48歳の中年オヤジ 柔道を始める

48歳の中年が柔道に挑戦!怪我をして一時期柔道をやめようと思いましたが、やはり続けることにしました。いつまで続くかな?

東海道ラン番外編 関ヶ原から彦根まで2

2021年03月17日 20時36分41秒 | 東海道をランニング
3月14日 日曜日 東海道ラン番外編 関ヶ原から彦根まで2

関ヶ原から彦根までの中山道は、4~5キロごとの宿場町も綺麗に整備されており、非常に走り易かったです。愛知県内の東海道に比べたら天国そのもの。岐阜県滋賀県ってのは、観光資源に力入れてるんでしょうかね。
東海道ランの最初の頃に、愛知県内をよく走ったのですが、国道1号線と重なる箇所が多く、排気ガスと騒音でイライラしてました。仕方が無いので東海道から離れて、脇道ばかり走っておった記憶があります。
その頃から、「東海道を完全制覇する」ではなく、「東海道をだいたい制覇する」に変わりました(笑)。完璧目指したら面白くないし、完璧を目指したらしんどいのだ。私の性格では「完璧」は無理。
嫁曰く、「アンタの性格が雑すぎる」
はい、その通りでございます。

今回の旅ランは、関ヶ原~今須宿~柏原宿~醒ヶ井宿~番場宿~鳥居本宿~彦根というルートなのですが、第二回目の今回の記事は、「柏原宿~醒ヶ井宿」間の写真と気になった事・途中で考えた事を書いていきます。
どちらかと言いますと、旅の記録ではなく、私の「超いい加減な戯言コラム」なので、資料的価値は全然ありません。無い、価値が有ったらおかしい。

柏原の宿場街道も、田舎道でひたすら気持ちよく走っております。こういう石仏の祠があるので、足を止めて撮影しております。
柏原宿の街道を過ぎると、国道8号線に一旦合流しますが、この辺りはラブホテルが林立しております。

リスボンですよリスボン(笑)。ここはポルトガルです。
私は高校を出て1年間浪人して予備校に通っておったのですが、その予備校(天王寺予備校・略称天予備)の周辺がラブホテル街であった。高校を出たばかりの浪人生には目の毒です。
高校時代の友人の一人は、阪急十三駅近くにある大阪北予備校(略称・北予備)に通っていたのですが、そこもラブホテルが凄くて、ロンドン・パリ・ニューヨーク・ローマなど世界の首都の名前のホテルがいっぱい。周囲をぐるりと散歩すると、世界一周が出来ました。
あの当時(1980年代初め)は、世界の街の名前のラブホテルが多かったんですね。わははは。
調べますと現在、大阪北予備校・大阪予備校という関西の巨大な2つの予備校(姉妹校)は、2005年ぐらいに廃校になっております。
天予備は現在でも存続中、拍手!パチパチ!
少子化の影響も大きいのですが、普通科高卒者に占める浪人率が、かつての3~4割から1割に激減したのが原因だとのこと。
確かに大阪府立の普通科高校を卒業した私のクラスは、半分の6割以上が浪人してた。入学した大学も、ゼミの人間の名簿を作ってる過程で調べたのですが、現役入学3割、1浪6割、2浪1割という比率で、圧倒的に浪人経験者が多かったのです。
今の子供って浪人しないんですね。あらためて勉強になりました。

また関係の無い事を書いてしまった。
浪人時代は勉強もしましたが、結構楽しかったですよ。あの時は本気で勉強しましたし、勉強をするクセが付きました。
「勉強イコール苦痛」という考えから、「あっ、勉強って結構面白いかも」と思うようになったのは、この時です。
浪人してる1年間は、高校卒業の3月はバイトしまくって(←オイオイ)、全然勉強してませんでした。4月から予備校に通い始めたのですが、勉強する習慣が無いので、すぐに寝転んでゴロゴロしてました。覚えがあるのは、予備校を早めに帰った7月のある日に、ガンダムの再放送を見てた。
「あっいかん!このままだとまた失敗する!」
と思ってガンダムのTVを切り、その時から急に勉強し始めた記憶が(笑)。
それからはもう朝6時から12時に寝るまで、ほとんど受験勉強。あの時ほど勉強した時期はありません。
予備校で講演会があり、その時の講師が徳洲会病院創始者の徳田虎雄先生で、強烈な印象の講演会でした。
ご存知の方もいると思いますが、この方は奄美大島出身で、実家は貧乏百姓。幼い弟さんが病気に罹り、お金が無くて医者に診せることなく衰弱死していく姿を、克明に見ていたそうです。その時に「医者になろう」と決心したけれど、家が超貧乏で金が無い。父母を説得して大阪の姉のところに身を寄せて、私の通ってた天王寺予備校に入り猛勉強。この時の学費生活費は、奄美の田畑を切り売りして、送金してもらっていたそうです。
売るものが無くなって一家が路頭に迷うか、それとも合格するか、どちらが先?という状態で、2年目に大阪大学医学部に合格。
講演会では、「私は頭が悪かったから、死に物狂いで努力するしかなかった」と言われておりました。この講演会の印象が強烈で、それまで「シラケ世代」とか「新人類」とか言われていて、「努力=ダサい」と考えていた私には衝撃でした。

この徳田先生の講演会もきっかけの一つですが、
「努力する事・頑張る事って、もしかしたら面白い事ではないか?」
と考え始め、勉強するようになりました。
「努力しても報われない事も多々あるけど、努力しないよりは可能性が広がる」
だったら、最初から諦めるのも癪だから、もう少し頑張ってみよう。汗を出して頑張るって、ダサい事じゃないのかもしれない。

いかん、話の収拾がつかない。ラブホテルの話から、脱線しまくってる。
努力する事が「カッコいい」事だと確信するようになったのは、中年になってからです。若い頃は何かしらテレがあって、なかなか素直になれませんな。
ですがこの年になっても、柔道やら空手やらマラソンetcに挑戦できるのは、この時の思考転換のおかげだと思う。短い人生、やりたい事をやっておかなきゃ、もったいないじゃないですか?

ラブホテルを予備校時代にさんざん見ていたのですが、実生活では全く縁のない男でした。
つまるところモテた事が無い(笑)。
大学時代もモテる奴ってのはゼミに1~2名いて、回数券とかポイントカード(もちろんラブホテルのです)を、持っていて見せびらかしてる奴もいた(笑)。
「見せびらかしやがって、殴ったろか」
と思ってましたが、そんな奴も風の便りでは、現在では、デ〇でハ〇になっております。
「体型は努力の証」という言葉で、無理矢理まとめました(笑)。

写真とは関係の無い話を書いております。すまぬ。
醒ヶ井宿に来るのは2度目です。23年前に愛知県の江南市に住んでいた頃、自転車で来た事があります。あの時は結婚して3年目でしたが、嫁さんほっぽり出して1泊2日の野宿の旅でした。
私の薄汚れた記憶を掘り起こしても、あの頃と全然変わってないです。素晴らしい街道です。この高山みたいな街道が約1キロ。

醒ヶ井宿が終わって再び国道に合流し、次の宿場町の番場宿を目指します。しかし今回のブログも脱線しまくりであった。この癖どうにもならん。
上の写真は塀に銃眼が空いてるお家。鉄砲でも打ちかけるのであろうか?

柔道のブログランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。

にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする