♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■コリントの人々への挨拶 / 羽鳥頼和

2013年11月30日 | Weblog
2013/11/30放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は使徒であるパウロがコリントの教会の人々に送った手紙の結びの挨拶のことばから、パウロがコリントの人々にどのようなことを勧めていたのかをお話しします。

 パウロは手紙の最後にこのように言っています。
 「終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。」(第二コリント 13章11節)

 ここには五つの勧めがあります。

 一つ目の勧めは「喜びなさい」という勧めです。パウロは手紙の中で、「今は恵みの時、今は救いの日です。」(第二コリント 6章2節)と告白し、自分は「悲しんでいるようでも、いつも喜んで」(第二コリント 6章10節)いると言っています。そして人々にも、自分と同じように神様によって救われたこと、神様の恵みを受けていることを喜びなさい、と勧めています。

 二つ目の勧めは「完全な者になりなさい」という勧めです。「完全な者」とはキリストの他にはありません。パウロは人々に、キリストのようになりなさい、と言っているんです。

 三つ目の勧めは「慰めを受けなさい」という勧めです。パウロは手紙の中で、「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、・・・苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」(第二コリント 1章4節)と言っています。

 四つ目の勧めは「一つ心になりなさい」という勧めです。パウロは手紙の中で「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。」(第二コリント 13章5節)と言っています。パウロは人々が同じ信仰をしっかりと持つように勧めています。それは人々が共にキリストに心を向けることです。

 五つ目の勧めは「平和を保ちなさい」という勧めです。ここでの平和とはキリストの十字架によって与えられた平和です。それは良い関係です。神様との良い関係であり、人との良い関係です。神様と人との良い関係はキリストの十字架によって与えられます。

 これらすべての勧めは神様とキリストなしには考えられません。すべての勧めを行うためには神様とキリストの働きが必要です。あなたも神様とキリストによって与えられる喜び、慰め、信仰を受け、そして神様と人との信頼関係を築くために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.11.30放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■セレニティーの祈り / 岩井基雄

2013年11月29日 | Weblog
2013/11/29放送


 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 心に静けさを求める私たちですが、忙しく慌ただしい毎日の中で、私たちの心はなかなかゆっくり静まる時間を持つことができませんねえ。しかし多くの人々はそのような中でも本物の静けさを求めています。

 静けさを表すことばには静謐(せいひつ)ということばがありますが、その「静謐の祈り」「セレニティー serenity の祈り」と言われる有名な詩があります。それはキング牧師をはじめ多くのアメリカの大統領に影響を与えたアメリカの牧師ラインホールド・ニーバーの祈りです。日本では元日銀の総裁であった 速水 優(まさる)さんによって紹介された詩でもありますね。前半が有名ですが、すべてをお伝えしたいと思います。こういう詩です。

  神よ、私にお与えください   
  変えることの出来ないものを受け入れる平静な心を
  変えることの出来るものは変える勇気を
  そしてそれらを見分ける知恵を

  一日一日を生き
  一瞬一瞬を楽しみ
  苦しみも、平安へ続く道として受け入れ
  この罪深い世を、自分の願うようにではなく、そのままに受けとめる
  あの方がなさったように
  神の御心に自らを明け渡すのならば
  神は全てを善いように変えてくださると信頼しつつ
  それによって私がこの世での人生もそれなりに幸せに生き
  来るべき次の世ではとこしえに
  神と共に最上の幸せを得るように

              アーメン


 どのような状況の中でも思い悩んだり、心騒がしたりすることなく、すべてを受け入れて静まるとき、私たちは正しい知恵や平安や力を神様を通して手にすることができるのですね。

 それでは私たちはどのようにすれば、そのような不動の静けさを心に持つことができるのでしょうか。聖書の中には次のように記されています。

 「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。
  神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。

           詩篇62篇5節、6節 
 
 本当に静けさ静謐さは神様の前に静まることから来、そして神様を信頼する所から始まるのですね。あなたも本物の静けさ、知恵、平安、力を神様から受け取っていく人生を始めて行きませんか?
 
