♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■知恵のある子 / 福井 誠

2023年05月31日 | Weblog

2023/3/8放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。
 今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は「知恵のある子」と題してメッセージをいたします。

 箴言13章1節から
  「知恵のある子は父の訓戒を聞き、嘲(あざけ)る者は叱責を聞かない。」

 これまで箴言の著者は、知恵ある者や愚か者の差や、その特徴を繰り返し語り、読者に人間としてどのように人生を歩むべきかを示してきました。13章は一見同じような繰り返しに見えるところもありますが、新しい話題が加えられています。順に見てまいりましょう。

 まず今日とりあげた箇所ですが、知恵のある者は親の忠告に耳を傾けますが、愚かな子はそれを蔑むだけです。「ああいえばこういう」と一々口答えをして親の顔を潰してしまうのです。素直に耳を傾ければ賢くなるのでしょうが、決して忠告に耳を傾けない、そのようなとっても残念な子、あるいは残念な部下はいるものでしょう。なぜかなあと思いますが、そのような状況と言うのは現実問題としてよくあるものです。

 そこで箴言の著者は言います。
 知恵ある人の助言に素直に耳を傾けることは泉の水を飲むようなものだ、と。

 なぜなら、元気になって先の見通しを得ることができるからです。そして、社会のあちこちにある落とし穴に気づかされ、物事に慎重になることができます。

 ですから、知恵ある人はよく先を見て動くし、誰と一緒に行動すべきかも知っています。
 しかし愚かな人はそうではありません。愚かな人は愚かな自慢話をただ人に聞かせるだけ。自分の時間のみならず人の時間をも浪費するのです。

 そのような意味では、どのような人の側(そば)にいるべきかをよく考えたいところです。知恵ある人の側にいれば、知恵ある人になります。しかし、愚かな人の側にいれば、その害を受けるのみです。

 聖書のことばに耳を傾けて損はありません。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。

 

 ( PBA制作「世の光」 2023.3.8放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■訓戒を愛する / 福井 誠

2023年05月30日 | Weblog

2023/3/7放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。 「継続は力なり」 日々、聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。 今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は「訓戒を愛する」と題してメッセージをいたします。
 
 箴言12章1節から
  「訓戒を愛する人は知識を愛する。叱責を憎む者は間抜け者。」

 12章は、基本的に11章の続きで、「正しい人」と「悪しき者」の対比から始まります。しかしながら、そこにはさらに「賢い人と愚か者」、「勤勉な者と無精者」といった新たな対比も加えられています。

 まず、愚か者は判断力の弱い者のことで、悪意に満ちた悪しき者とは違います。しかし、これらが一緒に並べて語られているのは、悪しき者も愚か者も似たり寄ったり、五十歩百歩だからです。実際、愚か者も悪しき者と同じで、人の忠告を聞き入れようとはしません。愚か者は、教えられることを嫌がる悪しき者と同じです。また、軽率に話して人を傷つけます。すぐにかっとなって、自分の愚かさを丸出しにします。
 しかし、賢い人は忠告に耳を傾け、たとえ侮辱されても冷静に対処します。すぐにことばにはせず、正直な心のまま、正しいことを語り、人を癒します。愚か者のことばは、嘘と欺き、軽率さに満ちています。ですから、愚か者と一緒にいることは、百害あって一利なし、傷を負うことになるでしょう。愚か者には、悪しき者と同様に距離を置くべきだ、となります。

 また、勤勉な人はこつこつ積み上げて、やがてリーダーシップを取っていくようになります。また、尊い機会をうまく利用していきます。
 しかし、無精者はそうではありません。つまり、無精者もまた悪しき者や愚か者と同様に注意警戒すべき存在なのです。

 ともあれ、その人生の結末を見るならば、正しく、賢く、勤勉な歩みをするのに勝るものはありません。心のベクトルを正しさ、賢さ、勤勉さに向けてしっかり歩ませていただきましょう。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.3.7放送でのお話しより )


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■正しい人と悪しき人 / 福井 誠

2023年05月29日 | Weblog

2023/3/6放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。「継続は力なり」 日々、聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は「正しい人と悪しき人」と題してメッセージをいたします。

 箴言11章8節から 
 「正しい人は苦しみから救い出され、彼に代わって悪しき者がそれに陥る」

 箴言の11章もヘブル語の詩文に特徴的な二行詩です。しかも一行目と二行目が、対比された言い方になっていて、人間には二種類の生き方があることを教えようとしています。
 たとえば、今日読んだ8節では、「正しい人は苦しみから救い出され、彼に代わって悪しき者がそれに陥る」とあり、正しい人と悪しき者、それぞれの運命が対比されています。

