♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■シロアムの池で洗え / 関根弘興

2013年09月30日 | Weblog
2013/9/30放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 新約聖書のヨハネの福音書9章に、イエス・キリストが生まれつきの目の不自由な男に出会われたことが記されています。人々はこの盲目に生まれついた男は誰が罪を犯したからこんな状態になったんでしょう、ま、そんなふうなこと言っていました。

 でもイエス様はそんなことばをさえぎるかのように、「いや違うのだ。神のわざが現れるために。」と言われたんですね。

 そしてイエス様はとても奇妙なことをなさいました。それはつばきで泥を作って、その泥をこの盲人の目に塗られたのです。この盲人にしてみれば突然目に泥を塗られたんですから戸惑ったに違いありません。日本語でも、あの人は私に泥を塗った、というのは決して良い意味ではありませんもんね。恥をかかされたとか名誉を傷つけられたという意味ですよね。

 イエス様はその場ですぐにこの盲人の目を見えるようにすることもできたはずです。それなのにわざわざ盲人の目に泥を塗られて「シロアムの池に行って洗いなさい。」と言われたんです。するとこの盲人はイエス様に泥を塗られても文句も言わずにイエス様の言われた通り、シロアムの池に行って目を洗ったんです。

 この盲人はそれまでいつも人々から、お前が今の状態にあるのは罪の結果に違いない、という目で見られていました。でもそんなこと言われても生まれつき盲目であるということは自分ではどうしょうもない問題なわけですねえ。きっと将来に夢も希望も持てずに暮らしていたと思います。

 でもイエス・キリストが近づいて来られて、「この人が盲目なのは神のわざがこの人に現れるためです。」と言われたんですね。今まで聞いたことのないことばでした。イエス様に出会ってこの盲人は初めて希望を持つことができたと思うんです。そして、この方のことばに従ってみよう、とそんな思いが与えられたと思うんですね。そしてイエス様のことばに従ってシロアムの池に行って目を洗うと、何と見えるようになったというのです。

 ところでこのシロアムの池と言われるシロアムとは「遣わされた者」という意味があるんです。実はここに大変大きな象徴的な意味があるんですね。それは、神様から遣わされた者と一体誰でしょう。それはイエス・キリストのことなんです。つまり、シロアムの池に行って洗う、そしてその事によって目が開かれるということは、それはイエス・キリストのことばを信頼し、イエス・キリストのもとに行って洗うなら目が開かれるという救いのメッセージが語られているんです。

 キリストのもとに行くときに問題の解決がある。その事を聖書は教えているんですねえ。

  (PBA制作「世の光」2013.9.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 

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■幾人かでも救うため / 羽鳥頼和

2013年09月28日 | Weblog
2013/9/28放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 使徒パウロが書いた新約聖書コリント人への手紙第一9章20節と22節をお読みします。

 「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。
 「弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。

 「獲得する」とは非常に積極的な表現です。何とかしてこの人を自分の仲間にしたい、何とかして救いたい、という真剣な気持ちから発せられたことばです。その人を救うためにその人のようになる、というのはどういうことでしょう。それはその人のすべてを理解し受け入れるということです。その人を愛することとも言えるでしょう。

 イエス・キリストのことを人々に宣べ伝えたパウロはその人のすべてを理解しその人に分るようにイエス・キリストの救いを語ろうと努力していたのです。このような伝道の方法はパウロが考え出したことではありません。パウロを救い伝道者に任命したイエス・キリストが実践されていたことでした。

 イエス・キリストは神様であるのに、人となってくださいました。新約聖書ピリピリ人への手紙2章6節から8節にこのようにあります。

 「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

 イエス・キリストは私たちを何としても救いたいと思い、私たちと同じ人となってくださり、自ら十字架で死んでくださったのです。新約聖書ヘブル人の手紙4章15節では「私たちの大祭司(キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。」とあります。イエス・キリストはあなたのことを愛して、あなたは何とかして救いたいと思っておられます。

 イエス・キリストは言われました。
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

  私たちはイエス様によってでなければ救われないのです。あなたも救い主であるイエス・キリストを信じてください。明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.9.28放送でのお話より )
 
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■ぞうきんのように / 岩井基雄

2013年09月27日 | Weblog
2013/9/27放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。岡山のノートルダム清心学園の理事長でシスターでもある渡辺和子先生が「置かれた場所で咲きなさい」という本の中でこんな詩を引用していました。

