♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■人の道は主の目の前にあり

2005年11月30日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さあ今日の世の光は、まず皆様からのお便り紹介です。長野県小布施町のに原たけしさん・詩人の方からいただきました。いつものように詩です。

 「いい日」
 大きさよ 広がりよ
 またありがとうございます
 よく晴れています
 ひかる きれい
 またありがとうございます
 日がきらきら
 きらっと輝いています 

 いつもながら短いけれど心に染みるような詩をありがとうございました。

 さあ今日の神の知恵のことばです。旧約聖書箴言から、今日は5章の21節です。「人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。

 女ハガルがアブラハムのキャンプ(※宿営地)から追い出された時に、サラ(※アブラハムの妻)の妬みの故に道ばたに捨てられた時、主の使いは優しい力づけのことばをハガルにかけられ、ハガルにその通りにしてあげました。その時ハガルは神さまのことをエル・ロイと呼びました。それは「御覧になる神」という意味でした。私たちの神は見ておられ、すべてを知っておられる神様です。

 詩篇の中でダビデは歌って言いました。「 主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。」神様は私たちの痛みも失望も混乱も心の疼きも心の葛藤もすべて知っておられ、心配りしていてくださるのですねえ。神様は私たちのことを心配してそばに駆け寄って助けてくださるのです。ダビデはそんな神様に祈るのです。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」詩篇の139篇のことばです。

 今日の神の知恵のことば。
人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」旧約聖書箴言5章21節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2005.11.30放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。また、近くの教会も紹介してくれますので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■まことの光

2005年11月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日も最初に聖書のことばをお読みいたします。ョハネの福音書1章9節から。
 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

 「すべての人を照らすまことの光」・・・一体誰のことでしょうか。今から約二千年前に来てくださったイエス・キリストのことなんですねえ。聖書が伝えるこれはビッグニュースです。この方はまことの光として来てくださいました。

 この福音書が記された時代には、いろいろなまやかしの光が氾濫していました。様々な教えがあり、新しい啓示を受けたと主張する偽預言者たちも現われました。人々を混乱させていったんですね。でも考えてみるとそうした状況は今もあまり変わらないかもしれませんよね。今世界を見るとどうでしょう。民族の対立があります。国と国との対立があります。また互いに人を見下し、非難と批判を繰り返している現実をあちこちで目にします。人々は光を見ないで闇ばかりを見る癖を持っているかのようです。当時の世界でも、ユダヤ人は他の人たちを見下し、ギリシャ人たちは他の国を知識を持たない劣った民族だと見下していました。闇が覆われていたんですね。

 繰り返しますが、聖書は素晴らしいニョースを伝えているんです。それはすべての人を照らす光、すなわちイエス・キリストが来てくださったと伝えているんです。

 でもそのニュースが伝えられた時、人々の反応はどうだったでしょう。あなたは人々から無視され拒絶された経験がありますか? そんな時あなたはどんな思いになりますか? その人たちを恨みますか? それとも怒りますか? 人の闇を照らすまことの光としてイエス・キリストはこの世に来てくださいましたが、人々の反応はどうだったのでしょう。それは大変冷たいものでした。拒否され、無視され、受け入れようとしない態度、いや知ろうともしない態度だったのです。

 マザー・テレサは、愛の反対語は憎しみではなく無関心だと言ったそうですが、二千年前にイエス・キリストが来られた時、やはりこの無関心が漂っていました。心の闇を取り除き、命を与えることのできるイエス・キリストに人々は無関心だったんです。自分さえ良ければいいではないかという心がいっぱいだったんですね。人々はイエス・キリストに無関心でした。でもキリストは人々を愛さずにはいられない方だったんです。そして今でもこのキリストのまことの光はあなたに注がれているんですよ。

 ( PBA制作「世の光」2005.11.29放送でのお話しより )

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■わざわいではなく

2005年11月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 ご存知のように聖書っいうのは、旧約聖書と新約聖書と合わせて66巻ある訳ですけれども、この中でですね、一般に一番多く読まれているっていうのは、ある方にとっては意外かも分りませんが、ヨブ記という書なんですね。

 でヨブ記っていうのはヨブという人が非常な苦しみに遭ったことが取り扱われているんですけれども、つまり人間はどうして苦しまなければならないんだろうか、どうして私だけがこんな苦しい目に遭わなきゃならないんだろうかというような、苦難というその問題は人間にとって普遍的な共通の一つの問題そして問いなんだということ。それをこうその中から答えを見い出そうとしてヨブ記を読む人が多いのではないかなあというふうに言われたりするんですね。

