♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■ 神は正義である

2010年09月30日 | Weblog
2010/9/30放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「 神は正義である」です。 それではローマ人への手紙2章6節から読んでみましょう。

 「神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。

 以前、ある国で出国手続きをしておりましたら、係官に荷物検査を求められた人がいました。 ぼーっと見ていると、何とその人は係官のポケットにお金をねじ込んで立ち去ってしまったのです。 いろいろと噂ではそんなこともあると聞いてはいましたが驚きました。

 世の中には様々な不正があります。 こんなことはおかしい、と思うことが平気で行われていたりすることがよくあるものです。 しかし聖書は、どんなに不正がはびころうがこの世界には正しい神様がおられる、ということを語っています。 神は正しいお方であり、賄賂(わいろ)は通じません。 

 そこで、神が正しい方であると言った場合、二つの点に注意すべきだろうと思います。 

 一つは、正しい神は正しいことを行なう者に良い報いを与えられるお方である、ということです。 パウロという伝道者は言いました。 (神は)「忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、」 (ローマ人への手紙 2章7節)

 神は正しいことが分るお方であり、正しい歩みをする者に対してはそれ相応の祝福をしてくださるお方なのです。 

 二つめに、正しい神は正義を無視する者を罰せられます。 神は、その行ないに従って報いを与えられるお方であり、不正を行なう者に対してはその不正の実を刈り取るようにされます。 ですから目に見えない神を意識して誠実に人生を歩む者にとって、正しい神がおられるというのは喜びですねえ。 この不正の世の中で正しい人生を歩むということは、ばかばかしいことでもまじめくさったことでもありません。

 皆さんはこの世の中の矛盾に悩んだことはないでしょうか。 そのようなときに、どのようにして皆さんは自分を建て直すでしょうか。 私たちが不正を感じることは多々あります。 しかし、私たちが正しい神様の存在を信じて神様の御心に信頼するならば、私たちは真直ぐに歩むことを恐れなくなるものです。 そしてたとえ不正の中に置かれていようと自分の最善を尽くして生きるときにその報いは大きい、と知ることができますね。 

 神様を畏(おそ)れて歩みたいものです。

   ( PBA制作「世の光」2010.9.30放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
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そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
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■メメント・モリ

2010年09月29日 | Weblog
2010/9/29放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。 

 「メメント・モリ memento mori 」 このことばはラテン語で「自分が必ず死ぬことを覚えなさい」という意味のことばです。

 聖書にも似たような意味のことばがあります。 旧約聖書の伝道者の書7章2節に、「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」 つまり、葬儀に行けば、人は必ず死について考える。 メメント・モリ、自分が死ぬことを心に留めなさい、というのです。

 死ぬことを心に留めることは大切です。 生きることを喜び楽しむことも素晴しいことですが、死はすべての人に必ず来るのです。 この死の問題を解決しなければ、どんなに良い人生を送っても意味がありません。 ローマ人への手紙には、すべての人がまことの神様のことを覚えず従わないという罪を犯し、人はその罪によって必ず死ななければならないことを教えています。 ですから、死の問題は罪の問題でもあるのです。 

 それでは「メメント・モリ」と自分が必ず死ぬことを覚えればこの罪と死との問題は解決できるでしょうか。 残念ながらそれだけでは解決になりません。 ですから伝道者の書では12章の1節で、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。」と教えています。 聖書は、自分が必ず死ぬことを覚えなさい、そして自分が死んでしまう前に罪を赦し新しい命を与えることができる創造者である神様を覚えなさい、と教えているのです。

 イエス様は、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ 11章25節)と言われました。 自分の死を受けとめている人にとって「死んでも生きるのです」というイエス様のこのことばは本当に救いだと思います。 

 あなたは自分が死ぬことを恐れてはいませんか? そしてなるべく死ということを考えないようにしているのではないでしょうか。 でも勇気を出して自分の死に向き合ってほしいと思います。 そして覚えてください、罪を赦し新しい命を与えることができる神様のことを。 

 お近くの教会にいらっしゃって、新しい命を与える神様に出会ってください。 

  ( PBA制作「世の光」2010.9.29放送でのお話より )

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■暗闇で語られる主

2010年09月28日 | Weblog
2010/9/28放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。 

