♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■奇跡、それはあなたへの神の愛と力の贈り物

2009年02月28日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。 

新約聖書マルコの福音書6章にはこんな話があります。 

 ある春の日でした。 イエス・キリストの所に大勢の群集が集まってきました。キリストはその人々に神の国について話し、神の愛と力を話されました。 

 またたくまに時間が経ったので弟子たちは言いました。 「先生、もう遅くなりました。 ここは不便な所です。 この人たちを近くの村へ行ってそれぞれで食べ物を買うように言ってくださいませんか。」 「いや、あなたがたがこの人たちに食べる物をあげなさい。」 「ええっ? 先生、無理です。 こんなに大勢の人々の食べ物を買うお金なんてないですよ。」 キリストは弟子たちに尋ねました。 「今、食べ物はどれぐらいありますか?」 弟子たちは答えました。 「パンが五つ。 それと魚が二匹です。」 

 ここには男の人だけでざっと五千人からの人がいました。 いくら何でもお話になりません。

 ところがキリストはこれらの人々を草の上に整然と座らせると、五つのパンと二匹の魚を取り、全能の神に祝福の祈りを捧げて、パンをちぎって弟子たちに手渡して配らせました。 魚も同じようにされました。 

 すると驚いたことに、ここにいた人々みんなに行き渡り、みんなが満腹したではありませんか。 しかも余ったものを集めると、十二のかごが一杯になり、十二人の弟子たちが食べる分も十分だったのです。 

 わずか五つのパンと二匹の魚がどうして五千人の人々に行き渡ったのか、それは私にもうまく説明できません。 ただキリストはこの驚くべき出来事を通じて、ここにいた人々に神の驚くべき愛と力をはっきりと見せられたのです。 

 このキリストは今もあなたや私に語っています。 「あなたが今困難なもんだいにぶつかっているなら、この不思議な出来事を思い出しなさい。 そしてわずかな信仰でもいい、わたしを信じなさい。 そうすればあなたも神の驚くべき愛と力を知るでしょう。」

 キリストによる不思議な出来事・奇跡、それはあなたへの神の愛と力の贈り物なのです。 あなたも今日、このキリストを信じてください。 

  ( PBA制作「世の光」2009.2.28放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座
を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに
案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないか
なあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行っても
オーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるとい
いでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■雪のような輝きへの歩み--- 雪とともに(4)

2009年02月27日 | Weblog


世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。 

 突然ですが、あなたには目標としている人がいらっしゃるでしょうか。 歴史上 の人物であったり、ご家族や知人の誰かであったりするかもしれませんねえ。 

 しかしどんな理想的に見える人にも限界があります。 表面的にきれいに見えても内側にはきたなさが隠れており、時にそのきたなさが現れてしまうことがあるのです。

 神さまを信じたクリスチャンでも人間ですから内側には罪の性質があり、決して理想通りとはいきませんよねえ。 まるで雪が融けた時に現実が見えてしまうような失望を他の人に与えてしまうことだってあります。 
 しかし表面だけを取り繕い飾ろうとするのではなく、私たちが神様の前に正直に自分のきたない姿を認め続けることはとても大切なことです。 

 新約聖書の第一ヨハネ1章8節から9節にはこう書いてあります。 
 「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」 と。

 大切なことは自分を雪のようにきよらかな人だと見せることではなく、
神様の前にきたない自分の姿を認め続け、取り扱われ、砕かれていくことです。 その時、どんな人も雪のような輝きへと変えられていくのです。 

 あなたが自分の罪を言い表すことを神さまは本当に喜んでくださいます。 先ほどの聖書にあったように、「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださ」るのです。 
 他の人に自分のきたなさを指摘されたり、自分でも気づかされたりする時は素晴らしいチャンスです。 その時こそ自分の罪を正直に認め、へりくだって神さまのもとに行きませんか? 

 あなたもぜひご一緒に教会に行き、神さまの前にへりくだり、雪のような輝きへと変えられていく歩みを始めてみましょう。 

 それではまた聴いてください。

(PBA制作「世の光」2009.2.27放送でのお話しより)

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■「もうだめだ」ということはない

2009年02月26日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「もうだめだということはない」です。

 それでは聖書の中のヨハネの福音書11章25節から読んでみましょう。 
 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 エルサレムから三キロほど離れた所にベタニヤという町がありました。 そこにはイエスが必ず訪れ疲れを癒すラザロという人の家がありました。 ラザロはマリヤとマルタという姉妹と三人で平和に暮らしていたのですが、ある日病気になって死んでしまうのです。 