 (PBA制作「世の光」2013.11.29放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主は生きておられる / 福井 誠

2013年11月28日 | Weblog
2013/11/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主は生きておられる」です。それでは第二サムエル記4章9節から読んでみましょう。

 すると、ダビデは、ベエロテ人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。
「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。・・・」


 サウル家とダビデ家の争いは長く続きました。おそらくダビデは自分の王としての地位が早く安定することを望んだはずです。しかしだからといって殺し合いが起こり血を流し合うことは全く望まなかったことでしょう。ダビデにとっては不本意なことが次々と続きました。サウル側の将軍アブネルが死んだ後、今度は王様のイシュボシェテが暗殺されるのです。しかも暗殺者たちはダビデに取り入ろうとしました。彼らは自分たちの栄誉を考えて手段を選ばない裏切りに走り、イシュボシェテの首を切ってそれをダビデに差し出したのです。そんな彼らの行為をダビデは喜ぶことができませんでした。

 実際ダビデは自らサウルに手をかけることも自分の部下が殺すことも許さなかった人です。ダビデはサウルを敵としては見ていませんでした。長いサウルとの戦いの中で彼も変えられたのです。サウルもまた神に愛された人であり、神に立られた人であると。だからダビデはサウルの不条理な殺意と追跡に確かに悩まされていましたが、人間的に解決しようとはせず、神の時を待ちました。神が与えてくださる公正な勝利を求めていたのです。

 確かに物事は勝てば良い訳ではありません。人が喜び、神が喜ぶ決着の仕方があるのです。しかしそのように考えられる人はわずかです。イシュボシェテを殺したバアナとレカブのように自分の栄誉ばかりを考え、機を狙う人たちが争いを引き起こし物事を困難させて行きます。

 信仰に生きると言うのは、まさに自分中心の発想から救われることです。機を狙って行動する小賢(こざか)しい心から解放されることです。神は確かに生きておられます。となれば神の時を待ち、公正な解決を願うことにこそ祝福があります。たとえ忍耐を強く強いられたとしても、長く続く問題の中で、人も神も喜ぶような解決を願う生き方をしたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.11.28放送でのお話より )

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■夢見る者がやってくる / 板倉邦雄

2013年11月27日 | Weblog
2013/11/27放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「夢見る者がやってくる」という題でお話ししましょう。

 男兄弟というものは子どもの頃から張り合うものです。私も三人兄弟でしたから少し経験的に分ります。まして腹違いの兄弟となりますとヒートアップするのではないでしょうか。創世記37章の続きです。

 さて、ある日のこと兄たちはシェケムで羊の群れを飼うために出かけました。数日後、父イスラエル・ヤコブはヨセフを呼び寄せて言いました。「兄さんたちはシェケムで羊を飼っている。ちょっと行ってちゃんと仕事をしているかどうか、家畜の状態はどうか調べてくれないか?」 「分りました、お父さん。」

 ヨセフは早速ヘブロンの谷の家を出て、シェケムへ向かいました。ところが兄たちは見つかりません。野原をウロウロしていると一人の人に呼び止められました。「誰を探しているのかね?」 「兄たちと羊の群れです。見かけませんでしたか?」 「ああ、あの人たちか。だったらここにはいないよ。確かドタンに行くと言ってな。」 ヨセフはドタンまで後を追いかけていき、ようやく兄たちを見つけました。

 兄たちもまだ遠くにいるうちからヨセフの姿を認めました。ヨセフが一人でやって来るのです。またとないチャンスがめぐってきました。そこで兄たちは雁首を揃えて相談し始めたのです。ヨセフを殺してしまおう、というのです。「あの夢見る者がやってくるぞ。あんなやつ殺して井戸に投げ込んでやれ。例の夢がどうなるか見たいものだ。」 ところが長男のルベンはヨセフを助けたかったので異議を唱えました。「殺すことはないじゃないか。血を流すのは良くない。生きたまま井戸に投げ込んどけば俺たちが手をくださなくても自然に死ぬさ。」 こうしておけばあとで井戸から出して父のもとに返してやれると長男のルベンは考えたのです。

 「お兄さーん!」と、何にも知らないヨセフはやってきました。兄たちはやにわに弟の派手な上着を剥ぎ取り、空っぽの井戸に投げ込みました。そして夕食にしたのです。

 それにしましても兄弟同士の憎しみや妬みというものは怖いものですねえ。殺人という行為は私たちの憎しみや妬み・嫉妬から来るようです。ですから聖書は勧めるのです。

 「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。
 第一ヨハネの手紙4章7節

(PBA制作「世の光」2013.11.27放送でのお話より )
 
