♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■呪われるダビデ / 羽鳥頼和

2014年08月30日 | Weblog
2014/8/30放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は旧約聖書の時代のイスラエルの王ダビデを襲った悲劇からお話しします。

 その悲劇はダビデの息子アブシャロムの謀反によって始まりました。(サムエル記第二 15章参照) 自分の息子に謀反を起こされたダビデはすぐに都のエルサレムから逃げ出します。ダビデは息子とは戦いたくなかったのです。失意の中にあるダビデになおも悲劇が襲います。シムイという男がダビデの所にやってきて呪いのことばを幕したてます。シムイはダビデに向かって石を投げつけて言いました。
 「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者。・・・今、おまえはわざわいに会うのだ。おまえは血まみれの男だから。」(サムエル記第二 16章7-8節)

 ダビデのしもべたちは怒ってシムイを切り殺そうとします。ところがダビデは言いました。
「放っておきなさい。彼に呪わせなさい。このことは神様が彼に命じられたのだから。」(サムエル記第二 16章11節参照)

 ダビデはシムイの罵声を聞きながら、神様に心を向け、自分自身を顧りみたのです。ダビデは心の中で自分の犯した罪を思い出していたのでしょう。

 彼は自分の部下ウリヤをわざと激戦地に送って死なせて彼の妻と結婚していたのです。神様はその時、「ダビデ。お前はウリヤを殺した。だからお前の家から剣は絶える事が無い。」と言われました。ダビデは自分の罪を心から悔いたのです。

 神様に真心から悔い改めるダビデは続けて言いました。
「たぶん、神は私の心をご覧になり、神は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」(サムエル記第二 16章12節参照)
 大きな悲劇の中でダビデは神様をしっかり覚えながら自分を見つめました。そして自分の罪を見つめ、それを悔いたのです。ダビデは後にこのように言っています。

 「神へのいけにえは、・・・砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」 (詩篇 51篇17節)

 神様は真実なお方で、憐れみ深いお方です。新約聖書のヨハネの手紙第一1章9節にこのようにあります。

 「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 明日は日曜日です。真実で憐れみ深い神様に会うためにぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。


 (PBA制作「世の光」 2014.8.23放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■聖人のひとり パウロ三木、死の直前の説教 / 岩井基雄

2014年08月29日 | Weblog
2014/8/29放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。先週に引き続き、長崎の二十六聖人の一人、パウロ三木の信仰について学んでましょう。26人は1597年2月5日、--慶長元年12月19日ですが--、朝10時頃西坂の丘に到着し、約4,000人の群衆がかたずを飲んで見守る中、十字架に架けられました。この26人の美しい祈りと讃美が神に捧げられ、パウロ三木が十字架の上からこのように声を張り上げ、メッセージをしました。

 「みなさん、よくお聴きください。私はこれからこの西坂の地で死刑になり、命を絶ちます。私は人を殺した訳でもなく盗んだこともなく、詐欺を働いた訳でもありません。キリストの教えを説いたという廉(かど)で死刑の宣告をされたのです。しかし私はこの運命を嘆いてはいません。むしろキリストさまの教えの正しさの証し人として死への道を選んだことに大きな喜びを感じています。なぜならば、全知全能の神様の暖かい懐に間もなく憩うことになるからです。みなさん、この世は浮世です。どんなに富、権力を持ち、名誉に輝いたとしても、わずか数十年の人生です。魂は不滅ですから肉体が滅びても死後の生命は永遠です。キリスト様は『我は真理、道、命である』と宣言されています。この宇宙の創造主、神様の愛の十字架に我が身を委ねるとしたら、これ以上の幸いはありません。私はキリスト様を見習って私を死刑に定めた太閤様を怨んではいません。お奉行様にも反感を持ちませんし、警吏の方々もお役目ですから怨んではいません。間もなく私のいのちは絶たれます。死を前にしている私ですから真実を語ります。心と精神の真の喜びであるキリシタンをお学びください。信仰の喜び、これ以上のものはありません。」

 本当に力強いストレートなメッセージですよね。イエス・キリストの愛に生かされたパウロ三木たちは死をも恐れることをせず、最後まで福音と神の愛を、そして赦しを伝え続けたのです。

 聖書のことば

 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
  新約聖書 ヨハネ第一の手紙4章9節から10節

 (PBA制作「世の光」2014.8.29放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神の奥義は成就する / 福井 誠

