♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■喜びの源 / 山中直義

2012年01月31日 | Weblog
2012/1/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。いつも心に深い喜びが満ちている、それは本当に素晴らしいことですよね。今日は「喜びの源」と題して聖書からお話をさせていただきます。

 ある時、イエス・キリストの弟子たちが喜びに満ちてこう言いました。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」(ルカ 10章17節) 弟子たちはこの時、イエス様から特別な力をいただいて悩み苦しむ人々を助ける働きをしていました。人の力ではどうすることもできない目に見えないどうしようもない問題さえ克服することができる。そうして人を助けることができる。弟子たちはそのことを心から喜んでいました。そしてそれは本当に素晴らしいことだとは思います。

 ですが以外にもイエス様は彼らにこう言われました。「悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカ 10章20節) 私たち人間が本当に喜ぶべきこと、そして心の底から喜び続けることができること、それはあなたの名が天に書き記されていることだ、と言います。これは即ち、地上での功績ということをはるかに超えて天の神様があなたという存在そのものを深く心に留めていてくださる。それこそが何よりの喜び、喜びの源だとイエス様は言われたのです。

 私たちは日頃何を喜んで生きているでしょうか。特別な力があることや悩む人々を助けることができる、それは本当に素晴らしいことです。ですが、そういった地上での功績ばかりに心を留め、それだけを喜びとしているなら、私たちの喜びはいつしか枯れ果てていくことになります。

 聖書が教えている喜びの源それは神様が私たちのことを深く心に留めていてくださるという事、それほどに愛していてくださる神様を知るところにこそ喜びが満ち溢れるのだと聖書は言うのです。私たちの心にも尽きることのない喜びが溢れるようになる。それは実に聖書のことばに耳を傾けイエス・キリストを深く知らされるところに実現すると聖書は言うのです。

    (PBA制作「世の光」2012.1.31放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■今を大切に / 関根弘興

2012年01月30日 | Weblog
2012/1/30放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 新しい年ももうひと月が過ぎ去ろうとしていますね。まあ私が毎日過ごしているこの時間、これは限りのあるものです。この時間を私たちがどのように使っているかを調べると結構面白いですよね。たとえば食べる時間。朝食には30分、昼食に30分、夕食に40分、おやつに20分。つまり一日2時間、一週間で14時間、1年間で30日、人生80年としても、ま6年半の間、食べることに費やしてるわけですね。寝る時間はどうでしょう。毎晩8時間としましょう。すると人生80年としても26年は寝ている訳ですよね。実は時間というものは有るようでいて無くて、無いようでいて有るのかもしれませんね。

 ここでぜひあなたに知っていただきたいんですが、時間について心に留めておいていただきたい三つのことがあります。

 一つは私たちに与えられた時間は限られているということです。ま、「そのうち」ということばをあなたは時々使ってませんか? 「関根さん。ま、そのうちね聖書の話を聞くことにしましょう。ま、そのうちあのう、時間の余裕ができたら教会にでも行きましょうか。まあ人生を考える、まあそのうちね。」・・・御存知ですか? 私たちの時間は限られているんです。でも「そのうち」ということばを使って、いつの間にかずっと引きのばしてしまうということがあるんですねえ。

 二番目は人生の長さを誰も知ることはできないということです。私たちは誰もこの命を閉じる時がやってきます。平均寿命がどんなに伸びても私たちの生涯はいつかは閉じるわけです。そしてその長さを誰も知る事ができないんですね。

 そして三番目は、だから学び受け取るべきことがあれば今学び受け取る必要があるということです。大切なのは今をどう生きるかということなんですねえ。聖書にはこの「今」という事をとても大切に記しています。聖書のヘブル人への手紙の3章(15節)というところには、「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」と記されています。

 それでは神様は一体あなたになんて語っているんでしょうねえ。新約聖書の第二コリント6章2節には「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』」 このように記されているんです。(続いて)「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」と。聖書は永遠の救いがあることを教えます。そして求める者の罪を赦し永遠のいのちを与えてくださる神様の素晴らしい恵みがあることが語られているんです。だから「今」というこの瞬間(とき)に神様に祈り求めることが大切なんですね。

