♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■道は開かれる

2006年11月30日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は旧約聖書のイザヤ書から読んでみましょう。

 「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。」イザヤ書 40章28節、29節

 預言者イザヤが神のことばを語り告げたこの時代、イスラエルの国はヒゼキヤという王様がいました。神を恐れ、神に従う王様で、その姿勢は彼の政治にもはっきりと現れていました。

 当時イスラエルは弱小国家で、北のアッシリヤ帝国の脅威にさらされていました。イスラエルはアッシリヤに貢ぎ物を納め言いなりになるか、滅ぼされるか、いずれかを選ばなくてはならなかったのです。しかしヒゼキヤは目先の恐怖よりも目に見えない神の守りと祝福を信じる王でした。自分が信じる天地創造の神が全ての国々の王に勝るお方であるとし、これを信頼したのです。そしてアッシリヤの脅かしに動ぜず、独立国家の歩みを進めて行きます。神様は確かにおられるのですねえ。国際情勢が変化していきます。バビロニアが反乱を起こし、エジプトが国力を回復して反アッシリア同盟を組織し、イスラエルは独立国家として生き残る道を開かれていくのです。人間的なあらゆる手立てが尽きたとしても、神を信じる者には望みがあります。

 聖書のことば。
 「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。」イザヤ書 40章28節、29節

 (PBA制作「世の光」2006.11.30放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。





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■福音の四季 :あなたが歩む一歩一歩、わたしはあなたの前に道をひらく

2006年11月29日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。 栃木県壬生町にお住まいの鈴木さんからいただきました。

 千歳の岩よ 我が身を囲め 裂かれし脇の血潮と水に 罪もけがれも洗いきよめよ

 --讃美歌260番ですね。--  今日もこの讃美歌を口づさみます。羽鳥先生の体験談のメッセージ、感動しました。

 鈴木さん、いつもお便りありがとうございます。

 さあ、今日の福音の四季、聖書のことばは、「あなたが歩む一歩一歩、わたしはあなたの前に道をひらく」箴言4章21節。シリヤ語訳のことばです。

 私たちの事務所の入っているこのO.C.C.センター(お茶の水クリスチャンセンター)は、故(アイリーン・)ウェブスター・スミス先生によって建てられました。先生は、英国から日本に来られた女性宣教師で、その生涯をかけて日本の人々のために働いてくださいました。初期には関西で日ノ出女子いえん(遺園?)という女の子の孤児の施設を建てて身寄りのない子どもたちを愛育し、後には東京に住んで大学生伝道に励み、O.C.C.を建てられました。しかしその生活はつつましい非常に質素なもので、生涯独身を通され、先生の持ち物は信仰以外何もありませんでした。そういう人でした。その何も持たない先生が、愛と信仰だけで子どもたちの世話をし、施設を建て、キリスト教センターを建て上げられました。年老いて英国に帰り、スコットランドに講演に行く車の中で気分が悪くなり、そのまま自動車で病院に連れていかれましたが、数時間後には天に召されました。私は先生にかわいがっていただき、O.C.C.の裏の小さな小屋のようなお宅に招かれて、質素なお食事を共にさせていただいたことは忘れることができません。先生のその生きざまは私の人生に大きなインパクトを与えました。このみことばの通りでした。

 聖書のことば。
 「あなたが歩む一歩一歩、わたしはあなたの前に道をひらく」旧約聖書箴言4章21節、シリヤ語訳聖書。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2006.11.15放送でのお話しより )

 
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■イエスの第一声

2006年11月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。

 「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコの福音書 1章15節) このことばは、イエス・キリストが公の場に登場され最初に語ったことばなんです。それもガリラヤ地方で最初に語り始めたことばなんですね。少し背景的な説明を致しましょう。

