♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■末席につきなさい(あなたを招いた人) / 山中直義

2013年04月30日 | Weblog
2013/4/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 人を嫌な気持ちにさせてしまうマナー違反はなるべく避けたいですよね。さて私たちと神様との関係についても気をつけるべきマナーがあります。今日は「あなたを招いた人」とと題してのバイブル・メッセージです。

 ある時イエス・キリストを中心とした食事会があり、大勢の人がその場に招かれました。ところが集まった人々は自分のプライドを優先させ我先にと上座を求め始めました。そんな彼らにイエス様はこんな譬え話をお話なさいました。

 新約聖書ルカの福音書14章のことばです。
 「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座にすわってはいけません。・・・招かれるようなことがあって、行ったなら、末席に着きなさい。そうしたら、あなたを招いた人が来て、『どうぞもっと上席にお進みください。』と言うでしょう。」(9節、10節)

 招いてくれた人の思いを無視して好き勝手に振る舞ってしまうことは大変なマナー違反です。招いてくれた人の思いを大切にし、末席に着いて指示を待ちなさい。そうすればあなたを招いた人が必ず来てその場にいる全員が本当に幸せになれるように必ず適切に配剤してくれるから。イエス様はそうおっしゃいました。

 招いてくれた人の思いを尊重しその配剤を信頼して喜んで従う、それは人間関係だけではなく神様との関係についても大切です。神様は私たちが神様と親しく喜ばしい交わりを持つことができるようにと大切な独り子イエス・キリストを十字架にまでお与えくださったお方です。神様との交わりにおいてはその神様の思いを何よりも尊重することがとても当然のことだと思うのです。また神様は私たち一人ひとりのことを本当によく知っていてくださいます。神様の教えを信頼し聞き従うなら一人ひとり本当に喜ばしい交わりをいただくことができるはずです。

 さて、この喩えの最後にイエス様はこうおっしゃいました。

 「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」(11節、参照マタイ23章12節、ルカ18章14節)

 神様の思いを尊重し神様に聞き従わな神様が必ずよくしてくださる聖書はそう約束しているのです。

(PBA制作「世の光」2013.4.30放送でのお話しより )

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■委ねて生きよう / 関根弘興

2013年04月29日 | Weblog
2013/4/29放送

 世の光の時間です。お元気お過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日は最初に聖書のことばを紹介いたしましょう。

旧約聖書詩篇37篇の5節
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

 聖書には「委ねる」ということばがよく出てきます。でも神様に委ねるとか神様にお任せするということは一体どういうことなんでしょうね。

 ちょっと考えてみてください。もし私たちが飛行機に乗ったらその飛行機が墜落するかしないか心配するのは私たちのすることではありませんねえ。パイロットが考えることです。なぜなら操縦桿(そうじゅうかん)を見ているのはパイロットだからです。私たちは飛行機が揺れて酔わないかどうか、ま、心配すればいいわけです。私たちはその飛行機の機長にそういう意味では委ねるからこそその飛行機に乗るわけですね。

 大陸横断鉄道に一人の少年が乗っていました。周りの大人たちは口々に言いました。「僕一人で旅行してるの? 大丈夫? 心配じゃない? 一人で寂しくない?」 口々にこう言ったのです。するとこの少年はにこっと笑ってこう答えました。「うん、大丈夫だよ。だってこの列車、運転してるの僕のパパだから。」こう言ったというんですねえ。

 ま、考えてみれば私たちは明日のことが分からない、ま、弱い存在です。そして人生には分からないことがほんとにたくさんありますよね。どんなに思い煩っても心配しても何も及ばないことがたくさんあるわけです。

 しかしどうでしょう、あの少年が言った「この列車、運転してるの僕のパパだから。」と同じことばを人生に置き換えてみたらどうでしょう。

 聖書の中には「主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。主は私を緑の牧場に伏させ、憩いの水のほとりに伴われます。」と書かれているんです。聖書はあなたの人生の羊飼いとなってくださる方がおられる、その方が人生を導いてくださるのだ、こう教えるんです。ですから、先程の少年ではありませんが、「イエス様が私の人生を導いてくださるんですから僕は心配しません。私の人生にはいろんなことがあります。心配も不安もたくさんあります。でも大丈夫。十字架で死なれ、三日目によみがえられて今も生きておられるイエス・キリストが私の羊飼いですから。」 そう告白することができないでしょうか。

