♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■娘の誕生の痛みから / 岩井基雄

2011年09月30日 | Weblog
2011/9/30放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 新潟県長岡市で布作家として活躍されている細貝典子さんが以前、キリスト教のテレビ番組『ライフ・ライン』で紹介されました。この細貝さんの初めてのお子さんの桃子さんが600グラムという小ささで誕生し障碍を持って生まれた時の心境はまるで谷底に突き落とされたかのようだったそうです。治療のため約二年間自宅に戻ることができず、そのような状況で周りには理解してくれる人も同じ境遇の人もなく、深い絶望を味わったそうです。しかし細貝さんは不思議な導きで聖書が語る神様と出会い、死を越える希望を見出し、たとえ桃子さんが亡くなっても、もう一度会えるチャンスがあるということを知ったのです。

 聖書の中に次のようなことばがあります。
 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。----主の御告げ。----それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
 旧約聖書エレミヤ書29章11節 

 神様の計画は不思議です。しばしば私たちは自分だけが災いの中に置かれているような思いに陥ります。しかし聖書が語る神様はそのような悲しみや苦しみの中でこそあなたを本当の平安と希望へと招いてくださることができる、というのです。

 細貝さんの作品は倉庫に眠っていたむような布や様々な国のとてもユニークな布を使ったすてきな作品です。誰にも見い出されなかった布に新しい命を与え、人々をゆったりと包み、くつろがせる作品を生み出しておられます。神様から受けた愛と恵みをそのまんま作品として届けていらっしゅるかのようですね。そして今23歳になる桃子さんと一緒に神様を賛美していらっしゃいます。

 あなたが今どのように失望し自分だけが見捨てられていると感じていたとしても、そこには必ずあなたに本当の平安と希望を与えようとする神様の不思議な計画があります。その平安は何によっても奪われることがありません。まことの平安と希望を受け取るために教会にいらっしゃいませんか。あなたを愛し、あなたを待っていてくださる神様は、あなたの失望を豊かな希望へと変えてくださるからです。あなたの人生が本当の豊かさと恵みと平安に包まれることを私たちは心からお祈りしています。

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2011.9.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■み心を行う / 福井 誠

2011年09月29日 | Weblog
2011/9/29放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「み心を行う」です。それではマタイの福音書7章21節から読んでみましょう。

 「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

 イエス様はご自分を信じるだけではだめで、ちゃんと天におられる父の御心を行うことが大切であると言われました。聖書を読んでいて「イエス様はいいことを言っている」だけではだめなのです。「イエス様は天国に連れて行って来れるのかあ、ありがたいなあ」と信じるだけでもだめです。ちゃんと父の御心を行わなくてはなりません。それは日々聖書を開き、語られていることをよく理解し、それに従って歩むことです。

 前回は「狭い門から入りなさい」とお話ししましたが、イエス様を信じてもイエス様のことばに耳をかさずイエス様に従って歩もうとしない人は、狭い門をくぐっても奥に続く狭い道を覗きながら立ちどまっているようなものです。

 以前病院で働いていた時のことですが、ある患者さんが脳卒中の治療では有名な病院なのできっと自分も不自由な身体が治って歩けるようになると思って入院してきました。ところが、その患者さんは入院すると、あとは治るのを待つだけだとリハビリの訓練を嫌がってべッドに寝ているだけの生活を始めてしまいました。障碍を克服できなかったのは言うまでもありません。病院を退院するときには全く治っていない自分に愕然とせざるを得なかったのです。

 イエス様はただ自分の名を呼び求めるだけではだめだ。ちゃんと自分のことばを聞いてそれを行いなさいと命じます。それは私たちの救いのためになるからです。私たちの新しい人生を形づくるのは、まさに神のことばです。神のことばに心を留めて私たちが歩む時に私たちの人生が新しくされていきます。毎日聖書を開き、神様が何を語っておられるのかをよくよく理解するようにしましょう。そして神様が勧めておられることをしっかりと行うものでありましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.9.29放送でのお話より )

