♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■新しいわざ

2008年04月30日 | Weblog


世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 今日の世の光のバイブル・メッセージのテーマは「新しいわざ」、そして聖書のことばは旧約聖書イザヤ書43章19節です。お読みしましょう。

 「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。

 今私たちが生きている世界は昔に比べて比べようがない程便利な世界です。しかし霊的に精神的には、荒れ果てた時代ではないでしょうか。人類の荒廃した世界、乱れた淫らな世界、そして壊れた家庭生活。まさに荒野であり、荒地ではないでしょうか。

 しかし神は、この荒廃の世に預言して言われるのです。それこそ神が私たちにしてくださる新しいわざです。神は「荒野に道を、荒地に川を設け」てくださるというのです。

 神が天地万有を創造された時、すべては麗しく、神は人間を祝福して、「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」(創世記1章22節、28節、9章1節、7節、35章11節参照)と言われました。初めの人アダムとエバが置かれたエデンの園はいのちの木が生え、いのちの泉潤おう楽園でした。

 しかし、アダムとエバは神の戒めを破り、罪によってこのいのちの園から追放されてしまいました。しかし神は、この罪のゆえに失楽園となってしまった人間の世界を新しくするという決心をなさり、約束をされました。

 荒野とは何か。荒野とは第一に、それは祈りのない、生ける神との交わりのない、荒廃した生活です。そして汲めども尽きないいのちの水に日々養われるみことばを味わう生活となるのです。その生活を取り戻す時に、私たちの心は悔いた砕けた魂となり、新しい神の霊に溢れ、そこに喜びと祝福に満ちた新しいわざが始まります。

 聖書のことば

背信の子らよ。帰れ。----主の御告げ。----わたしが、あなたがたの夫になるからだ。
 旧約聖書 エレミヤ書 3章14節のことばです。 

 (PBA制作「世の光」2008.4.30放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。





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■ねたみを捨てよう

2008年04月29日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日も最初に聖書のことばを紹介しましょう。

 新約聖書ヤコブの手紙3章14節
 「もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。

 妬(ねた)み、敵対心。まあ何と私たちの心にすぐに入りこんでくるものでしょう。私たちはときどき他の人の成功を喜べないことがありますよね。どうしてあの人があんないい事が起こるの? 私より劣っているのに! とかですねえ。だんだんエスカレートしてくると、相手の失敗さえも願うようになり、ひどい目に遭えばいいとさえも思ってしまう、そんないやらしい心を持ってしまうことがあります。

 しばらく前ですけれども、放火事件の報道がありました。犯人は隣の家の人だったんです。理由はこうでした。「いつも隣の家が幸せそうだったので火を着けました。」 まあ、幸せそうなら、そりゃ良かったですね、と思えばいいではありませんか。でもいつの間にか他の人を喜べない妬みや敵対心が心の隙間に入ってしまうんですねえ。

 ちょうど果物が実りを迎えようとする時、その実に外虫がついて枯らしてしまうことが良くあります。気がつくとびっしりと小さな外虫がこびりついているんです。私たちの心も、もし妬みや敵対心が覆っているとするなら、それはあなたの成長をただ妨げていくだけです。そして時には、あなたの人生さえも台無しにしてしまうんです。

 それでは聖書は何と言っているでしょう。

 ピリピ人への手紙2章3節には、
 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」(ピリピ2章3-5節) こう記しています。

 「互いに人を自分よりもすぐれた者と思え。」って言うんですねえ。互いの存在が大切であることを認め合うことから始めようと言うんです。

 みな一人一人は違います。でも、それぞれが大切な体の一部のような存在とされているんです。そんなふうに互いを見ていくことは、イエス・キリストがあなたを大切な存在として見ていてくださるからなんですよ、と聖書は教えています。

 イエス・キリストはあなたを御覧になった時、大切なかけがいのない存在としていつも見ていてくださるんですよ。

 (PBA制作「世の光」2008.4.29放送でのお話しより)

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■週のはじめの日に

2008年04月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、今日は月曜日ですから昨日は日曜日でしたねえ、当たり前のことですけども。この日曜日についてどんな風に考えていらっしゃるでしょうかねえ。

