♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で

■神が心に留める者  詩篇113篇 / 羽鳥頼和

2012年03月31日 | Weblog
2012/3/31放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 ディーンという子が神様に手紙を書きました。「かみさま あなたは そら ぜんぶとおなじくらい大きくて せかいぜんたいと おなじくらいつよいの? すてきだなー。すごいよー。」 マーガレットという子はそんな神様にこんな手紙を書きました。「かみさま あなたはどこにでもいるとしっているのでわたしはあんしんです。それだけ。けいぐ マーガレット」

 神様の偉大さに心を向け、感動しながらその偉大な神様が自分のところにいてくださることで安心している子供たちの信仰は素晴らしいですねえ。 

 旧約聖書詩篇113篇にもこのようにあります。

 「主は高い御位に座し、身を低くして天と地をご覧になる。主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、彼らを、君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。」 (詩篇113篇5〜8節)

 神様は弱い者、貧しい者に目を留めて彼らを救われるのです。またこの詩篇にはこのようにも記されています。

 「主は子を産まない女を、子をもって喜ぶ母として家に住まわせる。」(詩篇113篇9節)

 聖書には実際に不妊の女性が神様によって子供を与えられることが記されています。イスラエル人の先祖であるアブラハムの妻サラ、そしてヤコブの妻ラケルたちがそうです。神様によってサラはイサクを産みました。ラケルはヨセフとベニヤミンを産みました。彼らはイスラエル民族の先祖としてそれぞれに重要な人物となります。その他にもサムソンの母マノア、預言者サムエルの母ハンナ、バプテスマのヨハネの母エリサベツ、彼女達は皆不妊の女性でしたが神様によって子供が与えられたのです。彼女の子供たちはイスラエルを外国の侵略から守る者、神に仕えるものとして活躍したのです。

 神様は今も弱い者、貧しい者そして人知れず悩み苦しんでいる人に目を留めて救いの手をさし伸べるお方です。神様はあなたにも心を留めておられます。あなたもこの神様の偉大さを知り、神様の救いを求めてください。そのために聖書を読み、キリスト教会にいらしてください。 神様はあなたを待っておられます。

 ( PBA制作「世の光」2012.3.31放送でのお話より )

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■心の底からいのちの泉が  / 岩井基雄

2012年03月30日 | Weblog
2012/3/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 明日で三月が終わりますね。忙しい最中にも昨年の三月からのこの2011年度を振り返り締めくくりの時を持つ方も少なくないでしょうね。この四月から新しい歩みが始まる方もいらっしゃるかもしれません。あなたはいかがですか?

 来週はキリスト教会では受難週と言います。これはイエス・キリストが十字架に向かわれる歩みを記念する週で、人生を静かに振り返り、自分の心や歩みを見つめる時です。あわただしく過ぎ去ることの多い人生の中で、しばらく立ちどまって深く考える静かな時間はとても大切ですよね。来週ぜひあなたもそのような一週間を過ごしてみませんか? そしてゆっくりと人生を振り返り、心を見つめるのです。

 旧約聖書の箴言というところには次のようなことばがあります。

 「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」  旧約聖書 箴言4章23節

 私たちは出来事の結果や成果を反省することは得意でも自分の心そのものを見つめたり見守ったりすることは不得手かもしれませんね。心は身体異常に疲れることも多いのに、その心をケアし守ったり労わったりすることはなかなかできないのです。さらに自分の心の闇を直視することはもっと難しいことかもしれません。しかし聖書は私たちの行動や言動の背後にある心を見つめ、それを見張り、守るようにと促します。私たちが他の人や自分自身を傷つけてしまう言動は、心の奥底にある様々な痛みや問題から来ることも多いのです。自分の心を見つめ、その闇を認めることは簡単なことではないかもしれません。しかし、あなたの心が命に輝くために、イエス・キリストはあなたの心の闇すなわち罪を全て引き受け、身代わりとなって十字架にかかられました。心の闇や罪を認め、キリストの愛と恵みを受け取るときに、あなたの心の奥底からいのちの泉が湧き出るのです。静かな時間を持ち、人生や自分の心を振り返り、心の奥底にキリストの愛と恵み、いのちと赦しをあなたも受け取りませんか? そこから新しい人生が始まるのです。

 もう一度お読みします。

 「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

 ではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2012.3.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神の祝福に信頼する / 福井 誠

2012年03月29日 | Weblog
2012/3/29放送
 
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神の祝福に信頼する」です。それではマタイの福音書14章19節から読んでみましょう。

 「イエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。

 イエスが起こした奇跡の中でも有名な五つのパンと二匹の魚のお話です。沢山の人がイエスの所に集まっていました。イエスの話に耳を傾けたり、病気を癒してもらったりしているうちに日が暮れてしまったのです。弟子たちは心配して人々を解散させてめいめいで食料を調達するようにとイエスに提案しています。するとイエスは「あなたがたであの人たちに何か食べるものをあげなさい。」と言います。集まった人々は男だけで五千人。果たしてどのようにそんな必要を満たすのか。
弟子たちが「ここは寂しい所で、村に行ってめいめいに食物を買うように。」と言っていることからも、近くには大量に物を仕入れることのできる市場もなかったことでしょう。不可能と思われる状況にあって、あえて難題をふっかけるイエス様に弟子達は本当に困ったことでしょう。しかしイエスはご自分がなさそうとすることを最初から理解していました。 イエス は弟子たちの手にある五つのパンと二匹の魚を取り、それを祝福して裂いて弟子たちに与えたのです。驚いたことにそれらのパンと魚は増えて五千人の胃袋を満たしてなお余りが出ることになりました。