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■救いがこの家に来ました / 大嶋重徳

2013年11月26日 | Weblog
2013/11/26放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカの福音19章にはザアカイという人が出てきます。ザアカイに、「今日あなたの家に泊まることにしてあるから」(5節参照)と言われたイエス様をザアカイは大喜びで家に向かえ入れました。そこでイエス様が何を語られ何をなされたのかを聖書は何も語りません。しかしその日ザアカイの人生が変わったことを聖書は明らかにします。

 8節。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(新共同訳聖書)

 ここでザアカイは自分にだまし取った者があると言うのです。自分の罪を自覚したことばを口にするのです。町の中で幾ら罪人と言われても認めようとしなかったザアカイ。そのザアカイがだまし取ったものがあると認めることができたのは、イエス様が、罪人と町で呼ばれたザアカイの家に行き、そのことで周囲からどう言われようが一緒にいてくださる愛を(ザアカイが)受け取ったからです。ザアカイに、一緒にいたいと食事をし、ザアカイの家に泊まろうとされているイエス様の愛に出会った時、ザアカイは今までだまし取ったものがあると認めることが怖くなくなったのです。そして築き上げてきた財産も惜しいとは思わなくなりました。そして自分のことだけを考えていた人生から貧しい人のことも考える生き方に向きが変わったのです。

 聖書には「悔い改め」ということばがあります。悔い改めとは方向転換という意味です。生き方の向きを変えるという意味があります。この後イエス様は「今日救いがこの家を訪れた」と言われました。イエス様が「救いが訪れた」と言われたのは、「この家」つまりザアカイの家でした。彼の生きている所に救いが訪れたのです。信仰を持つということは自分の人生から逃げ出すことではありません。生きている場所でイエス様に向かって向きを定めるのです。自分の生きている場所にしっかりと足を下ろして神様のことばである聖書で自分の歩みを絶えず点検していくのです。

 私はザアカイがこのことばの後、取税人を辞めたとは思いません。彼は今度は誠実をもって自分の仕事である税金を集め始めたと思います。自分の部下にもきっとそのように語り始めたでしょう。それが彼の悔い改めの方向でした。

 今朝ラジオ聞いてるあなたの台所で、運転中のその車の中で、家族と過ごすその場所で、救いが訪れるとはどういうことでしょうか。向きを変えて今日を始めていきたいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2013.11.26放送でのお話しより )

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■遅れることはない / 関根弘興

2013年11月25日 | Weblog
2013/11/25放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 新約聖書のヨハネの福音書の中にこんな記事が記されています。

 ベタニヤという村に住むラザロという人が病気になってしまいました。 彼の姉妹であるマルタとマリヤは自分たちのできる限りの手を尽くし、そしてイエス様のもとに使いを送って、「愛する者が病んでいます。」と告げたのです。すると、その知らせを受けたイエス様は、「そのおられた所になお二日とどまられた。」(ヨハネ 11章6節)と書いてあるんですね。

 ラザロを愛しておられたならすぐに行って病気を癒してやってもよさそうなものですよね。でもイエス様はそこになお二日とどまられたというんです。イエス様が滞在していた場所からベタニヤの村までは約一日の距離がありました。ですから使いの者がベタニヤを出発してからイエス様がベタニヤに行かれるまで何と四日も経ってしまうということになりますね。イエス様が来るのを待っている側にすれば、どんなに長く感じる四日間でしょう。愛しているならもっと早くラザロのもとに行けないのだろうかと考えますね。

 私たちは時々こんなふうに考えませんか? イエス様に祈ってもすぐに問題の解決が来ないと、もうやめた、と考えてしまい、どうも私たちはイエス様を自分のスケジュールに強引に合わせてしまうようなことがあると思うんです。自分の予定と計画に合わないと、「イエス様、あなたは私たちを愛していると言われるのに、どうして何もしてくれないんですか? そうつぶやくことがありませんか?

 でも今日私はあなたにぜひ知って欲しいんです。あなたのスケジュール通りにいかないことは決して神様に愛されていないということの証拠ではないということです。

 私の好きな聖書のことばに、旧約聖書のハバクク書2章3節のことばがあります。こういうことばです。「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。」(ハバクク書 2章3節) とっても不思議なことばですよね。遅くなっても遅れることはないという訳ですから。でも私達はこの感覚をもって生きることが大切なんです。イエス様は一番良いタイミングを知っています。あなたの人生においてもそうです。イエス様が重病を患い死んでしまったラザロのもとに行った時、ラザロはもう死んで四日も経っていました。人間はこの死の前では全く無力です。でもイエス様はこのラザロを墓から生き返らせたんです。