2014年08月28日 | Weblog
2014/8/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神の奥義は成就する」です。それでは黙示録10章7節から読んでみましょう。

 「 神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。

 黙示録は4章、5章で、天で繰り広げられる壮大な礼拝を描いて、6章からは地上に起こる悲惨な災いが描かれていますね。皆さんは6章からの七つの封印の災いと8章からの七つのラッパの災いは同じ事を繰り返している、そして別の角度から描いていることに気づかれましたか? そして七つのラッパの災いの方がより詳しく描かれていますねえ。言ってみれば、七つの封印のお話は映画の予告編、七つのラッパの状景は映画の本篇のようなものです。

 で、この10章は災いのクライマックスに向かって緊張感をいよいよ高めている箇所です。一人の強い御使いが登場してきますね。この御使い、一方は海に、他方は地に足を下ろしています。それは全世界を足の下に従えている、つまり地と海のすべてに関わるメッセージを持っていることを意味しています。どんなメッセージなのか。もはや時が伸ばされることはない。

 この「時」と訳されたもともとのことばは、ギリシャ語でクロノスです。刻々と経過していく時を意味しています。その刻まれる時が残っていない、つまり終わりが来たということですねえ。先の9章で神がクリスチャンたちを苦しめる者たちに対してさばきを開始することを語っていました。ですからこの10章はそれを確認する幻なんですね。もはや時は伸ばされない。あなたがたは解放され、更に奥義が成就する時が来たのだ、と言うわけです。

 「奥義」・・・また分りにくいことばです。使徒パウロはそれを、異邦人とユダヤ人が一つにされること、あらゆる民族がキリストにあって一つにされることだ、と説明しています。苦しみから解放され、天にある祝福の時に招かれる時、その時には苦しみに耐えたあらゆる国民民族が天に集められます。そのような素晴らしい時が近づいていると言うのです。聖書が語る終末は、この世の矛盾にあっても神の御前に誠実に生き抜いた者に祝福があることを告げています。あなたにも目を注いでおられる神を知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2014.8.28放送でのお話より )

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■父の遺言 / 板倉邦雄

2014年08月27日 | Weblog
2014/8/27放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「父の遺言」という題でお話ししましょう。

 通常、「遺言」と言いますと、財産の遺言になるわけですが、父ヤコブの遺言は埋葬に関する遺言でした。死期の迫った父ヤコブは、12人の息子全員に祝福を与えました。それからこう付け加えました。「わしはじき死ぬ。そうしたら故郷のカナンの地に葬ってくれ。お前たちのひい爺さんのアブラハムが墓地にしようとヘテ人から買ったあの土地だ。それ以来代々一族の墓として使われてきた。わしも妻のレアを葬った。いいな。かならずあそこへ葬ってくれ。」 そう言い終わるとヤコブは息を引き取りました。ヤコブ147歳、波乱万丈の生涯でした。

 それにしても死と埋葬ということを聖書はいかに大事にしているかということでしょうねえ。なぜなら、「死」とは生きたことの証明なのです。しかも埋葬は生きた事の記念碑ではないでしょうか。ひい爺さんのアブラハムが土地の財産取得よりも妻のために墓を購入したことからも分りますねえ。ですから死んだらどうでもいい、なんとでもしてくれ、その辺に捨ててくれ、などという考え方は聖書的ではないということです。

 聖書は死と埋葬は私たちの人生に於いて大事なこととして扱っているのです。イエス様も十字架刑という犯罪者の一人として死にました。しかし、新しい墓地に葬られました。死人の復活はその墓地で起こったのです。

 さて、エジプトの国でも喪に服したあと、父ヤコブの遺言通りヨセフは王様の許可を得て父の遺体をマクペラの墓地に葬ったのです。その後ヨセフは兄弟や葬儀のために同行した人達全員とエジプトへ帰りました。

 最後にキリスト教の葬儀で大事なことを二つ申し上げたいと思います。一つは、私たちは葬儀において死者と共に神様に礼拝をささげます。なぜなら生きている人も死んだ人も神様の支配の中にあるからです。もう一つは、葬儀は死者のためではなく残された遺族の慰めと励ましのために行われていると言うことです。

 (PBA制作「世の光」2014.8.27放送でのお話より )

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■渇くことのない水 8  / 大嶋重徳

2014年08月26日 | Weblog

2014/8/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 ヨハネの福音書4章には男性との関係をやめることができなかった一人のサマリヤに住む女性が出てきます。そんな彼女の人生を明らかにされたイエス様に出会った時、彼女の人生は大きく変わります。

