♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■めぐみとまことに満ちた方

2008年09月30日 | Weblog
 
 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興(せきね・ひろおき)です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。

 先日、男女の学生150名に、「あなたの知っているイエス・キリストの語られたことばは何ですか?」というアンケートをしました。 すると殆どの人が「知らない」と答えたんですねえ。 「それでは、あなたはイエス・キリストをどのような方だと思いますか?」という質問をしますと、次のようなことばが返ってきました。 「偉大な方」「優しい人」「頼れる方」「神のような存在」「母親のような存在」なんて書いてくれた人もありました。 ま、キリストのことばは知らないけれども、何となく柔和な優しい姿を想像するんですね。 ま、多分、西洋の絵画や映画のシーンなどで一つのイメージを持つこともあるでしょうし、中には、こんな人であって欲しいというような、その人の願いが投影されていることもあるかもしれません。 しかしイエス・キリストがどのような方かを知るためには、どうしても聖書を開く必要があるんですね。 

 イエス・キリストの生涯を記した聖書の福音書の中には、イエス・キリストがどういう方かが紹介されています。 その中のヨハネの福音書にはこう書かれています。 

 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネの福音書 1章14節)

 聖書は、イエス・キリストは恵みとまことに満ちておられる方なんだと紹介しているんです。

 「恵み」とは一体何でしょうね。  それは「本来受けるに価しない者に向けられる神の慈しみ」ということなんです。 イエス・キリストはこの恵みに溢れているんです。

 でも「本来受けるに価しない者」とはどういう人たちのことでしょう。 イエス・キリストはこうも言われました。 

 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコの福音書2章17節)

 ですからイエス様の恵みというものは、自分を正しいとする人たちにではなく、自分では自分を救うことができない、自分の罪深さを認め心から神様に助けを求める人にこそ恵みは溢れていくのだというのですね。

 人はこの一方的な恵みに生かされていく時、神様の深ーい愛を知ることができます。 赦されているということの幸いも味わうことができるんです。 本当の平安は、この恵みを受け取ることから始まるんですねえ。

 この恵みを受けるにはどうしたらいいんでしょう。 たった一つのことです。 「イエス様。 私はあなたの助けが、あなたの救いが必要です。 私の救い主として私の心にお入りください。」と祈り、迎えるだけなんです。

 (PBA制作「世の光」2008.9.30放送でのお話しより)

***

TBA 2008 世の光ラリー(リスナーの集い)が 協力教会を会場に
10/29-11/3 東海各地で連日開催されます。

詳しくは ここをクリック--->●TBA 2008世の光ラリー日程 

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■永遠への思い

2008年09月29日 | Weblog
 
世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 えー、『さわやか世の光』という別の10分の番組があるんですけれども、そこでアナウンサーの人がこんな話をしてたんですねえ。

 フィンランドのなぞなぞにこういうのがあるんだそうですが、「いつでも世界を巡っているのに自分の場所を離れられないものはなあに?」っていうことですね。 うーん・・・。 で、結局答えはですね、「こころ」なんだそうですね。 で、心というのは私たちの中にあって離れられない訳ですけれども、でもその心は世界中を駆け巡るっていう訳ですね。

 で、その中で話してたんですけれども、世界中だけじゃなくってですね永遠にまで思いを馳せるっていうことがある、ということですねえ。

 そういえば私たちの心というのはいろんなものに思いをこう向けていく訳ですけれども、聖書の中にこういうことばがありましてねえ、伝道の書という中の3章にこういうことばがあるんですね。
  「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。」(3章11節 口語訳聖書)ということばがあるんですねえ。

 確かに、心というのは世界を駆け巡るだけじゃなくって、永遠にまでその思いが向けられていくという不思議な存在、それが心だという訳ですね。 で、そういう永遠を思う心を与えられたのは神様だというふうに書かれている訳ですね。

 人間が時には猿から進化したものとか、アミーバからとかですね、そんなようなことが言われたりするんですけれども、どうでしょうねえ、人間が永遠を思う思いというのは、人間にだけ与えられているもの、それは永遠なる存在である神から造られたものであるということの証拠ではないか、というふうにさえ思う訳ですねえ。

