3月27日 土曜日 細切れ東海道 京都第二のゴールは植物園前の下宿
三条京阪から大学の正門までは、普通の経路で7キロほどなんですが、それを走っても全然面白くないので、あちこち立ち寄って走ってみます。
上の写真は三条大橋ですが、この欄干の下の河川敷で、酔っ払いと32年前に喧嘩したことも・・・私も酔っぱらっていたから、酔客同士の喧嘩でした。思い出しても恥ずかしい。
三条大橋を渡って木屋町近くにある王将三条店です。学生時代に何回通った事か。週に1~2回行ってましたから、400~500回は行った計算になります。
説明が長くなりますが・・・高校が終わるまで家族4人で大阪の守口の借家に住んでおりました。私が高校を終える頃に、親父とお袋が、故郷の三重県志摩地方で商売を始める事になり転出。浪人生の私と高校生の妹二人だけで借家住まい。
大学に入ってからは、晩飯は帰り途中の王将三条店で食べる事が多かったのです。だからここは私の食堂でもあります(笑)。
王将から高瀬川沿いの桜を見ながら南下していきましたが、桜見物の観光客が凄かった!木屋町筋の食堂に配達する小型トラックが、観光客で立ち往生しまくっております。
週末にはこの近辺を、よく飲み歩いておりました(笑)。1次会2次会と続き、3次会は必ず深夜まで営業の喫茶店でパフェを食うというパターン。
酒飲んでの若き過ちは、沢山あり過ぎて恥ずかしい。ちょっとだけ書きます。
三条の鴨川の河川敷で友人たち20名で酒飲んでおりまして、数名が酔っ払って飛び込み対岸まで泳ごうとしたのですが、梅雨で増水しており四条大橋まで流されて、ずぶ濡れで京阪電車で帰ってきた事があります。一人行方不明になり、そいつは七条まで流されておりました。よく死ななかったもんだと。
昔なので許されたのかもしれませんが、今だったら徹底的に叩かれていたと思います。
南の四条通まで出て、高島屋から新京極のアーケードを北上します。大きくは変わらないけど、よく行ってた雑貨店がひしめき合っていたビルが、外国人向けの土産物屋に変わってました。ビールを飲みに行ったドイツ料理の店は、探せませんでした。
あかん、記憶があやふやです。
しかし朝10時半で、ほとんどの店が閉まっているにもかかわらず観光客が多い。先だっても言いましたけど、京都の観光は少しづつ復活してきました。拍手!
感触として、「大都市近郊の日帰りもしくは1泊観光」が復活しており、それ以上のものはまだまだだと思います。私の田舎の伊勢志摩地方は、名古屋圏関西圏から離れていることもあり、釣り客とサーファー以外のお客さんは少ないのです。で、釣り客・サーファーはあまりお金を使いません(笑)。
贅沢を言ってはいかんですね。来てくれるだけでもありがたいです。
京都市役所の地下には、私が大学当時に無かった「御池ゼスト」という地下街があって、広場では地元の工芸の人達が、アート作品を持ち寄って売っておりました。
京都は「学生の街」なので、こういうのがあちこちにあるのが特徴だと思う。当時でもフリーマーケットも沢山あったし、「経済」とか「効率化」では計れない物を「許す」雰囲気とでも言うのでしょうか。街のこの雰囲気が好きで、在学中に大阪の借家を出て下宿しました。
木屋町御池の桜並木です。ホテルが近い事もあって、観光の方が写真撮影しまくり。凄い人でした。
こんな光景見たら、テレビの報道のように、
「感染者が増えた!」
「第四波が来た!」
「どうしよう!」
ってのがアホみたいに思えて来た。ここに居る人たちは皆さん全然気にしていない。出歩いてる人達ってのは、「感染しても死なない」と思っている人達です(笑)。私も右に同じ。
「お年寄り・病気持ちの人・その人達と接触する人」以外は、自粛自粛って規制するのは止めましょう。意味が無い。
多くの人が出歩いてる事実は、そういう人達が多数派になってきた証拠です。民主主義の原則で多数決の勝ちという事で(笑)。
鴨川に出て河川敷を走ります。物凄く気持ちが良い。
前にも書きましたけど、「人間は自分に甘く、他人に厳しい」のが原則(本性)だと思う。
だから街頭インタビューなんかで、
「オリンピック怖いわあ~何で中止にならへんやろ」
なんて答えている人には、
お前が出歩いとるがなあー!