 私たちは自分たちでできる精一杯のことをしながら、でも人生を救い主イエス様に委ね信頼し毎日を生きていきましょう。

(PBA制作「世の光」2013.4.29放送でのお話しより)

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■救われた遊女ラハブ / 羽鳥頼和

2013年04月27日 | Weblog
2013/4/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今日は旧約聖書のヨシュア記からお話ししたいと思います。

 ヨシュア記にはかつて神様がイスラエルに与えると約束してくださった土地を手に入れるイスラエルの歴史が記されています。その頃その地にはカナン人をはじめとした外国の民が住んでいたのです。この時の指導者であったヨシュアのもと、イスラエルの民はこの地を占領するために戦わなければなりませんでした。

 彼らが最初に占領しようとした町がエリコという町でした。ヨシュアは二人の人にエリコの町を偵察させました。二人はこっそりエリコに忍び込み、遊女のラハブという人の家に隠れました。エリコの王はイスラエル人が忍び込んだことを知って彼らを探しました。捜索の手はラハブの家にも及びました。ラハブはイスラエルの神様が彼らをエジプトから脱出させ荒野の旅を守りカナンの地まで導かれたことを知っていました。彼女はそのような神様を恐れ敬っていたのです。それで彼女は二人を匿い、二人に自分の家族を救ってくれるように頼んだのでした。二人はラハブと家族を救うことを約束しました。実際にイスラエルはエリコの町を滅ぼしましたが、ラハブたちは救い出されました。そして彼女たちはイスラエルの民に加えられました。

 新約聖書のマタイの福音書に記されているイエス・キリストの系図には彼女の名前が記されています。ラハブはイエスの家系に加えられるという恵みを受けたのです。実は神様はイスラエルの民にカナンの地の民は異教の神々を信じているので滅ぼさなければならないと命じていたのです。しかしこのラハブの家族の救いは外国人であっても神を恐れ敬う人を神様は救ってくださることを教えています。

 旧約聖書のエゼキエル書18章23節に神様の気持ちが語られています。神様はこのように言われています。「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。・・・彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。」と。神様はどんな悪者も死ぬことを喜ばれません。神様は悪者がその態度を悔い改めて生きることを喜ばれるのです。

 神様はどんな悪者にも救いを与えるためにイエス・キリストを遣わされました。私たちはイエス・キリストによって救いを得ることができるのです。神様はどんな人をも救ってくださいます。あなたも神様の救いを得るためにお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.4.27放送でのお話より )
 
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■聞くには早く・・・ / 岩井基雄

2013年04月26日 | Weblog
2013/4/26放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。私は幼い頃、ある方から、人間に耳が二つで口が一つなのは人の話をよく聞くためなのですよ、と教えていただいた事があります。私を含めて人の話を聞くよりも自分が話したいという傾向を持ちやすい方は多いかもしれませんね。あなたはいかがでしょうか。

 聖書の中に次のようなことばがあります。

 「しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」 新約聖書ヤコブの手紙1章19節、20節 

 このみことばは先程の教えと似た所がありますね。語ること以上に聞くことが大切であるのはどの時代でもどの国でも真理なのでしょう。更にここには「怒るにはおそいようにしなさい。」というメッセージが加わっています。相手のことばに怒りを感じる時その怒りが聞くことを更に妨げ、相手を受け入れることができなくなることがありますねえ。相手のことばだけを受け取るのではなく、ことばの背後にある心や感情までも正しく受け取ってその人を愛するにはどうした良いのでしょうか。先ほどの聖書のことばはこう続いています。

 「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」(ヤコブの手紙1章21節)

 怒りや自分が語ることを後に置いて、まず相手の思いを聞き、その心を受けとめていく秘訣は神様のことばであるみことばを私たちが素直に受けとめてことにある、というのです。なぜならば、条件のつかない完全な愛を持つ神様のことばにこそ、私たちの心の深みにある傷や問題を癒し、魂を救う力があるからです。
毎朝静まって神のことばである聖書を開き、そのことばを自分の心に素直に受けとめていくとき、私の心は癒され、変えられ、そして人の痛みや悲しみを心から受けとめたり相手に愛を与えたりすることができるようになります。

あなたも愛なる神様のことばを心から受け止め、そのように変えれていきませんか? 神様は祈りの中であなたの心やうめきを全部聞き、受け入れ、慰めといやしと力を与えてくださいます。

(PBA制作「世の光」2013.4.26放送でのお話しより)
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■神が陣営に来た / 福井 誠