 この福音書が記すイエス様のみわざは、イエス様の働きを象徴し、しるしとして紹介してるんですね。つまりイエス様にとって、手遅れになることはない、解決できないことは何一つない、ということです。悲しみや苦しみというものがこの地上ではあります。でもイエス様がそんなあなたの慰めとなってくださるんです。

  (PBA制作「世の光」2013.11.25放送でのお話しより)

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■エルサレムへの義援金 / 羽鳥頼和

2013年11月23日 | Weblog
2013/11/23放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 地震や災害のとき、私たちはその被災地、被災者に義援金を送りますね。新約聖書コリント人への手紙第二8章にも義援金のことが記されています。それはローマ帝国の時代の出来事です。キリスト教会はエルサレムで始まり、そこから各地に広がっていきました。そんな時に飢饉が起こり、そのためエルサレムの教会の貧しい人々は大変困難な状態に陥りました。そのことを聞いた地方の諸教会は、自分たちも同じような困難の中にあったのですが、エルサレムの教会の人々を助けるために献金を集めたのでした。使徒パウロがコリントの教会の人々にもエルサレムへ献金をするように勧めました。彼は献金をする動機として、キリストの愛を示しています。パウロはこのように語っています。

 「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(2コリント 8章9節)

 これはキリストの十字架を覚えて語っていることばです。私たちを愛してくださったキリストは、神の子としての富と力のある地位を捨て、人となり、しかも貧しい者としてこの世に来て、十字架にかかって死んでくださった。それは私たちを神の子として富ませるためだった、とパウロは言うのです。パウロはコリントの教会の人々に、キリストの愛を知ってあなたがたもエルサレムのために喜んで献金を下げなさいと勧めているのです。


 キリストによって救われた人はキリストが自分を愛してくださったことを忘れることはありません。そしてキリストのように人を愛そうとするのです。キリストが自分の身代わりとなって十字架で死んでくださったことによって自分が救われて神様の恵みをたくさんいただくことができていることを忘れません。ですから愛する人のために自分が犠牲を払うことを厭(いと)いません。自分が犠牲を払うことによってその人に神様の恵みが豊かに与えられるからです。

 キリストはあなたを愛してあなたを救うために十字架にかかって死んでくださいました。それはあなたが救われてキリストの愛によって生きるためです。あなたもぜひあなたへのキリストの愛を知ってください。

(PBA制作「世の光」2013.11.23放送でのお話より )
 
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■互いに愛することを学び続けて / 岩井基雄

2013年11月22日 | Weblog
2013/11/22放送

 世の光の時間です。お変わりませんか? 岩井基雄です。

 今日は11月22日。「いい夫婦の日」と言われています。このいい夫婦の日にちなんで、ここ数年ある会社が主催して募集している川柳の受賞作品をいくつか紹介したいと思います。

   夜泣きする 子を抱く妻を 抱きしめる

   手をつなぎ 荒れた手知って そっと撫で

   医者よりも 看護師よりも あなたの手

 どの作品もほのぼのとしていて、いいですよね。夫婦が愛し合い、赦し合う姿は時代や年代を超えても麗しいものですよね。しかし互いに愛することはそう簡単ではありません。夫婦が愛し会うことについて聖書にはこう書かれています。

 「あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。」 新約聖書 エペソ人の手紙5章33節

 聖書には互いに愛し合うことについて多く書かれていますが、ここでは夫には妻を愛することが求られ、妻には夫を敬うことが求られています。確かに夫は妻よりも仕事や自分の興味や趣味を優先しがちな傾向があり、妻は夫をどこかで他の男性、特に自分の父親や上司と比較して、夫への尊敬を失いがちな傾向があるのかもしれませんねえ。お互いが自分の弱さが愚かさを認めて互いに必要満たし合い、夫は妻を心から愛し、妻は夫を心から尊敬していくことは、夫婦円満及び家族の祝福の鍵と言えるでしょうねえ。でもそれらを具体的に行うことは簡単なことではありません。

 それではその夫や妻への愛そして尊敬の源はどこにあるのでしょうか。聖書には次のように記されています。

 「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」 新約聖書 ヨハネの福音書13章34節

 本物の愛の源は神様の愛イエス・キリストの愛にあります。その完全な愛で自分自身が愛されていることを知るとき、私たちは互いを愛し、尊敬することができるようになるのです。あなたもこの完全な愛を心いっぱい受け取って、他の人を愛する者、赦す者、心から尊敬を表す者へと変えれられていきませんか?