     『ぞうきん』

  こまった時に思い出され
  用がすめば、すぐ忘れられる
  ぞうきん
  台所のすみに小さくなり
  むくいを知らず
  朝も夜もよろこんで仕える
  ぞうきんになりたい 

 ぞうきんは周りを綺麗にしますが、それ自体は汚れてボロボロになりますね。私たちは雑巾のように扱われることを嫌がりますし、避けたいと思います。しかしこの詩の作者は雑巾のようにひどい扱いを受けて忘れられても喜んで他の人に仕える存在になりたいと詠っているのです。

 この詩を書いたのは岡山のハンセン病診療所の慰問を50年以上続け、保育園の園長を勤め、1990年に天に帰られた牧師の河野 進さんです。

 河野先生はおにぎり一つ分の支援を呼びかけたおにぎり運動でも有名ですが、小さく弱い方々と一緒に歩まれ、マザー・テレサさんとも活動を共にし、まさに雑巾のような生き方を貫いた方でした。

 河野先生の信じるイエス・キリストはこう語っています。
 「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。
 新約聖書マルコの福音書10章45節

イエス・キリストこそ雑巾以上に人々に心から仕え、他の人の心をきよくするためにすべての人の罪のさばきを代わりに引き受け、贖いの代価としてご自分のいのちを与え尽くしてくださったお方です。人に心から仕え、愛を注いでいくならば私たちの心は本物の喜びで満たされていくのです。私たちの心の雑巾として歩みを貫いてくださったイエス・キリストの生涯を思い、その愛を受け取っていくとき、私たちも喜んで人に仕え、本物の喜びに生かされていことができるのですねえ。
 聖書のことば
 
 「人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。
 エペソ人への手紙 6章7節

 あなたも他の人を潤す人生、喜んで仕える人生を歩み始めませんか?

 (PBA制作「世の光」2013.9.27放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主はたいせつにしてくださいます / 福井 誠

2013年09月26日 | Weblog
2013/9/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか?福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主は大切にしてくださいます」です。それでは第一サムエル記26章24節から読んでみましょう。

 「主は私のいのちをたいせつにして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。

 この詩篇は先の24章とよく似たエピソードですねえ。ダビデは600人の部隊と共にいましたが、この時サウルは3000人の精鋭を引き連れていました。神に王位を退けられたというのに、サウルの勢いは衰えることがありませんでした。むしろ依然として健在であったのです。どう考えたらよいのでしょう。なぜ神はすぐに悪者をさばいてくださらないのでしょうか? なぜ神は悪をのさばるままにされるのか、不思議ですねえ。

 しかし今日の箇所を読むと、信仰者だけが持ち得る大切な祝福があることも教えられます。24章と読み比べてみてください。ダビデの行動には以前よりも余裕があるのです。再びダビデは槍ひと突きでサウルを殺すことができる状況にありながら、また自らの手を汚さずにそうできる状況にありながら、サウルを殺さずに見逃しているのです。そしてどうやらダビデは自分が手を下さなくてもサウルが自ら滅びることを確信していたようにも思われます。この時ダビデは詩篇57篇を読んだとされています。そこにはこうあります。

 「私は、獅子の中にいます。私は、人の子らをむさぼり食う者の中で横になっています。彼らの歯は、槍と矢、彼らの舌は鋭い剣です。」(詩篇57篇4節)


 ダビデは自分がどれほど危険な状況にあるかを心得ていました。殺せる時に殺さなかったら自分が逆に殺される、そんな状況にあることをよく分かっていました。しかし、だからといって慌ててもいないし、恐れおののいてもいないのです。むしろ続けてこう歌っています。

 「神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。」(詩篇57篇7節)

 確かに神を信じるときに、人を恐れることもなくなります。信仰の素晴らしさはまさにそういうところにあります。あなたにも、神を信じるときに心が強くされ、もはや恐れる者は何もない経験をしていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2013.9.26放送でのお話より )

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■こすいヤコブ / 板倉邦雄

2013年09月25日 | Weblog
2013/9/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「こすいヤコブ」という題でお話ししましょう。創世記の33章の続きです。

 さて弟ヤコブとの再会を果たした兄エサウは弟に言いました。「さあ、立って一瞬に行こう。私が先に行く。」

 するとヤコブは答えていました。「御存知のように子どもたちはか弱いのです。また生まれたばかりの家畜もいます。羊や牛は私が世話をしています。もし一日でも歩かせ過ぎたら群れはみな死んでしまいます。私のご主人様、どうかしもべの先においでください。私は家畜と子どもたちの歩みにあわせてゆっくり歩いて行き、あなたの故郷セイルで一緒になりましょう。」