 悲しむマルタとマリヤのもとをイエスが訪れたのは、もうラザロが死んで四日目のことでした。 

 マルタはイエスの顔を見ると、「もしイエスがここにいてくださったなら、兄弟のラザロは死ななかったでしょうに」と泣きだしてしまう始末です。 妹のマリヤも同じように兄弟ラザロの死を悲しんでいました。

 そんなマルタとマリヤに語られたのが今日読んだ聖書の箇所です。
 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 死んだあとに天国でよみがえる、そういう希望についてならマルタも十分理解していました。 しかしそうではなく、この時イエスは死人のラザロをみんなの目の前でよみがえらせたのです。

 この出来事をどう受けとめたらよいものでしょう。 理性ではとっても受けとめられない出来事ですねえ。 しかしイエスは言っています。 
 「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、・・・・」(ヨハネ 11章40節)

 この世には信じられない神のわざがあるという訳ですねえ。 
 「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ 1章37節)と聖書は言っていますが、本当にそのことを信じていくことが信仰なのです。 

 ですから信仰者に「もうだめだ」ということはありません。 神にとってもうだめだということはないからです。 「信じるなら、あなたは神の栄光を見る」 そんな人生の可能性があります。

 自分の人生には望みがない、そのように思っている人はいませんか。 ぜひ聖書を手にとって読んでいただきたいと思います。 

  (PBA制作「世の光」2009.2.26放送でのお話しより)

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■悪からお救いください

2009年02月25日 | Weblog
 
世の光の時間です。 お元気ですか? 安海靖郎です。

 今日はイエス・キリストの教えられた祈り・「主の祈り」の一節です。 今日のことばは「私たちを・・・悪からお救いください。」というものです。 短いことばですが、意味深い内容だと思います。 なぜならこの世界には悪が、悪いことが一杯だからです。 そしてそれは私たちの毎日の生活の場でも身近に感じられ、実際に起こっているのではないでしょうか。

 ではここで言われる悪とはどんなものなのでしょう。 聖書の語源では「悪い者」とも訳せることばです。 ですから英語の現代の訳の聖書では ジ・イービル・ワン the evil one  つまり「悪しき者」と訳しているんです。 つまり、あらゆる悪、悪いことをもたらす者ということです。 なお聖書では、サタン・悪魔を同じ「悪しき者」「悪い者」と呼んでいます。 それはもともと悪魔ということばの原語のヘブル語では「悪い者」という意味だからなのです。 

 ですからこの祈りのことばは、あらゆる悪・悪いこと、そしてそれをもたらす悪しき者・悪魔の力からお守りください、お救いください、という意味になります。 

 ではどういう悪・悪いこと、なのでしょうか。 具体的に新約聖書のマルコの福音書の7章21節からの所にこんなふうに書いています。 「人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。

 ここで言う悪とは、人の心の中にあり、人の内側からことばや行為となって出てくるものだ、と言うのです。 つまり悪しき者・悪魔は人の心の中にある考えや思いまた欲望に働きかけてくる、と言うのです。

 とすれば私たちはどう対抗し防げばよいのでしょうか。 私たちの努力や修養や道徳・倫理には限界があります。 人の心の強さの限界、悪しき者の力の実態をようく知り自らも経験したパウロはこう言っています。 
(イエス・キリスト)は真実な方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。」(テサロニケ人への手紙第二 3章3節)

 イエス・キリストは言いました。 
 「今日も私たちを悪からお救いください。」と祈りなさいと。

 イエス様がお守りくださるのです。

 ( PBA制作「世の光」2009.2.25放送でのお話しより )

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■何の役に立ちましょう

2009年02月24日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を始めていきたいですね。

 新約聖書にはイエス・キリストの生涯を記した四つの福音書があります。 そのいずれにも記されている大切な大切な出来事の一つに、イエス・キリストがパンと魚を大勢の人たちに分け与えたという奇跡の話が出てきます。 

 イエス・キリストの評判は大変大きなものでした。 そして大勢の人たちがイエス・キリストのあとについてきました。 人々は小高い丘に、青草がある場所に集まってきました。 男性だけである時、五千人の者たちが集まってきました。

  イエス・キリストはこの大群衆を御覧になって弟子の一人に、「どこからかパンを買ってきてこの人々に食べさせようか」と言われたんです。

 弟子はすぐにこう答えました。 「イエス様、めいめいが少しずつ取るにしても二百デナリのパンでは足りません。 どう見てもこの人たちに食料を与えるなんて無理ですよ。」とこういうふうに言ったんですね。 この二百デナリという金額は当時の二百日分の労賃に相当するものでした。 大金ですよね。

