無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

山形へ行く

2017-02-20 13:19:00 | 社会

久しぶりの月山道である。もう少し時間に余裕があったら国道13号線で山形へ向かったのだが、ちょいと出発が遅れたので高速にのった。見事なホワイトアウトで、道路は圧雪、しかもトンネル内の入り口付近はアイスバーンだった。冬はあくまでも冬だったのだ。

西川から寒河江に入ると、一気に天候は変わり、ピッカーンの青空になった。ここは会場の山形駅前のホテルメトロポリタンである。

昨年まで「地域を越えてチャレンジする みやぎ・やまがた女性交流会」の名称だったが、昨年からふくしまが入り、正式に名称も変わった。

井上会長の挨拶の後、山形県商工会議所副会頭、山形市長、宮城県知事(ビデオレター)のご挨拶を頂いた。

パネルディスカッションは、宮城/山形の3名をパネラーに招き、コーディネーターの采配の元「今、一歩踏み出す勇気」と題して、女性起業家達のこれまでの戦いを伺った。国内でも、女性の登用が叫ばれて久しいが、起業となるとなかなか難しい。転機と決断、それに家族の育児や介護など、様々な問題は一人一人違っている。もっと若い人達が活躍できる環境と、それに対するヒントとネットワークを目的とした交流会だ。

お昼には、隣室でランチ交流会を行った。前日東京泊まりで気温が20数度だった所から、新幹線で福島辺りからチラホラ雪が見え、山形はやっぱり雪だったと気温の高低差を経験しながら、ランチから加わって頂いた吉村知事。

いつもの青いスーツも良いが、こんな暖色も似合うなと思う。

さて、料理の楽しみはと言うと、地元の食材を使い、地元の料理が振る舞われる。昨年は食材を福島産にした随分と豪華な料理だった。今年は「お袋の味」は少なかったように思える。珍しい所では、庄内鴨の生ハムがあった。

つや姫のおにぎり、玉こんにゃく、芋煮、漬け物とヤーコンの粕漬けがある。

奥に見えるデザートが、話題のあんぽ柿のタルトだ。福島の食材の放射能の風評被害だが、全品検査をしてもなかなか治まらない。だんだん理解をしてくれる人も増えたが、放射能検査で最後まで引っかかったのが、茸や山菜、それに干し柿のあんぽ柿である。干し柿は干すことで空気にさらされ濃縮する。なかなか規定の数値まで下がらなかったが、昨年から無事出荷する目途がついた。昨年の交流会でお披露目したあんぽ柿のタルトの評判が良く、今年もシェフに無理を言って作って貰った。昨年よりも量が多かったので、レストランのシェフやお菓子職人数人にお願いした。好評なのを土台に、これを製品化しようと動き出した。その切っ掛けがこの交流会だったのである。

柔らかくて綺麗な橙色をしている。実は手間暇のかかった高級品なのである。

さて、別のコーナーでは、山形県内のお菓子の品評会があった。

これを1つづつ摘まんで、どれが美味しいかアンケートに書けと言われても、ご馳走がお腹に入った状態では、手が出なかった。包装も凝った物があって面白かった。お徳用マッチ箱も、実はお菓子の箱なのだ。

一緒に参加した山形市のお姉様から、どの料理が人気だったか、どれが残ったかを見ておくと良いよと言われ、残った皿を撮したが、絵的には綺麗じゃないので載せないことにした。あんぽ柿のタルトは見事に空だった。

数回、この会に出席していると、顔なじみも見つかる。今年は酒田からは3名の出席だった。

この後、分科会に入った。人数が多いせいか、班ごとの発表は行われず、充分に発言の時間があった。女性達は徐々に話を盛り上げていく。

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土曜日朝の現場

2017-02-20 13:02:44 | 建築・都市・港

庄内空港のICに向かう道すがら、現場を撮す。最も高い部分の鉄骨は組み上がり、明日の火曜日は低い部分の鉄骨検査だ。

本来、この様な施設は大きな通りから丸見えではならないのだが、思ったよりも道路と施設の間の松林の黒松が薄くて、見えてしまう。朝早いのに、鉄骨の天辺に作業する人が見えた。天候の悪い時期を見計らったような鉄骨工事だった。急勾配だし、大変だよね。

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新年会

2017-02-20 12:07:00 | 食べ物

建築士会酒田支部の役員会と新年会が、鈴政で開催された。店は混んでいて、いつもの2階の大きな部屋ではなくて、こじんまりした所で始まった。建築士会の卒業設計コンクールで、鶴岡工業が優秀賞を獲ったこと、建築甲子園で東北が始めて準優勝を獲ったことが発表された。建築甲子園は、新庄神室高校だった。

 

 

これに、にぎり寿司と寒ダラ汁が入る。

会合が目白押しな時や、人に会う時に限って、結膜炎で目が赤くなる。この日も寝起きに瞼の中がゴロゴロした。止せば良いのに、痒いと言って擦ったら、みるみる内に目が充血し、ウサギの目なら可愛いが、あっ熊の目もとい悪魔の目のようになった。運転する時は眼帯を外し、人前では眼帯をつけて望んだが、遠近感が面白いほどずれた。お銚子の酒をまともにお猪口へ注げないのである。笑えるほどだった。

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染屋小路

2017-02-20 11:07:37 | 酒田

酒田の進駐軍の記事で、コメントを頂いた鳥海さんが、酒田に捕虜収容所があったとされる「染屋小路」は、酒田のほぼ中心地にあった。もっと町外れと言うか、離れた場所にあっただろうと私は考えたが、違っていた。

上記の地図は現在の市街地図の上に、1655年(明歴2年)の地図を重ねた物である。山居島は現在の山居倉庫とも大きく離れた最上川と新井田川に挟まれた中州だった。この山居島も川の河口も年代を追う毎に姿を変えるが、酒田の街並みは大火を繰り返してもたいして変わらなかった。最後に起こった1976年の酒田大火後に、新井田町界隈の道路が変わっただけである。

本町を中心に商家が並び、酒田の湊に着いた船から荷物を運んだのが、南北に伸びた小路(坂道)である。父の子供の頃も、船場町は海の中だったと言うから面白い。昔は鶴岡を流れる赤川も、最上川に繋がっていたから、洪水で地形が変わることが多かった。それを阻止し港の機能を充実させる為に、1917年(大正6年)に最上川と港を切り離す堤防を築き、1927年(昭和2年)に浜中辺りで赤川の途中から運河を切り開き、新川とした。

旧町名の書いてある資料が見つかったけど、画像が大きくならない。

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