2013年04月25日 | Weblog
2013/4/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神が陣営に来た」です。それでは第一サムエル記4章7節から読んでみましょう。

 ペリシテ人は「神が陣営に来た」と言って恐れた。そして言った。「ああ困ったことだ。今までこんなことはなかった。」

 サムエルの時代、イスラエルがペリシテ人と戦争状態にありました。どちらかと言えばペリシテ人が優勢でした。そんなペリシテ人がイスラエルを挑発したのでイスラエル人はやむなくこれに対抗しましたが、結果はさんざんでした。分りきったことでしたねえ。負けたイスラエル人が考えたことは、戦場の陣地に大切なものが欠けているということでした。つまり主の契約の箱、かつてモーセの時代に造られて神が臨在する象徴と考えられた主の契約の箱が無いから負けたのだと言うわけです。

 そこで彼らは当時イスラエルの礼拝の中心地であったシロという場所に人を送り、そこから主の契約の箱を陣営に運び入れたのです。どうも迷信的、単純ですね。

 しかし対するペリシテ人の姿もまた滑稽です。契約の箱がイスラエルの陣営に持ち込まれると、「神が陣営に来た」と恐れをなして「ああ困ったことだ」と慌てふためくのです。ただ、ペリシテ人はイスラエル人よりもちょっと理性的ですね。彼らは気を取り直して奮い立って、「男らしく振る舞って戦え」と名神的な恐れを打ち消して戦い、ついにイスラエル人を打ち負かしてしまうのです。

 一体この物語は何を教えようとしているのでしょう。神の箱を信じるのが迷信的だというのは分りますね。だから神を信じるのを迷信的で人生自分で奮い立って切り開くしかないのだ、自分を信じろ、ということでしょうか。

 著者の意図はそうではないでしょう。むしろイスラエルのために契約の箱よりもかつて契約の箱を用意された神御自身を認めていくことを教えようとしたのでしょう。目に見えない神をはっきりと認めて、どこにあっても神ご自身に直接救いを求めていく、それが必要だったのだと教えようとしたのでしょうね。

 神らしいものに頼るのではない。神ご自身に信頼したいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.4.25放送でのお話より )

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■頑固と欺きの結末 / 板倉邦雄

2013年04月24日 | Weblog
2013/4/24放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「頑固と欺きの結末」という題でお話ししましょう。

 まずイサク家に双子の兄弟が生まれる時と生まれた後のことを思い出してください。双子を宿した母親リベカに主なる神様はこう言われました。「二つの国民があなたの胎内にある。一つの民は他の民より強く、兄は弟に仕えるであろう。」(創世記 25章23節参照) その後、イサク家に起こったのが長子の祝福に端を発した頑固さと欺き事件でした。年老いた父親は長子エサウが好きでした。しかも大好物の鹿の肉料理にこだわり続けました。そこで母親は頑固な父親が神様のお心を無視して世俗的で不敬虔な長男エサウに神様の祝福をやってしまったら大変とばかり嘘と偽りを使い、次男のヤコブまで巻き込んで父親を欺いたのです。

 そうした父親の頑固さと母親の欺きとが招いた結末が今日の箇所に描かれています。創世記の27省の続きです。

 まず、兄エサウの弟ヤコブに対する激しい憎しみと殺意でした。創世記の27章41節にはこう書いてあります。
 こうしてエサウは父がヤコブに与えた祝福のゆえにヤコブを憎んだ。エサウは心の内で言った、「父の喪の日も遠くはないであろう。その時、弟ヤコブを殺そう」。  (口語訳聖書)

 次は家族の分裂でした。母は兄エサウの弟ヤコブへの激しい憎しみと殺意を人づてに聞きました。ヤコブを呼んで母親は言います。 兄エサウはあなたを殺そうとしています。直ちに旅支度をして私の故郷ハランにいる私の兄ラバンの所へ逃げて頂戴。兄エサウの怒りと憤りが治まるまでそこにとどまっているのよ。どうして一日の内に二人の息子を失って良いでしょう。」 私たちはこの人生においてたとえその目的が良いことでありましてもその目的のためにどんな手段でも構わないということはないということを学習したいのです。
 聖書のことばです。
 「あなたは隣人について、偽証してはならない。
   出エジプト記の20章16節 (口語訳聖書)

( PBA制作「世の光」2013.4.24放送でのお話より )