 (PBA制作「世の光」2012.1.30放送でのお話しより)

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■うなじのこわい民  / 羽鳥頼和

2012年01月28日 | Weblog
2012/1/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 旧約聖書に申命記という書物があります。この書物には、荒野を40年旅した後、神様の約束の土地に間もなく入ろうとしているイスラエルの民に対してモーセが語ったメッセージが記されています。このときエジプトを脱出した大人たちはみんな死んでしまい、新しい次の世代になっていました。ですからこのメッセージは新しい世代の人々に今までのイスラエルの歴史を振り返り、これからの新しい土地で生きる指針を教えることが目的でした。

 そんなメッセージの中でこれまでのイスラエルの民のことを神様が「うなじのこわい民」と言われたことが語られています。「うなじのこわい」とはどのような意味でしょう。このことばは「首が硬い」という意味です。首が硬いという状態は首を動かさない状態のことです。これはもともとは、言う事をきかない家畜の牛や馬に使われることばです。 とたずなを使って馬や牛を扱いますが、幾らたずなを引っ張ってもそれにさからって動こうとしない馬や牛のことを「こいつはうなじのこわい奴だ」というふうに言うのです。神様はこの表現を人に当てはめたのです。つまり彼らは神様の言う事をきかない、頑なで強情な民であるという訳です。

 シナイ山で神様はモーセに偶像を拝んではならないと教えられました。ところがその時、シナイ山のふもとでイスラエルの民は金で作った子牛の偶像を拝み始めていたのです。新しい次の世代である彼らにモーセは同じ失敗を繰り返すことがないようにとこのことを語ったのです。

 このことは私たちとは無関係ではありません。聖書はすべての人が罪人であると言います。それはすべての人が「うなじのこわい民である」ということです。すべての人は神様にさからって神様から離れてしまっているのです。しかし聖書は人の悪いところを教えると共に、心を神様に向けて神様の所に戻るようにと勧めています。

 聖書のことば

 「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
イザヤ書55章7節

 神様のところに帰るにはどうしたらよいのでしょうか。それは神様の救いを求めてキリスト教会に行くことです。ぜひ教会にいらしてください。

 ( PBA制作「世の光」2012.1.28放送でのお話より )

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■ともにいてくださる方  / 岩井基雄

2012年01月27日 | Weblog
2012/1/27放送


世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 昨年秋に、ある病院で若い頃から聖書を読んできたけれど難病を患い死を意識する中で、牧師に会いたいという方と面談しました。初めてお会いする方でしたが、とても穏やかに自分の現状を受けとめていらしゃいました。その方からこう言われました。「天地万物を創造された神様の存在は聖書から頭でわかりますが、その絶対的な神がこの今の私にどう関わってくださっているのか。この苦しみの中にいる私に神様が本当に共にいてくださるのかが分からない。」 そんな心の叫び・うめきのような訴えに私はしばしことばを失いました。

 その時私は、「目には見えないけれども神様はあなたと共にいらっしゃいます。そして私たちの苦しみや病や痛みには私たちには分からない神様の不思議な意味そして神様の愛がそこにあるのです。まるで遠く離れた恋人同士が思いを伝え合うために昔から手紙やラブレターをやりとりして、書かれたことばやその約束を信頼して互いの心を受けとめ合ったように、あなたが読んでこられた聖書を神様からのあなたへのラブレター、そのことばとしてもう一度聞いてみませんか?、とお話ししました。

 そして次の聖書のことばをお読みしました。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」 旧約聖書イザヤ書41章10節。 じっと目を閉じて一つひとつのことばをかみしめていたその方は、神様のことばを自分へのことばとして受け取るって、こういうことなのですね。」とおっしゃって目から涙を一筋流されました。聖書のことばを神様から自分へ与えられたことばとして受け取る時あなたの心には力と命が与えられます。神様は苦しみの中にいらっしゃるあなたと共におられ、本当の平穏へとあなたを招いていてくださるからです。それではもう一度先ほどの聖書の箇所をお読みします。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