 でもその時でした。 弟子の一人のアンデレという人がお弁当を持った少年のことをイエス様に報告に来たんです。 そのお弁当は大麦のパン五つと干した小魚二匹で、まあそれは粗末な食事でした。 アンデレはイエス様に「こんなわずかなものでは何の役にも立ちませんよね」と何となくばつが悪そうな様子でした。 

 しかしこの出来事こそ私たちに大変な勇気と麗しい光景を見せてくれるものになっていくんです。 それはどんなに役立ちそうにない粗末なものでも、イエス・キリストはそれを用いてくださるという真理なんです。 

 イエス・キリストはこのパンと二匹の魚をどうしたでしょうか。 神様に感謝を捧げたあと、パンを裂いて人々に分け与え始められていきました。 すると群集がおなか一杯食べ、なお余ったものが十二のかご一杯になったって言うんですねえ。 

 さあ今日私たちは大切なことをここで学びたいんです。 あの少年の差し出したパンはイエス・キリストの手に握られた時、それは五千人を養うものになっていきました。

 お互いの人生はどうでしょう。  あのパンと魚、それはラジオを聴いている一人ひとりのあなたの姿を表していると思うんです。 一つひとつはとても小さな弱い存在かもしれません。 しかしそのパンがひとたびイエス・キリストに握られ委ねられた時、それは人を満たすために用いられるものとなっていったんです。 

 人生に疲れ、自分なんていてもいなくてもどうでもいいって投げやりな気持ちで過ごしている方がいるかもしれませんねえ。 イエス様はそんなあなたの人生を私に委ねなさいと招いているんです。 だから、「イエス様、あなたに私の人生をあなたに委ねます」と祈りながら歩んでみてはいかがでしょうか。 

 (PBA制作「世の光」2009.2.24放送でのお話しより)

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■それでも喜ぶ

2009年02月23日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか。 村上宣道です。 

 二月も終わりに近づきつつありますけれども、二月というのはまあ一年のうちで一番季節的に言えば厳しい寒い月ですよねえ。 特に東北、北海道とかそしてまあそのような寒冷地と言われる所はこの二月はほんとに厳しさを覚える月だと思いますねえ。 

 で、よくまあ人生というものも春夏秋冬に例えられたりすることもありますが、私たちの生き方の中でもニ月のような厳しさを感ずる、寒さを感ずる本当に冷え込みを覚えると言いましょうかね、そんなような時期というのがある訳ですよねえ。

 で、この所ずっと「喜び」ということについてご一緒に考えてきましたけれども、「喜び」っていうのはほんとにこう喜べるような時に喜ぶというばかりでなくって、こんな時にどうして喜べるの、っていうような時にですね喜べるかかどうかということが一つの大きな課題だと思いますよねえ。 「いつも喜んでいなさい」(1テサロニケ 5章16節)っていうふうに聖書は教えている訳ですけれども、「いつも」って訳にいかない、こんな時にも喜ぶなんてそれは無理だというようなですね、そんな場面に実際に出くわすことがある訳ですよね。

 ですけどもパウロという人はですね、そのローマ人への手紙5章という中で言ってるんですけども、「患難さえも喜んでいます」(ローマ 5章3節)ってこう言い方をしているんですね。 何か負け惜しみみたいにですね聞こえる方もいらっしゃるかもしれませんけれども、「患難さえも喜んでいます」というこの「さえも」ということなんですけれども、いくらパウロという人が偉大な信仰者であったとしても、患難が大好きで患難がないと何かムシャクシャするとかそんなことはない訳ですね。 患難はやっぱり喜べるようなものではない。 できることだったら患難は避けたい、そういう気持ちは変わらないと思うんです。

 その喜べるはずもない患難「さえも」喜んでいます、と言うことができるのは、この聖書を見ますとですねえ、患難は患難のままでは終わらないんだ、患難は患難を通してでないと産まれてこないものがある。 そこから産み出されるもっとすばらしいものがある、というそのことを思うから、「患難さえも喜んで」いるのだとそういうふうに言っているんですねえ。

 そしてそれだけではなくって神様の愛が私たちの心の中に注がれているのだから、愛されるはずもない者をも愛してくださっている神様の愛が分かれば、その患難をも必ず良きに変えてくださると信じられると、そういう意味なんですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2009.2.23放送でのお話しより)

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■神に祝福された人生

2009年02月21日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。 始めに旧約聖書詩篇92篇12節をお読みします。 
 「正しい者は、なつめやしの木のように栄え・・・ます。