 兄のエサウは言いました。「それなら私が連れている部下の内から幾人かをあなたのもとに残しましょうか?」

 実はヤコブは兄エサウとは一緒に行動したくなかったのです。そして兄の故郷セイルで一緒に生活したくもなかったのですねえ。その辺の所が率直な兄エサウは分りません。弟ヤコブのことば通りに受け取るのです。そして部下の幾人かを残すからと申し出ました。20年に渡ってこき使われ、やっと独立して一族で帰ってきたのに、今度は兄エサウと共に生活したくはないでしょう。

 ですからヤコブは答えます。「いいえ、それには及びません。私の主人エサウ様の前で恵みを得させてください。私たちだけで何とかなります。」

 その日エサウはセイルへ向かって出発しました。

 一方ヤコブはスコテまで行くとテントを張り、家畜の群れには囲いを作ったのです。スコテは兄の住むセイルとは全く反対の場所でした。「後からゆっくりセイルに参ります。」と言いながら、実は行かなかったのです。

 こすいヤコブですねえ。ま、ずるいヤコブと言っていいでしょうか。エサウを信じないヤコブ、卑屈な根性のヤコブではないかなあと思います。これが前の晩、神の使いと格闘し、「神の王子」と名前をいただいた人の生き方かと疑いたくなるような態度でした。昨日の祝福は今日の新たな試みに出会うとき役に立たないのでしょうか。

 ですから「日ごとの糧を今日もお与えください。私たちを試みに会わせないで悪より救い出してください。」と祈りましょう。

(PBA制作「世の光」2013.9.25放送でのお話より )
 
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■新しい歩み / 山中直義

2013年09月24日 | Weblog
2013/9/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 どんな失敗、またどんな絶望を通ったとしても人は新しく歩み出すことができる、聖書はそう約束しています。今日は「新しい歩み」と題してのバイブル・メッセージです。イエス・キリストの十字架から三日目、まだ夜明け前の闇の中を三人の女たちが墓へと向かっていました。あのイエス・キリストの亡きがらにせめて香料だけでも塗って差し上げたい・・・、悲しみを抱えながら墓に向かっていた彼女たちの姿でした。しかし彼女たちはその失意と絶望だけが漂うはずの墓で、人の思いをはるかに超えた素晴らしい出来事を知ることになりました。

 墓にいた御使いが彼女たちにこう告げました。
驚いてはいけません。・・・あの方はよみがえられました。ここにはおられません。・・・ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」(マルコ16章6節、7節)

 死と絶望を打ち破ってよみがえられたイエス・キリストからのメッセージ、それは新しい歩みを始めるようにとの励ましでした。ペテロ始めとする弟子たち、彼らはイエス・キリストを十字架に取り残して逃げてしまったそんなどうしようもなく愛のない罪人でした。しかし、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」(ヨハネ 14章18節)、「わたしが生きるので、あなたがたも生きる」のです。(ヨハネ 14章19節)とかつてイエス・キリストが言われたその通りに、イエス・キリストは彼らを見捨てることなく、「もう一度わたしと共に生きるように、もう一度新しく歩み出すように。」と彼らを招いてくださった、聖書はそういうのです。

 世の光の火曜日の放送を4年半にわたって山中が担当させていただきました。最後にこの聖書のメッセージを皆様と共に味わうことができたことを心から感謝しています。どんな絶望の先にも神様が必ず励ましを与え新しい歩みを用意してくださる、聖書はそう教えています。どうぞあなたも神様のことばに耳を傾けて神様と共に歩む素晴らしい道を歩んでください。来週からは大嶋先生が変わることなく聖書のことばを取り次いでくださいます。どうぞ期待してまたお聴きください。

 ( PBA制作「世の光」2013.9.24放送でのお話しより )

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■神のわざが現れるために / 関根弘興

2013年09月23日 | Weblog
2013/9/23放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。

