♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■虹の契約 / 板倉邦雄

2012年02月29日 | Weblog
2012/2/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「虹の契約」という題でお話ししましょう。主なる神様はノアとその子供たちにこう言いました。「わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。 」 創世記の9章13節(口語訳聖書)です。

 第一に、虹の契約の範囲です。ノアとノアの家族そしてノアの子孫です。ノアのように神と共に生きる人々です。それに地上のすべての生き物を含んでいます。虹の契約は「自然との契約」とも呼ばれています。天の神様の恵みは一方的に地上のすべての生きとしいけるものの上に注がれているのです。神は「 あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである 」。 使徒の働き14章17節(口語訳聖書)

 次に、虹の契約の内容です。「 この契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう 」。創世記 9章 11節(口語訳聖書)  虹はこの約束のしるしでした。私たちは雲の中に虹を見るとき、この神様の約束を思い出すのです。いいえむしろ神様の方で雲の中に虹が現れる時、洪水でこの地上を滅ぼさないことを思い起こしてくださるのです。 神様はノアにこう約束されました。「わたしが雲を地上に起こす時、虹は雲の中に現れる。こうしてわたしはあなたがたとすべての生き物との間に立てた契約を思いおこす。水は再びすべてのものを滅ぼす洪水とはならない。(創世記 9章14~15節参照)

 第三に、虹の契約は神様からの一方的な約束であることが分ります。普通、契約とはお互いの間の約束事です。しかし虹の契約は神様から私たちへの一方的で恵みの契約であるのです。永久の神様が私たちにしてくださった約束です。ですから希望の虹と呼ばれるのです。天と地を結ぶ希望の懸け橋それが虹です。いつまでも残るものは何でしょうか。聖書は語っています。それは「信仰と希望と愛の三つである。」(コリント人への第一の手紙 13章13節参照) ノアとその家族は希望の虹を見ながら、新しい生活を始めました。私たちもそのようにしたいものです。

 ( PBA制作「世の光」2012.2.29放送でのお話より )

 

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■日ごとの糧 / 山中直義

2012年02月28日 | Weblog
2012/2/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。先週に引き続き、聖書が教える祈りについてお話をさせていただきます。まずイエス・キリストがお教えになった「主の祈り」をお聞きください。

 だからこう祈りなさい。
「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」
(マタイ の福音書6章9節~13節)

 今日はこの主の祈りの中の1節、「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」という部分に光を当てたいと思います。

 この部分を祈る時大切なのは神様の素晴らしさを体験させてくださいという願いを持って祈ることだと言えます。単に食料があればそれで良いということではなく、守り養ってくださる神様の恵みを私たちがようく知り、感謝と喜びを持って歩むことができますように、そう求めて祈るということです。

 ところでこの「日ごとの糧」と訳されていることばには、「必要な糧、存在を支える糧」というような意味があります。単に食料をということだけではなく、もっと本質的な意味において私たちの魂を支え生かす、そんな糧をお与えくださいとの祈りだと思うのです。

 イエス・キリストはあるとき、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4章4節)と言われました。肉体を支える食料は人を永遠に生かすことはありません。ですが神様がお与えくださることばはどんな時にもわたしたちの魂を支え喜びと感動で満たし、永遠に生かし続けることができると聖書は言います。神様はあなたの肉体だけではなく、魂をも生かそうと願っておられます。そしてあなたの魂に必要なことば、聖書のことばをあなたに与えようとしていてくださるのです。

 与えられている食料を食べるように、語りかけられてる神様のことばをしっかりと心に受け止める、その時あなたの魂にも深い喜びと感動が訪れます。「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」 あなたもぜひそのようにお祈りください。

    (PBA制作「世の光」2012.2.28放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■かけがえのないあなた / 関根弘興

2012年02月27日 | Weblog
2012/2/27放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 「かけがえのない」ということば。これは「とても大切なもの」という意味ですね。もともとは「かけがえ」という意味は「他のものと掛け返る」すなわち「取りかえる」という単純な意味で使っていたそうですが、それが「かけがえのない」という表現が定着するようになると、その意味は「非常に大切な」すなわち「他のものでは代用が効かない」という意味になっていったのだそうです。ま、欠けてしまったら他のものでは代用が効かない、唯一の価値あるもの、それがかけがえのないという意味なのだという訳ですね。