   (PBA制作「世の光」2012.1.27放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■宮よりも大きい者  / 福井 誠

2012年01月26日 | Weblog
2012/1/26放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「宮よりも大きい者」です。

 それではマタイの福音書12章6節から読んでみましょう。
 「あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。

 イエスが安息日つまりユダヤ人の安息の日と定められた土曜日にお腹が空いたというので、麦畑で穂を摘んで食べ始めたといいます。コンビニに出かけてお昼の弁当を買って食べる今の日本の感覚とは大違いで、お腹が空いたら自然の恵みに与るという当時の日常生活が思い浮かべられるところですねえ。ともあれ、その様子を見つけた律法学者たちが、イエスのしたことは安息日には穂を摘んではならないという当時定められていたイスラエルの掟に反するというのでイエスを咎め始めたというのです。日本人の感覚で読めば、どうでも良いことではないかと思うようなことですが、律法を生活の第一原理とするユダヤ人にしてみれば大変大きな問題でした。

 そんな律法学者たちにイエスが答えたのは二つのことです。一つは律法を画一的に守るのではなくて人間の切迫した必要に応じて臨機応変に守ることも大切だということ。そして二つ目に、安息日の権威の象徴である宮つまり神殿よりもイエスは偉大であるということです。しかもイエスは、人の子は安息日の主です、と言い換えています。つまりイエスはご自分が神に等しいということを明確に宣言しているのですね。

 初めて聖書を読むときに戸惑いを感じるのはこういう点ではないかと思います。聖書は単に耳に良いことは言っていません。道徳倫理を教えているだけでもありません。慰めのことば、励ましのことばを語っているだけでもありません。むしろイエスという人物を前に、彼を神として受け入れるか受け入れないかで決断を迫ってくるところがあるのですね。ぜひ聖書を読み続けて、イエスが神であることを皆さんに知っていただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2012.1.26放送でのお話より )

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■心に留める神  / 板倉邦雄

2012年01月25日 | Weblog
2012/1/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「心に留める神」という題でお話しましょう。ノアの大洪水で箱船は今のトルコ領アララテ山頂にとどまりました。洪水後5ヶ月後です。旧約聖書の創世記8章1節からはこう書いてあります。「神はノアと、箱舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを心に留められた。神が風を地の上に吹かせられたので、水は退いた。また淵の源と、天の窓とは閉ざされて、天から雨が降らなくなった。」(口語訳聖書)

 神様がノアとその家族すべての生き物、爬虫類から鳥類に至るまでですが、すべての家畜とを心に留められたのです。心に留めるとは無視したり通り過ぎたりしないということですね。

 ではどんなふうに具体的なことによってノアと動物・家畜たちを神は心に留められたのでしょうか。

 まず第一に、弱肉強食の生活とならないように神の保護があったのです。約半年にわたる箱船での漂流生活を想像して見たいのです。百獣の王ライオンから羊やウサギに至るまでの動物や生き物が生活していましたね。

 次にノアとその家族の生活の営みも神様の守りと支えがありました。閉じ込められた漂流生活を考えて見ましょう。私たちは困難を通して家族が一致団結することがあります。しかし、逆に困難な生活、避難生活を通して不一致やまた離婚に至る場合もありますね。神様が心に留めてくださるように祈りましょう。

 そして第三に、環境が整えられてゆくことでした。風が吹いて地上の水が引いて行きました。縁の源と言われる海やまた水や地下水が閉じられたようです。そして天の窓が閉ざされて天からの雨が降らなくなったとありました。神様は風も水も雨もすべてを支配し心に留めておられるのですね。たとえ不自由な生活を強いられ状況は険しくなりましても、主なる神様は私たちと家族そして動物たちを心に留め覚えていてくださるのです。

 ( PBA制作「世の光」2012.1.25放送でのお話より )

 

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■神はわれらの避け所  / 山中直義

2012年01月24日 | Weblog
2012/1/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。先週に引き続き17年前に起こった阪神淡路大震災のときの経験をお話させていただきます。