 新約聖書のヨハネの福音書9章に、イエス・キリストは道の途中で生まれつきの盲人に出会われたという記事が書かれています。多くの人々はこの盲人に対して、この状態になったのはこの人が罪を犯したせいだろうか? 両親の罪だろうか? と勝手に判断し、評価していました。しかしイエス様は「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」(ヨハネ 9章3節)と言われたのです。つまりイエス様の見方というのは過去に原因を探るのではなく、これからこの人の人生に神のわざが現れようとしている、そのために今があるのだ、と言うことをおっしゃった訳ですね。

 私のおじは15年ほど前になりますけども天に召されました。63才でした。おじは幼少の頃、水頭症という病気を患いました。今は治療法もあるようですが当時のおじは十分な治療を受けることができませんでした。そのために知能的にはやや劣り、医者からは長く生きられないだろうと言われましたが63才まで生きました。

 このおじはいつもニコニコしている人でした。おじは二十歳の頃私の父の影響で教会に来ようになり、イエス・キリストを信じました。その教会に行くこと、そして大きな声で賛美することが人生の大きな楽しみとなりました。毎週おぼつかない足で1時間ぐらいかけて教会まで通い続けました。子どもの頃はいじめられ無視され馬鹿にされたこともあったことでしょう。しかしおじはイエス様との出会いによって大きな慰めと安心を得ました。おじには能力的に優れた所はこれといってありませんでした。でも笑顔がありました。金銭的にも決して恵まれていませんでした。でも笑顔がありました。話すことも得意でなく、歌うことも得意ではありませんでした。でもすてきな笑顔がありました。人を騙すことやうそをつくこともできませんでした。人を恨むこともしませんでした。恥ずかしがり屋で照れ屋でした。そこにいつもいつも笑顔がありました。

 神のわざが現わされるために、とイエス様は言われましたが、おじの生涯を振り返る時に、ああ確かにイエス様の約束はおじの生涯においても実現したんだと思います。生まれつきの盲人の生涯だけではなく私のおじの生涯においても神のわざが現わされていったと思うんですねえ。

 ラジオを聴いているあなたに私はぜひ伝えたいんです。自分では分からない苦しみや悲しみの原因を過去に遡って探ろうとするのは決して懸命ではありません。辛い現実かもしれません。でも神様はその現実さえも神様のみわざを現わす道具にするのだと約束しているんです。このこと信頼し今を生きていきましょう。

  (PBA制作「世の光」2013.9.23放送でのお話しより)

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■どんな罪も赦される / 羽鳥頼和

2013年09月21日 | Weblog
2013/9/21放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 アメイジング・グレースとして知られる讃美歌を作ったジョン・ニュートンはかつて奴隷制の船長でした。彼は讃美歌の歌詞の中でそんな自分のことを人でなし、極悪人と告白しています。そんな自分のひどい罪がキリストの十字架によって赦された。その事をアメイジング・グレース「驚くべき恵み」と言っているんです。そんな彼も実は奴隷貿易についてはそれほど悪いこととは考えていなかったようです。むしろ船乗りとしての自分の不道徳な生き方を悪いことであると気づき、悔い改めたようです。

 新約聖書 コリント人への手紙第一 6章9節、10節には、
 「不道徳な生活をしている者、偶像を拝む者、姦淫する者や同性愛にふける者は、神の国を相続できません。 どろぼう、貪欲な者、酒に酔う者、人をそしる者、強盗も同様です。」(リビング・バイブル訳)とあります。

 当時のコリントの町では、このようなことが当たり前に行われていました。そしてコリントの町にある教会には、以前このようなことをしていた人たちが何人もいたようです。彼らは自分の罪に気づき、改心してイエス・キリストを自分の救い主と信じたのです。聖書はそのような人々のことを、主イエス・キリストの御名と神の御霊によって洗われ聖なる者とされ、義と認められたのです、と言っています。罪に汚れていた者は罪を洗い落とされて綺麗なものとされたのです。また罪を犯した者が無罪となっただけでなく正しい者と認められたのです。

 さてジョン・ニュートンは奴隷船の船長をやめてキリスト教会の牧師となって人々にキリストの十字架の救いを語りました。それだけではありません。ニュートンはかつて自分が関わっていた奴隷貿易を廃止する運動を応援したのです。彼は奴隷貿易は神様が忌み嫌われることであると分かったのです。ニュートンの助言を受けた国会議員ウィリアム・ウィルバーフォースの10数年にわたる懸命の努力によってイギリスの奴隷貿易は廃止されました。