 新約聖書マタイの福音書10章27節 
 「わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。

 私は牧師となって教会の働きを始めていきましたが、最初はですねえ殆ど人がいない中から始めていきました。 宣伝してもなかなか集まらないんです。 何をやっても思うようにいかない現実にぶつかってしまいました。 口から出てくることばは「どうしてだろう。何が問題なんだろう。」 遂に三年めには完全に自信をなくしてしまい、もう牧師をやめようと考えたんです。 毎日がとても惨めで、失敗者のような思いが私の心を襲ってきました。 「本当に神様は真実な方なんだろうか。 神様が生きているなら、どうしてこういう状態を放っておかれるのだろうか・・・。」 まあ行き場のない思いが愚痴となり不平となってたくさん出てきました。 

 当時、イン・ヒズ・タイム In His time というアメリカで歌われていた曲を翻訳し、自分の教会でも歌っていました。 「御手の中で」とタイトルが付けられている曲なんですが、その詩にはこう書かれています。 

  御手の中で 全ては変わる賛美に 
  わが行く道に現わしたまえ あなたの御手のわざを

 この賛美を歌いながら、私は心の中で「でも何も変わっていないじゃないか。 神様はほんとにこの状況を感謝に賛美に変えてくださるのだろうか。 神様の御手のわざなんて何一つ現わされていない。」と思いながら口づさんでいたんですね。 

 でもどうでしょう。 私は今なお牧師をさせていただいています。 なぜかって? 特別な奇跡はその時何も起こりませんでした。 しかしこの抜けだせないトンネルの中で、まさに私にとっては暗やみのような中で神様は私の耳もとで聖書のことばを通して私に語りかけてくださったんです。  それは神様が私の生涯を造り変えてくださり、廃虚のような場所をもう一度建て直してくださるという約束のことばでした。

 人生の主語は私ではなく、神様ご自身なのだと強く思わされたのです。 独りよがりの人生ではなく神様に人生を任せ委ねていこうと決心しました。 何をやってもうまくいかなかったこの経験は私にとっては暗やみのような経験でした。 しかしこの暗やみの経験の中で受け取った聖書の約束のことばは私をもう一度立ち上がらせてくれたのです。 そして神様はこの経験を多くの人の前で分ちあうことのできる者としてくださいました。

 暗やみの経験は辛いものです。 しかし暗やみで語りかけてくださる神様がいてくださる。 何と大きな慰めでしょう。 

 (PBA制作「世の光」2010.9.28放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■愛に裏打ちされた挨拶は

2010年09月27日 | Weblog
2010/9/27放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、世の光を担当しているアナウンサーでですねえ四元さんて方がPBA・大平洋放送協会の中にいらっしゃるですけれども、この方がお話ししておられました。 御近所にですね小学校3年生の坊やでトモくんていう方がいらっしゃるんだそうですけども、毎朝のようにお父さんを励ましながら学校へ行くんだそうですよ。 というのはお父さんのほうがトモくんよりも後から出勤されるようなんですね。 それでこのトモくんが「行ってきまーす!」って外から大きな声で言いますと、二階から顔を出したお父さんが「気をつけて行くんだよー!」っておっしゃるんだそうですね。 で、トモくんが「パパも今日会社でしょう?」「うん、そうだよ。」「パパ、頑張ってね!」「分った! 頑張るよ。」「行ってきまーす!」 これが毎朝あるんだそうですねえ。 微笑ましい光景だなあと思うんですけどねえ。

 あのう、前に紹介したことがあったかなあと思うんですけれども、小学校2年生の子どもの詩で、こんなのがありました。

   おかあちゃんが 「きをつけてね。」と いった。
   ぼくは 「はい。 いってきます。」と いった。
   おかあちゃんのこえが ついてきた。
   がっこうまで ついてきた。 

 この子はお母さんと別れて一人で学校に行く訳ですけども、一人ぼっちではない、お母さんのその声がずっと学校までついてきた、って。 先程のトモくんの挨拶ではないですけど、きっとお父さんが会社に行ってもトモくんが「パパ、頑張ってね」っていうその声がずうっと心の中に残っているんじゃないかなあって思いますし、トモくんも学校に行ってもお父さんが「気をつけて行くんだよー」って言って励ましてくれたその声が心の中に響いていくのかなあ、っていうふうに思ったりしますねえ。 

 で、イエス様が私たちにですねえ、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」(マタイ 28章20節 口語訳)と約束しておってくださるんですね。 で、お母さんの愛に裏打ちされたことばが、ずうっとその子どもを追いかけていくように守ってくれるように、またお父さんのまたトモくんの互いの優しさに裏打ちされたその挨拶のことばがずうっと励まし続けてくれるようにですね、私たちのために命を捨てるほどに愛してくださった主イエス・キリスト、 そしてよみがえって今も生きていらっしゃるイエス・キリストが、いつもあなたと一緒にいるよ、とおっしゃってくださるその声を心に受けながら日々過ごしたら素晴しいと思いますね。