 28節(、29節) 女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」

 彼女は町へ出て行きました。我を忘れ、水がめさえもそこに置いたまま、そして町の人たちに向かって叫んだのです。「来てください! 見てください! 私のしたこと全部を知っているキリスト救い主がここにおられるのです!」 

 人に出会うことを恐れていた彼女が町の人の前に出て行くことができました。しかもあんなに隠してきた自分の人生、結婚を何度もしたことも、今一緒に住んでいる男性がいることも、自分から話しても恥ずかしくなくなったのです。

 すると、その町のサマリア人の多くの者が、「あの方は私がしたこと全部を私に言った。」と証言したその女のことばによってイエスを信じた、とあります。サマリヤの人々は彼女の隠してきて人生を通してイエス様を信じることとなったのです。彼女の罪深かった人生がイエス様が宣べ伝えられることに用いられたのです。彼女の人生がイエス・キリストを宣べ伝えることとなりました。

 クリスチャンは「証し」というものをします。それは自分がどれだけ立派な人生を歩いてきたかを話すのではありません。自分がどれだけ神様から背き、人にも言えない恥ずかしかった人生であったのか。しかしその人生にイエス様が訪れてくださった。その時に、もう私の人生は隠しながら生きる人生ではなくなった、と話すのです。あの恥ずかしく目をつぶりたくなるような過去の人生はイエス様を伝えることの良いネタとなったのです。イエス様を信じるとき、私たちのあの痛みと罪の過去もイエス様を証しすることのできる明るい過去へと変えられます。人から隠してきたあの過去を明るく笑えるようになるとは、どれだけ大きな恵みなのでしょうか。このイエス様を信じる明るい人生と踏み出していただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2014.8.26放送でのお話しより )

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■朝食を用意されるイエス様 / 関根弘興

2014年08月25日 | Weblog
2014/8/25放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストは十字架につけられ葬られたあと三日目によみがえられた。これは聖書が記している事実です。復活されたイエス様はガリラヤ湖の岸辺で再び弟子たちの前に姿を現されたことがヨハネの福音書に記されています。

 その日、弟子たちはガリラヤ湖に漁に出かけていました。しかし一晩中網を打っても一匹も獲れませんでした。夜が明け染めた時です。何とイエス様が岸辺に立っているではありませんか。そしてイエス様は舟に乗っている弟子たちに「食べるものがありませんね!」と声を懸けられたのです。弟子たちは「ありません!」と答えると、イエス様は「舟の右側に網を下ろしなさい。そうすれば獲れます!」と言われたんですね。でも弟子たちはそれがイエス様であることにまだ気付いていませんでした。しかし彼らはすぐに言われた通りに網を下ろしたんです。すると網一杯の魚が入っていたんですね。そこで弟子のヨハネもペテロも岸辺に立っておられるお方がイエス様だと分り、そちらに行きました。

 弟子たちが陸地に上がった時、そこに一体何が用意されていたでしょう。イエス様は何と彼らのために炭火を起こし、魚とパンを用意してくださっていたというんです。「さあ来て朝の食事をしなさい」と言われました。イエス様は「わたしのためにお前たち早く朝食の用意をしなさい」と言われたのでありません。その逆です。イエス様はお腹をすかせた弟子たちのために何と朝食を用意してくださっていたんですねえ。イエス様は彼らの最も身近な生活の場に来てくださるだけではなく、朝食まで用意してくださっていました。ここに素晴らしいメッセージがあります。それはイエス様は私たちの必要なものを備えてくださる方でもあるということです。

 イエス様が教えてくださった主の祈り。この祈りの中でイエス様は「このように祈れ」と言いました。それは、我らの日用の糧を今日も与えたまえ、このように祈りなさい、とイエス様教えられましたねえ。イエス様は私たちの日常の中にいてくださり、私たちに必要なものさえも備えてくださるお方だと言うんです。弟子たちに多くの魚を獲らせてくださり、朝食を用意してくださる方は、私たちと共に歩み私たちの必要も備えてくださるお方です。

 さて弟子たちは一旦漁師の仕事に戻りましたが、これからイエス様の復活の大切な目撃証言者として全世界に出ていく必要がありました。弟子たちに与えられた新しい使命がどの様なものであったのか、それは次回お話しすることにいたしましょう。