 罪を赦されたジョン・ニュートンは自分の関わっていた悪に気づき、その悪を世の中からなくすことを心から願ったのです。

 イエス・キリストの十字架は人のすべての罪を赦すだけでなく、その人が罪から離れて更に正しい道に歩むことができるようにしてくれるのです。

 あなたもこの素晴らしい恵みであるイエス・キリストの十字架による救いを受け取ってください。

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■悔い改めとは / 岩井基雄

2013年09月20日 | Weblog
2013/9/20放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「悔い改め」についてです。

 「悔いる」ということばと「改める」ということばが一つになっているこのことばは、キリスト教会の中で良く用いられますが、なかなか難しい内容を伴っています。それは私たちは「悔いる」ことはことはできてもなかなか「改める」ということができないからですね。しかしこのことばは本来「方向転換をする」という意味を持っているのです。つまり、神様に背を向けて歩むことは、いわゆる闇に向かって歩んでいるようなものだということを認めて、神様・光に向かって方向転換することだ、とも言えるでしょう。それは神様に背を向けて闇に向かっていた自己中心的な罪を認めて、神様の方に向かい、神の光の中に自分を置くということなのです。聖書はこう語っています。

 「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」 
 新約聖書 ルカの福音書15章10節

 このルカの福音書15章にはイエス・キリストにある三つの喩え話が続いています。それは100匹の羊をもっていた羊飼いが迷い出た一匹の羊を探し出す話。そして10枚で1セットだった銀貨の中から失われた1枚が捜し出されていくお話。更に、父のもとを離れて全財産を使い果たし、落ちぶれて帰ってきた放蕩息子を父親の方から走り寄って汚いままの息子を抱きしめ、迎えるというあの喩え話。そこには自ら迷い出たり失われたりする愚かさを抱えた存在を探し出し、汚いまま愛し、受け入れてくださる神様の豊かな愛の姿が中心として描かれているのです。

 ですから「悔い改め」ということは自分の汚さや愚かさを認めて神様の愛と神様に見出される必要がある存在だということに気が付くことから始まっていきます。そして神様の愛は私たちに罪から離れさせ、変えられていくという力を与えるのです。

 聖書のことば
 「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
 新約聖書 使徒の働き3章19節

 あなたも自分の愚かさを認め、方向転換をして神に向かう者、神に立ち帰る者とされていきませんか?

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■主が頭上に返される / 福井 誠

2013年09月19日 | Weblog
2013/9/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主が頭上に返される」です。それでは第1サムエル記25章39節から読んでみましょう。

 「私がナバルの手から受けたそしりに報復し、このしもべが悪を行なうのを引き止めてくださった主が、ほめたたえられますように。

 ダビデは次第に多くの従者を従え、やがてその数は600人となりました。彼はそうしたたくさんの必要を満たすために何かをしなくてはなりませんでした。そこでダビデはかつてナバルという人物を助けたことを思い出すのです。裕福な農夫であるナバルが近くにいる事を聞いて、自分の部下を遣わして少しの報酬を求めたのです。ところがナバルはダビデを逃亡した奴隷と呼び、相手にしませんでした。

 恩を仇で返されたダビデは、400人の部下に剣をつけさせ、ナバルどころか一家を皆殺しにするために出かけていきます。先週は執拗にいのちを狙うサウルを、神を愛するがゆえに手を下さなかったダビデの素晴らしい人柄を見ました。今週はその直後の話であるのに人間として粗暴な罪の心をそのままさらけ出しているダビデを見る思いですねえ。自制心の一かけらもなくナバルのわずかな侮辱のことばで怒り狂っているのです。結局人間というのは弱い者なのだなあと思わされるところですね。

 日々神に刻々一瞬一瞬、寄り頼んで生きることがなければ愚かな生まれつきのままの欲望に振り回されてしまう、それが人間なのですね。どんなに素晴らしい霊的な勝利、きよめられた経験をしたとしてもそれは永続的なものではなく過去のものです。私たちの勝利はその時々の勝利に過ぎないのです。一度勝利したらあとはずっと勝利のままということはあり得ません。いつでも自分の心を見張り、自分の心が守られるように祈り、神に寄り頼み、支えられていく。一歩いっぽ神と共に歩むことが必要だという訳ですね。

 幸いダビデはナバルの妻アビガイルの機転によって愚かな復讐を果たすことから守られました。ダビデは神の守りを受けたと告白しています。

 私たち人間は弱い者であり、慢心し易いものです。日々主に寄り頼んで心の品位を失わずに歩みたいものですね。

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