♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■礼拝は「お勤め」?

2006年01月31日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興(せきねひろおき)です。今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。

 ま時々、牧師をしていますと、こんな事を聞かれます。「牧師先生、あのー、キリスト教では何か宗教的な毎日行うお勤めはありますか?」ま、その方が言われた意味は、勤行のようなものとして例えば仏前で日課として読経することのようなことを考えていたようで、「あの日曜日のあの礼拝というのも私たちが行うお勤めなんですかねえ、毎週だと結構つらいものがあるんですけれどねえ。」まあこう尋ねられたんですね。

 ま、私たちの宗教風土は、私たちが一生懸命宗教的なお勤めをすることによって救いがあるとか問題の解決があるのではないかというふうに考えます。ですから自分の行いや修行というものが中心に来てしまう発想があるんですね。

 でも聖書を開くと、驚くことが書かれているんです。それは、永遠の救いはあなたの行いや修行や宗教的なお勤めによっては決して得ることができないと聖書は教えているからです。聖書にはこのように書かれています。エペソ人への手紙の2章の8節から。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」聖書は救いというものは決してあなたの行いによるのではないと言うんですねえ。まあ行いによるのであったとすれば、当然できる人とできない人が出てきてしまって誇る人も出てきますよね。でも聖書は、誰も誇ることのないためだと教えているんです。恵みによって信仰によって救われるという世界があるのですよと聖書は教えます。ですから、あなたが心からイエス・キリストを救い主として受け入れる時、救いはあなたの中に神様からの贈り物として届けられるんですよと教えるんです。

 あなたがもし素晴らしい贈り物をもらったとしたらどうしますか? 普通は心から「ありがとうございます。」と感謝するでしょう。まして永遠の救いを与えてくださる神様に私たちが背中を向けていいはずがありませんよね。私たちは宗教的な義務やお勤めに生きるのではありません。あなたのためにいのちを捨ててまで愛し、救い、導いてくださるイエス・キリストそして父なる神様を心から礼拝することに生きるんです。毎週の礼拝は決して宗教的なお勤めではなく、私たちの心からの感謝の現われであり、また神様への応答の時でもあるんですね。

 (PBA制作「世の光」2006.01.31放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■明日をめざして

2006年01月30日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、ある人が、「老人の宝は過去であるが若者の宝は未来にある」と言いました。そうかもしれませんね。ただし、すべての老人にとって過去が必ずしも宝でないと同様、すべての若者にとって未来がイコール宝であるという訳でもないですね。未来は宝となる可能性を持っているということでしょうかねえ。ただ過去はどうしようもないのにくらべて、未来はどうにかなるという強みがありますよね。

 ただ、未来があるということばは魅力的ですけれども、これにも罠があってですね、「明日がある、明日がある、明日があるさ」とかいう歌がいつか流行りましたけれども、ある人が「明日から禁煙」そして「明日から禁酒」と書いているのを見た友人が翌日再び訪ねてみたらその張り紙の前で一杯やっててプカプカたばこを吸ってて、何だ「明日から禁酒」「明日から禁煙」って書いてあるじゃないかって。だって「明日から禁酒」って言ってんだろうていうふうなことで言ってたんですけれども。

 まあその明日を明るい日にするかどうかは、今日を真剣にごまかさないで怠けないで力一杯生きるかどうかにかかっているというふうに言えると思うんですね。そのために昨日がでたらめであってはいいって訳じゃありませんし、明日というのは今日の結果ですし、今日はまた昨日の連続であるからですよね。

 だれでも明るい未来を持つために本当は明るい過去が必要なんだと思うんです。でも残念ながら幼子を別にして過去に一つの汚点もないという人はありませんよね。良心の曇りを拭き取って自分をこう顧みてみると、数々の失敗や罪が思い出される筈ですね。他の人は知らなくても自分の心は知ってますし、自分の心がたとえ忘れても神様の目から隠れることはありません。その神様の前に素直な心になって罪の赦しを求めますならば、神様はキリストの十字架の血によって私たちの過去の罪に赤線を引いてですね、過去の一切の汚(けが)れを無いものにしてくださるという。

