♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■そうすれば、幸せになる / 福井 誠

2023年02月28日 | Weblog

2022/8/30放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。「継続は力なり」 日々聖書を手に取り心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は列王記第二 25章24節から、「そうすれば、幸せになる」と題してお話しします。

 「カルデア人の家来たちを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたは幸せになる。」

 旧約聖書の列王記最後の部分は、エルサレムがバビロン帝国に攻められて陥落したことが描かれています。

 バビロン帝国がエルサレムを包囲し始めたのは、紀元前588年1月からとされています。バビロンの王ネブカデネザルは、この時このエルサレム攻めに介入する恐れのあるエジプトの動きを封じるために、フェニキヤの港を封鎖していました。つまり実際にエルサレムを包囲し、陥落させようとしていたのはその部下ネブザルアダンでした。

 兵糧攻めが約1年に及んでエルサレムの町が食糧難に陥ると、真っ先にゼデキヤ王が逃げ出しました。彼は逃げる途中で捕らえられてしまいますが、こうして紀元前587年8月、エルサレムは陥落し、徹底的に破壊されてしまうのです。

 しかし、これはエレミヤをはじめ、イスラエルの預言者たちによってあらかじめ警告されてきたことで、まさに神の裁きとして起こったのです。

 大切なのは、その後に語られたことです。エレミヤは、それみたことかと神の裁きを繰り返すことはありませんでした。むしろエレミヤは、「バビロンに征服されても、それを素直に受け入れてバビロンに仕えなさい。そうすればあなたがたは幸せになる。」とことばを継ぎました。

 大切なのは、聖書の神は憐み深いお方だということです。いつまでも怒ってはおられません。神はエルサレムの滅亡に際し、イスラエル再生の計画を語られました。たとえ神の裁きを受けたと思われるようなことがあっても慌てないことです。いのちある限り、神の愛を信頼する者に希望は尽きません。

 では、今日も良き一日となるように祈ります。

 

    ( PBA制作「世の光」 2022.8.30放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■主のことばのとおりであった / 福井 誠

2023年02月27日 | Weblog

2022/8/29放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。「継続は力なり」 日々聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、列王記第二24章2節 から「主のことばのとおりであった」と題してお話しします。

 「主がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。」

 今日から一週間は、私、福井誠が担当します。今日は、第二列王記の24章から見てまいります。なぜ、こんな中途半端なところから?と思われる方もおられるかもしれませんが、ウェブ上でパスターまことの聖書通読一日一生(https://stand.fm/channels/5f7936a9f04555115df5827a)をご覧になってこられた方は、ちょうど今日、この箇所になるので続きのお話というわけです。

 列王記はイスラエル王国の興亡を描いた歴史書ですが、そこにはさまざまな人生の教訓や知恵が語られています。興味のある方は、ぜひ教会へ行って聖書をひもとき、聖書の世界の素晴らしさを感じてください。

 さて、今日の箇所はイスラエル王国末期、エルサレムが陥落する時のストーリーです。聖書は、イスラエルが滅びたのは彼らの悪のため、神の裁きによると言います。確かに、この時代、イスラエルには神を敬わず、悪政を行う王様が相次ぎました。

 けれども、そこで神は悪い王様を切り捨てたのだと考えてはならないのでしょう。「神は愛」とは言うものの結局、反抗する者はばっさり切り捨てる程度の愛ではないか、ではないのです。神は赦しに富み、いつでも罪人が悔い改めることを待っておられます。

 しかし、罪人がその愛を認め、神に向かうことがない限り、神の愛も赦しも起こりえません。つまり、神のことばを拒み退ける結果として、人は自ら神の裁きを招き、滅びに至るのです。

 ですから逆に、神を愛の方と認め、神をおいて他に自分を救うものはない、と神にしがみつくなら、神の豊かな愛を受けることになります。

 神をどのような方と見ていくか、それが人生の幸せの分かれ道だと言えます。

 では今日も良き一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.8.29放送でのお話しより )


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■神の愛による福祉に生きた 長谷川 保 / 岩井基雄

2023年02月25日 | Weblog

2022/8/27放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。この土曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでみましょう。

 今日はキリスト教の福祉の世界に生きた長谷川保(たもつ)です。長谷川保は1903年静岡県浜松で生まれました。浜松市立商業学校を卒業後、上京し、日本力行会海外学校で学びます。ブラジルでコーヒー農場経営の夢を描いていましたが、聖書と出会い、神様の愛とキリストによる罪の赦しの恵みに触れます。そして、信仰を告白し、洗礼を受けます。