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■怒っても、罪を犯すな / 板倉邦雄

2011年09月28日 | Weblog
2011/9/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「怒っても罪を犯すな」という題で兄弟バトルについてお話ししましょう。旧約聖書の創世記4章の続きです。

 兄弟バトルのきっかけは二人の、神様への捧げ物でした。二人の捧げ物に対して主なる神様は全く正反対の態度を取られたのです。

 まず兄カインは地の作物を捧げ物として持ってきました。農業をする彼にとっては当然です。他方、弟アベルは羊飼いでしたので羊の初子、「しかも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。」(創世記 4章4節参照)と書いてあります。神様は弟アベルとその捧げ物に目を留めます。しかし兄カインとその捧げ物には目を留めなかったのです。

 理由は捧げ物ではなく捧げる人の姿勢にあったようですね。弟アベルは「最良のものを、しかも自分自身で持ってきた」と書いてあります。神様の求めておられるのは供物ではなく供物をする私たちの信仰の心でしょう。「信仰によってアベルはカインよりも優ったいけにえを神に捧げ、信仰によって義なる者と認められました」とヘブル書の11章の4節にあります。ところが兄カインには感謝とへりくだり、神様と共に生きようとする信仰の心がなかったようですねえ。

 さて兄カインは「神は不公平だ」と頭にカッと来て怒り、神の視線に顔を伏せます。悪いことをした子供が親の前で顔を伏せるのに似ています。主なる神はカインに優しく諭します。「なぜあなたは憤っているのか。なぜ顔を伏せるのか。正しく行ったのであれば、まっすぐ立っておればいいでしょう。正しくないなら罪は戸口で待ち伏せしてあなたを恋い慕っている。」 聖書のことばが迫ってきます。「怒っても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」 エペソ人への手紙の4章の26節から27節

 怒りと憤りをため込むとどうなるでしょう。妬みや嫉妬に狂うとどうなるでしょうか。憤ったらその日のうちにガス抜きが必要です。

 ( PBA制作「世の光」2011.9.28放送でのお話より )

 


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■祝福の受け取り方 /山中直義

2011年09月27日 | Weblog
2011/9/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

「神様の祝福があなたに豊かにありますように。」 結婚式などでよく耳にすることばですよね。神様に祝福されている人は本当に幸いだ、と聖書は教えています。

 ところでこの神様の祝福にはそれに相応しい受け取り方があると聖書は言います。旧約聖書 創世記27章28章には間違った祝福の求め方をして大変な目にあった4人の家族の姿があります。父親のイサク、その妻リベカ、そして彼らの兄弟エサウとヤコブの物語です。

 父イサクが年老いた時、彼は自分が受けてきた神の祝福を次の世代に継承しようと考えました。ですがこのときイサクは日頃から神様をないがしろにしていた長男エサウにそれを与えようとしてしまいました。それを見ていた妻のリベカと次男のヤコブは、エサウは神の祝福にはふさわしくないと考え、何とかしてその祝福を横取りしようと策略を巡らしたのです。そして年老いて目が殆ど見えなくなっていた父イサクを巧妙に欺いて、とうとう祝福を奪いとってしまったのでした。

 さてこの家族、本当に幸せになれたでしょうか。いやとんでもありません。神様を無視し、好き勝手に生き、人をだまし傷付けてでも祝福を奪い取ろうとする彼らは皆、祝福とは正反対の惨めさ、憎しみ、絶望を味わうことになってしまいました。

 一体どうすれば神様の祝福を受け取ることができるのでしょうか。実はこの祝福ということばには「膝を屈める」という意味があります。欲にかられて必死に勝ち取るということではなく、神様を信頼し、膝を屈め身を低くして待ち望む。そんな人にこそ神の祝福は豊かに注がれるのだと聖書は教えています。神様はあなたを祝福することを切に願っておられます。あなたもぜひ神様を信頼し、神様を待ち望んで神様の豊かな祝福を受け取ってください。

 聖書のことば
 「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
       旧約聖書詩篇33篇18節

    (PBA制作「世の光」2011.9.27放送でのお話しより )

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■患難が希望を / 関根弘興

2011年09月26日 | Weblog
2011/9/26放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
 今日は最初に新約聖書ローマ人への手紙5章の3節から5節のことばをお読みします。