 このほか、どんなことが描かれているのか、少し拾い読みしてみましょう。

 「どんなに富を増し加えても、ごまかしによって得た財産は、神の御怒りによって滅ぼされるが、汗水たらして誠実に働く人の歩みは躓きがない。」とあります。これは、ほぼ繰り返しの内容です。

 しかし、こうもあります。
 「神を覚えて歩む正しい人は、身近な人々によい影響を与え、町を栄えさせる、しかし、神を恐れない悪い人々によって、町の道徳は腐敗し衰えていく」とあります。
 正しい人、悪しき者の存在は、具体的にその人の人生の行く末のみならず、その人が住んでいる地域や町に、今、影響を与えていると言うわけです。

 さらに大切なのは、正しい人、悪しき者では、日々の心の内面のあり様(よう)も異なるということです。
 たとえば、「誠実に生きれば結果がどうであれ、気持ちはすっきりしているが、思いやりのない生き方をしていれば、心が荒むだけだ」
 また、「正しいことをして得た報酬には満足が伴うが、悪いことをしてお金を手にしても平安はない」 と言います。

 大切なのは、人間の幸せや満足、一日の充実感というものは、物がある無しによらず、その人の人生の姿勢、あり様によるものなのだというわけです。賢い人生の選択をしたいところです。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.3.6放送でのお話しより )


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■自分を犠牲にして乗客を助けた 長野政雄 / 岩井基雄

2023年05月27日 | Weblog

2023 3/4放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 この土曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでみましょう。今日は、自分を犠牲にして乗客を助けた長野政雄です。

 作家の三浦綾子さんが書いた『塩狩峠』という小説をご存知でしょうか。長野政雄さんの実話に基づいて書かれた小説です。

 明治42年2月28日、北海道の塩狩峠を登る汽車の連結がはずれ、最後尾の客車が坂を暴走したのです。極寒の北海道ではハンドブレーキはきかず、スピードを増す客車を止めたのは鉄道職員・長野政雄でした。その客車に乗り合わせていた彼は、自分の身体を線路に投げ出して客車を止めたのです。 

 長野さんは、友人の勧めでキリスト教会に通い、罪を認めキリストを信じて、17歳の時に大阪天満基督教会で洗礼を受けました。翌年には北海道の札幌に移住して鉄道職員となり、ほどなく旭川に住みます。そのとき通った旭川基督教会では教会学校の先生となり校長の働きも務めました。子どもが大好きな長野さんに惹かれてか、多い時は100人を超える子どもたちが集ったそうです。

 彼は誠実に鉄道職員の仕事をし、酒乱で親族から見捨てられた友人にも愛を持って接し、仕えるような人物でした。「旭川には、長野というクリスチャンの庶務主任がいる。彼に一任すれば、あとの心配はいらない」と上司に言われるほどでした。教会の働きも積極的に喜んで行いました。ある宣教師がスパイ容疑をかけられたときも、徹底して宣教師を守り、自分も仲間と誤解されかねない中で行動した愛の人でした。

 事故の当日も子どもたちに聖書を教えていたようです。そして、身体の不自由な方や弱い方々が乗ることが多かった最後尾の客車にいた長野さんは、喜んで自分を犠牲にして客車を止めたのです。それはイエス・キリストが示してくださった愛に基づいていました。

 聖書のことば
  「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
           新約聖書 ヨハネの福音書 15章13節
 
 長野さんの懐には、いつも遺書があり、「私は感謝して凡てを神に捧ぐ」 「私の死によって神に近づいてほしい」とあったそうです。いのちをかけて神様への感謝と愛に生き、人々にキリストの愛を伝えたのです。


    ( PBA制作「世の光」 2023.3.4放送でのお話しより )


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■十字架の上で悔い改めた犯罪人 / 岩井基雄

2023年05月26日 | Weblog

2023/3/3放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 キリストの十字架の両側には二人の犯罪人が架けられていました。十字架の苦しみは壮絶なものでした。この犯罪人たちはその苦しみの中から、その場にいた人たちと共に二人ともキリストを罵(ののし)ったのです。