 ある意味においては、死んだ後にって、まだ向こうにはそういう世界があるんじゃないかっていうことに対する思いというのは本能的なものかもしれませんねえ、教えられなくても。 本能というのは無いものに対しては起こらない訳ですねえ。 神がいらっしゃるから、永遠という存在があるから、そういうものに対しての思いが生まれてくる、本能的に。 それはまさに神が与えられたものだという、そういう意味で私は永遠に対して備えながら永遠に対する備えとしても毎日毎日を送るということが大事ではないかなというふうに思いますねえ。

 ( PBA制作「世の光」2008.9.29放送でのお話しより)

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ



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■うしろのものを忘れる

2008年09月27日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 キリストの弟子となって当時一世紀の世界を駆け回ったパウロという人がいました。 彼は自分の歩んできた道を振り返り、こう言っています。 

 「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
  新約聖書ピリピ人への手紙3章13節、14節

 このパウロにとって「うしろのもの」とは何だったんでしょう。 ・・・ 過去です。 しかも彼が誇りとしてきた過去です。 それらは確かに素晴らしい血統書のような花々しい経歴でした。 パウロは生まれながらに生っ粋のユダヤ人であり、当時の最高の教育を受け、宗教的にも非常に熱心な人でした。 彼はそんな民族の一員としての誇りを持って生きてきたのです。 けれどもその誇りが心の目を曇らせていたのです。 本当の人生の目標を見えなくさせていたのです。

 ところが今パウロはそうした誇りをすべて「うしろのもの」とし、「忘れる」というのです。 それは今、イエス・キリストという本当の誇りを手に入れたからだというのです。

 パウロは言います。 自分はこれまで魂の救いを得るには、人間として限りない努力をしなければならないと思っていたし、自分はその点で非難されることはなかった。 けれどもそのために、何と不自由な生き方をしてきたことか、何と人生に喜びや愛がなかったことか。 今は魂の救いを得るには、救い主キリストを信じる信仰だけで十分だということが分かった。 なんて素晴らしい宝なんだ。(と。)

 だからいま彼は、うしろのものを忘れ、ひたむきにキリストを目指して進み、目標を目指して一心に走っている、そう宣言するのです。 

 あなたは今日、忘れられない辛い過去、---いやそれが輝かしい過去であっても---、そんな過去を引きずって前に進めずに苦しんではいないでしょうか。 けれども、キリストというお方を知るなら、あなたもうしろのものを忘れ、前のものに向かって進みはじめることができるのです。 

 このキリストをもっと深く知るために、あなたもキリスト教会を訪ねてみてください。
 
  ( PBA制作「世の光」2008.9.27放送でのお話しより )

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  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
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■心の叫びを祈る 〈真の平安へのヒント〉

2008年09月26日 | Weblog

 世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 旧約聖書にハンナという女性が登場します。 彼女は深い悲しみと苦しみを抱えていました。 それは、自分には子どもが与えられず、夫にはもう一人の女性がおり、その女性には子どもがたくさんいたからでした。

 しかし、彼女は神様を知っていました。 そして神様を礼拝する宮に行き、彼女は祈りを捧げました。 自分の心をそのまま祈ったのです。 その宮を管理していた祭司が、この女性はお酒に酔っているのでは?、と勘違いするほど彼女は一心に祈ったようです。

 その祭司に対して彼女はこう言いました。 「私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」(サムエル記第一 1章15、16節)と。

 自分の心にある憂いもいらだちも隠すことなく全部注ぎ出して彼女は神様の前に祈りました。 私たちは神様の前に何も隠す必要がありません。 神様は私たちの心のすべてを聴き、受け入れてくださるのです。 

 さて、祈りの後、彼女はどうなったでしょうか。 聖書はこう記しています。 「それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。」(サムエル記第一 1章18節)と。

 状況は何も変わっていませんでした。 ただ祈りを通して神様の平安と恵みを受け取った時、彼女の表情は全く変わったというのです。 それは、神様に信頼し、問題を心からゆだねることができたからではないでしょうか。 あなたも心を注ぎ出して神様に祈りを捧げてみませんか? 