という突っ込みを入れてみたいです(笑)。ほとんどの人達がこのパターン。
「私は昨年の3月からずっと、生活必需品の買物以外は出歩いていません!だからオリンピックにも反対します!」
という人なら、それなりに筋が通っているのですが、反対する人の大半は、不要不急の外出をしております。
送別会をした厚生労働省の役人と同じですな。自分には甘く、他人には厳しい普通の人。
私ですか?私はですね、「自分に甘く、他人の事はどうでもいい」人です。
もっと突き詰めると、「自分と家族・その周りの人以外には、関心が薄い(無い)」人です(笑)。
こないだ友人に、「お前は柔道以外のオリンピックに、興味なかったんじゃないか?」と聞かれましたけど、突き詰めると、
「どっちでもいい」
というのが本音です。中止なら中止でもいい。中止になっても選手・関係者でも無いので、あまり困らない。
反対反対!と叫んでいる人達の大半が、余りにも非論理的で感情的なので、反発して賛成派に回りました(笑)。仕事関係で、そういう人達に「自粛しろ!」と圧力をかけられた経験があり、友人のスナック破綻寸前の経緯もあって、逆に徹底的に賛成してやろうかと。
特に飲食店自粛に関して、「罰則が必要!」と叫んでいた人達ってのは、私や私の仲間にとっては、近づきたくない存在なのです。オリンピックに反対する人も、同じ穴のムジナに見えるのです。
悪い人たちではないと思いますが、「正義を振りかざす」行為そのものが肌に合わない。反発する。
私の知っている「正義を振りかざす人」で言いますと、自粛しろ!オリンピック反対!と言ってる半面、お昼は毎度外食ですから(笑)。コンビニ飯にしてください。私みたいに弁当持って来てください。
という感じで世間の良心派(?)をからかったところで、本記事に戻ります。
御池から鴨川沿いを北大路まで走りました。途中の飛び石を使って対岸に渡ったり、遊びながらです。中には禁止されている宴会グループもいっぱいいました。
北大路に近い鴨川は、よく嫁さんと来たところです。あの当時は貧乏だったので、下宿でご飯を炊いて弁当にして、ここでお昼を食べておりました。
さて写真を撮りましたが出せません。京都府大と植物園の近くにある、当時の下宿を探してみました。
建物は・・・おおっと、まだありました。下宿ではなくリフォームされた普通の民家になっておりましたが、間違う事無く私が居た下宿です。
大家さんは隣の植木屋の年配の御夫婦でした。大学の後輩とそのお姉さんがその下宿してまして、紹介していただいたのがきっかけです。ボロい下宿でしたが、大家さん夫婦は凄く優しい人で、居心地は最高に良かったです。
ここから自転車や原付で京都市内をうろうろしてました。鴨川のほとり・植物園の前でロケーションは最高。家賃は1万8千円。銭湯は徒歩5分(笑)。
下宿の向かいは当時滋賀銀行の社員寮でしたが、今は京都産業大学の学生寮になっておりました。
当時滋賀銀行の社員さんたちは、朝6時台に出勤して、夜は12時近くにタクシーに乗り合わせて帰っておりました。当時の私はそれを見て、
「俺は絶対に銀行員にはならない。人間扱いする会社を選ぼう」
と固く決心をしていたのですが、その後2つのブラック企業に勤める事になってしまった(笑)。嗚呼無情!