 聖書はこう記しています。

 「祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。
 『他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王に、今、十字架から降りてもらおう。それを見たら信じよう。』
  また、一緒に十字架につけられていた者たちもイエスをののしった。」
      新約聖書 マルコの福音書 15章31節、32節

 しかしルカの福音書23章には、犯罪人の一人が十字架の上で、もう一人の犯罪人の嘲(あざけ)りをたしなめたことが記されています。
  「おまえは神を恐れないのか。・・・ おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」  ( ルカの福音書 23章40節、41節 )
 
 そして、キリストにこう言ったのです。
  「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」 ( ルカの福音書 23章42節 )
 と。

 先ほどまでキリストを嘲っていた犯罪人の一人が十字架の上で自分の罪を認め、キリストに憐みを求めたのです。

 何が彼をここまで変えたのでしょうか。

 先ほどの聖書の直前に、彼が聞いたキリストの祈りが記されています。
  「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」 ( ルカの福音書 23章34節 )

 彼はキリストのこの祈りを自分のための祈りでもあると受けとめたのではないでしょうか。

 自分の罪を認め、「私を思い出してください。」 ( ルカの福音書 23章42節 )と申し出た彼に対して、キリストは、
  「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」 ( ルカの福音書 23章43節 )と語られたのです。

 このパラダイスとは天国のことです。この犯罪人は死に向かう中、最後の最後に自分の罪を認め、キリストにある赦しといのちを受け取ったのです。もし彼がもっと早く自分の罪を認め、悔い改めていたならば、まったく違う人生を歩んだかもしれませんね。

 私たちも遅すぎることなく神様の前に自分の罪を認め、天国へのいのちへの道へと向かい始めたいのです。あなたもこの神様の愛を、キリストの十字架をあなたのものとして受けとめて歩んでいきませんか?
 

    ( PBA制作「世の光」 2023.3.3放送でのお話しより )


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■キリストの罪状書きは『ユダヤ人の王』 / 岩井基雄

2023年05月25日 | Weblog

2023/3/2放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 イエス・キリストと二人の犯罪人は、エルサレム郊外のゴルゴタの丘で十字架につけられました。二人の犯罪人の中央にキリストの十字架はあったのです。そして、キリストの頭上には罪状書きがありました。

 その場面を聖書はこう語ります。
 「イエスの罪状書きには、『ユダヤ人の王』と書いてあった。彼らは、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。」
      新約聖書 マルコの福音書 15章26節、27節

 キリストの死刑の理由、罪状書きは「ユダヤ人の王」でした。それは、ローマ総督ポンテオ・ピラトが書かせたものでした。それに対し、イスラエルの祭司長たちはピラトに、「ユダヤ人の王と書かないで、この者はユダヤ人の王と自称したと書いてください」と進言します。しかし、ピラトは「私が書いたものは、書いたままにしておけ!」と語り、退けました。

 実はピラトは、キリストが無罪であり、人々が妬みからキリストを訴えてきたことが分かっていましたが、「キリストを十字架につけろ」と叫んだ群衆の声に負けたのです。しかしピラトは、罪状書きにおいては譲りませんでした。ピラトはその罪状書きを、ヘブル語、ギリシャ語、ラテン語の三つの言語で書かせました。当時の多くの人々が理解できることばで、キリストが「ユダヤ人の王」である、と宣言されたのです。それは不思議な恵みであり、真理でした。

 キリストの誕生の後、東方の博士たちは、ユダヤの王として誕生したキリストを礼拝するために、高価な贈り物を携えて遠路はるばるやってきました。文字通りキリストは「ユダヤ人の王」だったのです。キリストは真の王として私たちを守り、私たちを罪の奴隷から解放するために、十字架の苦しみのすべて、すなわち肉体的苦痛も、精神的苦痛も、父なる神様から完全に見捨てられるという霊的な苦痛も、すべてを味わい尽くしてくださったのです。そこに、イエス・キリストの王としての私たちへの愛が示されたのです。

 まことの王であるイエス・キリストを私たちは、自分の心に、そして人生に王としてお迎えしたいと思います。そこから私たちの本当の救いと平安の人生が始まっていくのです。ユダヤ人の王として、私たちの真の王としてイエス・キリストは来てくださいました。

 あなたもこの方とともに歩む新しい人生をスタートしてみませんか?