 ヨブという人は大富豪であったんですけども、ある時に、持っている家畜やら、使っている人々や、そして家族までも、もうみな失ってしまうというような大変な目に遭ったんですね。で、その時にも彼は不平を言わずに「与えられたものがなくなっただけのことじゃないか」というふうにまあ言ってたんですけれども、今度はその後は体が全部傷めつけられて、もう体中耐えられないような痛みに襲われて腫れ物でですね全身が覆われてしまうというようなことになった訳ですね。その時に奥さんが、「もうそんなことだったら神様呪って死んじゃえばいい」っていうふうに言った訳です。その時にこのヨブという人は「いや、私たちは幸いを受けるのだから、災いをも受けなきゃならない」というふうに言った訳ですねえ。これは素晴らしい、ちょっと言えることではない。幸いを受けるのは当たり前でそして災いを受けたからと言って文句を言う訳にはいかないのだというふうに言って耐えた訳なんですね。けども結果的にはヨブは祝福が倍にされてですね、報いがやがてやってくるというような経験をする訳なんですね。で、確かに初めは災いのように見えたんですけども、この苦しみを通してヨブは得難い多くの教訓を得ることができて、結局は幸いであったのだということを彼は経験する訳なんですね。

 聖書の中に、「神の計画というのは災いを与えることではなくって平安と希望と将来だ」というふうにエレミヤ書という所に書いてあるんですけれども、ですから確かに災いのように一見見える、一時的に見えることがあっても、結果的には神様はやっぱり幸いを与える方なんだということを本当に経験することができたら人生は素晴らしいなと、そう思うんですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2005.11.28放送でのお話しより )

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##あのこと このこと (後半)

2005年11月27日 | Weblog


6 おそらく私たちの結婚生活はもっとたくさん変わり得るだろう
  もしあなたに言ったことを私がすべて自分に向けて言ったなら

7 私はもうこれ以上あなたを責めずまた自分も責めない所に至らなけれぱならない
  そして自分を赦しあなたを赦すことを学ばなければならない
  なぜなら私たちは赦されているのだから

8 愛について語るなど不可能なことだと時々思える

  たぶんその時にこのことは語れるだろう
    自分を相手に賭けていくことについて
    責任について
    自分の意志を働かせることについて
    選びとることについて
    尊ぶことについて
    自分を愛することについて
    傷つきやすさについて
    自分たちの行動のもたらすものについて
    腹の内をさらすことについて
    痛みを耐える心づもりについて
    受容について

  私たちがこのことをできたなら
  もう私たちは愛について語ったということに違いない
    

            ウルリッヒ・シェーファー 『成長する愛』より


***

日曜日には、 ラジオ放送からではなく
こういうのを、英文から訳して掲載しています。
過去の分は カレンダーの日曜日をクリックしてみてください。
公開するのは原書の一部分となるよう過去ニケ月分程度といたします。
  

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■わたしが道であり、真理であり

2005年11月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。徳島県徳島市にお住まいの牧師、森沢さんからいただきました。

 新約聖書ヨハネの福音書14章6節のことばをお寄せくださいました。お読みいたしましょう。

 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

 高校2年生の春、中間試験が終わってほっとして散歩していると、近所に教会が建っていました。こんなとこに変なもんが建ったなあ、変なこと教えとったら困るなあ、と思ってその時は通りすぎました。すると近所の子どもたちが教会学校に行っていたではありませんか。これはいかん。わしが行って変なことを教えへんかどうか見てこないといかん、と思い、 教会の門をくぐったのです。そして聖書が教えていることが本当に正しいかどうか二年間調べました。まず学校で教えられてきた進化論と教会で教える天地創造が相容れません。しかしよくよく調べると進化論の方がおかしいのです。また世の中の正義や倫理よりも教会の方が劣っていたら何にもなりません。しかしはるかに教会の方が勝っています。そしてこの世では罪が赦されることがなく、いつまでも前科者とされます。しかし罪が本当に赦される世界があることを知ったのです。そして罪を悔い改め、イエス・キリストを信じて生きる決断をしました。

 森沢先生、ありがとうございました。こうして森沢青年、やがてキリスト教会の牧師先生におなりになったのですね。二年間、よくお調べになりました。そのお調べが理にかない、きちんとしているのにびっくりしました。ご立派です。すべてがイエス・キリストのおことば通りだったのでねえ。

 森沢先生の心に残る聖書のことば。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」新約聖書ヨハネの福音書14章6節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2005.11.26放送でのお話しより )

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■ヨン様効果

2005年11月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 ヨン様ブームとか韓流ブーム、随分続いていますね。私も冬のソナタのドラマ以来、時々韓国ドラマを見るようになりました。ま、日韓関係のためにもいいのではないかななんても思います。私の上の姉も70歳を過ぎてはまってます。もう部屋中、ヨン様や韓国俳優の写真だらけなんですねえ。