 私が私であることの理由、あなたがあなたでなければならない理由はそれは一人一人がかけがえのない存在だからなんです。他のものでは代用が効かない、あなたでなければならない大切な存在だということなんです。

 時々私たちは失敗や挫折・失望が襲うと、自分なんかいてもいなくても意味がないんじゃないか?、他の者といくらでも代用がきくのではないか?と考えてしまうことがあるかもしれません。でも聖書はあなたという存在をかけがえのないあなたなのだと繰り返し語っているんです。イエス・キリストはこのように語っています。

 マルコの福音書8章36節
 「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。

 あなたのいのちは決して他のものと代用できない、比べることのできない価値あるものだということを教えているんですね。

 価値というのはどのように決まるか御存知ですか? それはそのものを得るために支払われた額によって決まるんです。

 たとえば1万円を支払って買った時計なら買ったあなたにとってそれは一万円の価値があるでしょう。10万円でギターを買うならそれはあなたにとってそれだけの価値があるからこそ支払ったということですよね。

 御存知ですか? あなたはかけがえのないほど価値高い理由、それは神の独り子なるイエス・キリストがあなたのためにご自分のいのちを島津にあなたのために十字架にご自分を惜しまずに差し出してくださったのです。

 イエス・キリストが釘付された十字架、それは偶然の運の悪い処刑ではなく私たちの罪をイエス様が身代わりに背負われた十字架なんです。イエス・キリストはご自分のいのちに代えてあなたという存在が神様とのまっすぐな関係を持ちながら生きて行くことを願っているんですねえ。

 あなたはかけがえのない存在です。イエス様ご自身がご自分のいのちに替えるほどあなたはかけがえのない存在なんです。だからこの愛を受け入れ、イエス・キリストを救い主として信頼し生きること、人生を大切にしながら生きて行くこと、これを聖書はあなたに求めているんですね。

  (PBA制作「世の光」2012.2.27放送でのお話しより)

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■神の命令を守り行うこと  / 羽鳥頼和

2012年02月25日 | Weblog
2012/2/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 旧約聖書にはモーセの十戒のように様々な神様の命令が記されています。 申命記28章ではそのような神様の命令を守り行うようにとの勧めが記されています。神様は人が神様の命令を守るなら神様の祝福があることを教えています。人が神様の命令を守り行うなら豊かな生活平和な暮らしを神様が祝福として与えてくださるのです。

 祝福について語った後に続けて人が神様の命令を守らないなら神様の呪いがあることも教えています。神様は初めから人を呪おうとしているのではありません。人が心から神様の命令を守り行うようにあらかじめ呪いのあることを教えているのです。人は神様との約束を守りさえすれば、素晴らしい恵みが与えられるのです。

 しかし人はたとい神様の命令であっても心から喜んで従うことができないものです。ですからもし命令を守れなかった時は神様に謝らなければなりません。謝るならば神様は呪うことを待ってくださいます。

 それではどのようにしたら人は喜んで神様の命令に従うことができるでしょう。それには神様の偉大さと神様の愛を知ることが良いと思います。神様の偉大さと愛を知ることによって、私たちは神様を心から信頼することができます。そして神様を信頼するならば喜んで神様の命令に聞き従うことができるはずです。

 人はどのようにして神様の偉大さと神様の大きな愛を知ることができるでしょう。それはまず、神様が天地万物を創造し、それらすべてを維持し支配しておられることを知ることです。神様の創造の働きに神様の偉大さが表れています。

 次にイエス・キリストのことを知ることによって、神様の愛を知ることができます。神様は私たちを愛し、罪から救うために独り子であるイエス・キリストを送り、そのイエス様を十字架につけることによって人の罪を赦す救いの道を与えてくださったのです。ここに神様の愛が表されています。

 あなたも創造主なる神様の愛を知り、神様を信頼して神様の命令を守り行い、神様の祝福を受けるために、ぜひキリスト教会にいらしてください。

 ( PBA制作「世の光」2012.2.25放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■一粒の麦 / 岩井基雄

