♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■天からのパン、マナ / 岩井基雄

2022年05月31日 | Weblog

2021.11.23放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか?、岩井基雄です。火曜日と水曜日は、旧約聖書のモーセの生涯から学びましょう。

 今日は勤労感謝の日ですねぇ。働けることは大きな喜びです。しかし、たとえ動けなくなっても私たちの存在そのものに本当の価値があることに心を留めたいですね。

 以前、モーセのお話しのときは、荒野を進む神の民イスラエルに神が不思議な方法で水を与え、200万人を超える人々を潤したことを学びました。

 もう一つの大きな問題が彼らを襲います。それは食糧の問題でした。荒野での旅に食糧は大きな問題であり、人々は指導者モーセたちに不平を言いました。「エジプトではたとえ奴隷状態でもパンを食べていられたのに。荒野で飢え死にさせるつもりか!」との人々の痛烈な批判は、結果的には神への不満でした。

 それに対して神は、怒りを表しても当然の彼らを深く憐れみ、朝は天からパンを降らせるゆえ、それを毎日集め、安息日前には二倍集めることを命じ、さらに夕方には鳥のうずらを送り、彼らに肉をも与えることを約束したのです。

 それは不思議な神の奇跡でした。人々の不平や悲しみをすべて受けとめ、憐れんでくださった神様は、彼らの必要を満たすために愛の奇跡を行われたのです。

 その目的についてモーセは民にこう語りました。
 「あなたがたは、夕方には、エジプトの地からあなたがたを導き出したのが主であったことを知り、朝には主の栄光を見る。主に対するあなたがたの不平を主が聞かれたからだ。」
       旧約聖書 出エジプト記16章6~7節

 神の約束の通りに夕方にはうずらが宿営を覆い、朝には宿営一面に降りた霜が不思議な食べ物となったのです。彼らはそれを「マナ」と呼びました。「これは何だろう?」という意味です。私たちの思いをはるかに超える方法で神は彼らの必要を満たし、神に従うことの恵みと祝福を与え、チャレンジしたのです。

 荒野を通るような人生の悲しみの中にあっても神様が共にいてくださいます。私たちの不平や悲しみをもすべて受けとめ、存在を愛してくださる神様の愛と恵みによって、私たちは生きることができるのです。どんな中にあっても愛なる神様に信頼して歩み続けていきたいと願います。愛なる神様はどんな中でも、あなたとともにいてくださるからです。
     ( PBA制作「世の光」2021.11.23放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■苦しみにあったことは幸せでした / 岩井基雄

2022年05月30日 | Weblog

2021.11.22放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日は詩篇119篇の5回目として、苦しみに遭うことの意義に心を留めてみましょう。

 人生には様々な苦悩があり、私たちは慰めや苦難の意味を求めます。表面的な慰めは失望を深めますが、痛みに寄り添う真実なことばは癒しと潤いを与える忘れることのできないものとなります。しかも痛みが深ければ深いほど慰めは深く届きますね。

 この詩篇の作者は高ぶる者から嘲りを受けていたようです。その苦悩の中で彼は聖書が語る神様に心を向け、神のことばを待ち望み、こう歌います。

 「苦しみあう前には 私は迷い出ていました。しかし今は あなたのみことばを守ります。…苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。」
       旧約聖書 詩篇119篇67節、71節

 「苦しみにあったことが幸せだ」とのことばに驚きます。しかし作者は、苦しみの中でこそ真実な神のことばを学びとった、と喜ぶのです。苦しみに遭う前には、歩むべき道から迷い出て、神のことばから離れていたことを認め、告白しています。

 苦しみを通して彼は自分の姿に気がつき、神の前で悔い改め、改めて神のことばから慰めを受け取ったのでしょう。人から受ける嘲りのことばの連続の中で、彼は神のことばを聞き、心を留め、真の慰めと力を受け取ったのです。悩みの時の真の慰めは神の真実なことばです。神のことばこそ人を生かすのです。

 私自身、10数年前に大きな行き詰まりを経験しました。深い失望と喪失で悩まされたのです。しかし、その時にこそ人からのことば以上に神のことばが心深く届き、恵みの慰めと力を受けたことを忘れることができません。

 続く72節、73節でこの作者はこう祈ります。
 「あなたの御口のみおしえは 私にとって 幾千もの金銀にまさります。あなたの御手が私を造り 私を整えてくださいました。」

 作者は、神の教えこそ、私の真の宝だと断言します。そして神のおしえ、また神の愛の御手によってこそ私は造りかえられ整えられていくのだ、と心から歌うのです。

 あなたも、どんな中にあっても神のことばである聖書を心深く受け取り、苦難をも喜ぶ人生を歩み続けていきませんか? 