 2006年2月に87年の生涯を閉じた婦人がいました。 この方の実家はその昔、絹糸の商いをしていて豊かな家でした。 ところがある日、村全体に及ぶ大火事にみまわれ、文字通り一夜貧乏になりました。 保険制度などなかった時代です。それで長女だったその人は十代始めから二十代始めの十年間、鎌倉にある老舗の菓子屋に奉公に出ました。そこで一年分の賃金を前払いしてもらい、それを全部家に送り、住み込んで働きました。 暗い青春時代でした。十年間続いた奉公が終わり、やがて結婚しました。ところが住んだ場所が鉄道沿いで、その頃の蒸気機関車の煙に混じって出た火の粉が藁葺(わらぶ)き屋根に飛び火して家は全焼してしまいました。度重なる火災で、世間で肩身の狭い生活を送りました。 幸せから見放され、愚痴ばかりの毎日でした。やがて五人の子どもの一番下の息子がクリスチャンになりました。 ある日息子はその人にこう言ったのです。「お母さん、辛かった人生は分かるけれど、自分の人生に恨みを抱え、呟(つぶや)いていても幸せにはなれないよ。」 それからその人は息子と一緒に教会へ行くようになりました。 そしてある日、自分の人生の重荷を全部イエス・キリストのもとに降ろしたのです。

 その日からこの人は変わりました。 愚痴ではなく感謝の祈りや讃美歌が口から出るようになりました。自分は学がないと言って六十過ぎてから書道を習い、教会の毎週の礼拝説教の案内看板を書きました。覚えられないと言っては写経のように聖書を書き写しました。その苦難の生涯はオアシスのなつめやしの木のように民に祝福された人生に変わったのです。 これは私の母のことです。

 あなたもぜひお近くのキリスト教会に行ってみてください。 そして神に祝福された人生を歩んでください。

  ( PBA制作「世の光」2009.2.21放送でのお話しより )

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■雪を落とすための愛  雪とともに(3) 

2009年02月20日 | Weblog

世の光の時間です。 ぉ元気ですか? 岩井基雄です。

 しんしんと降り積もる雪って神秘的ですよねえ。 けれども、そのままにしておくと家や木々を押し潰してしまいます。
しなやかな力強い竹さえも雪の重みで折れてしまうことがあります。

 ところで次の俳句を御存じでしょうか。

     憎みては打たぬものなり笹の雪

 という句です。

 笹を育てる人は雪の重みで倒れそうになっている若竹の曲がった所を杖や棒で強く打ちます。 それは竹にとっては痛いことでしょうが、その衝撃で重い雪が落ち、若竹はもう一度まっすぐに立ち、本来の姿に戻ることができる。 そんな情景を詠った俳句です。 これは新島 譲の祖父が親に口ごたえした新島を押し入れに閉じ込め罰した後、彼に教えたと言われる俳句でもあるそうです。

 厳しく叱られ、咎められるような経験を喜ぶ人は少ないかもしれません。 しかし、どうしても必要な叱責、またその人を正し、本来の歩みへと回復させていく鞭があります。

 聖書にこんなことばがあります。
 「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。
     ヘブル 12章5節、6節

 私たちの人生にも人を通して厳しく叱責されることがあります。 深い痛みや苦しみを伴う出来事もあります。 それらは神に打たれるような経験とも言えるでしょう。 しかし時にはそれがあなたを愛するゆえの忠告や鞭であり、また同時にあなたを本来のあり方へと回復させていく神の愛であり厳しさであることを忘れてはなりません。

 神様はあなたのためにあえて試練を与え、苦しみを与え、あなたを悔い改めへと導き、本来のあり方へと戻そうとしていらっしゃるのです。 神様はあなたに耐えられない試練を与えません(1コリント 10章13節参照)。 あなたがその試練の中で自らを見つめ、悔い改めるべき罪を認め、心から神様の前に出ること、そして本来のあり方に戻ることを待っていらっしゃいます。 あなたを神様は心から愛しているからです。

 ではまた聴いてください。

(PBA制作「世の光」2009.2.20放送でのお話しより)

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■私たちを試みに会わせないでください

2009年02月18日 | Weblog
 
世の光の時間です。 お元気ですか? 安海靖郎です。

 今日のお話しのテーマは「私たちを試みに会わせないでください」という祈りです。

 「試み」とは「試練」とか「誘惑」という意味です。 ですから「私たちを誘惑に遭わせないでください」(新共同訳聖書 マタイ6章13節参照)と訳している聖書もあります。 ちなみに「誘惑」とは辞書によりますと「人を迷わせて悪い道に誘い込むこと」とあります。