 「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

 この手紙を書いたのはパウロという人物です。彼は以前激しくクリスチャンたちを迫害していた男でした。しかしそんな彼が後に回心し、クリスチャンとなり、今度は世界中に福音を伝える伝道者となってくんですね。そして彼は幾多の困難を乗り越えながら何とかしてローマに行って福音を伝えたいと願っていました。そんな彼がローマの教会の信徒たちにあてた手紙の中で、イエス・キリストと出会いイエス・キリストと共に歩んで行く人生は患難さえも喜ぶことができる生涯なんだ、と語っているんです。なぜなら患難が忍耐を生み出し、忍耐が品性を生み出し、品性が希望を生むのだ、ということ彼は知っているからだ、と力強く書いているんですね。

 考えてみれば苦しみや悲しみのない人生などはありません。どんな人もその度合いは違っても患難を経験します。苦しみ痛みを経験するものです。そのとき世を恨み、人々を憎み、不条理を嘆き、生きて行くこともまた人生です。でもパウロはイエス・キリストを信頼し生きる人生は患難が忍耐を、忍耐が品性を、品性が希望を、そして決して失望に終わることのない人生。その人生をイエス・キリストは与えてくださるんだ、と教えているんですね。

 患難を喜ぶというのは、患難の中にあって悲しみや苦しみ、どうすることもできないもどかしい思いの中にあって私たちの人生に忍耐を育み支え、大きな大きな愛を包んでくださる神様がおられるのだと勇気を持って告白しつつ歩んで行くことなんですね。人生で最も大切なことを学ぶときは順風万帆な華やかな時ではありません。挫折、痛み、苦しみ、人生の患難と思われる、そんな時こそ最も大切なことを人は学んでいくんです。繰り返しますがイエス・キリストを信じ生きるということは艱難が決して失望に終わることがないという生涯。そのような生涯を与えると聖書は約束します。

 イエス様を信じて歩んでください。失望に終わらない人生をイエス・キリストはあなたに約束しているんですから。
 
 (PBA制作「世の光」2011.9.26放送でのお話しより)

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■災いの中で ヨブの信仰告白 / 羽鳥頼和

2011年09月24日 | Weblog
2011/9/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。
 悪いことをしていないのに突然の災害や不幸に遭う、という不条理としか思えないことは私たちにとって大きな問題ではないでしょうか。そんな突然の災難に出会った人が聖書に登場します。それがヨブという人です。

 彼はお金持ちで、10人の子供に恵まれていました。そして、彼は信仰深く悪いことはしてなかった、と聖書は記しています。そんなヨブに災難が降りかかりました。彼の持っている牧場が外国人に襲われて家畜が奪われたり殺されてしまいました。それだけではありません。彼の最愛の子供たちが全員大風によって倒れた家の下敷きになって死んでしまったのです。余りにも突然の悲劇にヨブは悲しみながら地にひれ伏して神様に祈りました。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」 (ヨブ記 1章21節)

 このことばにヨブの信仰が表わされています。ヨブはこんな悲惨な目に遭いながら神様のこと覚えながら考えたのです。

 自分が生まれた時、自分は裸だったのだから、また裸になっても何の不思議もない。自分はもともと何も持っていないのだから。自分の持っているものは財産も子供たちも全部神様が与えてくださったものだ。すべては神様のものなのだから神様がそれを取られることもあるのだ。神様こそ私の大切なお方。私は神様を賛美します。

 ヨブはそのように考えて神に愚痴をこぼしませんでした。悲しみの中でヨブはなぜこのように言う事ができたのでしょうか。

 ヨブは神様がすべてのものを与えてくださるお方であることを知っていました。それだけでなく神様こそまことの主権、権威、権力を持っておられる絶対なるお方であることを認めていたのです。それで「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記 1章21節)と言うことができたのです。

 この後もヨブは様々な試練を受けることになります。立派な信仰を持っていたヨブも落胆してしまいます。しかし神様はヨブを見捨てず、神様のことを教え、彼を救ってくださいました。そのようにしてヨブはもっと神様を知ることになるのです。