 聖書の中に、「だれでもキリストのうちにあるならば、その人は新しく造られた者。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなった。」(2コリント 5章17節)というふうに書いてあるんですね。新しい明るい明日への希望を与えてくださるということなんですね。神の前に罪の赦しを求めて新しくしていただきたいというこの決断を「今日」することが明日を新しくすることだというふうに思いますねえ。聖書の中に、「今は恵みの時、見よ今は救いの日」(2コリント 6章2節)とありますから、「今」を大切に、「今日」を大切にして明日の明るい日を築いて欲しいと思いますねえ。
 
 ( PBA制作「世の光」2006.01.30放送でのお話しより )


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■何か足りない物がありましたか

2006年01月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。千葉県流山市にお住まいの塙さんは新約聖書ルカの福音書22章35節のことばをお寄せくださいました。お読みいたします。

 それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」

 私は小学校の教師をしております。初任から数えて三十二年目になります。教師としての歩みの中で人生の岐路に立ったことも数多くあります。特に揺さぶりが厳しかったのは今から6年前、5年生のクラスを担任している時でした。新しいクラスになったばかりのそのクラスは、いつもトラブルがありました。それに加えて教師も久しぶりの高学年の担任ということで自信もなく、おろおろすることが多かったのです。帰宅途中の車の中で涙を流しながら主に祈りました。「イエス様、私はもう教師を続けられません。疲れ切ってしまいました。もうだめです。」その時です。慰めに満ちた優しい声が聞こえたように感じました。「何か足りないものがありましたか?」続く答えは「いいえ。何もありませんでした。」 この瞬間私は悔い改めました。二十数年の教師の歩みを自分の力で乗り越えて来たと思っていた自分を知りました。主はいつも共にいてくださり、励ましていてくださった故に足りないものは何もありませんでした。心に感謝が溢れました。このみことばはイエス様が十字架に向かって歩まれる前に弟子たちに語られたことばです。

 塙さん、ベテランの先生であってもこのような体験をなさる。私も十数年の教師生活をして同じような体験があります。主の励ましを身に染みて感じています。

 塙先生の心に残る聖書のことば。
何か足りない物がありましたか。
いいえ。何もありませんでした。
 新約聖書ルカの福音書22章35節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.01.28放送でのお話しより )

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■心豊かにするもの

2006年01月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は、どのような生き方をしていったら心豊かに生きられるか、そんなことをお話しいたします。歴史小説家で鋭い文明批評家でもあった司馬遼太郎さんがこんなことを言っています。ま、どのように生きるかという、ま、生きる原則・決まり、それは宗教に根ざしているって言うんです。例えば儒教では孝、親に孝行すること。今でも中国人はこれを徹底している。またイスラム教は神を第一とする。神を礼拝することが原則。ま、キリスト教では自分を愛するように隣人を愛せということが社会と生活の規律となっており、西洋文明の土台となってるという訳です。ま、日本は残念ながら宗教の形は取り入れたけれども、それは家の宗教という。個人個人の生きる原則・土台にはなってこなかったと言うのです。

 では、本当に大切な正しい宗教というのはどういうものなのでしょうか。NHKブックス630番の『救いの構造』という本、副題は「日本人の魂のあり方を求めて」という本ですけど、その著者の浄土真宗の研究家の真継伸彦さんは序文の中でこんなことを言っています。「宗教というものをキリスト教徒やイスラム教徒のようにまじめに考えるならそれは私たちが日々生きる心の支えになり、死ぬ時には覚悟を与えてくれるものでなければならない。神なるものとは日夜祈ることによって出会っていなければならない。そのように私たちの魂に深く染み入り心の糧となっている教えとして日本人の宗教はあるのだろうか。」 ま、答えは、「残念ながら全体としての日本人は、ないと答えざるを得ない。」って言うのです。

 キリスト教もイスラム教も聖典としている旧約聖書の中の偉大な信仰者モーセ、あの『十戒』の映画にもなりました。彼の祈りと言われる詩篇の90篇の所では、彼がこんなふうに祈っています。「人生というものは飛び去るように早く過ぎ去ってしまう。だから知恵の心を与えてください。」 (※)

 知恵とは創造者なる神、永遠の神に生かされている自分・人生を自覚して、神を愛し、隣り人を自分のように愛していくことだと言うのです。

 こんな神の愛と、そこから生まれる生きる目的・土台、それをしっかり持っていけたら幸いですね。
 
(PBA制作「世の光」2006.01.27放送でのお話しより )