 一週間働いてそして、まあ土曜日お休みの方もあるでしょうけども、で土曜日働いていらっしゃる方は、明日は日曜日で休みだ、って。こう一週間働いてそして土曜日が来て日曜日が来るっていうふうに考えられるのが普通かもしれませんね。

 ところが聖書の中にはですね、この日曜日のことを「週の初めの日」(マルコ 16章2,9節 ルカ 24章1節 ヨハネ 20章1,19節  使徒 20章7節)っていうふうに書いてあるんですね。「週の初めの日」、つまりその「週」というのは日曜日から始まっていくということなんですね。

 で、昔は、---ってのはキリストがおいでになる前ですね、キリストが復活されるまでは---、土曜日が安息日というふうに当然言われていて、で、それは神様が一週間創造されて、そして最後に休まれた、それが土曜日にあたる。それを安息日ってこう言ってて。で、つまりずうっとこういろんなことがなされて働いてその御褒美に、さあお休みですよって貰うそれが土曜日という安息日の考え方なんですけれども。

 イエス様が復活されたのは日曜日の朝なんですね。日曜日の朝。それで教会はキリストの復活を記念する、キリストが復活されたのは日曜日の朝だからということがあって、日曜日には教会では礼拝を守るというのが普通になっている訳なんですね。

 そしてこの日は、やれやれ一週間働いて御苦労さんお休みだというのではなくって、この日曜日はキリストの復活を記念する時で、そのキリストの復活の命の力をいただいて、さあこの週も頑張るぞ、という。一週間働いてからというんではなくって、まず最初に神様を礼拝し、キリストのよみがえりの力をいただいて、そして一週間そのエネルギーで働いていくという、そういう生き方なんですね。

 つまり、私たちの生活の中に、よみがえってくださったイエス・キリストをその生活の中心に据えて、その方の命と力とを持ってその日を、その週を、スタートして行くという、これが私たちの人生にとって大切な生き方をこれは暗示しているってことなんですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2008.4.28放送でのお話しより)

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東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■人生の時(4)<憎しみから愛へ>

2008年04月26日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 私たちの人生には、降ってわいたような局面がやってくる事があります。

 先日、私の所に奇妙な男女が訪ねてきました。聞けば3年前に離婚したということでした。無理もありません。夫が一度ならず二度までも薬物に手を出し、刑務所に入ったとのことです。元妻は、夫が目の前で捕まり、裏切られた怒りからしばらく呆然自失の状態で、そして憎み、別れたというものでした。
 それなのにどうして今頃二人で訪ねてきたのでしょうか。まあそれが男女の不思議ということなんでしょうが、元夫は仮出所して、今は社会に復帰しつつあり、それを元妻が助けている。別れたけれども子どものためにも、もう一度やり直したい。そう考えて、それで相談に来たという訳です。

 人が誰かを憎む場合、いきなりそうなったというのではなく、それまでに幾度も我慢がならないという場面が繰り返されているものです。それが積もり積もって、ある時に爆発する。そして裏切られた思いが強ければ強いほど憎しみは大きくなるものです。けれども憎しみには終りがありません。憎しみは憎しみを増幅させ、決して人を幸せにはしません。

 旧約聖書、箴言(しんげん)10章12節には、こうあります。

 「憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。

 ただ私たちの人間の愛は、何かの拍子に、また憎しみに変わるものです。聖書が言っている「すべてのそむきの罪をおおう」愛というのは、イエス・キリストの愛です。十字架の愛です。キリストは人の憎しみ、妬(ねた)み、それらをみんな十字架の上に引き受け、罵(のの)しられても罵り返さず、全部飲み込んでしまわれたのです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」(ルカの福音書23章34節)と祈られました。

 もしもあなたが今日、誰かに憎しみを抱いているのなら、キリストのもとに行き、すべての誤ちを覆う大きな愛を心に受けようではありませんか。

 ( PBA制作「世の光」2008.4.26放送でのお話しより )

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そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

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  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
(自由ケ丘キリスト教会内)