 まことの神様を知るために、あなたもぜひキリスト教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.9.24放送でのお話より )

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■あなたの存在を愛される方 / 岩井基雄

2011年09月23日 | Weblog
2011/9/23放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 最初に、ラッセル・ケルファーさんが記された一つの詩をお読みします。


  あなたはある理由のために存在しています。

  あなたは細かく精密な計画の一部を担っている存在です。
  あなたは尊い存在であり、
  しかもこの世に二つとないデザインて造られ、
  神の前にかけがえのない女性あるいは男性と呼ばれています。

  あなたが今の姿でいるのには理由があります。

  私たちの神に失敗はあり得ません。
  神はあなたを母の胎の中で育まれました。
  あなたは神が望まれた通りの姿をしているのです。
  あなたは神が望まれた通りにデザインされ、
  主の証印を捺されているのです。

  あなたが受けたあの心の傷は決して軽くはありませんでした。
  しかし、あなたがその傷に苦しむたびに
  神も涙を流しておられました。
  やがてそれはあなたの心の糧となり、
  あなたは成長して、神に似たものとされました。

  あなたがあなたであるのには理由があります。

  あなたは主の鞭によって整えられてきました。
  あなたはありのままで愛されています。

  そのような神がおられるのです。


 すてきな詩ですよねえ。多くの人が自分の存在の意味を求めています。存在の意味さえ分かれば、そして理由さえ分かれば遭遇している苦難に耐えられるからです。多くの方が心に様々な傷を負って歩んでいます。あなたはいかがでしょうか。アメリカ・テキサス州にあるウェイサイド・チャペルで多くの人に聖書を教えておられるラッセル・ケルファーさんもそんな痛みや傷を負った人々に聖書が語る神様の愛を伝えていらっしゃるのですね。

 この詩の背景には次の聖書のことばがあるようです。

 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。・・・恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。
  旧約聖書イザヤ書43章4節、5節 

 あなたの存在の原点は神の愛です。そしてあなたは愛され、神様はあなたと共に苦しみ、あなたを命がけで愛していらっしゃるのです。あなたもこの神様の愛に生かされ、本来のあなたが輝く人生を歩み出しませんか?

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2011.9.23放送でのお話しより)

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■狭い門から入りなさい / 福井 誠

2011年09月22日 | Weblog
2011/9/22放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「狭い門から入りなさい」です。それではマタイの福音書7章13節から読んでみましょう。

 「 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。 」 (マタイ 7章13節、14節)


 多摩川の教会は正面玄関に二つの扉があります。観音扉になっている大きな扉とその脇にある小さな扉です。観音扉の方はいつも鍵がかかっていて脇の扉だけが開いています。不思議なことに、大体初めて来る方は正面にある大きな観音扉の方から入ってこようとします。鍵がかかっているので、教会は閉まっていると勘違いする人もいます。脇の扉が開けっ放しになっていても気づかない人がいるのです。不思議だなあと思いながら思い出すのはこの聖書のことばですね。対照的なことばに気をつけて読んでみましょう。

 滅びに至る大きな門と命に至るたる小さな門。
 滅びに至る広い道と命に至る狭い道。
 滅びに至る門から入る者は多くて、命に至る門を見い出す者は稀である。

 まあ大きな門も広い道も入りやすい道、行きやすい道ですね。また見ながら選ぶ道でしょう。誰でも優しい方を受けるものです。誰でも行動を共にする者が多い道を選びます。私たちにとって安心だからですね。しかしそれは偽りの安心感だったりします。戦中に全体主義の不幸を味わった日本人にはよく分ることではないでしょうか。皆が良しとする道は必ずしも良い結果になるとは限らないものです。

 聖書は小さな門、狭い道を進むように勧めています。それはイエス様が別の所で「 わたしは門です。 」(ヨハネ 10章9節)と語っているように具体的にイエス様を信じ、そのおことばに従っていくことです。

 イエス様について行って幸せになれるのかなあ。そう思う人はいませんか? イエス様はこう約束しています。「 だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。 」(ヨハネ 10章9節) イエス様の約束を信じて従って参りましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.9.22放送でのお話より )