 ガリラヤ地方には結構、血の気の多い人が多かったようなんですね。ま、すぐにカッカッするタイプの人たちが多い地方だったのかもしれません。なぜなら度々政治的な暴動が起こったからです。当時はこの地はローマ帝国の属国でした。ですからローマ政府打倒!ということで政治的な暴動が起こり、特にガリラヤ地方は荒れることが多かったそうです。ですからそういうことがある場所でイエス様が大声で「神の国は近づいた!」と言われたのですから、みんな振り向いた筈です。「ええー? な、な、何だって? 神の国が近づいたって?」ということになりました。

 しかし人々がイエス・キリストを見てみると、その手には槍を持っていません。楯もありません。拳銃を持っていた訳でもありません。ローマ政府打倒!と書いたプラカードを掲げていた訳でもありませんでした。そして血の気の多い彼らにすれば何とも拍子抜けするようなことばが語られたんです。それは、「悔い改めて福音を信じなさい。」とイエス様は語ったんです。

 きっと彼らにはまったく予想外のことばであったでしょう。彼らは熱意を持って信念を持って新しい体制ができることのために行動していた人たちでした。その彼らに、「悔い改めて、あなたの方向をまったく変えて福音を信じなさい。」とイエス様は単純におっしゃったんです。どういうことでしょうか。
 
 それは、「あなたがたの今持っている勢いや見栄やローマ政府打倒という信条さえも捨て去りなさい。そして真実な神様の方向に向きを向けなさい。あなたの一人よがりの人生ではなく、神様の方に向きを変えてわたしが差し出す福音を信じなさい」とイエス様は語られたんです。

 イエス様は、「神の国は近づいた。だから武器を持て!」と言われたのではありませんでした。神の国の到来は武器によってもたらされるのではなく、人が自分の罪を悔い改め、救い主なるイエス様を見上げて生きることから始まるんです。互がそれぞれ神様に愛されている大切な大切な一人一人であることを認めることから始まるんですね。ですからイエス様は、「あなたの敵を愛しなさい。」(ルカ 6章27節)とまで言われました。

 「神の国は近づいた。」まずそれはあなたの心の中に到来させるものなのです。それはイエス様を私たちの人生の王として単純に迎えることから始まるんですよ。
 
 
 ( PBA制作「世の光」2006.11.28放送でのお話しより )

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■人を見たら?

2006年11月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 あのー、「人を見たら泥棒と思え」なんて言うことばがありますよねえ。「外には七人の敵がいる」とかですね、「兄弟も他人の始まり」だとか、何かこう人間不信に通ずるそういうことばが一般にあるということですよね。

 で、和辻哲朗という哲学者が言ったことばですけれども、「人間性の回復というのは人間性(じんかんせい)の回復による」という言い方をいたしました。人間性(じんかんせい)というのは「人間性」で、字はおんなじですね。人間が人間であるというのは、人は人と人との間にしか生きられない、人と人との間に生きるように人間は造られている。なのにお互を、「人を見たら泥棒と思え」とかですねえ、「外には七人の敵がいる」とか、敵とこう看做したりというふうなことというのはですね、何かどこかおかしいのではないかなあというふうに思われたりする訳なんですね。で、これは確かにだからその人間性--人間が人間らしい人間になるという--それは人間性(じんかんせい)が回復しなきゃいけないのだということ、これは確かなことではないかなあというふうに思われる訳ですね。

 で、聖書を見ますと、アダムとエバが神様に背いて顔向けできないようになってしまった時に、このー、夫婦の間でも、アダムとエバの間でも、何となく責任転嫁--罪のなすりあいって言いましょうかね--、そういうふうな事が起きてきました。そして、その子どもたちですけれども、カインとアベルという子どもがいたんですが、カインは弟アベルを、ま、あることから妬んでですねえ、弟を殺してしまうというふうな事件がもう人類の最初の家庭の中から起きていったんですね。

 で、神様に顔向けできないというふうなその縦の関係が壊れていった時に、横の関係つまり人間性(じんかんせい)ですね、人間性(にんげんせい)・人間関係の間にひびが入ってしまったということが聖書の最初の所から見ることができる訳なんですね。