 
 (PBA制作「世の光」2014.8.25放送でのお話しより)

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■十字架を担ぐイエス / 羽鳥頼和

2014年08月23日 | Weblog
2014/8/23放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は1枚の絵をご紹介したいと思います。その絵はヒエロニムス・ボスというルネサンス時代のネーデルランドの画家が描いた『十字架を担ぐイエス』という油絵です。その絵はちょっとグロテスクな感じがするのですが、私はこの絵は聖書が教えている真理をよく表していると思うのです。

 どんな絵でしょうか。画面いっぱいに20名ほどの人の顔ばかりがひしめきあっています。その群衆の顔は一様に騒がしく、野蛮な雰囲気を醸し出しています。そんな画面の真ん中に十字架を担いでるイエス様がいます。イエス様は目をつぶってうつむいています。そして人々のざわめきの中にもみくちゃにされながら死刑場へと向かっていくのです。イエス様の周りに、押し合いへしあい群れている人々の顔はとても醜いものです。イエス様の左にはイエス様をにらみつけののしっている男がおり、その横にはうすら笑いを浮かべる男がいます。この薄気味悪い笑いはイエス様を嘲っているのでしょう。イエス様の右には獣のように吠えている男がいます。彼の目は死人のようです。

 この絵には人の内面にある野蛮で醜く卑しい心が表現されています。それはその人たちの罪深さです。イエス様の十字架は人々の恐ろしい罪を明らかにしたのです。そしてイエス様は恐ろしいその罪の中にいます。そして黙って十字架を担いでいるのです。

 聖書はこのイエス様の十字架が現代の私たちにとって重要な出来事であることを教えてくれています。新約聖書のペテロの手紙第一 2章24節に、このようにあります。
 
 「(イエス・)キリストは・・・自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。

 イエス様は私たちが罪を離れて正しい生き方をすることができるように私たちの罪を全部背負って十字架にかかり身代わりに死んでくださったのです。イエス様の十字架は私たちを罪から救い出してくれるのです。

 明日は日曜日です。私たちに救いを与えてくださるイエス・キリストに会うためにぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2014.8.23放送でのお話より )
 
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■聖人のひとり パウロ三木の信仰 / 岩井基雄

2014年08月22日 | Weblog
2014/8/22放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今月は長崎の二十六聖人の一人であるパウロ三木の信仰について学んでみましょう。

 摂津に生まれたパウロ三木の父・三木半太夫は永禄11年、1568年に上洛を果たした織田信長に取立てられた戦国武将でした。この半太夫がキリスト教に惹かれて洗礼を受けると、幼いパウロ三木も共に洗礼を受け、洗礼名パウロからパウロ三木と呼ばれるようになりました。安土に最初のセミナリヨ・神学校ができると、パウロ三木は第1期生として入学をし、イエズス会の宣教師たちによって教育を受け、またイエズス会に入会し、優れたイルマン・日本人宣教師として活躍していくのです。しかし20数年後の1596年10月のサン・フェリペ号事件をきっかけに豊臣秀吉は同年12月8日に再びキリスト教禁教令を公布し、キリシタンへの弾圧が始まります。秀吉の命により、大阪と京都で外国人宣教師たち6名、日本人修道士と信者18名の合計24名が捕縛されました。一行は大阪を立ち、京都では左の耳たぶを切り落とされ、極寒の中、歩いて長崎へ向かったのです。途中で二名も捕縛され、二十六名の殉教の列となりました。驚くべきことに、この殉教者の中には一人も脱落者がいませんでした。パウロ三木は道中機会あるごとに縛られたまま神の愛、神の道を説き続けたです。その説教を聞いたある僧侶は、あの忍耐強さ、喜びに満ちた表情を見ると、これではまるで太閤様が国中にイエスの教えの正しさを宣伝してるのと同様ではないか、太閤様は全く愚かである、とつぶやいたと言われています。

 パウロ三木は死を恐れることをせず、大胆にイエス・キリストの愛と福音を宣べ伝えました。神の愛は死をも恐れることのない勇気と力を与えるのですね。

 聖書のことば

 「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
 新約聖書 ローマ人への手紙8章35節、37節

 (PBA制作「世の光」2014.8.22放送でのお話しより)

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■神の裁きと慰め / 福井 誠

2014年08月21日 | Weblog
2014/8/21放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神の裁きと慰め」です。それでは黙示録9章6節から読んでみましょう。