    ( PBA制作「世の光」 2023.3.2放送でのお話しより )


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■十字架の苦しみを味わい尽くしたキリスト / 岩井基雄

2023年05月24日 | Weblog

2023/3/1放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 イエス・キリストと二人の犯罪人は「ゴルゴタ」と呼ばれる死刑場まで行きました。その後のことを聖書はこう語ります。

 「彼らはイエスを、ゴルゴタという所(訳すと、どくろの場所)に連れて行った。彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、くじを引いて、だれが何を取るかを決め、イエスの衣を分けた。」
         新約聖書 マルコの福音書 15章22節から24節

 「ゴルゴタ」とは、どくろ、すなわち人間の頭蓋骨を意味する名前ですが、そこがローマによる処刑、十字架刑が行われる場所でした。十字架刑は、今では決して行わない惨(むご)い死刑の方法で、ローマ人には行われませんでした。ローマに支配されていたイスラエルにとって、そこは屈辱的な場所でしたが、イスラエルの祭司長たちは、キリストを殺すためにローマの処刑法を利用したのです。

 手足に長い釘を貫き十字架に釘づけにする十字架刑は、その肉体的な苦痛にとどまらず、人々の目にすべてがさらされる精神的な苦痛を伴うものでした。

 処刑される人には、痛みの緩和のため没薬を混ぜたぶどう酒が与えられましたが、イエス・キリストはそれを受けませんでした。徹底して苦しみを味わい抜かれたのです。しかも、イエス・キリストの場合、肉体的、精神的苦痛に加えて、父なる神様から完全に見捨てられ、私たちの身代わりに裁かれるという霊的な苦痛さえも伴っていたのです。

 キリストの衣服は、くじ引きで当たったローマ兵に与えられます。屈辱的な扱いですが、それは旧約聖書ですでに預言されていた事の成就でした。キリストはすべての嘲(あざけ)りも、苦痛も、神に見捨てられる永遠の裁きも、すべて受け尽くしてくださったのです。そこにこそ、私たちの罪の赦しの道があったからです。

 聖書はこう語ります。
 「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」
        新約聖書 ペテロ第一の手紙 2章24節

 あなたも、このイエス・キリストの十字架の意味を自分のこととして考えてみませんか? イエス・キリストはあなたの救いのために十字架の苦しみを受け尽くしてくださったのです。


    ( PBA制作「世の光」 2023.3.1放送でのお話しより )


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■神と人の前の誠実さ / 岩井基雄

2023年05月23日 | Weblog

2023/2/28放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 神様がモーセを通して神の民に与えた十の戒め、「十戒」があります。今日は、「神と人の前のきよさ」を教える四つの戒めをまとめて学びましょう。さっそくお読みします。

 「姦淫してはならない。盗んではならない。あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。
  ・・・すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」
      旧約聖書 出エジプト記 20章14節から17節

 私たちの心には、さまざまな欲望があります。ここには、その中の性欲や所有欲、また名誉欲や支配欲などの欲望についての正しい制限が示されています。神様は私たちが成長し生きるために様々な欲を与えてくださっていますが、それは正しく用いなければ本来のあり方を失い、他の人や自分自身をも傷つけてしまいかねません。

 「姦淫」とは、結婚関係以外の性交渉を意味します。姦淫の背後には、結婚の約束を無視し、愛と誠実さを投げ捨てる裏切りがあります。また「盗み」は、相手の権利や人格を尊重せずに、それを奪い、傷つけてしまうことです。また「隣人のものを欲する」ことを禁じる聖書は、私たちの内側すなわち心の汚れにも正しい制限が加えられる必要があることを語ります。「偽りの証言」の背後にも、自分の名誉やプライドを過度に守ろうとする心の闇があります。

 私たちは確かにさまざまな闇を抱え、失敗を重ねてしまいます。しかし、その自分の弱さや心の闇、すなわち罪の姿を認めて悔い改めへと向かうことが必要です。

 それには勇気が必要でしょう。しかし私たちが自分中心の心の闇を認め、悔い改めるときに、神は私たちを赦し、私たちを内側から変えてくださるのです。

 聖書の別の個所に次のようなことばがあります。
 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」
        新約聖書 ヨハネの手紙第一 1章9節

 私たちが、自分の汚れや過ちを認め、悔い改めて神様の前に進み出るときに、神様は真実で正しい方だからこそ、私たちを赦し、きよめてくださるのです。そして、神と人との前に真実に誠実に歩み、またきよく歩めるようにと助け、力を与えてくださるのです。
 
 あなたも神と人との前に真実に歩んでいきませんか? 


