♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■義人の祈り

2010年01月30日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。 私たちの罪が赦され、私たちの魂が癒されるために、一体何が必要とされているのでしょうか。 新約聖書ヤコブの手紙5章16節にこんなことばがあります。 

 「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

 罪が赦され魂が癒されるために、ここでは二つのことが教えられます。 まず大切なのは罪が言い表されること。 そのようにして罪が明らかにされることだと言えます。 自分の罪が何なのか、それを告白することなしには罪の赦しを得ることはできません。

 次に大切なことは祈ること、即ち赦しを求めて神様に祈ることだと教えられています。 自分の罪を告白し、赦しを求めて神様に祈る。 それが罪の赦し、魂の癒しに必要なことである、と聖書は教えます。 

 更に聖書はここでそのような罪の赦しが実現するために、義人・義しい人の祈りが大きな力になるということを教えています。 人に罪を気づかせ、人を神への祈りに向かわせるもの。 それこそが義人の祈りである、と聖書は言います。 

 究極の義人とも言えるイエス・キリストは、まさにそのような祈りを捧げたお方でした。 罪人たちの手によって十字架に架けられた時、イエス・キリストは次のように祈られました。 
父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカの福音書 23章34節)

 この祈りを通してイエス様は私たちが自分の罪にさえ気づいていないということと、神様はそんな私たちをも赦そうとしておられるということを、明らかに示してくださいました。 

 イエス・キリストの十字架、そしてあの祈りは私たちに罪を示し、私たちを神への祈りに向かわせる義人の祈りであったと言えます。 

 「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブの手紙 5章16節)

 イエス様の十字架の祈りにあなたがしっかりと心を留めるなら、あなたにも罪の赦し、魂の癒しが必ず与えられます。 

(PBA制作「世の光」2010.1.30放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

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  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
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■義の道に導かれる

2010年01月29日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。 

今日も先週に引き続き、詩篇23篇の3節です。 お読みします。

 「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

 この後半を今日は御一緒に考えてみましょう。 「御名のために、私を義の道に導かれます。」です。

 羊は導きがないと生きていけません。 なぜなら羊は同じ場所で草を食べ続け、草の根までも食べ尽くすので、羊飼いが別の草地に導かないと土地が荒れ、排泄物で汚して病原菌やばい菌の温床となるのだそうです。 羊は新しい所へと正しく導かれる必要がありますが、羊にはどこにいけば良いのか分りません。 羊は自分のことが分らず、その場しのぎの歩みになってしまいます。

 それは私たちも同様ではないでしょうか。 本当の羊飼いだけが羊たちをそして私たちを導くことができるのです。 私たちはこの羊たちと同様に頑固であり、正しい道に導かれることに対して反抗し、助言を拒んだりします。 自分が良いと思うことに固執してしまうのです。 また私たちは自分の罪によって陥った過ちをも変えることができず、そこに留まり、もっと問題を広げてしまうこともあるのです。 

 この詩篇の作者ダビデも自らの欲望に振り回され、取りかえしのつかない過ちを犯しました。 王の立場を利用して自分の部下の妻を奪い、その夫を死へと追いやったのです。 それは許されないことでした。 しかし後に彼は神の前に自らの過ちを認め、悔い改め、義の道へと戻されたのです。 もちろん彼がその後失敗をしなかったのではありません。 しかし失敗を認める、罪を認める勇気を持ち、義の道へと導かれる歩みへと進み続けたのです。

 あなたはいかがでしょうか。 神様はあなたをも義の道へ導こうとされています。 罪を認め、悔い改めることは勇気の要ることです。 しかしそこにこそ本当にあなたを変え、平安と喜びへと導く唯一の道があるのです。 

 義の道へ導いてください、と共に祈るものとされましょう。 

 「御名のために、私を義の道に導かれます。

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2010.1.29放送でのお話しより)


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■恐れ退かない

2010年01月28日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「恐れ退かない」です。 それでは聖書の中のヘブル人への手紙10章39節から読んでみましょう。