 私たちはその人間性(じんかんせい)の回復ということのために人間性(人間性)の回復ということのために大事なことはやっぱり神との関係が新しく是正されるっていうことが必要なんだろうなあというふうに思います。イエス様が、「新しくなりなさい」(ヨハネの福音書3章3節、7節)と言うのは、そういう意味での関係の回復ということですね。

 ( PBA制作「世の光」2006.11.27放送でのお話しより)


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■どこに行くのかを知らないで

2006年11月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。徳島県板野郡松茂町にお住まいの婦人牧師・千葉先生からは新約聖書ヘブル人への手紙11章8節をお寄せいただきました。お読みしましょう。
 「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

 私は4歳頃まで北朝鮮の山の中で育ちました。終戦後引揚げて日本へ帰ってきました。子ども時代は尾道市の対岸にある向島で瀬戸内の美しい景色を眺めながら成長しました。社会人となった頃から人生について生き方について悩む中でいろいろの本を読みました。人生イコール死という逃れられない事実の前に、決して好きではなかった教会の門を叩きました。救われて間もなく造船会社のOLの仕事に意味を見出せなくなって退社。その後、教会附属の幼稚園で働く中で関西聖書神学校の道が開かれました。アブラハムは出て行けとの召しを受けたときどこに行くかも知らないまま従って出て行ったと聖書にありますが、母教会を振り出しにプロテスタントの様々な教会に行き、ただ今はこの徳島県板野郡松茂町の地に教会を開設して御奉仕をしております。アブラハムのように行く先を知らないまま旅に出て今まで恵みから恵みへと主に導かれて旅をしてまいりました。感謝です。人の思いを超えた神の恵み深いお導きを覚えます。

 千葉牧師の心に残る聖書のことば。
 「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」 新約聖書ヘブル人への手紙11章8節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.11.18放送のお話しより)


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■心にゆとりを

2006年11月24日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は、「心にゆとりをもっていくために」というお話しをします。ゆとりがあるかないか、毎日の生活に大きな影響がありますね。時にはゆとりがないと身の危険さえ招いてしまいます。又、ゆとりがないとイライラして何か人間関係や仕事の上にまで悪い影響を与えてしまうってことありますね。どうしたら心にゆとりを持っていけるか、ま、いろんな工夫があると思うんですが、聖書の中にそんな大切な原則みたいなものを探してみました。

 まず第一番目に、神様に祈ることによって心にゆとりが与えられるというのです。旧約聖書の詩篇の4篇の1節という所に、ダビデ王が自分の息子の反乱で王位を追われるという混乱・苦しみの中でこんな風に祈ったという祈りが書いてあります。「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。」えー、お祈りをする時に神様が心にゆとりを与えて下さるっていうのです。

 二つ目は、聖書のことば、神様の仰せられること、それを心に留め行っていこうとすると心の中にゆとりが生まれるっていうんです。詩篇の119篇の32節です。「私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが、私の心を広くしてくださるからです。」まあ、自分の考え、自分の計画、自分自分って考えてると心が狭くなってしまう訳です。大きな偉大な神様に心を向けると心が広くなるという訳です。

 そしてもう一つ、新約聖書のエペソ人への手紙の3章19節という所には、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ると心の中が神様の愛の豊かさで一杯になるとあります。それはキリストが、自分を罪人扱いにし十字架につけた人たちを見て「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカの福音書 23章34節)と祈られた、こんなキリストの愛を知る時、心がこのキリストの愛で一杯になる、心が広く豊かになる。人を赦すこともできるようになっていく、ま、そういう意味です。

 こんな聖書が言っている心のゆとりを持つ秘訣、あなたもぜひためしてください。

  (PBA制作「世の光」2006.11.24放送でのお話しより )


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■収穫のために

2006年11月23日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日はルカの福音書から読んでみましょう。
実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」ルカの福音書10章2節。

 この9月に私はシンガポールにある日本人の教会を訪れました。その教会にはまだ正式な牧師も立てられておらず、会堂もありませんでした。しかし様々な働き人の協力のもと、現地の教会の空き時間を利用して礼拝を守り、また信徒さんたちが積極的に自宅を開放し、聖書研究や祈り会、求道者向けの各種の集会を毎日のように開いていました。