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■祈りから賛美へ / 岩井基雄

2023年05月22日 | Weblog

2023/2/27放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 今日は詩篇119篇のことばから、祈りから賛美への招きに心を留めてみましょう。

 私たちは苦しみの中から神への祈りをささげます。その祈りは叫びのような願いが中心です。詩篇の作者も、叫びや願いで祈りを表現しています。その上で、その祈りが、すべてを創られた神様への賛美となるようにと願うのです。

 詩篇119篇をお読みします。
 「主よ 私の叫びが御前に近づきますように。 ・・・私の切なる願いが御前に届きますように。 ・・・私の唇に賛美が湧きあふれるようにしてください。あなたが私にあなたのおきてを教えてくださるからです。」
           旧約聖書 詩篇119篇169節から171節

 この作者は苦難や痛みの中から、聖書が語る神様に自分の切なる願い、また叫びを聞いてくださるようにと祈ります。そして、神様への賛美が湧き溢れるようにしてほしいと願っています。

 賛美は感謝に基づきますから、この作者は神様が自分の祈りに応えて神様のおきてを教えてくださるとの確信に基づいて、感謝し、自分の思いが神様への賛美に向かうことを確信しているのです。

 それは、神様の愛に信頼した祈りともいうことができるでしょう。そしてその信頼は、たとえ自分の思い通りの助けや答えが与えられなかったとしても心から神様を賛美し感謝する者とさせてください、と祈る祈りに繋がっていきます。

 先ほどお読みした詩篇の祈りのことばの合間にはこう祈られていました。
  「あなたのみことばのとおりに私に悟りを与えてください。・・・あなたのみことばのとおりに私を救い出してください。」
     旧約聖書 詩篇119篇169節、170節

 この作者は、神様に心から信頼し、神様のことばこそ私に悟りを与え、救い出してくださると確信しているのです。感謝と賛美へと導かれる信頼の姿、平安と喜びの姿がここに描かれています。

 あなたも神様の愛とみことばに信頼した祈り、賛美と感謝へとあなたを導く祈りをささげてみませんか? 私たちのどのような思いも全部を受け止めてくださる神様に信頼して祈るときに、私たちは平安と安心を受け取り、心からの賛美へと導かれていくのです。賛美と感謝に満ちる人生は、神様への正直な祈りと信頼の中から生まれていくのです。


    ( PBA制作「世の光」 2023.2.27放送でのお話しより )


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■聖書が教える結婚③ / 羽鳥頼和

2023年05月20日 | Weblog

2023/2/25放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 
 今週は、旧約聖書の創世記に記されているアブラハムの生涯からお話ししています。アブラハムの息子イサクのお嫁さん探しについてお話ししてきました。今日もそこから、聖書が教えている結婚についてもお話ししたいと思います。

 アブラハムは、神が与えてくださったひとり子であるイサクの結婚相手を探すことにしました。彼は、信頼できる最年長のしもべを呼んで、故郷に行って息子の結婚相手を探すように命じました。

 アブラハムのしもべは、神に導きを祈って結婚相手を探しました。神はしもべのその願いの祈りを聞いてくださいました。こうして彼はリベカという女性に出会うことができました。

 しもべはリベカの家族に会い、主人の息子の結婚相手を探しに来たこと、神の導きによってリベカと出会うことができたことを語りました。しもべの証しを聞いたリベカの家族は言いました。「あなたのお話を聞き、このことは神がなさったことであると分かりました。どうぞリベカをお連れください。神が言われたとおりに、あなたのご主人の息子さんの妻となりますように。」

 こうしてリベカの家族は彼女をアブラハムたちのところに送り出しました。リベカを連れて帰ってきたしもべはイサクたちに、神が祈りを聴いてくださり、神によってリベカに出会うことができたことを話しました。

 このようにして、イサクとリベカに関係するすべての人々は、本人たちも含めて、彼らの結婚が神の導きによることであると確信することができたのです。こうしてイサクとリベカは結婚しました。

 結婚は神が定めたすばらしい恵みです。神によって二人は霊的にも一人とされ、一心同体とされるのです。そして新しい命を生み出し、育むことができるのです。間違えてならないのは、子どもは神が与えてくださる尊い命だということです。子どもは、親が好き勝手に扱って良いような所有物ではないのです。子どもは神からの恵みであって、人が命を授かることは神のなさる奇跡です。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。


    ( PBA制作「世の光」 2023.2.25放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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