その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

パラリンピック雑感…

2021-08-28 08:06:58 | 転職

シンボル色は心(赤)・肉体(青)・魂(緑)とか

『おやじぃ』は車椅子バスケットボールをテレビ観戦しました。若い頃、座った姿勢でシュートを試みたことがあるのですが、下半身のバネが使えない状態ではリングにボールが届くことすら危うい。試合の観戦は初めてであり、ディフェンスの在り方など、もう別のスポーツへと昇華してしまった感があります。
「感動をありがとう。」などというコメントでは余りにも陳腐過ぎる…東京都の『緑のたぬきさん』や文科省がコロナ禍にあっても、「学校連携観戦」に前のめりになるのもうなずけるような気がする。オリンピックとは違って、放送枠が限られている。(視聴率が取れないからかなぁ?)メダルを取った取れなかったという結果だけがひとり歩きする…『おやじぃ』だって、勝者への賞賛は惜しみませんけれど、「障碍者への理解」とか「共生社会の実現」などというお題目が果たしてこれで進むのだろうかなどと捻くれた心でメディアを眺めております。「失われた機能」の中で頑張っている。とか「〇×が欠損した状態」とか、アナウンサーが連呼すればするほど、『おやじぃ』は目を背けてしまうのでありますよ。障がいに目を背けてしまう。障碍者を見ないふりをする…障がいを見て見ぬフリをすることが、大人のマナーのような気持になっている自分に気付くのでありますよ。


私には「シロ」「クロ」つけられない。

そんなことを考えているとモヤモヤした気分になってしまう。還暦を越えて、一年前とは違った体力に愕然としてしまう。視力が低下し、名前や言葉が出て来なくなる。上げたつもりの足で小さな段差につまずいてしまうetc.…「失われた機能」というよりは、徐々に「失われていく機能」に少々恐れさえ抱き始めている。「これが老化というものか。」と自分を納得させながら、上手に付き合っていかなければならないのかも知れない。自身が車椅子に乗ってみて段差の解消に努めたり、廊下幅や扉の開閉を確認してみたり、生活しやすい環境づくりに腐心した時代もあったのだけれど、「半身麻痺は右だけとは限らない。(施設基準を満たすために、階段の手すりが片側だけだった。)」なんてね。今となっては、間の抜けたことすら気付けなかった…自分が実際にそうなってみないと分からない視点が欠落していたようである。
只々、普通に生きたい。決してパラリンピアンを貶めるつもりなど毛頭ない。進むべき人や進める人は、どんどん前に進んでいただければ良い。ただねぇ、特に目立った特技のない絶対多数の社会的弱者や自分も含めた高齢者予備軍が、普通に生きれる社会が実現できないものだろうか?自分自身が「失われていく機能」に気付いた今だから、改めて得られた視点でもあるわなぁ。(少々、遅すぎたか?)

コメント
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