 聖書はこう語ります。 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ人への手紙 4章6、7節)

 自分の心にあるものを全部注ぎ出し神様の前に祈る時、神様があなたの心を取り扱い、変えてくださるのです。 あなたの心にあるすべてを神様に祈ってみてください。 そこにこそ平安への道があるのです。 

(PBA制作「世の光」2008.9.26放送でのお話しより)


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■人を汚すもの、人を聖めるもの

2008年09月25日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。

 今日は聖書の中のマルコの福音書7章20節から23節までを読んでみましょう。 

 「人から出るもの、これが、人を汚すのです。 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。

 当時のユダヤ人は様々な決まりや習慣を守ることを大事にしていました。

 例えば、食前に手を洗い清める習慣がありましたが、それはこんな形で行われていました。 まず指先を上に向けて両手を出し、水をかけてもらいます。 手首と指が濡れるまで柄杓(ひしゃく)一杯程度の水を使うのです。 次に手の指先を下に向け、腕から指先に水が流れ落ちるようにします。 これも柄杓一杯分。 何だかよごれた手を洗うというよりは、お清めの儀式をしているようですねえ。 こうした習慣を守らない人は不浄の者である、体を穢(けが)す者である、と看做(みな)され、社会からつまはじきにされていました。 

 そこでイエスは、人がけがれるのは洗わない手で物を食べて外からけがれが入るからではない。 むしろ人から出るもの、人の内側にあるもののためだ、というのです。

 事実、私たちの内側には、悪い考え、貪欲、高ぶり、愚かさ、といったものがあります。 こうしたものを心に蔓延(はびこ)らせていると、それはやがて行動となって外に現われて、その人の評判を台なしにし、人間関係を破壊し、他人に危害をもたらすものとなります。 まさに内側のものが人をけがすのです。 実に鋭い指摘です。 

 神を信じることで大切なのは、まず何よりも自分の心を吟味することです。 そして聖書は、心にある罪を素直に認め、イエスの罪の赦しを受けて、心が新しくされることを勧めています。  自分の心を吟味し、愚かさや罪を認めるのは勇気の要ることでしょう。 しかし、そういうものをごまかさず、しっかり見つめられる人の心は成長します。 

 ぜひ聖書を読み、自分を吟味し、新しく成長させてくれる神の力を見い出していただきたいと思います。 

 (PBA制作「世の光」2008.9.25放送でのお話しより)

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■福音の四季 - 人は水と御霊によって生まれなければ 

2008年09月24日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。栃木県佐野市にお住まいの長瀬さんから戴きました。

 羽鳥牧師さんの御本、届きました。ありがとうございます。これから読みますが、ワクワクしております。今日はお祭りに行き、太鼓をちょっと聞きました。やっぱり生はいいですね。月見草が角っこのほうで咲いていました。

 ・・・お祭りに行って生の太鼓の音を聞き、月見草を見つけたのですねえ。お葉書ありがとうございました。

 さ、今日の福音の四季のことばです。旧約聖書創世記1章31節。

神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。

 長瀬さんも久しぶりに生の太鼓の音を聞き、宵待草の花を見て満足だった。神様の造られた自然は、ありのまま、そのままで本当に美しいもの、良いものだと感じたんでしょうねえ。

 安藤仲一先生は、ある夏、松原湖から八ヶ岳・八千穂高原の白駒池に行かれてノートに記したといいます。

 とんぼスイスイ白駒の池 かく手に停まる人なつっこさよ

 人擦れしないとんぼたち 自然のままでいておくれ

 自然は自然のままで美しいのですねえ。そこに人間の罪、自己中心が絡むと、人間の反逆によって被造物は虚無に服すると聖書にはあります。そこで被造物も切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望むと聖書には書いてあります。その世界の夜明けが、どんなに待たれるでしょうか。

 イエスはイエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。

  新約聖書ヨハネの福音書3章3節から5節までのことばです。

 それではまた聴いてください。

  ( PBA制作「世の光」2008.9.24放送でのお話しより )
※ 事情により2006.9. 27放送の再放送
 
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■明日のことを心配することなく

2008年09月23日 | Weblog
 
 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興(せきね・ひろおき)です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。

 ある時にイエス・キリストの弟子たちがイエス・キリストのもとに来て、こんな質問をしたことが聖書に記されています。 

 「先生、そのように神殿が壊されてしまうというような世の終わりは、いつ起こるんでしょうか? また、どんな前兆があるんでしょうか?」(マタイ 24章3節他参照) ま、こんな質問をしたんですねえ。

 それに対してイエス・キリストは、「世の終わりには、こういう前兆があるのだ」と具体的なことばをもってはっきりとお答えになったのですねえ。 イエス・キリストは、世の終わりにはどういうことがあるのかも明確に把握されていた、という訳ですねえ。 別のことばで言えば、イエス・キリストは未来にどんなことが起こるのかを、ちゃんと知っておられた。 そして自分の行くべき将来についても、ちゃんと知っていた、っていうんです。 これは凄いことですよね。 