※「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。だれが御怒りの力を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。その恐れにふさわしく。それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」詩篇90篇10-12節


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■パンくずと小犬

2006年01月26日 | Weblog


 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
 
 イエス様の公の生涯と言われる三年間の行動範囲はイスラエル全土に渡っていましたね。

 ある時のことでした。イエス様がエルサレムから地中海沿岸にあるツロ、あるいはシドンというこんな地方に行かれた時のことだったんですね。カナン人の母親がキリストに泣いてすがってきたんです。といいますのは、娘が悪霊に取り憑かれてひどく苦しんでいると訴えたんですね。ところがイエス様は彼女に一言もお答えにならなかったんですねえ。まああのそういうこともありまして、本当にもう一生懸命イエス様にすがる訳です。弟子たちは彼女のあまりのうるささにですね、「イエス様、あの女を帰してください、もううるさいんです。」と言ったくらいなんですねえ。そしてイエス様は彼女に向かってこう言いました。「私はイスラエルの羊たちのために遣わされてきたんです。子どもたちのパンを取り上げて小犬にあげることなどはしませんよ。」これはですね、異邦人であるカナン人の彼女にとってはとてもショックで、もう突き放されたようなことばだったんですね。異邦人のお前などの叫びには応えられないんだよって言うんですから。

 ところが彼女、そんなことではめげませんでした。彼女はイエス様に言いました。「イエス様、その通りでございます。でも、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただくことができます。パン屑で結構です。おこぼれでいいんです。」とイエス様に食い下がるんですねえ。それを聞いたイエス様は、彼女に言われました。「ああ、あなたの信仰は立派だ。その願い通りになるように。」するとその時から、彼女の娘は直ったって言うんですねえ。

 さて、キリストを求めた異邦人のカナン人の女性は、実は私たち一人一人のことでないでしょうか。私たちは当然ながら神様の祝福や恵みをいただくことができるような義人でもなければ聖人でもない。選ばれた民でもなかったはずです。むしろ神様からは見捨てられ、神の怒りを受けて滅びに行く罪人の一人ではなかったでしょうか。しかしこの女性のように、イエス様をひたすら求め、謙虚に求める時、神様はイエス様によってその祝福を惜しみなくお与えくださるのです。母親の信仰に応えられたイエス様は、あなたの信仰による熱心な求めにも、豊かにお応えくださることのできるお方です。私たちが信じ切って神様を求めてイエス様に従っていくか、そこに祝福の鍵があるんだっていうことをぜひ知っていただきたいとそう思っています。

  (PBA制作「世の光」2006.01.26放送でのお話しより )

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■人を潤す者は潤される

2006年01月25日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。さ、今日の世の光はまず皆様からのお便りの紹介です。石川県かほく市にお住まいの川端さんからいただきました。

 先程聖書を読んでいたら、羽鳥先生のことが急に浮かんできてペンを取りました。いつもこの放送を聞くことを心掛けています。

 川端さん、長い長いお手紙ありがとうございました。ほんの出だしのことばだけお読みしましたが、便箋9枚びっしりのお手紙、心して読ませていただきました。ありがとうございました。

 さ、今日の神の知恵のことばです。旧約聖書箴言は神の知恵の書と言われていますが、今日はその11章25節のことばをお読みしましょう。
おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。」箴言11章25節です。

 豊かに与える者は豊かに与えられ、人を潤す者は自分も豊かに潤されるという意味のおことばですよね。神の中心的なお恵みは、与えるということですね。「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ 8章32節)と聖書の中でパウロは言いました。神の一人子、人となられた救い主イエス・キリストのことを私の恩師である由木 康(ゆうき・こう)先生は、こう歌われました。「すべての物を与えし末、死の他何も報いられで、十字架の上にあげられつつ、敵を赦ししこの人を見よ。この人を見よ。この人にぞ、こよなき愛は現れたる。この人を見よ。この人こそ人となりたる生ける神なれ。」(讃美歌121番&讃美歌21-280番『まぶねの中に』) 惜しみなく与える人になる秘訣は、惜しみなく与えてくださった神様、救い主を知り、神を崇め、神に捧げ尽くすことですね。そうしたら私たちもまた豊かに与える人、豊かに潤す人となれるでしょう。