 「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」ヘブル人への手紙10章39節

 このヘブル人への手紙10章は読者に対する励ましのことばで満ちています。 いったいこの手紙を受け取った最初の人々はどんな試練にあったのか興味深い所ですね。

 それまでキリスト教会にあった迫害と言えば、33年頃のキリストの弟子ステパノの処刑の直後に生じた迫害、44年、ヘロデ・アグリッパのもとでヤコブが斬首された時の迫害、更に62年、大祭司アンナス2世のもとで義人と呼ばれたヤコブが石打ちの刑に追い詰められた事件、そして64年、ローマ皇帝ネロの治世下における大迫害がありました。 それらは歴史的にことに記憶された出来事であって、実際に細かく調べてみると、いろいろな困難があったようです。 ユダヤ人は49年頃、クラウデオ皇帝のもと、首都ローマから追放され略奪されたという出来事もありますし、その際にユダヤ人に対する様々な暴力や不法行為がまかれ通ったとも考えられています。

 ともあれ、この手紙を受け取った読者はどの時代の人々であるかということは特定しがたいのですが、彼らが厳しい苦難に耐えたというそういう時代がありました。 そしてその中で、先週もお話ししたように信仰の試練に耐えることができずキリスト者の群れから離れていく者、信仰を投げ捨ててしまう者がいたようです。

 けれども、ヘブル人への手紙の著者は、信仰の確信を投げ捨ててはいけないし、それは確かに大きな報いを受けるものである、と強調すると同時に、自分のいのちを守ることに汲々としてはいけない。 むしろ及び腰になるのではなくて、大胆に神に委ねきっていこう。 神を信じて神の力を味わう者となろう、と言うのです。

 どうでしょうか。 私たちは恐れのある時に尻込みをして先に進めなくなるものでしょう。 しかし私たちを守る方は力ある方です。勝利を与えてくださる神を信じましょう。 そして恐れる心を平安に満ちた心に変えていただきたいものです。  

  (PBA制作「世の光」2010.1.28放送でのお話しより)

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■告発と裁判

2010年01月27日 | Weblog

世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。 

 今日は「告発と裁判」という題でお話ししましょう。 旧約聖書のネヘミヤ記の続きです。

 さて、暴利を貪る金持ちたちが告発されました。 畑や家を抵当に取って同胞から金を巻き上げていたのです。

 この告発と抗議を聞いて、知事ネヘミヤは考えた後、裕福な官僚たちを厳しく責めることにしました。 「一体、君たちのやっていることは何だね。 人助けという名目で抵当を取って金を貸すとはよくできたものだ。」

 それから彼らの処分を巡って裁判を開いたのです。 その法廷で知事ネヘミヤは彼らを告発しました。 「私たちはみな遠い国での捕囚生活から引き揚げてきた者たちを援助しようと、できるだけのことをしてきた。 それにもかかわらず、お前たちは無理やり彼らを奴隷生活に戻そうとしている。」

 金持ちの官僚たちは一言も返すことばがありませんでした。 知事は続けました。 「君たちのしていることは非常に恐ろしいことだ。 一体、神様を恐れる気持ちがあるのか。 他の者は誰も同胞には利子も取らずに、金や穀物を貸してやっているんだぞ。 こんな高利貸しみたいな真似は止めてくれ。 畑、ぶどう園、家、抵当に取ったものを返し、証文を破ってやってくれないか。」

 彼らはうなずき、「同胞を助ける。」と約束しました。 そして約束を実行に移したのです。

 ところで現代も一部の人だけが利益と私欲を満たしている格差社会になりつつありますね。 そして貧しい人はますます貧しくなる時代になってきたと思いませんか?

 そのような社会と世界を神様は喜んではいません。 このような時代に大切なことは何でしょう。 まず、勇気のある告発と公平な裁判、そして告発を取り上げる指導者たちの存在です。 この三つのことが私たちの世の中でも正しく機能していくように祈り求めてまいりましょう。 告発者が守られますように、地方の知事が勇気ある行動を持てますように、公平と正義の裁判が行われますように、祈り願ってまいりましょう。 

 聖書のことばです。 二つ紹介します。 

 「正しい者の受ける賃銀は命に導き、悪しき者の利得は罪に至る。 」 箴言10章16節 (口語訳聖書)

 「正義は国を高くし、罪は民をはずかしめる。」 箴言14章34節 (口語訳聖書)

  ( PBA制作「世の光」2010.1.27放送でのお話より )

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■天からのしるし

2010年01月26日 | Weblog

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。 

 新約聖書の福音書を読みますと、イエス・キリストが行われたたくさんの奇跡が記されています。 病む人を癒したり、嵐を静められたり、大勢の人にパンを分け与えたり。 ま、イエス様は御自分が救い主であることを示すために、たくさんの奇跡を行いました。

 しかし当時の宗教家たちはイエス様に批判の目を向けて行ったんですね。 ある時彼らはこう言っていました。 「イエスよ、私たちの前で天のしるしを見せてください。」 ま、要するに、目を見張るような奇跡を見せてくれ、と言ってきたんですね。

