私が泊まった部屋の窓は、玄関と反対側にあり、足場がかかっていた。
邪魔ではあるが、その隙間から横手の風景を撮す。
邪魔ではあるが、その隙間から横手の風景を撮す。
もっと広がりがあったなら、横手のお城まで見えたかどうかは判らない。
お城は、もっともっと左の方角なのである。
ホテルの朝食(バイキング)またしても横手やきそばをチョイス。
牛乳がベラボウに美味しかった。今年一番のヒットである。
牛乳がベラボウに美味しかった。今年一番のヒットである。
横手の町中探索は行わず、バスの乗客となる。
昨日のように、雲ひとつない青空だったら、出羽富士鳥海山が見えただろうに、雲が邪魔をした。
横手市の旧増田町に着く。
私はもう何度も訪れているので、案内人になれるかもと言った所だ。
全国大会のエキスカーションにも組み込まれているので、面白そうな重要文化財住宅は、秋田大会の世話人によって入るのを却下された。
外観だけでも撮しておけば良かった。増田の蔵の日に来ても、ここは開いていなかったのではないか。
旧松浦千代松邸(国指定重要文化財)らしい。
その隣、毎度お馴染みの山吉肥料店に入る。
ここの山吉さんのおじさんは、増田で一番「町家や蔵」について詳しいのではと、私は思っている。
ここの山吉さんのおじさんは、増田で一番「町家や蔵」について詳しいのではと、私は思っている。
安心して聞いていられる。蔵の前に天皇陛下が皇太子殿下の頃に、案内された写真が飾られていた。
黄色のチェーンの後ろが、その写真である。
増田の蔵は、墨塗りで普通の白壁よりも10工程も多く、左官の手間が掛かっている。
この角の白い部分は、黒壁を削るのではなく、黒塗りにする時点で隅だけ残すのだそうだ。
蔵の中は、蔵座敷になっており、内部立入禁止だった。
おかしいな、私が始めて来た時には、見せて貰った記憶があるのだが。
東日本大震災で、表側に長い亀裂が走ったそうだ。
すると、震災前のずっと昔に、訪れていたのだな。
この辺りの家々は、羽黒山信仰なのだよとの詳しい話も、その時にお聞きしていた。
蔵の防火と言えば、味噌である。
隙間に味噌を塗って、日が入らないようにした。
山吉さんの蔵は、昭和10年に完成した。増田では一番若い蔵だそうだ。
棟札には、大工の棟梁の他、脇棟梁、石工頭、左官頭、人夫頭、当家代官の名前が並んでいた。代官(?!)
他の家の蔵も、同じような黒壁が多く、飾りの組子が違っている。
増田の町家は、玄関から奥の離れた倉庫まで、土間を通して行き来できる。
その途中に台所があったり、作業できるスペースが組み込まれている。
家紋が入った風穴は、一度嵌め込んだら壊さない限り取り外せない。
エクスカーションの為に、座敷に飾り付けられた婚礼セット。
右側の赤い小さな打ち掛けは、山吉さんのお母様が嫁いできた時に来ていた物。
右側の白地に模様の打ち掛けは、奥さんが着て結婚式をあげた。
火鉢は桐材をくり抜いて作り、漆と蒔絵を施したもの。
五重の重箱も、皿類もなかなかの優れものだった。
この建物の主の女将さんは、秋田美人だった。
以前に寄らせて頂いて、家そのものを蔵造りにして欲しいと役場から願われ、防火帯として存在を見せている。
女将さんの話も伺いたかったが、バスの発車の時間が迫っていた。
秋田オレンジ隊がいる。