 ま、良い影響もいろいろあるようです。こんな興味深い週間誌のアンケート結果もあります。何と860名の、妻がヨン様ファンという御主人がたにインターネットアンケートしたそうです。何と7割の御主人が妻がペ・ヨンジュンのファンであることに好意的、あるいは、どちらかと言えば好意的という答えだったというんですねえ。ま、なぜそうなのか、その多くは妻たちが変わったって言うんですね。ま、例えば明るくなった。文句を言わなくなった。優しくなった。きれいになったって言うんです。ま、奥さんが変わって夫婦関係が良くなったって言う訳です。ま、女性は誰も純粋な愛を求めるっていうことでしょう。でも夫たち、私も含めた男性(が)、それに応えることができない。ま、その欲求を虚像の俳優やドラマに求めているというような分析も可能でしょう。

 旧約聖書の雅歌という書簡は神に造られた男と女の麗しい愛を描いています。ま、そこに女性の男性への愛としてこんなふうに記されています。「私の愛する方。あなたはなんと美しく、慕わしい方でしょう。・・・私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの。・・・私の愛する方よ、夕暮れと共に帰ってきて、かもしかのように、若い鹿のようになってください。」(雅歌 1章16節、2章16節、17節)っていうんですねえ。わかるような気がします。でもこんな純粋な愛に応える愛、それは自己中心になってしまった人間の中からは出てこないという現実があります。ここで描かれた素晴らしいこの男女の愛、それは神様の愛、イエス・キリストによって与えられる神の愛によって愛しあう姿が描かれているのです。一時的なヨン様ブームで少し夫婦関係が良くなったっていうだけではなく、こんな神の愛に心触れられて、また満たされて本当に良い関係が生まれていったらいいですね。

(PBA制作「世の光」2005.11.25放送でのお話しより )

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■神を操る人間

2005年11月24日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。

 今日は埼玉県草加市にお住まいの大滝えいじさんの五行歌、紹介いたします。

 地球上で 人類だけが操る 火と神々 最も尊きもので 最も危ない

 大滝さんの五行歌にこんなコメントがありました。「最近の世界を要約しきったような歌。神々を操るということばが不思議でないのは現代になってからであろうか。結局恐いものは人間自身。」

 この操るというのは自分の思う通りに動かすという意味ですよねえ。人間が造り主である神を畏(おそ)れかしこむのではなくて神と同等になろう、神をしもべのように思う通りに使おうという訳です。人間は大変傲慢になってしまったんですねえ。

 新約聖書ローマ人への手紙の1章21節以下にこのような聖書のことばがあります。「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。

 さあ、この結果はどうでしようか。29節にはこのように書かれております。「彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。」何か全然関係がないよと思っていらっしゃる方もおられるかもしれませんが、どこか何か自分にあてはまるんじゃないかってお思いくださったら、これはまた素晴らしいと思います。

 イエス・キリストはこうおっしゃいました。「悔い改めなさい。天国は近づいた。」この悔い改めというのは方向転換するという意味があります。つまり今こそすべての人が、いえ、あなたが
そして私がまことの神様に向かって方向転換する時ではないだろうかというふうに思うんです。確かに努力・頑張り、もう神もいらず祈りもいらず信仰もいらず、自分の力でやっていく、そういう生き方も一つの生き方です。しかし、本当の意味において神様のもとにへりくだって神を神として認めて生きていく、ここに真の救いがあるっていうことをぜひ知っていただきたいのです。

  (PBA制作「世の光」2005.11.24放送でのお話しより )

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■いのちの泉はこれから湧く

2005年11月23日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただくお便りの紹介です。群馬県太田市にお住まいの宮田さんからいただきました。

 今度のお達者仲間の集いには参加したいと思っています。主人が救われていない私のためお祈りください。

 宮田さん、きよ女と称して俳人です。宮田さん、お祈りしますねえ。

 さあ今日の神の知恵のことばは、旧約聖書箴言4章からその23節です。「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

 ある村を攻撃するために敵は村の水に毒を撒くという計画があるという事を聞いた村の人は、水源の泉に護衛の人を出して水源を堅く守ったという話しを聞きました。神に敵対して人間を騙そう騙そうとするサタンの計略も同じようなものではないでしょうか。人間の心を制圧すれば万事オーケー、意のままになります。サタンは人の心に毒を注ぎ入れます。神の知恵の書、箴言のこのことばも人間がきちんと見張りを通して守るべきものは心だと言います。

 心をしっかり力の限りを尽くして守るために何をしたら良いのでしょうか。詩篇にこうあります。「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。・・・あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」(詩篇119篇9節、11節) 神のみことばを心に貯えてそれを守ることが第一です。

