長い冬休みを経て、3月4日から鐙屋古文書研究会が再開した。
宿題がある訳でもなく、予習復習もせぬので、教えて貰った筈の文字が読めない。
宿題がある訳でもなく、予習復習もせぬので、教えて貰った筈の文字が読めない。
困ったものである。
翌週の11日に、小野寺先生が木の箱を持って現れた。
史料が入った箱ごと買ってきたらしい。
酒田市内でも、ちょっと離れた場所の某家から出たもので、殆どが明治の頃の証文だった。
これは測量図のようだ。
その証文の束に混じって、面白い物が入っていた。
謝罪文なのだが、放蕩していた息子が家族に宛てた物で、後半には記名がなされている為に、その部分を省いて撮す。
謝罪文なのだが、放蕩していた息子が家族に宛てた物で、後半には記名がなされている為に、その部分を省いて撮す。
しかも原文ではなく、途中に朱字で訂正されているように、もう一度書き直すように戻された物らしい。
書いた本人も、100年以上経って他人の目に晒されるとは思ってもいなかっただろう。
史料として残ると云うのは、ある意味恐いことである。
しかし、彼はいったい何をしでかしたんだよ~~!