 聖書のことば。「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」コリント人への手紙第二、9章8節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2006.01.25放送でのお話しより )

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■こころから礼拝をささげよう

2006年01月24日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。

 今月は礼拝ということについて御一緒に考えていますが、礼拝ということばは英語ではサービスserviceというふうに訳されますね。またもう一つはワーシップworshipとも言うんです。このワーシップの(語の基の)ワースworthとは価値という意味ですね。ですからワーシップというのは価値あることという意味なんです。ですから人が心から神様の前にひざまづき礼拝を捧げるということは、あなたの人生に最も価値があることなんですよと聖書は教えているんです。どうでしょう、あなたにとって価値あることって何ですか? 

 旧約聖書の中に、伝道者の書という短い書物があります。あの有名なソロモン王様が書いたと言われているんですね。彼は王様としてイスラエルの領土を広げ、貿易によって莫大な富を得てきました。またソロモンの知恵は大変有名で、その知恵を聞きたいと多くの人たちがソロモンのもとにやってきた訳です。人々は「ソロモンの栄華」とたたえるほどになりました。まさに栄華を極めたソロモンでしたが、この伝道者の書を読むと彼の心の動きがよく出てきます。彼はたくさんの富を得ました。そして事業を拡大していきました。まさにこの世の成功者でした。

 しかし彼は何度もこう記しているんです。「なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。」(伝道者の書1章14節) 人間はですね、どれほどの成功を納めていてもその成功が空しさを消し去るものとはならないとソロモンは言っているようですね。

 そしてこの書の最後の章で、若者にこう語りかけています。
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。」(伝道者の書12章1節) もちろん若者だけでなくすべての人が受け取らなければならないこれはメッセージですよね。そして最後に彼はこう綴って終わるんです。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12章13節 ソロモンがこの書で言いたかったことはいったい何でしょう。それはあなたにとって最も価値あることは天と地を造られた、あなたを造られた創造者を覚え恐れよということだったんですね。もちろん恐れるということは怖がるという事ではなくて、愛し敬い礼拝せよということなんです。

 礼拝とはワーシップ、それは価値あることなんです。あなたの生きる基本に、生活の基本に家庭の基本に、この価値あることワーシップ・礼拝することを土台に据えて生きること、これは大切ではありませんか?

 ( PBA制作「世の光」2006.01.24放送でのお話しより )

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■一つ一つをクリアして

2006年01月23日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 あのう、『次郎物語』という長い小説を書いた人、下村湖人といいますね。で、この方は、その次郎物語を大体18年間かかって戦前戦後にまたがって書いたんですね。で、この方の書いたものの中の『青年の思索のために』という中でですね、「理想を高く。しかし実践・目標は小刻みに。」ということばを言っているんですね。で、その中で自分の経験のことを紹介してまして、「20代の頃にマラソンに出場した。で、4000mのコースを走って残りあと2000mくらいの所にさしかかった時に、もう全身に疲労感を覚えて胸から下の感覚が無くなってきた。そこで走るのをやめて歩こうとしたが、一本の大きな立ち木が目に留まった。それは300mほど先の道端に立っていた。」そこで湖人は、「あの立ち木ぐらいまでは大丈夫だ、何とか頑張ってみて駄目なら歩こうと決めた。そしてその立ち木まで走ってみると、何とか走れた。すると欲が出てきて、更に次の目標を見つける気になってきた。第二の目標は電柱であった。これを目標に走ったら次の電柱まで走る気になっていった。こうして次々に成功して、とうとう決勝点まで走り通して良い成績が得られた。」ってまあ書いてあるんですね。湖人の「理想は高く。しかし実践・目標は小刻みに。」ということ、えー、これもひとつの私がこの一年間さまざまなことに挑戦していく上で大事なことかなというふうにも思わされるんですね。