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■罪の赦し

2008年04月25日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄(いわい・もとお)です。

 「教会に行くと『あなたには罪があります』と、よく聞かされますが、それがとっても嫌です。」と、ある方が正直に語ってくださいました。確かにそうかもしれませんねえ。今日は、そのことについて御一緒に考えてみたいと思います。

 世界に広がっているホスピスは、自分の「死」と向き合うことを支える病院です。その働きは、死に打ち勝ったよみがえりの主であるイエス・キリストによる「希望」があるからこそできる働きなのです。

 それと同じように、聖書が私たちに自分の「罪」を見つめるようにと語るのは、イエス・キリストにある「救いの道」があなたに用意されているからなのです。解決の道、勝利の道があるからこそ聖書は、あなたには罪がある、と語っているのです。

 聖書には、最初の人アダムとエバが神様の教えに背き、善悪の知識の木からその実を取って食べてしまうことが語られています。そしてそこからこの世に罪が入ってきたとあります。

 そのことについてある方がこう言っていました。「それは本来、神様が判断される善悪を『自分で判断します、自分が善悪の基準です』と言っているようなものだ。」と。

 確かに人間の罪の根本は自分を神とすることであり、自分の思いや考えを基準としてすべてを判断しようとしてしまうことです。真の主権者である神様を認めず、自らを神としてしまうのです。

 しかし、そんな自己中心な自分の姿を私たちはなかなか(そうだと)認めることが出来ません。しかし、その自分の姿を見つめ、認めていくことにこそ本当の解決があるのです。

 聖書にはこうあります。「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」(ローマ人への手紙 5章20節)と。罪が分かれば分かるほど、そこに神様の恵みの豊かさが溢れていくというのです。

 罪を自覚すること、それは簡単なことではないでしょう。しかし、あなたが自分の罪を認め、その罪のためにイエス・キリストが十字架にかかってくださったことを信じ受け入れる時に、あなたは本当の救いを自分のものとし、あなたに本当の恵みが豊かに溢れるのです。罪の自覚が増し加わるところには、恵みも満ちあふれるのです。

 また聴いてください。

 (PBA制作「世の光」2008.4.25放送でのお話しより)

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■新しい人生へと踏み出す

2008年04月24日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。

 今日は聖書の中のヨハネの福音書8章11節から読んでみましょう。

 「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。
 「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネの福音書8章7節、11節)

 姦淫の現場で捕まえられた女性がイエスのもとに連れて来られました。その心は惨めで恥ずかしさと後悔でぐしゃぐしゃだったことでしょう。しかし、この女性の心を考える者など誰もいませんでした。むしろユダヤの宗教家たちはイエスをことばの罠にはめるためにこの女性を利用したのです。

 イエスに質問して言いました。「ユダヤの掟では、こんな女性は石打ちの死刑に値するが、あなたはどうするのか。」 そこでイエスが「ユダヤの掟に従って殺しなさい」と答えたなら、神の愛と赦しを主張するあなたの教えとは矛盾するではないか、と責められたことでしょう。しかし逆に、「赦しなさい」と答えたなら、あなたはユダヤの戒めを破る者だ、と非難されてしまう。どっちに転んでも非難を免れ得ない、大変難しい質問でした。

 ところがイエスは、こう答えました。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」 すると、年長者たちから始めて、ひとり去り、ふたり去り、最後にイエスとこの女性だけが残ったといいます。

 誰でも胸に手を置いて心を探って見れば、自分がそれほど正しい人間ではないことぐらい分かるのではないでしょうか。この女性がそうであったように、それこそ自分の罪深さに本当に恥じ入る思いにさせられることもあるかもしれません。

 もし、あなたがそうであるなら、イエスがこの女性に語ったことばに耳を傾けて欲しいのです。
あなたを罪に定める者はなかったのですか。」(ヨハネの福音書8章10節)
わたしもあなたを罪に定めない。」(ヨハネの福音書8章11節)

 あなたの罪は赦されています。そして神はあなたに正しい人生を歩むようにと語りかけてくださっています。聖書が語る罪の赦しを受け入れて、全く新しい人生に踏み出してみませんか。

 ( PBA制作「世の光」2008.4.24放送でのお話しより)