 人は何が不安かと言えば、将来がどうなるのか分からない、明日のことが分からない、ということが不安なんです。 だから明日のことが分かれば、将来のことが分かれば安心だ、って考えるんです。 ですから占いはいつの時代でも流行ります。 少しでも未来を教えてくれると思われる所に人は出かけて行くんですね。 

 イエス・キリストはこう言われました。 マタイの福音書の6章33節から。 
 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(6章33、34節)

 イエス・キリストは、明日(あす)のための心配は無用だ、と言われるんです。 なぜでしょうか。 イエス・キリストは明日のことを御存知だからです。 だから私たちが明日のことを思い煩うのではなくて、明日を御存知なイエス・キリストを信頼し、委ねて生きていく、ということを聖書は教えているんですねえ。 

 聖書の福音書を読むと、イエス・キリストは御自分がどういう存在か、そしてまた自分の行動に明確な使命感と目的とを持ち、そして未来をはっきり見通して生きておられた方なんです。 

 そのイエス・キリストが「わたしについて来なさい。」(マタイの福音書 4章19節、8章22節、9章9節、16章24節、19章21節他)と招いておられるとしたら、この方の招きに応えることは最も人生の安心の選択なんですねえ。 

 自分一人、間違った答案をじっと見ていたら、いつの日かそれが正解に変わるでしょうか? 絶対にそんなことはありません。 しかし答えを知っている方が共に歩んでくださるなら、本当の人生の確信を得ることができるのです。

 「わたしについて来なさい。」 その招きのことばは今も語られているのです。

 (PBA制作「世の光」2008.9.23放送でのお話しより)

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■神によるリサイクル

2008年09月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、資源には限りがあるっていうふうなことを言われるようになったのは割合最近かなあなんていうふうな気がしたりもするんですね。 使い捨てということが当たり前のように言われたようなそんな時もあったように思うんですけれども。 ですから今はリサイクルばやりと言いましょうか、前だったらとっくに捨てられてしまったような物であっても、ゴミとして処置されていたような物であっても、それが見事な物に生まれ変わる。 リサイクルされる。 そういうようないい意味での再生ですね。 それがなされていくということだと思いますね。

 で、ちょっと思ったんですけれども、神様ってお方は私たち人間をもリサイクルじゃないんですが、再生させてくださる方だなというふうに思ったりするんですねえ。 

 で、聖書の中のエペソ人への手紙2章という所には書いてあるんですけれども、あなたがたは以前はもう罪の中に死んでいたようなそういう存在だった、ということがありますね。 そして、そういう者が神様のあわれみによってキリスト・イエスによって造り変えられて、神様の御心に適う歩みをするようにというそういう目的で神様から新しく造り変えられた、神の新しい作品となった、という意味のことばがあってですね、ああ本当に神様こそが見事な再生をなさるリサイクルをしてくださる(方だと思います)。

 一番難しいのは人間のそういう再生であろうかなあと思ったりするんですねえ。 

 この間しばらくぶりで、牧師をしている私の友人と会いました。 彼は昔ですね、なんとか組の中で生活をしたことがあってですねえ、そしてもう周りからもすっかり見放されて、自分(で)もよく言ってました、「私はもう骨の髄まで腐ってしまっている、どうにもならない人間なんだ。 だけど本当にイエス・キリストを信じてこんなに生まれ変わるとは」ってですね。 彼は昔はそうやって多くの人々に害を及ぼしたりしてたというふうに言ってたんですけれども、何と四つの保育園を任されてその園長となって、やがて牧師となって、そして「あなたも生まれ変わることができるんですよ」というふうにですね、イエス様のメッセージを語る人になった。 

 神様のリサイクルって素晴らしいなって思いますねえ。
 
※ エペソ人への手紙2章1~10節

1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、----あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。----
6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。
7 それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。
8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
10 私たちは神の私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

 ( PBA制作「世の光」2008.9.22放送でのお話しより)