     ( PBA制作「世の光」2021.11.22放送でのお話しより )


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■イスラエルの救い③ / 羽鳥頼和

2022年05月28日 | Weblog

2021.11.20放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 
 現在のイスラエルやパレスチナ、中東に目を向けると、中東の和平の実現はとても難しいと思ってしまいます。歴史を通してその原因についてさまざまに説明がなされていますが、原因が分かったからといって実効性のある和平への道はあるでしょうか。あったとしても茨の道のように思えてしまいます。勝者と敗者をはっきりとするという決着しかないのでしょうか。中東のすべての人々、民族が一緒に平和に暮らせるようになることはできないのでしょうか。

 昨日は新約聖書のローマ人への手紙の11章で語られているイスラエルの救いについてお話ししました。神の救いの計画によると神は、まずイスラエルを選び、神の子とすることを約束されました。ところが彼らは心を頑なにして神に不従順な者となってしまい、神に逆らってしまったのです。イエスが救い主キリストである、と信じることができなかったのです。彼らはイエス・キリストにつまずいてしまったのです。

 それで神の救いの恵みはイスラエル以外の異邦人たちに与えられるようになりました。こうして、イエス・キリストを信じるなら誰でも救われるようになったのです。

 イエス・キリストにつまずいたイスラエルは、もう神によって救われないのでしょうか。いいえ、神はイスラエルをキリストによる救いから排除してしまったわけではありません。新約聖書ローマ人への手紙11章25、26節にこのようにあります。
 「イスラエルの一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、こうして、イスラエルはみな救われるのです。」

 異邦人が救われて、また再びイスラエルに救いが与えられます。今も神はこの救いの計画を進めてくださっています。聖書によれば、パレスチナ人やアラブ人に救いが与えられていることが教えられています。それだけではありません。イスラエル・ユダヤ人にも救いが与えられることが約束されています。これが神の救いの計画です。この神の救いの計画の約束を覚えながら中東の和平の実現、中東の人々の救いのために祈っていきたいと思います。

   (PBA制作「世の光」2021.11.20放送でのお話より)
 
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が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■イスラエルの救い② / 羽鳥頼和

2022年05月27日 | Weblog

2021.11.19放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 使徒パウロは、新約聖書ローマ人への手紙11章でイスラエルの救いについて語っています。パウロ自身、イスラエル人でした。彼はイスラエル以外の異邦人にキリストの福音を伝える勤めを神から与えられていました。イスラエルがキリストを信じなかったことによって、救いが異邦人に及んだのですが、イスラエルはもう救われないのでしょうか。パウロはそんなことはない、と言います。イスラエルの救いについて、昨日は、キリストを信じる者を残す、と神が約束しておられることをお話ししました。

 さらにパウロは語っています。
「私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたいのです。」

 これはパウロの正直な気持ちであると思います。

 そしてパウロは「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」という神の約束のことばを信じてイスラエルの救いを確信しています。そうしてパウロはイスラエルが救われることをオリーブの木の接ぎ木に例えて語ります。

 「イスラエルは神によって栽培されたオリーブの木です。多くの実を結ぶことができる木でしたが、イエス・キリストを信じなかったイスラエルは神によってその枝を折られてしまいます。イスラエル以外の異邦人は野生のオリーブの木です。イスラエルの枝が折られてしまったので、栽培種のオリーブに野生のオリーブの枝が接ぎ木されて、栽培種のオリーブの幹から栄養分を豊かに得るようになりました。」

 野生のオリーブである異邦人は、神の栽培種のオリーブであるイスラエルに接ぎ木されることによって救われるのです。ですからパウロは救われた異邦人に「あなたがたは自分を誇ってはならない。」と教えます。

