その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

禁じられた遊び

2021-08-16 07:28:04 | 転職

お帰りは、仙山線でお願いします^^;

山寺 立石寺の麓の霊園に我が実姉は眠っており、お盆、お彼岸と墓参りをするようになりました。(両親の墓参りさえ、お盆くらいしかしないというのにねぇ^^;)しかし、高速を使っても1時間ちょっと…最近はこの程度の運転時間も辛く感じるようになりましたよ。ただ、手を合わせるだけなんですけれどねぇ。帰り道には、嫁ぎ先に訪問するのですけれど、今年は姪っ子たちの職場で、コロナ感染者が出たとか出ないとか…念のために行き来は避けましょうなんてことで、只々、2時間半の運転手でありますよ。霊的な物を感じる訳でもなく、死者が語りかけてくる訳でも無い。生きている者たちの自己満足と日々平穏に生きていられることへの感謝、両親とも違って、我が夫婦が大きな借り物をして、未だに返し切れていないことへのお詫びと言いますか…自分たちの体力が続く限り、また満足感が得られるまで墓参は続くのだろうなんて考える。
不遜な『おやじぃ』は、帰り道に仙山線の「山寺駅」を見て、「迎え盆」に墓参りをしても「送り盆」に墓参りなどしていないことにふと気づく…「お帰りは、山形駅から仙山線で帰って来てね。」なんて勝手なことをつぶやいておりますよ^^;


「サルスベリ」…去年はここでサルとのにらみ合い

童謡「山寺の和尚さん」のモデルが、立石寺の和尚さんでは無いことを知ってはいるけれど、どうしてもここに来ると「山寺の和尚さん」の歌詞を思い出してしまう。「猫をかんぶくろ(紙袋)に押し込んでポンとける♪」なんて何と残酷なことよ。今なら当然、動物虐待で訴えられそうでありますなぁ。
しかし、我が子どもの頃の男の子たちの遊びは、「残酷」そのものだったような気もする。対象はカエル、セミ、トンボetc. 意味も無く「弱いものの命」を奪っていたような気がする…いつからなんだろう?それが「残酷だ。」と思うようになったのは? 結局のところ、「弱いもの」に向けられる強者?の暴力…「イジメ」はいけないと大人ぶって言っている自分自身を笑ってしまいますよ。
とは言え今でも、畑で蚊に吸われれば叩くし、鬱陶しいハエも即座に叩く…同じ命を奪っているにも関わらず、こちらの方は正当化してしまっていますからねぇ^^; 「我が濁り切った血で良ければいくらでもお吸いなさい。」「お腹が空いたなら、食卓のおかずに止まっていくらでもお食べなさい。」などという境地には達しませんから。生きていること(生き残るということ)は、こうして残酷な行為と隣り合わせである…お盆なので、少々「命」というものを考えてみた。古いフランス映画「禁じられた遊び」を思い出しながら…。

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