 (PBA制作「世の光」2013.11.22放送でのお話しより)

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■私にとっては手強過ぎる / 福井 誠

2013年11月21日 | Weblog
2013/11/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「私にとってはてごわすぎる」です。それでは第二サムエル記3章39節から読んでみましょう。

 「この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように。

 サウルの死後、サウルの家とダビデの家との間には長い戦いが続きました。サウル家は依然として力を保ち、ダビデが王となることに抵抗していたのです。この時サウル家では将軍アブネルが力を増していました。彼はやがて王位を継承したサウルの子イシュボシェテを越えてダビデ側に寝返っていきます。アブネルはダビデと取引をしてサウルの娘ミカルをダビデに返すことを約束しました。近い将来ダビデがイスラエルを統一すると読んだのでしょう。もはやサウル家も終わりダビデ家に鞍替えしようと考えたのかもしれませんね。アブネルはダビデが王となるように積極的に力を貸していきます。

 しかし事態は思いがけない展開を見せました。アブネルはダビデの知らない所でダビデの将軍ヨアブに殺されてしまうのです。この事態にダビデはどのように感じたのでしょうか。ダビデは早く地位が確立して落ち着きたいと思っていたはずです。そこに棚からぼた餅ではありませんが、敵側の有力者アブネルが自分の地位安定化のために力を貸してくれたのです。これは頼りになると思った矢先にその人物は自分の部下によって殺されてしまいます。敵が取り込まれると思った瞬間、敵の恨みを買う結果となるのです。しかも側近の部下は自分の言うことに耳を貸そうとしない人物です。何だか気がめいってしまいそうな事態ですね。

 確かにダビデも言いました。「この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。」 

 しかしダビデはどんなに無力感に浸ろうと、神はダビデを約束した通りに王にしてくださいました。今はまだ力が足りないと思う時にこそ私たちのために最善を尽くし真の味方になってくださる神様がおられることを覚えて信じたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.11.21放送でのお話より )

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■夢見る少年 / 板倉邦雄

2013年11月20日 | Weblog
2013/11/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「夢見る少年」という題でお話ししましょう。夢見る少年、その名はヨセフ。年は17歳。いよいよ創世記37章からヨセフの生涯になります。創世記の終わり50章まで実に14章がヨセフの歴史となります。

 さてヨセフは羊の群れを飼っていました。腹違いの兄たちと一緒でした。ヨセフはまだ子どものようで、兄達が何か悪いことをすると、一々父親に告げ口をしていました。父ヤコブは、ヨセフをどの息子よりもかわいがっていました。歳を取ってからの子どもでしたし、何よりも既に亡くなった愛する妻ラケルの子どもだったからです。父はヨセフのために特別な飾り付けの洋服を作ってあげました。こうあからさまにえこひいきされては兄たちは面白くありません。ヨセフが憎らしくて優しいことばなど掛けられませんでした。

 そんなある夜ヨセフは夢を見たのです。その夢を兄達にこと細かく話したものですからたまりません。ますます兄たちはヨセフを嫌うようになりました。「あのね、僕こんな夢を見たんだ。」と、得意げにヨセフは言いました。「みんなが畑で束を束ねていたんだ。そしたら僕の束がいきなりスッくと立ち上がったんだ。それからどうなったと思う? 兄さんたちの束が周りに集まってきてねえ、僕の束にお辞儀をするんだよ。」 「じゃあ何かい? お前が俺たちの主人になるとでも言うのかい?」 兄たちはせせら笑いました。「いつものことだが何て生意気な奴だ。第一あの夢が気に食わない。」 ますます兄達はヨセフを憎むようになりました。

 ヨセフはまた夢を見ました。今度は「太陽と月と11の星が僕にお辞儀をしたんだぜえ。」 今度は父親にも話しました。父親はさすがにヨセフを叱り飛ばして言いました。「母さんや兄さんだけじゃなくて、わしまでお前にお辞儀をするのかね。」 兄たちは悔しくてたまりませんでした。

 さてヨセフが兄たちに憎まれたのは父親のえこひいきもありましたが、彼が夢見る少年であったからです。しかしこの夢見る少年の夢は23年後に正夢となってくるのです。

(PBA制作「世の光」2013.11.20放送でのお話より )
 
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