 さらにパウロはイスラエルの救いについて語ります。このイスラエルの救いを、折られた枝を再び栽培種に接ぎ木することに例えています。
「野生種の枝が接ぎ木されて実を結ぶなら、折られてしまった栽培種の枝は野生種よりも接ぎ木されやすく実を結びやすいはずです。」

 イスラエルも救われるのです。神は、イスラエルはもちろん、キリストを信じるすべての人を必ず救われます。

   (PBA制作「世の光」2021.11.19放送でのお話より)
 
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■イスラエルの救い① / 羽鳥頼和

2022年05月26日 | Weblog

2021.11.18放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 東京オリンピックの開会式で、ミュンヘンオリンピックで亡くなったイスラエルの選手たちの追悼の時が持たれました。この追悼は歴史的に意義のあることであったと思います。(※ https://www.bbc.com/japanese/57951366 )

 イスラエルは私たちに与えられる神の救いに関わる重要な人々です。聖書が教えている神の救いの計画では、まずイスラエルに救いの福音が知らされました。そしてイエス・キリストの十字架と復活によって神の救いがもたらされました。さらに神はキリストの福音をイスラエル以外の世界の人々にも知らされたのです。

 新約聖書のローマ人への手紙11章にはイスラエルの救いのことが語られています。イスラエルは神に選ばれた神の民でした。しかし、彼らは神に対して不従順で反抗する民となってしまいました。それで彼らは神によって国を滅ぼされてしまいました。

 その後、新約聖書の時代、ローマ帝国が彼らを支配するようになったのです。そこに救い主であるキリストがやってきました。彼らはそのキリストを信じるどころか、妬んで十字架につけて殺してしまいました。そしてキリスト教会をも迫害したのです。

 旧約の時代と同じように、彼らは神に不従順で反抗する民となってしまったのです。とするとイスラエルは滅ぼされて救われないのでしょうか。聖書は旧約聖書の実際にあった出来事を根拠にして、「決してそんなことはありません」と語っています。

 旧約の時代、預言者エリヤは、信仰者が自分一人しかいなくなってしまった、と神に嘆きました。すると神は「私を信じて従う者を七千人残している」と信じる人がまだいることを教えられました。

 新約の時代にもイスラエルの中にキリストを信じる者が残っているのです。神の約束のことばを思い出しましょう。

 「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」

 神に不従順であった人でも、神に救いを願うなら、神は必ずその人を救ってくださいます。

   (PBA制作「世の光」2021.11.18放送でのお話より)
 
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■ラジオと聖書のことば② / 羽鳥頼和

2022年05月25日 | Weblog

2021.11.17放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 昨日はラジオと聖書のことばについてお話ししました。たくさんの一人に語りかけることができるラジオは聖書のことばを伝えるのに良いメディアであること、そして聖書のことばによって人は救い主イエス・キリストを知り、イエス・キリストを信じて救われることをお話ししました。今日もラジオと聖書のことばについてお話ししたいと思います。

 新約聖書ローマ人への手紙10章17節にはこうあります。
 「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」

 今から2000年以上前に語られたこのことばが、現代のラジオ放送という技術によって実現しているのはすごいなあと思います。

 その聖書は続けてこのように語ります。
 「その響きは全地に、そのことばは、世界の果てまで届いた。」(ローマ10:18)

 そうです。中東のイスラエルで語られたキリストの福音のことばは、宣教師などによって極東と言われる中東から見れば世界の果てである日本にまで届いたのです。そしてラジオでも日本の各地の人々のところに「キリストの福音」「聖書のことば」を伝えているのです。

 遠くに届けるだけではありません。キリスト教会が近くにない方、あるいは教会に行くことができない方のところにも聖書のことばを届けることができるのです。

 聖書は続けて、神が旧約聖書においてイスラエルの民を何とか救おうとされてきたことを語っています。神は何とかしてイスラエルを救おうと熱心にことばを語りかけて来られたというのです。神はイスラエルを愛しておられ、何とか救おうとされていたのです。神の愛と救いは今も変わりません。神は熱心に人を愛し、何とかして救おうと熱心に語りかけてくださっているのです。神は私たちを愛してくださり、熱心に聖書のことばを語り続けて私たちを救おうとしてくださっているのです。神はご自身の愛と熱心を持って、聖書のことばをあまねく世界に語り続けてくださっています。

 今、私たちは愛の神の愛のことばを聴いているのです。

   (PBA制作「世の光」2021.11.17放送でのお話より)
 