 私は17年前にゼロから開拓を始め、13年間も地区会館を時間で借りて礼拝を続けたことがあります。平日は牧師宅を開放し、集会を開きましたが、そうした経験からもシンガポールの信徒さんたちの努力と犠牲の数々を思わされ、本当に主のために労する働きが大きな実を結んで欲しいと願わされたことです。

 シンガポールは日本人が比較的多く集まっている国ですが、日本人が多く集まっている国は他にもたくさんあります。日本人の宣教はもはや日本国内だけのことではないのですね。アジア・アメリカ・ヨーロッパや様々な地域に散っている日本人への宣教の働きがあります。もちろん日本国内の宣教も重要な課題です。ある団体では向こう10年内に所属する教会の三分の一が後継者問題を抱えるそうですが、それは他の多くの団体にも通じる傾向かもしれません。働き人が必要とされているのです。主の福音宣教のために専心働く人のみならず、信徒さんの立場であれ、積極的に福音を伝えていく人々が求められています。

 聖書のことば。
実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」ルカの福音書10章2節。

 (PBA制作「世の光」2006.11.23放送でのお話しより)

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■福音の四季 : 明日の10より今日の1つ

2006年11月22日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。 秋田県秋田市にお住まいの、せきやさん、女性の方からいただきました。

 入院中の父を見舞うため、48歳で運転免許を取りました。特に礼拝の前に父と共に先生の世の光のカセットテープを聞いています。父の魂のためにお祈りください。東京にいる二人の娘たちも親の後を継いで医者の道に進もうとしています。

 せきやさん、嬉しいお便り感謝です。これからもまたお祈りします。

 さあ、今日の福音の四季のメッセージです。私たちの家の木々のもみじももう散り始め、一風で払い落とされて坊主になってしまうでしょう。寒い冬の訪れも間近です。ところが枯れ果てたかに見える木々にももう若葉が準備され、春になると一斉に緑になるのですねえ。自然界にあらわされる活き活きとした姿です。私も86歳になり、体の機能があれこれ次々に失われてきて少々寂しいことです。老人期の冬がすぐそこに来ています。やはり90歳近くで天に帰られた私の尊敬するA牧師は、芭蕉の「野ざらしを心に風のしむ身かな 」の句を記し、その後に「明日の十より今日の一つ」と書き添えて遺しました。

 若い頃は私も「明日の十」に心を燃やしビジョンに燃えたものです。しかし今になってしみじみとA先生の「明日の十より今日の一つ」のことばを噛み締めています。けれどもこの前のお達者仲間の会で、70歳過ぎのN先生は、私に「老人は夢を見る」と聖書のことばを色紙に書いてくださいました。そこで私も年寄りながらも聖書のこのことばで自らを励ましています。

 聖書のことば。「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」コリント人への手紙第二 4章16節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2006.11.22放送でのお話しより )

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■獣とともに

2006年11月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。

 イエス・キリストは30歳までガリラヤのナザレという町で大工の仕事でしていました。イエス・キリストの公の活動は、ま、30歳を過ぎた頃からだったんですねえ。その活動の初めにイエス・キリストは40日間荒野にいたと聖書には書かれています。

 荒野というのは荒涼とした、まあ、石がゴツゴツある乾燥した所です。旧約聖書を読むと、荒野は死の世界を象徴するような場所として描かれます。マルコの福音書では、イエス・キリストが荒野でサタンの試みを受けられた時、「野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。」(マルコの福音書 1章13節)と記されています。

 この短い数行の中に私は素晴らしい素晴らしい福音の本質が隠されているっていうふうに感じるんですねえ。それはイエス・キリストの力の及ばない所はどこにもないということなんです。荒野であっても、どんな場所であっても、イエス・キリストの力の及ばない所はありません。あそこまで行っては私はもうだめですねえ、そこまでは私の力は及びません」なんてことはないだというのです。荒野は神様から離れた人の人生を象徴しているかのような場所です。しかしイエス様は公の生涯の最初にまずその荒野に行って野の獣と共におられたと言うんです。