  ( PBA制作「世の光」2010.9.27放送でのお話しより)


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■書かれている通りに

2010年09月25日 | Weblog
2010/9/25放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 「よく読んで御使用ください。」 薬のコマーシャルでよく耳にすることばです。 どれだけ身体によいものであっても自分勝手な判断で量を決めてはならない。 聖書のことばにも同じことが言えるのだと思います。 聖書には良いことが書いてあります。 そこには命に関わること ---永遠の命に関わること--- が書かれています。 だからこそ私たちは自分勝手な解釈ではなく書かれている通りに信じ従うことが必要になります。

 しかし旧約聖書創世記19章に登場するロトは神様のことばを素直に信じようとはしない人物でした。 ロトが住んでいた町ソドムが罪のゆえに滅ぼされそうになった時、神様はロトにこう言われました。
 「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」(創世記 19章17節)

 神様はロトを生かそうとして、「いのちがけで逃げなさい。」とおっしゃいました。 ですがロトは次のように答えた、と言います。
 「私は、山に逃げることができません。・・・どうか、あそこ(小さな町)に逃げさせてください。」(創世記 19章19節、20節)

 神様がおっしゃることは自分には到底できない。 だから自分でも出来そうな所で何とか勘弁してもらえないだろうか。・・・ ロトはそう考えたということです。

 聖書のことばは私たちに力を与え、私たちを引き上げ、私たちを生かすものです。 神様は私たちが出来ないことを命じたりはなさいません。 もし私たちが神様を信じ、聖書のことばに素直に聞き従おうとするなら、神様はそれに必要な力を私たちに与え、私たちを必ず生かしてくださいます。 「できない、できない」と嘆くことはやめて、聖書のことばを書かれている通りに信じ、命を得ようではありせんか。 

 聖書のことば

 「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」 新約聖書 テモテへの手紙第二 3章15節

       (PBA制作「世の光」2010.9.25放送でのお話しより )

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  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
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■世の光であるキリストを迎える

2010年09月24日 | Weblog
2010/9/24 放送

 世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。 

 今日の聖書は新約聖書ヨハネの黙示録3章20節、21節です。 お読みします。

 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

 この聖書の「わたし」とはイエス・キリストを示しています。 イエス・キリストは私たちの罪を身代わりとなって赦してくださるお方です。 この方が心の戸を叩いておられる、という情景が描かれています。 

 19世紀、イギリスで活躍した画家のホルマン・ハントという方がいました。 彼は先ほどの聖書のことばから『世の光』と題した絵を書きました。 同じタイトルの三作品のうち、最も有名なものはロンドンのセントポール教会にあります。 その絵はこうです。

 世の光であるイエス・キリストが左手に輝く光を持ち、戸の外に立っています。 その戸は明らかに誰かの心の扉を表しています。 この心の戸は一度も開かれたことがありません。 その扉には雑草がうっそうと茂っています。 イエス・キリストはその心の戸口に立ち、右手でドアをノックしています。 そして中からの応答をじっと待っておられる。 そんな絵なのです。 

 この絵を見たある人が、「ドアの把手を書くのを忘れていますよ。」と画家に言いました。 しかしハントは、「わざとそうしたのです。 このドアには把手は一つしか付いていないのです。 それは内側にしかないのです。」と答えました。

 そうなのです。 イエス・キリストを自分の罪の救い主として人生に迎え入れ豊かな愛と祝福に生きるためには、私たちが心の戸を開かなければならないのです。 あなたも心を開いてこの救い主イエス・キリストを心に迎えませんか? あなたを愛し、あなたの罪を赦してくださる方を心に迎えるとき、あなたの心に喜びと感謝、豊かな恵みと祝福が与えられると聖書は約束しているからです。 

 キリストはあなたを愛し、あなたの心の戸を叩いておられます。 先ほどの聖書をもう一度お読みします。 

 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

 どうぞお近くのキリスト教会に行ってみてください。 そしてあなたの心の戸を開いてイエス・キリストをあなたの救い主として迎えてください。 あなたの心に豊かな恵みが注がれます。 

 それではまた聴いてください。
 
   (PBA制作「世の光」2010.9.24放送でのお話しより)

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■ 神は霊である

2010年09月23日 | Weblog
2010/9/23放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「 神は霊である」です。 それではヨハネの福音書4章24節から読んでみましょう。

