見張りが更に厳しくなりました。そこで神父は迫害が起るのを恐れ、真夜中に聖書を教え始めたというのです。困難の中、神への信仰・信頼を貫き、愛と真実を守り抜いた人々がこの日本にも多くいました。そして今の時代にも多くいらっしゃいます。困難や試練、闘いの中にあっても、なお大切にし守りたい宝・真実があるのです。あなたは受け取っていらっしゃいますか?

聖書のことば
 「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
   新約聖書 ヤコブの手紙 1章12節

 あなたも生命の冠、真実な愛と力を、神様から受け取る人生を歩み出しませんか?

 (PBA制作「世の光」2015.6.26放送でのお話しより)

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■志の堅固な者は守られる/福井 誠

2015年06月25日 | Weblog
2015/6/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「志の堅固な者は守られる」です。それではイザヤ書26章3節から読んでみましょう。
 「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。
 
 25章に続いてここでも終末の神の裁きが語られています。その日、世界が裁かれ、弱い者・貧しい者たちはその立場を回復され、天の祝福へと招かれています。彼らはその素晴らしい恵みに救いの歌を歌って神をあがめるのです。こうして「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」と、最後まで神に信頼する者の幸いが語られていますね。イザヤはここで最終的なのぞみについて語っているのです。

 同時に当時の読者に対しても、現実の苦難にある者たちへの慰めと励ましを語っています。強国アッシリヤの脅威のもとでは誰の目にも、もう一つの大国エジプトに頼り、その保護を求めることは正しいことのように思えました。しかし最も正しい選択は、見に見えるものではなく目に見えない神を信頼することで、そこにこそ本当の希望がある、と言います。

 考えてみれば、神を信じるというのは、神が正しい方であるとし神は誠実で神にこそ最善があることを認めていことに他なりませんね。目に見えない神を覚え、その方にまったき信頼を寄せていくときに、私たちの現実に起こるあらゆる苦難が意味あるものと変わっていきます。私たちの苦難を運命だとか単なる不幸だと考えるなら、それこそ虚しさを覚えずにはいられないことでしょう。しかしその苦難から私たちを救い出し、苦難を意味あるものに変えてくださる神様がいるという信仰に立つなら、私たちは希望を持つことができるのです。

 私たちの人生には不条理なことがたくさんあり、私たちは目に見えるものに頼ってうまくいかないと、腐り果てたり、諦めをつけたりしやすいものですね。しかし、すべての不条理を解消して帳じりを合わせようと動いておられる神を覚えるなら、決して徒労の人生で終わることはありません。ぜひ、私たちは人生に希望を持って生きたいものですね。

(PBA制作「世の光」2015.6.25放送でのお話より )

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■イナゴの災害/板倉邦雄

2015年06月24日 | Weblog
2015/6/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「イナゴの災害」という題でお話ししましょう。

 エジプト王様への8回めのリクエストを先週放送しました。そのリクエストとは、「私たちは幼い者も老いた者も息子も娘も羊や牛を連れて、主なる神様を礼拝する祭りに行きます。そのためにエジプトを去らせてください。」という指導者モーセの要請でした。しかしエジプトのパロ王様はその願いを断固として拒みました。

 主なる神様はモーセに言われます。「あなたの手をエジプトの地の上に差し伸べてイナゴを上らせなさい。そして地上のすべての青物をことごとく食べさせなさい。」

 そこでモーセは出て行って杖を差し伸べると、主なる神様は一日中夜も昼も東風を吹かせたのです。そしてその風に乗ってイナゴの大群がエジプト全土を襲いました。地は暗くなり、地のすべての青草、野菜そして木の実はことごとく食い尽くされてしまいました。

 大被害を受けたエジプト国民の声は王様の耳にも届いたのでしょう。そこで王様は急いでモーセとアロンを呼んで言いました。「私はあなたがたの神・主に対して、またあなたがたに対して、約束を守らない罪を何度も犯しました。それでどうかもう一度だけ私の罪を赦してもう一度チャンスをください。そしてあなたがたの神・主に祈願してこの被害による死を私から離れさせてください。」

 そこでモーセはパロ王様の所から出て、主なる神様に祈願したので、主なる神様は強い西風を送り、イナゴを吹き上げ、紅海に追いやられたのでエジプト全土には一匹のイナゴも残らなかったのです。

 しかし主なる神様がパロ王様の心を頑なにされたので、王様はイスラエルの人々を去らせませんでした。

 さて王様は自分の心が頑固になっているのは神様に導かれているなどとは夢にも思っていなかったでしょう。あくまでも自分の自我、自己中心の欲望を自分の意志で決断していると思っていたのです。