 このお話をどう考えるか。まるでおとぎ話か何かのようですが、信仰を持つということはそういうことです。全く可能性がないと思われるような状況の中でも、神の祝福があれば物事が可能となっていくと言うことです。聖書はそのようなお話で満ちています。ただ漫然と聖書を読むだけではなく、信仰を持って神のことばを受け止めて、神の祝福に与って生きたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2012.3.29放送でのお話より )

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■バベルの塔  / 板倉邦雄

2012年03月28日 | Weblog
2012/3/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「バベルの塔」という題でお話ししましょう。

「バベル」とは「混乱」の意味です。何が混乱であったかと言いますと、ことばが混乱してしまって互いにことばが通じなくなってしまったということです。なぜ世界中に異なる言語と民族が存在するのかその疑問にも答えていますのが創世記の11章です。

 さて全地は同じ発音、同じことばであったと1節に書いてあります。時に人々は東方に移動しました。生活が落ち着きますと人々はむくむくと高慢の思いが湧き上がってきました。彼らは相談します。「さあ、町と塔を建てよう。その塔の頂きを天に届かせようではないか。そして私たちの町の名を天下に届かせよう。私達が一つになって全地の表に離散しないようにしたいのだ。」(創世記11章4節参照) 時に主なる神は下ってきて人々の建てている町と塔を見て言われました。「民は一つでみな同じことばである。人々がしようとしていることは何事もとどめることはできない。そこで人々のことばを乱し、互いにことばが通じないようにしよう。」(創世記11章6-7節参照)

 ある日突然でした。町や塔を建築中の人々のことばが通じなくなってしまったのです。「石を持ってこーい」というのにレンガを持ってきたり「アスファルトを持ってこーい」というのにしっくいを持ってきたりしました。ことばが通じないので工事はストップです。そのため、同じことばを話す者同士で手に手を取り合って新しい居住地を求めて散って行きました。

 さて、21世紀の現代、同じことばを使っているのに通じないということはないでしょうか。親と子供の間はどうでしょう。恋人同士や夫婦の間はどうでしょうか。同じことばを使いながら互いのことを理解できない、あるいは理解しようとしない、自分たちの間に機械を介入させて相手の顔色やことばの高低や音色も聞こえないのです。ただ画面に映る一方的な文字を読むだけでしょうか。

 現代のバベル・混乱はすでに始まっています。どうか親と子、恋人どうし、兄弟姉妹、そして夫婦が散り散りばらばらに散らされないように主なる神様にお祈りしていきましょう。

 ( PBA制作「世の光」2012.3.28放送でのお話より )

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通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
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そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
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■和解の秘訣  / 山中直義

2012年03月27日 | Weblog
2012/3/27放送

世の光の時間です。いかがおすごしでしょうか、山中直義です。今日は「和解の秘訣」と題してお話をさせていただきます。

 旧約聖書 創世記33章にヤコブとその兄エサウの奇跡的な和解が描かれています。このヤコブとエサウの兄弟の関係は幼い時から決してよいものではありませんでした。互いに全く異なる性格、望み、生き方を持った二人の関係は、ある時ヤコブの卑怯な偽りによって決定的に引き裂かれ修復不可能なものとなってしまいました。ヤコブは謝罪のないままに逃げ出し、次に会う時ヤコブはエサウに殺されざるをえない、そんな絶望的な関係であったと言います。ところがその二人が互いに抱き合い泣いて赦し合う完全な和解を果たした、と聖書は言います。

 ところで、その和解の秘訣はどこにあったのでしょうか。その秘訣はヤコブが徹底的に自分の罪を認め、心の底から罪を詫びたところにあったと聖書は教えています。自分も悪いけれど相手だってある程度は悪い。そんな相対的な罪の認め方ではなく、とにかくまっすぐに自分の罪を認め心から謝罪した。その事がエサウの憎しみを溶かし奇跡的な和解を実現させたのだと聖書は言います。

 ではヤコブは一体どのようにしてそのような思いに至ることができたのでしょうか。このヤコブ、実はエサウと再会する直前に神様と徹底的に向き合うという体験をさせられていました。神様の前に自分がどれほど愚かで惨めで罪深いかということを徹底的に知らされた。そしてそんな自分を神様がどれほど愛し、救おうと願っていてくださるか、神様の愛の深さを徹底的に知らされた。その結果ヤコブは自分の罪をまっすぐに認めることができるようになった、と聖書は教えています。

 和解の秘訣、それは人との比較によってではなく神様の前に立って自分の罪をまっすぐに認めるところにあるのではないでしょうか。

 そしてこのことは私たち人間と神様との関係についても言えることだと言えます。神の御子イエス・キリストと徹底的に向き合うその時、あなたも自分の罪を知り神様の愛を知らされるという体験をすることができます。そしてその時にこそ神様との完全な関係を喜び楽しむという生活があなたにも始まるのです。

    (PBA制作「世の光」2012.3.27放送でのお話しより )

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