 しかし彼らは実際にイエス様が病人を癒されたのを目撃していましたし、ほんの少しのパンを用いて何千人の人たちにパンを分け与えた食事の奇跡も知っていました。 ところが彼らはその奇跡を見ても、「どうせイエスは悪魔の親分だ。だから自分の子分を追い出して病気を癒しただけだろう。」と言ったんです。 彼らは実際に奇跡を見ても、的外れなことを主張するだけでした。 彼らは何を見ても悟ろうとしなかったんですね。

 どうでしょうねえ、見たら信じる、という人は今でもたくさんいますよね。 ところが実際にイエス様によって変えられた人を見ると、いやあそれは偶然でしょう。 それはイエス・キリストの働きではなく何か別の働きですよ、と反応し、イエス様の働きを素直に認めようとしないということが時々あるんですね。 とても残念なことです。 

 でも逆に、小さな小さな出来事の中にイエス様の癒しを見、イエス様の働きを見ることができる人は何と幸いなことでしょう。 朝、降り注ぐ太陽を見て、神様の偉大さを知ることができる人生は何と豊かな人生でしょう。 夕方、赤く染める夕日を眺め、神様の恵みを知ることのできる人は何と麗しい人生でしょう。 小さな愛のわざの中に主の働きを見ることのできる人生は美しいと思いませんか? 

 こんな詩がありました。

「 人は神にしるしを求めた
  日毎に太陽は真珠色の中に昇り 真紅の中に沈む
  夜毎に星ぼしは輝かしい装いで現われ
  朝毎に乾いた草は露に覆われ
  小麦もぶどうも実りを忘れない

  にもかかわらず彼は何のしるしも見なかった   」

 あなたもしるしを見ることができないと考えているかもしれませんね。 しかし日常の小さな出来事の中に神様のしるしは現わされていることをぜひ知ってください。 イエス様の恵みは毎日まいにちあなたの人生に降り注いでいるのですから。 

 (PBA制作「世の光」2010.1.26放送でのお話しより)

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■神への賛美を授けられ

2010年01月25日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 あのー、讃美歌の中にですね「歌いつつ歩まん 歌いつつ歩まん この世の旅路を」というのがあるんですけれども、ずっと子どもの頃から聞いて育ったということもありますが、この歌がよく心の中からこう湧いてくるような思いで歌うことがあるんですねえ。 で、みなさんはどうか分りませんけれど私は朝起きると、本当に心の中からこう讃美歌が生まれてきてですね、しらずしらずのうちに讃美歌を歌いながら洋服を着替えたりとかですね、そんなふうにあって、本当にこういつも心の中に讃美があって歌が心の中にある生活っていうのは嬉しいなあ、ってそう思うんですねえ。 

 聖書の中に、「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。」(詩篇 40篇3節)っていうことばがあるんですねえ。 

 で、(新しい)歌を歌うっていうのは、声がいいとかうまいとかなんとかというようなことではなくって、そしてまた誰も歌ったことのないような新しい歌をいつも歌ってるとかそういうような意味でもなくって、この所では「われらの神への賛美を授けられた。」というこのことばですねえ、神様に讃美する心を与えられて、そしてその歌が神をほめたたえる、神を賛美する。その時にほんとの心の内にですね、喜びがこう湧いてくるんですねえ。

 で、もともと私たちはそういうふうに歌が歌えるようになっていたのではなくって、前にこういう歌があるんですけれども、「罪にたたれてあった心の糸も 君の手につながれて響き始めた」(「罪に断たれありし心の糸も 君の手に繋がれ響き始めぬ いかなる日も我をして 歌わしむる御名の尊さ」)っていう歌があってですね、私はこの歌が大好きで、そうだなあって、前は神様を賛美する心の糸がぷっつりと切れていた。 でもイエス様の手によって、その糸が繋がれて神を賛美することができるようになった。 苦しい時もあるし、悲しい時もあるし、孤独を感ずる時、でもそういう中でもそれに相応しい歌が神様によって与えられていく、また歌うことができるということはですね、本当に力なんですね。

 で、この所でも、「私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。」(詩篇 40篇2節)っていうことばがその前にあって、そして「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。」(詩篇 40篇3節) 私たちの生活に神様による新しいいのちが与えられるときに、私たちの心の中に、私たちの口に賛美のそういう歌を神様は与えてくださるという、そういう生活って素晴しいな、ってそう思いませんでしょうか。 