 「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。

 16世紀の画家ミケランジェロが書いた『アダムの創造』という大作がありますね。 有名なものですから良く知っている方も多いことでしょう。 そこでは神が白髪(はくはつ)と白鬚(しろひげ)を蓄えて真紅色のマントをはらんで、最初に創造された人アダムに右手の人さし指を差し伸べている姿が描かれています。 つまり神様が人間と同じような姿形で描かれています。 ちなみに映画でも宇宙人が人間に似せられながら奇妙な姿で描かれることが多いものです。 これが人間の創造力の限界かなあと思わされる所ですが、神様というのは一体全体どんな姿形をしているものなのでしょうか。 

 聖書は、神は霊である、と語ります。 つまり、神は物のように姿形を持つことはない、という訳ですねえ。

 私たちは神様をあれこれ勝手に想像するものですが、神様はそういう想像した絵画的イメージや木彫りのイメージに限定されるものではありません。 目に見えない、私たちの想像を超えた存在である、ということが重要です。

 そしてそのように一つの形作られた個体ではないとするならば、神はどこにでも霊という形で存在し得るということでもあります。 私たちがどこにいようとも、つまり東京にいようと地球の裏側にいようと、いつでも私たちのそばにおられるお方である、ということですね。 そして私たちはいつでもどこでも神を呼び求めることができますし、今ここにおいても神が私たちの守りとなり楯となってくださることを確信できるのです。

 皆さんは神様が遠くに感じられることはないでしょうか。 しかし神様は、私たちが感じようと感じまいと、いつでも目に見えない形で私たちのそばにおられる方です。 今この瞬間も、このラジオを聴いておられるあなたのそばにおられて、あなたの心に目を向けておられるお方です。 この神様に心を開いて、いつも独りではない、と安心感を持って歩みたいものですね。 

  ( PBA制作「世の光」2010.9.23放送でのお話より )

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■悲しみよこんにちは

2010年09月22日 | Weblog
2010/9/22放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 羽鳥頼和です。 

 「悲しみよこんにちは」 このことばはフランソワ・サガンの自伝小説の題名として有名です。 私は高校生の頃、このことばに出会いました。 サガンの小説を映画化した作品がリバイバル上映されたのです。 私は映画を見ませんでしたが、ただこの題名が心に残りました。 高校生の私は、悲しみに遭った時に「悲しみよこんにちは」と言えたらいいなあ、と漠然と思ったのです。 今でもこのことばを時々思い出します。 人生の中で悲しみは必ずあります。 そしてその悲しみは一概に悪いものであるとは言えないと思うのです。 ですから、悲しみに出遭った時、落ち着いて「悲しみよこんにちは」と悲しみに向き合えたら良いと思うのです。 

 人生で最も大きな悲しみは愛する人を亡くすことでしょう。 小林秀雄は、「葬儀は悲しみを整えるためにある」と言いました。 そして、「愛する人を亡くしてしまった悲しみ、その悲しみを人は乗り越えられないし、その悲しみを忘れてしまうこともできない。でも悲しみは時間をかけて整えることができる。」と小林秀雄は言いました。 「悲しみよこんにちは」という姿勢と似ているのではないでしょうか。 

 悲しみに向き合うことは大切です。 悲しみに対して逃げ出さず、でも抗(あらが)うことなく落ち着いて悲しみに向き合うことが出来るなら素晴らしいと思うのです。 そして悲しみに遭った時、悲しみに向き合いながら覚えて欲しい聖書のことばがあります。 それはマタイ5章4節の「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」ということばです。 

 このことばはイエス様が語られたことばです。 あわれみ深いイエス様こそ、どんなに大きな悲しみにある人にも慰めを与えることができるお方です。 「安心しなさい。恐れることはありません。」とイエス様は言われました。 それはイエス様こそ人に救いを与え、死の悲しみ・死の恐れを取り去り、まことの平安を与えることができるお方だからです。

 このイエス様を知っていれば、どんな悲しみにも向き合う勇気が与えられるはずです。 そして本当の慰め、励ましを受けることができるのです。 あなたに本当の慰めと励ましを与えてくださるこのイエス・キリストに出会うために、ぜひ教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2010.9.22放送でのお話より )

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■環境を恐れるな

2010年09月21日 | Weblog
2010/9/21放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。 

 今日はイエス・キリストが語られたことばをまず新約聖書から紹介しましょう。 マタイの福音書10章29節から31節

 「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。

 ま、イエス・キリストは私たちが恐れやすい存在であることをよく知っていました。 だから人の評価や人の力を恐れるな、と言われています。 そして私たちの生きている今の環境も恐れることはない、と語るんですねえ。