 彼は日本に留まることを決意し、23歳のとき教会の青年たちと、聖なる神の奴隷として神と人に仕えようと誓いあい、クリーニング店、農場、消費組合を開業し、「聖隷社」と名づけます。さらに病いを通る方々のためにと23歳のとき、浜松に結核患者のための病院を建て、神の家を表す「ベテルホーム」と名づけます。多くの支援が集まりましたが、当時の結核への理解のなさから周辺住民の反対も多く、経営は困窮。しかし、昭和天皇より特別なお金が与えられ、危機を脱し神様のあわれみを経験しました。
 
 病いの人々への愛は深まり、39歳で聖隷保養農園付属病院を開設し、58歳の時に日本初の特別養護老人ホーム浜松十字の園を開設。そして、79歳の時、日本初のホスピス病棟、がん末期患者などのための緩和ケア病棟を開設するのです。それは、キリストが死に打ち勝って、よみがえった希望を土台とした病棟でした。

 長谷川はそのあとも病院や福祉施設の拡充に努め、次世代の教育にも力を入れていきます。その傍ら、衆議院議員を7期務め、生活保護法の制定に取り組み、愛の実践を行い、福祉に関する法律の制定に奔走します。

 長谷川は生涯、私的財産を持たないというポリシーを貫き、病院敷地内のバラック小屋に住み続けました。彼は病いや悲しみを通る人々の隣人になり、愛を注ぎ続けたのです。それは、イエス・キリストの愛に生かされた歩みでした。キリストにある愛と福祉の道が日本の地に豊かに実を結んでいったのです。

 聖書のことば
 「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。」
           新約聖書 ヨハネの手紙第一3章18節


    ( PBA制作「世の光」 2022.8.27放送でのお話しより )


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■バラバかキリストか / 岩井基雄

2023年02月24日 | Weblog

2022/8/26放送

「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 イエス・キリストを憎み、殺害を願ったユダヤ当局者たちは、ユダヤの最高法院でキリストを「神を冒涜する者」すなわち自分を神と同等とした罪で有罪としました。しかし、ローマでも有罪にしなければ、死刑執行はできなかったのです。冒涜罪はローマでは無意味でした。
 
 そこでユダヤ当局者たちは、ローマ総督ピラトの前であらゆる訴えでキリストの罪を指摘します。しかし、ことごとく失敗します。彼らの妬みを見抜いたピラトは、ちょうどユダヤの過ぎ越しの祭りの時だったので、祭りの時の恩赦を用いてキリストを釈放しようと考えたようです。強盗や人殺しの理由で訴えられていたバラバを引き合いに出し、このバラバよりはキリストの恩赦を願うだろうとピラトは思ったようです。

 聖書はこう語っています。
 「ピラトは彼らに答えた。『おまえたちはユダヤ人の王を釈放してほしいのか。』 ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである。しかし、祭司長たちは、むしろ、バラバを釈放してもらうように群衆を扇動した。」
         新約聖書 マルコの福音書15章9節~11節

 ピラトの目論見は外れます。ユダヤの当局者たち即ち祭司長たちは群集を扇動します。そしてバラバを許しキリストを「十字架につけろ」と人々に叫ばせたのです。

 祭司長たちはピラトの弱点を知っていました。ローマから任命されていた総督ピラトも、群衆の暴動が起こると罷免される可能性があったからです。さらに彼らは、キリストを赦そうとする行為はローマ皇帝への反逆になるとほのめかします。それは決定的なことでした。ピラトはついに正しい判断をできず、キリストへの死刑の許可を与えてしまうのです。

 しかし、この人間の判断や策略のすべての背後に神様の主権がありました。人間のあらゆる策略を越えて、人の罪を赦す神の愛の計画が進められていったのです。イエス・キリストは私たちのためにまっすぐに十字架に向かって下さったのです。

 聖書のことば
 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥(なだ)めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
         新約聖書 ヨハネの手紙第一4章10節


    ( PBA制作「世の光」 2022.8.26放送でのお話しより )


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■ユダヤ人の王としてのキリスト / 岩井基雄

2023年02月23日 | Weblog

2022/8/25放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 イエス・キリストは当時のユダヤのリーダーたちにねたまれ、憎まれ、彼らはキリストの殺害を計画します。それはキリストが神のように人の罪の赦しを宣言し、また彼らの傲慢の罪を指摘したからです。
実際、キリストは神ご自身ですから、それらは当然のことでしたが、彼らは受けとめられず、キリスト殺害を準備していきます。当時ユダヤはローマに支配されていましたから、ユダヤとローマの両方で有罪、死刑判決が出なければなりませんでした。ユダヤ側ではキリストを有罪に出来てもローマでは簡単ではなかったのです。