 ( PBA制作「世の光」2010.1.25放送でのお話しより)

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■意外なことば(2)

2010年01月23日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 愛のない人が愛に満ちた人に変えられていく。 一体どうすればそんな奇跡が実現するのでしょうか。 新約聖書マルコの福音書7章27節に、イエス様が語られたこんなことばがあります。 
 「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。

 十分に満ち足りて満腹させられた子どもたちは小犬にパンを分け与えるようになる。 だから大切なのは子どもたちからパンを取り上げることではなく、子どもたちに十分に満ち足らせることだ。

 この教えには、愛のない人を愛に満ちた人に造り変えるイエス様のやり方が示されていると言えます。 イエス様はこの教えを御自分の弟子たちに聞かせるために語られました。

 イエス様の弟子たちはみなユダヤ人でしたが、当時のユダヤ人はユダヤ人ではない人々すなわち異邦人を軽蔑し、関わりを持つことを拒んでいました。 そしてイエス様の弟子たちもまた最初は異邦人を愛そうとせず、異邦人に神様の恵みを分かち合おうとしない者たちであったと聖書は伝えています。

 民族的な偏見に縛られ、異邦人を愛することができなかった弟子たち。 そんな彼らをどのようにして愛に満ちた者に造り変えていくのか。 イエス様が選ばれた方法、それは彼らを愛で満ち足らせること。 分かち合わずにはいられないほどの愛で満ち足らせることでした。 かつて彼らは異邦人を愛することができませんでしたが、イエス様と出会うことによって、そしてイエス様にどれほど深く愛されているのかを知らされることによって、彼らは内側から造り変えられていきました。 特にイエス様の十字架の愛、どうしようもない罪人に対するあまりにも深い赦しの愛を体験することによって彼らは愛の人へと造り変えられていったのでした。

 愛のない人が愛に満ちた人に変えられていく。 その奇跡は驚くほどの神様の愛、どこまでも深いイエスキリストの十字架の愛に満たされる時、必ず実現していきます。 あなたを真に満ち足りた者に造り変える神様の愛、その神様の愛をあなたも受け取ってみてはいかがでしょうか。

(PBA制作「世の光」2010.1.23放送でのお話しより )


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■ たましいを生き返らせ

2010年01月22日 | Weblog

世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 

今日の詩篇は詩篇23篇3節です。 まずお読みします。 

 「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

 ここで、「生き返らせ」という表現が用いられているということは、この詩篇の作者は自らの死を意識し、魂の死・人生の滅びのような思いを抱えながら歩んでいた、ということではないでしょうか。 私たちもまた生きているのに死んでいるような思い、そして苦しみや悲しみがあまりにも深くてまるで死んでいるかのような状態を抱えながら歩んでいることがありますね。 あなたはいかがでしょうか。
 羊も羊飼いと一緒にいながらも元気がなくなることがあるそうです。 羊どうしでストレスを抱えることがあります。 また、病気がちの羊は倒れやすく、一度倒れると自分で起き上がることが難しいのだそうです。 そしてそのままにしておくと血液の流れが悪くなり、死に至ります。

 ですから羊飼いは常に羊たちが倒れていないだろうかと気を配り、倒れた羊を抱えて起こし、傍らにいて声をかけ、手でさすって励ますと、羊は次第に元気を取り戻していくのだそうです。

 私たちも失望や苦しみを抱え、元気を失うことがあります。 魂の死、心の滅びや死と同等の空しさや絶望を味わうことがあります。

 しかし、その苦しみをすべて知っていてくださり、駆け寄ってあなたを抱き、愛し、支えてくださる方がいらっしゃいます。 聖書の語る神様が、神のひとり子イエス・キリストが、どんな時にもあなたと共にいてあなたに力を与え、あなたの魂を生き返らせてくださるのです。

 この詩篇の記者ダビデも死の危険が幾度もありました。 彼を狙ったのは、自分がしもべとして仕える王サウロであったり、自分の子どもアブシャロムであったりしたのです。 それは自分の心が引き裂かれるような痛みを伴うことでした。

 しかし彼はそのような中で神に信頼し、神からの助け、慰めと力を受け取っていきました。 そして彼は歌います。 
主は私のたましいを生き返らせ」と。

 神の愛はあなたにも力を与え、命と潤いを与えるのです。

 それではまた聴いてください。

  (PBA制作「世の光」2010.1.22放送でのお話しより)