次回の東海道ランは、「ついに到着!ボロ大学はラブホテルになっておった!」
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三条京阪から大学の正門までは、普通の経路で7キロほどなんですが、それを走っても全然面白くないので、あちこち立ち寄って走ってみます。
上の写真は三条大橋ですが、この欄干の下の河川敷で、酔っ払いと32年前に喧嘩したことも・・・私も酔っぱらっていたから、酔客同士の喧嘩でした。思い出しても恥ずかしい。
三条大橋を渡って木屋町近くにある王将三条店です。学生時代に何回通った事か。週に1~2回行ってましたから、400~500回は行った計算になります。
説明が長くなりますが・・・高校が終わるまで家族4人で大阪の守口の借家に住んでおりました。私が高校を終える頃に、親父とお袋が、故郷の三重県志摩地方で商売を始める事になり転出。浪人生の私と高校生の妹二人だけで借家住まい。
大学に入ってからは、晩飯は帰り途中の王将三条店で食べる事が多かったのです。だからここは私の食堂でもあります(笑)。
王将から高瀬川沿いの桜を見ながら南下していきましたが、桜見物の観光客が凄かった!木屋町筋の食堂に配達する小型トラックが、観光客で立ち往生しまくっております。
週末にはこの近辺を、よく飲み歩いておりました(笑)。1次会2次会と続き、3次会は必ず深夜まで営業の喫茶店でパフェを食うというパターン。
酒飲んでの若き過ちは、沢山あり過ぎて恥ずかしい。ちょっとだけ書きます。
三条の鴨川の河川敷で友人たち20名で酒飲んでおりまして、数名が酔っ払って飛び込み対岸まで泳ごうとしたのですが、梅雨で増水しており四条大橋まで流されて、ずぶ濡れで京阪電車で帰ってきた事があります。一人行方不明になり、そいつは七条まで流されておりました。よく死ななかったもんだと。
昔なので許されたのかもしれませんが、今だったら徹底的に叩かれていたと思います。
南の四条通まで出て、高島屋から新京極のアーケードを北上します。大きくは変わらないけど、よく行ってた雑貨店がひしめき合っていたビルが、外国人向けの土産物屋に変わってました。ビールを飲みに行ったドイツ料理の店は、探せませんでした。
あかん、記憶があやふやです。
しかし朝10時半で、ほとんどの店が閉まっているにもかかわらず観光客が多い。先だっても言いましたけど、京都の観光は少しづつ復活してきました。拍手!
感触として、「大都市近郊の日帰りもしくは1泊観光」が復活しており、それ以上のものはまだまだだと思います。私の田舎の伊勢志摩地方は、名古屋圏関西圏から離れていることもあり、釣り客とサーファー以外のお客さんは少ないのです。で、釣り客・サーファーはあまりお金を使いません(笑)。
贅沢を言ってはいかんですね。来てくれるだけでもありがたいです。
京都市役所の地下には、私が大学当時に無かった「御池ゼスト」という地下街があって、広場では地元の工芸の人達が、アート作品を持ち寄って売っておりました。
京都は「学生の街」なので、こういうのがあちこちにあるのが特徴だと思う。当時でもフリーマーケットも沢山あったし、「経済」とか「効率化」では計れない物を「許す」雰囲気とでも言うのでしょうか。街のこの雰囲気が好きで、在学中に大阪の借家を出て下宿しました。
木屋町御池の桜並木です。ホテルが近い事もあって、観光の方が写真撮影しまくり。凄い人でした。
こんな光景見たら、テレビの報道のように、
「感染者が増えた!」
「第四波が来た!」
「どうしよう!」
ってのがアホみたいに思えて来た。ここに居る人たちは皆さん全然気にしていない。出歩いてる人達ってのは、「感染しても死なない」と思っている人達です(笑)。私も右に同じ。
「お年寄り・病気持ちの人・その人達と接触する人」以外は、自粛自粛って規制するのは止めましょう。意味が無い。
多くの人が出歩いてる事実は、そういう人達が多数派になってきた証拠です。民主主義の原則で多数決の勝ちという事で(笑)。
鴨川に出て河川敷を走ります。物凄く気持ちが良い。
前にも書きましたけど、「人間は自分に甘く、他人に厳しい」のが原則(本性)だと思う。
だから街頭インタビューなんかで、
「オリンピック怖いわあ~何で中止にならへんやろ」
なんて答えている人には、
お前が出歩いとるがなあー!