 ローマの裁判の中心は総督ピラトでした。ユダヤ側の最高法院でキリストを有罪とした彼らはキリストをピラトに引き渡します。その裁判の中でピラトはキリストに、「あなたはユダヤ人の王なのか」と尋ねます。訴えられた理由の一つだったからです。

 キリストは否定せず「あなたがそう言っています」と答えます。ピラトの理解は不十分でしたが、キリストは確かにユダヤの真の王として真の平和をもたらすためにこの地に来られたのです。

 このあとユダヤ当局者たちはキリストを有罪にすべく訴え続けます。しかしキリストは何も答えません。不当な証言にも一切反論せず、父なる神様に委ね、凛として静かに立つキリストをピラトは驚きをもって見つめます。

 聖書の別の箇所には、キリストのことばを聞き「真理とは何か」と尋ねるピラトの姿も描かれています。最終的にはピラトはキリストに死刑判決を出してしまいます。しかしピラトは、キリストを十字架にかけるときにその罪状書きに「ユダヤ人の王」と記させ、不思議にも真理を人々に示します。

 確かにキリストはユダヤの王、いや、すべての人の王として十字架にかかり、救いの道を開いたからです。 人間の計画や愚かさに妨げられずに、キリストによる罪の赦しの道は確実に成就に向かって進んだのです。それは私たちの救いの道、いのちの道、神の愛のご計画の成就の道でした。

 聖書のことば
「『キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた』ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。」
           新約聖書 テモテへの手紙第一1章15節

キリストはあなたのために死んでくださったのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.8.25放送でのお話しより )


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■安息日を正しく守る祝福 / 岩井基雄

2023年02月22日 | Weblog

2022/8/24放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 私たちは一週間を七日のリズムで生活していますが、それは聖書から始まっています。それは聖書が語る神様が、何もないところから時間も空間も、すべての天体も、すべてのいのちをも造られたのが六日間で、七日目を休まれたからです。

 聖書が語る創造の一日は、24時間と考える必要は無いようです。一日を表すヘブル語はかなり長い期間を表すこともできるからです。しかし、この一週間に一度、日々の働きから離れて、心も体をも休め安息の時を持つ大切さを聖書は教えています。私たちはきちんと休まなければ、心も体もバランスを崩してしまうからです。

 聖書は、私たちが神様を求め神様に向かうものとして創造されたことを記しています。私たちの本当の祝福は、神様の創造の目的やリズムに沿って生きるところにあるのです。

 聖書はこう命じています。
 「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。・・・主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。」
        旧約聖書 出エジプト記20章8節~11節

 安息日の目的は心や体そして魂の憩いとして休みを取り、安息を味わうことです。それは私たちが神の創造の本来の目的に戻り、神に心を向けて静まり、本当の自分を回復させる時とも言えるでしょう。そこに安息日を守る意義があります。

 ですから、神の民はこの安息日に真の安息を受け取るために静まり、神への賛美と礼拝を捧げたのです。旧約聖書の時代、神への礼拝は七日目の土曜日でした。しかし、今は日曜日です。それは、イエス・キリストが私たちの罪の赦しのために十字架にかかって死に、三日目によみがえってくださった日が日曜日だったからです。

 日曜日は、キリストの復活の勝利と希望を表している日なのです。私たちは働きすぎてしまう傾向がありますが、神様の前に心も体もそして魂も休めて、神様にある平安を受け取るとき、本来の自分を取り戻すのです。

 あなたもこの神様の祝福を受け取る者として、神様への礼拝に参加してみませんか? そこから本来のあなたへの姿への道が始まるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.8.24放送でのお話しより )


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■神様に心から信頼する恵み / 岩井基雄

2023年02月21日 | Weblog

2022/8/23放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 世界にはさまざまなルールがあります。国を治める法律、世界に通用する国際的なルールがあり、それらを通して、私は他の人や他の国々の人々と共に生きる大切さと難しさを知るのです。
 
 世界の法律に影響を与えたものとして聖書が語る神の戒め、律法があると言われます。その律法の中心には神の民イスラエルに神がモーセを通して与えた十戒、十の戒めがあります。今日はその3番目を学びましょう。