2012年02月24日 | Weblog
2012/2/24放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 2月の終わりになると、ある映画を思い出します。それは「塩狩峠」という映画です。御覧になった方も多いかもしれませんね。映画の原作は天に帰られた三浦綾子さんというクリスチャン作家による同じ名前の小説です。この小説は実際に起こった事件をもとに書かれました。北海道旭川の北にある塩狩峠の頂上付近にはその時の記念碑があり、こう記されています。

「明治四十二年二月二十八日夜、塩狩峠に於て、最後尾の客車、突如連結が分離、逆降暴走す。乗客全員、転覆を恐れ色を失い騒然となる。時に乗客の一人、鉄道旭川運輸事務所庶務主任、長野政雄氏、乗客を救わんとして、車輪の下に犠牲の死を遂げ、全員の命を救う。その懐中より、クリスチャンたる氏の常持せし遺書発見せらる。「苦楽生死均しく感謝。余は感謝してすべてを神に捧ぐ」右はその一節なり 三十才なりき」

 この長野政雄さんはクリスチャンでした。そして塩狩峠の坂を暴走した客車を自分の体を投げ出して止め、まさに命がけで乗客全員を助けたのです。彼の生き様の背景にあったのはイエス・キリストの姿でした。そして彼は、苦しみ楽しみも生も死も等しく感謝、という苦楽を等しく感謝の人生をキリストにあって歩んだのです。

 聖書はこう語っています。
 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」 ヨハネの福音書12章24節

 このことばは小説「塩狩峠」の中にも記されていますが、イエス・キリストが私たちを愛し、私たちを救うためにご自分を身代わりとして捧げ、その死によって多くの人々を救いへと導く道、自分の死を通して豊かな実を結ぶ道を歩んでくださったことを示しています。これがこの長野政雄さんの人生の背後にあったキリストの愛の姿でした。この命がけの愛に生かされた長野正雄さんは自分のいのちを捨てて人々を助けたのです。

 あなたのためにキリストはいのちを捨てられました。それはあなたの人生が豊かに実を結ぶためなのです。

   (PBA制作「世の光」2012.2.24放送でのお話しより)

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■実を結ぶ / 福井 誠

2012年02月23日 | Weblog
2012/2/23放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「実を結ぶ」です。それではマタイの福音書13章8節、9節から読んでみましょう。

 「別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。

 この日イエスは湖のほとりに座って人々を教えておられました。おそらく農夫が畑で種をまいている様子が見えたのでしょう。当時の種まきは穀物の種がいっぱい詰まった種袋をロバの背に乗せて畑を歩きまわらせる方法でなされました。日本の田んぼのようにあぜ道を造って丁寧に整然と植える訳ではありません。かなり大ざっぱに蒔く訳です。ですから、道端に撒かれたり岩地や棘の中に転げ落ちて撒かれたりすることがあるわけですね。イエス様が日本にいたらこんな種蒔のたとえも出てこなかったかもしれませんね。

 ともあれ、イエスはその様子を見ながら道端に落ちた種は鳥に食べられてしまったと言います。道は踏み固められた道、聖書のことばを全く受け付けない硬い心を象徴しています。

 また岩地に落ちた種は芽を出しながらもすぐに枯れてしまったと言います。それはちょうど喜んで聖書のことばを聞きはしても、試練が起こるともはや聖書のことばを受け付けない心を象徴しています。

 そして棘(いばら)の中に落ちた種は棘の方が成長が早いために棘に封じ込められてしまったと言います。それは喜んで聖書のことを聞きながらも世と世の欲が捨てられない心を象徴しています。結局、二兎を追う者一兎も得ず、です。聖書よりも世の中の教えに心が負けてしまうわけですね。何か聖書に対する私たちのありようをよく言い当てていますねえ。

 しかし良い地つまり神様に心を開き神様のことばをしっかり聞いてそのことばに従おうとする人はたくさんの実を結びますと言います。これは神様の約束です。あなたが本当に神様のことばを喜ぶだけではなく、心を開いてしっかりと従うなら神様はあなたを実を結ぶ者にしてくださいます。

 聖書のことばに聞いて従う歩みをさせていただきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2012.2.23放送でのお話より )