 それにしてもイナゴや風を支配し、人の心をも支配しておられる主なる神様の全知全能と摂理の力を感じますねえ。

 (PBA制作「世の光」2015.6.24放送でのお話より )

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■主の祈り 21 / 大嶋重徳

2015年06月23日 | Weblog
2015/6/23放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りという祈りがあります。主の祈りの祈りには「御名をあがめさせたまえ」という祈りがあります(マタイ 6章9節参照)。

 人は時に、神の名前よりも自分の名前があがめられるようにと願います。隣の席に座るあの人より自分の名前があがめられるようにと願いやすいものです。そして時には自分よりも有名になっていく誰かを見ると悔しい思いに駆られ、嫉妬の感情に巻き込まれてしまうということも起こります。私たちは生きている中で、なかなか自分の名前にこだわることから、自分の働きの成果がふさわしく報われることに固執することから、抜け出すことが難しいものです。

 しかし、「御名をあがめさせたまえ」という祈りは、この思いから解放させてくれる祈りなのです。「あがめる」ということばは「大いなるものにする」という意味があります。つまりこの祈りは、神様こそが大いなる者となりますように、ということを祈っているのです。この祈りを祈るということは翻って、私たちが小さくなるように、という祈りを祈っていることとなります。

 私たちは誰かよりも大きなものにならなくても平気です、と祈っているのです。私たちは「父」と呼ばれる神様が大いなる者になってくださるとき、私たち自身がどれだけ小さく見えようとも平気になります。むしろ自分よりもはるかにきよく、すべてを見渡し、すべてを知っておられる神様が大いなる者になってくださることに、どれだけ安心と平安を得られるでしょうか。そして父なる神の大いなる力強い姿を見れば見るほど、私たちは誇らしい気持ちにすらなっていくのです。その時私たちは自分の名前の小ささ大きさに一喜一憂することなく、誰かを妬ましく思うことからも解放されていくこととなるのです。

 祈りという行為は、時に自分の願いの実現を祈りやすいものです。しかし、何よりも御名があがめられるように、と祈ることで、祈りを自己実現の道具にすることから解放されるです。

 「御名があがめられるように」という祈りを祈る人とは、自分がすぐに高慢になってしまう弱さを持っていることを自覚している人です。そして絶えず神様の前に、人の前に、謙虚にあろうと願う人の祈りなのです。この祈りを私たちも祈る者にさせられて、謙虚に生きる祈りの人とさせられたいと願います。

  ( PBA制作「世の光」2015.6.23放送でのお話しより )

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■土の器/関根弘興

2015年06月22日 | Weblog
2015/6/22放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 新約聖書第二コリントの手紙4章7節からお読みいたします。

  「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。

 これはパウロという人が記したことばです。この「宝」とはイエス・キリストのことです。「土の器」とは私たち一人ひとりを指しているんですねえ。前回お話をしたように、イエス・キリストの内には知恵と知識との宝がすべて隠されている、とお話しました。この知恵と知識は、この万物このすべてのものを創造することのできる知恵であり知識です。そして人を救うことのできるお方がイエス・キリストです。私たちの罪を赦し、永遠に変わることのないいのちを与えることのできるお方です。そしてイエス・キリストは「あなたをわたしは決して見捨てることはしない」(参照 ヨハネ 14章18節、ヘブル 13章5 節)と約束してくださるのです。イエス・キリストを信じ生きるということは、イエス・キリストがあなたの心に住んでくださるということでもあるんですねえ(参照 ヨハネ 14章23節、エペソ 3章17節)。ですからパウロは、このイエス様は私の宝だ、と語っているんです。

 あなたは大切にしている宝がありますか? もし時価ウン億円の宝石を持っていたらあなたはどこにその宝を保管しますか? 厳重なセキュリティ付の貸金庫ですかねえ。頑丈な金庫に入れますか? 普通は粗末な壊れやすい入れ物の中には入れませんね。

 パウロが記したことばをよく読んでみてください。「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。」とパウロは記しました。宝は素晴らしいけど、その宝の入れ物である私たちは土の器に過ぎないもろい弱い器なんですねえ。

 ある人はこう考えます。「私がもっと立派になって強く模範的になったら、きっとイエス様は私の心に来てくださるに違いない。こんな弱く壊れやすい状態ではイエス様は来てくださらない。」 こう考えるのです。