 お読みします。
 「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。」
            旧約聖書 出エジプト記20章7節

 少し理解が難しい戒めですね。主の名すなわち神の御名をみだりに口にする、とはどのようなことでしょうか。名前は本質を表しますので主の名、神の御名とは神ご自身を示します。神様はご自身を正しく恐れ、信頼と親しさを持ってご自分の名前を呼び近づくことを求めておられます。

 ですから私たちが自分の願いを叶えてもらうために、安易に主の名、神の御名を利用することは避けなければなりません。旧約聖書の時代には、魔術師が秘密の神の名を発音して、神を自由に操ろうとすることがあったようです。そのような用い方や自分の正当性を示すために神の名を乱用すること、また軽率に神の名を口にして神を汚すことも避ける必要があるのです。

 しかし、それらを守ることが表面的になったり、人を裁く理由にしないようにする必要があるでしょうね。本当に大切なことは外側よりも中身だからです。神様への祈りも賛美も、心から神様に信頼し、真実に神様に向かい、賛美と感謝を表すことが大切です。私たちはどんなときにも、すべての祈りを聞いてくださる神様の愛とあわれみに信頼して、心から神様ご自身を呼び、祈り求めていくことができるからです。

 あなたも聖書が語るすべてを造られた神様を信じ、その愛と祝福を受けとめ、その神様の愛と恵み豊かに溢れる人生、神様の祝福の人生を歩んでいきませんか? 神様はあなたを祝福しようと待っていてくださいます。神様の御名に信頼する人生、その祝福の道があなたの前に開かれているのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.8.23放送でのお話しより )


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■神の恵みのことばによって / 岩井基雄

2023年02月20日 | Weblog

2022/8/22放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 今日は詩篇119篇のことばから、神の恵みによって生きる祝福に心を留めてみましょう。

 聖書の中には「恵み」ということばが多く記されています。それは、受けるに値しない憐みや慈しみを受け取ることを意味しています。聖書が語る神様の恵みは、弱く愚かで罪深い私たちに豊かに注がれていて、その恵みと愛に満ちた神のことばによって私たちは力を受けるのです。今日の詩篇をお読みします。

 「あなたの恵みによって あなたのしもべを取り扱ってください。私にあなたのおきてを教えてください。」
            旧約聖書 詩篇119篇124節

 この詩篇の作者は、聖書が語る神様こそ自分の人生の主であり、自分自身はしもべのような小さな存在であると告白します。彼は神様の主権や愛の豊かさを知り、すべてに主権を持つ神様の愛と恵みによって自分を取り扱ってほしい、と願うのです。そして、神の掟すなわち神のことばを通して真理を教えてほしい、と進み出ます。

 彼は直前でこう歌っています。
  「私の目は あなたの救いとあなたの義のみことばを慕って絶え入るばかりです。」
            詩篇119篇123節

 彼は苦難の中にあって、神による救いそして真に正義であり憐み豊かである神様のことばを心から慕い求めます。どんな苦難や悲しみの中にあっても神のみことばを通して神の愛と恵みを受け取り、その慈しみと義に生かされる人は何ものをも恐れる必要がないのです。

 彼はさらにこう願って歌います。
 「私はあなたのしもべです。私に悟らせてください。そうすれば、私はあなたのさとしを知るでしょう。」
            詩篇119篇125節

 神の悟しと知恵は、神の民イスラエルの三代目の王ソロモンが神に求め与えられたものです。彼は神の知恵によって賢く国を治め、その噂はほかの国々にも知られていました。彼の時代、イスラエルは豊かに祝され、栄華を極めたのです。しかし、そのあとソロモンは高慢になり神の知恵に信頼し続けなかったので、イスラエルは分裂し滅ぼされてしまいます。

 神の恵みに生かされる祝福とともに、従い続けることの難しさをも聖書は語ります。神の恵みのことばに生かされ続け、教えられやすい心を持ち続けていきたいですね。


    ( PBA制作「世の光」 2022.8.22放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-112 悔い改め-向きを変えて / 大嶋重徳

2023年02月18日 | Weblog

2022/8/20放送

「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 聖書のルカ福音書5章には、取税人レビを弟子に招かれたイエス様が、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」と言われ、魂の医者としてレビの人生を救い出されました。