 で、パウロという人も、目標を目ざしてひたすら走ること(※1)というふうに言っているんですけれども、彼の目標はそれこそ永遠のゴールを目指してということがあるんですけれども、しかし毎日の生活の中で私たちが到達した所に基づいて進むべきです(※2)という言い方もしていてですね、で、毎日毎日一つの小刻みな目標を立てながら、そこに到達したならばそこで反省をし、また次の目標をそこに立て直す時もあるでしょうし、そのようにして一歩一歩進んでいきながら自分の目指す目標の達成に向かっていくというようなこと。そういう言い方もしている訳でして、私たちはただその理想だけ掲げていると、ああ駄目だなって挫折感に襲われることがあるかもしれませんけれど、一歩一歩小刻みに、しかし確実に達成に向けていきたいなと、そう思いますね。


※1「私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 ピリピ人への手紙3章13、14節

※2「それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。」ピリピ人への手紙3章16節 
 
 ( PBA制作「世の光」2006.01.23放送でのお話しより )


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■いつも喜んでいなさい

2006年01月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。愛知県名古屋市にお住まいの村上さんは新約聖書テサロニケ人への手紙第一5章16節のことばを御寄せくださいました。
いつも喜んでいなさい。

 えー、ついでにこのことばに続く所を少々お読みしてみましょう。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」第一テサロニケの5章の16、17、18節です。村上さんの証しのおことばをお読みしましょう。

 自分にとって信じられないような素敵な出会いをしました。初めの頃はまさかと思っていましたが、本当に良いお方なんだなあということが分かってきて、私は喜んでこの出会いを受け留めれば良いのだと思えるようになりました。男性不信だったけれどこの新しい出会いで男の方を見直すことができたように思えます。

 村上さん、素晴らしい男性に出会うことが出来たのたのかと、このお便りを読ませていただきました。でも心の中で、村上さん、イエス・キリストとの出会いのことをおっしゃっているのだとの思いを打ち消すことができませんでした。イエス・キリストの素晴らしさは年月を重ねれば重ねるほど素晴らしいお方と分かります。この方との出会いは、神様の素晴らしい贈り物です。大事に育てて行きましょう。いろいろのこと人生の中にありますが、どんな時にも愛されている、守り導いていてくださる、そういうことをいつも喜んでいなさいという聖書の秘密のようなことばですねえ。いつも喜び、いつも祈り、すべてのことを感謝する生活こそ、このお方を深く信じる、より頼み、従う、そういうことから与えられる生活なんですね。

 村上さんの心に残る聖書のことば。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」テサロニケ人への手紙第一 5章16、17、18節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.01.21放送でのお話しより )

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■愛の光を

2006年01月20日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は、「愛の光の中で生きる」という題でお話しします。かつて一世を風靡したロックシンガー・尾崎豊の残した歌の一節にこう歌われています。「愛の消えた街さ。昔からそうなのだろうか。それが当たり前と言うには俺はまだ若すぎる。見つけたい。見つけたい。愛の光を。信じたい。信じたい。愛の光を。」そしてこう歌い続けた彼は、26歳の若さで亡くなってしまいました。彼の葬儀には、雨の降る中、四万人もの若者が弔問に集まりました。何が多くの若者の心を惹き付けたのでしょうか。ま、今は、外側は物質的な豊かさで包まれています。でも、心の中にあるどうすることもできない渇き・求め、それを表現したからではないでしょうか。尾崎豊はそれを求め、歌い叫びました。そして多くの若者に共感を与えました。まあ愛の必要を歌った伝道者だと言えるのではないでしょうか。でも彼自身はそんな求めた愛の光に出会えませんでした。孤独の中に寂しく亡くなってしまいました。こんなに大切な求められる愛、その輝き、それは残念ながら人間は与えることはできない。だからその本当に必要な愛を与えるために神様が私たちを愛してくださり、その一人子をもお与えくださった。これが聖書のメッセージです。

 旧約聖書のゼパニヤ書の3章17節という所にはこんなふうに書かれています。
あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。

 愛とは「共に」という願いだと言われますが、夫婦でも親子でも共にいて一緒にいて嬉しい、楽しい、喜びだっていう所に愛を感ずるのではないでしょうか。神はイエス・キリストを通してこの愛を豊かに注いでくださる。聖書はそのことを詳しく説明しているっていう訳です。ですからこの神の愛を心に感じた時、受けた時、初めて私たちの心に安らぎや喜びが味わえるということだと言うのです。
 
(PBA制作「世の光」2006.01.20放送でのお話しより )

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