 イエス・キリストは、「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。」という話をしました。 このアサリオンというのはですねえ、当時の最小の銅貨の単位なんですね。 ですから日本で言えば十円にあたるものですよね。 一アサリオンで二羽の雀が買える。 そうすると二アサリオンでは四羽買える、ってことになりますよねえ。 新約聖書のルカの福音書を読むと、「五羽の雀は二アサリオンで売っている」(ルカ 12章6節)と書かれているんです。 何だか少しややこしいですけれども、二アサリオンでは四羽しか買えないはずですよねえ。 でもルカの福音書では二アサリオンで五羽買えると言っているんです。 ああこれはきっと私みたいなものがいてですねえ、「二アサリオンも買うんだから一羽くらいおまけしてくれてもいいじゃないか」と交渉したと思うんですね。 それでお店の人は、「しょうがないなあ、よし、一羽持ってけ」ということで、二アサリオンで本来は四羽の所を五羽買ったということなんでしょうね。 要するにですねえ、イエス・キリストというお方は、おまけに付けられたような一羽の雀さえも神の御前には忘れられていないんですよ、ということを強調している訳です。 

 だとするなら、どうして神様は私たちの現状を知らないはずがありましょう。 おまけの一羽の雀さえ忘れることのない神様なら私たちを忘れるはずがありませんよね。 私たちの痛み、置かれている状況を知らないはずがありません。 私たちは少なくともおまけの一羽の雀よりも優れた者ですからねえ。 イエス・キリストは、あなたが今置かれている状況を恐れるな、と言われます。 なぜなら神様は私たちが置かれている立場や状況を全部知っておられるんだ、というからです。 なんと、あなたの髪の毛さえもみな数えられている、というんですねえ。 何だかとても安心します。 

 イエス・キリストは今日あなたに約束しています。 わたしはあなたのことを全部知っているのだから恐れるな、わたしはあなたと共にいる、だから恐れるな、勇気を出して生きていきなさい、と約束してくださっているんですね。 

 (PBA制作「世の光」2010.9.21放送でのお話しより)

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■互いに励まし合いなさい

2010年09月20日 | Weblog
2010/9/20放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、今日9月20日は敬老の日ですね。 あのう、敬老の日と言えば、こう元気になるお話しがいつか『天声人語』の中に載ってましたねえ。 99歳にして詩集を出版されたという柴田トヨさんていう方ですねえ。 で、『くじけないで』(※飛鳥新社、2010年)という題がついている詩集で、で、その中に「貯金」という項目の詩のことが紹介されていましたですねえ。 で、

    私ね 人から やさしさを貰ったら 心に貯金をしておくの 
    さびしくなった時は それを引き出して 元気になる
    あなたも 今から積んでおきなさい 
    年金より いいわよ

っていう、そういう詩ですね。 「年金より いいわよ」っていうのが、なかなユーモアがあって効くことばだなあというふうに思うんですけど。

 しかしこの99歳にして詩集を出すというねえ、そういうのを聞くと私どももまだ20年もあるなあってこう思ったりするんですけれども、この敬老の日ですねえ、わたしらの人生ももうボツボツおしまいでとかこう言わずにですね、今から何かをやっていくという、そういうふうな気持ち。そしてここでは年齢はいっていても瑞々しさを失わないでというふうな意味での『天声人語』の記事でしたけどね。 そういう意味でですね、私もいつも心の中に瑞々しさを持っていたいなと思いますしね。

 で、この方が元気になる一つの秘訣として、人から優しくしてもらったその好意やまたことば、それを心に貯金しておく、って言います。いいことばだなあと思いますよね。

 私たちは考えてみるとやっぱり人の優しさや人の親切や励ましのことばによってどんなに生かされてきたかなあっていうふうに思うんですねえ。 

 聖書の中にもパウロという人が、とてもこの人は強い元気のいい人だったんですけれども、でもこの人でも、打ちしおれて気落ちして、「ああダメだ」と思うようなことがあった(2コリント7章5-6節参照)。 でもその時に「みんなの励まし慰め、それが私を勇気づけた」っていうふうなことを言っていてですね、そして「自分が受けた慰めをもって今度は人々を慰めるために自分は慰めを受けたんだ、っていうことを思う。」(2コリント1章6節参照) 「だから皆さんも互いに励まし合いなさい、慰め合いなさい。」とありましたけれども、お互いにですね、与えられた慰めをもって人々をも励ますものでありたいですね。 

  ( PBA制作「世の光」2010.9.20放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ



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