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■新しい心

2008年04月23日 | Weblog

世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。今日の私のバイブル・メッセージのテーマは、「新しい心」です。聖書の箇所は、旧約聖書エゼキエル書36章26節です。お読みしましょう。

 「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたの体から石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。

 人間は「神のかたち」に造られ、神を愛し神に愛される特別の素晴らしい存在です。その心に永遠を想う思いが備えられています。しかし最初の人アダムとエバが神に背き、その心が罪に汚(けが)れ、真っ黒なひねくれた固い石の心になって、人類は憎み合い争い合う混迷の世界になってしまいました。しかし神は人類を救うために計画を立てられたのです。どのようにして固い石の心を素直な柔らかい心に取り替えてくださるのでしょうか。

 小さい頃から自分が叱られても叱られても、自分が悪いとは分かっていても、自分の心がかたくなで、「ごめんなさい」ってひとこと言えば赦してもらえるのに「ごめんなさい」と言えず、親を悲しませ、自分も苦しんだのを思い出します。

 神様は言われます。「あなたがたの石の心を取り除く」と。私たち人間はどんなに努力をしても自分をきよめることはできません。心が変わらなければなりません。心の罪が赦されきよめられなければ心は変わらないのです。

 神は言われます。「『さあ、来たれ。論じあおう』と主は仰せられる。『たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。』」(イザヤ書1章18節) もう一度神様は人間が悔い改めて神に立ち返る時に、その独り子の贖(あがな)いの血によって、信じる者を救う道を与えてくださいました。自分でどうすることもできなかった固い石の心はイエス・キリストによって柔らかな素直な悔い改める心になりました。

 聖書のことば

 「あなたがたの石の心を取り除く」 エゼキエル書36章26節のことばです。

 (PBA制作「世の光」2008.4.23放送でのお話しより)

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■癒す言葉

2008年04月22日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 新約聖書のヤコブの手紙3章2節のことばを今日は紹介しましょう。

 「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。・・・同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。」(ヤコブの手紙3章2節、5節)

 まあ昔も今もことばで失敗しない人はいませんよね。ほんの小さな一言が大きな出来事に発展するなんていうことがよくあります。考えたことがありますか? いつも自分が使っていることばをそのまま他の人から言われたらどんな思いを持ちますか? 嬉しくなりますか? それとも頭にきますか? もしあなたが相当頭にくるなら、ことばにもう少し気をつけた方がいいですよね。私たちはあまりにも身近な人に対して、夫に対して、妻に対して、親に対して、子どもに対して、辛辣(しんらつ)なことばを投げかけてはいませんか?

 ある牧師さんの所に一人の奥さんが相談に来られたそうです。お姑さんがお嫁さんに対してこう言ったっていうんですねえ。「お前さんが家に嫁に来てから、わたしゃ心の休まる日がないよ。」 まあ辛辣なことばですね。時間にすればたった3秒・4秒のことばです。しかしお嫁さんにしてみれば、それは大きな大きな心の痛みとして残った訳です。

 人は存在を否定されるようなメッセージには耐えられません。それが3秒でも4秒でも、いや一瞬でも耐えられないものです。

 (旧約聖書の)箴言(しんげん)の12章18節という所には
 「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。」と書いてあるんです。

 人のことばは、その人の心を突き刺す剣のようにもなるし、その人の心をいやすものにもなる、と教えているんですねえ。「知恵のある人の舌は人をいやす。」とありますよね。「知恵ある人」、その知恵ある人の模範は一体誰でしょうか。聖書は、イエス・キリスト御自身だということを教えています。ですからイエス・キリストの語られることばこそ、私たちをいやし、慰め、励ますことばそのものになっていくんですね。

 イエス・キリストは、私たちを羊に例えて、こう語っています。
 
 「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネの福音書 10章10節)と。

 イエス・キリストの語りかけに耳を傾けましょう。

 (PBA制作「世の光」2008.4.22放送でのお話しより)