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■あなたのことばを忘れません

2008年09月20日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 日本の童謡に
  「 唄を忘れたカナリヤは 後ろの山に捨てましょか ・・・
    唄を忘れたカナリヤは 背戸の小薮に埋めましょか ・・・」
 という文句がありますが、さえずらないカナリヤなんて無用だから捨ててしまえという訳です。 随分乱暴で残酷な歌詞なんですね。  カナリヤがなぜ唄を忘れたのかは分かりませんが、人生の悲哀を感じます。 ところがこの唄の最後に逆転があります。 
  「 唄を忘れたカナリヤは 象牙の舟に銀の櫂(かい) 
    月夜の海に浮かべれば 忘れた唄を思い出す  」

 ちょっと深い意味の歌詞ですが、この上もなく大事にすれば、大切にすれば、またさえずるようになりますよ、そういう意味だと思うんです。 

 ふっと、旧約聖書の詩篇119篇のことばが浮かんできます。 神様のことばへの信仰の歌が溢れている詩(うた)です。 92節、93節。
 「もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。 私はあなたの戒めを決して忘れません。それによって、あなたは私を生かしてくださったからです。

 この詩篇の信仰者に「あなたの戒めを決して忘れない」、そう言わせた大きな理由があったんですね。 神様のことばがこの人の人生を照らす光また道しるべであることを知ったからなんです。  それは、これまで道を踏み外し、迷い、人にも神様にも罪を犯して傷つき、苦しみ、悩み、真っ暗な人生を送っていた。 それなのに、そんな私を神様が真実のことばをもって導き助けてくださった。 それを身をもって経験したからなんです。 

 私たちは自分が大事にされたこと、大切にされたことを忘れません。 たとい真っ暗な人生に迷いこみ、歌を忘れているような人生であったとしても、神様のことばがそこから引き上げ、救い出してくださるからです。 このような人生を神様はあなたにも用意されているのです。 

 今日からあなたも神様のことばである聖書を読み始めてみてください。 

  ( PBA制作「世の光」2008.9.20放送でのお話しより )

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TBA 2008 世の光ラリー(リスナーの集い)が 協力教会を会場に
10/29-11/3 東海各地で連日開催されます。

詳しくは ここをクリック--->●TBA 2008世の光ラリー日程

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■自分の心を聴く 〈人格の成熟のヒント〉

2008年09月19日 | Weblog

 世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。

 人を簡単に傷つける事件が頻繁に起こっています。 また、その加害者がどんどん低年齢化していることがとても気になります。 社会全体がストレスを抱えていると言っても良いかもしれませんねえ。 あなたは今、どんなストレスを抱えていらっしゃいますか?  またそれを自覚していらっしゃるでしょうか。

 深刻な問題を引き起こす要因の一つは、私たちが自分の内側に抱えている「怒り」に気がついていない。 その怒りと向き合っていないことにある、と言われています。 今あなたは、疲れや深い痛みが続き、言い知れない怒りや憤りを抱えたまま歩んではいませんか? 

 怒りを乗り越える最も大切な方法は、その怒りを認めことばで表現することだ、と言われます。 誰にも話せないこと、言えないことがあるかもしれません。 でもまずあなたが、あなたの心を聴くのです。 自分の悲しみを、自分の怒りを聴くのです。 そこにこそ人格の成熟・落ち着きが生まれていくのです。 

 聖書はこう語ります。 
主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。怒ることをやめ、憤りを捨てよ。」(詩篇 37篇7-8節)と。 怒りを静め、憤りを捨てる秘訣は、神様の前に静まり、神様の前に祈り、自分のことばで自らの心を表現することにあります。 そして心から神様に信頼することなのです。 

 あなたがどんな不条理な苦しみや痛みの中で怒りの炎を燃やしていても、そのすべてを受けとめ理解し、本当の慰めを与えてくださる愛の神様があなたを待っているのです。 あなたも神様の前で自分の心を聴いてみませんか? そして神様の前にそのすべてを表現し、祈ってみませんか? 心を静め、あなたの心にある怒りも悲しみも、辛さも不安も、そのすべてをことばにして、どうぞ祈ってみてください。 例え拙(つたな)い祈りであったとしても、神様はあなたの思いを、痛みを、祈りのすべてを聴いて理解してくださいます。 あなたの本当の助けは、既に用意されているのです。 

 ではまた聴いてください。
 
(PBA制作「世の光」2008.9.19放送でのお話しより)


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TBA 2008 世の光ラリー(リスナーの集い)が 協力教会を会場に
10/29-11/3 東海各地で連日開催されます。

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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