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■一日中手をさしのべる主 / 山中直義

2013年04月23日 | Weblog
2013/4/23放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。私たちが心から神様を呼び求めることができないとき、その問題の責任の一部は神様の側にあるのではないか、新約聖書ローマ人への手紙の10章に登場する当時のイスラエルの人々はそのように考えたようです。彼らと使徒パウロとの次のようなやりとりが書かれています。

 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ 10章13節)

 パウロはそう宣言するが私たちはその主を呼び求めたいとは思えない。それは私たちがその主を心から信じることができていないからである。そして心から信じることができていないのは信じられるほどのメッセージを聞いていないからで、神様がそのようなメッセンジャーを遣わしておられないからではないか。これに対してパウロは、いやそうではない、と言います。

 私たちが心から信じて主を呼び求めることができるように神様はいつも時にかなってメッセンジャーを遣わし語りかけていてくださる。大切なのは語られているそのメッセージに真剣に耳を傾けることだ、パウロはそう言うのです。

 更に続けてパウロは神様は私たちがその語りかけがよく分るように懸命に関わり合っていてくださる。時には必要な試練にさえ合わせ、痛みや悲しみや怒りや妬みの思いさえ通して私たちがこのままではいけないっていうことに気づき、本当に神様を求めるようにとさせていてくださる、と言います。

 こんな議論の最後にパウロは神様のことばとしてこう言います。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」(ローマ 10章21節) 私たちが神様を心から求めず、その問題の責任は神の側にあるとさえうそぶくようなそんな時にさえ神様は私たちは何としてでも救おうと一日中手を指し伸ばしておられる。救おうとしておられる神様の熱心や能力に欠けがあるわけではない。大切なのは私たちが心からこの神様を、主を呼び求めることだ、聖書はそう教えています。

 私たちの肉の目には見えない神様の手ですが心を込めて聖書を読み、神様の語りかけに耳を傾けるとき、私たちにもその救いの御愛がはっきり分るようになる。そして私たちも神様を心から呼び求めることができるようになる。聖書はそう教えています。

(PBA制作「世の光」2013.4.23放送でのお話しより )

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■12かごいっぱいに / 関根弘興

2013年04月22日 | Weblog
2013/4/22放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 イエス様と弟子たちがガリラヤ湖を見渡す小高い丘に登り、ま、くつろぎながら語り合っていたときでした。大勢の群集がふもとからイエス様の方に押し寄せてきたんですねえ。するとイエス様は、この群集に何か食べ物を食べさせようか、と言われたのです。

 まあ弟子たちにすればたまったものではありません。静かなイエス様との時間をふいにされ、しかもこんな大勢の人たちにパンを与えるなど不可能だし、割に合わないと考えたことでしょう。

 しかしイエス様はそこにいた少年が差し出したパンと魚を用いて、何とそこにいた五千人以上の人々にパンを分け与え、人々を満腹にされたのです。そして余ったパン切れを集めると何と十二のかごが一杯になっていたと言うんですねえ。

 当時人々は宴会をするときには必ず余りものを取っておく習慣があったそうです。それは貧しい人々に施したり、宴会の給仕をしたしもべたちにふるまうためでした。十二のかごが一杯になったということは、まあこの時給仕の仕事をしていたイエス様の十二弟子を養うパンもちゃんと一杯あったということですよね。イエス様は給仕係をした弟子たちのためにも十分な配慮をし、恵みを与えてくださっているということです。弟子たちの中には、ま、群集に何か食べ物を用意しよう、とイエス様が言われた時に、こんな思いを持った弟子たちもいたと思います。「何でおれたちがこんな群集を養わなければいけないんだ。せっかくイエス様とこの小高い丘に来てゆっくりできると思ったのに、この群集はただ興味半分で来ているだけではないか。」 ま、そんな思いですね。そこにはどこかで、自分たちはイエス様の弟子で特別だ、群集とは違うのだ、という驕(おご)りのような自負があったのではないかと思います。

 時々、私たちの心にフッとこう入ってくるものがあります。それは人を見下す優越感のようなものですね。自分はこんなにやっている。これもやってきたし、あれもやってきたし、ましてあの人たちとは違う、というような思いが心に入ってくるんです。するとそれは人々をさばく心へと変化していくことがあるんですねえ。弟子たちにもそんな心が芽生えたのかもしれません。

 しかし十二かご一杯のパンが余ったということはどういうことでしょう。それはイエス様の弟子たちもイエス様の恵みによって養われていく必要があるのだということです。他の人たちとまったく同じだということですね。私たちは誰であってもイエス・キリスいトの与えるいのちのパンをいただくこと、つまりイエス様の与える救いによって心を満たさていくんです。