 そこでさらにイエス様は、「私が来たのは罪人を招いて悔い改めさせるためだ」と仰いました。

 この箇所の強調点は「悔い改めさせる」ということです。イエス様は医者として、病人である罪人を治療なさいます。その治療とは人が悔い改めることです。悔い改めるためには自分の罪を知る必要があります。さらに自分がその罪を赦していただかなければならない者であることを認め、罪と訣別して新しくなることを求めていくところに悔い改めが起ります。そして罪を神様の前に告白し、十字架によって赦されて、新しくされることへ、イエス様は私たちを導かれるんです。悔い改めによって私たちの生き方は確かに変わるからです。

 イエス様の招き、イエス様の魂の治療は、「あなたはそのままでいいよ」というものではありません。イエス様は神についていかなかったレビの過ちを示され、「わたしについて来なさい」と仰いました。「あなたが今ついていっているものは間違っている」と。そして取税人レビの人生をその場所から立ち上がらせ、それまでの生き方を止めさせ、ご自分に従う人生に招かれるのです。

 罪を赦されるイエス様は、罪に開き直ったままにされることはありません。悔改めを軽んじたりはされません。

 イエス様は宴会の始まる前でしょうか、途中でしょうか。罪を告白するレビの祈りを聞いてくださったでしょう。そして弟子となっていくレビの姿を見守ってくださっていたでしょう。イエス様はあの時のレビだけを見ておられるのではありませんでした。やがて神に従っていく将来のレビの姿をじいっと目を留めてくださっているのです。

 このレビはやがてマタイと知られていき、マタイの福音書を記すこととなります。

 「わたしについてきなさい」と言われるイエス様は、今日も悔い改めに導かれます。悔い改めても悔い改めても罪を犯す私たちです。しかし、確実に時間をかけ私たちの人生を変えてくださいます。「自分は変わらない」と座り込んでしまう私たちに、「わたしについてきなさい」と。

 今朝の私たちもイエス様のこのことばについていきたいと思います。


    ( PBA制作「世の光」 2022.8.20放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-110 イエスに出会ってほしい / 大嶋重徳

2023年02月18日 | Weblog

2022/8/18放送

「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
ルカ福音書を順番に読んでいます。5章の続きです。

 取税人をしていたレビは、イエス様に「わたしについて来なさい」と声をかけられ、すぐに従いました。今までの生き方を捨てたんです。こんなことばを聞けるとは思わなかった。嬉しかった。何もかも捨てても惜しくはないほどの喜びの人生がそこに待っていました。新しい人生へと踏み出しました。

 そして彼が一番最初にやったことは、イエス様のために盛大な宴会を催しました。

 取税人は税金を集める仕事で、その税金からいくらでも自分の懐へ抜き取ることができました。多くは金持ちだったんです。これまで同じ取税人仲間と一緒に宴会をしたでしょう。他の人を招いても誰も来てはくれません。軽蔑されている取税人仲間どうしで互いに慰め合い、酒の力で憂さ晴らしをするような宴会を彼は催していたのです。

 しかし今、彼はそれまでとは全く違う宴会を準備しました。それまでのやけ酒によって憂さ晴らしをするような宴会とは全く違う、本当の喜びに満ちた宴会です。そしてその宴会に取税人たちや、ほかの大勢の人たちを招きました。この宴会はもはや、お互いに傷をなめ合い、愚痴をこぼし合い、酒によって憂さを晴らすためのものではありませんでした。

 なぜなら、ここにはイエス様がいてくださるんです。レビは自分の仲間たちにこのイエス様を紹介しようとしたんです。「イエス様に会って欲しい」 自分の仲間とイエス様との出会いの場を作ろうとしました。取税人のみではありませんでした。ほかの人々も大勢いた、とあります。当然「ほかの人々」もレビが呼んで来れるレビの仲間です。「あんな罪人と食事を出来るか」と言われ、嫌われ軽蔑されていた人々でした。

 イエス様はこのレビの願いに応えてくださったんです。「イエス様に出会って欲しい」「ご飯を一緒に食べて欲しい」と願う食事会。そこでレビは話したことでしょう。「自分はイエスとの出会いによって、それまでの生き方を抜け出して全く新しく歩み出すことができた。みんなもどうだ?」 その喜びを今までの仲間にも分かち合ったでしょう。

 ここに彼の悔い改めがあります。「悔い改め」 それは、生き方の方向転換という意味です。自分のために憂さを晴らしていた人生からイエス様のことを伝えたいという人生に向きが変わりました。

 今日も私たちの人生に向きが変えられるチャンスがあります。あなたがキリストと出会うのであれば、あなたは誰と一緒にイエス様に出会いたいでしょうか。


    ( PBA制作「世の光」 2022.8.18放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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