 「その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである。

 8章からはラッパの幻。ラッパが吹かれるたびに次々と恐ろしい災いが起こっていますねえ。

 9章に入り、5番目のラッパが吹き鳴らされると、一つの星が天から落ちて来た、とあります。それは無機質な物体ではなく生き物で、底知れぬ穴を開く鍵を手にしていました。不気味ですねえ。底知れぬ穴が開き、そこからは作物ではない人間を食い荒らすいなごが出て来るのです。このいなご、人間を殺さず、刺して苦痛を与え続けるのですね。人は死にたいと思っていても死が逃げて行く。恐ろしいです。ヨハネは、そのいなごが出陣の用意の整った馬に似ていた、頭に金の冠のようなものをつけ顔は人間の顔のようであった、と言います。実にけったいな生き物です。黙示録が分からなくなるところですね。

 しかし大事なのは、最初に黙示録を手にした1世紀のクリスチャンたちがこれをどう読んだか、です。私たちではありません。彼らには少なくとも旧約聖書の知識がありました。そしてしばしば旧約聖書はこういう非常に不気味なイメージで侵略者や征服者を語っています。となるとこれは文字どおり不気味な怪物が現れるのではなくて、歴史上に繰り返される侵略や戦争のイメージを語っていることが分りますねえ。

 また注意すべきことは、この時代クリスチャンは迫害の最中にあり苦しめられていたことです。そのクリスチャンたちを苦しめている者たちが逆に苦しめられているというメッセージがあることです。つまりヨハネは、ローマ帝国の迫害下で命を削られ苦しんでいたクリスチャンたちに、あなたがたの苦しみの叫び、苦しみの祈りは忘れられていない、もう少しで解放がやってくる、あなたがたを苦しめている者たちが苦しめられる時が来る、と励ましているのです。

 黙示録は単に恐ろしい未来のさばきを伝えているのではなく、苦しめられている者に報われる神の正しさを語っています。正しいことをなさる神を心から信じて歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2014.8.21放送でのお話より )

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■ほえたける狼 / 板倉邦雄

2014年08月20日 | Weblog
2014/8/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「吼えたける狼」という題でお話ししましょう。

 私も4人兄弟の中で育ちましたが、性格はまちまちでした。ヤコブにも子どもは12人いましたが、性格と生きざまは様々でした。今日は末の子ベニヤミンの生涯です。

 その前に、父ヤコブは最後の4人を祝福しました。

 「アシェルは実り豊かな地を耕す。その産物は王の食卓に上る。」(創世記 49:20 参照)

 アシェルの子孫は農業を中心に営む民族となっていくのでしょう。

 「ナフタリは解き放たれた鹿で、かわいらしい子鹿を産む。」(創世記 49章21節 参照)

 ナフタリ族は野山を駆け巡る鹿のようにハンターになるのでしょうか。

 「ヨセフは泉のそばの実り豊かな木だ。その枝は伸びて垣根を覆う。」(創世記 49章22節 参照)

 ヨセフ族は天の恵みと地の恵みを豊かに受けていくのです。

 「山々には穀物と花が満ちる」とあるようにハチミツの豊かな収穫を想像させてくれますねえ。

 そしていよいよベニヤミンへの将来への予告です。年老いたヤコブは言いました。

 「ベニヤミンは吼えたける狼だ。明け方には敵を食い荒らし、夕べには戦利品を分け合う。」(創世記 49章27節 参照)

 末息子のベニヤミン族は狼だと老いた父は予告しました。

 イスラエルはやがて12部族に形成されて行きます。ベニヤミン族は少数部族となり、ユダ族とくっついて何とか部族を形成していくことになります。

 末息子はとかく上の兄や姉に頭を押されて育って行きます。ですから何くそという思いがありますね。

 やがてベニヤミン族からイスラエルのサウルという王様が登場してきます。この王様の気性の激しさは聖書に書いてある通りです。

 またキリスト教を異邦人に伝道した開拓者はパウロというベニヤミン族の出身者でした。パウロがかつてはキリスト教への迫害の先頭を切っていたことはよく知られています。パウロはそのような自分を、子どもを奪われた雌熊に喩えました。まさに吼えたける狼でした。しかし復活のキリストに出会います。そしてキリスト信徒に回心してゆくのです。

 (PBA制作「世の光」2014.8.20放送でのお話より )

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