 今私たちの身近な所で誘惑に負けてしまって大切な地位や立場、仕事や家族すら一瞬のうちに失ってしまうということがたくさん起こっていますねえ。 今の時代が特にそうなのでしょうか。 情報化時代の時代性ということもあるでしょう。

 でも聖書によりますと、人間の歴史の草創期から人間を悪い道に誘惑する力が人間に襲いかかるように働いていることを説明しています。 最初の人アダムとエバを蛇つまりサタンは甘いことばで誘惑しました。 「神様なんてたいしたことない。 神の言うことよりも私の言うことを聞きなさい。 あなたは神のようになれるんだ。」 そんなことばで陥れました。

 それ以来、主に三つの分野でこの誘惑の力は人間に襲いかかるようになりました。

 一つは精神的・霊的な領域です。 苦しい時にこそまことの神を求め、頼れるはずです。 それがどうでしょう、怪し気な、人を惑わす宗教がしつこく勧誘してきます。 今の日本の宗教の混乱はそれをよく表しているのではないでしょうか。

 二つめは人間の本能の領域です。 知恵と勇気に満ちたダビデ王も、成功して油断したとき誘惑に陥りました。 美しい、部下の奥さんを奪ってしまったのです。 とてつもない大きな犠牲と刈り取りをしなければなりませんでした。

 三つめはいろいろな欲望です。 金銭欲・所有欲・地位・名誉欲などです。 イエス・キリストの弟子の一人・ユダはイエス様を銀三十枚で売り渡しました。 使い込みをしていたのです。 金銭欲に囚われてしまったのです。

 さあ、それでは私たちはどうしてこのような様々な誘惑に勝利することのできるのでしょうか。

 それは神の子イエス・キリスト様が、この悪の力・サタンを退け、勝利してくださった。 だから「私たちを試みに会わせないでください」と祈れ、というのです。 イエス・キリストによってのみ勝利することができる、というのです。

 ( PBA制作「世の光」2009.2.18放送でのお話しより )

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■まことの審判者 

2009年02月17日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日もさわ
やかに一日を始めていきたいですね。

 ヨハネの福音書5章27節のことばを紹介します。 

 「父はさばきを行なう権を子に与えられました。子は人の子だからです。

 さて今日私はですねえイエス・キリストがいかに偉大な方であるかを聖書からお知らせしたいんですね。

 それは今聖書のことばを読みましたように、イエス・キリストはすべてのさばきを行う権威をゆだねられている方だ、ということなんです。

 私はこのことを考えると、とてもホッとするんですね。 なぜなら、さばきを行うことのできる方は正しい方でなければならないからです。

 もし正しくないいい加減な者がさばきを行おうとすると、とんでもないことになりますよねえ。 たとえば関根弘興がすべてをさばく、なあんてなったらねえすぐに「不公平だ! えこひいきだ! やってられない!」という声が起こるでしょう。 

 繰り返しますが、さばきを行うことのできるお方は正しい方以外にはいません。 

 考えてください。 いくら素晴らしい選手を集めて野球チームを作っても、またサッカーチームを作っても、審判がいい加減であるなら、その試合は目茶苦茶になりますよね。 しかし審判が最も適切で正しいジャッジをするならその競技のプレーヤーは自分の力を最大限に引き出すことができるんです。 そして安心してその競技に打ち込めるんです。 ですからスポーツ競技では審判がどのようなジャッジをするかがいつも注目されますし、審判は公平さが要求されるんです。 

 それでは私たちのこの人生において、そして世界の最終的な審判者が一体誰であるかということを知ることは、私たちが安心してこの地上で生活できるか否かを決めてしまうものになるんですねえ。

 私たちはこの地上では、どうして、なんで?、という不条理な出来事や悪が栄えるのを見て、どうしてですか?!、と叫びたくなることがたくさんあります。 人々は、神が愛ならどうしてこんな惨劇があるんですか?、と叫ぶこともあります。 

 でもぜひ知ってください。 私たちのイエス・キリストこそすべての最終的なさばきの権威を持っておられるのだ、と聖書は語っているんです。

 ですから私たちはこの方に対して二つの態度をとり続けていくことが大切です。 

 一つは信頼です。 イエス・キリストこそ正しいまことの審判者でありまことの救い主であることを信頼し生きることです。 

 そしてもう一つは委ねるということです。 私たちの周りにはいろいろな分からないことが出来事がたくさんあります。 私たちは明日がどうなるか分かりません。 だから「恵みとまことに満ちたイエス・キリストに人生を委ねます」と告白し生きることが大切なんです。 

 (PBA制作「世の光」2009.2.17放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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