 あの大震災はあらゆるものを揺り動かしましたが、私にとっては魂が揺り動かされる、そんな体験となりました。震災直後からの3ヶ月間私は避難所でボランティアの働きをさせていただくことになりました。
 そんな中、私が最初にさせていただいたのは遺体を運ぶという仕事でした。冷たくそして固くなってしまった遺体を素手で運びながらそれまでは漠然と考えていた死というものが私に迫ってきました。私もまた明日さえ分からない死ぬべき存在である。そんな現実に初めて感じる恐れや不安を覚えました。また家と財産のすべてを失った男性と夜中に焚き火にあたりながら、私の内側には真の希望がないということを強く思わされました。目に見えるものが失われるその時、私もまた揺り動かされ打ちのめされ希望を失って途方に暮れるのだ、それが私という人間の現実なのだということを知らされました。

 さらに3ヶ月間のボランティア活動を通して何よりも教えられたことは、自分の内側に巣食う偽善、愛のなさということでした。傷つき悲しんでいる方々を愛して仕えたいと思ってもどうしてもそれができない。良いことをしようとすればするほどそれとはかけ離れた自分という現実を知らされる。自分の内側にある惨めさ汚さというものを嫌というほど思い知らされました。

 しかしそんな経験を通して私の目は揺り動かされることのないものへと向けられていったのでした。すべてのものは揺り動かされ過ぎ去っていくと聖書は言います。しかしそんな中、イエス・キリストだけは何があっても変わることがなくあなたを愛しあなたを守り導いてくださる。聖書のその約束に心を向けることができるようになっていったのでした。

 イエス・キリストを避け所とする。そんな生き方があなたにも差し出されているのです。



    (PBA制作「世の光」2012.1.24放送でのお話しより )

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■ヨセフの生涯から見えるもの  / 関根弘興

2012年01月23日 | Weblog
 2012/1/23放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 旧約聖書の創世記という所にヨセフという人の物語が記されています。このヨセフはお兄さんたちの妬みを買い、奴隷として売り飛ばされてしまい、結局エジプトに連れて行かれ、奴隷生活が始まったんです。ま、悪いことが次から次へと起るものです。売られた先で今度はご主人の奥さんを誘惑したという疑いをかけられヨセフは罪もないのに、今度は投獄されてしまうんです。これから一生暗い牢獄で過ごすしかありませんでした。しかしそんなある日、エジプトの王様の役人が王様に罪を犯し、投獄されてきました。この二人は牢屋の中で夢を見るんですが、その不吉な夢の意味が分りませんでした。しかしヨセフは彼らの夢を聞き、見事にその意味を解き明かしていくんですね。その後役人の一人は釈放されるんですが、しばらくすると今度はエジプトの王様が夢を見るんです。しかしその夢を解き明かすことができる者が誰もいませんでした。そんな時、釈放された役人が、そういえばヨセフがいたなあ、ということを思い出すんです。ヨセフはすぐに牢から呼び出され、王様の夢を見事に解き明かすんですね。これから7年間の豊作の後、7年間の飢饉がある。まあ、こういう解き明かしをするわけです。このことによって王はヨセフを信頼し、王の次に高い地位に任命したんです。

 さて、ヨセフが王の夢を解き明かした通りに7年間の豊作の後、大飢饉がやってきました。ヨセフのお父さんや兄弟たちが住んでいたイスラエルの地も飢饉のため食料が底をついてしまいました。お兄さんたちは食料を買うためにエジプトにやってきたんです。そこで弟との何十年ぶりかの劇的な対面となるわけですね。お兄さんたちは目の前の総理大臣が弟のヨセフだと分ると震え始めました。復讐されるんじゃないかと思ったのです。しかしヨセフはこう言いました。「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」(創世記 45章5節) こう言ったんですね。そしてヨセフはこの後、お父さんと兄弟たちをエジプトに呼び寄せて養っていきました。聖書を読むとヨセフはどんな中にあっても神様を信頼して歩んで行ったと書かれています。

 そして聖書はこのように約束しています。
 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 ローマ人への手紙8章28節

 (PBA制作「世の光」2012.1.23放送でのお話しより)