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■子供の誕生と成長 / 板倉邦雄

2011年09月21日 | Weblog
2011/9/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「子供の誕生と成長」という題でお話しします。結婚して子供の誕生は夫婦にとっても家族にとっても嬉しく楽しいものです。生まれる前から、男の子か女の子か、名前は何にしようか、と考えますねえ。

 さてアダムとエバ夫婦にも子供が生まれ、成長します。旧約聖書の創世記4章に入りましょう。まず「夫アダムはその妻を知った」(創世記 4章 25節参照)とあります。妻は身ごもり、男の子を生みました。妻は苦痛の出産の際、思わず叫びます。「私は主なる神によって一人の人を得た」(創世記 4章 1節参照) 苦しい出産ですが、主なる神様への感謝と喜びが伝わってきますね。女性のエバは母となった時、「私は主なる神様によって人を得た」と喜びました。子供は神様からの授かりもので自分の所有ではありません。「我が子を得た」ではなく「人を得た」と言っていますねえ。カインとは「私は得た」という意味なのです。

 さて次にエバは弟アベルを産みました。アベルの意味は「はかないもの」という意味です。弟アベルの生涯は、はかなく消える水蒸気のような一生でしたねえ。

  アダムとエバ夫婦には他にも沢山の子供たちが生まれます。アダムは930年の生涯でした。「アダムは・・・息子、娘たちを産んだ」(創世記 5章 4節)とあります。この4章は中心的なカインとアベル兄弟を取り上げているのです。

 さて最後に兄弟二人の成長を見ましょう。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となりました。兄のカインは父と同じ土を耕す農業を営みます。長男は父親の家業を継ぐのでしょうか。弟アベルは羊や山羊を飼う牧畜業を営むことになります。

 両方の職業は人として立派な仕事です。世の始めから職業にいい職業とか悪い職業とかというものはありません。働くとは人が動くと書きますね。「人が動くことによって傍(はた)を楽にするから『働く』」と言った人がいます。私たちはこの世に生まれ、親兄弟のもとで育って、一人前の労働者となってゆくのです。そのことを神様は私たちに望んでいるのです。

 ( PBA制作「世の光」2011.9.21放送でのお話より )

 ※創世記2章15節によると、神様は、助け手エバを造る前に最初の人アダムにエデンの園を耕させて園を守らせています。そこからすれば、労働そのものは人が失楽園を経験する前からのものであると言えます。ただ、失楽園以後は労働の意味が変わってしまったと言えます。



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■一番大切なもの / 山中直義

2011年09月20日 | Weblog
2011/9/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。一番大切なものとは何でしょうか。旧約聖書創世記25章に、ある兄弟の物語があります。長男はエサウ、弟はヤコブと言いました。この兄エサウが狩りから帰ってきた時の出来事をお読みいたします。

 さて、(弟の)ヤコブが煮物を煮ているとき、(兄の)エサウが飢え疲れて野から帰ってきた。エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。」 するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。」と言った。エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。」と言った。それでヤコブは、「まず、私に誓いなさい。」と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。


 一番大切ではないものに心を奪われて一番大切な物をないがしろにしてしまう。この物語は私たちが持つそんな愚かさを示しています。ここに登場している長子の権利というものは神様の祝福に繋がるもの、大切にすべきものでした。ですがこの兄のエサウは目の前の煮物、はかなくむなしいものに目と心を奪われそれを捨ててしまったというのです。さて私たちはどうでしょうか。この世には沢山の大切なものがありますが、それらの地位や名誉や財産に心を奪われて一番大切な物をないがしろにしてはいないでしょうか。

 一番大切な物それは私たちを何よりも大切にしてくださる神様だと聖書は言います。その神様を重んじ、神様を一番大切にして歩む時、私たちは本当に満ち足り、幸いな人生を歩むようになると聖書は言うのです。一番大切な物をどうかあなたも一番大切にしてくださいますように。


 聖書のことば

 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。   新約聖書 マタイの福音書6章33節

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