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■その人とはいつも一緒にいるから

2008年04月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、新約聖書の一番最初の福音書はマタイによるものですねえ。マタイによる福音書の一番最後に書かれてあることばは、「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたと一緒にいます。」(マタイの福音書 28章20節参照)という、それがイエス様最後のことばであるとして記されている訳なんですね。で、マタイの福音書の一番最初の方では、あの系図のあとに、神が私たちと一緒にいてくださるという意味です、という「インマヌエル」、イエス様というお方はインマヌエルというふうに言われるお方だということが紹介されていて、神様が私たちと一緒にいてくださるそのことを受けるようにして、最後には「世の終わりまでいつもあなたがたと一緒にいます。」ということばで結ばれているということは大変私たちにとって大きな励まし慰めであると思うんですね。

 ただ、このことばはですね、その前に命令がついていまして、それは、「出て行ってすべての人たちを、全世界の人たちを弟子とするように」というふうにしてイエス様が命令をされた訳なんですね。

 で、前回も申しましたようにイエス様は復活されてから40日の間この地上におられて、そして弟子たちに御自分が復活したことをはっきりと証明されたこと、聖書について理解を深めることをなさったこと、それから彼らの信仰をフォローすること、フォローアップすることですね。

 そして大事なことは、この福音、このイエス・キリストがおいでくださったという意味、それは、私の罪のためにイエス様が十字架にかかって下さったのだ、私たちが永遠の希望を持つことができることのためにイエス・キリストはその永遠のいのちの保証としてよみがえってくださったのだというその福音の中心的なことをすべての人たちに伝えるように、話すように(と)。

 自分たちだけ「ああイエス様を知って良かったあ。ああ信仰を与えられて救われて良かった。」と喜んでいることではなくって、必要なことは、全世界のすべての人たち、すべての人が救われなきゃいけないのですから、どうしたら救われるのかということを伝えるようにというふうにイエス様は命じられた。

 その命令に従って出て行くあなたがたに対しては「わたしはいつもあなたがたと一緒にいるよ」と。確かにそれは勇気のいる仕事ではあるんですけれども、「大丈夫、わたしがそばにいるから」ということですね。

 イエス様がいつも共にいてくださるということを自覚できる人はイエス様の命令に従う人だっていうふうに言えると思いますねえ。

 ( PBA制作「世の光」2008.4.21放送でのお話しより)

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■人生の時(3)<偶然なのか神が導かれる時なのか>

2008年04月19日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 原田憲夫(はらだ・のりお)です。

 旧約聖書の『伝道者の書』3章1節に「すべての営みには時がある。」とあります。私たちの日常の出来事は何事も偶然のように思われがちですが、聖書は「時がある」と言っています。それって、ただ時計の針が刻む時間のことではなく、機が熟した瞬間ということだろうと思うんです。

 先だって、結婚式を挙げた男女がありました。この二人は8年前に私たちの教会が企画した研修ツアーで初めて顔を会わせました。お互いに惹き合うものがあったようでした。けれどもそれぞれに外国へ行っていたり、仕事が急激に忙しかったりで、すれ違っていました。それが3年前、急な展開となり、結婚へと大きく動き始めました。ところが数ヶ月後に、男性の方がいのちに関わる大きな手術をし、残念ながら結婚の話しは消えました。それから1年が経ちました。再び私の所に相談に来られました。そして遂に、苦節を乗り越え、目出たく結婚したという訳です。まさに絶妙の「時」があって神が導かれたとしか言いようがないんですねえ。

 私たちの人生には何とも言えない不安定さが漂っていて、それはまるで果てしない海の上を航海する船にも似ていると思うんです。けれども航海士が偶然に舵を動かしていたのではとんでもないことになる訳です。船の航海に欠かせないのは正確な羅針盤です。実は私たちの人生を安全に案内してくださるお方が救い主イエス・キリストというお方です。

 詩篇107篇29節、30節
 「主があらしを静めると、波はないだ。
  波がないだので彼らは喜んだ。
  そして主は、彼らをその望む港に導かれた。


 もしあなたがこのお方に信頼するなら、その人生は偶然に左右された危険なものではなく、キリストに導かれる安全と安心を日々経験することになるでしょう。あなたも今日から、キリストに信頼する人生を始めてみてください。

 ( PBA制作「世の光」2008.4.19放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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(自由ケ丘キリスト教会内)

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