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■偉大な国民  / 羽鳥頼和

2012年01月21日 | Weblog
2012/1/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。 去年の大震災の時、世界の多くの人が驚きの目を持って日本人を見ていました。大震災に直面しても冷静さと規律を失わずパニックも暴動も起こさずず、 と行動する。そんな日本人の姿を驚きをもって世界の人々が見ていたのです。ガソリンがない中で限られたガソリンを手に入れるためにガソリンスタンドに整然と並ぶ車の列。首都圏でも地震の後に交通網が麻痺した中、混乱もなく静かに駅で待っている人々、公衆電話に列をつくる人々、歩いて家に帰る人々の様子などが驚きを持って伝えられました。世界の人々が日本人は素晴らしいと称賛しました。

 聖書にも似たようなことが書かれています。それは旧約聖書の申命記の4章です。そこには国々の民が「『この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ。』と言うであろう。」(申命記 4章6節)と記されています。この偉大な国民とはイスラエル民族のことですが、イスラエルがそのままで偉大な国民だと言ってるのではありません。ある条件を満たすなら誰でも偉大な国民となれるのです。

 偉大な国民となる条件とは何でしょうか。それが三つ記されています。

 第一に、いつも近くにこられる神を持っていること。第二に、神から教えられた正しい教えを持っていること。そして第三に、神がしてくださったことを忘れず、それらを子供たちに伝えることです。

 実はこれらの三つの条件を持っていた日本人がいます。それは内村鑑三です。そんな彼は著書の『代表的日本人』に「わが国民の持つ多くの美点に、私は目を閉ざしていることはできません。」と書いています。彼は二つの J(ジエー)を愛しました。二つの J とは Japan(ジャパン「日本」)と Jesus(ジーザス「イエス」)です。そうです。彼は日本とイエス・キリストを愛したのです。共におられるイエスを信じ、イエスの教えを聖書から学び、イエスが自分のために十字架にかかり救ってくださったことを彼は忘れませんでした。そしてそれを愛する日本人に伝えていったのです。

 あなたも素晴らしい人になりましょう。イエス・キリストを知り、またイエスの教えを学ぶためにぜひ教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2012.1.21放送でのお話より )

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■洗礼とは? 岩井基雄

2012年01月20日 | Weblog
 2012/1/20放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。私は時々、「キリスト教会で耳にする分りにくいことばは専門用語ですか?」と聞かれます。確かにキリスト教会で使われている用語には分るようで分りにくいことばがありますよね。今日もこの分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日のことばは「洗礼」、ギリシャ語では「バプテスマ」です。

 キリスト教会では神様への信仰を告白し、自分の罪を心から認め、イエス・キリストが自分の罪のために十字架にかかり、死んでよみがえってくださったことを信じる者に洗礼を授けます。その式は洗礼槽という水を張った水槽に体全体が沈められ、そしてその水から上げられるという式です。ですからこの洗礼には、キリストと共に死に、キリストと共に生きる、という意味があります。また頭だけに水を注ぐという時もあるんですね。

 クリスチャンが信じているのは神様の存在だけではありません。クリスチャンは自分の心の内側の、神を否定し自分を神とする自己中心的な罪の存在を認め、救い主イエス・キリストが自分の罪の身代わりに神に裁かれて死に、そしてその死からよみがえって勝利してくださったことを信じているのです。

 聖書はこう語っています。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」 聖書 ローマ人への手紙 6章4節 

 私たちが新しい歩みをするためには死ななければならない、と聖書は言うんですね。それは自分の罪に知ぬことです。心から自分の罪を認め、古い罪の自分がキリストと共にあの十字架で死んだことを認める時に私たちは新しい命にキリストと共に生きることができるのです。自分の罪を認めずに人のせいにしたりごまかしたりしていると、この新しい命に歩む事ができないのですね。ですから私たちは自分の罪を認めてこのキリストを自分の救い主として信じる必要があります。

 あなたももし小さい頃に洗礼を受けていることがあったとしても、もう一度あなたの意思で教会へいらっしゃいませんか? そして自分の罪を認め自分自身で新しい歩み、新しい命への歩みを始めませんか? 

   (PBA制作「世の光」2012.1.20放送でのお話しより)

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