 先日もある方とお話をしました。その方はこうおっしゃったんですねえ。「関根先生、イエス・キリストを信じ洗礼を受けるには私などまだまだですよー。模範的にもなれないし、気分もすぐに変わってしまうし、もっと立派にならなければクリスチャンになれませんね。」と、こう言われました。それは大きな誤解なんです。

 パウロは「この宝を鋼の鋼鉄製の器に入れている」とは書いていません。「土の器」です。弱い者ですよね。だからこそすべての権威をもっておられるイエス様が必要です。私たちの羊飼いとなってくださるイエス様が必要なんです。イエス様は土の器であるあなたと共に歩もうと今日も招いてくださっているんです。

 (PBA制作「世の光」2015.6.22放送でのお話しより)

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■あなたがたの信仰はどこにあるのです/羽鳥頼和

2015年06月20日 | Weblog
2015/6/20放送
 
 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日はイエスが語った「あなたがたの信仰はどこにあるのですか?」ということばについて考えたいと思います。

 ある日のこと、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」と言われました。ところが突風が湖に吹き降ろしてきたので弟子たちは水をかぶって危なくなりました。そこで弟子たちはイエスに近寄って起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言いました。イエスは起き上がって風と荒波とを叱りつけられました。すると風も波もおさまり、湖は穏やかになったのです。その時、イエスは弟子たちに「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われたのです。弟子たちは驚き恐れて、「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」と言いました(ルカ8章22~25節参照)。

 それでは弟子たちの信仰はどこにあったのでしょう。弟子たちが自分の身を案じている時には自分のいのちのことで心が一杯になり、信仰は心の片隅に追いやられていたのではないでしょうか。風と荒波を恐れている時は風と嵐に信仰は掻き乱されていたのではないでしょうか。

 嵐を静めたイエスが「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われたその時、弟子たちの信仰はそのイエスの近くにあったのではないでしょうか。「いったいこの方はどういう方なのだろう。」とは弟子たちの小さな信仰告白です。小さな信仰ですが嵐を静めることができるイエスを知る信仰です。そして人のいのちを救うイエスを知る信仰です。この「いったいこの方はどういう方なのだろう。」というイエスに関心・興味を持つところから信仰の歩みは始まります。イエスは弟子たちが自分に関心・興味を持ち、自分を信じることができるように嵐を静める奇跡をなされたのです。

 新約聖書エペソ人への手紙2章8節にこのようにあります。
 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」 
 ラジオを聴いているあなたにも、イエス・キリストのことを聞いて「いったいこの方はどういう方なのだろう。」と思っていだきたいと思います。そしてイエス・キリストをより良く知るためにキリスト教会に足を運んでいただきたいのです。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.6.20放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■ちょっと分かりにくい用語(43)  摂理 / 岩井基雄

2015年06月19日 | Weblog
2015/6/19放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日も、ちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。 今日は「摂理」。私たちの思いをはるかに超えて、神側が不思議な恵みを与えてくださるとき、その導きの全体を「摂理」と表現しますが、お聞きになったことがあるでしょうか。

 さて、この「摂理」ということばを辞書で調べると、「統べ治めること、キリスト教その他の宗教で神が人の利益をおもんぱかって世のことすべてを導き治めること、自然界を支配している理法」などと記されています。すべてを統べ治めていらっしゃる神様が、私たちの思いをはるかに超えて働くとき、そのご計画の中ですべてのことは益に変えられて行きます。その神様の導きや御計画の全体を「摂理」と呼ぶのです。

 それは祝福や益になるとは思えないような苦難や悲しみを伴う事柄が、後から考えると、それが一番良かったのだ、と思えるような不思議な経験でもあります。私たちは近視眼的にしか物事を見ることができない存在ですが、神様の御計画や視点は私たちの視点をはるかに超えてあらゆることを用いて私たちに恵みを与えてくださるのです。

 聖書をお読みします。
 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 新約聖書 ローマ人への手紙 8章28節  

 すべてのことを働かせて神様はあらゆることを恵みに変えてくださいます。どんなに不利益だと思われるようなことでも、徒労に終わったと思えるような痛みをも、神様は喜びと感謝に変えることがお出来になるのです。

 しかしその対象は、「神を愛する人々」であることに心をとめる必要があるでしょう。神はすべての人を愛していらっしゃいます。しかし、その愛に気づき、その愛を受け取って応答していく必要があるのです。たとえどんなに弱く小さな存在であっても神様の愛に応答し、自らも神を愛する者へと変えられていくとき、私たちの人生は神の不思議な御計画と摂理の中で不思議な祝福と恵みにすべてを働かせ益としてくださる人生へと導かれていくのです。

 (PBA制作「世の光」2015.6.19放送でのお話しより)

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