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■命である血を流す / 板倉邦雄

2012年02月22日 | Weblog
2012/2/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「命である血を流す」というでお話ししましょう

 血液は私たちにとって命と直結しています。赤ちゃんは母の体内で血を食べて成長し、生まれてからは母の乳房で血液が変化した白いミルクという血液を飲んで大きくなりますね。今日は命である血を流す殺人や自殺そして死刑に光を投げかける創世記の9章です。

 まず、「あなたがたの命の血を流すものには、わたし(神)は必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復するであろう。 」5節(口語訳聖書)。 いかなる理由がありましても人の命の血を流す殺人者、自分のいのちの血を流す自殺者に主なる神様は復習すると厳しいことばで語っていますね。それほど私たちのいのちは全世界よりも重く尊いのです。命の血を流す者は神様の復讐を怖れて一生涯漂流することになります。

 次に「人の血を流すものは、人に血を流される、」と6節にあります。このことばは個人的な仇討ちではなく公的な裁判による死刑を認めていると理解されている箇所です。現代、国家や人間が人をしてにする権利を持っているか、もし冤罪だったら取り返しがつかなくなる、加害者にも生きる権利がある、等等で死刑廃止論が高まっていますねえ。では他方、被害者と家族の方はどうでしょうか。考えたり話し合う余裕もなく殺されてゆく、これから生きる権利を一瞬にして奪われる、残された家族の悲しみと苦しみは何を持って償えるのか。聖書は言っています。「―為政者―は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。」 ローマ人への手紙の13章4節。

 最後に命である血を流してはならない理由です。「神が自分のかたちに人を造られたゆえに。」と6節の後半にあります。私たちのいのちは自分のものではありません。神様のものです。しかも神様のかたちにしたがって作られました。その神様のかたちを持った人のいのちを勝手に奪ったり自分で壊したりしてはならないのではないでしょうか。

 ( PBA制作「世の光」2012.2.22放送でのお話より )

 

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■祈り / 山中直義

2012年02月21日 | Weblog
 2012/2/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 祈りとは何でしょうか。イエス・キリストがお教えになった主の祈りという祈りがあります。
 「だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』」(マタイの福音書6章9節~13節)

 聖書が教えている祈りというものは単なる自己実現や願い事をかなえるためのものではありません。人の思いをはるかに超えた神様の素晴らしさを実際の生活の中で喜びと感動を持って体験する、そのために祈るようにと聖書は教えています。特にこの冒頭の一行、「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」ということばにこのことが集約されています。

 この箇所を直訳すると次のようになります。「天にいます私たちの父よ。あなたの御名前が聖なるものとされますように。」 名前というものはその存在のすべてを指すものとして聖書では使われています。ここでは「神様のすべて、神様ご自身が」ということだと言えます。そして「聖なるものとされる」というのは、特別なものとしてとりわけられるという意味があります。「神様ご自身が特別なお方、人間の思いを超えたお方として取り分けられますように。」 これが祈りの本質だと聖書は教えています。

 天におられる父なる神様が、どれほどの知恵と力に満ちておられるか、そしてどれほどに私たちを愛し、思いやり、大切にしようとしていてくださるか、そのことを日々の歩みの中で喜びと感動をもって体験する、それこそが祈りの本質・目的である、そして他の何物にも変えられない特別な喜びであると聖書は教えているのです。

 「私の日々の歩みの中で神様が特別なお方とされ、私が神様を心から喜び、感謝と感動に満ちて生きることができますように。」 どうかあなたもそのように祈って見てください。その時あなたの心にも喜びと感動が訪れます。

    (PBA制作「世の光」2012.2.21放送でのお話しより )

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■新しい人生に生きる / 関根弘興

2012年02月20日 | Weblog
2012/2/20放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日は最初に新約聖書コリント人への手紙第二 5章17節のことばをご紹介いたします。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 