 第二にイエス・キリストはこう言われます。「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」マタイの福音書26章の41節ですね。祈ることです。ひたすら神に顔を向け、心を向けて祈ることです。その時、いのちの泉からこんこんといのちの水が流れ、満たすのですね。

 神の知恵のことば。「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」旧約聖書箴言4章23節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2005.11.23放送でのお話しより )

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■キリストの紹介者

2005年11月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日もヨハネの福音書の1章の中からことばをお読みいたします。
神から遣わされたヨハネという人が現われた。この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。」ヨハネの福音書1章6節から7節。

 あなたが本当に素晴らしいニュースを多くの人に知ってもらいたいと思う時、どんな人を使ってそのニュースを多くの人に知らせたいと思いますか? 有名なキャスターにお願いしますか? それとも有名な政治家? きっと雄弁な一般受けする人物を選ぶでしょうねえ。イエス様が救い主であることを人々に最初に紹介した人物は一体誰だったのでしょう。それは神から遣わされたヨハネという人でした。

 この人はヨハネの福音書を書いたヨハネとは別人物で、パプテスマのヨハネと呼ばれた人なんですねえ。ちょっと変わった人で、何とヨハネは荒野に住み、らくだの毛の着物を着て、腰には皮の帯を絞め、いなごと野蜜を食べていたと記されているんです。どうも私たちが考えるような見栄えのする一般受けする紹介者とはちょっと違う感じですよね。

 イエス・キリストを紹介したこのバプテスマのヨハネは決して自分を主人公のようには扱いませんでした。旧約聖書に登場する最後の預言者はマラキという人です。このマラキ以来ヨハネまでの間、約400年間に神様のことばを語る預言者はあまり現われませんでした。ですからヨハネは久しぶりに登場した預言者だった訳です。そのため、ある人々はヨハネに傾倒し、ヨハネに高い地位を与えようとしました。

 でもヨハネはそうした空気に踊らされることはありませんでした。自分は決して光ではないと自覚していたんですね。ただイエス様が救い主であるということを紹介するため、そしてその証言をするために来たのだということをわきまえていたんです。聖書ははっきりと言うんですね、イエス・キリストこそ光であり私たちは光ではないと。そしてこのヨハネは人々に悔い改めて自分の罪を告白して洗礼を受けなさいと勧めた人物でもありました。人々の心の奥底にある問題を鋭く指摘し、生き方の方向転換をせよと強く訴えたんですねえ。ヨハネは光について証言するために来たとありますが、この光、イエス・キリストこそ私たちの心の奥底を照らす方であり、このキリストに向きを変えて生きること。これがバプテスマのヨハネの願いだったんです。そして私の願いでもあるんですね。


 ( PBA制作「世の光」2005.11.22放送でのお話しより )

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■結局はプラス

2005年11月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、初めから個人的なお話しで申し訳ないんですけれども、私の父がですねえ息を引き取るそれこそ1、2分前に、意識があったかどうかは分らないような中で、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」と言って息を引き取ったんですねえ。正直な所すごいなあと思って、自分がはたしてそういうふうな時になった時にどういうふうにその生涯を閉じるのかなあって思わされるんですけれども、

 実はこのことばはヨブという人が言ったことばなんですねえ。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」っていう(ことば)。このヨブという人は聖書を見ますとですね、羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭というふうに、もう大富豪だった訳なんですね。子供も十人いました。それがある時、敵の襲来を受けて全部失ってしまったんですねえ。その時に本当にこれはョブにとって大きな出来事であった訳ですけれども、しかしその時にですね、ヨブが、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」っていう本当に普通の人ではとても言えないようなことを彼は言った訳なんですねえ。

 ただそのヨブ記というのは長い章ですけれども最後のほうを見ますと彼が失ったものの倍のものがやがて神様によって与えられたということが出てくる訳なんですね。で、「主は与え、主は取られる。」つまり与えられたものが取られたんだから、考えてみるとプラスマイナス・ゼロだ、何も文句言うことはないじゃないのっていうふうに言えば言える訳ですけれども、しかし結果的に見ますと神様ってお方は、一旦奪うように見えても、ヨブから見ると取られるように見えても、しかしそのことを通してヨブはたくさんのことを学び、いままで自分が持っていたそういうものを全部失ったその中で神様との深い関係が生まれていってですね、ですから、取られたように見えても実は最後的には全部プラスになったんだ、ゼロではなくってプラスなんだということをこのヨブ記を見ると分る訳なんですね。私たちの人生にも何か失われるように見えることがあるとしても、でも神様はそれを必ずプラスに変えてくださる方だと信ずることができるならば幸いですねえ。

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