という突っ込みを入れてみたいです(笑)。ほとんどの人達がこのパターン。
「私は昨年の3月からずっと、生活必需品の買物以外は出歩いていません!だからオリンピックにも反対します!」
という人なら、それなりに筋が通っているのですが、反対する人の大半は、不要不急の外出をしております。
送別会をした厚生労働省の役人と同じですな。自分には甘く、他人には厳しい普通の人。
私ですか?私はですね、「自分に甘く、他人の事はどうでもいい」人です。
もっと突き詰めると、「自分と家族・その周りの人以外には、関心が薄い(無い)」人です(笑)。
こないだ友人に、「お前は柔道以外のオリンピックに、興味なかったんじゃないか?」と聞かれましたけど、突き詰めると、
「どっちでもいい」
というのが本音です。中止なら中止でもいい。中止になっても選手・関係者でも無いので、あまり困らない。
反対反対!と叫んでいる人達の大半が、余りにも非論理的で感情的なので、反発して賛成派に回りました(笑)。仕事関係で、そういう人達に「自粛しろ!」と圧力をかけられた経験があり、友人のスナック破綻寸前の経緯もあって、逆に徹底的に賛成してやろうかと。
特に飲食店自粛に関して、「罰則が必要!」と叫んでいた人達ってのは、私や私の仲間にとっては、近づきたくない存在なのです。オリンピックに反対する人も、同じ穴のムジナに見えるのです。
悪い人たちではないと思いますが、「正義を振りかざす」行為そのものが肌に合わない。反発する。
私の知っている「正義を振りかざす人」で言いますと、自粛しろ!オリンピック反対!と言ってる半面、お昼は毎度外食ですから(笑)。コンビニ飯にしてください。私みたいに弁当持って来てください。
という感じで世間の良心派(?)をからかったところで、本記事に戻ります。
御池から鴨川沿いを北大路まで走りました。途中の飛び石を使って対岸に渡ったり、遊びながらです。中には禁止されている宴会グループもいっぱいいました。
北大路に近い鴨川は、よく嫁さんと来たところです。あの当時は貧乏だったので、下宿でご飯を炊いて弁当にして、ここでお昼を食べておりました。
さて写真を撮りましたが出せません。京都府大と植物園の近くにある、当時の下宿を探してみました。
建物は・・・おおっと、まだありました。下宿ではなくリフォームされた普通の民家になっておりましたが、間違う事無く私が居た下宿です。
大家さんは隣の植木屋の年配の御夫婦でした。大学の後輩とそのお姉さんがその下宿してまして、紹介していただいたのがきっかけです。ボロい下宿でしたが、大家さん夫婦は凄く優しい人で、居心地は最高に良かったです。
ここから自転車や原付で京都市内をうろうろしてました。鴨川のほとり・植物園の前でロケーションは最高。家賃は1万8千円。銭湯は徒歩5分(笑)。
下宿の向かいは当時滋賀銀行の社員寮でしたが、今は京都産業大学の学生寮になっておりました。
当時滋賀銀行の社員さんたちは、朝6時台に出勤して、夜は12時近くにタクシーに乗り合わせて帰っておりました。当時の私はそれを見て、
「俺は絶対に銀行員にはならない。人間扱いする会社を選ぼう」
と固く決心をしていたのですが、その後2つのブラック企業に勤める事になってしまった(笑)。嗚呼無情!
次回の東海道ランは、「ついに到着!ボロ大学はラブホテルになっておった!」
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