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■確信を投げ捨ててはいけない

2010年01月21日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「確信を投げ捨ててはいけない」です。 
 それでは聖書の中のヘブル人への手紙10章35節から読んでみましょう。 

 「あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。

 子どもの成長・発達を見ていると、信仰の成長・発達も同じようなものだなあと思う所があります。

 子どもが幼い頃というのは命に溢れている、そんな感じがしますねえ。 そして段々成長し思春期になると、懐疑的になり、反抗的になり、親を困らせることがあります。 そこをすっと何事もなく通り過ぎる子どもと、いささかガタガタしながらも乗り越えていく子どもと、そこでかなりぎくしゃくしてしまう子どもがいたりします。 思春期の問題というのは非常に複雑で、一言では片付けられない状況があると思いますが、誰もがそういう所を通らされて大人として成長していく訳ですねえ。 

 信仰も同じで、最初は命に溢れて神様の恵みに心喜び、何もかもが嬉しい、感謝である、そんな時期があるように思います。 ところが、信仰の歩みを続けていくうちに、少しづつ考えや思いが試されるようになって、いろいろな信仰者や世俗の社会に揉まれていく時期がきます。 そこをすっと何事もなく乗り越えていける人と、いささかガタガタしながらも乗り越えていく人がいるでしょう。 また、かなりぎくしゃくして、聖書を読むこと、教会に行くことがぱったりと止まってしまう人もいるでしょう。 人それぞれ課題は違うことでしょうし、簡単に一言ではすまぬ様々な事情があると思うのですが、ヘブルの著者は言います。 

 「あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。

 キリストにあって救われている、神との平和を得ている、という確信。 それは決して捨ててはならないものです。 私たちは忍耐した末に、完全に神の子とされ、神の愛ときよさに与る祝福を受けるからです。 神様が私たちの人生の最後まで力となり助けとなってくださることも覚えなくてはなりません。 神様のもとへ帰りましょう。 確信を手放さずに歩んでまいりましょう。 

  (PBA制作「世の光」2010.1.21放送でのお話しより)

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■暴利を貪る金持ち

2010年01月20日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。
今日は「暴利を貪る金持ち」という題でお話ししましょう。 旧約聖書のネヘミヤ記の続きです(5章)。 

 さてエルサレムの都の城壁工事がみんなの協力の中で着々と進んでいましたね。 その頃のことです。

 暴利を貪っている金持ちに対して、子どもを抱えた人々から激しい抗議の声が挙がりました。 事の起こりは食べるにも事欠く家で、金持ちに子どもを売ったり、畑やぶどう園や家を抵当に入れたりする事態が発生したことです。 それさえできない人たちは税金を払うために限度額一杯の借金をしていました。 抗議の声は日に日に増えていったのです。 「わしらはみな兄弟どうしじゃないか。 子どもだってどこの家の子も同じだ。 それなのに生きていくために子どもを奴隷に売らなくてはならないなんて。 売った娘を買い戻す金もない。 畑も何も抵当に取られてしまった。」

 この抗議を聞いたユダの知事となっていたネヘミヤは非常な怒りを感じました。 何とかしなければなりません。 ネヘミヤ知事の対策は次週お話ししましょう。 

 それにしてもネヘミヤ時代、金持ちが暴利を貪り、貧しい者がますます貧しくなっている世相は現代の世相と重なりあってきますね。 働きたくても働くことができない。 子どもを育てたくても子どもの世話をしてくれる場所がない。 弱い病人や老人たちが安心して生きていくことができない。 その一方で金持ちは、金が金を生むことによって、ますます貪る。 貧富の格差が拡がっていくのです。 聖書は金持ちであることを非難しているのではありません。 また金持ちになることを否定しているのでもありません。 しかしながら金持ちになると人はしばしば貪欲になて金のために生きるようになるということを警告しているのです。 人のために、また自分のために金銭があるのに、金のために自分や人々があるようになってしまう恐れがありますよね。 

 聖書のことばに耳を傾けましょう。 
 「富んでいる人たちよ。よく聞きなさい。・・・見よ、あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が、叫んでいる。そして、刈入れをした人たち(労働者)の叫び声が、すでに万軍の主(神)の耳に達している。あなたがたは、地上でおごり暮し、快楽にふけり、『ほふらるる日』のために、おのが心を肥やしている。
 ヤコブの手紙5章1節から5節(1節、4節、5節) (口語訳聖書)

  ( PBA制作「世の光」2010.1.20放送でのお話より )

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