(PBA制作「世の光」2013.4.22放送でのお話しより)

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■私の羊飼いであられた神 / 羽鳥頼和

2013年04月20日 | Weblog
2013/4/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。人は自分の死を意識する時にどんなことを語るでしょう。旧約聖書創世記48章に病の中にあったヤコブが語ったことばが記されています。このことばは彼の本音・本心からのことばです。彼は自分の死を覚悟して自分の子どもたちを枕元に呼びました。そしてヤコブはまず神様のことを「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。」(創世記 48章15節)と呼びました。ヤコブは自分の人生を振り返り神様が羊飼いのように自分を守り養い育ててくれたことを感謝しているのです。ヤコブは自分を羊に喩えている訳です。

 羊は貪欲です。草を根こそぎ食べてしまうので羊の食べた後にはなかなか草が生えません。また羊は道に迷いやすい動物です。羊飼いに守ってもらい、草や水のあるところに連れて行ってもらわないといけません。羊は羊飼いがいなければ生きていけないのです。

 ヤコブは確かに羊のように貪欲でした。兄のエサウから長男の権利をだまし取り、自分さえ良ければいいと思っていました。しかしそんなヤコブはいつしか自分が悪かったことを認め兄に謝り神様に信頼して生きるようになったのです。

 臨終の床にあったヤコブのことばに戻ります。

 「神様は私の羊飼いです。」と言ったヤコブは続けて神様に「子どもたちを祝福してください。」と祈りました。この「祝福してください。」とは彼らに良いことがあるようにという願いではありません。神様がヤコブの祖父のアブラハムそして父であるイサクに約束した祝福のことです。神様はアブラハムの子孫に祝福を与えると約束していました。ヤコブは神様の約束の祝福を子どもたちに与えてくださるように祈ったのです。その約束とは大きく三つのことでした。

 第一に、子孫が星のように増えること。第二に、その子孫に約束の地を与えること。そして第三に、子孫の一人によって地上のすべての人が祝福されるということでした。

 第三の約束は私たちと関係があります。地上のすべての人が子孫の一人によって祝福されるのです。この子孫の一人とはイエス・キリストのことです。神様はイエス・キリストによってあなたに祝福を与えられます。そして神様は私たちの羊飼いとなって養い守り導いてくださるのです。あなたも神様からの本当の祝福を受けるためにお近くのキリスト教会にいらしてください。

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■自由と愛について / 岩井基雄

2013年04月19日 | Weblog
2013/4/19放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。キリスト教会で使われている用語には分かるようで分りにくいことばがありますよね。今日もちょっと分かりにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「自由と愛」についてです。

 先月は「真理と自由」について取上げ、自由とは自分勝手を行うことではなく、自己中心的な傾向からの真の解放を示し、その自由を私たちに与えてくださるのは真理であり命であるイエス・キリストであると学びました。

 今日は更に踏み込んで、私たちは与えられた自由をどのように生かせば良いのかということを考えてみましょう。聖書には次のようなことばがあります。

 「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
    新約聖書ヨハネの福音書8章32節

 ここでも自由を追求しようとする時、しばしばそこには自分の肉的な思いや自己中心的な思いが入り込んでくる危険性についても指摘されています。本当の自由とは愛によって導かれ支えられていくものだというのですねえ。私たちはその自由を自分を犠牲にして誰かに仕えたり相手に愛を与えたするために用いなくてはなりません。それこそが本当の自由であり、私たちはその愛に向かう自由を与えられるために神様にあって召されたのだと聖書は語っています。

 そのような愛に生きた多くのクリスチャンたちがいます。インドのカルカッタで死を間近にした人々にあらゆる愛と犠牲を払って仕えたマザー・テレサさんは本当の意味で自由だったと言えるでしょうね。

 あなたを欲望や野心から自由にするためにまた心から他の人に仕える愛やその愛に基づく自由を与えるために救い主イエス・キリストはこの地上に来てくださいました。イエス・キリストの歩みこそが本当の愛と自由を豊かに具現するものでした。

 イエス・キリストはあなたを命がけで愛し、あなたの罪を代わりに受け、あなたに真の自由を与えてくださいます。あなたもこの方イエス・キリストのもとにいらっしゃいませんか? この方があなたに本物の愛と自由を与えてくださるのです。

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