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■ラジオと聖書のことば① / 羽鳥頼和

2022年05月24日 | Weblog

2021.11.16放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 ある週刊誌で、ラジオのことが取りあげられました。「ラジオが面白い」と題して特集が組まれ、紙面の半分以上を割いて記事が掲載されていて、嬉しく思いました。ラジオはもう古くてインターネットに取って代わられてなくなってしまうと思っていたからです。
 その雑誌の中のラジオ番組の制作についての記事のタイトルが目に止まりました。それは「たくさんの一人に伝わるように報道現場が総がかり」というものでした。「たくさんの一人に」という表現はラジオ放送の特徴をよく捉えています。ラジオは多くの人に伝えるメディアです。そして、その特色はパーソナルな個人的関係をつくることができるということです。ラジオのパーソナリティーはあなたに語りかけます。ラジオを聴く人も「私」に語られていると感じるのです。まさに「たくさんの一人に伝える」のがラジオ放送なのです。

 「世の光」はラジオを通して聖書のことばをたくさんの一人にお伝えしています。新約聖書ローマ人への手紙10章8節にこうあります。
 「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」

 この「みことば」とは神のことばであり、聖書のことばです。「世の光」はあなたに聖書のことばをお届けします。

 そして、「みことばは、あなたの口にあり、あなたの心にある。」というのです。これはどういうことでしょうか。

 聖書は続けてこう語っています。
 「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。」

 人はみことばを聞くことによって、イエス・キリストを心で信じ救われるのです。

 聖書は約束してくれています。
 「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」

 「たくさんの一人」にみことばが伝えられます。そして、みことばによって主イエス・キリストを信じる者はみな救われるのです。

 あなたも聖書のことばを聞き、イエス・キリストを信じましょう。死んだ者をよみがえらせる神があなたを救ってくださいます。

   (PBA制作「世の光」2021.11.16放送でのお話より)
 
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■神への文句と神の愛 / 羽鳥頼和

2022年05月23日 | Weblog

2021.11.15放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 コロナ禍で不安がなかなか無くなりません。色々と自粛しなければならないことがあります。神の守りと励ましがあり、コロナ感染が収束することをお祈りしています。


 さて、コロナ禍のように自分の思い通りにならない状況の中で、人はつい文句を言いたくなりますねえ。

 新約聖書ローマ人への手紙の9章には、ある人の神への文句のことばが記されています。
 「神がみこころのままに人の心を頑なにするのなら、なぜ頑なになった人を神は怒ってさばくのですか。」

 これは、旧約聖書の出エジプトの出来事からでてきた神への文句のことばです。エジプトの王は、心を頑なにして、ヘブル人たちがエジプトから出ることを許しませんでした。それで神は怒ってエジプトの王をさばき、ヘブル人をエジプトから救い出されたのです。
 そのときのことを聖書が「神はみこころのままに、人の心を頑なにする」と教えたので、ある人が文句を言ったのです。人の心を意のままに操りながら、その人をさばくのはひどくないですか? 

 この文句に対して聖書は直接答えずに、文句を言う態度を叱っています。
 「人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。」

 そしてこう忠告します。
 「造られた者が造った者に『どうして私をこのように造ったのか』と言えるでしょうか。」

 ここで聖書は、神に絶対的な主権があることを教えているのです。人は創造主である神に文句を言うべきではないのです。

 しかし疑問は残ります。神は、血も涙もない、自分のやりたいことをやる自分勝手な方なのでしょうか? 

 そうではありません。聖書は続けて神の愛を教えています。

 神はこう約束されています。「わたしは、わたしの民ではない者をわたしの民と呼び、愛されない者を愛される者と呼ぶ。」こうして、神はこの約束の通りに私たちを愛して、イエス・キリストを遣わしてくださいました。

 神に遣わされた救い主イエス・キリストを信じることによって私たちは救われるのです。絶対的主権者である神は、あなたを愛し、あなたを救うことができるお方です。コロナ禍にあってもあなたを救う神の愛は変わりません。

   (PBA制作「世の光」2021.11.15放送でのお話より)
 
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■ありがとう / 山本陽一郎

2022年05月21日 | Weblog

2021.11.13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか、山本陽一郎です。
今日は「ありがとう」についてです。