 ま、人は誰もが人生の新しさを求めていると言われます。もう一度やり直したい、生活を一新したい、自分の心を変えていきたい。ま、そんな思いを持ちますよね。今日紹介したこのことばを書いたのはパウロという人です。彼は以前熱心なユダヤ教徒で、クリスチャンを激しく迫害していた男でした。そんな彼がエルサレムからダマスコという町に向かう途中、まばゆい光に打たれ、目が見えなくなり、地に倒れてしまいました。そのとき、こんな声を聞くんですね。「サウロ!」-当時彼はサウロと名乗っていたんですねえ。- 「サウロ、サウロ、あなたはなぜわたしを迫害するのか。」 「主よ、あなたは誰ですか?」 「わたしはあなたが迫害しているイエスである。」 こういうことばを聞くんです(使徒の働き9章参照)。この出来事から彼の人生は180度変わり、イエス・キリストを伝える人として世界中を回っていく人になったんです。その彼が「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた」のだ、と記しているんですね。

 ここで新しくされるとありますが、一体何が新しくされるんでしょう。

 第一は生命の新しさです。私たちのこの命は限りがあります。体は病み、疲れを覚えますね。そしていつかは誰もこの命は失われていきます。しかし「キリストの内にあるなら新しくされる」とあるのは、朽ちることのない命がイエス・キリストによって与えられるということなんです。イエス・キリストが十字架につけられ三日目によみがえられたその復活のいのち、その新しい命の中に生かされるのだと約束しているんです。

 第二は人生の新しさです。パウロは「すべてが新しくなりました」と記しています。キリストが約束する新しさというのは、あなたに人生の新しさを与えるんです。それは生かされていることを喜び、神様を讃美し祈り、礼拝を捧げる人生の始まりとなります。古いものが過ぎ去っていくのです。過去に囚われ縛られる生き方ではなく、そこから解放されイエス・キリストと共に生きる、そういう人生が始まるんですね。 もちろん人生には困難や悲しみ、そういうものが襲います。でもキリストは共に歩んでくださるんです。

 人はみな新しくされたいと願っています。ただあなたが心を開いて、イエス・キリスト救い主として信じ受け入れるとき、新しい人生の扉がそこから開かれていくんです。

  (PBA制作「世の光」2012.2.20放送でのお話しより)

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■着物の四隅のふさ / 羽鳥頼和

2012年02月18日 | Weblog
2012/2/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。旧約聖書の申命記22章には神様の命令が幾つも記されています。今日はそれを幾つか紹介します。「迷い出た家畜は必ず持ち主の所に返さなければならない。その持ち主が分からない場合は持ち主が分るまで世話をして持ち主に返さなければならない。」(申命記22章1節、2節参照) 家畜は財産でした。その財産は神様がその人に与えられたものです。ですから他の人のものも神様がその人に与えたものとして扱うべきなんです。ですから他人のものを自分のものとしてはいけないのです。

 こんな命令もあります。「女は男の衣装を身に着けてはならない。また男は女の着物を着てはならない。」(申命記22章5節) ふざけたり遊び半分で男装したり女装することは良くないことと教えています。男性、女性の性は神様がその人に与えられたものです。神様が人を造られた時、「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記 1章27節)と聖書にあります。男性も女性も神のかたちとして神様が作った尊いものなのです。それを面白半分に扱うことは神様を感じることであり、神様自身が嫌われることなのです。

 結婚についても真実な結婚をすることが命じられています。相手のことが気に入らないというだけで離婚しようとしてはいけないこと、そして浮気や不倫などをしてはいけないことがはっきりと命じられています。

 またこんな事を神様は命じられました。「身にまとう着物の四隅に、ふさを作らなければならない。」(申命記22章12節、参照民数記15章38節) この命令について神様は、「そのふさはあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こし、それを行なうため、みだらなことをしてきた自分の心と目に従って歩まないようにするため、こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行ない、あなたがたの神の聖なるものとなるためである。」(民数記15章39節、40節)と教えられました。

 こと細かに命令されています。しかしそれは人をがんじがらめに不自由にしようとしているのではありません。この四隅の房の命令から分るように、神様は人に正しい行い、良い行いを教えているのです。そして人が聖なる者、きよい者、良い人になることを神様は望んでいるのです。

 あなたも良い人生を生きるための神の教えを学ぶためにキリスト教会にいらしてください。

 ( PBA制作「世の光」2012.2.18放送でのお話より )

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