 詩篇の73篇という所には、「 私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。」(詩篇 73篇22節)ということばが出てきます。私たちは自分の中に獣のような性質があることを感じることがあると思います。新聞やニュースを見ると、何て人は獣のような存在なのだろうと思わされることがたびたびですね。理性があり教養もあると自負しているにも関わらず獣のような行動をとってしまう。そんな存在が人の姿かも知れません。詩篇73篇の作者は書いたように、私たちは神様の前で獣のようですという告白は、人間の本性としての告白かもしれませんね。

 でもイエス様は大変象徴的なことをなさいました。それはあの荒野で獣たちと一緒に住んでおられたというのです。荒野はどんな場所でしょうか。それは誰も近寄らない場所です。でも野の獣と共にイエス様がおられる。それはイエス様の生涯の働きを象徴しているかのようです。罪のない正しい神の独り子なるイエス様が野の獣のような私たちと一緒に歩んでくださるんです。そればかりか私たちの罪を背負い、十字架について下さり、私たちの罪を赦し、きよくして下さるのです。イエス様は、あなたと共に歩もうと言われます。あなたはどう答えますか?
 
 ( PBA制作「世の光」2006.11.21放送でのお話しより )

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■アンスローポス

2006年11月20日 | Weblog

次回更新は事情により 11/28(火曜)になります。


 またのお越しを。




 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、恥ずかしい話をしますけども、私が小学生の頃ですねえ、家の前をいつもこう掃くのが勤めだったんですけれども、いやいやながらやってましたが、ある時、道のまん中に何か落ちているのが見えてですねえ、そして良く見たら財布なんですねえ。えー、早起きは三文の得って言うけど、これは儲けたかなあなんて思って、実は箒(ほうき)を持ってたんですが竹箒をその財布の上に置いてですねえ、そして箒でずずーっと家の前まで引っ張ってきて、ぱっとこう拾い上げて、えー、中を開けてみたら大したお金は入ってなかったんですけど、おかしなもので、いっぺんそういうのを拾うとですね、朝起きるとまず道路を一辺り見るという癖みたいなものがついちゃって、どんなに新鮮な空気がそこにあっても、小鳥がさえずっていても、葉末にこう露がたまってそれに朝日が反射してですね素晴らしい朝がそこにあっても、全然そんなものは耳にも目にも入らない、まず地面をこうきょろきょろ見るという(ふう)。お祭りなんかに行っても、花火なんかが上がっている時に、こういう時にこそ落ちてるとかいう話があるけど、って言って下をきょろきょろ見てるとかですね、えー、そういうこう何か自分が気がついて何してるんだっていうふうに思ったことがあるんですけれども。
 
 あのー、実は「人間」というふうに訳されていることばはですねえ、ギリシャのことばでアンスローポスって言うんですけれども、アンスローポスということばは、「上を向く」・「顔を上に向けて」という意味のことばのまあ二つのことばの合成語だというふうに言われているんですね。で、人間というのは本来、その神様によって造られて、その神様にちゃんと顔向けできるように、神様に顔を向けて私の存在の意味とかそして生き方を問うという、つまり上を仰ぐように本来人間は造られている。

 それが下ばっかり見つめてですね、何かいい事ないか、何かおもしろい事ないか、あの人はどう、この人はどう、というふうな次元の中でばっかり生きてしまっているという人間に実は落ちてしまったのではないか。

 イエス様が「人は新しく生まれなければ神の国に入ることができない」という、そういう本来的な、神様を見上げて生きるというそういう生き方から、いつも下を向いて生きるような人間になってしまった人間が、もう一度新しく神様を見上げて生きる人間に生まれ変る必要がある、ということをイエス様がおっしゃってですね、「人は新しく生まれなければ」とおっしゃったんですね。

 私たちは本当に意味においてのアンスローポス・「人間」に回復される必要があると思うんですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2006.11.20放送でのお話しより)


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