 私の住む岐阜県では「ありがとう」を「あり『が』とう」と言う方がいらっしゃいます。父の出身地秋田では「ぉぎに」と言います。調べてみると地方によっていろいろな言い方があるのですね。でも、みんなその思いは一つ、「感謝」です。

 日本人は自分の気持ちを口にすることに恥ずかしさを感じる傾向があると言われます。外では実践していても、家族や身近な人には感謝をあまり伝えない、あるいは感謝を忘れてしまうということもあるかもしれません。

 でも声に出して感謝を伝えると確実に違います。短いですが感謝のことばは人間関係を良くする大切なもの。お互いに感謝の貯蓄をしましょう。

 さて、聖書の中にこんなことばがあります。
 「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
      テサロニケ人への手紙第一 5章18節

 実はこの聖書のことばは、神が私たちのために救い主イエス・キリストを送ってくださったという事実に基づいて語られています。このことを出発点にして、この神の恵みへの感謝を土台にして私たちは生きよう、と。

 考えてみれば、意識しないと喜びや感謝をなかなか見いだせなくなるのが私たちの実際の生活かもしれません。逆に、不満や愚痴、傲慢な思いはどんどん出てきます。そんな私たちに聖書は、まず感謝に立って生きるという姿勢を教えます。それは、この神を見上げることから生まれるのです。

 ある人が「ありがとう」の反対は「当たり前」だと述べていました。毎朝目が覚めるのが当たり前。食べられるのが当たり前。家族や友達がいるのが当たり前。そして、生きているのが当たり前。そうなると「ありがとう」はなかなか出てきません。けれども、実は「当たり前」のことすべてが、本当は「ありがとう」なのです。

 今日は神父の片柳弘史さんのことばで終わりたいと思います。「どんなにたくさんのものを手に入れても、感謝できない人は決して幸せになれません。感謝できる人は、ほんのわずかなものでも幸せになれます。幸せな人が『ありがとう』と言うのではなく、『ありがとう』と言える人が幸せなのです。」

     ( PBA制作「世の光」2021.11.13放送でのお話しより )


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■エサウとヤコブ / 山本陽一郎

2022年05月20日 | Weblog

2021.11.12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 イサクの妻リベカは双子を身ごもりました。お腹の中で激しくぶつかり合うようになり、やがて長男エサウのかかとを次男ヤコブが手でつかんで生まれてきました。大人になると、エサウは優れた狩人、野の人に。一方、弟のヤコブは穏やかな人で、天幕に住む羊飼いになりました。

 興味深いことに、聖書は「イサクはエサウを愛していた。……しかし、リベカはヤコブを愛していた」と記すのです。この家庭の問題は親の偏った愛でした。それが後の兄弟の争いに絡んでいってしまうのです。

 ある時、ヤコブが煮物を作っていると、猟で疲れたエサウが腹ぺこで帰ってきました。「どうか、その赤いのを、そこの赤いのを食べさせてくれ」ここまではどこでもありそうな会話です。でも、ここでヤコブが何と返事をしたか。「今すぐ私に、あなたの長子の権利を売ってください」と言ったのです。

「長子の権利」それは、長男が父の身分を継いで種族の代表となる様々な特権です。長男は、家族の中で祭司としての務めを受け継ぎ、財産も弟に比べて2倍の分け前を受けていました。

 スープを求めたエサウにヤコブはその長子の権利を求めたのです。当然、まったく釣り合いません。しかし、エサウは言いました。「見てくれ。私は死にそうだ。長子の権利など私にとって何になろう」。ほかの訳では、「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもいい」。ヤコブの方法も褒められたものではありませんが、エサウの手放し方もひどいものです。聖書は「エサウは長子の権利を侮った」と述べています。ここに神の祝福に対する二人の意識の違いがはっきりと表れています。

 何を基準にして生きているのか、それが問われているのは私たちも同じです。確かに今必要なものはあります。でも、多くの人が目に見えるものだけを追い求めています。その結果、大切なものを見失ってしまっているのです。「神の愛なんか、どうでもいい」。いいえ、どうでも良くないのです。雑に考えてほしくないのです。永遠の価値があることに、あなたも私も心の目を向けなくてはいけません。

     ( PBA制作「世の光」2021.11.12放送でのお話しより )


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